ダーウィンの見なかった夢2
退化も進化


 以前「G10写真紀行(大げさ)」というエッセイに書いたとおり、ぼくはキヤノンのG10というコンパクトデジタルカメラを愛用している。ぼくは写真を撮るプロフェッショナルだから、もちろん仕事ではべつのカメラを使っているけど、写真を趣味として撮るときは、G10を持ってでかける。G10最高。G10大好き。カメラらしいデザインといい、写真好きのかゆいところに手が届く機能といい、そして肝心の写りといい、ぼくの個人的な意見では、現在販売されているコンパクトデジタルカメラの中で、最高の一台だと思う。

 ところが!

 ついに恐れていたことが起こってしまったのだ。なんと、キヤノンが発表したんですよ。G10の後継機種を。その名もG11。うーむ。頭文字のGを小文字のgにしてg11と書いたら、まるで無線の規格みたいだな。だからG10の方がカッコいいのだ!

 なんて無理矢理なこと言ってますが、キヤノンのニュースリリースを読む限り、G10よりもさらによくなってる! まあ、当たり前だけど……(クスン)。

 でも、ニュースリリースを読むと、おや? と思う部分もある。G10は、約1400万画素なんだけど、新しいG11は、約1000万画素なんだ。なんと400万画素も減っている。

 なんでだ? それって退化ではないのか?

 いやいや、じつはそうではないのだけど、デジカメの種明かしはあとにして、いまは進化論の話をしよう。

 前回のエッセイでぼくは、われわれ一般人も「進化」という言葉を、ダーウィン的に使っていると書いた。たとえば、最新のデジカメは、二年前のモデルより進化しているなんて具合に。たしかにこの用法はダーウィン的だけど、じつは現代の生物学では、ダーウィンの時代とは、進化という概念が少し違っている。こんなことを言うと、不思議に思われるかも知れないけど、現代の生物学では、進化には「退化」も含まれているんだ。

 つまり進化とは、生物が長い時間をかけて変化していくことなのであって、機能的に退化と思える変化も、それは進化の一例なんだ。だから、現代の進化論的見地では、最新のデジカメは、二年前のモデルよりも「進歩」していると書いた方がより正しい。

 え? さっそく頭が混乱してきたって?

 オッケイ、じゃあこのエッセイで、ゆっくり説明していこう。そのためには、いつもの通りタイムマシンに乗らないといけない。さあ、準備はよろしいか? 向かう先は1853年のオーストリア、ブリュンだ(現在はチェコのブルノ)。

 ブリュンの修道院に、グレゴールという修道士がいた。グレゴールは修道名で、彼の本名はヨハン・メンデル。正式には、修道名をつけて、グレゴール・ヨハン・メンデルと呼ばれる。

 メンデル。聞いたことあるよね? ダーウィンのような知名度はないけど、生物学に大きな貢献をした人物だよ。だって彼は、はじめて遺伝子という概念を生物学に持ち込んだのだから。

 メンデルの時代以前も、遺伝現象は知られていた。そうじゃなければ、植物の交配を工夫して、品種改良しようなんて思う人はいない。メンデルの時代どころか、はるか太古から、人類は植物も動物も品種改良してきたんだからね。

 万有引力の法則を知らなくても、落とした物が地面に落ちるのは、原始人だって知っていた。それと同じで、似たような植物同士、あるいは似たような動物同士を、適当に掛け合わせれば、なんか新しい植物なり動物なりができちゃうのを、人類は知っていたのだ。

 でも人類は、遺伝がなぜ起こるのかを知らなかった。それはダーウィンも同じだ。彼は生物が常にランダムな変化を起こしていると考えたけれど、そのわけを説明することができなかった。遺伝子を知らなかったから。

 さあ、お待たせしました。メンデルに登場してもらおう。1822年に農民の子として生を受けたメンデルは、21歳の時にアウグスチノ派の修道会に入った。彼の入った修道会は学術的な研究が盛んに行われていて、メンデルもその環境の中で、自然と教師になることを目指していたようだ。

 ところがメンデルは、それほど優秀ではなかったらしく、教師の資格試験に落ちた。そのあと29歳の時にウィーン大学に留学して、生物学と統計学に興味を持つようになったようだ。統計学の方は、たぶん当時ウイーン大学にいた、かの有名なヨハン・クリスチャン・ドップラーの影響だろう。

