ガリレオ先生 第一夜


 いま、このエッセイを新幹線の中で書いている。二日間の出張なのだ。夕方に東京を出る「のぞみ号」に乗ったのだけど、車内はかなり混雑していて、しかも、ぼくと同じようにノートパソコンを広げている人がかなりいる。斜め前の3列席では、窓側と通路側の人が二人とも、その後ろの3列席も、窓側の人が、そしてぼくの隣の人もPowerPointで書類を作っている。

 なんか、ノートパソコン率高くない? ぼくを含め、目にとまるだけで5人だよ。この5人を含む座席数は、ちょうど10席だから、ノートパソコン使用率はなんと50パーセント。ありえなーい!

 いや、嘘じゃないんだなこれが。ホントに10席分の中の5人がノートパソコンを広げている。すごいねえ。新幹線には、久しぶりに乗ったけど、いまは座席の下にAC電源もあるんだね。ぼくはバッテリーで動かしているけど、5人のうち3人は、座席のACにコンセントをつなげてます。

 みんな勤勉だなあ。と、書いてるぼくも、こうして一所懸命エッセイを書いてるんだから勤勉だよね? だれだ。あんたは、ただ暇つぶししてるだけだろというヤツは。いや、そうだけどさ(苦笑)。でも、みなさんの知的好奇心を満たせるようにがんばろう。

 今回はタイトルから想像できるとおり、フジテレビの推理ドラマについてのエッセイだ。主演の福山雅治が演じるのは、湯川学というベタな名前の物理学者で、彼のあだ名がガリレオ先生……

 ちがーう!

 そうじゃなくて! ぼくが語りたいのは、本物のガリレオ・ガリレイについてなのだ。なのに、Googleでガリレオと検索すると、テレビ番組の方が最初にヒットする(ブラウザのクッキー情報によって違うだろうが)。東野圭吾も罪なことをしたもんだ。まあ、367年前に亡くなったイタリア人のオッサンより、福山雅治の方が人気者なのはしょうがないけど、少なくとも、わがScript1においては、イタリア人のオッサンの方が遙かに重要なので、その話をはじめよう。もっとも、過去のエッセイでも、ガリレオに関係する話を多くしてきたので、いまから語ることは、過去のエッセイと重複する部分も多いと思う。まあ、復習のつもりで読んでください。

 さて、ガリレオ先生。彼には数多くの業績がある。中でも強烈なのが、落体の実験と望遠鏡による天体観測だ。ガリレオ自身は、落体の実験(その結果が示唆するモノ)と、天体観測が強く結びついていることを意識していなかったかも知れないが、ニュートンによって、この二つが切っても切れない関係であることが理論づけられた。

 なんて、いきなり書いても、みなさんピンとこないだろう(察しのいい方なら、ニュートンによる万有引力の発見だと気づかれただろうが)。まあ、あせらず、ゆっくり説明させていただきたい。想像力というタイムマシンに乗って、まずは紀元前に行ってみよう。

 われわれ人類は、文字を発明する以前から、空を見上げ、そこに太陽が輝いているのを知っていた。空にはほかにも雲があり、雨が降り、ときには嵐もやってきた。つまり、気象現象を知っていたわけだ。

 そして夜になると、空には星が輝いていた。これらは、気象現象とは違っていた。太陽や雲や風は、空の上をせわしなく動いているのに、星と星は、互いの位置を少しも変えることなく、いつも同じ「間隔」で存在しているように思えたのだ。

 そこで古代の人々は、空を巨大なドームだと考えた。半円球のドームが、すっぽりと地表を覆っているわけだ。星は、そのドームの内側に張り付いた、輝く点だと考えられた。

 そうはいっても、ときおり流星が現れたし、月、水星、金星、火星、木星、土星という七つの惑星は、絶えず位置を変えるように見えたので、それら、動きが激しいモノは、地表と空ドームの「あいだ」に位置すると解釈された。

 ここで、「おや?」と首をかしげた人もいるだろう。だって、星も動いているじゃないかと。そう、星も動いている。北半球に住むぼくたちにとって、動かないように見えるのは北極星(ポラリス)だけで、北の空にある星たちは、北極星の周りを東から西へ回っているように見える。

 でも、星と星の間隔は変わらないよね。だからこそ、古代ギリシアでは、星座という考えができたわけだ。星座の形は、昨日も今日も、そして100年後も変わらない(厳密には変わるんだが、その話は、またあとで)。だから古代人は、空は、ドームそのものが動いていると考えた。

 いつもなら、この辺で古代ギリシアの哲学者を紹介するのが、ぼくのエッセイの常だよね。もちろん、これからアリストテレスを紹介するけど、その前に、今回は聖書を紐解いておきたい。ガリレオを語るのに、宗教との関係を避けては通れないので、そのための基礎知識として、読んでおいてほしいんだ。

 聖書では、空の本体のことを「ファーマメント」と呼んでいる。この単語がファーム(硬い)に由来するのは明らかだ。つまり、空は固体のなにかだと考えられていたようだ。そもそもファームという言葉はラテン語だった。ラテン語でのファームは、「固体のドーム」を意味するギリシャ語の「ステレンマ」を翻訳したものだった。さらにそれは、「薄い金属シート」を意味するヘブライ語の「ラキア」を翻訳したものだ。

 頭が混乱してきたかな?

