サンライズ・サンセット


 残念でした!

 東京の人も、悪石島の人も悔しい思いをしたね。なにって、日食の話だよ。晴れていれば悪石島では皆既日食が、東京でも最大75%ぐらい欠ける部分日食が見れたのに。

 しかしまあ、曇りじゃ仕方ない。日食に伴って、だんだん暗くなる世の中を楽しもうと思ったけど、それもほぼ叶わなかった。75%程度の部分日食では、ほとんど暗くならないんだよ。ほんの少し暗くなった気もしたけど、気のせいだったかも。正直、もっと暗くなるかと思ったけどね。なんでも体験してみなきゃわからないものだ。

 で、肝心の皆既日食は、NHKのライブ中継で見ようとテレビを付けたら……なんと屋久島と悪石島は雨じゃないか! 日食ツアーで行った人は、さぞ残念だっただろう。

 NHKの中継地では、硫黄島とその周辺を航海している船の上から、皆既日食を見ることができた。その船は、日食ツアーのお客を乗せている船で、二日前に横浜港を出発したそうだ。船長は晴れを求めて海図と天気図をにらめっこしながら航海を続け、二日間の間すごいプレッシャーだったそうだよ。でも、ばっちり太陽の下に船を運んで、乗船客を喜ばせていた。さすがプロ。

 船上にいるNHKの若い女性アナウンサーは、少しプロっぽくなかったかも(苦笑)。皆既日食の瞬間、仕事を忘れたように感激していた。「すごーい! こんなの初めて見た!」なんて、素でしゃべってたもん(笑)。硫黄島にもオッサンの解説委員がいて、そのオッサンでさえ、皆既日食で島が闇に包まれた瞬間は、言葉を失っていた。

 しかし!

 テレビの前にいる身として正直に言わせていただきたい。テレビで皆既日食を見ても感動しないよ。皆既日食の写真や映像は過去にも見ているし、そうでなくても、テレビはテレビだ。どこか他人事でしかない。

 だから、もっと地球の風景を見たかったなあ。月の陰に入って、徐々に暗くなっていくさまを。それには、カメラをどこかに固定して、フォーカスと露出も固定し、ずっと流し続けるのがいいと思うのだけど、ぼくが見ていたNHKのライブ中継では、そういう映像は流れていなかった。夕焼けのような美しい風景が、たまに、ちょこっと映るだけで、ほとんどは太陽コロナの映像だった。

 うーん。やっぱり、部分日食でもいいから、自分の頭の上の太陽を直接見たかったよ。次回は26年後ですって? まだ生きてるか。気象庁は、26年後の天気予報を、さっそく発表していただきたい(笑)。

 なんて冗談はともかく、日食なんて現象を目の当たりにして(肉眼では見てないが)太陽についてのエッセイを書かなきゃ、読者さまに怒られるってもんだ。じっさい怒られたので(笑)、あわてて書いてみることにしよう。

 さあみんな。太陽について、どれだけのことを知っている? 正直に告白すると、ぼくは太陽について、あまり多くを知らない。いったい、太陽とはなんだ?

 なに? 地球の生命を育んでくれる、かけがえのない存在だって? いやまあ、それはそのとおり。でも、そんな感傷的なお話は、民放どころか、NKHでさえ恥ずかしげもなく放送していたから、このエッセイでは、クールに科学的な話だけしよう。

 まず第一に、太陽は恒星と呼ばれる星だ。恒星とは、地球のような惑星とは違って、自ら光り輝く星のことだよ。夜空に輝いている星たちの、ほとんどが恒星なんだ。

 そんな恒星の中にあって、太陽はわりと立派なんだよ。以前に「夜空の星よ」というエッセイでも書いたけど、太陽系から近い順に恒星を100個選んで大きさを比較してみると、太陽よりも明るい恒星は、たった二つしかない。

 やっぱり、太陽は特別なんだ!

 いや、そんなことはないと思う。どこか遠くの星に宇宙人がいるとしたら、彼らは、彼らの惑星の夜空を見上げて、ぼくらの太陽を、ちっぽけな輝く点としか思わないだろう。

 だいたい、われわれ人類だって、太陽をずいぶん長いこと不当に扱ってきた。宇宙の中心は地球であって、太陽はその周りをせっせと回る火の玉に過ぎなかったのだから。まあ、その問題については、「ガリレオ先生」と題したエッセイで、四回にも渡って長々と語ったので、今回は別の話をしよう。

 太陽がどれほどありふれた恒星であろうとも、われわれ人類にとって、太陽が、かけがえのないエネルギー源なのはたしかだ。情緒や感情に頼らなくても、それだけは純然たる事実なのだ。

 しかし、それはなぜか?

