リコールざんまい


 豊田さん大変だね。そう。トヨタ自動車の社長さん。社長さんって書くと、なんか飲み屋のオネーちゃんがオッサンを呼んでるみたいだけど。日本も CEO とかいえばいいのに。

 失礼。そんなことはどうでもよろしい。トヨタ自動車はついに、虎の子のプリウスをリコールすることに決めたそうだ。ブレーキの制御プログラムに不具合があって、ブレーキを踏んでも止まらないんだそうだ。そりゃヤバイよね。大問題だ。

 プリウスという車は、ご存じの通りハイブリッドシステムで走る車だ。ふつうの車は化石燃料を燃やすエンジンだけを動力源にしているけれど、プリウスは電池とモーターを積んでいて、電気モーターでも走れるんだよ。プリウスにとってのエンジンは、車を動かすだけでなく、電池に電気をためるための発電機でもある。エンジンで発電した電気でモーターを回すのだ。

 なんで、そんな複雑なシステムになっているんだろう?

 問題は電池だ。電池というのは、すごく簡単にいうと、水をためるバケツに似ている。バケツに入れた水を電気と思ってほしい。1リットルの水をためようと思えば1リットルの水が入るバケツを用意しなければならない。500ccしか入らないペットボトルには、どんなにがんばっても、1リットルの水は入らないよね。

 電池もそれと同じ。たくさんの電気をためようと思えば、大きな電池を用意しなければならない。製造技術の進化と、新しい素材の研究で、ためられる電気の量は徐々に増えてきたけど、「電気をためる」という原理そのものは、発明当時から変わっていないから、どんなにがんばっても限界がある。

 じゃあ、電池をでかくすればいいじゃんと思うよね。でも、そのあとすぐに気づくはずだ。電池を大きくすれば、人が乗るスペースが狭くなる。荷物も詰めなくなる。電池を運ぶための車に、なんの利用価値があるというのか?

 というわけで、電池の大きさは「そこそこ」にとどめておかなくちゃいけない。そうすると、モーターで走れる距離は減る。プリウスの場合は、フル充電状態で2キロぐらいだそうだ。

 え? たった2キロ? それじゃあ、近所のスーパーに行ったら最後、帰って来れないじゃん。みたいな。

 そこでエンジンが必要になる。エンジンで発電するのだ。そうすれば、ガソリンがタンクにあるうちは、ずっと走れる。

 おい待てよ。だったら、エンジンだけで走ればいいじゃん。電池と発電機を積んだ重さを考えたら、エンジンの効率を上げた方が、燃費にもいいんじゃないか?

 と、ほとんどのメーカーは考えた。だからハイブリッドシステムは、トヨタだけの伝統芸能みたいになっちゃったのだ。トヨタは他社の冷笑に耐えながら、二十年以上も前からハイブリッドシステムを研究し続けてきたんだ。ガソリンエンジンで走り、かつ発電してモーターでも走るという複雑で重量がかさみ、常識的に考えたら、とても非効率的に思えるシステムでも、電池の大きさとモーターの出力をうまくバランスさせれば、結果として燃費をよくすることができる。と、信じていたんだろう。

 実際、トヨタの研究は実を結んだ。基本的にはエンジンで車を走らせるのだけど、停止状態からの発進加速のように、とくに燃費の悪くなる部分を、電気モーターで助けてあげることで、かなり燃費を改善することに成功したのだ。

 恩恵はそれだけじゃない。モーターは静かなのだ。もちろんモーターだって無音ではない。でも内燃機関のエンジンと比べば圧倒的に静かだ。そもそもエンジンは、ある回転数まで上げて(つまりアクセルを踏んで)、やっと本来の力が発揮できる。だからどうしても、音が大きくなってしまう。ところがモーターは、停止状態からいきなり、最大の出力が得られるんだ。だから、アクセルを少し踏んだだけで、車が無音で走り出すような感覚が得られる。

 これ体験してみるとかなり未来的。ぼくは旧型のプリウスでしか体験していないけど、新型はさらに洗練されているんだろうね。プリウスが売れているのは、燃費への期待感(とエコカー減税)が大きな理由だろうけど、この未来感覚も、無視できない要素だと思うよ。

