楽園の泉


 前回のエッセイで、たまたま、数ヶ月タバコを吸っていないと書いた。その行為を、一般的には「禁煙」と呼ぶそうだが、ぼくには、その理由がサッパリわからない。そもそも、禁煙という言葉の意味が理解できない。まあ、ぼくのようにインテリジェンスを身につけると、一般大衆とは感覚がちがって当然か。ふっ。

 感覚のちがいともかく。いまも禁煙は続いて……ちがう、ちがう、たまたまタバコを吸っていない行為は続いていて、だからいうわけじゃないけど、タバコの税金は安すぎると思う。一箱につき、十万円ぐらいにすべきだ。そうすれば国庫も潤うし、たまたまタバコを吸わない人も増えるだろう。

 なに?

 税金を十万円も取ったら、タバコが闇で取引されて、やくざの資金源になるって? いいじゃん。いまだって、覚醒剤が闇で売り買いされているんだ。それにタバコが加わったからといって、なんの害がある? むしろ覚醒剤の取引が減って、みんな大喜びだぜ。

 いや、自分がたまたまタバコを吸ってないから、いうわけじゃないよ。ホントに。ホントだってば。たぶん……(ごめん、ちょっと嘘かも)。

 ちなみに、お腹のまわりの脂肪に比例していた、自転車がほしい熱は、外気温にも比例していたらしい。気温の低下とともに、自転車ほしい熱も低下中……(苦笑)。

 前回のエッセイでは、Vistaの不具合についても書いた。その中で、Vistaはモニターの色設定ファイルを読み込まないことがあると報告したね。

 これ、犯人はVistaでないかも。じつはキャリブレーションしたあと、モニターの輝度を変えることが原因だった。モニターの色は、写真をレタッチするときの設定で合わせているのだけど、それだと小説を書く作業には、バックライトがまぶしいんだよ。それで小説を書くときは、輝度が半分になる「省電力モード」をONにするのが習慣になっていた。

 ところが、キャリブレーター(測定器)の説明に、輝度などの設定を変えたら、もう一度最初から、キャリブレーションをやり直せと書いてあった。もしかすると、省電力モードをONにしてVistaを起動すると、色の設定ファイルを読み込んでも、キャンセルされるのかもしれない。でも……明らかにキャンセルされるときと、されないときがあるんだよな。

 うーむ。よくわからん。パソコンは、いまだに、なぞの機械だ。

 そういえば、この世にはグレムリンという妖精がいるんだった。機械を故障させてしまう妖精。グレムリンは、とくに飛行機がお好きらしく、なんで飛行機に故障が頻発するのか、イギリス空軍の少佐が、その原因解明に乗り出したところ、真夜中の格納庫で、飛行機のエンジンや、主翼の上で遊んでいるグレムリンを発見したんだそうだ。

 ウィキペディアによると、アメリカでは航空機の部品を納入するとき、飴玉をひとつ同梱する習慣があるそうだ。それはグレムリンに対して、「どうかこの飴で満足して、大事な部品にイタズラしないでください」というお願いなんだってさ。

 どうやら、パソコンの上にも、飴玉を乗せておく必要がありそうだよ(苦笑)。

 修正つながりで、ついでに書いておこう。トップページに続き、エッセイのページも、新しいデザインに変えた。今回のページデザイン(設計)のコンセプトは「軽さ」だ。

 ぼくのサイトは、各ページに表組みを多く使っている。これがページ全体のHTMLソースを長く複雑にしている原因だ。ページの構造としては、見出しがあって、その内容へのリンクを並べているだけなのだから、表(テーブル)なんか使わなくてもいいのだけど、どうしも見た目にもこだわりたいから、ついつい、使ってしまう。

 だから、表(テーブル)を使うのは仕方ないと諦めよう。でも、デザインを工夫して、少しでもテーブルの使い方を簡略化できないか? それに挑戦……というと大げさだけど、まあ、やってみたのだ。

 そのおかげもあってか、音声合成ソフトでうちのページを見ている方から、エッセイのページが読みやすくなったと言っていただけた。よかった。この調子で、ほかのページも直していこうと思っている。時間がないので、いつサイト全体が新デザインになるか、自分でもわからないのだけど……がんばります。

 ああ、そうそう。エッセイのページを更新するついでに、製品情報などにリンクを張ってあるエッセイを見直した。2003年に書いた「デジカメの秘密」なんてひどいもんだよ。当時リンクを張ったデジタルカメラで、いまも生産している機種は、ひとつもない。ただ、キヤノンとオリンパスには感心したね。生産終了品でも、当時の宣伝ページを消さず、同じURLで残してある。もちろん、生産終了品である注意書き付きで。これは、とてもいいことだと思う。生産を終了した製品は、その企業の歴史でもあるわけだから、作るのやめました。だからページも消しました……では、なんか寂しいよね。カシオさんも、ぜひ、ヒストリーとして残しておいていただきたい。

 2006年のはじめに書いた、「新しいプリンタ」も、もう少しも新しくない。これにはショックを受けたね。買った当時、印刷スピードが速くて感動していたキヤノンのiP 4200。現在は、iP 4500という機種になっていて、iP 4200で、L版フチなし印刷が42秒だったのが、iP 4500では、なんと18秒だ。すごい。わずか二年で印刷スピードが倍になっている。しかも、販売価格まで下がっている。うーむ。嫌なモノを見てしまった(苦笑)。

 さて……気を取り直して、そろそろ、このエッセイの本題に入ろう。前回のエッセイの最後で、次回は、まともなエッセイを書くと約束したから、まともなエッセイを書かねばならないのだ。

 となると話題は、得意中の得意である科学でしょう!

