Gift - illustration
WonderCatと長平たち
ショートストーリー
 月のきれいな晩だった。
 エミリは、ピンキーと二人で、お酒のつまみを準備していた。今夜、長平と豪徳寺、そして洋一もエミリの屋敷に集まり、和やかな食事会を開いていた。もっとも食事はすでに終わり、宴はお酒に移っていた。
「推理小説の王道は密室だよ、密室」
 エミリとピンキーが、おつまみを乗せた皿を持って、テラスに戻ると、豪徳寺が熱弁をふるっているところだった。
「密室殺人。この甘美な言葉の響きだけでも、涙を流してよろこぶミステリファンは、百万人はいるぜ」
「警部も、その一人かい?」
 長平が苦笑した。
「お待たせしました」
 エミリは、お皿をテーブルに乗せた。
「どうぞ、チーズの盛り合わせです」
「ありがとう」
 長平は、にこやかな笑顔でエミリに礼を言った。長平はネクタイを外していた。エミリは、いつもの、まったく隙のない長平も大好きだったが、こうして、気の知れた仲間とくつろいだ雰囲気でいる長平もまた、大好きだった。
「また、警部のミステリ談義がはじまってるのね」
 ピンキーが、テラスのテーブルに腰を下ろした。
「ところで、このゴルゴンゾーラ、臭みがなくておいしいよ」
「どれどれ」
 豪徳寺は、チーズを一かけら口に放り込んだ。
「うん。うまい」
「で」
 と、洋一が言った。
「八神さんは、密室についてどう思ってるんですか?」
「警部には悪いけどね」
 長平は、軽く肩をすくめて見せた。
「密室殺人などという非現実的な犯罪によろこぶ気が知れない」
「おまえ、ロマンがないねえ。密室のどこが悪いんだよ」
「どこもかしこもだ。あんなものはファンタジーよりもタチが悪い」
「うわ、おまえもまた、徹底的に嫌うね密室を」
「当然だ。ポアロのような、恥ずかしげもなく自分の推理を披露するタイプの探偵ならどうかしらないが、密室などという現象に遭遇したら、現代の探偵なら、まず間違いなく一人の例外もなく、顔をしかめるだろうね」
「長平さん」
 と、エミリ。
「なんで、現代の探偵は密室が嫌いなんですか?」
「意味がないからだ」
 長平は断言した。
「密室を構築……そもそも密室などこの世には存在しないから、『密室らしきモノ』と言うべきだが、それらを構築する暇があるなら、凶器を隠すことに時間を使ったほうがよほど利口だ。あんなものは、前時代的な、過去の遺物だよ」
「本当にお嫌いなのね」
 エミリは、思わず笑った。
「長平さんに、そんな好き嫌いがあるなんて知りませんでした」
「頑固だからねえ」
 と、ピンキー。
「探せば、もっともっと嫌いなものいっぱいあるかもよ。エミリさん、大変だよ、こんな頑固者と結婚するのは」
「あら、そんなところもステキかも」
 エミリは、長平を見て、クスッと笑った。
 そのとき。
 エミリの屋敷の執事、佐竹がコードレス電話の子機を持ってテラスにやってきた。
「お嬢さま。鳴瀬さまから、お電話でございます」
「鳴瀬さん?」
 エミリは、ちょっと首をかしげた。
 鳴瀬は、エミリの学生時代の友人だった。友人といっても、顔を合わせれば挨拶をする程度で、とくに親しいというわけではなかった。事実、社会人になってから交流はほとんどなかった。
「珍しいわね。どうしたのかしら」
 エミリは、電話を受け取った。
「もしもし。お電話変わりました。こんばんは。お久しぶり……ちょ、ちょっと鳴瀬さん。落ち着いて。どうなさったの?」
 どうやら、電話口の鳴瀬は、かなり興奮している様子だった。ところが、話を聞いているうちに、エミリの顔も、どんどん険しくなっていった。
「なんですって? いつ? 警察には連絡したのですか? そうですか……ええ、おっしゃるとおり、八神さんとは親しいですけど……」
 エミリの応対を聞いて、その場の全員が緊張した顔を浮かべた。
「わかりました」
 と、エミリ。
「いま、八神さんと一緒にいますから、話をしてみます。折り返し連絡します」
 エミリは電話を切った。
「ど、どうしたの?」
 ピンキーが、待ってましたとばかり聞いた。
「じつは」
 エミリは、申し訳なさそうな顔で長平を見た。
「今日の午後、学生時代の友人のお父さまが亡くなられたそうなのです。もちろん、警察に連絡したそうなのですけど……警察は自殺だと考えているようです。でも、友人に言わせると、父親が自殺するなんてあり得ないと」
「それで」
 と、ピンキー。
「長平に調査を依頼したいわけね!」
「そうなんです」
「長平! 仕事だよ。お酒飲んでる場合じゃないよ! すぐ行こう!」
「ふむ」
 長平は、グラスに残っているワインを、少し名残惜しそうに眺めてから立ち上がった。
「ピンキーの言う通りだ。働かざる者飲むべからずだな。警部と洋一くんは、気にせず続けてくれたまえ」
「待て待て待て」
 豪徳寺もあわてて立ち上がった。
「オレもいくよ、行くに決まってるだろ。なにも言うな、行くったら行くぞ」
「ぼくも行きます」
「おいおい」
 長平は思わず苦笑した。