 で、気がつけばハイブリッド=トヨタというまでになっていた。日本のライバルはもちろん(ホンダはがんばっているけど、トヨタほど複雑なシステムではない)、ドイツやアメリカの自動車メーカーも、ハイブリッドシステムでは、完全に後れを取ってしまった。それどころか、世界最大の自動車メーカーだったGMが倒産するに至り、トヨタは一時的にとはいえ、ついに世界の頂点に立った。

 そんなトヨタをリコールの嵐が襲った。最初は欧州でのアクセルペダルの問題だった。部品が結露してブレーキが利かなくなると言う問題。アメリカではそれとはべつに、フロアマットがアクセルペダルに引っかかって、死亡事故が起きていた。さらに、欧州でのブレーキ部品の結露がアメリカで販売した車種にも起こることがわかって、大変な大騒ぎになってしまった。

 日本は大丈夫なのか?

 トヨタは大丈夫と発表した。問題の部品は、CTSというアメリカ・インディアナ州に本社を置く部品メーカーが作ったそうで、日本で販売した車は、同じ部品を日本のデンソーという部品メーカーが作っている。デンソーが作った部品には問題はないそうだ。

 というわけで、アメリカでは大問題になって、公聴会まで開かれる騒動なのに、日本ではわりと静かだった。(日本のマスコミは、トヨタからの広告費削減を恐れて、静観していただけかもしれないけど)

 ところが……残念なことに日本で販売したプリウスにも不具合があることがわかった。ちなみにプリウスは日本でしか作っていないみたいで、海外で販売した分にも、すべて同じ不具合があるようだ。

 では、その不具合とは、どんな現象なのか? それを説明するには、もう少しプリウスの構造について解説しないといけない。

 さっきプリウスは電池が小さいから、エンジンで発電すると書いた。でも発電する方法はそれだけじゃない。回生ブレーキというシステムが使われているんだ。

 考えてみよう。プリウスは1380kgもある重い鉄の塊だ。こいつを動かすにはエネルギーが必要になる。それは当然だよね。物理の法則に詳しくなくても、そりゃそうだと思ってもらえるだろう。

 では、止まるときはどうか?

 これも簡単。ブレーキを踏めばいい。なんて答えは科学的じゃない。動いている車から、エネルギーを捨てればいい。と答えれば、かなり科学的。

 エネルギーを捨てる?

 そう。この世には「エネルギー保存の法則」というのがあるので、運動のために得たエネルギーは消えることがない。こいつは「捨てる」しかないんだよ。具体的には、油圧ブレーキという油の圧力で力を増した万力みたいなので、タイヤの回転をぐっと押さえつけて止める。なんだ、やっぱりブレーキを踏めばいいんじゃないか(笑)。

 まあ、そうだけど、もっとよく観察してみよう。じつはタイヤの回転を「押さえ込む」ときに、摩擦熱が発生しているんだ。その熱はどこに行くと思う? 空気中に発散されるんだよ。

 もうわかったよね。運動エネルギーが熱に変換されて、空気中に捨てられたんだ。この作用によって、車が止まるってわけ。

 要するに、せっかく運動のために与えたエネルギーを、赤信号で止まるたびに、ぼくらは捨ててるわけなんだ。となると当然のごとく、捨てずに回収する方法はないモノかと考えたくなるよね。

 これまた原理的には簡単。タイヤを発電機につないでおけばいいだけだ。タイヤが発電機を回せば、電気が発生する。これはすなわち、運動のエネルギーが電気に変換されているわけだから、車は徐々に運動のエネルギーを奪われて速度を落とす。これが回生ブレーキの原理だ。

 いかがかな。プリウスはいままでの車が、ただ捨てていたエネルギーを回収して電池にため込んでいるんだ。これが燃費に効いてくる。

 さて、プリウス問題を考える上で、もう一つ知っておかねばならないことがある。それはアンチロック・ブレーキ・システムだ。頭文字を取ってABSとか呼ばれる装置。

 これも原理は簡単。タイヤの摩擦力を想像してみて欲しい。もしタイヤが氷でできていたらどうなると思う? ご存じの通り、氷は摩擦が少ないから、氷のタイヤは空回りをするだけで、ぜんぜん車を前には走らせてくれないだろう。

