薬物混入ギョーザ報道に思うこと


 彼女が体重計を買った。それに乗れと言う。なにやらボタンがたくさん付いている、最新の体重計だ。彼女は、ぼくの年齢と身長を入力した(らしい)。ちなみに裸足で乗らなければならない(らしい)。たぶん、体内に微弱な電流を流して、なにかを測定するためだろう。

 で、イヤな予感はしたが、言われるままに乗ってみた。すると彼女は、しゃがみ込んで、体重計の表示を凝視した。その直後、笑いながら転げ回り……と、思ったら、笑っている場合じゃないとばかりに、すぐまじめな顔に戻って――

 ダイエットしなさい! だってさ……

 なんの根拠でだか知らないが、彼女の体重計は、ぼくの年齢と身長そして体重、さらに計った電流を勝手に計算したあげく、ぼくの肉体年齢を47歳と表示したらしい。ぼくの体内に流れる電流の値がその根拠だと思うが、そんなものを計って、なにがわかるというのだ。仮に体内に含まれる脂肪の割合がわかるのだとしても、それを計るには、アルキメデスの原理を応用するのが一番正確なはずだ。まあ、それでは巨大な水槽を用意しなくてはならないので、医療機関は、別の方法で測定しているはずだが、なんにせよ、専門的な装置が必要なはずだ。小さな体重計が電流を流したくらいで、正確な数値が出るとは思えない。

 と、主張したいところだが……太ったのは事実なんだよなあ。くそう。

 しかし、タバコを吸う代わりに、ボリボリ食べていたスナック菓子が、最近やっとやめられるようになってきた。おかげで、少し体重が減った。もともと太る体質じゃないから、脂っこい夜食を食べないように気をつければ、これ以上の脂肪の蓄積は防げると思う。けど……運動をしなくちゃいけないのは明白だ。まずはウォーキングだな。

 さて。このままコレステロールの話でも書けば、ちょっと、お恥ずかしい独白風前フリから、スムーズにエッセイがはじまるってもんだが、今日はギョーザの話をしたい。

 そう。みなさん知っての通り、ジェイティフーズが輸入した冷凍ギョーザを食べた人が、大変なことになっている。重体に陥ったみなさんは、幸いにも回復したが、もし最悪の事態が起こっていたらと思うと、背筋が寒くなる。ぼく自身、たまに冷凍ギョーザを買って、家で食べることがあるので、それだけでも恐ろしいのだが、もっと怖いのは、重体者を出したギョーザを売った店が、ぼくの、ごく親しい人物の家のすぐ近くなのだと、最近知ったことだ。

 いまそこにある危機。もしかしたら、こんどの事件で入院したのは、ぼくだったかも知れないし、ぼくの知り合いだったかも知れない。

 でも……このエッセイで語りたいのは、そのこととはちょっと違う。こういうことが起こると、いつも鬼の首を取ったように騒ぐマスコミには、うんざりするというのが正直なところなのだ。不祥事を起こした会社の会見では、激しい口調で、会社の幹部を追求する記者が必ずいる。

 もちろん、ぼくらに代わって、社会の闇にスポットライトを当ててくれる人がいなくちゃ困る。そんなことは、ぼくにだってわかっている。

 それでも、ぼくは思う。あの口汚い記者の何人が、はたして本当のジャーナリストなのだろうかと。彼らは、食の問題について、いままで地道に取材を重ねてきたのだろうか。その経験と専門的な知識があって、あのような態度に出るのだろうか?

