スキャンダル

1


 ストロボの閃光。シャッターの音。つぎの瞬間。ぼくは、明日のスポーツ新聞の見出しが浮かんだ。

 人気アイドル、ミッシェル・グリーンのお熱い夜。

 こんなのはどうでしょう編集長? きっと売れますよ。なにせ、いまをときめくアイドル歌手が、ラブホテルの前で、男に抱きついてキスをしている瞬間を撮った写真が手に入ったんだから。ただ問題は、お相手の男が、人気歌手でも俳優でもなく、もちろん若き実業家でもない、平凡などこにでも男だったってことですけどね。
 でも、ぼくはその男のことをよく知っている。名前は、葛城哲也(かつらぎ・てつや)歳は二十五歳。身長一七二センチ、体重は六〇キロ。中肉中背かな。いや、ちょっと痩せてるかも。もちろん、お腹に脂肪なんかついてない。
 え? そんなことはどうでもいい? 経歴を説明しろ?
 いやあ、聞いてもつまらないですよ、編集長殿。一浪して入った三流大学を出たあと、まともな就職口がなく、先輩のコネで芸能プロダクションのアルバイトをやって、なんとか食ってる、どうしようもないヤツですよ。

 なんて、バカなことも考えたくなるってモンだよ! だって、抱きついて、キスのマネをするとこまでは計画通りだけど、彼女は、本当にぼくの唇に自分の唇を押しつけてきたんだ。これが驚かずにいられるか!

「行った?」
 ぼくに抱きついてるミッシェルが、唇を離して耳元でささやいた。まだ身体は密着したままだ。
 ミッシェル・グリーン。さっきも言ったけど、いまをときめくアイドル歌手。名前から分かる通りアメリカ人だ。それも金髪の。大人びてみえるけど、まだ十七歳。子供のころから日本で育ってるから、日本語はバッチリだけどね。
「どうしたの、哲也さん?」
 答えないぼくに、ミッシェルが、さらに問いかける。
「あっ、う、うん」
 ぼくは、あわててうなずいた。
「とっくに走って逃げていった」
「よかった。成功ね」
 ミッシェルが、笑顔を浮かべながらぼくから離れた。
「これで、明日の芸能ニュースは、あたしたちのことで持ち切りね」
「そ、そうだね」
 はあ…… 頭が痛い。
 いろんな意味で、ぼくは困惑していた。ミッシェルが本当にキスしてきたこともそうだけど、芸能カメラマンに、あんなところを撮影されたぼくは……
 複雑な表情をしているぼくを見て、ミッシェルの笑顔が消える。
「ごめんなさい。哲也さん。こんなことに巻き込んじゃって」
「え? あ、いや。いいんだ。これも仕事のうちだから」
 ぼくはあわてて答えた。そして、笑顔を浮かべる。本当は、笑いたい気分じゃないんだけど。
 ミッシェルは、そんなぼくを見て、なにか小声でつぶやいた。
「そうよね。哲也さんにとっては、仕事だもんね……」
「え? なに?」
 ぼくは聞き返した。
「ううん。なんでもない」
 ミッシェルは首を振ると、ぼくの腕に手を回してきた。
「ねえ、哲也さん。これからどうしようか?」
「どうするって…… もう、これで充分じゃないの? マンションまで送るよ」
「えーっ。そんなの、もったいないよ。今夜はあたしオフなのよ。しかも、哲也さんとなら、堂々とデートできるのよ。どうせなら、食事にでも行かない?」
「それこそ、大騒ぎ……」
 と、言いかけて、ぼくは言葉を切った。そうだ。大騒ぎになるために、ぼくは彼女とここにいるんだった。つまり、これからしばらく、彼女の恋人を演じるために。
 こう言うことなんだよ。ミッシェルはデビューしてから、ずっと執拗なストーカーに狙われているんだ。いや、アイドル歌手がストーカーに付きまとわれるなんて、よくある話で、たいていは事務所の人がガードすれば事足りる。
 ところが。ミッシェルに付きまとってるのは、かなり、ねちっこいヤツらしい。事務所の人も彼女に近づけないよう、努力してるらしいんだけど、ストーカーの執念の方が上らしく、先週、ついに彼女の携帯電話の番号もバレたんだって。(もちろん、すぐ新しい携帯に変えた)
 そんなわけで、ミッシェルは、精神的に、すっかりまいっちゃってる。当然、警察にも相談しているけど、実害がない以上、そいつを捕まえるのは、難しいんだってさ。なんか、釈然としないよね。まあ、アイドルを好きになっただけで逮捕されても困るから、警察の言い分も分かる気はするけど……
 そんなわけで、ぼくの登場。
 簡単な作戦なんだ。彼女に恋人ができれば、ストーカーも諦めるだろうってことさ。ホントかねえ。恋人になった男に嫌がらせでもするんじゃないかなあ。つまり、ぼくに。
 そうなんだよ。だからこそ、怪我ぐらいしたって、どうでもいいような、アルバイトのぼくに白羽の矢が立ってしまった。正確には、何人か候補がいて、その中からミッシェル自身が選んだらしいけど、そう聞いても、あんまり、うれしくないよ。
 だって、だって……
 最近は、すごく物騒じゃないか。もしかしたら、怪我ぐらいじゃすまないかもしれない。殺されるかも…… そうなれば、そのストーカーは逮捕されて、事務所としては万々歳ってところなんだろう。言っとくけど、べつにぼくは、ミッシェルの所属する事務所の社員じゃない。ただのアルバイトだよ。社長は、うまくいったら、社員にしてやるって言ってるけど、冗談じゃない。来年は、好きな電気関係の会社の採用試験を、もう一度受けようと思ってるんだ。

 なのに……

「どうしたの、哲也さん?」
 ミッシェルが、ぼくの顔をのぞき込んだ。
「お腹空いてないの?」
「そうじゃないんだ」
 ぼくは首を振った。
「でも、やっぱりマンションまで送るよ。ミッシェル、毎日ハードスケジュールだろ? それに、明日からは、ぼくとの関係をマスコミに問いつめられる日々が始まるんだ。さらに忙しくなるよ」
 これはウソ。本当は、ぼくが心穏やかに過ごせる最後の夜を、のんびりしたいから。
「だから、今夜はゆっくりしろってこと?」
 ミッシェルは、不服そうな顔でぼくを見た。
「うん」
「大人の意見ね」
「大人だもん」
「まだ、二十五じゃない。あたしと七つしか違わない」
「それだけ離れてれば充分だよ。だいたい、高校生から見たら、二十過ぎなんて、オジサンだろ?」
「バカ言わないで。哲也さんがオジサンなわけないじゃない。ね、食事にいこうよ。あたし、お腹ペコペコ! イタリア料理が食べたい!」
 ミッシェルは、ぼくの腕をとって、引っ張った。
「お、おい、ミッシェル!」
「ダメ。イヤだなんて言わせない!」
 まいったな……
 そのとき、ベンツがホテルの前の道に入ってきた。ぼくらの前で停まる。
「どうやら、うまくいったようだね」
 と、言いながら、運転席から、メガネをかけた男が降りてきた。ミッシェルのマネージャーだ。三十半ばぐらいの優男。
「近藤さん!」
 ミッシェルが、驚いた顔でそのマネージャーに言う。
「どうしたの? 近藤さん、今夜はお休みじゃなかった?」
「表向きはね」
 近藤は肩をすくめた。
「ぼくの監視の隙をついて、若い二人が付き合っていたって計画だからな。でも、こんな大事なときに、本当に休んでるわけないだろ」
「あたしたちも騙したわけ?」
「騙したなんて心外だな。きみたちが…… とくに葛城くんが、うまく演技できるように配慮したんだよ。本当にぼくが監視していたら、やりにくいだろ?」
 近藤は、ぼくを見て、ニヤリと笑った。嫌な奴。嫌いなんだ、この人。
「それはどうも」
 と、答えたのはミッシェルだった。
「ご配慮に感謝します。でも、どうせなら、本当に休んでください。あたしたち、これから食事にいくんです」
「おいおい」
 近藤は、苦笑いを浮かべる。
「それはマズイ。いくらなんでも、騒ぎが大きくなりすぎる」
「だって、それが目的でしょ!」
「目的は、ストーカーの目を、ミッシェルから、葛城くんに移すことだ。ミッシェルを民間人の中に放り込むことじゃない」
「言っときますけど」
 と、ミッシェルが挑戦的な声で答える。
「わたしも民間人ですよ、近藤さん。芸能人だからって特別なわけじゃありません」
 まあ、確かに皇族じゃないね。
「まったく」
 近藤はタメ息をついた。
「ぼくを困らせないで欲しいね。こんなことで、人の揚げ足を取っても意味ないだろ。ぼくは、もしストーカーが、この近くにいたら困ると言ってるんだよ」
「そ、それは……」
 この一言で、さすがのミッシェルも言葉に詰まった。
「だろ? きみはまだ危険なんだよ。社長も心配している。もちろん、ぼくもだ。きみが勝手な行動を取れば、恋人役の葛城くんにも迷惑がかかる。わかるね?」
 ミッシェルは、なにか言いかけたが、近藤の言う正論に、渋々うなずいた。
「よかった」
 近藤は、満足そうにうなずいてから、ぼくに近づいてきた。
「ご苦労さん」
「いえ。べつにぼくは……」
「まあな。これからが大変なんだ。このくらいで、ご苦労さんもないか」
 近藤は苦笑いを浮かべると、財布のポケットから一万円札を取り出した。そして、その一万円札を、ぼくに差し出す。
「電車代だよ」
 ぼくは首を振った。
「ここからなら、三百二十円で帰れます」
「わかってる」
 近藤は、一万円札を無理やりぼくに握らせた。
「今夜は、心安らかに眠れる最後の夜だ。これでうまいモンでも食ってくれ」
 近藤は、ぼくの肩をポンと叩いた。
 ミッシェルが、ぼくを見ている。ぼくらは一瞬、目があった。そして、お互いに目をそらした。なぜか、この一万円が、すごく汚い物に感じる。
「さあ、帰るぞ。ミッシェル」
 近藤はそう言って、ベンツの助手席のドアを開けた。
「哲也さん……」
 ミッシェルが、訴えるような眼でぼくを見た。どういう意味だ? まだイタリア料理を食べに行きたいのかな?
「おやすみ、ミッシェル」
 ぼくは、それだけ言った。
 ミッシェルは、タメ息をつくと、肩をすくめた。そして、「おやすみなさい」と答えると、ベンツに乗り込む。
 ベンツがぼくの元から去っていく。
 その場には、一万円を握った、芸能プロダクションでアルバイトをしている、二十五歳の冴えない男だけが残された。
 こうして、これから起こる騒動の、すべてのキッカケになった夜が終わった。