 なんて、さも、いま思いついたように書いてますが、前々から、書かねばならないと思っていた題材があるのだ。それは「人工衛星」について。なにせ今年は、人類初の人工衛星である、スプートニクが打ち上げられてから、五十年の記念すべき年なのだ。

 というわけで、人工衛星の話をはじめよう。

 そもそも衛星とはなんだ? 広辞苑によると衛星とは、「惑星の周囲を、その万有引力の作用によって運行する天体の称。地球に対する月の類」なんだそうだ。

 なるほど。おっしゃるとおり。さすが広辞苑。物事の説明を、短く簡素にしたいときは、百科事典より、ずっと役に立つ。でも問題は、万有引力を知らない人が読んだら、なんのことかサッパリわからないところだ。広辞苑の編者もそれを危惧したのか、説明の最後に、地球に対する月の類なんて、妙に俗っぽい説明を加えたのかね?

 まあ、それはともかく。科学者は、320年前から万有引力のことを知っていた。嘘じゃないよ。1687年、当時44歳だったアイザック・ニュートンが著した、世界でもっとも有名な科学書、プリンキピア・マセマティカに書いてあるんだから。

 だから科学者たちは、なんらかの手段で、人工物を空高く打ち上げることができるとしたら、人類の手で、衛生を作り出すことは物理的に可能だと確信していた。

 問題は、その「空高く打ち上げる」方法だ。

 2007年の現代、幸運にも先進国に生まれ、さらに運よく高等教育を受けることができた人なら、われわれが宇宙にモノを運ぶ手段に、ロケットを使っているのをご存じだろう。

 もちろんそれは、現代だからこそだ。ロケットという発想そのものは、火薬が発明されてすぐに思いつく人がいただろう。いまから千年以上前の中国には、すでにロケット花火があったという。でも、原始的な火薬で宇宙に行くのは、不可能ではないが至難の業だ(※注1)。

 なんで人工衛星の前に、ロケットの話を持ち出したかというと、帝政ロシアとソビエト連邦という、二つの体制を生きた科学者、コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー(1857年 - 1935年)のことを話さなきゃならないからなんだ。人類初の人工衛星、スプートニクは、彼の生誕百周年を記念して打ち上げられたのだから。

 ツィオルコフスキーは、ロケット理論を考案した人物だ。彼が1897年に数値化した「ツィオルコフスキーの公式」がなければ、現代の多段式ロケットは発明されなかった。だから、ツィオルコフスキーは、ロケット工学の父と呼ばれている。

 ツィオルコフスキーの公式を、ごくごく簡単に説明すると、ロケットは、噴出するガスの速度が大きいほど、あるいは、燃料を満タンにした状態と、燃料を燃やしてタンクが空になった状態で、その重量に差があればあるほど、大きな速度を得られる。というものだ。

 つまり、大きな燃料タンクを持つ、一本の長いロケットより、タンクをいくつかに分割して、燃料がなくなったタンクを捨てながら(軽くなりながら)飛んでいく方が、ずっと速く飛べるということなんだ。これはまさに、現代の多段式ロケットだね。

 とはいえ、ツィオルコフスキーの公式ができたからと言って、すぐにロケットを宇宙に飛ばせるわけじゃない。公式はあくまでも理論であって、宇宙へ飛んでいけるロケットの実現には、長く苦しい道のりが待っていた。

 まず、火薬のような固形燃料では難しそうなので、ツィオルコフスキーは、液体燃料を使うロケットを考案した。これは、すばらしい着想だったけれど、研究はなかなか進まなかった。研究しようにも、お金がなかったんだ。なにしろ、帝政ロシア時代、彼は評価されていなかったのだ。

 まあ、それも仕方ないことかも。ツィオルコフスキーが、最初のロケット理論を完成させた1897年といえば、カール・ベンツが、世界最初の、ガソリンエンジンによる四輪車を発売して、まだ数年しか経っていない。そんな時代に、宇宙へ行く「実用的な方法」を研究していると言っても、笑われるだけだろう。

 そんな不遇も、1917年のロシア革命で帝政ロシアが崩壊すると、やっと終わりを告げる。ツィオルコフスキーは、共産党政権の下でやっと評価されて、ロケットの研究に専念できるようになった。

