原子力ってなに? その2


 ブログのほうにも同じこと書いたんだけど、ぼくの仕事場には西日が差し込むので、午後になると灼熱地獄と化す。

 そこで、近くのマクドナルドへ避難するのが、ここ最近の日課。いまは、コーラのLサイズが100円だからよけい、日課になってます。

 いまさらだけど、ノートパソコンがあれば、どこでも仕事(執筆)ができるって、ホント便利だよねー。

 マクドナルドには、そういう人がけっこういて、サラリーマン風の人が、何人かノートパソコンを広げてお仕事中。ぼくみたいに、ポロシャツとサンダルというラフな格好でパソコン広げている人も、三人ぐらいいる。(うち一人は、マウスまで出してるよ)

 みんな、暑くて仕事場から逃げてきたに違いない。

 でもこれ、電力使用に関しても、いいことだよね。お店という空間で、クーラーの冷気(というほど涼しくないけどね、最近は)を、十数人でシェアしてるだけでも省エネ。それにくわえて、自宅や会社でデスクトップパソコンを使うことを考えれば、みんなノートパソコン使って、なお省エネ。

 ちなみに、ちょい悪オヤジっぽい男が、妙齢の女性と仲良くポテトを食べてるけど、あれは、省エネは省エネでも、省エネルギーじゃなくて、省エコノミーだな(苦笑)。ちょい悪オヤジも、いまやイタリアンのランチではなく、マックでポテトか……

 って、どーして、ぼくは話がそれちゃうんだろう。

 省エコノミーではなく、省エネルギーで、なんとか原発を廃止する道を探っていけないモノだろうか。それが、将来的には省エコノミーでもあるはずなんだ。(原発は、じつはコストが高い)

 さて、そろそろ本題に入ろう。

 前回は、原子力発電所で発生する高濃度放射性廃棄物の危険性について解説した。でも、みんな、そもそも「原子」のことを、ご存じだろうか?

 意外と知らないんじゃないかな。遠回りに感じるかも知れないけど、原子を知れば、放射性物質や放射線といった、いま大きな話題になっている現象の理解も深まると思う。

 というわけで、まずは、この世でもっとも単純な、水素原子を例にとって、その様子を見てみよう。

 原子は、簡単にいって、「電子」と「原子核」からなっている。

 いま仮に、原子の大きさを、野球場と同じくらいまで拡大したとしよう。すると、その中心にある原子核の大きさは、だいたい1円玉と同じくらいになる。この1円玉の大きさに、原子の質量の、ほとんどが詰まっているんだ。

 つまり、その周りの、広大な空間は「からっぽ」なのですよ。いや、正確には、その「からっぽ」の空間に、電子が飛び回っているんだけどね。飛び回る電子が、原子の「殻」を作っているといっても、それほど間違いではない。

 水素原子には、1個の電子しか飛んでないけど、酸素原子には8個、鉄の原子には26個。ウランに至っては、92個のも電子が、原子核の周りを飛び回っている。

 なんて、さも見てきたように書いてますが、ぼくらは、いったい、いつ、どうやって、そんなことを知ったのだろうか?

 はい、それでは恒例に従って(笑)、みなさんにはタイムマシンに乗船していただきます。行き先はわかるよね?

 そう、旅のスタートは、古代ギリシャだ。

 いまから、約2500年ほど前。古代ギリシアの哲学者、デモクリトスは思った。

「万物は、微小な粒子でできているんじゃなかろーか。よし、では、その粒子をアトムと呼ぼう!」

 マジですか! デモクリトスさん、頭よすぎ。このころの日本は、みんなまだ、腰に蓑まいて、大陸から伝わった稲作を、やっとこさはじめようって時代ですよ。ギリシア人から見たら、未開の原始人だよな(苦笑)。

 いやー、しかし冗談抜きで、2500年も前に、すでに『アトム』という概念が生まれていたというのは、本当に驚きだよね。アトムとは、「それ以上分割できないもの」という意味なんだ。さらに彼は、原子(アトム)だけではく、空虚という概念も持っていた。これは、現代物理学の考え方に、とても似ている。

 ところが!

