夜空の散歩


 いま、これを書いている数時間前のことなんだが、グーグルアースというソフトウエアが、新しくなったことを知った。グーグルアースはコンピュータが作り出す地球儀だ。地球のあらゆる場所を上空から眺められる。じつにおもしろい。しかも無料なのだ。タダより安いものはない。

 そのグーグルアースが新しくなったので、さっそくダウンロードしてみた。今度は「スカイ」という機能が追加されたんだ。グーグルアースは地上を見るソフトだけど、スカイボタンを押すと、「夜空」を見ることができるんだ。

 たとえば、グーグルアースで、東京の下町にある、わが家を見ているとしよう。東京の空は、いつもどんよりしていて、よほど大きな星でなければ見えないけど、スカイボタンを押せば、グーグルアースのウインドウ画面は、わが家から見えるはずの夜空に切り替わり、今夜は、はくちょう座があるのがわかる。ソフトウエアに頼らなければ、夜空さえ見上げることのできない都市生活者というのも悲しいけど(苦笑)。

 思えば、この手の天体ソフトは以前にもあった。特にNASAが無料で配布している、NASA World Windというソフトは、グーグルアースと同じコンセプトだ。もしあなたが、太陽系の惑星の地表を詳しく見たいなら、グーグルアースより、NASA World Windのほうがいいだろうね。

 ただしそれは、「現時点で」という注釈がつくと思う。グーグルアースのデータは、どんどんリッチになっている。今後の発展が楽しみだよ。

 そんなわけで、ちょいと夜空の散歩を楽しんでいたら、久しぶりに宇宙のエッセイを書きたくなってしまった。だから書こう。

 でも、なにを書こうか?

 と思って、過去のエッセイを見直してみた。現在のところ、科学エッセイは22本書いていて、その中で、明確に天文をテーマにしているのは5本ぐらいだ。これには、われながら驚いた。もっと書いていると思ったんだ。宇宙は大好きだから。

 まあ、それはともかく。自分のエッセイを見直してみて、「夜空の星よ」というのが、ちょっと気になった。このエッセイでは、恒星の等級について扱っているんだけど、その前に、アリストテレスからプトレマイオスに至る、天動説が確立された時代のことを少し書いている。

 ふむ。では今夜は、哲学と占星術が支配した時代から脱して、夜空を科学の目で見た人たちの話をしよう。このエッセイでは、難しい数式を解説するつもりはないけど、ただの人物伝を書いてもしょうがないので、理論や法則を少しばかり解説しながら進めていこうと思う。

 では、はじめよう。

 古代ギリシアのアリストテレスから19世紀も経って、ようやくコペルニクスが、地動説を「再発見」した。1543年のことだ。ただし、コペルニクスは、いくつか間違いをやらかしていた。彼は、天体が中心を完全な円を描いて動くと思っていたんだ。これは古代ギリシアのアリストテレスの考え方と少しも変わらない。本当は、天体は楕円を描いて動くんだよ。

 つまり、コペルニクスルは、動いているのは「地球」か、それとも「天空」かという、決定的な議論には正しい答えを出したけれど、その計算方法では間違っていた。

 それでも地球は動いている……と、有名な言葉を残した、ガリレオ・ガリレイでさえ、じつはコペルニクスと同じ間違いを犯した。彼もまた、天体は完全な円を描いて動くと信じていたんだ。

 コペルニクスは、まあ、仕方ない。彼の時代には、精密な観測装置もなかったし、宗教的な危険があるなか、地球が動いていると主張しただけでたいしたもんだ(もっとも、発表したのは死んだあとだけど)。

 ガリレオの時代でも、宗教的な危険は相変わらずだった。だけど、ガリレオはコペルニクスより、ずっと有利な立場だった。なぜなら、惑星の精密な観測結果があって、それを利用した、ヨハネス・ケプラーが、天体の軌道は楕円だと発表したんだ。ケプラーの計算はとても美しく、しかも正確だった。過去の観測結果によく合致するのはもちろん、惑星の未来の位置も計算できて、その未来がやってくると、惑星はケプラーが計算したとおりの場所にあるのだ。

