逃げろ! 逃げろ! 逃げろ!


 タイトルとは関係ない前ふり。ついこの間(2010年3月15日のこと)、ラジオのサイマル放送がネット上で試験的にはじまった。え? ラジオのサイマル放送ってなに?

 サイマル放送というのは、放送局が二つ以上の媒体に同一の内容を流すことだよ。要するに、ふつうのラジオで流れてくるAMとかFMの番組が、リアルタイムでネットでも聴けるようになったってこと。

 いままでも、インターネットラジオなんてものがあったけど、あれはラジオとは名ばかりで、ネット用に作られた専用の番組を、ストリーミングで流していただけなんだ。

 それがやっと、サイマル放送がはじまったんだよ。なんで、いままで、できなかったんだろう? 技術的には、ごくごく簡単だろうに。

 じつはCMが問題だったみたいだね。ラジオは広告で成り立っているビジネスだから、放送波の届く範囲が決まっているラジオ用に契約されたCMを、全国どころか、全世界に張り巡らされたネットに流すのは、大人の事情でできなかったらしいんだ。(サイマル放送の試験放送でも、地域を限定している)

 まあ、それはともかく、やっとネットでラジオのサイマル放送が聴けるようになって、ぼくは本気でうれしい。じつは、わが家で唯一ラジオが聴ける機器だったMDレコーダーが壊れてしまって、処分しちゃったんだよね。処分したあとに気がついた。あっ、ラジオが聞けねえ! って。だからネットでラジオ最高です。

 以上、前ふり終わり。ここからが本題。

 またまた映画の話題で申し訳ないけど、『2012』って映画をDVDで見たんだ。3月19日からレンタル開始。19日に借りに行って、すぐに見た。

 そんなに見たかったの? うーん。微妙。どんな映画なのかを簡単に説明すると――

 2012年12月21日。それはマヤ文明の歴が終わる日だ。マヤ人は人類の滅亡を予言していたに違いない。それを証明するように、太陽活動が徐々に極大化し、その影響で、それまで物質とは、ほとんど相互作用しないニュートリノがなぜか変異して、突然電子レンジのマイクロウエーブのように、地球内部を熱しはじめる。地球のコアがグチャグチャになって、地殻は溶け出し、大陸が海に沈み、津波が押し寄せて、そりゃもう大変なんですから奥さん!

 という映画だ。

 古代マヤ文明の歴が、2012年の12月21日で終わっているように見えることから、2012年人類滅亡説は、むかーしからあった。その滅亡説にインスピレーションを受けて、パニック映画を作るのが大好きな、ローランド・エメリッヒ監督が作った映画が『2012』だ。

 この映画を、なぜ見たかったのか。ローランド・エメリッヒのパニック映画って、わりと好きなんだよね。手垢にまみれた感のある『2012年人類滅亡説』を、エメリッヒが巨費を投じて映画にしたっていうんだから、いったい、どんなふうに料理しただろうかと、興味深かったんだよ。

 で、見てみると……

 いやあ、驚いた。パニック映画に理屈を求めるのは野暮だっていわれればそれまでだけど、それにしても、ひどくないか? だって、ニュートリノが、物質と相互作用するようになっちゃうっていうんだから、マヤ人もビックリだぜ。

 どういうことかというとですね、太陽からは、大量にニュートリノという素粒子が放出されているのですよ。なかなか理解しがたいことだけど、そのニュートリノって素粒子は、見えないんですよ。ふつうは。光は見るとまぶしいじゃん。でもニュートリノは見えないから、なにも感じない。

 でもね。まったく、完全に見えないかというと、そういうわけでもなくて、ごくごく希に、ちょっとだけほかの物質と反応することがあるから、それを見逃さないようにすれば、なんとか観測は可能だ。日本の誇る物理学者であらせられる、小柴昌俊が鉱山の地中深くに作った観測装置でその観測をやって、ノーベル賞を取った。

 もしも、もしもですよ、映画のようにニュートリノが、物質と相互作用しはじめたとしたら、それは人類が滅ぶなんて、スケールの小さい話ではなくて、この宇宙そのものが消滅するってぐらいデカイ話なわけですよ。

 これには呆れた。開いた口がふさがらないとはよく言ったモノだ。もしもアイザック・アシモフがこの映画を見たら、最初の15分でDVDプレイヤーのスイッチを切っただろうな。もしもアーサー・C・クラークが見たら、最初の15分が終わったところで、DVDを取り出して、たたき割るかも。そのくらい、ひどい設定だ。

