モノの値段


 よく利用する駅の立ち食いそば屋が新しくなった。立ち食いそばも、たまに食べたくなるのだ。あの、いかにも関東風の濃いつゆが好きだ。真っ黒。さらにかき揚げを入れて、つゆに浸してベチャベチャにしながら食べるのが好きだ。と書くと、ぜんぜんおいしそうじゃないなあ(苦笑)。でも、おいしいのだ。

 で、新しくなったお店にさっそく入ってみて驚いた。それまで働いていたバーさま……失礼。還暦をとっくにお過ぎになったと思われるオネーさま方がいなくなり、なんと、二十代から三十代と思われる、若いお兄さんとお姉さんたちが、元気に働いていらっしゃる。

 えっ? と一瞬戸惑った。立ち食いそば屋で働いているのは、年季の入ったオネーさまたちばかりと思っていたから(すいません。勝手な思い込みです)、お若いお姉さんに「いらっしゃいませ!」と笑顔で迎えられるとは思っていなかったのだ。

 そんな戸惑いを感じながら、店の外の券売機で買った食券を出した。もちろん大好きな『かき揚げそば』だ。正確には『かき揚げ』としか食券には書かれていないので、お姉さんにそばで食いたいのか、うどんで食いたいのかを告げなければならない。うどん好きの人に怒られるのを承知で申し上げますが、江戸っ子はうどんなんか食わないのだ。あんなヌルッと太くて白くて歯ごたえのないモノ(讃岐うどんはべつですが)、よく食うよな。病院食じゃあるまいし。(わーっ、関西方面から座布団が飛んできてる!)

 話がそれた。

 で、食券を出して待つこと三十秒ほど。お兄さんが、さっとゆで直したそばに、お姉さんがつゆと具を入れて(そばをゆでる人と、具を盛る人は分業になっているのだ)、ぼくの前に差し出した。「おまちどおさまーっ!」と、お姉さんはあくまでも明るく元気だ。それまでは、アラカン(アラウンド還暦と言うんだそうで)のバーさま……失礼。枯れたオネーさまが、「はい、おまち〜」みたいな、人生に疲れた……失礼。アダルトな雰囲気でそばを出していたのとは大違いだ。

 出されたかき揚げそばを見て、また驚いた。だって、かき揚げが、いかにも立派になっているのだ。説明が難しいけど、それまでの、アラカンのオネーさまの出すかき揚げそばのかき揚げは、つゆに浸す前から、もう疲れた感じにクタッとなっていたんだけど、今度のかき揚げは、見た目からしてカリッとしてる。しかも、器から飛び出さんばかりの大きさだ。ご立派。

 ここに至って、ぼくはやっと理解した。どうやら単なるリニューアルではなくて、お店自体が変わったのだと。

 となれば、当然そばの味も違うだろう。ズルズルとそばをすすって、一口目で味の違いはわかった。アラカンのバーさまそばは、スーパーでビニール袋に入って売ってる、伸びきったそばって感じだったのだけど、今度のは、ちゃんとそばのコシがある。明らかに小麦粉より、そばの含有量が多い感じだ。

 せっかくカリッとしてるのに申し訳ないが、かき揚げをつゆに浸してベチャベチャにして、また驚いた。アラカンのバーさまのかき揚げには、野菜しか入っていなかった。ところが、新しいのには貝柱が入っているじゃないか!

 明らかに良くなっている。味も、接客も、なにもかもがだ。なのに値段は変わらない。これって一種のデフレだよね。以前は、立ち食いそば屋で働く若い子なんて、いなかったのになあ。厳しい時代なんですかね。そー思うと、少し胸が痛む……なんて思いながら、ごちそうさまと厨房に声をかけたら、お姉さんが例によって明るく「ありがとうございました!」と、笑顔を向けた。うむ。アラカンのバーさまより断然いい(笑)。

 それとは、またべつの日に、昼ご飯を食べようと事務所(兼自宅)を出て、ちょっと困った。どの店も混んでいるのだ。いつもは時間を遅い方に外すのだけど、その日はたまたま、ジャスト・ランチタイムになってしまったのだ。