 と、ここまで証拠がそろっていたのに、それでもガリレオは信じなかった。彼は死ぬまで惑星の軌道は、完全な円だと信じていたんだ。

 地球が動いていると言って、異端裁判にかけられたガリレオは、もう二度と、地球が動いているとは言いませんと約束して釈放されたが、そのとき裁判所の前で、「それでも地球は動いている」とつぶやいた。まあ、これは伝説であって、とても真実だとは思えないけれど、もし事実なら、彼はこう続けたかもしれない。「地球は完全な円を描いて動いている」とね。どんなに偉大な科学者にも、こういった頑固なところはあるんだろうね。あのアインシュタインでさえ、不確定性原理を信じようとしなかったのだから。

 さあ、いよいよケプラーに登場してもらおう。彼の天体の運行に関する法則が完成したのは1619年なので、いまから388年前だ。この388年間で、彼の法則はわずかに修正されただけで、いまでも厳密に機能する。つまり「正しい」と考えてよさそうだよ。

 ということは……

 そう。ケプラーこそが、人類史上、はじめて星々の動きを、正しく理解した人物なんだ。もう少し正確に言うと、惑星の動きを正しく理解したのだ。

 なんて考えるとロマンチックだよねえ。何千年もの間、何億人もの人間が、同じモノを見ていたのに、だれも本当の姿は見ていなかった。ケプラーが見るまでは。

 さっき、ケプラーの法則が完成したのは、1619年と書いたよね。これは、三つある法則の、最後の三番目が発表された年で、前の二つの法則は、1609年に発表されている。ケプラーが38歳の時だ。

 しかし、その13年前(1596年)のことなのだけど、ケプラーは25歳の時に、「宇宙の神秘」という本を書いている。もう絶版だと思うけど、工作舎から、1982年に翻訳本が出ていて、それを読むと、なんと驚くべきことに、最後の章で、ケプラーは惑星の軌道が楕円になることを示唆しているんだ。

 もっとも、「宇宙の神秘」に書かれている内容は、ほとんどが間違っていた。間違っていると言うより、なんというか、SFに近いかな。そもそも、理論の柱となる仮定が間違っていたので、その理論が正しいわけがない。

 まあ、それもしょうがないことだ。ケプラーの時代、まだ惑星は6個(地球を含め)しか知られていなくて、ケプラーは、なぜ惑星が6個しかないのかを考えてしまったんだ。しかも、深く深く、そのことを追求してしまった。間違った観測結果を、これほど美しく(理論的に)説明した著書も珍しいかもしれない。

 しかし、どれほど理論的でも、それは結局、間違いなのだ! 壮大な思いこみでしかない。ああ、ケプラーは、なんと無駄なことをしたことか。

 と、思ってはいけない。科学って言うのは、まあ、そんなモノなんだよ。間違った思いこみからはじまるのはよくあることだ。ケプラーの場合も、理論は間違っていたけれど、その膨大な数学的努力がなければ、惑星の軌道が楕円だと気づくことはなかっただろう。

 それでは、ケプラーが解き明かした、三つの法則を見てみよう。


第1法則
惑星は太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を運行する。

第2法則
惑星と太陽とを結ぶ線分が、単位時間に描く面積は一定である。

第3法則
惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。


 なに? 難しくて、このエッセイを読む気がしなくなった? まあ、待ちなさいってお嬢さん。いま説明するから、チャンネル変えないでよ(笑)。

 第1法則は、さっきから書いているとおり、惑星の軌道が楕円だと言ってるわけ。太陽は、その楕円の焦点のひとつに位置するんだ。

 焦点を少し説明しおこうか。楕円には、円形と同じく中心があるのだけど、中心の両側に『焦点』と呼ばれる点が二つある。この焦点が離れていればいるほど、その楕円は平べったくなるんだ。逆に近ければ丸くなっていって、焦点が中心で完全に重なったとき、それが「円」なんだよ。つまり、円とは、楕円の特殊な形と考えることもできる。

