一つの時代の終わり


 ソニーが、3.5インチフロッピーディスクの販売を来年の3月で終了するそうですよ。需要状況によっては、それ以前にやめるそうなので、要するに、在庫がなくなったら終わりってことなんでしょうね。

 ソニーのニュースリリース(2010年4月23日)はこちら

 ぼく自身は、フロッピーを使わなくなって久しいけど、3.5インチフロッピーディスクを開発したソニーが、いよいよ販売をやめるというニュースは、なんだか、一つの時代の終わりを感じさせる。

 フロッピーデスクというのは、そもそも1970年にIBMが開発した記録メディアで、当時は8インチという大きさだった。フレキシブル(柔らかい)が、フロッピーの語源だそうですな。いまとなっては、犬かイルカの名前みたいだけど。

 その後、IBMでフロッピーディスクの開発に従事していた、アラン・シュガートという人物が、1973年にシュガートアソシエイツという会社を設立し、そこで8インチより、ちょっと小さい5.25インチを開発した。1976年のことだ。

 そして1980年。こんどは日本のソニーが、3.5インチを開発して世に送り出した。8インチはもちろん、5.25インチも知らないよって人がほとんどだろうけど(ぼくだって8インチなんか見たことないですよ)、3.5インチなら、若い人もご存じだろう。ピークの2000年には4700万枚が国内で販売され、それからどんどん需要が減ったとはいえ、2年前の2009年でさえ、まだ850万枚も売られたそうだからね。(えーっ、そんなに売れてるんだ!)

 なんてことを調べるためにウィキペディアを見てたら、ドクター中松(中松義郎)のことが出ていた。そう言えばあの人、フロッピーを発明したのはオレだ! みたいなことをよくおっしゃっていたかも。

 でも、ドクター中松は、あんまり関係ないみたいですな。フロッピーのデーター面を保護する機構に似た装置を考えて、それで特許を取っていたのは事実らしく、IBMが日本で8インチフロッピーを販売するとき、ドクター中松と係争が起こらないように、なんらかの契約をしたことから(契約の内容は、よくわかんない)、フロッピーを発明したみたいなことを言うようになったらしい。自身で主張しているのか、彼の周辺が宣伝に利用しただけかは知らないけど。

 まあ、それはともかく、データーの記録=3.5インチフロッピーという時代は、わりと長かったんじゃないだろうか。1980年にはじめて世に出てから、日本における販売のピークが2000年ってことは、20年間も販売数が右肩上がりだったわけだ。これはすごいことだよね。

 だから、当然ぼくも3.5インチフロッピーにはお世話になった。思い出をたどってみると、最初にパソコンなるものに触れたとき(Macintosh Plusが最初なんです)、ハードディスクなんてものは入っていなくて、アプリケーションどころか、OSを実行するのも3.5インチフロッピーからだった。もちろん、データの記録もフロッピーだ。とにかく、フロッピーがなければ、なにもできなかった(それを思えば、いまこうしてエッセイを書くだけの価値はあるってもんだ)。

 その後、ハードディスクが一般にも買える値段になって、データの記録にはあまり使わなくなったけど、依然としてバックアップ用には必要だったし、人とデータを受け渡しするにも、フロッピー以外の方法は考えられなかった。

 ところが!

 世の中はネットが普及したんだよね。ソニーが3.5インチフロッピーディスクを辞めるというニュースでは、USBメモリなどの次世代メディアが普及して、フロッピーの役割は終わったみたいなことが書いてあるけど、ぼくはネットの普及こそが、フロッピー終焉の原因だと思う。

 だってそうじゃない? 3.5インチフロッピーには、たしか1.4メガぐらいしかデータが入らないよね。いまどき1.4メガのデータなんて、メールで送るでしょ。それ以上のデータは、そもそもフロッピーに入らないので、CD-RやDVD-R、あるいはUSBメモリなどなどの、容量の大きいメディアは、フロッピーの代替えって感じじゃないんだよね。ぼくの感覚では。

 だからもし、ネットの普及がなければ、テキストファイルなどの小さいデータをやりとりするには、きっといまもフロッピーを使うと思うよ。安いから、人にあげられるのがいいよね。フロッピーって。USBメモリも安くはなったけど、データと一緒にあげちゃう人はいないでしょ。いまだに(笑)。