 いや、とてもそうは思えない。勘違いしてもらっては困るが、食料輸入について、専門に取材している記者だけを、会見場に入れろと言っているわけじゃない。それに、生き馬の目を抜くという意味では、マスコミも、そうとう厳しい世界だろうから、少々、荒っぽいヤツがいるのも理解できるし、そういう連中が必要だろうとも思うよ。祭りと喧嘩は派手な方がいいんだから。

 それにしたって、日本には、ただの「ニュース記者」が多すぎやしないか? ニュース記者と、パパラッチは紙一重だぜ。追いかけるモノが、スキャンダルかゴシップかの違いしかない気がする。ジャーナリズムの本質は、もっと静かで、品格のある、熱い情熱じゃないのか? 頭を下げればいいと思っている経営者は論外だけど、怒鳴ればいいと思っている記者にも、できれば、ご退場願いたい。

 文句を言い出したらキリがないけど、まずもって、マスコミ各社が使っている「毒ギョーザ」という言葉が気に入らない。なんという品格のなさ。大衆的でわかりやすいと言えば聞こえはいいけど、ほとんどの加工食品に入っている防腐剤だって、基準値を100倍以上超えれば「毒」だぜ。それどころか、味の素だって、大量に摂取すれば、手足がしびれて麻痺を起こし、最悪の場合は死に至る。

 もしも、もしもだよ、今回の冷凍ギョーザは、何者かが、故意に薬物を混入したのだとしよう。だとすれば、その犯人は、明確に「毒」としての作用を期待していたと考えられるから、そのときは、「毒ギョーザ」というネーミングが、当を得ていると思えるかも知れない。

 しかし、しかしだ!

 まだ原因がわかってないのだよ。そりゃ、混入していた薬物の量が、基準値がどうのこうのというレベルじゃなかったようだから、だれかが故意に混入させたと疑うのは自然……というか、調査当局は、その可能性も視野に入れて、調査しているはずだ。彼らが愚かでなければ、それが中国の工場で行われたのか、それとも日本に入ってきてから、どこかの倉庫で行われたのか……ということも調べるだろう。

 毒ギョーザと呼ぶのは、その調査結果が出てからでもいいんじゃないか? いや、むしろ、いまの段階では、薬物混入ギョーザとしておいて、調査結果が衝撃的だったときにのみ、毒ギョーザという言葉を使った方が、インパクトがあるんじゃないか?

 なんか細かいことにこだわってるな、ぼくは(苦笑)。

 まあ、この際、呼び方はどうでもいい(ぼくは薬物混入ギョーザという言葉を使うけど)。

 なんで、こんなマスコミ批判をしているかというと、こんどの薬物混入ギョーザのことを、ぼくなりに調べていると、ネットで、ちょっとビックリする発言に当たったからなんだ。それは、日経新聞のベテラン記者が書いたモノらしいのだが、正式な記事ではなく、記者のブログという形になっている。

そのブログ全文に興味のある方は下記のリンクからどうぞ。
http://katayamam.iza.ne.jp/blog/entry/468179/

 このブログの中で記者は、かなり強い調子で、日本政府の対応を批判している。その矛先は、とくに福田首相に向いている。

 気持ちはわかる。その通りだとうなずく部分も多い。でも、いくらなんでも「首相が真っ先に憤りの声を上げ、中国側のトップに怒鳴り込むべき事案でしょう」というのは言い過ぎだ。ここまで言われると、この人は、つぎの衆議院選挙に出るつもりなのかなと、勘ぐってしまう。いかにも、国民ウケする発言じゃないか。

 実際のところ、まだ原因は究明されていない。薬物が混入した場所はどこなのか、工場なのか流通なのか、また混入したのは、故意なのか事故なのか。

 何度も言うようだが、まず原因を確かめるのが先決だよ。それまで、首相は迂闊な発言をするべきではない。中国に怒鳴り込みに行くなんて、もってのほかだ。原因がわかるまでは、下っ端の議員や、せいぜい、マスなんとかという、できもしない公約が好きな閣僚なんかに、国民ウケする発言をさせて、場をつなぐしかないと思う。

 だって奥さん、薬物が混入したのが日本の倉庫で、しかも、日本人のだれかが、中国製品に風説を流して、利益を得ようとしている可能性が、まだゼロじゃないでしょ。日本の首相が中国に怒鳴り込んだあとで、そんな事実が発覚した日にゃあんた……つぎに、中国がなにか問題を起こしたとき、強い態度に出られないじゃんか。それこそ海千山千の、中国の思うつぼだ。そういうことまで考えるのが、外交ってもんじゃないのか?