 そんな超がつくほど先進的なデモクリトスに、強力なライバルが現れた!

 やつの名はアリストテレス。

 このオッサン、デモクリトスが、ほぼ正しくアトムという概念を思いついたのに、それに反対して、万物は空気と、水と、土と、火でできていると言い出した。

 いわゆる「四元素説」だ。

 これは、とてもわかりやすい説明だった。なにしろ、デモクリトスの言う、微小な粒子は目に見えないけれど、空気は吸い込めるし、水は飲めるし、土は作物を生み出すし、火は寒さから守ってくれる。すべて、人間が知覚できるものばかりだ。

 だから、デモクリトスは忘れ去られ、間違いだらけのアリストテレスがもてはやされた。しかも、それから2000年という長きにわたって、アリストテレスの教えが神のごとく君臨し、じっさい宗教に結びついて、科学は暗黒の闇に沈黙し続けたのだ。

 というわけで、われらのタイムマシンは、いっきに16世紀へ飛ぶ。

 さっき、アリストテレスは間違いだらけと書いたけど、彼にもいいところはあった。元素という考え方を採用したところだ。

 空気、水、土、火

 この四つが元素だとアリストテレスは考えた。でも、ちょっと待った。デモクリトスの原子と、アリストテレスの元素。とてもよく似た考えたかのように思うけど、なにが違うんだろう?

 原子は、それ以上分割できない粒子だった。では元素?

「これ以上、二つの性質に分離できない物質」

 と、考えるとわかりやすいと思う。たとえば、水素と酸素は、それぞれ違う「性質」を持っているよね。酸素を分解して「水素」になるかというと、それはならない。酸素は、あくまでも酸素で、もう分解できないんだ。

 アリストテレスは、そういう分割できないモノとして、「空気、水、土、火」を定義した。赤と青のインクを混ぜると、紫色のインクが作れるように、この四つを混ぜれば「すべての物質」を作れる。と、アリストテレスは考えたんだ。

 ところが!

 1785年ごろ。フランスの科学者、アントワーヌ・ラヴォアジエが、「水」は水素と酸素が結合してできたものだと突き止めちゃった。

 そう。それ以上、分割できないはずの「水」が、「水素」と「酸素」に分かれてしまったんだ。

 つまり……「水」は、元素ではない!

 やっと、アリストテレスの呪縛が解かれた瞬間だ。四元素説は大間違いだったのだ。

 いまでは、空気もいくつかのガスの集合だとわかっているし、土に至っては、ケイ素を主体にした、数多くの元素の集合体だとわかっている。火に至っては、化学反応の結果であって、そもそも物質ではない。

 ことほどかように、アリストテレスは、大まちがいを犯していたのだけど、元素という考え方は残った。ラヴォアジエは、空気や水に代わるものとして、33種類の元素を突き止めたんだよ。

 え?

 ちょっと待って。元素が33種類もあるって?

 いやいや、それどころか、ラヴォアジエの発見のあとも、つぎつぎに新しい元素が発見され、いまでは、水素からウランまで、92種類の元素が天然に存在することがわかっている。(天然にないものを入れれば、軽く100を超える)

 そんなにたくさん種類があって、物質の根源と呼べるのだろうか?

 なーんて、問いかけをすれば、もう、ピンときたよね。

 そう! たしかに元素は、それ以上、ほかの物質に分離することはできない。さっき書いた通り、水素は、水素以外の何ものでもないし、酸素は、酸素以外の何ものでもない。

 ここで、原子論が復活するんだ。

 われわれが、92個も発見した「元素」を作っているのが、「原子」という小さな粒子なんだよ。

 ということがわかるのに、ラヴォアジエが元素を発見してから、約20年もの月日がかかった。

 1803年。最初に原子という考えを復活させたのは、イギリスの物理学者、ジョン・ドルトンだ。彼は、元素の元は原子じゃないかと考えた。原子論を復活させたところまではよかったが、彼は、元素ごとに、異なる原子があると思っていた。それでは、元素となにが違うんだよ(苦笑)。