2


 マスコミって、絶対にバカだと思う。誰が誰と付き合ったって、べつにどうでもいいじゃんか、そんなこと! なんで知りたがるんだよ! ほっといてくれよ!
 そう。始まったのだ。マスコミの取材攻勢。それも、尋常じゃない事態だ。五十人近い芸能記者に追い掛け回されてごらんよ。異常だと思わずにはいられないから。それだけミッシェルの人気があるってことなんだろうけど、ぼくは会社はおろか、アパートにも帰れない状態になった。いや、街を歩くことさえできない。
 そんなわけで、ぼくはホテルに缶詰めになって三日目だ。まあ、缶詰になってる理由はほかにもある。というか、シロウト(?)のぼくが、下手なことを記者にしゃべらないよう、近藤が手を回したというのが、一番の理由だ。
 そして、ついに明日。正式な記者会見を開いて、ミッシェルとぼくの恋人宣言をすることになっている。
 ぼくは、近藤に渡された記者会見用の原稿に、十回以上も目を通した。くだらない受け応えばかり書かれた原稿だけど、なにもリファレンスがないより、ずっと助かる。
 やっと、原稿を暗記すると、なんか気が抜けてしまった。お腹も空いた。ぼくは、例によってルームサービスで食事を取ろうと思ったけど、この三日間で、ホテルのメニューは食べつくしている。
 外に食べに行くか……
 ふと、そんな考えが浮かんで、どうしても、自分を押さえ切れなくなった。わかってる。自分がなにをしようとしているのか。でも、もう堪えられない。ホテルの壁を見つめているのは。
 ぼくは、ホテルの部屋を出た。まだここは記者に嗅ぎつけられていない。大丈夫だ。自分にそう言い聞かせる。遠くへ行かなければ平気さ。それに、記者会見は明日なんだ。万が一見つかっても、今夜一晩の辛抱だ。


3


 はい。そう思ったのが間違いでした。後悔は先に立たず。
 そば屋で親子丼ぶりを食べて(好きなんだよ)、それでもまだ、記者に見つからないのでホッとするのと同時に、ぼくは、気がゆるんでしまった。せっかく外に出たんだ。お酒を飲みに行きたい。ちょうど六本木に近いことだし。なんて、考えてしまったのだ。
 ああ~ ぼくはバカだァ~
 と、あとで後悔することになるとも知らず、ぼくは六本木の、とあるパブに入った。クラブとかと違って、ぜんぜん気どってないから気軽に入れるし、居酒屋と違って大騒ぎする学生も少ないから、一人でぶらっとお酒を飲みたくなったときは、パブに限るね。値段も安いし。
 ぼくは、ビールを買ってから、カウンターの席に腰を下ろした。一口飲む。かーっ、久しぶり~ 旨い。この一杯に生きてるなあ。って、オヤジかよ、ぼくは。

「ハーイ」
 と、女の子が声をかけてきた。
「お兄さん一人で飲んでるの?」
「見た通りだよ」
 ぼくは答えながら、その子を観察した。化粧が濃いけど、高校生だな。ガングロじゃないのが唯一の救いか。
「へえ。あたしも一人……」
 女の子は、ぼくを見て言葉を切った。
「あれ? お兄さん、なんかどこかで見たことあるわね」
 ぼくは、しまったと思った。
「あーっ! あんた、ミッシェルの彼氏じゃない? ここんとこ、テレビで毎日報道してるよ!」
「しーっ!」
 ぼくは人差し指を口に当てた。
「黙っててくれよ。今日は静かに飲みたい気分なんだから」
 女の子は、周りをキョロキョロして、ほかの客が気づいていないのを確認すると、にんまり笑って、ぼくの隣に座ってきた。
「うはあ。やっぱ六本木だねえ。あっという間に有名人に会っちゃったよ。あっ、あたし春菜(ハルナ)って言うんだ。よろしく。ええと、哲也だよね?」
「あ、ああ」
 ぼくは、渋々うなずいた。まいったなあ。変なのに捕まっちゃったよ。
「へえ。あんたがねえ、雑誌に掲載された写真見たとき、冴えないヤツとか思ったけど、マジかで見ると、ホント冴えないねえ」
「ほっといてくれ」
 ぼくは、苦笑いを浮かべた。ここまであけすけに言われると、かえって腹も立たないけどね。
「ねえ、どうやって、ミッシェルを騙したのさ」
「騙した?」
「アハハ。ごめん。ミッシェルをゲットした方法だよ」
「明日分かるよ」
「なにそれ?」
「記者会見があるんだ。そこで、洗いざらいしゃべることになってる」
「ふ~ん。なんか犯罪者みたいだねえ」
「ぼくが言いたいよ。なんにも悪いことしてないのに、なんで、こんなコソコソしなきゃいけないんだ、ぼくは?」
「うんうん。そうだよね。でも仕方ないじゃん。彼女のデビューアルバムって何枚売れたんだっけ?」
「五百万枚」
「ね。あんた、そんな超アイドルの彼氏なんだよ。少しぐらい窮屈な思いをしなきゃ、世の中不公平ってモンだよ」
「なんか、よくわかんない理屈だなあ」
「それよりさ。なんで一人で飲んでるの?」
「そう言う気分だから」
「明日記者会見したら、年貢の納め時だからかな?」
「古い言葉知ってるね。でもそうじゃない。年貢は納めない」
「どういう意味?」
「さあね」
 ぼくは肩をすくめた。
「ところで、春菜って高校生じゃないのか?」
「そうだよ」
「きみこそ、こんなところで、お酒を飲んでるってのは、どういう了見だい?」
「あら。お説教でもするつもり?」
「してもいいけど、どうせ無駄だろ?」
 ガラスのジェネレーションになにを言っても無駄だ。さよならレボリューション。
 ぼくは立ち上がった。
「どこ行くのよ?」
「もう帰る」
「待ってよ。そんな急がなくてもいいじゃない。もっと話を聞かせてよ」
「だからさ。ここにいたら、また誰かに見つかりそうだ」
「ちぇっ」
 春菜は肩をすくめた。
「まあいいや。せいぜい、がんばってね、記者会見」
「ありがと」
 ぼくは愛想笑いを浮かべて、パブを出た。あんな高校生にも面が割れてるとは。この時点ですでに、飲みにきたことに多少後悔し始めていたけど、本格的に後悔したのはここからだった。


