2月の明暗


 バレンタインデーはとっくに過ぎているのだが、つい先日、彼女さまから生チョコをもらった。商品を受け取って帰ろうとするお客のために、定員さんがわざわざドアを開けてくれる、高級なチョコ菓子専門のお店で買った品だ。もちろん美味しかった。

 しかし、ここに至るには、聞くも涙の物語があったのだ。

 事の発端は、世の中がバレンタインデー商戦で盛り上がってきた一ヶ月前ぐらいのことだ。ぼくは急に、ザッハトルテが食べたくなった。甘いものはそれほど好きじゃないんだけど、どういうわけかチョコは大好きなんだ。

 とはいえ、分厚いステーキや油べったりのフライドチキン、あるいはウエンディースのチリビーンズ、はたまた、真っ黒いつゆにかき揚げを浸した立ち食いそばとは違って、どーしても、いますぐ食べなきゃいられないというほどの衝動ではなく、ただなんとなく食べたくなっただけだった。

 そんなとき、本当にただの偶然なんだけど、コーヒーを飲もうとスターバックスに入ったら、なんとデザートにザッハトルテが売ってるじゃないか! おお、これは神の采配に違いないと思って、もちろん注文した。

 ところが……

 スタバの店員さんがこのエッセイを読んでいたらごめんなさい。スタバって、食べ物が美味しくないよね。サンドイッチやデザートなどなど、いろいろ取りそろえていらっしゃるけど、これはうまい! と思ったことが一度もないんだ。いえ、怒られる前に言っときますけど、決してマズイってわけじゃありませんよ。水準は満たしていると思います。でもね、サンドイッチにしろデザートにしろ、食べ物は全般的にタリーズの方が美味しいと思う。もっと正直に言うと、コーヒーもタリーズの方が好きだ。

 というわけで、スタバで頼んだザッハトルテは、ちょっと残念な味だった。まあ、駅前で手軽にザッハトルテを食べられるなんて、幸せな時代だと思えば、こんな文句を言っちゃいけないだろうけど。

 これでザッハトルテ食べたい熱が冷めるかと思いきや、逆に熱に火がついた。最近こんな話題ばっかりだな(苦笑)。

 そこで、わたくしは作戦を練ってみた。というのは、バレンタインデーが迫っていたからだ。どーせなら、高級なのを食してみたいのだけど、チョコを自分で買わなくていいという大義名分の日が、刻一刻と迫っているんだから、それを利用しない手はないじゃないか。

 作戦はシンプルだ。とはいえ、正面突破は得策ではない。ここはやはり、からめ手が効果的であろう。ということで、ぼくは彼女さまの前で、瞳を少女漫画の主人公のようにパチパチさせながら、かわいい声で言ってみた。

 あのね、ぼくね、ザッハトルテ、ちゅき(ハートマーク)。

 オッサンが気持ち悪いことするなーっ! と、各方面から座布団が飛んできそうな下策と思われるだろうが、ご安心いただきたい。彼女さまはケラケラ(いや、ゲラゲラだったかも)お笑いになってくださった。作戦は成功である。

 しかし、問題が起こった。

 彼女さまは、どこの、どんなザッハトルテが食べたいのかと質問なさってきたのだ。そういわれても、ただなんとなくザッハトルテが食べたくなっただけで、どこがどうとか言われてもわかんないのだ。高ければいいんじゃないかと思わなくもないが、じっさいに財布の紐を緩める人にとっては、そーいういい加減なことではダメらしい。

 そこでぼくは、必死に記憶をたどり、いままで食べた中で一番美味しいと思ったザッハトルテがなんだったかを思い出そうとした。そのとき、頭に浮かんだのは、たまに行くシュッピングモールに入っているパン屋で買ったザッハトルテだった。たしか300円ぐらいだったと思う。そのことを彼女さまに告げたら、ひじょーに疑わしい目でこう言われた。

「あなたの食べたのは、ガトーショコラじゃないの?」

 え? そうなの? チョコが好きとはいえ、基本的にデザート系の知識には乏しいので、そう言われても、いまいちピンとこなかった。彼女さまは、パン屋でザッハトルテを売ってるのなんて見たことがないというのだ。でも、ガトーショコラなら、わりとどこにでも売っているらしい。まだピンとこないぼくに業を煮やした彼女さまは、ザッハトルテとガトーショコラの違いを説明し、さらにネットで写真まで見せられた。