 そんなこんなで一時間後。

「ああ、安田さん!」
 鳴瀬は、エミリを見るなり、いきなり抱きついた。
「ありがとう! よく来てくださったわ!」
「鳴瀬さん」
 エミリは、鳴瀬の取り乱しように少し驚きながら、彼女の背中をさすった。
「大丈夫? 気をしっかり持ってね」
「え、ええ。ありがとう」
 鳴瀬は、顔を上げて、長平を見た。
「八神です」
 長平は、すかさず挨拶をした。
「このピンクの髪の女性は、助手のピンキーです。また今回は、ちょうど豪徳寺警部とも一緒でしたので同行を願いました。さっそくですが、現場を見せていただきたい」
「はい。二階の書斎です。まだ警察の方がいらっしゃるので、許可を取って……」
 そのとき。二階から刑事が降りてきた。
「これはこれは、八神さん。豪徳寺警部もおそろいで!」
 田園調布署の松村だった。WonderCat事件のとき、併発した金城の殺人事件で、まったく頼りにならなかった刑事だ。
「どうも。担当はあなたでしたか」
 長平は、軽く肩をすくめた。
「こっちこそ、驚きですな。殺人事件が起こるとあなたが現れる。探偵が事件を引き寄せるというのは、どうやら本当のようだ」
「むかつくわね」
 ピンキーが松村をにらんだ。
「まるで長平が原因みたいな言い方じゃない」
「ははは。そんなことは言っとらんよ。まあ、今回は殺人事件でもなさそうだしな」
「警察は、自殺と見ていらっしゃるとか」
 と、長平。
「うむ。ありゃ自殺以外に考えられんよ。まあ、現場を見てくれたまえ」
「望むところです」
「オレもいいか?」
 豪徳寺は、一応、管轄外なので松村に聞いた。
「どうぞ、どうぞ。豪徳寺警部もぜひ、ご覧になってください」
「よし! 行こうぜ長平」
 豪徳寺のほうが、よほど張り切っているようだった。