 理由は単純。近いから。夜空の星から温かさを感じることはない。それらは太陽と同じように、熱く光り輝いているはずなのに、どの恒星も遠すぎるから、ぼくらには冷たい光の点にしか見えないんだ。ちなみに、地球を一秒間で七周半もする光でさえ、一番近い恒星(太陽以外で)まで行くのに、4年以上かかる。

 ところが、太陽はものすごく近くにある。光のスピードで比較するなら、約8分ぐらいの距離だ。なじみのある単位で表現すると、約1億5000万キロメートル。近いよね。もしもジェット旅客機で太陽まで旅ができたとしたら、17年くらいで太陽まで行ける。

 え? 飛行機で飛んでいったら、17年もかかるのかって? そう。近いと言っても、それは天文学的な話で、人間の感覚で言えば、太陽はとても遠くにある。

 ところで、太陽(恒星)は、なんで輝いているんだろう?

 熱く輝いているといえば、まず思い浮かぶのは「火」だ。薪を燃やすように太陽も、なにかの燃料に火をつけて燃えているのだろうか? もしそうなら、太陽の中でなにが燃えているんだろう?

 答えを先に言うと、太陽が輝いている理由は「燃焼」ではない。人類に親しみのある炎とは、まったくべつの原理で光を発しているんだ。それはアインシュタインが相対性理論を思いつくまで、理解するどころか、発想することすらできなかった、まったく未知の現象だったんだよ。

 じゃあアインシュタインの話を……する前に、アイザック・ニュートンに登場してもらおう。アインシュタインより250年ぐらい前に活躍した天才科学者が、太陽についてとても重要な研究をしているからね。

 アイザック・ニュートンは、1687年に『プリンキピア・マセマティカ』という本を出版し、万有引力の法則をこの世に知らしめた。ニュートン以前に、コペルニクスやケプラー、そしてティコやガリレオといった、一流の科学者たちが、宇宙の秘密を少しずつ解き明かしていた。彼らの研究を集大成したのがニュートンであり、その成果が万有引力の法則なんだ。

 万有引力の法則は、地球が太陽の周りを回っている理由を、人類史上はじめて物理的に説明した。と、同時に、太陽の「重さ」をぼくらに教えてくれた。(正確には、地球の質量に対する、相対的な太陽の質量が計算できる)

 どういうことか、ちょっとだけ説明させていただきたい。

 ニュートンは「質量」という概念を導入して、この世の物質には、みんな固有の質量があると定めた。地球にも人間にも、そして太陽にも質量があるはずだ。万有引力とは、その質量同士が引き合う力なんだ。つまり、ぼくらは地球の重力に引っぱられて、地面の上に立っているように思うけれど、厳密に言えば、人間だって地球を引っぱっているんだ。ただ、人間は地球に比べて、あまりにも小さいので、人間が及ぼす引力は無視できると言うだけの話だ。

 ところが、それが天体同士だと、互いの引力を無視することはできない。たとえば地球と月はどうだろう。ニュートンの法則によれば、地球も月も、共通な重力の中心の回りを回転する。答えを書くと、それは地球の中心から4728キロのところにある。言い換えると、地球の表面から1650キロ下にある。だから、見た目は、月が地球を回っているように見えるけれど、けっして地球の中心が、月と地球の回転の中心ではない。

 さて、ここで興味深いのは、重力の中心は、月の中心より、地球の中心に81.3倍近いと言うことだ。これを言い換えると、どうなると思う? 地球の質量は、月の質量よりも、81.3倍あるってことなのさ! ニュートンの法則では、両方の天体の絶対質量を知ることはできないけれど、相対的な質量は計算できるってわけ。これを太陽に当てはめてみよう。めんどくさいから、ずばり答えを書くよ。