 そこで、タイヤには摩擦力の高い「ゴム」が使われている。動くときも止まるときも、タイヤの摩擦が重要だ。ふつう、車を止めるときは、タイヤの回転を完全に止めてしまうのが一番いいと思うよね。

 ところがそうじゃない。タイヤを完全に止めてしまうと、道路との摩擦が強くなりすぎて、タイヤのゴムが溶けてしまう。溶けたゴムは摩擦力が落ちるから、結果的に車はなかなか止まらない。

 タイヤがロックする寸前にブレーキを緩め、またブレーキを強めてを繰り返し、最大の摩擦力を常にキープできれば最高なんだけどな。そんな高度な運転を、ふつうの人に求めるのは不可能だ。

 そこで自動車メーカーや、部品メーカーの技術者は考えた。コンピューターにやってもらえばいいじゃないかと。それがアンチロック・ブレーキの考え方だ。

 具体的には、運転者はただただ、ブレーキペダルを思いっきり踏み込めばいい。あとはコンピューターが速度とタイヤのロック状態を解析して、タイヤがロックしたと思ったとたん、勝手に油圧ブレーキの力を弱めてタイヤのロックを解除してくれる。ロックが解除されると、また油圧の力を強めてタイヤを止めようとし、ロックしそうになると、またまた油圧を緩めて……を、何度も繰り返してくれる。運転者に高度な技術は必要なく、車は最短距離で止まる。

 もっともABSが登場した初期のころは、コンピューターがおバカさんで、かえって車が止まらないなんて、こわーい現象も起きたようだけど、いまのABSに、そんな不具合はない。プリウスだってABS自体に問題はない(※注 文末に追記があります)。

 プリウスは、さっき話したとおり、回生ブレーキという発電システムを持っている。プリウスの運転者も、車を止めるときは、ふつうにブレーキを踏む。ところが、最初の段階では(強く踏まないと)油圧ブレーキは作動しない。プリウスは、まず回生ブレーキで発電をしようとするんだ。

 とはいえ、最後の最後で、ピタッと車を止めるには、いままで通り油圧ブレーキを使う。車が十分に低速で、路面が滑りやすくなければ、タイヤをロックさせるのが一番制動力が強いからね。だからプリウスは、運転者のブレーキを踏む力と、じっさいの車のスピード、そして路面の滑りやすさなど、いくつかの条件を解析して、最適と思えるタイミングで、回生ブレーキから油圧ブレーキへ、システムが切り替わるようにできているんだ。

 書いてるだけでも複雑なシステムだけど、現代のコンピューターは、これらの処理を一瞬のうちにやってのける……と思いきや。ここに落とし穴があった。

 そう。トヨタは、最後の最後まで認めたくなかったようだけど、回生ブレーキと油圧ブレーキの切り替えを制御するプログラムに不具合があった。

 具体的には、低い速度で、弱いブレーキをかけているとき、運悪く道路が滑りやすい状況だと、回生ブレーキから油圧ブレーキの切り替えがうまくいかず、時間にして1秒弱、距離にして数メートルから数十メートルも、ブレーキが利かない状態で空走してしまうらしいんだ。

 なぜ、そんな不具合が起こるかというと、先ほど説明したABSの介在が問題らしい。とくに路面が滑りやすい状況だと、ABSはタイヤをロックさせないように、油圧ブレーキの力を弱めようとする制御が強く働く。

 そのとき、プリウスは油圧ブレーキではなく、回生ブレーキで速度を落としていたとしよう。制御コンピューターが、そろそろ回生ブレーキから油圧ブレークへ切り替えようとした瞬間、たまたまABSの制御が働いていて、油圧ブレーキが利かない状況になっていたらどうなるだろう?

 運転手はドキッとするはずだ。それまでは、回生ブレーキの働きで順調に速度を落としていたプリウスが、ブレーキを踏んでいるのに、急に止まらなくなってしまうのだから。

 ちなみに、運転者には、プリウスがいま回生ブレーキを使っているのか、油圧ブレーキを使っているのかはわからない。さらにABSが働いていることもわからない。なにもわからないまま、ブレーキだけが利かないように感じてしまうのだ。この経験をした人の話によると、かなり「怖かった」そうだ。