 二階の書斎に上がり、そのドアを見た瞬間、長平の右の眉が、ピクリと上がった。
 そのドアは、一種、異常な状況だった。部屋の内側に向かって開くようになっているのだが、そこには本棚が倒れていた。どうやら、本棚でドアを押さえつけていたようだ。それを無理やり開けたので、本棚が倒れ、部屋の中に本が散乱していた。
「というわけだ」
 松村が言った。
「鳴瀬さんのお手伝いの梅さんが、お昼になって、何度もご主人を呼んだが返事がない。しかも鍵がかけられるようになっていないドアが開かない。これはおかしいと思って、庭師の金次郎さんに頼んで、無理やりこじ開けたら、本棚でドアが押さえつけてあったわけだ。そして、ご主人の鳴瀬さんは、部屋の中央で亡くなっていた」
 死体はすでに、警察が収容していたので、現場にはなかったが、白いテープで、鳴瀬が倒れていた場所が形どられていた。
「ほほーう」
 豪徳寺は、本棚を乗り越えて、部屋の中に入った。
「で、当然ながら、窓には鍵がかかっていたというわけか」
「そのとおり」
 松村がうなずいた。
「いわゆる密室だな。この状況で殺人は不可能だ。よって警察としては、自殺の線で調べている」
「待ってよ」
 と、ピンキー。
「鳴瀬さんの死因はなんだったの?」
「胸にナイフが刺さっていた」
「胸にナイフですって? 自殺する人が、そんな方法を選ぶものなの?」
「選ぶもなにも、中に犯人がいたとしたら、どうやって外に出るんだ? 窓は鍵がかかっているし、ドアは本棚で押さえつけてある。どう考えたって、鳴瀬さんが本棚を動かし、ドアが開かないようにしてから、自分で自分の胸にナイフを刺して死んだに決まってるじゃないか」
「だってよ」
 豪徳寺が、長平の脇腹を肘でつついた。
「なんか言ってやれよ長平」
「なにか言いたいのは警部だろう」
 長平は、機嫌の悪そうな声で言った。
「ぼくは、なにも言う気はないね」
「そうだろうねえ。こりゃ、おまえの嫌いな密室殺人だもんな」
「密室殺人?」
 と、松村。
「そんなバカなもの、現実にある訳ないでしょう。探偵と一緒に仕事なんかしているから、あなたは、そんな小説まがいの殺人方法にかぶれるんだ」
「松村警部の意見に賛成だ」
 長平は、こめかみに血管を浮かばせながら言った。
「密室殺人など、この世に存在しない。ただし、鳴瀬さんは自殺ではないだろう」
「はあ?」
 松村は、呆れた顔で言った。
「八神さん、あんた言ってることが矛盾してるよ」
「正確に言うなら、ここは密室ではなかった。よって殺人は可能だ。これだけ申し上げれば小学生にも事件を解決できるだろう。以上。ぼくの仕事は終わりだ」
 長平は、それだけ言うと、さっさと書斎を出ていった。
「おーい、待てよ、長平!」
 豪徳寺が、あわてて長平を追った。
「おまえ、依頼を受けたんだろ。いいのかよ、そういう無責任なことで」
「しかし……警部。こんなものは推理以前の問題だ。だれにでも解決できる。警察が解決すれば、依頼人はぼくに探偵料を支払う必要はないし、警察は面目を失うこともない」
「おまえ、密室殺人を推理するのがいやで、屁理屈こねてるだろ」
「そうではない。警部にも、もうわかっているはずだ」
「わかんねーよ」
「頼むよ警部。ぼくを困らせないでくれ」
「なんで困ってるんだよ?」
「こんな……こんな……くだらない推理をしたくないのだ」
 そのとき。エミリが上がってきた。
「長平さん、現場はいかがでしたか?」
「いかがもなにも……」
 長平は、エミリにも文句を言いそうになって、あわてて首を振った。
「いや。非常に単純な事件で、松村警部が正しい捜査をするだろうことを確信した。ご友人には安心するように伝えてくれ」
「そう……ですか?」
 エミリは、首をかしげた。
 豪徳寺をはじめ、松村もなにかわかっているような顔には見えなかった。
「長平さん。もし、単純な事件なのでしたら、よかったら、あなたがすぐに解決してくださるわけにはいかないんでしょうか?」
「それは……」
「安田さん」
 と、豪徳寺。
「こいつ、密室殺人を推理したくなくて、駄々をこねてるんですよ」
「え? なんですって?」
 エミリは驚いた。
「いや……」
 長平は、思わずエミリから顔を背けた。
「長平さん。警部のおっしゃることは本当なんですか? まさか、ウソですよね。これが殺人事件なら、あなたが黙っていらっしゃるはずはありません」
「だってさーっ」
 と、ピンキーも書斎から出てきて言った。
「どうするの長平。推理するの? しないの?」
 長平は、深い深いタメ息をついた。
「わかった。致し方ない。ささやかなプライドにこだわっている場合ではないようだ」
「よっしゃ!」
 と、豪徳寺。
「安田さん、申しわけないが、関係者を全員集めてください」
「はい、警部」
「待ってくれ」
 長平は、珍しく弱々しい声を出した。
「全員集める必要はない。必要最小限でいいんじゃないかな」
「長平。おまえこの期に及んで、まだ、逃げたいわけ?」
「いや……わかったよ警部。もうヤケだ。全員集めてくれたまえ」

