終わらせるもの


 前回、『日本語変換の憂鬱』と題したエッセイで、ジャストシステムの経営がやばいんじゃないかと心配した。その四日後(12月8日)に、ジャストシステムが新製品を発表した。言うまでもなく、一太郎とATOKの新バージョンだ。

 経営が苦しいのは事実だろうけど、ちょっと一安心。

 ところで、その新製品発表会の場で、グーグルの日本語変換についても質問が飛んだようだ。彼らの答えは、意外にも「ウエルカム」だった。グーグルの日本語変換は、無料というATOKが太刀打ちできない特徴がある。有料が、無料と対抗するのは大変だろうとふつうは思うが、いままでだってOSのオマケ(無料に感じられる)と競合していたので同じことだ。と彼らは言うのだ。なるほど。そりゃそうだ。

 でも、だからって「ウエルカム」じゃないだろう?

 いや、彼らが言うには、グーグルの日本語変換は、無料ではあっても、オマケではない。グーグルの日本語変換を使うには、ユーザーが、積極的にインストールしなければならないのだ。ここが「ウエルカム」だと言うんだよ。

 つまり、いままでは、日本語変換がオマケだったから、ユーザーはその存在を意識せずに使っていた。ところが、グーグル日本語変換の登場で、その存在がもっと認知されるようになれば、ATOKにとっても、悪いことではないという理屈だ。

 うーむ。その言い分にも一理あると思うけど、なーんか危機感が足りないなあ。マイクロソフトなんか、あれほど巨大で、あれほど成功している企業なのに、グーグルに脅威を感じていることを隠そうとしない。必死にYahoo!を買収しようとしたり、検索エンジンを開発したり、さらにはMS-Officeの機能を、オンラインで利用できるようにとさえ模索している。

 なのにジャストシステムは、グーグルを脅威と感じるどころか、ウエルカムなんだってさ。大丈夫かよ、ジャストシステム。そんな優等生みたいなこと言ってて。だいたい、グーグルのおかげで、日本語変換に注目が集まるとうれしい……なんて態度が情けない。ジャストシステムを応援したいと思って、使いもしない製品まで買っている身としては、彼らの余裕ぶっこいた発言に、苛立ちさえ感じる。

 でもまあ、せっかく新しいATOKを発表したんだから、ちょっとだけ宣伝に加わろう。

 こんどのATOK2010は、いままでも搭載されていた文脈の判定機能が、さらに強化されているようだ。文脈の判定とは、その人が書いている(あるいは書いた)文章を解析して、同音異義語を適切に処理しようという試みだ。

 ここで言う文脈の判定とは、ごく単純に言うと、音楽を「聴く」のか、薬が「効く」のかというような同音異義語の処理のことだ。ATOK2010では、新アルゴリズムを採用して、変換精度がさらにアップしているらしいよ。

 ところが、ここでもグーグルの影がちらつく。グーグルの日本語変換も、設計思想としては似ていると思うんだよね。グーグルは、世の中すべて(ネット)から、予測すべき事例を拾い集めてくる。ATOKは、あくまでも使っているその人個人の文章だけを対象にする。という違いがあるだけじゃないだろうか。

 自分の文章が、世の中の多数派に矯正されていくのだとしたら、グーグルの方が不気味な感じはする。前回のエッセイでは、そういう趣旨の発言をした。

 でも考えてみれば、ATOKの技術だって、自分がコンピューターに分析されているのだと思えば、背筋が寒くなるなじゃないか。もしかしたら、ATOKの方が怖いかも。むかし流行った管理社会を描いたSFだったら、個人が書いている文章を解析して、危険な反社会思想を持っているヤツを探そうとする政治家が登場するだろう。

 なんてことを考えてしまうほど、コンピューターの技術は発展しているってことなのかな。基本的には、ありがたいことだ。それで便利なことの方が多いんだから。

 そう言えば、ジャストシステムの代表を、突然辞任した浮川氏にも、新しい動きがあった。ジャストシステムが新製品を発表した翌日(12月9日)、新会社「株式会社MetaMoji」を設立したそうな。ニュースリリースにはこう書かれている。

 新会社MetaMoJiは、先進的なIT技術をベースとし個人や組織の活動から製品やサービスまで多様な情報の革新的な知識外化(みえる化)システムの研究開発、さらにそれらを基盤とした多方面にわたる知的コミュニケーション・システムを研究開発し、その成果を 事業化することを目指します。
 また株式会社MetaMojiは、株式会社ジャストシステムより下記の事業譲渡を受けました。 今後はこれらの研究開発と事業を継続しさらに発展させていきます。

− XBRL(eXtensible Business Reporting Language)に関する技術、
 アプリケーション開発、XBRL製品
− オントロジーに関する研究開発と基本オントロジー辞書およびアプリケーション開発
− 大阪大学産業科学研究所溝口教授との共同研究である機能オントロジーに関する
 研究と機能オントロジー構築システムの開発
− XMLサーバーアプリケーション開発環境「PXL」の開発

 さらに新会社MetaMoJiは今後、様々な技術、ノウハウ、知見を有する個人や企業、研究機関との協業や共同研究を積極的に推進していきます。

(原文ママ)


 これを読んでも、なにをする会社なのか、サッパリわからないけど、ジャストシステムから譲渡された事業という部分が、謎を解くカギだ。そこには、XBRL(企業の財務諸表などを記述するためのXMLベースの言語)に関する技術、オントロジー(概念化の明示的な仕様)の研究開発事業、XMLサーバーアプリケーション開発環境などの技術だと書かれている。

 さらにわけがわかんない感じだが、察するに、日本語処理の技術を、もっとデータベースとして強化するということだろうか? 浮川さんの会社設立挨拶も合わせて読むと、言語処理の技術をベースにして、人間の思考を分析し、統計や分類を行うシステムの開発を目論んでいるように見受けられる。

 しかしそれは、彼が10月まで代表を務めていた、ジャストシステムでやりたかったことじゃないだろうか。そう言えば浮川さんが、ATOKで培った言語処理のさらなる革新(それこそ人間の思考さえも分析できるような)が夢だと、なにかのインタビューで語ったのを読んだ記憶がある。

 でも現実は厳しい。会社を黒字にできない社長に、これ以上、夢を追いかけることは許されなかったのだろう。

 ジャストシステムでできなかったことが、新会社を作ってもできるわけがないのか、それとも旧体制の頸木から解放されて、夢の実現に近づくのか……ぼくにはわからない。

 わからないけど……もしかして、もしかすると、言語処理のさらなる革新を成し遂げることができるのは、浮川さんの新会社でも、ましてジャストシステムでもなく、グーグルじゃないだろうか。彼らこそが、日本人による日本人のための日本語処理技術の開発を終わらせるものかも知れない。

 もし、それが現実になったとき、ジャストシステムは、まだ「ウエルカム」と言うのだろうか?

 なんて皮肉を、ぼくのようなシロウトに言われることがないよう、ジャストシステムには(浮川さんの会社も)、いまから危機感バリバリで事業に取り組んでいただきたいと切に願う今日この頃なのであった。

 たとえ、彼らの技術が、不気味なSF世界を体現させるものだとしても……


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