 そりゃそうだと思うよ。ブレーキの踏み込み加減と車速には、決定的な相関関係があるはずなのに、それが断ち切られたら、車のスピードと、周りの状況によっては、自分自身の死の恐怖か、あるいは人をはねてしまう恐怖を感じるだろう。幸い今回は低速のときにしか起こらない現象なので、死亡事故などは起こっていない。

 こう言う状況を、トヨタは十分に把握していたはずだ。なのに、なんとかリコールという重い処置には踏み込まない方法を考えていたようだ。営利企業としては、損失を最小限に抑えたいという衝動に駆られるのは致し方ないけど、それにしても、やることがお粗末すぎた。

 というのは、トヨタが問題の現象と原因を発表する前に、社外の専門家によって現象も原因も把握され、自動車雑誌に発表されてしまったんだ。トヨタ自身による発表は完全に後手になり、外から指摘されてトヨタも渋々認めた……という構図になってしまった。

 トヨタほどの企業が、なぜ迅速なマスコミ対策をしなかったのか不思議でならない。これが大企業病なのかとも思う。カイゼンのトヨタですら、改善できなかった大企業病とは、なんと恐ろしい病であることか……

 一度失った信頼を取り戻すのは、トヨタという世界企業ですら、かなり難しいだろう。豊田社長は記者会見で「Believe Me(信じてほしい)」と言ったけど、彼を信じられる日は、まだ少し先になりそうだ。

 この教訓を生かして困難を克服し、また世界のトヨタと呼ばれる日が来ることを心から願っていますが……会社が大変だからって、いままで以上に下請けの業者を虐めないでね、豊田さん!


※注 2010年2月10日 プリウスのリコールについて追記
このエッセイを書いた2月8日には、詳細が明らかにされていなかったプリウスのリコールについて、トヨタは2月10日に記者会見を行った。その会見によって、ABSにも問題があることが報告されたので、ここに追記させていただきます。

会見では、ABSについて、以下の不具合が報告された。

ブレーキペダルの踏力をそのまま維持した場合で、制動力が回復するまでの時間が通常のABSは0.4秒のところ、プリウスの場合0.46秒かかる。仮に12.3mのところで停止しようとした場合、制動の遅れを取り戻すためには、ブレーキをより強く踏み増す必要がある。この踏み増す量が、通常のABSでは10N(ニュートン)のところ、プリウスではさらに5N強い15Nほどの踏み増し力が必要となる。また、そのまま踏み増しをしないでいると、通常のABSでは60cmオーバーランするのに対し、プリウスではさらに70cmオーバーランするそうだ。

回生ブレーキと油圧ブレーキの制御についても、新しい情報がもたらされた。新型のプリウスでは、ブレーキペダルのフライバイワイヤーも、通常の油圧へ切り替えるというシステムを採用していたそうだ。(正確には、ブレーキペダルにつながったシステムと、姿勢制御装置(VSC)が働いたときに使うシステムの二種類があるそうだ)

そもそもフライバイワイヤーとは、ペダルの操作をセンサーが読み取って、いったん電気信号に変え、その信号をもとに、電気式ポンプを動かして、じっさいのブレーキなどを操作する技術だ。航空機などに使われている技術ですな。

で、新型のプリウスは、このフライバイワイヤーを、通常の油圧へ切り替えるシステムも入れたんだそうだ。なぜかというと、フライバイワイヤーだと、自然なペダルフィーリングじゃないという旧型ユーザーからの指摘を受けて、改善のつもりでやったんだそうだけど、今回の問題を受けて、旧型と同じく、フライバイワイヤーだけでブレーキを操作する方式に戻すそうだ。

トヨタの発表を、もうちょっとだけ専門的に書くと、ABS稼働で回生ブレーキを止めた0.46秒後に、減速感を感じないくらい緩いブレーキしかかからないという問題が発生した。よって、その対策として、VSCの時に使う油圧システムを立ち上げて、ブレーキが利くまでのタイムラグを解消する。ということらしい。

以上、先のABSの不具合と、ブレーキペダルの制御プログラムの問題が合わさって、ブレーキの「抜け」現象が起こると、トヨタは説明した。さらに、いままでの「安全に問題はない」という発言は言い過ぎだったが、基本的に、踏み増せば止まるという説明に間違いはないので、リコールを受ける前に、ブレーキの抜け現象に遭遇したユーザーは、ブレーキペダルを強く踏んで停止して欲しい。と、トヨタは訴えている。


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