 月の質量を1としたとき、地球は約81。太陽は27000000だ。つまり、太陽は地球よりも333000倍の質量がある。

 簡単に書いてるけど、これは、人類にとって、すさまじい発見なんだよ。だって、ゆらゆら燃える炎には重さがないように思えるから、太陽もふわふわと漂う、重さのない光る玉だと思われていた。ところがニュートンは、太陽にも重さ(質量)があることを物理的に説明したんだ。

 さらにぼくらは、太陽の直径が地球の109倍だと知っているから、体積は109×109×109なので、地球の1295000倍に等しいことがわかる。

 おや? 太陽の質量は、地球の333000倍なのに、体積は1295000倍もあるのか? と不思議に思った方もいるかもしれない。そう。もしも、太陽が地球と同じ種類の物質でできていたとしたら、質量も1295000倍あるはずなのに、ニュートンの法則で計算した値は、333000倍でしかないのだ。つまり、太陽の密度は地球の1/4しかないんだよ。

 なぜなんだろう? いままで得られた理解を元に分類すると、当面のところ、太陽密度に関する謎は、つぎの三つに絞られる。

1)太陽の物質は地球とは根本的に違うのか?
2)物質は同じだが、温度が高いので密度が小さくなっただけ?
3)それとも、物質の構成比が違うのだろうか?

 この三つの中に答えがあるにしても(あるいは、なかったとしても)、どうしてそれを知ることができるだろう? 高校球児が甲子園の土を持ち帰るように、太陽の表面を削って持って帰れるなら話は早いが、太陽は、とても遠くにあって、しかも熱い。太陽を構成する成分を調べることは、とても不可能に思える。

 事実、フランスの哲学者だったオーギュスト・コントは、1835年にこう言った。「星々の化学的組成とは、科学が永遠に知ることのできない種類の情報の実例だ」と。

 ところが!

 コントが亡くなってから、たった二年で(1859年に)、太陽の組成が明らかになった。じつは太陽の物質を調べる方法も、ニュートンがヒントを残してくれていたんだ。彼は光についてもを研究していた。みなさんは、三角柱の形をしたガラスの棒を見たことがあるかな? プリズムというんだけど、ニュートンは、太陽の光をプリズムに通すと、まるで虹のように色分けできることを発見したんだよ。1665年のことだ。

 ニュートンが亡くなっても、しばらくこの分野で進展はなかった。つぎの大きな進展は、1801年に、イギリスの物理学者、トーマス・ヤングが、光は波動現象だと証明したことだった。太陽の光は、異なる波長の光の混合で、プリズムが波長を分離したのだ。

 つぎに光についての研究の進展は、1814年に、フランスの物理学者オーギュスタン・ジャン・フレネルが光は横波だと証明したことだけれど、それはこのエッセイでは忘れることにして、同じ年に、ドイツの光学機器製作者ヨーゼフ・フォン・フラウンホーファーが、自分が制作したガラスの、正確な屈折率を知りたいと思った話をしよう。

 彼は当時、世界でも最高の光学機器製作者で、彼の作るガラス、そしてレンズやプリズムは、とても精巧だった。フラウンホーファーは、太陽光線をガラスに通してスペクトルを作りながら、プリズムをテストした。

 すると……

 虹色に分離するはずの光は、連続していなかったんだ。虹の中に黒い線があるんだよ。太陽光線のあちこちに、欠けた波長があるように思えてならない現象だ。ところが、フラウンホーファーは光学機器の製作者であって、科学者ではない。自分が発見した黒い線の理由を研究して突き止めようとは思わなかった。しかも、フラウンホーファーのあと、40年以上の間、この件について進展はなかった。

 ここで、少し時間を巻き戻して、1750年のスウェーデンにタイムマシンを飛ばそう。スウェーデンの鉱物学者、アクセル・フレドリック・クルンステットは、吹管を利用して、熱い炎を鉱物に当てる実験をしていた。そのとき当てた炎や、生じた蒸気、あるいは残った灰の色などから、鉱物の化学的な組成についての情報が得られるからなんだ。

 この方法を進めるうちに、加熱された物質の蒸気が、特徴的な光を出すことがわかってきた。ナトリウムは黄色を、カリウムは紫色、バリウムは緑色、ストロンチウムは赤い色と言った具合に。それは非常に美しかったので、花火に華やかな色を付けるのに使われている。