 つぎに第2法則。これは、惑星の運動速度についてなんだ。惑星の軌道が楕円であるならば、惑星は、太陽に近づくときと、遠ざかるときがあるよね。惑星は、太陽に近づくときに速度が上がり、遠ざかると速度が落ちる。

 そして、最後の第3法則。楕円は、つぶれた「円」だから、平べったくつぶれた方向の直径は長いよね。これを長径という。円の直径を半分にしたものを半径と呼ぶように、楕円の長径を半分にしたものを、長半径と呼ぶ。

 さて、ここが第3法則のキモなんだけど、ケプラーは、惑星が太陽のまわりを一周する時間は、楕円の「つぶれ具合」には、関係ないと言ってるんだ。

 いま仮に、長半径が10という長さの楕円軌道を運動する惑星があったとして、その惑星が太陽の周りを100日で回るとしよう。では、もしも、完全な円運動をする惑星があったとして、その惑星の質量が楕円のときと同じで、かつ軌道の半径が10だったとしたら、その惑星は何日で太陽を回るだろうか?

 答えは、楕円のときと同じ100日なんだよ。要するに、長半径が同じなら、円運動も楕円運動も、その周期は同じになる……というのが、第3法則の言わんとするところだ。

 こうしてケプラーは、惑星の動きを正しく理解した。しかし、ケプラーはここまでだった。「動き」を理解はしても、その動きを「支配する仕組み」はわからなかった。いや、もちろんケプラーなりの理論はあったけど、それは科学と言うより、哲学的だったから、正しい答えに向かっていなかった。この先は、べつの天才の頭脳を必要としたんだ。

 ところで、ケプラーが三つ目の法則を発表したころ、ヨーロッパでは三十年戦争と呼ばれる戦闘が勃発してしまった。ケプラーは、カトリックの多い町で、プロテスタントの家に生まれたから、子供のころから宗教には翻弄されてきた。そして、この三十年戦争にも、もちろん巻き込まれてしまった。

 ケプラーの人生を見ると、あまり幸せではなかったように思えてならない。人類史上、はじめて宇宙を正しく見た人なのに、世俗的な成功には恵まれず、生涯にわたって貧乏だったようだ。60歳で死ぬ直前まで、滞っていた給料の支払いを求めて、旅をしなければならなかったんだ。その旅の途中、熱病にかかってこの世を去った。1630年のことだ(三十年戦争の戦乱のおかげで、ケプラーの墓は残っていないらしい)。

 ガリレオは、ケプラーより6歳上だけど、ずっと長生きをした。78歳になるまで生きたんだ。亡くなったのは1642年だね。

 ここで告白すると、ぼくは年代を覚えるのが不得意なんだ。何年頃に、なにがあったかを覚えてさえいれば、正確な年代なんて、知りたい(思い出したい)ときに調べればいいことじゃないか。ただの数字を覚えるために、苦労をすることはない。

 でも、1642年だけは別だ。この数字は、むかしから覚えているし、忘れることがない。いや、ガリレオが亡くなった年だからではなく、人類史上、もっとも偉大な天才が生まれた年だからだよ。

 彼の名は、アイザック・ニュートン。

 なに? ニュートンが、人類史上もっとも偉大な天才だという証拠を見せろ? いや、そう言われても困る。ぼくが勝手に思ってるだけだから(笑)。

 ニュートンの業績は多岐にわたるけれど、中でも、もっとも有名なのは「万有引力の法則」だよね。知ってるよね? 知らないとは言わせないよ。これを知らない現代人は、現代人じゃない。万有引力の法則こそ、現代科学の礎だ。

 ケプラーは、25歳の時、宇宙の神秘を著して、その中で、彼の生涯で、もっとも重要な仕事になった、ケプラーの法則の着想を得ていた。これは単なる偶然だけど、ニュートンが、万有引力の着想を得たのも、25歳の時だった。

 時は1666年。ロンドンでペストが大流行したので、ニュートンは、ウールスソープにある、母親の実家の農園に避難した。

 そこで見たのだ。リンゴが木から落ちるのを!

