欲望の道具


 一ヶ月ほど前、マウンテンバイクを買った。いまあなたは、ぼくがマウンテンバイクの競技に出るつもりなのかと思ったかもしれないが……え? そんなこと、だれも思わないって? まあ……そうかも(涙)。

 お察しの通り、街乗り用に買った。ぼくは山に行って、急な坂を登ったり降りたりするほど暇人ではないのだ。でも、お腹についた脂を、むだに消費したいと思う程度には暇人なので、マウンテンバイクで運動しようと思ったわけ。

 またまた、あんたは懲りないね。と、賢明なるScript1の読者さまたちは思うことだろう。書いてる本人だってそう思うよ。ぼくの三日坊主は、すでに才能と呼ぶべき域に達していて、一日坊主で終わった健康器具さえあるのだ。うはは。すごいだろ(泣)。

 そこで(よせばいいのに)考えた。

 自転車なら、たとえ購入の目的である運動に飽きても、自転車本来の目的である移動装置として使えるではないかと。要するに、レッグマジックのような、健康器具としてしか使えない役立たずとちがって、末永く利用できるはずなのだ。たぶん……

 でも、カッコ悪い自転車はヤダ。ママチャリなんか論外だ。

 そこで(やめときゃいいのに)考えた。

 よし! 奮発して高い自転車を買っちゃえ!

 そこで(当然ながら)、彼女に怒られた。どーせ長続きしないんだから、安いのにしときなさい! と。

 はーい(シュンと小さくなりながら)。ぼくは素直に安いのを買った。2万円ぐらいのヤツ。この値段では競技にも出られる本格的なマウンテンバイクは買えない(出ないからいいけど)。そもそも、そういう安物をマウンテンバイクと呼んではいけないそうで、日本工業規格が定めるところでは、マウンテンバイク類形車(ルック車)というらしい。

 ルック車か……言い得て妙だな。ぼくはいつも形から入るから、そんなんで十分かも。と、われながら思ったりして(苦笑)。そんなわけで、恥ずかしげもなく、カゴまでつけちゃったよ。カゴ付きのマウンテンバイクですぜ。そんなのアリかよ。アリなんです。どうせルック車なんだから。運動に飽きて、ただの移動装置としてしか使わなくなったとき、買い物したときの袋とか入れたいじゃん。逆にいうと、そういう使い方ができるようにしとかないと、マジで乗らなくなっちゃう……と心配したのだ。

 ううむ。なんどもいうけど、われながら、めんどくさい性格だよな。いや待て。修正する。ぼくの飽きっぽさは性格ではない。才能なのだ。それは、わが家の遺伝であり、宿命であり運命であり……って、いいかげんしつこいですか?

 ところがどっこい、どっこらしょ。

 蓋を開けてみたら、毎日のように(雨さえ降らなければ)自転車に乗っている。知らない道をフラフラと、わざわざ道に迷いながら走るのが楽しい。日中に乗れるのが一番だけど、昼間に時間がとれないときは夜に、安全そうな道を選んで走っている。いまの季節、ちょっと冷たい夜の空気もいいもんだ。

 いやあ、まさか、こんなに長続きするとはね。三日坊主のぼくが、もう一ヶ月も自転車にハマってるなんて、自分でも信じられないよ。最初は一時間も乗っていると、お尻が痛くなっていたけど、だんだん乗り方もうまくなってきて(マウンテンバイクの正しい乗り方を調べました)、いまでは長いと三時間ぐらい、東京シティをマウンテンバイクのルック車(悪かったなカゴ付きだよ)で、さまよい走っている。

 そうそう。東京シティは、意外と(意外でもないけど)川が多いんだよ。だから河川敷に降りて、砂利(じゃり)道とか泥道とかで遊べる。砂利道なんかで、後ろのタイヤをわざとロックして、テールをスライドさせて走ると、楽しいのなんの!

 ルック車とはいえ、一応マウンテンバイクだからできる芸当だね。街乗りなら、クロスバイクが楽ちんでいいらしいけど、このまま自転車に飽きないでいたら(寒い冬が問題だな)、つぎもマウンテンバイクを買いそうだ。こんどこそ、カゴなんかつけられない本格的なヤツを!

