Gift - illustration
ランルドルネ
ショートストーリー
 五回目のオメガドライブを終えたケインは、コンソールの宙域図を表示した。パルサー(中性子星)の位置を測定し、ロアンズ号のスリップアウトした宙域を正確に確認するためだ。
「ちっ」
 ケインは、舌打ちした。誤差が大きかったのだ。
 じつは、航続距離が長ければ長いほど、オメガドライブの精度は低下する。たとえば、いまのようなロングドライブだと、並みのパイロットなら、五キロぐらいの誤差は普通だ。もちろん、広大な宇宙での五キロの誤差は大した問題ではない。
 しかし、このときのケインの誤差は、キロという単位ではなかった。いやメートルですらない。センチなのだ。具体的には四十センチ。もはや誤差という言葉が適切ですらない正確さだが、ケインという天才パイロットにとっては、そうではなかった。じつはギネスの記録は、三十九センチなのだ。ところがケインは、どうしても、この四十センチの壁を越えられないでいる。記録にあと一センチ届かない。上には上がいる。くやしい。
「くっそう。どこが悪かったんだよ」
 ケインはコンソールに指を走らせ、オメガドライブの出力変化の記録を、曲線グラフにして表示する。今日は自信があったのに。というか、オメガ空間のコンディションが良好で、ぜったい記録を越えたと思っていたのだ。
 そのとき。
「ケイン〜」
 ランルドルネがケインの背中に抱きついた。
「ねえねえ。見てもらいたいものがあるんだけど」
「あとにしてくれ。いま忙しい」
 ケインはグラフから目をそらさず答える。
「なんでよ? オメガドライブ終わったところじゃない。なにが忙しいのさ」
「出力記録を調べてる。ふーむ。出力特性に問題はない。これ以上、どこを改善すりゃあいいって言うんだよ。どう思うラニー?」
「ん?」
 ラニーはグラフを見る。どこにも乱れのない非現実的なほど美しいグラフ。完ぺきな逆U字型を描いている。ランルドルネには、そのグラフが実際の運行を示したものではなく理論値そのものに見えた。
「なによ。オメガドライブの運行理論グラフなんか見てどうしろっていうのさ?」
「理論値じゃない。これは、いまぼくが実際にやったオメガドライブの運行グラフだ」
「え? マジ?」
「ウソなんかついてどうする」
「す、すごーい…… やっぱケインって天才だ。というか、ここまで正確なオメガドライブができるなんて、なんか病的だね」
「心外だな。病的ってのはないだろ、病的ってのは」
「あはは。ごめん。それより、これのどこが問題なのよ」
「それがわからないから苦労してる。どうしても四十センチの誤差を縮められないんだ」
「あんたね……」
 ランルドルネは、呆れた顔を浮かべてから言った。
「ケイン。いいこと教えてあげる」
「なんだい?」
 ケインは、期待を込めた口調で聞いた。ランルドルネが、なにか問題を発見したのかもしれない。
 するとランルドルネは、コンソールに手を伸ばして、パチンとグラフ表示をオフにした。
「わっ、なにすんだよ!」
「バカなことやってないで、いますぐベッドルーム来なさい」
「なんで?」
「なんでもなにも、あんた以上の腕を持ったパイロットなんて、この宇宙に存在しないわよ。そんな不毛なことで悩むより、バンディパースで着る、あたしの水着を選ぶ方が、百万倍も有意義だわ」
「なるほど」
 ケインは、肩をすくめた。
「ラニーの水着を選ぶのは、たしかに魅力的な仕事だな。それに、いまの宇宙にぼくより優秀なパイロットがいないのも事実だ。ただし、過去にはいた。ぼくは、彼に勝ちたいんだよ」
「だれよ、それ?」
「知らないのか?」
「知らないわよ」
「いいや、きみは知ってるよ。彼の名は、リィン・ランザック・ロアンズなんだから」
 ランルドルネは、父親の名を聞いて目を丸くした。確かに自分の父親が優秀なパイロットだったのは、イヤと言うほど知っている。そして、いまでも英雄と呼ばれたランザックの勇姿を覚えている。だが、父親としての彼は知らない。忘れたのではない。知らないのだ。ランザックが、父親らしいことをしたことは一度もないのだから。少なくともランルドルネの記憶の中では。
 ケインは、ランルドルネが黙りこくっているので、遠慮がちに言った。
「ラニー。どうした? 聞きたくない名前だったか」
「違うよ」
 ランルドルネは、軽く首を振る。
「ただ、ランザックより、ケインの方が優秀だとばかり思ってたから、ちょっとビックリしただけ」
 これは半分だけ事実だ。ランルドルネは盲目的に、自分の夫が、つまりケインが、現在も過去も、そしておそらく未来においてさえも、もっとも優秀なパイロットだと信じていたのだ。
「上には上がいる」
 ケインは、肩をすくめる。
「彼はたくさんの記録を残してるけど、その中でぼくが勝ってるのは二つだけだ。ほかはぜんぶ、僅差で負けてる」
「ケインが勝ってる記録はなに?」
「ロングドライブのスタンバイ時間。でも、これは自慢にならない。彼は根っからの兵士だけど、ぼくは民間輸送船上がりだからね。ロングドライブのスタンバイで負けたらシャレにならないよ。もっとも、スリップアウトの正確さでは負けてるんだから、すでにシャレになってないんだが」
「もう一つは?」
「ふむ。こっちは自慢できるかもね」
「なによ?」
 ランルドルネがそう聞くと、ケインは、にっこり笑って答えた。
「きみとキスした回数さ」
「すばらしい記録だわ」
 ランルドルネも笑った。
「たしかに自慢できるわね。となると、優しい妻としては、記録の更新に積極的に協力しなきゃいけないわけよね」
 そう言ってランルドルネは、ケインに抱きついて、熱い熱いキスをしたのだった。
| イラストの ケインとラニー | 小説のページ |
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