 こうして、ロシア革命の三年後(1920年)に、ツィオルコフスキーは、多段式ロケットの理論を完成させた。このころ、世界で初めて宇宙ステーションを考案したらしい。それだけじゃない。彼は以前から、宇宙服や宇宙遊泳、そして人工衛星から軌道エレベータまで、非常に多くの着想を持っていて、ロケット工学の父というだけでなく、「宇宙旅行の父」とも呼ばれている。

 でも、ツィオルコフスキーの活躍はここまで。実際に宇宙までロケットを飛ばしたのは彼じゃない。

 ロバート・ハッチンス・ゴダード(1882年-1945年)は、アメリカの物理学者だ。一般的にいって、当時のアメリカ人はソ連が好きじゃないんだけど、ゴダードは、ツィオルコフスキーの論文に大きな影響を受けていた。彼は、液体燃料を使ってこそ、ロケットには未来があると信じて実験を続け、1926年に、とうとう世界初の液体ロケットを打ち上げた。だからゴダードは、「近代ロケットの父」と呼ばれている。なんでもいいけど、父とか母とか付けるの好きだよな。そういえば、ウルトラの父ってのもいたな。関係ないけど。

 余談だけど、ゴダードも人々の理解を、なかなか得られなかった。ウィキペディアのゴダードの項目には、こんな表記がある。

ゴダードの画期的な論文『高々度に達する方法』に対してニューヨーク・タイムズ紙は、真空中ではロケットを推し進める物質が存在しないので移動できないことを「誰でも知っている」として痛烈に批判した。記事はゴダードが「高校で学ぶべき知識を持っていないようだ」と非難した。(ウィキペディアより、原文ママ)


 この記事は正しいと思う。いや、ウィキペディアのことじゃなくて、当時のニューヨーク・タイムズの記事がだ。その記事は、ゴダードが高校で学ぶべき知識を持っていないと言ってるそうだが、確かにそうなのだ。当時の高校は、ゴダードが研究している内容を教えてはくれない。だからニューヨーク・タイムズの記者は、21世紀のわれわれと、ゴダードが知っていた、「だれでも知っていること」を知らなかったのだ。

 なんて、当時の無知な記者の、無責任な記事に文句を言ってもしょうがない。むしろ、多少なりともパブリックな場にテキストを公開する身としては、この記事を読んで身を正すべきだな。自分も同じように無知をさらしていないか……うーむ。さらしてるかも(汗)。

 ごめん、ごめん、話が逸れまくった。じつはゴダードの活躍もここまで。彼も宇宙にロケットを飛ばすところまでは、行き着かなかった。

 その栄誉を手に入れたのは、またしてもソ連だ。アメリカ人のゴダードは、ツィオルコフスキーの論文を読んだだけだが、ソ連のセルゲイ・コロリョフ(1907年-1966年)は、22歳の時に、ツィオルコフスキーに会ったことがあるらしい。そして、コロリョフが自ら語るとおり、ツィオルコフスキーに強い影響を受けて、ロケットの研究を始めた。

 ところが彼の作ったモノは、世界初の大陸間弾道ミサイルだった。ミサイルの先端に核弾頭を取り付け、いつでもアメリカを攻撃できるように、準備しておこうというわけだ。

 その大陸間弾道ミサイルは、R-7と呼ばれているので、このエッセイでも、以後R-7と表記することにしよう。

 さて、R-7が、一応完成したのは、1957年の3月で、それから三回、発射テストに失敗して、四回目にしてやっと成功した。そして、1957年は、ちょうど国際地球観測年がはじまった年で、しかも、ソビエト連邦が誇る、偉大なロケット工学の父、ツィオルコフスキーの生誕百周年だ。

 この機を逃してはイカンとばかり、本来は、核弾頭を取り付けるために設計されたミサイルの先端に、直径58cm、重量約83kg のアルミニウム製の球を乗せて、1957年10月4日、R-7は、宇宙空間に向けて発射された。二ヶ月前に、はじめて発射テストに成功したロケットを使うんだから、設計者のコロリョフをはじめ、関係者はさぞドキドキしただろうな。

 いや、これが成功したんだよ。ロケットは順調に飛行を続け、直径58cm のアルミニウムの球を、宇宙空間に放出した。この球こそが、人類初の人工衛星、スプートニクなのだ。

 いや、さっきから球、球って言ってるけど、もちろん、ただの球じゃない。中には温度計と、40.02MHzと20.05MHzの電波を発信する送信機が入っていて、衛星の温度を0.3秒ごとに発信するように設計されていた。この電波を地上で受信すれば、電離層の観測ができるって寸法だ。なにせ、国際地球観測年に打ち上げられたんだから、ちゃんと科学観測衛星だったのだよ。まあ、えらく単純ではあるけど。

 これにビックリしたのがアメリカだ。いわゆる、スプートニク・ショックというやつだな。なにしろ、当時のアメリカ人は(もしかしたら、いまもそうかもしれないが)、アメリカは世界で最先端の科学技術を持っていると信じていたから、人工衛星の打ち上げて、ソ連に先を越されたのが、悔しくてたまらなかった。国を挙げて、ソ連に追いつき追い越せってことになって、翌年の1958年に、NASA(アメリカ航空宇宙局)が設立され、1961年には、かの有名な、アポロ計画がはじまった。