4


 ぼくが店を出ると、ほぼ同時に、数人の若い男たちも店を出てきた。
「おい、あんた」
 ぼくは背中から声をかけられた。
 振り返ってみると、なんかラグビー選手みたいな連中が五人もいた。大学生なのは間違いなさそう。
「なんですか?」
「ちょっと、付き合ってもらおうか」
 男の一人が、ぼくの腕をとって引っ張った。
「ちょ、ちょっと、なにをするんですか!」
「いいから、こいよ」
 非力なぼくは、そのままパブの裏手に運ばれてしまった。
 ヤバイかも。むちゃくちゃヤバイかも。芸能記者に捕まるほうが、百万倍はマシだったかも。と、後悔しても、それこそもう遅い。
 男たちが、ポキポキと指を鳴らす。
「おまえが、ミッシェルの男かよ。なんで、こんなクズみてえな野郎が、彼女の恋人なんだ?」
 悪かったな。
「きみたちこそ、いったい、なんなんだよ!」
 ぼくは、ひざが震え出すのを、なんとかこらえながら怒鳴った。
 すると。
「オレたちは、ミッシェル・ファンクラブの会員だ」
 ひええええ。やっぱり、そうくる?
「なあ、兄ちゃん」
 と、男の一人が馴れ馴れしく、ぼくの肩に手を回した。
「悪いこと言わねえ。ミッシェルと別れろよ。あんたじゃ、役不足だよ」
「できれば、そうしてる」
「はあ?」
「とにかく、不可抗力で、こう言う事態になったんだ。ぼくはなにも悪くない」
「なんだと、てめえ!」
 男たちの形相が、いよいよ険しくなる。ぼく、なにか気に障ること言いました?
「つまり、ミッシェルの方が、てめえに惚れたって言いてえのかよ!」
 あっ、そう取られたか。なるほど……
「待ってくれ。誤解だよ、言葉が足りなかった。ぼくが言いたかったのは…… グホッ」
 ぼくは、言葉を最後まで続けられなかった。男の一人が、ぼくのわき腹を殴ったのだ。
「イラつくんだよ、てめえ」
 べつの男が、ぼくの顔にパンチを浴びせる。
「ミッシェルに近づくんじゃねえよ!」
 またべつの男が、パンチ。
 ぼくは、ひざを突いて倒れた。それでも男たちは、寄ってたかって、ぼくを殴り続ける。殺されるかも……
 そう思ったとき。
「お巡りさん!」
 春菜の声がした。
「こっちです! 早く、早くきて!」
「ヤバイ。ずらかれ!」
 男たちは、春菜の声に、蜘蛛の子を散らすようにして逃げていった。
 助かった……
「哲也!」
 春菜がかけてきた。
「大丈夫? 生きてる?」
「ありがと…… まだ生きてるよ」
 春菜に支えられながら、ぼくはなんとか身体を起こした。
「よかった」
 意外なことに、春菜の瞳には涙が浮かんでいた。
「哲也が出ていったあと、あの男たちがあとを追うように出ていったから、まさかと思ったんだ。ごめんね、ごめんね。あたしがいけないんだ」
「なんで?」
「お店で、あんたのこと見つけちゃったからだよ。それで、あの男たちも、哲也に気づいたんだ。ごめん」
「いいよ。べつに…… いてて」
「大変。血が出てる。口の中も切ってるね」
「まあ、たしかに」
 ぼくは、ペッと唾を吐いた。真っ赤な血が混じっている。
「どうしよう。手当てしなきゃ」
「平気だよ。ホテルに戻って休めば」
「立てないくせに、よく言うわ」
「うるさいな。それより、お巡りさんは?」
「あんなのウソだよ」
「やっぱり、そうか。まあ、警察の厄介になるとぼくも困るけど」
「なんで?」
「騒ぎを大きくしたくないんだ」
「ミッシェルのためね」
「ちがう。仕事だからだ」
「仕事?」
「そうさ」
 ぼくは、そこまで言うと、急に自分の境遇に腹が立った。怒りが込み上げてくる。いまごろ。
「ああ、ちくしょう! なんで、こんな目に会わなきゃいけないんだ、ぼくが!」
「ど、どうしたのよ?」
「どうもこうもない。ぼくはミッシェルの恋人なんかじゃないんだ!」
「え? まさかソックリさん?」
「違う! ミッシェルの恋人っていうのが、そもそも、嘘っぱち……」
 ぼくは言葉を切った。
「なによ?」
「なんでもない。忘れてくれ、いまの言葉。くそっ、くそっ、くそっ!」
「よくわかんないけど、とにかく傷の手当てをしなきゃ。うちにきなよ。ここから近いから」
「六本木から?」
「そうよ。広尾だもん、あたしんち」
「へえ。金持ちなんだな」
「そうかもね」
 春菜は、苦笑いを浮かべて、携帯電話を取り出した。
「もしもし。加藤さん? あたしよ、春菜。ねえ、どうせ近くであたしを監視してるんでしょう? ケガ人がいるの。手当てをしたいから手伝ってくれない?」
「監視?」
 と、ぼく。
「なんだよそれ。まさか保護観察でも受けて…… るわけないか」
「当たり前でしょ。保護観察なんか受けてたら、そもそも、こんなところにいないって」
「そりゃそうだ」
 すると、黒い背広を着た男が、パブの裏手に入ってきた。
「お嬢さま。お待たせしました」
 なんですと?
「加藤さん。彼に手を貸してあげてちょうだい。うちに連れていって、手当てするから」
「かしこまりました」
 加藤という男は、手を貸すどころか、やすやすと、ぼくを持ち上げた。
「うわ、ちょっと、待ってくださいよ」
「表に車が停まっております。どうぞ、しばらくご辛抱を」
 加藤さんは、そう言うと、ぼくを車まで運んだ。
 いったい、どうなってるわけ? ぼくは思考が停止していた。表に待っていた車がキャデラックのリムジンだったから、なおさら思考が止まった。


5


 そのまま、オートマチックに春菜の家まで運ばれて、やっと思考が動き出した。いやはや、これは家じゃないよね。お屋敷ですよ、お屋敷。なんか、こんな小説をオンラインで読んだ記憶があるなあ。なんだっけ? 花嫁の理由とかいったかな?
「春菜! きみは何者なんだ! いてて……」
「もう~ 大きな声出すと、傷に響くよ」
「わかってる。いま後悔してるところだから……」
 ぼくは、切れた唇を押さえながら言った。
「で、春菜。きみは何者なんだって?」
 まさか、妖怪じゃないよな。
「べつに。ただの高校生だよ。ただ親がお金持ちって言うだけ」
「なにをしてる、親御さんなんだよ?」
「三井財閥の会長よ」
「そりゃ、確かに金持ちだ」
 日本でも一、二位を争うね。
「呆れたよ。なんで、そんな金持ちの娘が、あんなパブで酒飲んでるんだ」
「お説教は無駄なんでしょ。それより早く車から降りてよ」
「わかったよ」
 ぼくは車から降りた。
「お嬢さま」
 加藤さんも運転席から降りてくる。
「ああ、加藤さん。今日はお礼を言うわ、ありがと」
 春菜は、面倒くさそうに言う。
「でもね。あたしのボディガード気どりもいい加減にしてよね。あたし、もう大人よ」
「わかっております」
 加藤さんは、頭を下げた。
「ですが、お嬢さま。大人とおっしゃるなら、あまりわたしに心配をかけないでくださいよ。旦那様と奥様は、お嬢さまが夜な夜な出歩いてることを知らないんですからね」
「アハハ。お父さんとお母さんなら、あたしが夜出かけてるのを知っても、心配なんかしないわよ」
「ですから、わたくしが……」
「はいはい。わかりましたよ。とにかく、今夜はもうどこにも行かないから、加藤さんも休んでください」
「本当ですか?」
「約束します」
「わかりました。約束ですよお嬢さま」
 加藤さんは、春菜に念を押すと、ぼくに軽く会釈をして、屋敷の裏の方へ歩いていった。従業員(というの?)用の宿舎があるのかも。
「こっちよ。歩ける?」
 加藤さんがいなくなると、春菜が言った。
「もう平気だよ。だいたい、手当てなんかも必要ないかも」
「ダメよ」
 春菜は、ぼくの腕を抱くと、そのまま屋敷の中に招き入れた。
 なんだか、長い廊下を通って、案内されたところは、春菜の部屋だった。ぼくのアパートの十倍はあるな。って、それはさすがに大げさだけど、とにかく広いのは確かだ。勉強部屋とベッドルームの二部屋あるんだから。
「待ってて」
 そう言って、春菜は部屋を出て行くと、数分後に救急箱を持って戻ってきた。
「ねえ。服脱いでよ」
「え? なんで?」
「殴られたところ見せて。シップ貼ってあげる」
「いいよ。自分でやる」
「それじゃあ、あたしの気がすまないのよ。哲也が殴られたの、あたしの責任なんだから」
「だから、春菜が悪いわけじゃないってば」
「頑固ね。あたしが悪いって言ってんだから、そういうことにしとけばいいじゃない」
「春菜こそ、頑固だな」
「姉さんには、負けるけどね」
 春菜はそう言って、消毒液をガーゼに染みこませる。
「はい、こっち向いて。口のとこ拭いてあげる」
「うん」
 まあ、これくらいはいいだろう。
 だが。ぼくは、春菜が傷口に消毒液をつけたとき、飛び上がった。
「いたい!」
「ごめん。染みた?」
「うん。いてて…… もっと優しく」
「はいはい。うふふ。なんか、こういうの映画のシーンになりそうだね」
「ぼくは出演したくないな」
「哲也って、一言多いよ。おもしろいからいいけど」
「そりゃどうも」
「あーっ!」
 春菜が大きな声をあげる。
「こ、今度はなんだよ?」
「やだ。ズボン破れてるよ」
「え? どこ?」
「後ろ。ポケットのとこ。ビーッって穴があいてる」
「ホントだ」
「やっぱり、脱ぎなよ。代えのズボン持ってきて上げる」
「代えのズボン?」
「うん。庭掃除のときにはく、作業ズボンだけどね。穴が開いてるよりいいでしょ。それに、すごく汚れてるよ、このズボン」
「いいよ、ホントにもう。これだけしてくれたら感謝感激だ。できればお茶くらい飲ましてもらって、そしたら帰るよ」
「遠慮しなくてもいいのに」
「そういう意味じゃない」
「大丈夫。襲ったりしないって、ミッシェルの彼氏を」
「だから、それは仕事…… いや、まあ、とにかくご心配なく」
「さっきも、そう言って怒鳴ってたね。どういう意味?」
「気にしないでくれ」
「気になるよ」
 春菜は、そう言って、机の上に置いてあった写真週刊誌を取ってきた。
「これって、嘘なわけ?」
 それは、ミッシェルがホテルの前でぼくにキスをしている、例の写真が載っている号だった。それどころか、表紙にも使われている。こりゃ面も割れるわな。
「こんなもの、持ってたんだ」
「うん。加藤さんが、こういうの好きでね。あたしもたまに、彼の買ってきた雑誌を借りて読むんだけど…… それより、教えてよ。これは嘘?」
「聞かない方がいい」
「ねえ。あたし、思うんだけど、哲也ってぜんぜん、うれしそうじゃない。むしろ、苦しんでるみたいに見える」
「は?」
「だって、そうでしょ? あのミッシェルだよ。ううん。ミッシェルじゃなくたって、普通は恋人ができたら、もっとうれしそうなモンじゃないの? それが、なんでそんなに苦しそうな顔してるのさ」
「そ、それは、芸能記者が…… それに、さっきみたいな狂信的なファンもいるし」
「覚悟の上でしょ? そんなこと。ミッシェルと付き合おうって思った時点で」
「うっ……」
 ぼくは、言葉に詰まった。この子、けっこうスルドイっていうか、キツイこと言うなあ。
「ねえ。なんかわけがあるなら話してよ。力になれるかもしれないよ」
「きみが?」
「そうよ。こう見えても大富豪の娘だよ」
「なるほど…… 意外と説得力あるな。でも、いまさっき会ったばかりの男に、そこまで執心する理由が分かんない。やっぱりアイドルのスキャンダルだから気になるのかい?」
「否定はしないけど、それだけじゃないよ。なんかさ、うーん…… なんていうか、なにかしたいのよ、あたし。毎日がつまらないから」
「ぼくに、お嬢さまの暇つぶしにつき合えと?」
「皮肉家だね、哲也って。でもまあ、そう思ってくれてもいいよ。たぶん、まったく的外れじゃないから。それでも、あたしの暇つぶしが哲也のためになるんだったら、哲也にだってメリットあるわけでしょ? ギブ&テイクだよ。違う?」
「春菜。きみって、すごく頭がよさそうだね」
「そう? そんなこと言われたの初めて。みんな姉さんの方が、頭がいいって言うよ。なんかうれしいね。自分が誉められると。まあ哲也も、姉さんに会えば、意見が変わるだろうけど」
「ふーん……」
 姉にコンプレックスでも持ってるのかな?
「ねえ」
 と、春菜。
「あたしのことより哲也のことだよ。話してみてよ」
「そうだな」
 ぼくは、春菜がなにか力になってくれるとは思わなかったが、それでも、ことの次第を話す気になった。彼女は頭がよさそうだし、それに、本当は、誰かに話したくて仕方なかったんだ。
 だからぼくは、気づいてみると、いままでのことを熱く語っていた。