 これらの研究に興味を持った一人に、ドイツの科学者ロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼンがいた。彼はマイケル・ファラデーが発明したバーナーを改良して炎を完全燃焼させ、加熱された鉱物の蒸気が発する色を、混じりっけの少ないモノにした。(そのバーナーは、正確にはブンゼンの助手が改良したらしいけど、いまもブンゼンバーナーと呼ばれている。ちなみに家庭のガスコンロも、基本的にはブンゼンバーナーです)

 ここで、ブンゼンと共同研究をしていたドイツの物理学者、グスターフ・ロベルト・キルヒホフが、すばらしいアイデアを思いついた。バーナーに熱せられて出た蒸気の色を調べるのに、その光をプリズムに通してみたらどうだろうと。

 ブンゼンとキルヒホフは、その実験をするために、世界で最初の「分光器」を開発した。彼らは、その新しい装置を使って実験した結果、原子は白熱蒸気まで過熱されると、固有のスペクトル線のパターンを生じると結論した。要するに、鉱物を熱して出た光を精密に調べれば、それがどんな物質なのかわかると、彼らは言ってるわけだ。このことは、なにかの鉱物を調べたとき、もしも未知の色が発生したなら、それは未知の元素が原因なので、よーく調べれば、新しい元素が発見されるはずだった。

 事実そうなった。キルヒホフは、その方法で、当時は知られていなったセシウム、ルビジウム、インジウム、タリウムを発見した。

 って、こんな説明をいつまで続ければ、太陽に戻れるんだ。ちょっとアクセルを踏んでスピードを上げよう。

 キルヒホフは、さらに重大な発見をしたんだ。元素は加熱されて特定の色を発するだけではなかった。冷やされると、発するのと同じ波長の光を吸収するんだ。この発見によって、キルヒホフは科学史に輝かしく名を残した。元素の光の放射と吸収は、キルヒホフの法則と呼ばれているんだよ。

 さあ、これでやっと太陽に戻れるぞ。太陽の光をプリズムで分離すると、そこに黒い線があると書いたのを覚えているよね? キルヒホフの法則によって、その理由が説明できる。光は、太陽の熱い表面から生じて、太陽の大気を通りながら、宇宙空間へ出て行く。そのとき、太陽の大気は、地球の基準からすると高温だけれども、太陽表面に比べれば温度が低いから光の波長をいくつか吸収する。その吸収された部分が、「黒い線」となって見えたんだ。もしも黒い線がナトリウムのスペクトルと一致すれば、太陽にはナトリウムが存在することの証明になる。事実、太陽にはナトリウムが含まれている。

 さあ、どうだ! 太陽の成分を調べる方法が見つかったじゃないか!

 ところが、キルヒホフの知人の銀行家が言ったそうだ。「地球に持ってこられないなら、太陽の黄金がなんの役に立つのかね」と。どうやら銀行家という連中は、むかしから強欲らしいね(苦笑)。でもご安心あれ。キルヒホフも言われてるだけじゃない。分光学の研究によって、イギリスからメダルとソブリン金貨を賞金にもらって、その金をすべて、さっきの銀行家に預けて、こう言い返した。「これが太陽から来た黄金だよ」ってね。

 ともかく、これらの研究によって、太陽はその98%が水素とヘリウムであることがわかった。残りの約2%のうち、その半分が酸素で、30%が炭素。あとは、微量だけれど太陽系にあるだろう元素は、すべて太陽にも含まれていると推察される。

 しかし、地球とは大きく違うのは、主成分が水素とヘリウムという、地球上では「ガス」としてしか存在しない元素でできているということなんだ。太陽の密度の小ささは、こうして解き明かされた。

 さあ、ここでやっと最初の質問に戻ろう。覚えているかな? 太陽はなんで輝いているのかだ。

 太陽の主成分が水素とわかったから、水素が酸素と反応して燃えているのだろうか? いやまさか。太陽の中に、酸素はわずか1%も存在しない。とても水素と反応できるだけの量はないし、仮にあったとしても、太陽が発する光は、水素の燃焼ではとても足りない。なにか未知の反応が起こっているんじゃないだろうか?