 で、2年の留学生活を終えて、修道院に戻ったメンデルは、修道院の庭にエンドウマメの種をまいた。遺伝の実験を行うためだ。彼が行った遺伝の実験には、統計学がとても重要だった。さっき話したとおり、これは偶然ではない。メンデルは自分が興味を持っている数学の分野と、やはり興味を持っている生物学の分野を、同時に満たせる対象として、遺伝の法則を探すことを選んだんだ。

 ところで、なんでエンドウマメなのかというと、エンドウマメは人間の干渉に逆らわない従順な生物で、思い通りに受粉させることができて、交配をコントロールするのが容易なんだ。さらにエンドウマメは自家受粉させることができる。二つの親を必要としないので、実験を単純化することができる。

 ちょっと待て。実験に使うのに都合がいいほど、簡単に交配種が作れると言うことは、そもそもエンドウマメは、かなり品種改良が進んでいたんじゃないだろうか?

 その通り。メンデルは種商人から、34種類ものエンドウマメの種を買い込んできて、それらを全部育てて、形質が安定しているものを探し出すことからはじめなければならなかった。その作業に2年も要したんだ。

 これは、とても重要なことだ。メンデルが探したのは、現代の生物学でいうところの「純系」なんだ。それは、ごく簡単に言えば、混じりっけのない種のことだ。純系を用いないと、どのマメの、どの形質が、どういうパターンで遺伝したのかという、正確な統計がとれない。そもそも実験とは、その内容を完全に把握して、完全にコントロールできる状況でないと、うまく機能しないんだ。

 そんな努力の甲斐あって、メンデルは多くの重要な発見をした。中でも、もっとも重要な二つの発見について話そう。

 ひとつ目は、形質は混ざらないという発見。黒と白を混ぜると灰色になるけど、遺伝ではそう言うことは起こらない。メンデルがやった実験は、黄色いマメと緑のマメを掛け合わせる実験だ。結果は、すべて黄色いマメだった。緑っぽい黄色のマメができることはなく、さらに緑のマメが、いくつか混ざるということもなかった。

 ところが!

 雑種第一世代では、緑のマメが消えてしまったように思えたのに、雑種第二世代では、また現れることを発見した。これが第二の発見だ。一度失われたと思った形質が、薄まることなく、ふたたび出現したのだ。

 これらは、「メンデルの遺伝の法則」と呼ばれていて、現代の生物学でも、彼が発見したとおりの原理が、なんら修正されることなく、そのまま通用する。

 ここで重要なのは、メンデルの遺伝の法則は、エンドウマメにだけ通用するものではなくて、植物すべてに、いやそれどころか動物にも当てはまるということなんだ。動物の場合は、絡み合う要素が多すぎて、わかりにくいけど、よくよく調べていけば、メンデルの遺伝の法則の通りになっているはずだ。人間だって、親には似ていないのに、祖父や祖母には似ているなんてことはよくある話だよね。隔世遺伝なんて言葉を、みんなも使ったりするはずだ。ともかく、メンデルはとてつもない発見をしたんだ。

 え? そんなにすごいの?

 と、思うかも知れないけど、本当にすごいんだってば。ダーウィンならば、その重要性に気づいたはずだ。ダーウィン自身は、形質の遺伝は、ジェミュールというきわめて微少な粒子によって、親から子へ受け継がれると考えていたが、メンデルの発見の方が、はるかにエレガントで、さらに純然たる「事実」という最大の魅力がある。ところが、進化論研究者ではないメンデルは、自分の発見が、世界を変えるほどの驚きに満ちているとは思いもよらなかった。

 それでもメンデルは、自分の研究を発表したいと思った。悲しいかなシロウト研究者の彼には、自説を発表する有効な手段がなくて、当時の権威者に頼ることにした。

 メンデルが選んだ相手は、スイスの植物学者で、当時ミュンヘン大学の教授だった、カール・ヴィルヘルム・フォン・ネーゲリだ。メンデルは彼に論文を送って、お墨付きをもらおうと思ったのだ。

 ネーゲリを選んだのは、一見悪くない選択のように思える。彼はドイツの自然哲学者を名乗る集団の一派で(自然哲学がなにを意味するのかぼくは知らないけど)、ネーゲリ自身は、観察とその報告については、とても優秀な生物学者だ。しかもダーウィンの理論の欠点を知っていて、生物がランダムに変化する理由、そして自然選択が起こる理由、つまり、進化が推進される機構を解明するのに熱心だった。