 ここで、ちょっと脱線。「リンゴの木」伝説は、ニュートンの姪が伝えたことになっていて、その木も特定されているけど(1814年に枯れてしまったので、いまは接ぎ木の二代目)、たぶん真実じゃないだろう。だいたい、リンゴってところがもう、聖書的で怪しいよね。もうちょっとまともな伝説は、農園でのんびり研究しているとき、なぜ月は落ちてこないかと思ったのが、はじまりってヤツ。

 まあ、どっちも伝説だからね。真相はわからない。しかし、この1666年に、万有引力の着想を得たのは確かだ。だからこの年を「驚異の年」と呼ぶ人もいる。

 よろしい、ではニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見たとしよう。さらに、なぜリンゴは落ちるのに、月は落ちてこないのかと思ったとしよう。ぼくだったら、そんな難しいことを考える前に、落ちたリンゴを拾って食べるだろうが、もちろんニュートンは凡人ではないので、月が落ちてこない理由を思いついたのだ。

 そうだ! 月だってリンゴと同じように落ちているんだ。ところが月は、落ちながら同時に横にも動いているから、その二つの動きが結びついて、地球を回る軌道にとどまっているに違いない!

 そう思っただけなら、古代ギリシアの哲学者と同じだけど、ニュートンは哲学者ではないから、観念をこねくり回す代わりに、「計算」をした。当時、光の強さは、距離の二乗に比例して弱くなることが知られていたから、地球の引力の大きさも、同じように減るかもしれない。そう仮定して計算すると……

 月の落下の速度は、実際の八分の七しかないという結果になってしまった。これは、明らかな間違いだから、ニュートンはガッカリした。だから彼は、後に「万有引力の法則」と呼ばれることになる考えを、忘れることにした。

 時は流れて、1684年のある日……

 イギリスの科学者たちが集まって、太陽の引力で、惑星の動きが影響されるのかどうかを議論していた。このとき、ニュートンの友人だった、エドマンド・ハレー(ハレー彗星の軌道を計算したハレーだ)が、ニュートンに尋ねた。

「なあ、アイザック。太陽の引力が、距離の二乗に反比例するとすれば、太陽を回る惑星の軌道はどうなるのかな?」
 するとニュートンは、即座に答えた。
「楕円形だよ」
「え?」
 ハレーは驚いた。
「なんで、すぐにわかるんだ?」
「だって、計算したことがあるんだ」
「いつ?」
「もう、ずいぶん前だよ」
「ちょ、ちょっと待て、詳しく聞かせてくれ」
 ハレーは、詳しい話を聞いて、ひどく興奮した。だってニュートンは、17年も前に、引力と惑星の運動に関して考えていて、しかも計算までしていたのだ。だからハレーは、もう一度その計算をやり直すように主張した。

 そのころ、ニュートンは微積分法を考案していて、ずっと精密な計算ができるようになっていたし、ありがたいことに、17年前より、ずっと正確な地球の半径が知られていたから、それを当てはめて計算してみると……

 今度は正しい答えが出たのだ!

 ニュートンはビックリして興奮し、発作を起こさないために、計算を中断しなければならなかった。しかし、ハレーは容赦なかった(笑)、ニュートンをせきたてて、運動の法則と、そこから推論できることを述べた本を書かせた。ハレーはお金持ちだったから出版の費用を負担した。

 こうして3年後の1687年に、科学書の中で、もっとも偉大な本が出版された。ラテン語の原題は 「Philosophiae naturalis principia mathematica」で、日本語では「自然哲学の数学的諸原理」と訳されるけど、一般的にはプリンキピアと呼ばれることが多い。

 プリンキピアは、三巻からなっている。第一巻は、運動の法則について。ここでニュートンは、ガリレオの運動の実験を理論的に説明した。第二巻は流体力学。そして、第三巻で、いよいよ万有引力の法則が登場する。ニュートンは、ケプラーの惑星の法則を一般化したのだ。