 ここでアインシュタインが登場する。彼はジェームズ・クラーク・マクスウェルの電磁気学を土台にして、1905年に光速度不変の原理と、特殊相対性原理の二つを物理学に導入した。この二つの概念が、それまでの物理学の考えをあまりにも変えてしまったので、1905年を奇跡の年と呼ぶ人もいるくらいだ。

 相対性理論に関しては、以前に宇宙の秘密と題したエッセイでも書いたので(いま読み返すとひどく幼稚な文章だが……)、ここではぶっ飛ばして、結論だけ書こう。

 特殊相対性原理を突き詰めて行くと、質量とは、エネルギーと同じものだという結論に達する。E=mc2っていう有名な式を見たことがあるよね? もしもエネルギーを、どこか一箇所にギュッと閉じこめることができたら、そこに質量が生じるはずなんだ。(現在は、たしかにそうなることが実験で確かめられている)

 それともう一つ。ニュートンが万有引力のほかに、光学の研究にも情熱を燃やしたように、アインシュタインも相対性理論と平行して、光の粒子性を研究していた。光はトーマス・ヤングが波だと証明したけれど、粒子だと考えなければ、どうしても説明できない現象があって、アインシュタインは、光は波と粒子の両方の性質を持つと考えた。それによって光電効果を説明し、のちにノーベル賞をもらった。

 アインシュタインは不本意かも知れないが、この光電効果の研究が、のちの量子論の先駆けなんだ。実際には、マックス・プランクの理論が先にあったので、量子論の父と呼ばれるのはプランクの方だけどね。(しかも、量子論の誕生に寄与したアインシュタインは、皮肉にも生涯、量子論を信じなかった)

 これらの研究によって、太陽の中で起こっている未知の現象について、想像できるだけの知識を人類は手に入れた。

 もしも、あなたの家にローソクがあったら、火を付けて、その炎を見てほしい。ゆらゆらと燃える炎は、ローソクの鑞を燃やしている。それは酸素との化学反応であって、深遠な物理現象ではないように思えるだろう。

 いや、とんでもない!

 じつはローソクの炎が熱と光(正確には熱も電磁波だけど)を発しているのは、鑞が化学反応を起こすときに、ほんのわずか質量を失っているからなんだ。アインシュタインの考えた方程式を思い出してほしい。E=mc2、エネルギーは質量と同じなんだ。だから、ローソクからエネルギーが出ているってことは、質量がエネルギーに変換している現象に他ならない。

 でも、燃焼という化学反応では、大量の質量をエネルギーに変換することはできない。もっと効率のいい方法はないものだろうか?

 あるんだ。

 物質は、原子の集まりだ。原子には原子核という中心があって、そこに質量のほとんどが集まっている。この原子核と原子核を衝突させると、くっついてべつの原子に変わるという現象がある。

 イギリスの物理学者、ジョン・ダグラス・コッククロフトと、アイルランド生まれの物理学者、アーネスト・トーマス・シントン・ウォルトンが、1932年に加速した陽子をリチウムに衝突させて、世界で初めて原子核の変換に成功したんだ。この反応で得られるエネルギーは、燃焼と比べるのがバカバカしいくらいに大きい。

 そろそろ、反応の正体を教えよう。それは「核融合」と呼ばれる現象だ。

 物理学者は、太陽の中心で核融合が起こっていると考えている。太陽の中で起こっている現象なんて書くと、それはそれは壮大な天文現象で、人間には関係ない話と思われるかも知れない。関係あるとしても実験室での話だろって。

 じつは、いま現在の技術でも、核融合はわりと簡単に起こすことができるんだ。水素爆弾(水爆)と呼ばれる核爆弾として。水素と水素を融合させるから(爆弾には重水素や三重水素を使うらしい)、水爆って呼んでいる。太陽の中でも、基本的には水爆と同じ反応が起こっていると考えられている。(爆弾は作ったけど、商業発電炉は、まだできない)

 ちなみに、広島と長崎に落とされたのは、原子の核分裂を利用した爆弾だ。いわゆる原爆ってヤツだね。核融合を利用する水爆は、原爆よりもはるかに威力があって、旧ソビエト連邦が作った史上最大の水爆は、広島型原爆の3300倍の威力だったそうだ。まあ、そいつは別格としても、基本的に水爆は威力が強すぎるので、まだ実際に戦争で使われたことはない。これまた情緒的な言葉で表現するなら、水爆は地球上に、小型の太陽を出現させるようなモノなんだ。