 さらに、それから66年後の1869年に、ロシアの化学者、ドミトリー・メンデレーエフが、元素を似たような化学的特性で分けて、周期表というものを作った。

 しかし、メンデレーエフも、元素ごとに、ことなる原子があると思っていたから、元素が、種類によって、なぜ化学的特性が違うのかを説明できなかった。

 どうやら、原子を正しく理解するには、ドルトンや、メンデレーエフのような、優れた頭脳でも、まだ足りなくて、まさしく天才の頭脳を必要とするようだよ。

 それでは、ご登場いただきましょう、その天才に!

 彼の名は、アルバート・アインシュタイン!

 出たー、天才中の天才。ちなみに、わたくしアインシュタインびいきなので、ちょっと褒めすぎちゃうかも(苦笑)。

 アインシュタインは、1905年に発表した論文の中で、原子が実在していることを、理論的に説明したんだ。

 理論。ここが大事。いままでは、観測で「なんか発見したんだけど」という段階だった。それに、理論をつけて、「理由を説明した」のがアインシュタインなんだよ。

 その3年後。フランスの物理学者、ジャン・ペランが、アインシュタインの理論通り、原子が本当に存在していることを、実験で証明した。

 実験。これもまた、科学には欠くことのできない重要な要素だ。理論が正しければ、観測や実験で、その理論で説明している現象を確認できるはずだ。逆に、確認できなければ、その理論が、どんなに魅力的でも、科学から排除される。

 たとえば、地球は神が作って、宇宙の中心に置いたなんて、宗教家と権力者にとって甘美な理論は、鉄槌で打ち砕かれて、科学という正気から消え去った。

 というわけで、理論が証明されたアインシュタインは1921年に、実験で証明したペランは1926年に、それぞれノーベル賞を受賞している。

 こうして原子論は、完全に復活したように思えたが……

 そうは問屋が卸さないのが、自然科学というもの。原子という、極小の世界には、科学者が想像していなかった世界が広がっていたんだ。

 時間を少し巻き戻すけど、アインシュタインが原子に関する理論を作る8年も前に、水素原子より、2000分の1も小さい粒子が発見されていた。

 発見したのは、イギリスの物理学者、ジョセフ・ジョン・トムソン。それはマイナスの電気を帯びていたから、トムソンは「電子」と呼ぶことにした。

 トムソンは、電子がいつも同じ質量で、さらに、どんな原子から出てくる陰極線も同じ粒子でできていることを実験で証明したので、電子は原子の一部だと考えるようになった。

 え、おい、ちょっと待て。原子は「それ以上分割できない」ものだよね?

 それが違ったんだ。原子は、物質を作る究極の粒子ではなかった。それはまだ、「電子」と、「なにか」に分割できるのだ。

 ちょうどそのころ(19世紀の終わりから、20世紀の初めにかけて)、いま日本で大問題になっている「放射線」が発見されていた。

 というか当時は、放射線が最先端の研究テーマだったんだ。放射線が発見されたはいいけど、それが「なにか」はわからなかった。みんな、放射線の正体を探る研究をしていたんだね。

 フランスの物理学者、アントワーヌ・アンリ・ベックレルは、X線を研究している過程で、ウランから、X線とは違う、未知の「放射線」が出ていることに気がついた。

 そこで科学者は、新しい言葉を発明した。ウランは「放射性物質」と呼ばれることになったんだ。

 さて、そんな中、イギリスの物理学者、アーネスト・ラザフォードは、「アルファ線」と呼ばれる放射線を研究していた。ラザフォードも、ご多分に漏れず、アルファ線の正体を探る研究をしていた。それは、電子よりも、約8000倍も重く、なおかつプラスの電気を帯びた粒子だった。

 アルファ線は、非常に速く飛ぶ重い粒子なので、それを原子に向けて放っても、素通りするだろうと、ラザフォードは考えていた。

 その実験をやってみたら、驚くべきことが起こったんだ!