 そのネーゲリの元に、メンデルの論文が送られてきたのだ。この瞬間、彼だけが答えを手中に収めた。ダーウィンの進化論に熟知し、そのうえメンデルの遺伝の法則まで知ったのだから、この二つを結びつければ、真に機能しうる進化論を確立できるはずだ。ネーゲリは、その幸運を手に入れたのだ。

 ところが……

 ネーゲリは、理論を構築し、広範囲な知識で体系を組み立てるという才能をまったく持っていなかった。探し求めていた、ダーウィンの理論の欠点を埋める答えがメンデルの論文に書かれていたのに、なんと、それを見落とすどころか、メンデルの研究を一笑に付して、あんたの研究にはなんの価値もないという短い文章を付けて送り返した。

 なんたることか!

 メンデルは、ネーゲリの返事に打ちのめされた。でもね、ネーゲリの肩を持つ気はないけど、彼にも情状酌量の余地はある。自然哲学などという曖昧で空虚な思考回路の持ち主に、生物学でありながら、数式で満たされていたメンデルの論文を理解しろと言う方が無理だ。メンデルは相手を間違えたのだ。

 メンデルは1866年に、「ブリュン自然科学会誌」というマイナーな季刊誌に論文を発表したのだけど……ああ、哀れなメンデル。彼の論文はだれの支持も得られず、まったく注目されることなく歴史の中に埋もれていった。

 このことがキッカケとなって、メンデルは二度と植物の研究に戻ることはなかった。まあ、修道院での地位が上がって、研究どころじゃなくなったのも事実だけど、研究への情熱を失わなければ、違う未来もあったろうに。

 メンデルとダーウィンは、自分たちの研究が、将来結びついて、生物学を支配するほどの影響力を持つとは夢にも思わずにこの世を去った。ダーウィンは1882年。メンデルは、その2年後の1884年に没している。そしてネーゲリは、幸いにも自分の愚かさに気づくこともなく、1891年に他界した。

 しかしまあ、歴史ってのは皮肉なモノで、ネーゲリが死の床に伏せっている、まさにそのころ、オランダの植物学者、ユーゴー・マリー・ド・フリースが、進化は「突然変異」と呼ばれる変化によって、劇的に推進されるという理論を組み立てていた。彼は突然変異した植物を育ててみて、その突然現れた形質が、交配したほかの植物とは混ざらずに、また薄まることもなく受け継がれることを発見した。

 あれ? それってメンデルの法則じゃないか!

 さらに、ほぼ同時期に、ドイツの植物学者カール・エリッヒ・コレンスと、オーストリアの植物学者エリッヒ・チェルマックも、それぞれ独自に同じ研究をしていた。彼ら三人が、メンデルと同じ結論に至ったのは、1900年のことだった。

 いよいよ論文を発表しようという段になって、彼らは、過去に似たような論文が発表されていないか調べてみる気になった(最初から調べておけばよかったのに)。そこで彼らは、例のマイナーな季刊誌を手に取ったのだ。そして、自分たちより30年以上も前に先駆者がいることを知った。無名の修道僧メンデルが。

 その後、彼らの取った行動も同じだった。三人が三人とも、自分の研究の名誉を守ることに固着せず、無名の修道僧が発見したことを「確認」したと発表したのだ。なんという潔さ。歴史に埋もれていたメンデルの名は、メンデルの遺伝の法則として、科学史に残ることになった。しかしみなさんには、誠実な三人の科学者がいたことも、覚えておいていただきたい。

 さあ、それはそうと、ついにお膳立ては揃った。どうやら、遺伝という情報には、なにか物理的な実体がありそうだ。

 われわれは、その実体が「DNA」だと知っている。それは細胞の核の中で寄り集まって、ひとつの塊になっている。その塊のことを、われわれは染色体と呼んでいる。

 じつはDNAの発見は以外と早かった。1869年には、スイスの生理学者フリードリッヒ・ミーシャーが、ヌクレインという名で発表した。当時はそれが、遺伝に関わる物質だとはわからなかったんだ。まあ、メンデルの法則がまだ知られていないころだから、それも仕方ない。