 じつは、このスプートニク・ショックは、とてもすばらしい副産物をもたらした。ぼくは、アイザック・アシモフを心から尊敬しているのだけど、そのアシモフが、後に生涯をかけて取り組むことになる、科学エッセイをはじめたキッカケも、スプートニク・ショックだったと言われている。以前にも書いたことがあるかもしれないけど、ぼくが自然科学にこれほど興味を持つようになったのは――残念ながら学者になるほどではなかったが――アシモフの科学エッセイに出会ったからなんだ。

 失礼。いつものことだけど、話が逸れた。

 人類初の人工衛星打ち上げが成功し、二番目に挑戦したのもソ連だった。スプートニクの成功から、約一ヶ月後に、こんどは二号機が打ち上げられた。しかも、この二号機は、ただの人工衛星ではなくて、なんと、人類初の宇宙船だったのだ!

 いや、マジで、ホントだってば。ちゃんと搭乗席(気密室)が備えられていたんだよ。むちゃくちゃ狭かったらしいけど。そこに、ライカという名の犬を押し込めて、スプートニク計画の二号機は打ち上げられた。

 これも打ち上げに成功した。搭乗席とは名ばかりの、狭い空間に閉じこめられたライカには、脈拍を測るセンサーが取り付けられていた。それによると、飛行開始の5時間後ぐらいまでは、なんとか生きていたらしい。でも、7時間を過ぎてからは、ライカが生きている気配は、まったく送られてこなくなったそうだ。死因は、いまもってよくわかっていないけど、どうやら、キャビンの過熱が原因ではないかと言われている。かわいそうに。さぞ苦しかっただろう。

 でもまあ、たとえ飛行の最後まで生きていたとしても、ライカがふたたび地上の土を踏むことはなかった。だって、スプートニク2号には、地球に帰還する装置は取り付けられていなかったんだ。スプートニク2号は、大気圏に再突入するとき、大気との摩擦熱で燃え尽きた。ライカちゃん、成仏してくだされ。あなたは、宇宙葬の先駆けですな。

 なんて冗談はともかく。ソ連は、人類史上はじめての人工衛星の打ち上げに成功しただけでなく、人類初の、犬の棺桶……失礼。宇宙船の打ち上げにも成功したのだ。

 二度も先を越されたアメリカは、大あわてで組み立てたロケットに、大あわてで設計した人工衛星を積んで、ソ連に遅れること、約三ヶ月後に、はじめて人工衛星の打ち上げに挑戦し、なんとか成功した。

 え? 三ヶ月後?

 そう。本当に大あわてで準備したんだよ。しかしたいしたもんだ。基礎技術は持っていたとはいえ、三ヶ月で人工衛星を打ち上げられるんだから、アメリカも捨てたもんじゃない。もっとも、打ち上げられる重量は、ソ連のR-7ロケットに遠く及ばず、アメリカが最初に打ち上げた衛星は、たった14キロ。ソ連が同じ年に打ち上げたスプートニク3号は、1300キロもあった。

 でもまあ、成功は成功だ。アメリカが最初に打ち上げた人工衛星は、エクスプローラー1号と名付けられた。

 しかも、大あわてで設計したわりには、彼らの人工衛星には、ちゃんとした計測器が取り付けられていた。その計測器の組み立てを指揮したのが、当時、アイオワ大学で上層大気の研究をしていた物理学者、ジェームズ・アルフレッド・ヴァン・アレン(1914年 - 2006年)だ。

 ヴァン・アレンは、たった14キロしかないエクスプローラー1号に、流星塵検知器と、宇宙線実験装置を積み込んでいた。いわゆるガイガーカウンターと呼ばれる機器だ。1号の、約四ヶ月後に打ち上げられた、エクスプローラー3号にも、同じ装置を積んで観測を行い、地球の周りには、荷電粒子が地球の磁場に捕捉された領域があり、それがドーナツ型になっていることを発見した。これが、宇宙時代の、科学観測における、最初の発見といわれている。

 アメリカは、人工衛星の打ち上げには遅れたけど、宇宙からの観測による、最初の発見ではソ連に勝ったわけだ。よかったね、アメリカ人さんたち。

 ま、こんな調子で、ソ連とアメリカによる、宇宙への進出競争が激化していったのは、みなさんもご承知の通りだ。1961年に、ジョン・F・ケネディ大統領が「60年代が終わるまでに」人類を月に送ると公約した演説は有名だよね。

 しかしまあ、動機がなんであれ、ライバルがいるってのは、やっぱりモチベーションの維持には大切だよ。おかげでソ連は、1961年に人類最初の有人飛行を成功させ、ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン(1934年 - 1968年)に、地球は青かったと言わせた。