6


「ひどーい!」
 話を聞き終わった春菜の、第一声。
「それって、まるで生け贄じゃない、ストーカーに対する!」
「まあね」
 ぼくはうなずいた。ふむ。生け贄。言い得て妙だね。
「あたしさあ、芸能界のこととかよく知らないけど、そういうの許せないな。人をバカにするのもほどがあるわよ」
「春菜」
 ぼくは、彼女が熱くなっているので、かえって冷めてきた。
「それが現実だよ。ぼくも、この仕事を断ればアルバイトを首になるかもしれなかったんだ。この不景気に、仕事なんか簡単には見つからない」
「だからじゃんか!」
 と、春菜。さらに熱くなった。
「それって脅迫でしょ? 首にするぞって言えば、誰でもビビるわよ。ひどい。ひどすぎるよ。その社長。あとミッシェルも。信じらんない。いい子だと思ってたのに!」
「待て待て。ミッシェルは悪くないって。彼女も事務所の意向には逆らえないんだから」
「そうなの?」
「そうさ。いくらトップアイドルでも、契約ってものがあるんだ。ミッシェルだって例外じゃない。事務所の決定には従うのさ」
「じゃあ、ミッシェルは、この芝居をイヤがってたわけ?」
「というか、ぼくに対して、申し訳なさそうだったな」
「ふう…… よかった。それを聞いて、少しだけ落ち着いたよ」
「沸騰しやすいタイプだなあ、春菜って」
「まあね。自分でもわかってる。それより作戦を練りましょう」
「作戦?」
「そうよ。哲也が、まともな生活に戻るための作戦。なにかあるはず…… おっと、ごめん、あたしったら、大事なこと忘れてた」
「なに?」
「哲也にシップを貼ってあげるんだったわ」
「ああ。忘れてた」
「服脱いで」
「だから、もういいてば」
「だから、ダメだってば。明日になったら、殴られたところ腫れるよ、きっと。ちゃんと冷やしといた方がいい」
「そうか。そうかも」
「でしょ。その服も汚れてるから、新しいのに…… そうだ。哲也、お風呂入ってきなよ。その間に、新しい服とか準備しといてあげるから」
「風呂?」
「うん。うちのお風呂は豪華だよ」
「だろうけど」
「それとも、やっぱりあたしが哲也の服を脱がしてシップを貼ってあげた方がいい? うん。やっぱりそうしよう。ミッシェルの彼氏じゃないんなら、遠慮はいらないよね」
「お風呂に入らせていただきます」
 ぼくは、あわてて言った。
「うふふ。最初から、素直にそう言えばいいのよ」
 あれ…… はめられたかのかな、ぼくは?


7


 シップを持って、春菜の部屋を出たぼくは、教えられた通りの順路を通って、浴場に向かった。すでに夜の十時を過ぎていたので、この時間なら、春菜の家族は、みな自室に引きこもっているから、遠慮はいらないということだが…… なんだかねえ。萎縮しちゃうよ。だって、三井財閥の会長の屋敷だよ、ここ。
 と思いつつ、浴場に到着した。確かに風呂と言うより浴場だね。でかいドアだこと。
 ぼくは、カラカラと音を立てて、浴場の引き戸を開けた。
 そのとたん!
 ぼくは、春菜のヌードを拝んでしまった。だって、脱衣所に、髪の毛をバスタオルで拭いている春菜がいたんだよ。
 ぼくらは、一瞬顔を見合わせて、同時に「あっ……」と声を出した。そして、つぎの瞬間。
「キャーッ!」
 春菜が悲鳴を上げた。
「ご、ごめん!」
 ぼくは、あわててドアを閉めた。
 まいったなあ。まさか春菜の、あられもない姿を見てしまうとは。それにしても、悪くない身体つきだったな。出るところは出てて、ヒップは引き締まってて……
 あれ?
 ぼくは、ふと疑問が浮かんだ。
 おかしいぞ。だって、たったいまぼくは、春菜の部屋で、春菜自身と別れてきたところであって……
 あれ? あれ? あれ?
 じゃあ、いまの女性は誰?
 ぼくは、大あわてで、来た道を引き返し、春菜の部屋に戻った。
「春菜!」
 ドアを、バンと開ける。
「キャッ」
「わっ、ごめん!」
 ぼくは、またあわててドアを閉めた。今度は、春菜の下着姿を見てしまった。彼女は着替えの真っ最中だったのだ。
 ひええええ。もう、なにがなんだか……
「なによ哲也、あわてちゃって」
 春菜がドアを開けた。
 ぼくはドアを背にしたまま言った。
「着替えはすんだのか?」
「え? ああ、もう平気だって。こっちを見ても大丈夫だよ」
「よかった」
 ぼくは、ホッとして、振り返った。
「こら! なんてカッコだ!」
 春菜は、Tシャツを羽織っただけだった。スラリとした生足と、パンティが見える。
「だって、急いでたんだもん」
「頼むから、ズボンかスカートを履いてくれよ。目のやり場に困る」
「えへへ。それって、あたしにも魅力があるってこと?」
「当たり前だろ! ぼくだって、まともな男だぞ」
「うわあ、なんかうれしいなあ」
「いいから、頼むって」
「はいはい」
 春菜は、ドアを開けたまま、部屋に引っ込んだ。ちらっと見ると、ジーンズを履いている。ああ、よかった。って、ぜんぜん良くない!
「春菜!」
 ぼくは、部屋に入った。
「なによ、血相変えて」
 春菜は、ジーンズのジッパーを上げているところだった。
「なにって、浴場に春菜がいたぞ!」
「は?」
「いや、春菜にソックリな人がいたってこと! しかも風呂上がりで……」
「なによ。まさか見ちゃったわけ?」
「うん」
 ぼくは、コクンとうなずいた。
「あちゃ~ 姉さん、まだ起きてたんだ。いつもは夜の九時になると寝ちゃうのになァ。こんなときに限って、まったくもう」
「ちょっと待て。姉さん? あれが?」
「そうよ」
「もしかして、春菜って双子?」
「うん。姉さんは秋菜っていうの」
「謎が解けた。そっか。なんで気づかなかったのか」
「そんなに似てた?」
「ソックリだよ」
「ふーん。みんな姉さんの方が美人だって言うけどなァ」
「化粧が変なんだよ。そんなメークをきれいに落とせば、春菜だって美人だぞ」
「そう?」
 春菜は、ニコッと笑った。
「へへへ。なんかうれしいな」
「それはともかく、マズかったなあ」
「まあね。タイミング悪かったねえ。いつもなら、とっくに寝てるのよ」
「ずいぶん、早く寝ちゃうお姉さんだな」
「その代わり朝早いよ。五時には起きるもんね。合気道の稽古で」
「合気道?」
「うん。姉さん、合気道と剣道と柔道の選手だよ。テコンドーも得意らしい」
「げっ…… なんだそれ。ムチャクチャ強そうジャンか」
「アハハ。じっさい強いよ」
 春菜は笑った。
「それにしても、姉さんの裸を見ちゃったのはマズかったわね」
「ホントだよ。ぼく、投げ飛ばされちゃうかも」
「まあ、見ちゃったものはしょうがないわよ。不可抗力だし」
「うん。不可抗力」
「だから、姉さんも許してくれるよ」
「春菜から、ちゃんと事情を説明してくれよ」
「わかってるって」
 そのとき。春菜の部屋のドアにノックの音が響いた。
「さっそく、来たいみたいね」
「ぼく、どっかに隠れようか?」
「バカ言わないの。堂々としてなさい」
 春菜はそう言って、ドアを開けた。
「ハーイ、姉さん」
 ドアの外に立っている秋菜は、驚いたことに着物を着ていた。ずいぶん早い着付けだな。ぼくと同じことを思ったのか、春菜が言う。
「ずいぶん早かったじゃない。裸だったんでしょ、さっきまで」
 こらこら。神経を逆なでするようなこというな。それにしても、もしかして、この二人仲が悪いのかな?
 すると、秋菜は春菜を無視して、部屋の中に入ってくる。そして、ぼくの前まで歩いてくると、正座をして三つ指をついたのだった。
「初めまして。秋菜と申します」
「あ。これは、どうも、ご丁寧に。えっと、葛城哲也と申します」
 ぼくも、あわてて、正座して頭を下げた。
「なに、バカな挨拶してるんだか」
 春菜が、呆れた顔で言う。
「姉さん。哲也が姉さんの裸を見ちゃったのは、不可抗力なのよ。まあ、野良犬でも噛まれたと思って諦めてよね」
「春菜」
 秋菜は春菜を振り返った。
「哲也さんと、あなたはお付き合いをしているんですか?」
「あたしたち? 違うよ。哲也は友だち」
 正確には、友だちでもないと思うんだけどねえ。と、ぼくが思っていると、秋菜はニッコリ微笑んで、ぼくに向き直った。
「よかったですわ。妹の悲しむ顔は見たくありませんモノね」
「は?」
 ぼくは、間抜けな声を出した。どういう意味?
 すると、秋菜は、またも三つ指をつく。
「哲也さん。不束者ですが、どうぞ、これからよろしくお願い申し上げます」
「は?」
 ぼくは、またまたハテナマークを浮かべた。今度は春菜も同時に。
「ちょっと姉さん、なに言ってるのよ。あたしと哲也は、なんでもないって言ったじゃない。不束者をよろしくなんて、バカ言わないでよね」
「なにを誤解しているの?」
 と、秋菜。
「哲也さんと、お付き合いさせていただくのは、わたくしのことですよ」
「は?」
 また、春菜とぼくは同時にハテナマークを浮かべてしまった。
「ちょ、ちょっと秋菜さん。言語明瞭意味不明とはこのことなんですが、いったい、なにをおっしゃりたいんですか?」
「ですから、これからどうぞ、よろしくお願いいたします。よい妻になるよう、精一杯努力いたします」
「なんですとーっ?」
 妻って言った? 言ったよね、いま、妻って?
「姉さん! あんた、なにトチ狂ってんのよ!」
 春菜も驚く。
「だって春菜」
 秋菜は、まじめな顔で答える。
「わたくし、あのような姿を殿方に見られたら、もうお嫁に行けないわ。それでいま考えたの。そうよ。見られてしまった、あの方と結婚すれば、万事解決じゃないかって」
 うわあ。ぶっ飛んでるよ、この姉さんも……
「どーして、姉さんはいつもそうなのよ!」
 春菜が叫んだ。
「江戸時代の女じゃあるまいし! バッカじゃない?」
「あなたにバカ呼ばわりされる筋合いはありませんよ。だいたい春菜こそなんですか。毎日勉強もせず遊び回って。少しは三井家の人間としての自覚を持ったらどうなの?」
「またそれ。姉さん、頭固すぎ。いくら三井家の跡取り娘だからって、そこまで家に執着する必要ないでしょ」
「だまらっしゃい。あなたには、だらしがなさ過ぎます」
「ふん。三井は姉さんに全部あげるから、あたしのことはほっといてよ」
 ぼくはこの双子の関係が分かったような気がした。何事にも優秀で、清楚な性格の長女と、それに反発する妹。と、そういう構図なんだろうな。
 などと、冷静に分析している場合じゃないのは明らかだった。