 でもぼくは、DVDのスイッチを切らなかった。だって、レンタル料の370円がもったいなじゃないか。もちろん、DVDを割ることもなかった。借り物を傷つけたら大変だ。

 で、まあ、見続けたんですけどね。ジョン・キューザック演じる売れない小説家が(なんか身につまされるのはなぜ?)、別れた奥さんと、幼い娘と息子を連れて、崩壊する街から逃げる、逃げる、逃げる。ひたすら逃げる。その逃げ方が半端じゃない。潰れていくビルの中に猛スピードの車で突っ込んで、ビルが完全に壊れる前に脱出するとか。思わず、ありえなーい! と叫びたくなるような、猛烈な逃げ方。どんなピンチになっても、いつも間一髪のところで助かるのだ! だって映画だもん。みたいな。

 でもね、その映像はすごい。さすが2億ドルもかけて作ったコンピューターグラフィックスだけはある。日本が誇るパニック小説を原作にした『日本沈没』も、近年リメイクされたけど、やっぱハリウッドにはかなわないね。ビルが崩壊する様も、地面がひび割れてグランドキャニオンみたいになっちゃう様も、山のような高さの大津波も、よく作られているよ。家庭の小さなテレビでは、イマイチだったけど、これ映画館で見たら大迫力だったろうな。

 でも、それだけ。

 いやパニック映画なんだから、『それだけ』でいいし、むしろ、小難しことを抜きにして『それだけ』にしないとヒットはしない。ただし、本当に『それだけ』ではダメで、逃げ惑う家族たちの、家族愛を調味料のようにふりかけておく必要がある。幼い子を守ろうとする親はもちろん、年老いた親が、息子や娘に許しを請うなんてシーンも効果的。

 ローランド・エメリッヒは、ドイツ人のくせに、アメリカ的(キリスト教的?)価値観で、映画をまとめるのがうまいね。ショッキングなパニック映像に、うるわしい家族愛を添加して、人工甘味料みたいな映画にする才能は逸品だ。だから商業的に成功するのだろうね。あやかりたいものだ。いや皮肉じゃなく、本気で。

 ああ、そこまでわかっていても、あえて言わせていただきたい! 物理学を根底から変えてしまうなんて、いくらなんでもひどすぎる!

 トム・ハンクス主演の『天使と悪魔』では、セルンで作られた反物質が、五キロトンに相当する(おそらくTNT火薬を基準にしていると思われる)爆弾として使われる。これもひどく科学的根拠のない設定だと思ったものだけど、『2012』は、さらにひどい。もうダメ、絶対にダメ、許せない!

 しかし!

 ダメだダメだと騒いでいるだけでは、選挙の人気取りしか考えていない野党だ。ぼくは評論家よりクリエイターでありたいから、考えてみよう。地球規模の大災害を引き起こす(つまりパニック映画の原案になりそうな)科学的根拠のあるアイデアを。

 アイデアを出す前に、まず厳しい条件を付けなければならない。

1)現代から、プラス・マイナス10年以内の物語である
2)人類滅亡が、数日から数週間で完了する
3)科学的である(オカルトやファンタジーに逃げない)

 以上の三つ。

 これらの条件を付けたのは、あまりにも突飛なアイデアを排除するためだ。マッドサイエンティストが殺人光線を発明して、人類を抹殺するとかさ。それと神がかったのも遠慮したい。だから神(聖書)を信じなさいみたいな結末は、ぼくの中では完全にNGです。

 以上の条件の下で、真っ先に思い浮かぶのは、巨大な隕石の衝突じゃないだろうか。恐竜が絶滅した原因だと思われているんだから、過去の地球で実際に起こったし、将来も起こる可能性がある。その意味で、すばらしく科学的だ。だから、ローランド・エメリッヒが、とっくの昔に映画化している。『ディープ・インパクト』というのが、その映画だ。

 つぎに、話題の地球温暖化はどうだろう。地球の温暖化が本当に科学的かどうかと言われれば、まだ研究途中だと答えるのが無難だけど、パニック映画の原案としては悪くないだろう。というわけで、これまた、ローランド・エメリッヒが、とっくの昔に映画化している。『デイ・アフター・トゥモロー』というのがそれだ。エメリッヒは、ちょいとひねって、温暖化が進むと、長期的には地球が寒冷化するという説を映画の原案に使った。