 アメリカも負けちゃいねえ。ガガーリンの翌年、ジョン・グレンがアメリカ人として、はじめて地球を周回した。

 こんどはソ連だ。1963年に、ワレンチナ・テレシコワが、女性としてはじめて宇宙を飛行した。さらに1965年、アレクセイ・レオノフが世界ではじめて宇宙遊泳を行った。わぉ。はじめてづくしだね(笑)。

 やっぱりアメリカも負けちゃいねえ。1966年に、ニール・アームストロングと、デイブ・スコットが、宇宙空間ではじめて、衛星同士をドッキングさせた。

 こうして、アメリカとソ連は、着々と月旅行への準備を進めていたのだけど、ソ連の方は早くも、大きな壁にぶつかっていた。スプートニクを打ち上げ、ソ連の宇宙開発の中心的な人物だったコロリョフが、1966年に亡くなってしまったんだ。これでソ連の月旅行計画は勢いを失っていった。

 アメリカは……というか世界は、このときはじめて、コロリョフの名を知った。じつはソ連には、宇宙開発に関わる技術者の身元を公表しないという方針があったんだ。

 そんなわけで、コロリョフがこの世を去ってから、アメリカのリードが鮮明になってきた。アポロ1号の悲惨な事故(カプセル内で火災が発生し、三人の飛行士が犠牲になった)があったけど、その欠陥を修正して、1968年12月21日には、月を周回する最初の有人宇宙船を打ち上げた。

 ソ連も、なんとか追いすがろうと、1969年7月3日に、新型ロケットの2度目のテスト飛行を行った。でも、これが大失敗。本当に、とんでもない失敗だった。なんと発射台の約200メートル上空で、ロケットの金属部品が脱落。その数秒後には、燃料を満載した2800トンの大型ロケットが地上に墜落したんだ。

 ドカーン。

 まさに大爆発。その大爆発は発射場をこなごなに破壊した。余談だけど、小型のロケットは、垂直ではなくて、斜めに打ち上げられることがある。あれは、打ち上げに失敗したとき、ロケットが発射台に落ちてくるのを防ぐためなんだ。真上に打ち上げて失敗したら、そのまま落ちてくるからね。地上施設が破壊されると、機材の被害どころか、地上にいる人が事故に巻き込まれて死んじゃったりするから、すごく危ないよね。

 失礼。話を戻そう。この大失敗で、ソ連の月旅行の夢は、ほぼ完全に砕けた。

 アメリカは、ソ連の大失敗の17日後(1969年7月20日)に、マイケル・コリンズ、ニール・アームストロング、エドウィン・オルドリンの飛行士たちを、とうとう月へ旅行させ、そこに転がっている石を、おみやげに持って帰らせた。

 アメリカの興奮は、まさに最高潮。あとは冷めるだけ(苦笑)。

 事実、熱狂していたアメリカ人の興奮はすぐに冷めた。いや、アメリカ人だけじゃない。人類は月への興味を急速に失っていった。一般人が注目したのは、はじめて月面に着陸したアポロ11号だけだったんだ。

 でもね、アポロ11号は、文字通り単なるはじまりに過ぎない。科学者にとっては、ここから本当に価値のある研究が始まるはずだった。でもそれは科学者だけの話で、一般大衆にとって、アポロ11号はクライマックスだった。月面を歩く宇宙飛行士の姿なんて、一度見れば十分ってわけだ。

 まあ、そうでなくても、アポロ計画は、経済性を無視したソ連との開発競争だったから、長く続くはずもなかった。実際アメリカは、ベトナム戦争でお金を使いすぎたのもあって、資金難に陥っていた。

 もちろん、ソ連にもお金がない。無理して月へ行くより、低軌道上に、サリュートやミールといった宇宙ステーションを浮かべて、そこでの長期滞在任務に重点を移すことにした。

 そんなわけで、アメリカも20号まで計画のあったアポロ計画を、17号で終了させて、やはり低軌道に宇宙ステーションを作る計画にシフトしていく。

 そして人類は、記念すべき、1991年を迎える。とうとうソ連が崩壊したんだ。冷戦が終結すると、アメリカとロシアの航空宇宙防衛産業が、本格的に宇宙の商業利用に乗り出した。というか、防衛という需要が減ったんだから、民間需要にビジネスチャンスを求めなければ、死活問題だ。しかも、この市場に、ヨーロッパと日本、さらに中国も参入して、衛星打ち上げ用のロケットは大型化、かつ低コストになっていった。

 さて、お待たせ。やっと、ここから本題中の本題。人工衛星の話だ。

 いまをさること90年前。1917年の12月16日、イギリスサマセット州マインヘッドに、一人の男の子が生まれた。彼はアーサー・チャールズ・クラークと名付けられた。

 なに? その男の子は、後に「2001年宇宙の旅」を書くことになる、SF作家のアーサー・C・クラークのことじゃないかって?

 そうとも!