 要するに、聖書の作者たちは、いままで説明した通り、空は半球形の固体ドームだと考えていたってことだ。そしてもう一つ。地表は「平坦」だと考えられていた。高い山の上に立って地平線(あるいは水平線)を、ぐるりと360度眺めてみれば、それはだれが見ても「平たい円盤」に思えるだろう。聖書の作者たちもそう考えて、地表は「サークル(円)」という言葉で表現した。球ではないのだ。

 この二つをあわせると、素朴な聖書の作者たちは、自分たちが見ている世界を、半円球のボールを、円盤の上にかぶせているようなイメージで捉えていたと理解できる。

 ではここで、お手元の聖書を開いてみよう。なに? 聖書なんて持ってない?

 じつはぼくも、マジで新幹線の中にいるので、手元に聖書がない……というと思ったら大間違い。じつはノートパソコンに聖書を入れてあるのだ。「KougoView」というソフトで、こちらからダウンロードできる。便利な時代になったモノだ。

 失礼。話が逸れた。ともかく、聖書をお持ちなら、ヨハネの黙示録を見ていただきたい。六章の十三節から十四節に、こう書かれている。

「天の星は地上に落ちた。イチジクの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。天は巻物が巻き取られるように消え去り……」(※1)

 この表現を解釈すると、空を形成する薄い金属が、くるくると巻き上がって、そこに張り付いていた光る点が転がり落ちた……と、いうことだろう。聖書のいう「ファーマメント」の語源が、ヘブライ語の「ラキア(薄い金属シート)」にあることを思えば、紀元90年ごろ、黙示録を書いたヨハネなる人物が、そう信じていたとしても不思議はない。

 さて、ここで、ギリシアの哲学者に登場してもらおう。

 時代的には、ヨハネと名乗る人物が黙示録を書いたとされる、紀元90年ごろより、遙か以前。紀元前500年ごろには、古代ギリシアの哲学者たちは、すでに地球が「球」だと思っていた。

 なんだ、聖書の作者より、ずっとむかしに、正しい答えがわかっていたんじゃないかと思われるかも知れないが、そうではない。ギリシアの哲学者も、神は絶対の存在と考えていたから、彼らにとって「もっとも美しく」かつ「もっとも完全な形」である「球」を、地球の形だと思っただけなんだ。そこに科学的な根拠はなかった。

 それが発展していって、ギリシャ人たちは、空もまた球体であって、地球はその球体の中心に浮かんでいると考えた。空という球体は、地球を中心に二十四時間で一回転するってわけだ。ギリシア人にとっても、星々は球体に張り付いている、光る点だった。つまり、星々は固定されているので、文字どおりギリシャ語で「固定された星」と呼ばれ、現代でも星のことを、恒星(fixed star)と呼ぶ。ギリシャ語を語源としているからだね。惑星の方は固定されていないから、「さまよう星」と呼ばれた。これが惑星の語源だ。

 問題は「天の川」だ。都会に住んでいると実感できないけど、天の川は、夜の空に「明るい雲」として見える。空気の澄んだ寒い冬の夜に、都会の明かりの少ないところで空を見上げる機会があったら(ぼくは子供のころに、その機会が毎晩あった)、ぜひ天の川を探してほしい。ぼんやりとではなく、ハッキリと明るい帯が、夜空に発見できるだろう。

 失礼。話が逸れた。

 とにかく、天の川は「明るい雲」に見えるのに、それは気象現象ではなくて、なぜか、固定された星々と同じように振る舞うのだ。天の川の正体は、いったいなんだ?