 そのあと、アデニンやグアニンなどの、核酸を構成する塩基が発見されていって、1944年、ついにカナダ生まれのアメリカ人医師、オズワルド・セオドア・アベリーが、DNAこそ遺伝子の実体であることを突き止めた。さらにその9年後には、アメリカの分子生物学者ジェームズ・デューイ・ワトソンと、イギリスの生物学者フランシス・ヘンリー・コンプトン・クリックが、DNAの二重らせん構造を発見した。

 こうしてわれわれは、ついに「ゲノム」という考えに至ることになる。ゲノムとは、遺伝情報の全体を表す言葉で、英語では「genome」と書く。これは、gene(遺伝子)と chromosome(染色体)を合成した、融合語なんだ。

 わかりやすく言うと、ゲノムは遺伝の情報がすべて書かれた本みたいなもんだ。そして遺伝子とは、その本の中で、まとまった意味を持つ文章のことだ。ながーくつながったDNAのある一部が、なにかの意味を持つとき、そこを「遺伝子」と呼ぶわけだ。

 ところが、DNAの二重らせん構造まで判明しても、われわれは、まだダーウィンの考えから抜け出ていなかった。すなわち、変異と自然選択によって進化が進むという考え方だ。

 しかし、1968年になって、ついに進化論の根本原理に新しい概念が加わった。その革命的な考えをもたらしたのは、日本の遺伝学者、木村資生(もとお)だ。

 木村以前は、自然選択には二種類あると考えられていた。ひとつは正の自然選択。これは生存に有利な変異が現れたとき、つぎの世代に受け継がれていく。しかし、変異はいいことばかりとは限らない。もしかしたら、生存に不利な変異が出ることもあるわけで、そういう変異をした個体は排除されていく。つまり長くは生きられないってわけだ。そういう場合を、負の自然選択と呼ぶ。

 ダーウィンは、正の自然選択だけを考えた。負の自然選択は、ただ自然界から消えていくだけなので考慮する必要はない。まあ、そりゃそうだな。正の自然選択こそが、進化の原動力なのだ。進化に寄り道はない。

 しかし、本当にそうなのだろうか? これほど複雑で多様性に富む自然界の生物が、白か黒か、プラスかマイナスかという単純な分け方で決まるモノなのだろうか。

 そこで木村は考えた。分子レベルの変異では、生存に不利なモノをのぞけば(それは負の自然選択なので、ダーウィンが考えたのと同じく考慮する必要はない)、じつは、生存に有利でも不利でもない、中立的な変異がほとんどなのではないか。そりゃあ中には、有利な変異もあるだろうが、そんな都合のいい変異は宝くじに当たるようなもんで、簡単に起こるわけがない。だから生存に有利な変異は、無視できるほど少ないはずだ。

 木村の言う中立な変異とは、遺伝子の中にその変異が現れても、作られるタンパク質の機能にほとんど影響を与えないとか、遺伝子そのものがすでに機能を失っていて、そこに変異が生じても、なにごとも起こらないとか、そういう意味だ。

 でも、それが事実だとしたら、大きな疑問が浮かぶ。中立な変異には、遺伝的な意味はないので、つぎの世代に受け継がせる意味もないってことになる。そんなあやふやなモノは、そもそも遺伝しないんじゃないか。それでも遺伝するとしたら、どのようにして世代を超えて受け継がれていくのか?

 木村はここでも新しい考えを導入した。それは「偶然」だ。ある変異遺伝子は運悪く消えていくが、ある変異遺伝子は、運よく集団に広まって定着する。そのような遺伝子の振る舞いを「遺伝的浮動」と呼び、木村はそういう考え方を「幸運者生存」と表現した。

 なに? 進化の原動力は「偶然」だって? おいおい、嘘だろ! 進化に寄り道はないどころか、寄り道だらけだなんて信じられない。

 そう。ダーウィンが種の起源を発表したとき、進化論に対して、はげしい反発を受けたように、木村の中立説もはげしい反発に直面した。その後、分子生物学の実験、観測の技術が向上するに従い、中立説を支持する証拠が多く発見されるようになった。中立説が、どこまで拡張できるかは、まだ未知数だけど、分子レベル(遺伝子レベル)に限れば、中立説は正しいと言えそうだ。

 しかし、もうひとつ疑問が生じる。中立の変異は、形質に影響を与えないのだから、それが偶然(幸運)によって広まっても、けっきょく進化とは関係ないんじゃないか?