 いままで、うだうだと、宇宙開発史を書いてきたけど、ぼくはこのエッセイで、アーサー・C・クラークの業績について書きたいんだ。だいたい、エッセイのタイトルだって、彼の小説の題名からいただいたんだぜ。

 人工衛星の話で、なぜSF作家の話をする必要があるのか? まあ、あわてないで先を読んでいただきたい。

 アーサー・C・クラークは、第二次世界大戦の時に、イギリス空軍の将校として、レーダーの開発に取り組んでいた。戦争によって、作家活動を中断されていたわけではなく、このときまだ、彼は作家としてデビューしていなかった。

 その戦争が終わった年に、クラークは、人工衛星による通信、すなわち通信衛星のアイデアを論文にまとめて発表した。通信衛星の可能性を、科学的に示した最初の人物が、じつは、ぼくらがSF作家として知っている人物だったんだ!

 と、ここまでは、ウィキペディアの、アーサー・C・クラークの項目にも書かれている。しかし、彼の項目を編集した人物は、肝心なところを書き忘れている。

 1945年に発表した論文の肝心な点は、通信衛星を、地球の赤道上にある同期軌道に乗せることの利点を述べていることだ。

 わかる?

 要するにクラークは、通信衛星の可能性を示しただけでなく、「静止軌道」の利用を、はじめて世に問いかけたんだよ。だから、静止軌道のことは、クラーク軌道とも呼ばれているんだ。ウィキペディアでは、対地同期軌道(たいちどうききどう)の項目に、そのことが書かれているので、SF小説の愛好家であり、かつクラークのファンでもあるぼくとしては、ちょっとホッとした。

 ではでは、クラークが思いついた、静止軌道について説明しよう。

 地球上に暮らしていると、なかなか実感する機会はないけど、地球の重力場は、距離によって減少する。たとえば、地球表面からの高度が100 kmのときと、35786km のときでは、35786km のほうが、地球に引っぱられる力が弱くなる……と、だれでも容易に想像できるはずだ。

 物体が地球から遠ざかるほど、受ける重力が減少すると言うことは、その物体が描く軌道は長くなり、また速度も遅くなる。

 たとえば、高度100Kmで公転する物体は、空気抵抗を無視して、かつ西から東へ移動(順行)すると仮定して計算すると、約86分で地球を一周しなければならない。そうしないと、重力に負けて地上に落下してしまう。地上でその物体を見ていると、かなりのスピードで、空を横切っていくことになるだろう。

 とすると……もしも、地球が自転するのと同じ周期で公転する物体があったとしたら、その物体は、地上から見て、どう見えるだろうか?

 もうちょっと具体的に書くと、地球は恒星を基準にして(恒星日)、23時間56分で自転している。分に直すと、1436分だ。だから、1436分で地球を一周する物体があったら、それはどう見えるだろう?

 答えは簡単。空の一点に、ずっと静止しているように見えるはずだ。

 では、1436分の公転周期を持つ軌道の高度は? それはケプラーの第三法則で計算することができる……のだけど、その計算は勘弁していただくとして、ウィキペディアの記述を信じて、35786km と書いてしまおう。

 ところで、さっきから静止軌道、静止軌道と言っているけど、この軌道は、ある特殊な条件を満たしたときだけ得られる、特別な軌道なんだ。

 ここで、みなさんに、もう一つ言葉を覚えていただきたい。それは「対地同期軌道」だ。対地同期軌道は、英語ではgeosynchronous orbitとなる。ジオシンクロナスとは、「地球と歩調を合わせて動く」って意味のギリシャ語だ。

 考えてみると、地球の自転に同期するだけでいいなら、人工衛星は、わりと自由に、自分の飛ぶ場所を決めることができる。たとえば、北極の上空から、南極の上空を通ってもいいし、その中間の、斜めの軌道でもいい。どれもこれも、公転周期が1436分だったら、それが対地同期軌道なんだ。

 ところが……

 さっきぼくは、地球と同期して公転する物体は、空の一点に静止して見えるはずだと書いたよね。

 ごめん。これ嘘なんだ。いや、まったくの嘘ってわけでもない。その物体が、『赤道の上空で円を描いて公転しているのなら』、という条件をつければ。そう、さっき説明したとおり、対地同期軌道の中で、赤道上空だけが「静止」軌道なのは、衛星が静止して見えるからなんだよ。まさに特別(スペシャル)な軌道なのだ。

 では、静止軌道ではない、対地同期軌道にある人工衛星を、地上から観察したら、どう見えるだろうか?

 じつは、その人工衛星は、天空上で8の字を描くように動いて見える。言うまでもなく、8の字を描ききるのに、ちょうど一日かかる。天文学者は、この現象を「アナレンマ」あるいは「アナレマ」と呼んでいる。英語では「analemma」だ。

 アナレンマ? 変な言葉だね。じつはこれラテン語で、日時計を支える台のことなんだ。

 なぜ日時計?