 なるほど。どうやらぼくは、ザッハトルテとガトーショコラを取り違えていたらしい。本当に食べたかったのは(というか好きなのは)、ガトーショコラの方だったのだ。そーか、それでスタバのザッハトルテが、よけい美味しくないと思ったのか。スタバさんごめん。

 状況が変わったので、急遽作戦変更である。ぼくは、少女漫画の主人公のように、瞳をパチパチさせながら、こう言い直した。

 あのね、ぼくね、ガトーショコラ、ちゅき(ハートマーク)。

 彼女さまは、またケラケラお笑いになったので、また作戦は成功である。しかし、そうは問屋が卸さないのが世の習わし。彼女さまはニヤリと笑いながらこう続けた。

「じゃあ、今年は生チョコいらないね」

 ガーン! そ、それは困る! じつはわたくし、チョコの中でも生チョコが一番、最高に、絶対的に好きなのだ。でも安い生チョコは美味しくないのだ。だから年に一度、バレンタインデーでもらえる高級な生チョコが楽しみなのだ。バレンタインデーが終わると、来年もまた生チョコを食べられるという思いだけで、残りの辛い364日を過ごしていると言っても過言ではない。いや、過言ですが。とにかくぼくは、あわてて言い足さなければならなかった。

 生チョコも、ちゅき、ちゅき!(ハートマーク)。

 いいかげんにしろ! と、ぶん殴られそうですが、彼女さまは呆れたような顔で「はいはい、わかりましたよ」と承諾した。作戦は大成功である。

 そしてとうとう、運命のバレンタインデーを迎えた。彼女さまは、ちょうど忙しい時期で、じっくりチョコを吟味している時間がなかったらしく、ネットで注文したそうだ。とはいえ、かなりいいお値段だったようだ。怖くて、具体的な金額は聞いていないが(苦笑)。

 まずは、ガトーショコラの方から食してみた。ところが、それがその……大変言いにくいのだが、感動するほど美味しくはなかった。パン屋の300円より高級な味がする(お酒の味が濃い)のは言うまでもないけど、だから美味しいかと言えば、そうでもない。彼女さまも一緒に食べて、ネットで買ったことを少し後悔なさっていらっしゃった。高かったのに〜とか、おっしゃっていたが、それは聞かないことにする。だって、ホワイトデーが怖いもん……

 まあいい。これでガトーショコラ熱が冷めた。やっと平穏な日々が送れるというものだ。よかったよかった。それに、ぼくには、大好きな生チョコがまだ残っている。さあ食べよう。と瞳をハートマークにしながら、生チョコに串を刺したら、パカッと割れた。

 え?

 ぼくはわが目を疑った。生チョコというのは、ねっとりしているものであって、串を刺したからって、割れるようなことはない……と思っていた。少なくとも、いままで食べた生チョコはそうだった。ところが、今回彼女さまが買ってくださった生チョコは、少し柔らかくなった板チョコって感じで、パカって割れちゃうのだ。

 こ、これは……ぼくの欲していたものではないかもしれない。そんな危惧を感じながら、割れたチョコのカケラを口に運んだ。まずくはない。いや、むしろ美味しい部類だと思う。口の中で溶ける感じは、それなりに生チョコぽい。

 でもなあ……もっと美味し生チョコあるよね。ぼくはすっかり、生チョコに関してグルメになってしまったのだ。

 彼女さまから生チョコの感想を求められ、嘘を付いても仕方がないので、正直に申し上げたところ、彼女さまは渋い顔で、ネットで買ってしまったことを、またまた後悔なさった。今回の生チョコは、先ほどのガトーショコラと同じ店で買ったものらしいのだ。いつもは、ちゃんと店頭で味見して買うのに(というか、その味見が楽しいらしいのだが)、今年はその時間がなく、ついネットに頼ってしまったのだと。

 で、バレンタインのやり直しということで、冒頭の帰るお客のためにドアを開けてくれるお店で、生チョコを買ってもらった。ちょっとビターな大人の生チョコ。美味しい。これでまた辛い一年をがんばれる……とは、さすがに言いすぎだが、美味しい生チョコを食べると幸せになれるよねー。

 でも……ホワイトデーが怖いなあ。けっきょく三品も買わせちゃったもんな。今年は作戦を間違えたかもしれない。反省。バレンタインはインフレがいいけど、ホワイトデーはデフレがいいのだ(苦笑)。


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