 その答えを出したのは、ギリシアの哲学者デモクリトスだ。彼は、紀元前470年の生まれなのに、天の川が小さな星々の集まりで、その星があまりにも小さいので、ぼんやりとした雲にしか見えない……と、現代の天文学に照らしても、正しい考えを持っていた。

 でもそれは、ただ「考えただけ」だった。要するにSFみたいなもんだ。空想科学。デモクリトスの時代には、天の川の正体を探る観測機器(望遠鏡ですな)はなかったのだ。だからデモクリトスの考えは支持されることなく、天の川は、明るい雲が、個体の空に張り付いていると考えられた。

 デモクリトスのあと、宇宙論を決定づけたのは、紀元前384年生まれの、アリストテレスだ。いままで説明してきた、大きな球体の中心に地球が浮かんでいるという宇宙観は、アリストテレスが完成させたといっていい。

 そのあと、紀元前310年生まれのアリスタルコスが、果敢にも太陽中心説を考え出したけれど、残念ながらそれは、18世紀だけ、世間に先んじていたという欠点があった。当時は、神の作った不動の存在である地球を、その中心から動かした不敬の罪に賛同する者はいなかったんだ(その罪を告発する者は、いくらでもいたが)。だからアリスタルコスの著書は残っていない。なのに今日、アリスタルコスの名(と、彼の理論)が残っているのは、アルキメデスが、著書の中で、アリスタルコスのバカバカしい考えを笑い飛ばしているからなのだ。

 というわけで、アリスタルコスが最後だった。もう地球を中心から動かそうとする者は現れなかった。なんと、1473年2月17日に、ポーランドのトルンに、ニコラス・コペルニクスが生まれるまで……

 おっと、その前に。太陽中心説ではないけど、空は個体のドームではないと主張した人物はいた。ドイツの学者で、かつ枢機卿でもあった、ニコラウス・クザーヌスだ(クザのニコラウスとも呼ばれる)。

 彼は、宇宙空間を「無限の広がり」だと考えた。そして、個体のドームに張り付いている光る点は、じつは、われわれの太陽と同じもので、それが、ものすごく遠くにあるから、点にしか見えないと主張した。ここまではデモクリトスと同じだが、ニコラウスはさらに先へ進み、はるか遠くにある星は、われわれの太陽と同じように、地球のような惑星を照らし、そこに人の住む世界がある。と、ニコラウスは考えていたらしい。

 これは、天才的としか言いようのない革新的な考えだ。ニコラウスは、地球外生命体の存在を指摘したのだから、驚くほかない。残念ながら、日本語版ウィキペディアでニコラウス・クザーヌスを調べても、彼の宇宙観は記載されていない。でも、「彼の思索は中世の混沌のなかから近代的思考を準備したと高く評価されている」とは書かれている。まったく、その通りだ。

 さあ、お待たせ。やっとコペルニクスの登場だよ。

 コペルニクスは、なんと古代ギリシアのアリスタルコスの考えに戻って、過去や未来の惑星の動きを計算するには、太陽中心説の方が簡単だと主張した。でも、その主張が、アリスタルコスと同じように、自分の命を危険にさらすとわかっていたので、ベッドの上で、安らかな死を迎えるまで、その主張を発表することはなかった。コペルニクスの説は、彼が死んだ年の1543年に、論文を託されていた友人によって、やっと世に出たんだ。

 それでも、世間はコペルニクスの説を支持しなかった。彼の説は数学的技巧に見えたし(出版社が厄介ごとを恐れて、序文に数学的技巧ですと断りを入れたせいもある)、それに加えて、計算式には、反論の余地があったんだ(彼は惑星の軌道を、完全な円だと考えていた。本当は楕円なのだけど)。

 ふう……すごい駆け足だったけど、ここまでが、ガリレオ以前だ。アリストテレスが、地球は決して動くことはないと主張してから18世紀たって、ようやくコペルニクスが現れ、そしてとうとう、ガリレオが望遠鏡を空へ向ける日がやってきたのだ。

 ガリレオは、敬虔なカトリック教徒だったけれど、望遠鏡を空へ向け、地球は特別の存在ではなく、ほかの惑星と同じように太陽の周りを回っていると確信するに至った。つまり、空が東から西へ回転するのではなく、地球が西から東へ回転しているのだと。そのせいで、ひどい厄介ごとに巻き込まれることになるのだが……

 そろそろ、新幹線が目的地に到着だ。この話の続きは、出張から帰って、わが家の快適なデスクトップコンピュータで書くことにしよう。新幹線はホントに揺れるし、ノートパソコンのキーボードは、やっぱり打ちにくい!


 次回予告。
 ガリレオ先生、第二夜。「ジョルダーノ・ブルーノの悲劇」

 なんちゃって(笑)。NHK特集を真似してみました。どうか次回もお楽しみに!


※1
新幹線内では、「KougoView」に掲載されている黙示録を参照しながら書いた聖書の引用部分は、アップロード時に、日本聖書協会の「新共同訳」に書かれている表現に書き直した。「KougoView」は、すばらしいプロジェクトだと思うけど、使っているデータが、著作権保護期間が終了した口語訳聖書(新約1954年、旧約1955年)なので、いかんせん表現が古いんだよね。


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