 なんてことは、じつは、どうでもよろしい。

 ぼくが自転車にハマろうが、その割にはお腹の脂が減ってないなあと思おうが、そんなこととは無関係に、世界は動いている(当たり前だけど)。

 あいかわらず、中国産の食品をめぐって、いろんな問題が起こっているし、ドイツでは五億円のストラディバリウスが盗まれるし、アメリカの大統領選挙は迫ってるし、日本だってもうじき衆議院が解散するだろうし、そういえば麻生首相はガマガエルに似てるなあと思うし。(あるいはスターウォーズのジャバザハットに似てる)

 いやいや、なんといっても、最近の話題と言えば、アメリカが震源地の金融危機だろう。ブッシュ大統領は青ざめ、麻生首相は、いよいよガマガエルみたいな顔になる事態だ。もしかしたら、Script1の読者の中にも、株で損をした人がいるかもしれない。

 今回の金融危機は、かなり強引に解釈すると、自転車とまったく無関係でもないから、ぼくなりに解説してみようと思う。われながら唐突ですが。

 さて。

 なにごとにも原因があるとするなら、今回の金融危機の原因はなんだろう? 学者や評論家は、技術的な原因をいくつも挙げられるだろう。たとえば、金融商品の内容が複雑になりすぎたとか、政府の規制が甘かったとか、そもそも司法に取り締まる権限がないだとか。

 でも、それらはすべて表面的な理由にすぎない。問題の本質……というか、根っこにある原因は、人間の欲望だろうね。

 欲望ってヤツは、どうやら人間が生まれ持っている特性らしい。古今東西、金にまつわる問題は、ほぼすべて欲望が原因だと考えていいはずだ。厄介なことに、欲望には制御が効かなくなる性質がある。だから、保険金ほしさに、夫(あるいは妻)を殺害するヤツらも出てくるわけだ。

 想像してみよう。あなたが保険金目当てで、夫(あるいは妻)を殺害しようとするとき、素手で殺すだろうか? いや、よほどの肝っ玉母さんでなければ、人を素手で殴り殺すのは無理だろう。ふつうは、包丁で刺すとか、ネクタイで首を絞めるとか、なにかしら道具を使うモノだ。ぼくとしては、毒殺がエレガントだと思うけど。

 失礼。話が逸れた。

 なにがいいたいかというと、金融危機の原因が欲望だとしても、それを肥大させた道具があるはずなんだ。殺人のときの、包丁のようなのが。

 それはなにか?

 ここで自転車を思いだそう。ぼくは運動のために自転車を買ったけど、自転車が発明された動機は、より速く、より楽に、より多くの荷物を持って、移動するための手段が欲しかったからだ。

 自転車の発明に先立ち、人類は「車輪」という、人類史上、もっとも偉大な発明をしているわけだけど(おそらく車輪の発明は紀元前3000年より前だろう)、それよりも古いか、あるいは同時期に、人類は「てこ」も発明した。念のために書いておくと、てことは、固い棒や板を使って、大きなモノを小さな力で動かすことだ。古代ギリシアのアルキメデスは、てこの原理を応用した器具(兵器とか)の発明で有名だね。彼はこんなことをいったそうだ。「わたしに支点を与えよ。されば地球を動かしてみせよう」と。

 このように人間は、楽をするためなら、異常なほどの情熱を注ぐ。さらに、アルキメデスが本気でいったかどうか知らないけど、地球をも動かしてみせようと、自己を過大評価する傾向があるようだ。

 そろそろ話を戻そう。

 金融危機を引き起こした道具は、この「てこ(レバー)」の原理なんだ。もっと正確にいうと、見かけ上、てこの原理に似ているので、「レバレッジ」と呼ばれる経営(あるいは会計上)のテクニックが、金融世界の欲望を肥大させた。

 では、レバレッジを解説しよう。テクニックなんていっても、その仕組みは単純で、たぶん小学生にもわかるから、どうか心配せずに先を読んでほしい。

 まず、商売をするには資本が必要だ。いま仮に、あなたは100円の資本を持っていたとしよう。これを自己資金と呼ぶことにする。その100円を元手に、なにかの商売をして、利益が10円出たとすると、利益率は10%ということになる。