 まあ、そうかもしれない。でも、もしかしたら機能に関係ない中立の変異が積み重なって、いつしか、それが機能を発揮するのかも知れない。中立の変異は、負の自然選択にさらされて消えることはないから、それが必要になるときまで、いつまでも遺伝子の中で眠って待つことができる。事実、そうして機能が発揮された例も、見つかっている(たとえば人間の網膜が光の三原色を感じるようになった理由とか)。だから、中立の変異が、変化の原動力と考えてもいいんじゃないか? そのように考えて研究している科学者もいるけど、まだ主流ではないようだ。現在は、分子レベルでは中立の変異が、そして目に見える形質の変異は、以前としてダーウィン的な正の自然選択が、進化のエンジンだと考えられている。

 ちなみに木村は、中立説を提唱した功績により、生物学における世界最高レベルの賞、ダーウィンメダルを受賞した。木村が日本人としてはじめてであり、また2009年現在において、まだ唯一の受賞者なんだ。日本人が、また受賞できるといいね。

 いままでの話をまとめてみよう。

 ダーウィンによってもたらされた進化の概念は、アインシュタインの相対性理論のような難解さとは違い、一般人にも理解できる、素朴とさえ言える理論だった。それからメンデルが遺伝を統計的に調べて、曖昧さを排除した。さらに遺伝の実体がDNAと判明し、日本人の木村が中立説を考え出して、ダーウィン時代の素朴だった進化の概念が、革命的に拡張した。進化論は、こんな流れで進歩してきたわけだ。

 ここで少し趣向を変えて、地球に生命が誕生してから、現代に至るまでの生物の進化を見てみよう。

 進化論では、最初の生命がどのようにして生まれたのかはわからない。べつのアプローチからの推察では、たぶん生命の材料であるアミノ酸や塩基が太陽のエネルギーによって作られ、あるいは彗星や隕石によって地球に運ばれてきて、最初の原始的な生命が38億年ほど前に誕生したのだろう。

 その最初の生命は、どんなモノだったろう? それもわからない。タンパク質だったのか、それともRNAだったのか、まだ議論に決着はついていない。

 しかし、どちらの説も、どこかの時点で、生命はRNAとタンパク質の両方を持ったと考えている。まあ、そりゃそうだ。遺伝子とタンパク質があって、はじめて生命らしい生命と言えるわけだから。

 そして、その後、ついにDNAを持つ生物が生まれた。いま地球上にいるすべての生物の「共通先祖」だ。それが具体的にいつで、そいつは、どんな生物だったかは、わからない。でも、地球上の生物は、例外なくDNAを持つのだから、最初のDNA生物が、われわれの共通先祖なのは間違いないんだ。

 そして、これまた、いつ起こったのかわからないのだけど、どこかの段階で、生物は爆発的に遺伝子を増やしたらしい。つまり、より複雑な遺伝情報を蓄えるための準備を整えたんだ。

 さあ、この辺からやっと進化論を交えた話ができる段階になる。おそらく10億年ほど前に、二回目の遺伝子の爆発的誕生が起こった。その遺伝子の増加によって、生物はついに多細胞生物へと進化した。

 そして、5億4000万年ほど前に、カンブリア爆発と呼ばれる、生物の爆発的な多様化が起こった。じつは、それ以前には動物は地球上にほとんどいなかったんだ。ところが、カンブリア爆発のときに、いま地球上にいる動物の先祖が、ほとんど誕生した。

 どうやら、10億年前に得た多くの遺伝子を、このころになって、やっと様々な形で活用できるようになったのが、形態の多様化につながったようだ。たとえて言うなら、同じ木材から、犬小屋も造れれば、江戸城まで造れるのに似ている。同じ遺伝子セットでも、使い方が違えば、まるで違うモノになっちゃうわけなんだよ。生物は江戸城を造れる材料を持ちながら、犬小屋しか作ってこなかったんだ。カンブリア爆発のそのときまでは。でも、なぜ急激にそれが起こったのかはわからない。(もしかしたら、中立の変異の蓄積が、このときに爆発したのかも?)

 そしてそして、生物は三回目の遺伝子の爆発的誕生を迎える。それが5億年ほど前だ。このときは、脊椎動物に特定の組織だけで働く遺伝子が爆発的に誕生した。

 ん? 脊椎動物だけだって? 人間も脊椎動物だよな?