8


 なんだろう、この胸騒ぎは。ミッシェルの件だけでも、ぼくの平凡な人生にはオーバーヒート寸前の事態なのに、さらに泥沼が待ってるような予感……
「哲也さん」
 秋菜が、ずずっ、とぼくに近づいてくる。
「わたくしを妻にしていただけますよね。そして二人で三井家を繁栄させましょう」
「あ、秋菜さん、待ってくださいよ。いいですか、ここはひとつ、冷静になって話し合いましょう」
「わたくし、冷静でございますわ」
 秋菜は、ぼくの腕をつかんだ。
「哲也さんの妻にしていただけないのなら、わたくしもう、生きてはいけません」
「だから、待ってくださいってば!」
 ぼくは秋菜の手を振りほどこうとしたが、その力のなんと強いこと! 振りほどくどころか、いよいよ、強く握られるばかり。痛いんですけど……
「姉さん、これ見てよ!」
 春菜が、例の写真雑誌を秋菜の前に投げ出した。
「あら。哲也さんですわね」
 表紙を見た秋菜が言う。
「そうよ。見出しをよく見なさいよ。哲也はミッシェルの恋人なのよ」
「ミッシェル? それはどなたですか?」
「姉さん、ミッシェルを知らないの?」
「春菜。わたくしが、あなたのお友達のこと知っているわけないでしょ」
「違うってば。ミッシェルは、アイドルなんだよ、今をときめく」
「あら。そうなんですの?」
 秋菜がぼくに聞く。
「そうです。有名アイドル。ぼく、そのミッシェルと付き合ってます。だから、秋菜さん、このお話はなかったことに」
「オホホ」
 秋菜が笑った。
「殿方は、そのくらいの甲斐性がなければいけませんわ。わかりました。そのミッシェルとかいう女を、妾として認めましょう」
 とか言いつつ、秋菜はこめかみに青筋立てて、写真雑誌をビリビリと引き裂いてるんですけど。怖い……
「いい加減にしてよ、姉さん!」
 春菜が、ぼくに抱きついてきた。
「さっき、哲也が友だちだって言ったのは嘘よ。あたし哲也と付き合ってるの。結婚の約束もしたんだから。だから姉さんの出る幕はないの!」
「お、おい、春菜……」
 なに、言い出すんだこいつ。
「ほら、哲也も姉さんにちゃんと言ってよ。あたしと結婚するって」
 春菜はそう言いながら、ぼくにウィンクしてきた。なるほど。この手にしかないか。
「そうなんです、秋菜さん。ぼく春菜と結婚の約束をしています」
「オホホ」
 と、秋菜。
「そういうことでしたら、仕方ありませんわね。春菜。あなたも愛人一号として、認めてあげましょう」
「愛人一号ってなによ!」
 確かに、南極に持っていく人形みたいなネーミングだな。って、そうじゃなくって!
 やばいぞ。これはやばい。どうする? 逃げちゃう? うん。それがいい。逃げよう。
「えーっと、ぼくちょっと、おトイレへ」
「はい。ご案内申し上げますわ」
 秋菜がすぐに答える。
「けっこうです。場所知ってますから」
「いいえ。ご案内申し上げます。妻の勤めですわ」
「トイレについていくことがですか?」
「いやだ、哲也さん」
 秋菜は、ポッと頬を染めた。
「わたくし、そんな意味で言ったんじゃ…… でも哲也さんがお望みなら……」
 こらこら、トイレでなにを望むって言うんだ。変態じゃあるまいし。
「とにかく大丈夫ですから」
 ぼくは立ち上がって、春菜の部屋を出た。もちろん向かった先はトイレじゃなく、玄関だった。靴を掃いたあと、ダッシュで春菜の屋敷から逃げだしたのは言うまでもない。


9


 翌日。
 朝の九時に、ホテルの部屋のインターフォンが鳴った。けっきょく、きのうは一睡もできなくて、ベッドでボーッとしていたぼくは、その音に飛び上がった。
 ぼくは恐る恐る、ドアののぞき窓を見た。そこにはサングラスをかけたミッシェルが立っていた。
 なんかホッとした。秋菜だったらどうしようと思ってたんだ。
「ミッシェル」
 ぼくはドアを開けた。
「哲也さん!」
 ミッシェルは、サングラスを外して、すごくキュートな笑顔を浮かべた。
「あーん。会いたかったよ!」
 そのまま、ぼくに抱きつく。
「お、おいおい」
 ぼくは、彼女を引きずるように部屋の中に入ると、ドアを閉めた。
「どうしたの、ミッシェル。記者会見は十時からだったはずだよ。まだ一時間もある」
 じつは、記者会見はぼくが泊まってる、このホテルで行われるのだ。
「うん。わかってる。でもわたし、どうしても哲也さんに会いたくって」
「そう…… うれしいよ」
「ホント? 哲也さんもミッシェルに会いたかった?」
「え? うん。まあ」
「うふ。嘘でもうれしいよ」
 なんだろ? なんか、またイヤな予感がするんですけど。
「もう。近藤さんたら、ひどいよね」
 ミッシェルは、ぼくから離れた。
「記者会見まで、哲也さんと会っちゃいけないっていうし、哲也さんだって、こんな狭いシングルルームに押し込めちゃうんだもん。信じられないよ、わたし」
「まあね」
 もっと、信じられない体験をきのうの晩、経験してきたんですけど。ぼく。
「あーっ、疲れた」
 ミッシェルは、ベッドに横になった。
「わたし、もうクタクタ。スケジュールきつすぎよ。アイドルなんて、もう辞めちゃおっかな」
「どうしたのミッシェル。愚痴を言いに来たのかい?」
「違います」
 ミッシェルは、起き上がって、ベッドの脇に座った。
「今日は、とっても大事な話をしに来たの。どうしても記者会見の前に話しておきたいことがあるんだ」
「いいよ」
 ぼくも、一客だけある椅子を引き寄せて、ミッシェルの前に座った。
「あのね」
 と、ミッシェル。
「やっぱり、こんなお芝居、わたしおかしいと思うの」
「うんうん!」
 ぼくは、大きくうなずいた。
「それでね。わたし考えたんだ。自分の気持ちに素直になろうって」
「うんうん! それはいいことだよ!」
「でしょ。だから、ハッキリ言います。哲也さん。わたし、あなたのことが好きです。正式に、お芝居なんかじゃなく、わたしとお付き合いしてください」
「うんうん! え?」
「キャーッ! ついに言っちゃった!」
 ミッシェルは、恥ずかしそうに、顔を手で被って、いやんいやんと身体を左右に振った。
 あの……