 もしも、温暖化と寒冷化の関係が科学的に正しいとしても、残念ながらそれは、数百から数千年という単位でしか進行しない。精密な観測でなら、一年という単位でも、変化を観測することはできるだろうけど、地球の環境が劇的に変化するには、どんなに早くても百年単位の時間が必要だ。だから2の条件に反する。

 ここが映画にしづらいところだ。もし仮に2の条件を外して、何世代も先の未来でなければ、物語の結末を語れない映画を作っても商業的な成功はないだろう。だから小松左京の『日本沈没』も、エメリッヒの『デイ・アフター・トゥモロー』も、時間を早送りしたビデオのように、数百年から数千年かかる変化が、数日のうちに起こるように、強引に設定されている。

 もしも、それはそれで「よし」とするならば、いくらでもアイデアはある。たとえば、太陽の活動が急激に弱まり、わずか数日のうちに赤色巨星になってもいいし、月の軌道がずれて、地球に落ちてきたっていい。まさになんでもアリだ。ここまで来ると、もう科学ではなくファンタジーと呼ぶべき世界に突入するので、話を戻して、もっと現実的な設定を探そう。

 たとえば、核戦争はどう?

 最近の研究では、局地的な核戦争が起こっただけでも、中長期的には地球の環境が変化して、人類が絶滅の道に踏み込む可能性が指摘されている。それがあなた、全面核戦争ともなれば、巨大隕石並に、あっという間に人類を滅亡させることができるだろう。カール・セーガンが広めた「核の冬」という設定は、いまもって考察する意義が十分すぎるほどある。

 でもォ……核の保有は本気で切実な問題ではあるけど、核戦争を映画や小説の原作として使うのはどうだろう? さすがに手垢にまみれてはいまいか。だれもが思いつくアイデアで、じっさい映画化もされている。『未知への飛行』とか『博士の異常な愛情』などは、秀逸な作品として、ご存じの方も多いと思う。

 では、未知のウイルス(あるいは細菌や毒など)が世界に蔓延するというのはどうだ? これもダメだな。これまた、手垢にまみれたアイデアだ。吸血ウイルスによって、人類がほとんど吸血鬼になってしまう『地球最後の男』が書かれたのは、もう40年も前だぜ。そうでなくても、ウイルスによって人類がゾンビになるなんてお話は、腐るほどある。日本人だったら、小松左京の『復活の日』や、ゲームの『バイオハザード』を忘れるわけにはいかない。

 よーし、こうなったらもう、奥の手だ! 宇宙人が攻めてきたってのはどう? いやあ、それもダメでしょう。そんなの奥の手でも何でもなくて、H・G・ウエルズが『宇宙戦争』を書いたのは、もう百年以上も前なんだよね。

 だったら、こんどこそ奥の手! ロボットが知能を持って、地球を征服するのだ!

 え? それも古くからあるSFですって? はい、そうです。ロボット小説はアシモフが書き尽くしたとさえいわれている(でもぼくは、エドマンド・クーパーが1958年に書いた『アンドロイド』という作品が一番好きだったりする)。商業映画としては『ターミネーター』が成功したよね。

 むむむ。これで思いつくのは全部だ。隕石もダメ、核戦争もダメ、ウイルスもダメ、宇宙人もダメ、ロボットもダメ……か。手ごわいな。

 もはやアイデアは尽きたように思える。科学的に考えれば考えるほど、数日という短時間で、地球を壊滅させるような大きな変化を自然に求めるのは難しい。人為的な原因でも、わずか数日というのは難しい。温暖化もそうだし、人口増加による水不足や食糧不足だって、数日で人類を死に追いやる問題ではない。

 だから、映画の制作費に、2億ドルもかけられるエメリッヒでさえ、ニュートリノが物質と相互作用をはじめるなんて、荒唐無稽を通り越して、呆れるしかないような設定を使ってしまうのだろう。ただただ、人が逃げ惑う状況を作り出せれば、もうなんでもいいよって、投げやりな感じで。

 いやはや、人類を数日で滅亡させる新しい手を考えるのは、意外と難しいようだ。これを、よろこんでいいのか悲しんでいいのか……複雑な心境ですな。人類としては(笑)。



※追記(2010年3月25日)
ラジオのサイマル放送は、下記のサイトから試験放送を聴くことができます。
http://radiko.jp/



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