 ここで、あなたは疑問に思うかも知れない。太陽が爆弾のような反応を起こしているなら、なんで爆発してなくなってしまわないのかと。

 うん。不思議だね。なんで爆発しないかというと、太陽はものすごい重力だから、自分の重力のせいで、いつも潰れよう潰れようとしているんだ。風船は栓を抜くと、とたんにしぼんでしまうけど、太陽も自身の中心に向かって、しぼみたがっている。

 そこで核融合だ。風船の中の空気が、ゴムを押し広げているように、太陽の中心で起こり続ける核融合が、太陽を広げよう広げようとする。それと太陽自身の潰れようとする重力が釣り合って、風船のように丸い形を保っていられるんだ。

 ここで、あなたはさらに疑問を持つかも知れない。太陽が水素を消費して輝いているのなら、いつか燃料の水素が尽きて、輝きの消えるときがくるんじゃないかと。

 そのとおり。太陽といえども永遠ではないのだ。いつか消えるときが来る。でも、安心していいよ。核融合はすごーく効率がいいので、巨大な太陽を何十億年も輝かせることができるんだ。たぶん、あと50億年は輝いているだろう。

 なーんて、まるで神さまみたいに、すべてを知ってるような顔で書いてるけど、じつのところ、いままで話してきたことは、理論からの推測でしかない。太陽の中で核融合が起こっているのは、ほぼ間違いないと思える証拠があるけど、それだけだ。だれも太陽の中を覗き込んで確かめた者はいない。

 このエッセイの最初の方で書いたとおり、太陽は遠くにあって、しかも熱い。人間が近づくことはできないよね。それでもぼくらは、太陽から来る光を分析して、その成分を明らかにした。さらに現代の技術なら、赤外線やX線などなど、いろんな波長の電磁波を観測できるので、太陽についての知識は、飛躍的に高まった。

 でもね……どんな波長を観測しようと、ぼくらが見ているのは、太陽の表面から上の世界だけだ。太陽の中を見ることはできない。

 なぜかというと、太陽の中はとてつもない高温と、とてつもない圧力なので、すべての電磁波は相互作用によって不透明になってしまう。変な例えだけど、太陽の中は薄めていないカルピスみたいにドロドロなんだよ。カルピスの表面は白いけど、その中は不透明で見えないだろ? そんな感じ。

 どのくらいドロドロかというと、なんと驚くなかれ、太陽の中心で生まれた光は、ものすごい圧力と高温の中で、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりしながら、数千万年も掛かって、やっと表面まで這い出てこれるんだ。数千万年だぜ。まだ完全な理論がないので正確な数字はわからないけど、もしかしたら五千万年くらい掛かるのかも。

 もし、それが正しいとしたら、ぼくらは、五千万年前に起こっていた反応の様子を太陽の表面に見ていることになる。少なくとも、これだけはハッキリ言える。いま、たったいまこの瞬間に、太陽の中心で起こっている反応を、光(電磁波)で見る手段はないってことなんだ。

 じゃあ、まったくお手上げなのか?

 そうでもない。現在の技術でも、ひとつだけ方法がある。太陽の中心を覗き込む方法が。しかも、もう実際に行われている。ええ、そうですとも。太陽の中を見た人がいるのですよ。しかも、日本人なんだ!

 ああ、やっと日本の学者を紹介できる。2002年にノーベル賞を受賞したから、覚えている人も多いと思う。そう。小柴昌俊がその人物の一人だ。あと、アメリカの物理学者、レイモンド・デイビス・ジュニアも忘れちゃいけない。彼らは揃って、ノーベル賞を受賞した。その理由は、宇宙ニュートリノの検出による、天体物理学の先駆的貢献だ。そりゃあ先駆的だろうさ。それまで、だれも見たことがない太陽の中を覗き込んだのだから。

 ところで、ここでのトピックはニュートリノだ。さあ、また難しい言葉だぞ。

 ニュートリノとは、数ある素粒子の中の一つで、ほかの素粒子とほとんど相互作用をしないという特徴を持っている。相互作用というのは、要するに、互いに影響し合うってこと。この世は、そのほとんどが物質(素粒子)の相互作用によって成り立っている。