 商売は順調なので、あなたはもっと手広く商売をしたくなった。そのためには資本を増やす必要がある。だからあなたは、お金を借りることにした。そうだな、仮に400円借りたとしよう。この借りた分は、他人資本と呼ぶ。

 さて、自己資金の100円と、他人資本の400円を足して、あなたはいま、500円の資本を持っている。これで利益率10%の商売を続けるとしたら、あなたの儲けは50円だ。

 いや待った。この利益から借金の利息を払わなければいけない。いま仮に利息が5%だとすると、20円返さなければいけないから、50円から20円を引いた、30円があなたの儲けということになる。

 さあ、お立ち会い!

 あなたの自己資本は100円だったよね。ところが、あなたの利益はいま、30円もあるではないか。つまり借金をしたおかげで、自己資本に対する利益率は30%に跳ね上がったのだ。なんと、借金をする前の3倍ではないか!

 以上が、レバレッジの原理だ。他人資本の力を借りて、自己資本に対する利益率を上げる様子が、てこの原理に似ているので、レバレッジと呼ばれるってわけ。どう? 原理は簡単でしょ。

 誤解のないように書いておくと、レバレッジそのものは、悪いことじゃない。このテクニックがなければ、現代の資本主義は成り立たないとさえいえる。金融危機が起こったのは、アメリカの金融機関が、レバレッジというテクニックを、まるで魔法でも使うように、際限なく使いすぎたせいなんだ。

 金融市場には、短期金融市場と呼ばれる金融機関同士がお金の貸し借りをする商売がある。短期というだけあって、短いモノは一日単位で貸し借りをする。長くても数ヶ月という単位だ。証券会社の多くは、この短期金融市場から、お金をかき集め、それでレバレッジを繰り返してきた。

 ところが……

 サブプライム・ローンという欲望の化け物が破綻すると、短期金融市場が凍り付いた。銀行は、貸した金が返ってこないのを恐れて、お金を貸さなくなったんだ。

 さっき話したとおり、短期金融市場で借りた金は、早ければ翌日には返さなきゃいけない。ところがだ、証券会社は、短期金融市場で借りた金を返すために、同じく短期金融市場から金を借りていたので(自転車操業みたいなもんだ)、新しい借金ができないと、前の借金が返せないわけで……

 以上が、リーマン・ブラザーズなどの大手証券会社が破綻した構造だ。本当は、もっと複雑怪奇な魑魅魍魎がうごめいていると思うけど、その複雑さは、金融のプロでさえ正確には把握できないそうだから、ぼくにも説明することはできない。

 でも、ぼくなりに調べたけど、サブプライム・ローンでは、無職で収入のない人が、家を4つも5つも買っていたそうだ。ローンを組んで買った家を、価格が上がったときに転売すれば儲かるからね。まったく人間の欲望には恐れ入る。不動産価格が上がり続けているうちは、ローンを組んだ人も、ローンを組ませた会社も、そのローンを証券にして売った会社も、みんなが儲かっているつもりだったのだろうけど、無職の人が、家を4つも5つも買うなんて、あり得ないことが起こっていたんだ。そんなバカなことがいつまでも続くはずがない。

 で、結果はご覧の通り。

 学者や評論家やエコノミストは、もっともらしい説明を、難しい言葉で話すかもしれない。でも、問題の本質は小学生にだってわかるほど単純明快だ。人間は、お金が絡むと、欲望を制御できないんだよ。欲望がサブプライム・ローンという化け物を生み出し、レバレッジという道具が、その化け物を巨大にしてしまった。

 おそらく、同じことが環境についてもいえるだろう。ぼくらは、便利な生活を追求するあまり、地球の環境を破壊している。人類全体として、その欲望を止めることはできないだろうから、ぼくは、せいぜい自転車に乗ることにするよ。ガソリンはむだに使えないけど、自分のお腹の脂をむだに使っても、だれにも怒られないだろうからね。


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