 なんてことを書くと、実際に被害にあって、重体にまでなった人の気持ちはどう思うんだと、湿っぽい批判を受けそうな気がする。事実、この記者の、選挙で勝ちたい野党候補のような発言を支持するコメントには、被害者の気持ちを考えると、まったく、そのとおりだというモノもあった。

 そう言う意見には、こう答えられる。われわれ文明人は、なぜ法律を持っているのか、考えてみたことはありますかと。なぜ加害者にも人権が与えられるか、思いを巡らせたことはありますかと。もしも、被害者の気持ちを最優先にすべきなら、犯人をみんなで捕まえて、殴り殺せばよろしい。極論ではあるけど、人間の本能はそうしたいのだ。実際、ぼくらの先祖はそうやってきたではないか。

 それで思い出した。アメリカのある場所に、理性的な紳士がいた。彼は死刑廃止論者だった。ところが不幸なことに、彼の娘が暴漢に襲われて殺されてしまったのだ。犯人が捕まり裁判が始まると、その理性的な男はマスコミのインタビューに答えて言った。

「わたしは死刑廃止論者だった。だがいまは、犯人を死刑にしたい……」

 これが人間なんだと思う。ちなみに、この話は、何年か前、アメリカで本当にあったことで、彼のインタビューを、ぼくはテレビで見たのだ。ぼくも死刑廃止論者なのだけど、彼の言葉を聞いて、自信が揺らいだ。おそらくぼくも、自分の大切な人が殺されたら、彼と同じく、犯人を殺したいと思うだろう。だから、被害者の気持ち(こんどの場合は、薬物中毒で入院された方)を、軽んじるつもりは、これっぽっちもない。

 だからこそ、だからこそなんだよ、諸君!

 被害者の、あるいは被害者の家族の感情を超えたところで、だれかが理性として存在し、だれかが知性を発揮しなければ、社会は成り立たないではないか。そういう理性的な人たちの役割は、被害者への同情だけではないはずだ。まして、加害者への(あるいは容疑者への)リンチであっては、絶対にいけない。

 その理性的な人たちとは……警察? 裁判官? もちろん、彼らに理性と知性がなくては困る(ないから困ってるんだが……それはまた別の話だ)。でも、本当にそれが必要なのは、ぼくたち自身ではないのか。ぼくたちこそ、理性と知性のまなざしで、マスコミの報道に対するべきではないのか。そうでなければ、いつかだれもが選ばれる可能性のある裁判員になどなれるのか?

 不祥事を起こした会社が出ると、必ず繰り返される過熱した報道。それを見るにつけ、複雑な気持ちになっていたけど、ベテラン記者が、いくらブログだからとはいえ、あまりにも派手なことを書いていたから、つい、こんなエッセイを書いてしまった。

 もちろん、記者が言うとおり、原因がすべて中国にあり、それが中国の構造的問題だとしたら、首相が中国に怒鳴り込んでもいいだろう。ぼくだって、こんどの薬物混入が、どれほど深刻な事態なのか理解できないほど、鈍感じゃない。最悪の場合、死者まで出たかもしれないのだから。輸入や販売した業者の対応の不適切さ、また福田総理を頂点とした行政のもたつき……等々、追求すべき問題が多いことに、異論はまったくない。あるいは、話はもっと先へ進んで、変な味の食べ物を見分ける、食育の大切さを論じる必要だってあるかも知れない。しかし、それと、このエッセイで論じた、ジャーナリズムの品格とは、別問題だ。どうか、それを理解していただきたい。

 最後に。ぼくらは感情にまかせて、一つ忘れているかも知れない。食糧自給率が低いのと(金額ベースで考えれば、じつはそれほど低くはないのだが)、中国から安い食材を大量に輸入せざるを得ないのは、じつは、日本の構造的問題でもあることを……

 ううむ。どうやら、考えることは山ほどありそうだ。それを日本のニュース記者に期待するのは、虚しいだけなのだろうか? そうでないことを期待します。日本にだって、本当のジャーナリズムが存在すると……


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