 十分後、関係者が全員、書斎に集められた。

 長平は、その面々を見て、かすかな期待をも裏切られたことを知った。鳴瀬の子供は、エミリの友人である、長女の花子のほかに、長男の一郎、そして次男の次郎の三人だった。みな背丈はそれほど高くなかったが、とくに長男の一郎は、かなり小柄だった。
「さて、みなさん」
 と、豪徳寺。
「今回は御愁傷様でいらっしゃいましたが、ここにいる八神長平が、どうやら事件を解決したようなんで、さっそくその推理を聞いてみようと、みなさんにお集まりいただきました。では、八神くんよろしく」
 長平は、窓の外を見ていた。
「おい、長平」
「ん?」
 長平は、めんどくさそうにふり返った。
「なにか用か警部」
「おまえな……」
「わかっている」
 長平は、タメ息をついた。
「さっさと仕事をすませよう。犯人は、一郎さん、あなたです」
「えええっ!」
 全員が驚いた。
「べつに、驚くべきことではないので、驚いていただきたくない」
 長平は、ムッとした顔で言った。
「いまこの場にいる関係者の中で、鳴瀬氏を殺害できたのは、一郎氏意外に考えられないということだ」
「待ってくれ」
 当然、反論したのは一郎だった。
「ぼくが父を殺しただって? いったい、どうやって殺したというんだ」
「どうもこうも」
 長平は、二、三度首を振ると、倒れている本棚に近づき、その底を、こんこんと足の先で叩いた。すると、本棚の底が、パタンとドアのように開いた。
「あっ!」
 と、一同が声を上げた。
「あなたは、父親を殺害したあと、この中に隠れていたのだ。そして、だれかがドアを押し破るのを待っていた。押し開けられてからは、もう説明するまでもないと思うが、入ってきた人物が、死体を発見して、驚いている隙に、本棚の底から這い出て、ふたたびフタを閉めて、何げない顔で外に出た。以上」
「一郎……あなたが父を殺しただなんて……」
「待ってくれ姉さん。ぼくがどうして、父さんを殺さなきゃいけないんだ」
「オレ知ってるよ」
 次男の次郎が言った。
「兄さん、事業に失敗して、何度も父さんに金を無心してたじゃないか。でも最近、いよいよ愛想を尽かされて、金を工面してもらえなくなったんだろ。それで遺産欲しさに殺したんだ」
「次郎、きさま、なんてこと言うんだ!」
「本当なの一郎?」
「違うんだ姉さん、いや、その事業に失敗したのは本当だが……」
「どうやら」
 と、松村が言った。
「署でじっくりお話を聞く必要がありそうですな。まあいまは、否定すればするほど立場が悪くなるとだけ言っときましょう」
「うっ……」
 一郎のこめかみから、じっとりと汗がにじんだ。
「し、しかたなかったんだ。こうしなきゃ、借金が返せなくて……」
「署までご同行ねがいましょうか」
「わーっ!」
 一郎は、顔を伏せて泣き叫んだ。

 一時間後。

 長平たちは、エミリの屋敷に戻っていた。
「いや、見事だったよ長平」
 と、豪徳寺。
「なにが見事なものか。あんなものは推理でもなんでもない。人前で、あんなバカげた話をしなければならないぼくの身にもなってくれ」
「探偵も大変だよねえ」
 と、ピンキー。
「長平さん」
 と、エミリ。
「元気を出して。もっと難しい事件も、必ず起きますよ」
「そうだといいが……いや、よくはない。事件など起こらないほうがいいんだ」
 長平はため息をついた。
「ホント、探偵は大変だよねえ」
 ピンキーは、思わず苦笑いを浮かべるのだった。

 おわり。




 ごめんなさい、ごめんなさい。くだらないショートストーリー書いちゃいました。つかささんのイラストがすばらしいので、そちらを鑑賞することで、どうぞ、このショートストーリーはお忘れください……(涙)。
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