10


 父さん、母さん。正月しか実家に帰らない親不孝な息子を許してください。ぼくも東京で頑張ろうって決めて、一生懸命やってきたんです。でも、ダメかもしれません。東京は怖い街です。いまは田舎に帰って、のんびり過ごしたいです……

「ちょっと、哲也さん?」
 ミッシェルが、ぼくの前で、ひらひらと手を振っていた。
「あっ……」
 ぼくはわれに返った。
「なにボーッとしてるんですか?」
「いや、あの…… ぼくはその……」
「待って! 返事はすぐにもらわなくてもいいんです。もっと、わたしのこと知ってから返事をしてください」
「そういうミッシェルは、ぼくのなにを知ってるって言うんだ?」
「知ってるわ」
 ミッシェルは、クスッと笑った。
「意外とドジなところとか」
「当たってる。そんな男のどこがいいんだよ」
「わたし、哲也さんが、電気関係の会社に入りたいの知ってる。そのために勉強してるんだよね」
「そうだけど」
「そういうのって、すごいと思うの。ううん。べつに普通のことだって言えば、そのとおりよ。でもね。一度ショービジネスの世界に入ると、人って変わっちゃう。いまだに、売れるためなら有力なプロデューサーに身体を売るアイドルだっているのよ。そして、それに群がるお金の亡者。ショービジネスって、そういう世界じゃない?」
「ま、まあ、噂には聞くけど」
 じっさい、ぼくのようなバイトには関係ない話だ。
「でも、哲也さん、ぜんぜん変わらないんだもん。わたしね。哲也さんが事務所に来たときから、ずっと見てたんだよ」
「え?」
「もう、いまさらだから、ぜんぶコクっちゃうね。哲也さんって、すごい、わたしのタイプだったんだ。でもね。もし哲也さんがショービジネスの世界に染まったら、わたし幻滅したと思う。ああ、けっきょくこの人も、みんなと同じだわって。でも哲也さんは変わらなかった。わたしの恋人役に選ばれても、うれしそうな顔一つしなかった。アハハ。それはそれで、ちょっと、ショックだったけど…… でも、そのおかげで、わたし、自分の気持ちがハッキリわかったの。あなたのこと、本当に大好きだったんだって」
「ミッシェル…… あの……」
「ダメ」
 ミッシェルは、自分の人差し指を、ぼくの唇に当てた。
「なにも言わないで。いまはお芝居でいいから、わたしとステディになって。その間にわたし、必ずあなたのハートをゲットしてみせるから」
 ミッシェルは、ぼくの手を取って立ち上がった。
「さあ、哲也さん。記者会見に行きましょ! わたしは本気でやるからね!」
 あう……


11


 えーい。ヤケだ! もうどうにでもなれ!
 というか。冷静になろう。この記者会見で、まず秋菜がぼくのことを諦める。うん。これはいいかも。で、つぎにミッシェルが、本当のぼく(つまり、ただの平凡な情けない男)を知れば、愛想をつかす。人の噂も七十五日。アイドルに捨てられた男のことなんて、すぐマスコミの感心から外れるだろう。まあ、せいぜい一年も我慢すれば、またもとの平和な日常が戻ってくるはずだ。
 そんなわけで、ぼくは記者会見場にいた。壇上にミッシェルと並んで座っている。記者席は満員。後方にはテレビカメラ。来てないテレビ局はNHKだけか。好きだなあNHK。これからはNHKだけ見て生きていこう。民放なんか、誰が見てやるモンか。と、思ったら、NHKの記者が、最前列にいるじゃないか。もういや……

「みなさん」
 と、ミッシェルがマイクに向かって言ったとたん。カメラのフラッシュが嵐のように焚かれた。まぶしい……
 さすがミッシェルは、まったく動揺しないで続ける。
「今日は、こんなにお集まりいただいてありがとうございます。わたし自身、この日が来たことをすごく、喜んでいます」
「お付き合いはいつからですかーっ!」
 記者の一人が叫んだ。
 すると、ミッシェルはニッコリ微笑みながら言う
「ご質問は、のちほどお願いします。ルールを守ってくださいね」
 さすがだ。とても高校生とは思えない落ち着きよう。こういうところが、アメリカ人だよね。日本のアイドルとは大違い。でもだからこそ、ただのキャピキャピに飽きた人たちから、支持されてるんだよなミッシェルって。
 はあ…… やっぱり、とんでもないことになったのかも。
「もう、みなさんご存じのとおり」
 と、ミッシェルが続ける。
「わたし、葛城哲也さんとお付き合いしています。まだ、お互いに若いですから、結婚という話は出ていませんが……」
 ミッシェルは、ちらっとぼくを見てから言った。
「わたしは、彼と一緒になれたらいいなと思ってます」
「おおーっ!」
 記者たちがどよめく。
 そのとき。
「お待ちなさい!」
 会見場の入り口で、女の声が響いた。
 ぼくは、ただでさえ血の気の失せた顔から、さらに血の気が失せた。秋菜だ……
 秋菜は、例によって着物を着ていた。そして武術家とは思えぬ優雅な足取りで、壇上に近づいてくる。
「待ちたまえ。関係者以外、立ち入り禁止だぞ」
 近藤が、飛び出してきて、秋菜の腕をつかんだ。
 そのとたん。ダーン。という音とともに、近藤が床に倒れる。あまりにも早い動きでよく見えなかったけど、秋菜が近藤を背負い投げで倒したのだ。ちょっといい気味かも。
「信じられないわ」
 秋菜は、眉をひそめて、気絶してる近藤を見下ろしていた。
「女性の身体に触れるなんて。なんて失礼な男でしょう」
「だ、誰よあれ?」
 ミッシェルが、ぼくのわき腹を突きながら、小声で聞いてきた。
「秋菜って子だよ」
 と、ぼく。
「さらに言えば、合気道と剣道と柔道の選手なんだってさ」
「そうみたいね。でもわたしは、彼女と哲也さんの関係を聞いてるんだけど」
「うっ……」
 話せば長いことながら…… だよね。まさに。
 そうこうするうちに、秋菜は、ずんずんと壇上に詰め寄ってくる。
「哲也さん」
 と、秋菜。
「こんなところで、なにをなさっておいでですか? さあ、わたくしと帰りましょう。今日は父に会っていただかねばなりません」
「待ちなさい」
 今度はミッシェル。
「秋菜さんでしたっけ? あなたこそ、ずいぶん失礼じゃありませんか? いまわたしと哲也さんの婚約発表会の真っ最中ですよ」
「えーっ! ミッシェル、いつ婚約発表会になったんだよ!」
 ぼくは叫んだ。
「たったいまよ。わたしがそう決めたの」
 ミッシェルは、ちょっと怒った顔で言った。
「哲也さんもけっこう女に手が早いみたいだからね。さっさと結婚して捕まえとかなきゃダメみたい」
「オホホホ」
 秋菜が笑った。
「哲也さんとわたくしは結婚を誓い合った仲ですよ。あなたのような芸能人と付き合う人ではないのです。諦めてくださいな」
「冗談じゃないわよ!」
 ミッシェルも叫ぶ。
「わたしこそ哲也さんと、熱い熱い愛を確かめ合った仲なんだからね!」
「ですから、わたくしも譲歩して、あなたは哲也さんの妾にして差し上げます」
 と、秋菜。
「なんですって!」
 ミッシェルが切れた。秋菜に飛び掛かる。
「うわーっ、やめろって!」
 ぼくは懸命にミッシェルを止めた。
 記者会見場は騒然となった。まさにパニック。そりゃまあ、そうだろう。有名アイドルの恋人宣言の記者会見で、別の女が乱入すれば。さらに、その女に対抗したアイドルが、恋人宣言を婚約発表に格上げ。こんな話ってあり? まあ、十年分ぐらいのスキャンダルを提供したよね、ぼく。
「ひい、はあ、ひい……」
 ミッシェルと秋菜の乱闘会場に変わってしまった記者会見場を、ぼくは、四つんばいになりながら逃げ出した。もう、こうなったら逃げるしかない。
「あっ、見つけた」
 ギクッ。
 となったぼくは、その声の主を見た。そこには、ベースボールキャップを被った。少年が立っていた。いや、少年に見えたのは一瞬だった。
「春菜! 来てたのか!」
 今日は化粧をしていないんで、一瞬わからなかったのだ。この子は、ぜったいノーメイクがいいよ。
「うん。大変だったよ。朝から姉さんを止めたんだけど、あの性格でしょ? 止めらんなくてさ」
「はあ…… ご覧のとおり、とんでもないことになったよ」
「ホントね。まったく、わが姉ながら頭が痛いわ。ねえ哲也。逃げちゃおうよ、こんなところ」
「最初から、そのつもりだよ」
 ぼくは立ち上がって、春菜と一緒に会場を逃げ出した。