 そう。人間につながる先祖が、このとき生まれたのだ。この5億年前の爆発的な遺伝子の増加が、現在知られている遺伝子増加の最後だから、ここに起源を持つ動物、つまり脊椎動物の遺伝子は、どれも驚くほどよく似ている。人間とニワトリの遺伝子も、比べてみれば、そんなに違いがないのは、この5億年前を、共通の起源としているからなんだ。

 でも、人間とニワトリじゃあ、天と地ほどの違いがあるじゃないか。うん。そうなんだけどね。遺伝子という遺伝情報を伝えるための材料は、本当にほとんど変わらないんだよ。ところが、使い方が違うんだ。同じ木材で、犬小屋と江戸城を造るたとえを思い出してほしい。

 なーんて言うと、人間の方がニワトリより優れているように聞こえちゃうな。まあ、それは考え方しだいだ。生物としての代謝、つまり餌を食べて、それを消化し、さらに細胞の中で燃焼して身体を動かすという活動においては、人間とニワトリに大差はない。でも人間は、すべての動物の中で、もっとも発達した脳を持っていると考えれば、ニワトリよりも優れていると優越感に浸ることもできる。

 じゃあ、原始的な脊椎動物が、ヒトになったのはいつだ?

 先ほど話した中立説は、形質の変化に関係ない変異(つまり生存にとって、有利でも不利でもない変異)が、ある一定の確率で受け継がれていくと考える。この理論を基盤にすると、遺伝子や、それによって作られるタンパク質には、生物の種類に関係なく、一定の変化が時間と共に蓄積していくはずだ。つまり、遺伝子やタンパク質には、変異の年輪が刻まれているはずなんだ。

 そのような年輪を「分子時計」と呼ぶ。近隣の種で、この分子時計を比較すれば、それらの種が、どこで分岐したのかという系統樹を描くことができる。たとえば、人間とチンパンジーを比較すると、彼らとは500〜600万年前に、共通の先祖から枝分かれしたと考えられるんだ。おそらく、その時期から、ヒトがヒトとしての進化をはじめたのだろう。

 化石からのアプローチでは、2001年にアフリカ、チャドのトロス・メナラ遺跡で発掘された「サヘラントロプス・チャデンシス」が、もっとも初期のヒト科動物と考えられている。こいつはすごいよ。ヒトがチンパンジーと分化する前に、すでにヒトに近い動物になっていて、頭蓋骨底部の詳細から、二足歩行をしていた可能性さえ指摘されている。

 えーなんで? ヒトより前に、ヒト的な動物がいたってこと? いや、正直言ってよくわからない。分子時計の推定には幅があるし、化石からの推察も、完全とはほど遠い。

 でも、ほぼ間違いなさそうなことで、もっと驚くべきことがある。

 じつは、サヘラントロプス・チャデンシスが絶滅したあとに現れたヒト科の動物は、どうも先祖帰りをしちゃったみたいなんだ。サヘラントロプス・チャデンシスより、400万年も最近の化石(現在から数えると300万年前)、アウストラロピテクス・アファレンシスの顔なんて、ほとんどチンパンジーだもんな。

 このことから、ヒト科の進化……いや、生物の進化そのものが、階段を上るように、より進歩していくだけではなく、機能的には、より劣っているように思える、いわゆる「退化」のような変化もあるんだと考えられるようになった。ただそれは、生物が自然選択(中立説かどうかはともかくとして)の結果で変化したのであって、進化論の観点からすると、そういう退化のような変化も、やはり進化と捉えるんだよ。

 ちなみに、さっきのアウストラロピテクス・アファレンシスは、ヒト科だけではなくてパラントロプス属との共通の祖先だと考えられている。パラントロプス属は、アウストラロピテクスより、さらにヒト的な特徴が減少していて、あごはもっと強くなり、体つきもがっちりして、たぶん、むちゃくちゃ怖かったと思う(苦笑)。アウストラロピテクス・アファレンシスから分化したあと、しばらくヒト科と共存したけど、100万年ほど前に絶滅したようだ。

 で、200万年ほど前になると、やっとホモ・ハビリスが登場する。ホモ・ハビリスは、なんと700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスに似ている。ヒトは空白の500万年を経て、またまたヒトらしく進化したってわけだ。