 その理由は簡単。人類は、人工衛星を手に入れるずっと前から、アナレンマを知っていた。そう。太陽も一年を通して見ると、空の上で8の字を描いているんだよ。だから、古代の人々は、太陽の動きを考慮して、日時計を調節しなければならなかった。

 ウィキペディアの「アナレンマ」の項目には、日時計うんぬんの説明はないけど、ありがたいことに、太陽の位置を、年間を通して撮影した写真がある。興味のある人はこちらをどうぞ。

 8の字を描くといっても、文字通りの「8」の形になることは、まずない。たいていは上下が非対称のイビツな形だ。そうだな、似たものを探すとしたら、細長いひょうたんって感じ。

 なぜ、そんな形になるかというと、地球が太陽を回る軌道は、完全な円ではないからなんだ。楕円軌道を描くと、8の字はいびつになるんだよ。

 同じことが人工衛星にもいえる。対地同期軌道は、ついつい美しい「円軌道」を描いていると思いがちだけど、地球との平均距離さえ合っていれば、どんな楕円軌道を描いたっていいんだ。

 ちょっと待て。そうすると、赤道上の静止軌道だって、その軌道が楕円であってもいいはずなので、そのときも、衛星は地上から見て「静止」して見えるのか?

 いや、見えない。たとえ赤道上にあっても、その同期軌道が楕円だったら、人工衛星は、東西の方向へ、直線を描くように、行ったり来たりする。

 なに? 直線? 8の字ではないのか?

 うん。静止軌道では、アナレンマは8の字にはならない。静止軌道にある人工衛星は、赤道に対する角度がゼロだからね。つまり、南と北の、ちょうど真ん中だ。だから南北方向のアナレンマは、完全に消えてしまうはずだ。

 問題は、東西の動き。これを止めるには、完全な円軌道でなければならない。地球は、それ自体が完全な球ではないので、地球を回る人工衛星の軌道を、完ぺきな円にすることは不可能だけど、でもまあ、うまく調整すれば、ほぼ円軌道にすることができる。

 ふう。これで全部だ。まとめてみよう。地球の赤道上にあり、かつ地球との同期軌道で、さらに軌道の形が円である場合、それは「静止軌道」になり、その軌道の利用方法を、はじめて世に示した作家の名前をとって、クラーク軌道と呼ぶのである……というか、最近はクラーク軌道なんて呼ぶ人は少ないから、みんな呼んでね(苦笑)。

 そりゃそうと、クラークは、なんで通信衛星を、静止軌道に置くと便利だと思ったんだろ?

 まあ、こんなこと説明するまでもないけど、地上から見て、その衛星が空の一点に止まって見えるってことは、その衛星と、電波で通信をする場合、地上からは、いつも同じ位置にアンテナを向けておけばいいことになる。

 みんなの家にも、BSアンテナがあるかな? もしBS放送を送信している人工衛星が、空の上で勝手に動き回ったら、ぼくらは衛星を追いかけるために、いつもアンテナを動かしていなければならない。テレビを見ている暇はないね(笑)。

 このように、常に地上と通信をするタイプの衛星は、クラーク軌道に打ち上げて、静止衛星にすると、すごく便利なんだ。ほかにも、なじみのある「ひまわり」のような気象衛星も、常に地上の同じ場所を観測できるので、静止衛星にするのが便利。

 もちろん欠点もある。クラーク軌道は、地上から 35786km のところにある。天文学的に見たら、ごく近距離だけど、3万6千キロという距離は、人間の感覚では、やっぱり遠い。

 たとえば、地表を詳しく観察したいときは、もっと低い高度に衛星を置いて、高精度なカメラ(観測機器)で調べた方が有利だ。あまり感心しない使い方に、敵国の様子を探る偵察衛星などがあるけど、科学的にも、地表を詳しくを観測する場合は、距離が近い方がいい。

 最近は、複数の衛星を打ち上げて、それらを宇宙空間で協調した動作させることもできるようになってきた。そういう技術を「衛星コンステレーション」と呼ぶんだけど、こういう技術ができてくると、わざわざクラーク軌道まで衛星を持ち上げなくても、もっと低い高度で、通信衛星を運用することができるんだ。低い高度なら、打ち上げコストも、そのあとのランニングコストも安くつく。

 というわけで、クラーク軌道の重要性は、技術の進歩とともに薄れてきたけど……それでも、クラーク軌道でなければならない、ある壮大な構想が、人類にはあるのだ。

 察しのいい人は、そろそろピンときたかな? このエッセイのタイトル「楽園の泉」は、じつは、アーサー・C・クラークが、1979年に発表した小説の題名で、その小説に、壮大な構想が描かれている。

 それは、軌道エレベーターだ。

 いまいちど思い出していただきたい。クラーク軌道にある衛星は、地上から見て、空の一点にピタリと止まって見える。

 ということはだよ、いま仮に、その衛星から長い長い棒を、地表に向けて伸ばしてきたとしたら、その棒はいつか地表に到達して、ぷすっと地面に突き刺さるだろう。

 もちろん、ただ地表に向けて棒を伸ばしただけでは、衛星がどんどん重くなって、重力に負けて落ちてしまうから、地表に向けて伸ばした分だけ、地球の外側にも、同じ棒を伸ばしていく。