 いやー、まいったな。と思ったとき、ふと半年ほど前にできたラーメン屋を思いだした。開店当時に一度行ったきりのお店。べつにまずいわけじゃないけど、取り立てておいしくもないラーメンだった。要するに記憶に残らない店だ。久しぶりにその店に行ってみると、カウンターしかない小さな店で、しかもランチタイムなのに、席は半分ほど空いていた。やっぱりなという感じ。

 ところが、店に入って、少し驚いた。一番安い醤油ラーメンが、600円から500円になっていたのだ。正直に言うと、前の値段は覚えてないのだが、値札の600円にバッテンマークがしてあって『新価格500円!』と大きく書き添えてあるんだから、値下げしたのは間違いなかろう。

 そーか、これは500円か。と思いながら、出てきた醤油ラーメンを食べたら、味と値段の釣り合いが取れている気がしてきた。これまたデフレではあるけど、味に特徴がなければ、値段で勝負するしかない。うちの近くで、500円のラーメンは、ほぼ底値だ。この値段でこの味ならベストバリューだろう。たぶんまた食べに行くと思う。

 余談だけど、うちの近くで、500円より安いラーメンを出す店は、明日には死んでしまいそうなジーさまと、明後日には死んでいそうなバーさまがやっている、店の床がなんとなく傾いているラーメン屋だけだ。あそこの醤油ラーメンは400円だ。デフレデフレと騒がれる前から、ずっとその値段だ。驚くべきことに、いや、こんな時代だから驚くべきことじゃないかも知れないが、この黄昏のラーメン屋は、ランチタイムにはいつも満席なのだ。安さが一番の理由だろうけど、味に『ノスタルジー』という調味料が掛かっているのも、リピーターがいる理由だと思う。少なくともぼくはそうだ。明日には死んでそうななんて、失礼なことを書いたが、まだまだ、お元気でがんばっていただきたい。余談終わり。

 立ち食いそばとラーメンにすらデフレを感じる今日このごろ。つい先日、液晶テレビを買いに行くのに付き合って、さらにデフレを感じた。某量販店で、いろいろ見ていると、シャープの40インチが、10万円を切っていたんだ。しかも、その量販店のポイントが20%つくので実質的には8万円。さらにエコポイントが23,000円相当の製品なので、ポイントを商品券に代えれば、実質57,000円で40インチの液晶テレビが手に入るわけだ。

 えーっ、や、安いですね。誇らしげに『亀山モデル』なんてシールが貼ってある製品だったのに、メイドイン・ジャパンを表明しても、もはやプレミアムをつけるのは難しい時代なんだな。

 それはそうと、エコポイントって不思議な制度だと思わない? 販売の現場で、ポイント分を値引くわけじゃないから、直接デフレ圧力にはならないけど、でも出所は税金だぜ。いいんだろうか、税金で電化製品を安く見せかけて? エコカー減税ほどひどい制度ではないと思うけど、とくにエコじゃない製品にまで適応されるのは疑問だ(エコポイントの認定は、4月から厳しくなるそうですが)。

 うーん。でもまあ、政府が経済の縮小に手をこまねいているわけにもいかないのだろうし(なにをやっても批判されるのが政府というモノだけど)、少なくとも赤字国債を発行するよりマシなのかもなあ。ま、うるさいこと言い始めたらきりがないし、こんな制度がたまにはあってもいいか。と、エコポイントの恩恵に浴したことのないぼくは、思うことにしよう。

 議論が定まらなくて申し訳ない。要するにデフレというのは困ったモノだなと。そもそもモノ(サービスを含め)には、それぞれ適正な価格というのがある。安いモノは安いなりの、高いモノには高いなりの理由があるべきだ。より良いモノを作り、それを売って糧を得る人たちが、あるいはより良いサービスを提供しようと努力している人たちが、ふつうに生活できない社会なんて必ず崩壊する。なんでも安くなればいいという風潮は、そろそろ終わってほしいね。そんなことを立ち食いそば屋で考えるぼくは、変ですかね?


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