 まあ、なんにせよ、フロッピーの使命は、ほぼ終わったわけだ。開発元のソニーだって、もうとっくに製造からは撤退していて、中国の会社に委託して作ったのを売ってるんだって。その在庫を売り切ったら、辞めますよってことなんだろうね。

 ふと、自分のPC環境を見ると、デスクトップにもノートPCにも、フロッピーディスクドライブはついてない。いまもし、フロッピーでデータを渡されたら困るぜえ〜。あわてて、USB接続のフロッピーディスクドライブを買わなきゃいけないな。ネットで見たら、三千円から四千円の間みたいだね。不安な人は、いまのうちに一台買っといた方がいいかも(苦笑)。

 でも……そーいえば、1.4メガバイトのデータって、どんな大きさだろう?

 そう思って、ハードディスクの中を見渡してみると、召しませMoney!が1と2ともに、約500キロバイトだから、2作を余裕で記録することができる。表計算などのファイルを見ても、ぼくが扱うのは、1メガ以下のがほとんどだから(かなり大きくても800キロバイトくらい)、けっこうフロッピーに入るんだな。

 ところが、パワーポイントになると、いきなりダメっぽい。軽くメガを超えるファイルばかり。小さくても5メガとかあって、大きいと数十メガもある。へえ、そうなんだとビックリしちゃった。パワーポイントのファイルは、メールで受け取るだけで、自分で作ったりはしないんだけど、いままでメールの受信に負担を感じたことがないので、そんなに巨大なファイルだとは思いもしなかった。

 そうかー。改めてブロードバンドって、ありがたいものなのね。数十メガのサイズでも通信に負担に感じないから、むかしみたいに、いかにデータを小さくして、通信(相手)に負担をかけないようにするかということに頭を悩ませる必要はなくなった。ホントありがたいことです。

 もちろん、写真データになると、まるっきりフロッピーでは太刀打ちできない。Web用に小さくすれば別だけど、カメラで撮ったばかりのサイズは、平気で数メガある。RAWデータともなれば、さらに巨大だ。だいたい、いまどきケータイ電話で撮った写真だって、最大サイズで撮ったら、フロッピーには入りませんぜ。

 要するに、世の中のデータ量は、どんどんリッチになってるわけだ。これって、なんか不思議だね。思考(言語?)を凝縮したテキストファイルの大きさは、フロッピーの時代から変わってないのに、思考以外のデータだけが肥大していくって、ちょっと哲学的。いや、それが悪いと言ってるわけじゃないよ(そもそも優劣の問題ではない)。

 そうかー。いままでなんで気づかなかったんだろう。思考というのは、じつはデータとしてはコンパクトなんだ。ケータイで気楽に撮る1枚の写真より、何千倍(いや何万倍)も苦労して書いた召しませMoney!が、たった500キロバイト。書くのも大変だけど、読むのだって、1枚の写真を見るより、ずっとずっと時間と労力が必要だ。でも、たった500キロバイト。

 あるいは変な例えだけど、ベートーベンの交響曲は、一冊の楽譜として手に持って歩けるよね。でもそれを演奏するためのオーケストラは、たくさんの人間と、すごい労力と、大きなステージを必要とする。

 うーむ。当たり前のことだけど、なんとなく不思議。ソースは一冊の本や楽譜なのに、それを展開するには、すごいエネルギーがいる。ぼくが知らないだけで、そういう思考の特性を表す哲学用語ってあるのかもしれないな。

 フロッピーのこと考えてたら、だんだん変な方向へ流れてしまった。これも思考の特性ですな(笑)。

 3.5インチフロッピーは、ソニー製(というラベルが貼ってあるだけだけど)がなくなっても、まだしばらくはノーブランド品として流通するだろう。年間に何百万枚か売れてるってことは、まだ使っている人がいるんだろうし。でも、そう遠くない未来に、博物館でしか見ることができなくなるだろうな。

 だから、いまのうちに言っとこう。フロッピーさん、ありがとう。お疲れさま。お世話になりました。



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