12


 ホテルから出ると、春菜が申し分けなさそうに言った。
「ごめんね。あたしのせいで、よけい大変なことになっちゃった」
「うーん……」
 ぼくは、腕を組んだ。
「春菜のせいでもあり、ぼくのせいでもある。最初からミッシェルの恋人役なんか断っておけば良かったんだ」
「そうかもね。でも、もういまさら遅い。問題はこれからどうするかよ」
「そうだ。どうしよう?」
「あたし、考えたよ。解決する方法」
「え? マジ?」
「まじめだよ。バッチリ丸く治まる方法をね」
「すごいじゃんか! やっぱ春菜、頭いいんだな!」
「そうでもないよ」
 春菜は肩をすくめた。
「あたしの考えた作戦を聞いたら。哲也、イヤがるかも」
「とにかく、聞かせてくれ」
「えっと、簡単なのよ。つまり、その、あたしと結婚しちゃえばいいんじゃない?」
 なるほど。その手があった…… って、ちがーう!
「春菜! それのどこが解決策だよ!」
「ほら。やっぱりイヤがった」
「違うよ。べつにイヤとかそういう意味じゃなくって、軽々しく結婚なんてできないだろ、普通」
「いまは、普通の事態じゃないよ」
「うっ…… まあそうだけど」
「考えてもみなよ。自分で言うのもなんだけど、あたしが一番マトモだよ。姉さんと結婚したら、三井家に婿養子に入らなきゃいけないし、ミッシェルとだったら、ずっとマスコミに追い掛けられる。変なファンとかストーカーとかにも」
「うん……」
「でしょ。その点、あたしは身軽なモンよ。三井家なんか、いつでも出ていけばいいんだし、マスコミも騒がない。平凡すぎるくらいかな」
「平凡じゃないよ、ちっとも。まあ、一番無難なのは認めるけど」
「消去法で選べば、あたししかいないよね」
「それでいいのか?」
「へ?」
「だから、春菜はそれでいいのかって聞いてるんだよ。消去法で選ばれて」
「いいよ。どうせ、子供のころからいつもそうだもん」
「姉さんの陰にかくれてかい?」
「うん。姉さんは三井の跡取りだからね。待遇が違うのよ。でもさ、そう考えれば愉快じゃない? 姉さんの結婚相手を奪うんだもん。痛快だよ」
「きみも、複雑だなあ」
「ねえ。さっさと決めてよ」
「でも、そんな簡単に結婚なんて……」
「だったら、ほとぼりが冷めたころ、離婚すればいいじゃん。いまどき、離婚したカップルなんて珍しくもないんだから」
「ドライだなあ」
「クールって言ってよね。で、どうするの? このまま姉さんとミッシェルに、泥仕合を続けさせる? それとも、スカッと解決する?」
「ほかにも方法がないことないぞ」
「どんな?」
「お金を貸してくれ。ちゃんと働いて返すから」
「待ってよ。お金を貸してどうするの?」
「逃げる。ほとぼりが冷めるまで」
「そんなことだろうと思った。バカね。姉さんが諦めるわけないじゃん。それこそ三井家の総力を上げて、追い掛けていくわよ、地の果てまでもね」
 ぼくは、ゾクッとなった。秋菜ならやりそうだ。
「ね。わかったでしょ。方法はひとつしかない」
「でも……」
「もう~ あたしのなにが不満なのよ。ハッキリ言ってよ」
「だって、春菜。好きな人と結婚しなきゃダメだよ。やっぱり芝居で結婚するなんてよくない」
「わかったわ」
 春菜は、うなずくと、ぼくに抱きついてきた。
「お、おい、春菜」
「好きよ哲也。ホントよ」
「バカいうな」
「ウソじゃないってば」
 春菜は、ぼくにキスをした。
「こら! やめろってば!」
「やめない。あたし、哲也を助けたいの。そして、あたしも助けてよ」
「春菜を助ける?」
「うん。あたしすごく不幸なの。だから幸せにして」
「どこが不幸なんだ、どこが」
「あんな姉のいる、お金持ちの家に生まれた不幸だよ。ねえ、あたしに平凡でいいから平和な生活をちょうだい。哲也ならくれるよね?」
 春菜は、ちょっと潤んだ瞳で、ぼくを見上げた。
 うっ…… カワイイかも。まいったなあ。その気になってきちゃったぞ。二十五歳で身を固めるなんてイヤだけど、でもまあいいか。こんなこと言われて、その気にならなきゃ男じゃない。
「わかったよ春菜。きみと結婚するよ」
「オッケイ。じゃあ、さっそく婚姻届け出しましょ」
 春菜は、さっさとぼくから離れた。
 ガクッ。
「演技か! いまの!」
「ふふ。さあ、どうかしらね?」
 そう答える春菜の顔は、高校生ではなく、大人の女に見えた。
 ああ、やっぱぼくには、女難の相があるかも……


13


 春菜は準備が良かった。
 彼女の屋敷に行ってみると、すでに婚姻届けなどの必要な用紙が、すべて揃えてあったのだ。ぼくらは、春菜の部屋で婚姻届けにサインと判子を押すと、最後の打ち合わせを始めた。
「問題は親の同意書ね」
「そうだった」
 ぼくは、春菜の一言で、改めて重要なことに気づいた。
「春菜って、まだ未成年じゃないか。親の同意がいるんだ」
「そういうこと。でもよかったね。あたしが十五歳だったら、哲也ったら犯罪者だよ」
「バカ」
「アハハ。冗談だって」
「マジな話、きみの両親をどうやって説得する?」
「うーん。当って砕けろ」
「やっぱ、そうなるか」
「でも、わりと簡単だと思うよ。哲也が真剣で、あたしもまじめだったら」
「そうかな?」
「うん」
「例のセリフを、バッチリ決めてよね」
「例のセリフ」
「ほら、あるでしょ。男がお嫁さんをもらいに行くときの定番のセリフが」
「ああ、あれか……」
「わかった? じゃ行きましょ」
「待ってくれ。まだ心の準備が」
「早くしないと、姉さんが帰ってきちゃうよ」
「そうか。くそう。急ごう」
 ぼくらは、屋敷のリビングに向かった。
 そこには、ソファに座っている、春菜の両親がいた。
「お父さん」
 春菜が声をかける。
「ん? なんだ春菜か。秋菜を知らんか」
「姉さん? なんで?」
「なんでも紹介したい男がいるとかで、こうして会社を休んで待っておるんだ。あの秋菜が選んだ男じゃ。さぞ立派なヤツじゃろう」
 すいません、ぼくです、それ。
「わははは。もしかしたら春菜。おまえに義兄さんができるかも…… おや、なんだその男は?」
 親父さんが、やっとぼくに気づく。
「ああ、彼。彼は哲也さんって言うの。その……」
 さすがの春菜も、一瞬躊躇してから、意を決したように言った。
「その姉さんの、義理の弟になる人よ」
「は?」
「だから、お父さんの、義理の息子だってば」
「待て待て。おい春菜、そんな話、わしゃ…… 母さん。おまえ知ってたのか?」
「いいえ」
 春菜のお袋さんが首を振る。
「わたしだって、初耳ですよ。いったいどういうことなの春菜?」
 ここで、春菜はぼくのわき腹をつついた。
 言うのか? 言わなきゃイカンのか? えーい、くそっ!
 ぼくは、両親の前に、ガバッと伏せて、床におでこをつけるぐらい頭を下げると、大声で言った。
「お、お嬢さんを、ぼくにください!」
 言っちゃった……
 沈黙。ご両親はなにも答えない。うはあ。いきなり過ぎたかな。ぼくは、恐る恐る顔を上げた。
 すると。顔を真っ赤にした親父さんが目の前に立っていた。
「きさま…… どこの馬の骨じゃーっ!」
「うわあ、ごめんなさい!」
 思わず謝っちゃったよ、ぼくは。
「むむむっ。母さん、家宝の村正を持ってこい! こやつを刀の錆にしてくれる!」
「いい加減にしてよ、父さん!」
 春菜が叫んだ。
「いつもは、姉さん、姉さんって、あたしのこと、なんとも思ってないくせに!」
「な、なにを言っとる。おまえだって、大事な娘じゃ」
「嘘よ」
「嘘なものか」
「だったら、なんでその娘が好きになった男の人を、刀の錆にするなんて言うのよ。あたしのこと、まるで認めてないってことじゃない」
「それとこれとは、話が違う」
「違わないわ。あたし哲也と結婚するから。止めても無駄よ」
「ダメじゃ。認めんぞ」
「ほら。やっぱり」
「春菜。おまえはまだ高校生じゃぞ」
「姉さんも同じよ」
「うっ……」
「それに、もう遅いのよ」
 春菜は、そう言って、自分のお腹を大事そうに撫でた。
「だって、あたしのお腹には、哲也さんの子供がいるんですもの」
「なにーっ!」
 そう叫んだのは、もちろん春菜の親父さんだけど、じつはぼくも同時に叫んでいたのだった。そんなの作戦になかったぞ。
「四ヶ月よ。もう降ろせないわ」
 春菜は、澄ました顔で言う。
「どうするの父さん? 初孫を父親のいない子供にするつもり?」
「き、きさま……」
 親父さんが、ものすごい形相でぼくを睨んだ。ハハハ……
「父さん、聞いて」
 春菜が、涙声で言った。始まった。彼女の名演。
「あたし、本当に哲也さんを愛しているの。ずっと父さんたちに相手にされなくて、いろいろ反抗したりバカをやったわ。その寂しい気持ちを、哲也さんが救ってくれたの。もうこの人なしで、あたし生きていけない」
 ここで春菜は、ポロリと涙をこぼした。
「は、春菜……」
 親父さんも、さすがに娘の涙にたじろいだ。しかも、自分がかまってやらなかったせいだと言われれば、なおさらだ。親父さんの動揺ぶりを見る限り、たぶん大部分が事実なんだろうな。
「ま、まあ、春菜。ゆっくり話し合おうじゃないか、な」
 親父さんは、急に愛想笑いを浮かべた。
「ええと、哲也くんだったかな。きみも、そんな土下座をしとらんで、頭を上げたまえ」
「認めてくれるのね?」
「いやまあ、なんだなあ、なあ、母さん」
 親父さんは、奥さんに助けを求めた。
 春菜の、お母さんは、ふっとタメ息をついてから言った。
「まったく、あなたは、肝心なときに頼りになりませんね」
「いや、まあ、その……」
 縮こまる親父さん。
「いいでしょう」
 と、お母さん。
「お腹に子供がいるなら仕方ないわ。結婚を認めます」
「ありがとう、お母さん!」
 春菜は ぴょんと飛び上がると、さっそく同意書を両親の前に広げた。
「じゃあ、これにサインをして、判子を押して!」
「待ちなさい、春菜。なにをそんなにあわててるの?」
「早く結婚したいのよ。ねえ早くして。はい、実印もちゃんと持ってきたから」
「いつの間に」
 親父さんは眉をひそめた。
「早く書いて!」
 春菜は親父さんに怒鳴った。
「うっ…… まったく、おまえってやつは」
 親父さんは、渋々同意書に必要な事柄を記入して、判子を押した。
「やったーっ! 哲也! これで第一関門突破よ!」
 というか、ぼくは、取り返しのつかないことをしているような気がする。