 しかしホモ・ハビリスは絶滅した。変わって進化したのは、ホモ・エルガステルだ。こいつはさらに、ホモ・アンテセッサーとなり、ホモ・ハイデルベルゲンシスへと進化していく。当時は、ホモ・エレクトスという、たぶんホモ・ハビリスから分化した、べつ系統のヒト科動物がいたが、ホモ・ハイデルベルゲンシスの方が、より高度な道具を作り、より人間的だったようだ。そのせいか、ホモ・エレクトスの系統は絶滅してしまう。

 より人間的なホモ・ハイデルベルゲンシス。たぶん、彼らがアフリカから出た最初のヒト科動物だと思われる。アフリカから出たあとに、彼らはホモ・ネアンデルターレンシスに進化したはずだ。なぜなら、ホモ・ネアンデルターレンシス(いわゆるネアンデルタール人)の化石は、アフリカで見つかっていないから。彼らは故郷を知らないヒト科動物なんだ。

 でも、ネアンデルタール人も滅んだ。彼らより、ずっとあとにアフリカを出たヒト科動物である、ホモ・サピエンスが、ずばりわれわれのことだ。ホモ・サピエンスは、体毛を失った身体を温めるために、服を着るという脳の進化をするまでアフリカに留まり、おそらく、6万から5万年ほど前に、数百人から、数千人規模でアフリカを出たようだ。理由はわからない。新天地を求めてなのか、部族の対立から逃れてなのか……でも、遺伝子に刻まれた分子時計から考えるに、このときアフリカから出たヒト科動物が、いま70億人に達しようとしている、すべての現生人類の共通の先祖なのだ。

 なんてまあ、見てきたように語ってますが、これらは化石と分子生物学からの類推であって、まだまだわからないことも多い。たとえば化石だと、発見されていない未知のパーツが多すぎる。たとえば、サヘラントロプス・チャンデンシスなんか、頭蓋骨とあごの一部しか見つかってないし、分子生物学からのアプローチだって、遺伝子の働きがハッキリわかっているのは、ごくごく一部に過ぎない。

 つまり、進化論は、まだまだ進化の過程にあるわけだ。考えてみれば、まだたった150年だもんな。そうは言っても、ここで紹介できなかった興味深い仮説は、まだたくさんあるから、いつかまた機会があれば紹介するとして、ダーウィンの見なかった夢、そして進化と退化と題した、二部作のエッセイを、とりあえず終わらせてもらうことにしよう。

 ご静聴……違う。ご精読ありがとうございました。


 あ、そうだ。忘れてた。最初に書いたデジカメの謎について解答しておこう。G10というキヤノンのデジカメは1400万画素なのに、その後継機種のG11が、1000万画素に「退化」したわけを。

 以前「デジカメの秘密」と題したエッセイにも書いたけど、デジタルカメラは画素と呼ばれる光を感じるセンサーで、映像を記録している。この画素が多ければ多いほど精細になるのだけど、困ったことに、同じ面積の中に画素を詰め込みすぎると、一つ一つの画素が小さくなってしまう。すると、小さい画素は当然のことながら、光を受け取る面積が小さくなって、画質が悪くなる。

 そこで、デジカメを作る会社は、そのときどきの技術によって、画素数と画素サイズのバランスを取りながら「進歩」させてきた。しかし画素数が多いというのは、とてもわかりやすいアピールポイントなので、デジカメを作る各社は、いつしか画素サイズより、画素数を重視する営業戦略をとってきた。画質がよくたって、売れなきゃゴハンは食べられないのだ。

 でも、ハイエンドと呼ばれる機種は、「わかってる人」が買うわけだから、そう言う人たちは、画素数が減っても、その分、画素サイズが大きくなって、結果として画質が向上すると期待するわけだ。キヤノンは、「わかってる人」の心をくすぐる戦略で、G11を開発したんだろう。ぼくがキヤノンの社長でもそうするよ。非常に正しい営業戦略だ。事実キヤノンは、あれほど1400万画素だ、すごいだろと宣伝していたG10よりも、画素数の少ないG11の方が、もっと高画質だと自信たっぷりに宣伝している。

 くそう。進化論的に言うと、わが愛するG10の1400万画素は、負の自然選択によって、淘汰されたってわけだ。ギャフン。

 え、なに? G10をうっぱらって、G11を買ういいわけを考えてるなって? えーと、それはアレですよ、なんですな、うはは。と、笑ってごまかしておく。ウニャ。


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