 時は1909年。若い研究者のハンス・ガイガーと、アーネスト・アースデンに実験をさせてみると、アルファ線は、約1万回に1回、まるで、原子に跳ね返されるように、大きな角度で曲がることが確認されたんだよ。

 1万回に1回だって? そんなの偶然だろ?

 いいや、どれほど希であっても、電子より8000倍も重いアルファ線が、偶然で跳ね返されるなんて、あり得ない。

 どうやら、原子には、重いアルファ粒子を跳ね返す、なにかがあるようだ。それが「電子」で、ないことはたしかだ。だって、自分より8000倍も重い相手を跳ね返せるはずがい。

 では、アルファ粒子を跳ね返したのは「なんだ」?

 ラザフォードは、原子の真ん中の狭い領域に、プラスの電気が集中している「かたまり」があるはずだと考えた。その「かたまり」が、アルファ線を跳ね返したに違いない。

 おめでとう、ラザフォード! あなたは正しい。こうしてラザフォードは、1911年に「原子核」を発見したのだ。

 いまこれを書いている2011年は、「原子核」発見100周年記念なんだね。

 さてさて、それでは、この「原子核」こそ、もう分割できないモノなんだろうか? ぼくたちは、とうとう、究極に構造に行き着いたんだろうか?

 おあいにく様。

 なんと、「原子核」でさえ、さらに分割できることがわかってしまったんだ。

 さっき、ウランを「放射線物質」と呼ぶようになったと話したよね。これが発見された当時はわからなかったのだけど、ウランが、放射線を出す原因は、俗っぽくいうと「ウランの原子核が爆発」して、その残骸を周囲にまき散らしている現象だったんだ。

 ここで、最初に説明した「電子」と「原子核」の関係を思い出していただきたい。

 原子核の周りを、電子が飛び回っている。その数は、元素によって違っていて、水素なら1個。酸素なら8個だ。

 なぜ、元素によって数が違うんだろう?

 その謎を解くのが「電荷」だ。電荷とは、電気を帯びている性質のことだよ。電気には、プラスとマイナスがあるのを、みんなも知っているよね?

 じつは、原子核にはプラスの電荷があって、周りを飛ぶ電子は、マイナスの電荷があるんだ。水素の原子核は、プラス1の電荷で、1個の電子が周りにあって、ちょうど釣り合っている。

 じゃあ、8個の電子が飛び回る酸素は?

 そう、原子核にプラス8の電荷があるんだ。だから8個の電子が飛び回って、ちょうどプラスとマイナスが釣り合うんだよ。この関係は、すべての元素で変わらない。

 ラザフォードは、アルファ線の研究で、原子核を見つけてから、こんどはその研究に取り憑かれた。原子核に、アルファ線を衝突させ続けて、なにか新しい発見がないか探し続けたんだ。

 彼の努力が報われたのは、1919年だった。原子核を発見してから、じつに8年の歳月が流れていた。

 アルファ線を当てた原子核が分裂……ではなくて、驚くべきことに、原子核の性質を変えてしまったんだ。これまた俗っぽくいうと、ラザフォードは古来の錬金術師が夢見て、だれも成功しなかった、「べつの元素」を作り出すことに成功したのだ。

 かのニュートンですら取り憑かれた「錬金術」が、ついに科学の元で実現した瞬間だった。錬金術師は、怪しげな実験装置で、安価な物質を混ぜ合わせて、金(ゴールド)を作ろうとしていたけど、いうまでもなく、ラザフォードの実験で、金ができたわけではないので、早とちりしないようにね(笑)。

 ここで重要なのは、原子核に、アルファ線が当たって、性質が変わるには、原子核が、さらに小さな粒子の集合体だと考えられることだった。

 やはり原子核は、まだ究極の構造ではないのだ。その中に、秘密が隠されている!

 という中途半端なところで、このエッセイは終わります。


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