14


 そのとき。
「春菜!」
 玄関の方から秋菜の声が聞こえた。
「どこにいるの、春菜!」
「ヤバイ。もう帰ってきた!」
 春菜は同意書をポケットに突っ込むと、ぼくの手を取った。
「こっちよ哲也! 裏口からの逃げましょ!」
「わかった!」
 ぼくらは走った。
「待ちなさい、春菜!」
 ちょうど秋菜もリビングに駆け込んできた。
「待ちなさいってば! この泥棒猫!」
 ぼくと春菜は、全速力で屋敷の中を駆け抜けると、厨房の裏口から外へ飛び出した。二人とも、裏口に置いてあったサンダルを履いているのが、やや情けない。
「春菜! 婚姻届けは?」
「大丈夫、ちゃんと持ってきたから!」
「さすが、手回しがいい」
「当然よ」
 ぼくらは、表通りに出た。
 すると。
 猛烈な数のシャッター音。
 なんと、秋菜は記者たちも引き連れてきたのだ。そしてミッシェルも。
「哲也さん! 見つけた!」
「うわっ、ミッシェル!」
「ひどいじゃない、逃げ出すなんて! わたしたちの愛はなんだったの?」
 愛って、いつの間に?
「待ってくれ、話せば分かる…… じゃなくって、さよなら。やっぱり、ぼくはきみとは付き合えない。ごめん!」
「なんですって! イヤよ。ぜったい哲也さんのハートをゲットするんだから!」
 すると。
「べーっ」
 と、春菜が舌を出した。
「もう遅いわよ。哲也は、あたしのモンだもんね」
「なによ、あんた!」
「春菜!」
 後ろから、秋菜の声。
「ヤバイ。走るわよ哲也!」
 もう走ってますよ。サンダルで。


15


「待てーっ!」
 秋菜とミッシェルと芸能記者を引き連れて、ぼくらは走った。
「どこまで走るんだ、春菜!」
 と、ぼく。
「区役所までに決まってるでしょ!」
「何キロあるんだよ!」
「ここから三キロよ!」
「そんなに?」
「情けない声出さないでよ、三キロぐらいで!」
 しかし、着物を着ているとはいえ、武術家の秋菜を甘く見てはいけなかった。彼女の足の早いこと!
「追いつかれるぞ!」
「ちくしょう。姉さんなんかに負けたくない!」
「それが本音か?」
「本音の一つよ! 哲也が好きなのもホント!」
 いまは信じたいね。その言葉。
 そのとき。ぼくらの目の前に、デブの男が立ちはだかった。
「待て」
 そのデブは、なんと手にナイフを持っていた。
「うわっ、なんだこいつ! 春菜の友だちか?」
「バカ。こんな友だちいないわよ!」
 すると、デブが言った。
「ぼくのミッシェルを返せ…… おまえなんかに渡さない……」
「うわあ。あんたがストーカーか?」
「ストーカーって言うな! ぼくこそミッシェルの心の恋人だ!」
「イカレてるわ、こいつ」
 と、春菜。
 そのとき。ぼくは背中から腕をつかまれた。
「捕まえたわよ。哲也さん」
 秋菜だ。
「姉さんも、ストーカー並みね。このデブとお似合いよ」
「なんですって?」
 秋菜がピクンと右の眉を持ち上げる。
「春菜。あなたの愛人一号は撤回よ。哲也さんには指一本触れさせないわ」
「けっこうです。正妻になりますから」
「それは、わたくしが」
 と、秋菜が言いかけたとき
「哲也さーん! あなたと結婚するのはわたしよ!」
 ミッシェルも追いついた。
「ミッシェル!」
 叫んだのはストーカーのデブ。
「愛してるーっ! ぼくと結婚してくれーっ!」
「イヤーッ、なによこいつ!」
「ミッシェル、ミッシェル、ミッシェル!」
 ストーカーは、分けも分からず、ナイフを振り回した。
「わーっ、誰だ、バカに刃物を持たせたのは!」
 今度ぼくらは、ストーカーから逃げ回らなければならなかった。
 だが。
「ええい。わたくしに戦いを挑むとは、いい度胸をしておりますわね!」
 秋菜が着物の袖を捲り上げる。
「はーっ!」
 パンパンパンパン!
 と、ジャッキー・チェンも真っ青のカンフー技を繰り出す。カンフーもお得意なんですね。
「あうあうあう」
 宙に舞うデブ。
「いまよ、哲也」
 春菜が小声で言った。
 確かに。
 ぼくらは、ふたたび区役所に向けて走り出した。


16


「ひい、はあ、ひい、はあ」
 なんとか、ぼくらは区役所にたどりついた。
「ふうふうふう……」
 春菜も息を切らしている。でも、あと一歩だ。
「行くぞ、春菜」
「うん」
 ぼくらは区役所に飛び込んだ。
「えっと、婚姻届けを出す窓口は……」
「哲也。二階よ」
「オッケイ」
 ぼくらは、階段を駆け上がる。
 あそこだ! ぼくは窓口に婚姻届けをバンと置いた。
「これ、お願いします!」
 すると。
「はあ。なんですかな?」
 そこにいたのは、二十年前に還暦を越えたようなジイさんだった。
「わしゃ、耳が遠くてのう。なんとおっしゃったかな?」
「ちょっと! 区役所には定年制ってのはないわけ?」
 春菜が叫ぶ。
「むにゃ」
 と、ジイさん。入れ歯がうまくハマっていない。
「担当者が風邪で休んどりましてな。わしが臨時でやっとるんですわ。で、なんでしたかな?」
「婚姻届けを出したいんです!」
 ぼくは、大声で言った。
「はあ? コンニャク? あれはイカンですよ。ノドに詰まりますわ」
「ジイさん。わかってボケてない?」
「はあ? なんですと?」
 ダメだこりゃ。
「春菜!」
「哲也さーん!」
 秋菜とミッシェルが追いついた。
「おジイさん、早く受理してよ! あたしたち、結婚したいんだってば!」
「はあ? ああ! 結婚。うひひ。スケベ。さては出来ちゃった婚ですな」
「ジイさん!」
「わかっとりますよ。はいはい。確かに受けとりました。おめでとう」
「待って! それ取り消しよ!」
 秋菜が叫ぶ。
「そうよ! そんなの受け取っちゃダメ!」
 ミッシェルも叫ぶ。
「はあ? なんですと? 今度は離婚届けですか? 用紙は後ろにありますんで、そちらでどうぞ」
「そうよ! 離婚届けだわ。その手があった。哲也さん、春菜と離婚してくださいませ」
「グッドアイデアだわ!」
 だが、春菜は、姉たちの声を聞いていなかった。
 だって、ぼくに抱きついて、熱~い、キスをしていたのだから。
「愛してるわ。哲也。ダーリン。幸せにしてね」
「たぶんね」
 ぼくは、苦笑いを浮かべて、彼女のキスに応えた。


17


 まあ、そんなわけで、思わぬ事態で年貢を納めてしまったのだけど。
「哲也さん、おはようございます。ご朝食の準備が出来ております」
 ぼくを起こしたのは、なんと秋菜だ。
「姉さん……」
 春菜が、ベッドの中で言った。もちろんぼくのとなりで寝ているのは春菜なのだ。
「いい加減にしてくれない? 毎朝毎朝、こんな汚いアパートに朝食を作りに来ていただかなくてもけっこうなんですよ」
 そう。ぼくと春菜は、築二十年家賃五万六千円のアパートで新生活を始めたのだが、毎日、秋菜が押しかけてくるのだ。
「あら春菜。あなたは寝てていいのよ」
 と、秋菜。
「だいたい、あなたに任せていたら、哲也さんが栄養失調で死んでしまうわ」
「姉さん。あのね。あたしたちが結婚して、死んじゃうとかなんとか、わんわん姉さんが泣いたから、仕方なく愛人にして上げたのよ。愛人は愛人らしく、別宅でひっそり暮らしなさいよ」
「朝から、なにを騒いでるの」
 今度はべつの声。もちろんミッシェルだ。
「哲也さーん。そんな女の作った朝ご飯食べちゃダメよ。わたしのを食べてね」
「愛人二号は黙ってなさい!」
 と、秋菜。
「なによ。二号はあんたでしょ!」
 と、ミッシェル。
 あの…… これもやっぱり、ハッピーエンド?


 終わり。



 あとがき

 この作品は8000番のカウンタをお踏みになったKYASUさんのリクエストで書きました(Script1では過去に、来訪者の数を見るカウンターを設置していたのです)。

 どうも、いま一歩、リクエスト内容を網羅できていないような気がするのですが、まあ、このあたりがTERUの限界かなと……はは。

 それと、金髪アイドルの設定も生かし切れてませんねえ。KYASUさん、ごめんなさい。こんなんですが、どうぞ、お納めくださいませ。

 秋の夜風が清々しい、モニタの前で。