 すると、外側に伸びた棒には、遠心力が作用して、衛星を外に飛び出させようとする。ところが、衛星は地表にも棒を伸ばしていて、そちらは落ちようとしているわけだから、ちょうどプラスとマイナスが釣り合って、衛星は、ずっとクラーク軌道上に留まっていられるわけだ。

 さて。こうして、首尾よく地表まで棒を伸ばすことができたら、その棒を登っていけば、宇宙へ行けるってことじゃないか? まるでジャックと豆の木だね。

 もっとも、クラークが、楽園の泉で構想したのは、静止衛星から棒を伸ばすなんて小さいものではなくて、もっと太いケーブルにして、それに乗り物をつけて昇降しようというものだ。さらに軌道上には、巨大な地球港を建築する。

 クラークはどうやら、本気で軌道エレベーターの実現を考えていたらしい。というのは、楽園の泉はSF小説だけど、それを発表してから、同じ軌道エレベーターの構想を論文にまとめて、国際宇宙航行学連盟の年次総会に提出しているんだ。かなり本気だったらしい。

 ただし、軌道エレベーターの発想は、クラークのオリジナルではない。楽園の泉のあとがきで、クラーク本人も告白している。

 ぼくの知る限り、軌道エレベーターのアイデア自体は、このエッセイのはじめ方で書いた、宇宙旅行の父、ツィオルコフスキーが、すでに1895年に出した本の中に書いている。

 だが、現代的な軌道エレベーターのアイデアを最初に出したのは、レニングラードのエンジニア、ユーリ・アルツターノフだろう。1960年のことだ。1966年になって、西側でも、ジョン・D・アイザックスのグループが『宇宙エレベーター』として発表している。それ以外にも、三つほどのそれぞれ独立した機関が、軌道エレベーターのアイデアを持っていたそうだ。

 要するに、クラーク軌道(静止軌道)がひとたび発想されれば、軌道エレベーターの着想は、自然発生的というか、わりと多くの人が考えつくアイデアだったのだろう。

 ただし、1960年代には、軌道エレベーターをアイデアとして持っていても、それを実現させる「素材」がなかった。

 考えてみてほしい。軌道エレベーターは、静止軌道上から、上と下に向かって伸びていく。ということは、静止軌道にある中間点は、上と下から、すさまじい力で引っぱられるわけだ。それを支えられる建築資材は、1960年代には存在しなかった。だから、みんなアイデアはあっても、大きく宣伝するようなことはなかったらしい。

 われらがアーサー・C・クラークは、長い長い構想期間を経て、満を持して、楽園の泉を書いたのだけど、当時の技術では、軌道エレベーターを作ることは不可能だ。

 ところが、1990年代に入ると、カーボンナノチューブが発見された。どうやら、こいつが建築資材の本命になりそうだ。グラファイトのウィスカーも有力候補だけど、カーボンナノチューブの方が、本命視されている。

 本命だって? おいおい、まさか、マジで軌道エレベーターなんか作るつもりか?

 いやあ、マジメな人もいるんだよ。NASAの技術者は、実現可能だといっている。全世界が、向こう三十年間、すべての兵器の生産をやめて、その資金を軌道エレベーター建築に当てれば、実現する……と。

 う、うーむ。す、すばらしい……と、思いたい。

 ぼくは科学技術に関して、かなりの楽観主義者で、ガンや心臓病といった、死亡率の高い疾患を、人類はいつか克服すると信じている。おそらく、エイズのように深刻な感染症も、脅威ではなくなる日が来るだろう。自動車はいつの日か、排気ガスを出さなくなり、パソコンが壊れなくなる日だって、夢じゃないと思う。それどころか、ニムのような人工知性体すら可能だと、本気で思っている。

 でも……どうだろう。軌道エレベータだけは、どうしても、実現している姿を想像できない。ゴダードの研究を鼻で笑ったニューヨークタイムズの記者ほど、失礼なことをいうつもりはないけど、軌道エレベーターを建築するのは不可能だと思う。

 あなたは、3万6千キロメートルもの長さのケーブルを想像できますか? そのケーブルに、エレベーターが取り付けれていて、宇宙まで登っていく姿を想像できますか?

 ダメだ。ぼくにはできない。たとえ建設をはじめても、2万キロぐらいのところでケーブルが切れて、とんでもない長さのケーブルが赤道上に落下し、大惨事になる姿は想像できるけど、完成した姿は想像できない。

 それでも、軌道エレベーターを作るために、世界中の国が協力して、兵器の生産を三十年凍結するというのなら、喜んで賛成しよう!

 そのために、消費税を上げると言われたら……反対しちゃうかも(苦笑)。ごめんね、アーサー。


※注1
このエッセイの発表当初、火薬は空気がないと燃えないので宇宙へは行けないと書いた。それについて、火薬とは、そもそも酸化剤の混合物であるとご指摘をいただいた。いやはや、なんともバカげたまちがいをやらかしたものだ。お恥ずかしい。こっそり直して黙っている誘惑に駆られたけど、潔く告白し、謹んで修正します。




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