 こんな想像をしてみよう。なにか、すごーく頭に来ることがあって、机をドンと強く叩いたとしよう。あなたは手に痛みを感じるはずだ。これが相互作用。手の皮膚を作っている物質の原子と、机を作っている物質の原子は、電磁的な相互作用で反発するから、ぼくらの手は、幽霊のように机を突き抜けたりしないのだ。

 ところが、ニュートリノは、ほかの物質と電磁相互作用をしない。もっというと、原子核を形作るために必要な「強い力」という力の相互作用もない。まさに素粒子界の幽霊なのだ。

 さっき太陽の中はドロドロに濃いので、光(電磁波)に対して不透明だと言った。ニュートリノは、物質と電磁相互作用をしないから、太陽の中でも、まるで幽霊のようにすり抜けることができる。しかも、うまい具合に、核融合では、そのニュートリノが大量に発生するはずなんだ。だから、逆に言うと、太陽の中で核融合が起こっていると信じられる証拠が、ニュートリノの検出だったというわけさ。

 でも、ちょっと待って。ニュートリノが幽霊だとしたら、どうやって観測する? 幽霊だったら、見ることも聞くこともできないじゃないか。太陽を簡単に突き抜けるのなら、地球だって、いや、地球こそ簡単に貫通していくはずだ。

 そこはそれ、ありがたいことに、ニュートリノは「ほとんど相互作用をしない」のであって、「まったくしない」のではない。ごくごく希に観測の網に引っかかる。だから小柴さんは、岐阜県の神岡鉱山跡に、巨大な観測装置を作って(大量の水が入っている)、ニュートリノを検出したんだ。

 これで、すべて解決かな?

 いや、そうじゃない。じつは、ニュートリノにも厄介な問題が起こっている。理論で計算されるニュートリノの数と観測で捕らえたニュートリノの数が合わないんだ。地球で観測されるニュートリノの数は、理論値の三分の一くらいしかないんだよ。もしかしたら、理論が間違っているのか? それとも、ぼくらの知らない未知の現象によって、ニュートリノの数が減っているのだろうか?

 うーん。わからん。ニュートリノは、光と違って、わずかに質量があるので、そのせいでニュートリノ振動という現象が起こり、太陽内部で数が減っているという説が有力だけど、まだ証明されていない。

 そもそも、ニュートリノを検出しても、太陽の内部の詳細な様子がわかるわけじゃない。太陽の内部は、すごく熱くて、さらに高圧なのは間違いないけど、それは個体なんだろうか、それとも液体なんだろうか? 現在は、固体でも液体でも気体でもない超臨界流体などの「第四の状態」だって考えられているけど、結論は出ていない。

 また、内部じゃなく、外側のことだってわかってない。皆既日食で、美しいコロナの映像を見たと思うけど、このコロナも謎だ。太陽の表面は6000Kくらいの温度なのに、コロナは100万度もあるんだぜ。表面からわずか500キロ程度のところから温度が上がり始めて、高度2000kmを境にして、1万度から100万度くらいまで、急激に温度が上昇する。なんで上昇するのさ? わかりませーん。

 というわけで、太陽はまだまだわからないことでいっぱい。でも、だから科学はおもしろいんだね。太陽の研究はこれからだよ。

 たとえば、このエッセイで、太陽は遠いし熱いからサンプルは取りに行けないって書いたけど、じつは、アメリカの打ち上げた、ジェネシスという探査機が、二年間も太陽風のサンプルを集めて、地球に持ち帰ったんだ。それは2004年の9月に帰ってきた。残念ながら地球に戻るときパラシュートが開かなくて、探査機がユタの砂漠に激突しちゃったけど、回収できた試料を現在も解析中だよ。

 さあ、科学者のみなさんは、つぎにどんな研究結果を見せてくれるだろうか。楽しみだね。ここでもう一度、フランスの哲学者だったオーギュスト・コントの言葉を思いだそう。

「星々の化学的組成とは、科学が永遠に知ることのできない種類の情報の実例だ」

 コントは間違っていた。ぼくらは太陽の組成を解き明かし、それと同じ方法で、はるか遠くの星々の組成も明らかにした。不可能と思ったら、それでもう終わり。できると信じて進む方が、ずっとすばらしいね。

 日本の政治の未来もチェンジができると信じたいし、太陽のように明るいモノだと信じたいね。サンセットではなく、サンライズでありますように……


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