 特に、運動と万有引力の法則は重要だから、もうちょっと詳しく説明しよう。

 古代ギリシアの哲学者、アリストテレスは、物体が引力で落ちるのは、その物体が、本来あるべき場所(地球の中心)に帰ろうとする、帰巣本能だと考えた。重い物体は、より強く中心に帰りたがっているから重いのであり、つまり、早く落ちる。軽い物体は、それほど帰りたがってはいないので、ゆっくり落ちる。と、結論した。

 まるでファンタジー小説ですな。現代人なら、ごく簡単な実験で、アリストテレスの間違いを指摘できる。

 たとえば、二枚の、大きさが同じ紙を用意しよう。その紙を持ち上げて、同時に手を離せば、ヒラヒラと風に舞うように落ちていく。

 では、一枚の紙を、できるだけきつく丸めて、小さな球にしてみよう。そして、丸めていない紙と一緒に持ち上げて、さっきと同じように、同時に手を離そう。紙は相変わらず、ヒラヒラと風に舞うように落ちるだろうが、球にした紙は、ストンと一直線に落ちるだろう。その結果、球にした紙の方が、早く落下するように見える。

 なぜだ? 紙と、丸めた紙は、ともに同じ重さではないか?

 アリストテレスが正しいとすれば、重さが同じ紙は、同じ情熱で中心に帰ろうとしているのであって、同じ速度で落ちなければならない。

 われわれ現代人は、丸めていない紙がゆっくり落ちるのは、空気抵抗があるからだと知っている。では、空気抵抗がなければどうか? もちろん、その場合は同時に落ちる。それどころか、空気抵抗がなければ、堅い金属の球と、羽毛も同じスピードで落ちるのだ。つまり、物体が落ちるスピードは、その物体の重さには関係ない。

 ところが、アリストテレスが間違ってから、人類が、その間違いに気づくのに、約1900年の時間を必要とした。気づいたのは、ガリレオ・ガリレイだ。しかし、ガリレオは、重さに関係なく、同じ早さで落ちることは証明したが、なぜそうなるかは、わからなかった。

 そこでニュートンは、画期的な概念を考え出した。それは「質量」だ。質量こそが、物体に固有の特性なんだ。地球の表面では、物体の質量は重さに比例するけど、この二つは同じモノではないのだよ。

 こう考えてみよう。ぼくは地球上で65キロの重さがある。ところが、月に行くと、たった11キロになってしまうのだ。月の引力は、地球の六分の一だからね。

 でも、ぼくの身体の内容物が、六分の一に減ったわけではない。もし減ってしまったら、死んでしまうだろう。地球にいるときも、月に行ったときも、ぼくは、ぼくなのであって、なにも変わらないのだ。惑星の引力が変わっただけだ。この「ぼくは、ぼくなのであって、なにも変わらない」という部分が質量だ。物体固有の特性である質量は、宇宙のどこへ行っても変わらない。

 つぎにニュートンは、「慣性」という性質も定義した。これは簡単に言うと、物体の「動かしにくさ」だ。質量の大きい物体は動かしにくく、質量の小さい物体は、簡単に動かすことができる。つまり、慣性がどんな値になるかは、質量によって決まるわけ。

 こういった考えをまとめて、ニュートンは「運動の三法則」を完成させた。

 第1法則は、慣性の法則とも呼ばれ、物体に力を加えなければ、その物体はいつまでも静止しているか、あるいは等速運動を続けると述べられている。電車に乗っていて、その電車が発車するとき、身体が後ろに押されるような感覚を味わったことはない? これは、あなたも質量なので、静止しようとしているから起こる感覚だ。あなたは、後ろに押されたのではなく、電車の方が、先に前に行っちゃうんだよ。

 第2法則は、加速度だ。ニュートンの運動方程式だね。物体に力を加えると加速度が生じるんだ。物体は、力を加えられる方向によって、速くなったり、遅くなったり、運動の方向を変えたりする。さらに同じ大きさの力でも、重い物体には小さな加速度が、軽い物体には大きな加速度が生じる。と、述べられている。

 第3法則は、作用と反作用だ。たとえば、ぼくが、だれかを押しのけようと、その人の背中を押せば、じつは、同じ力で自分も押しのけられてしまうのだよ。地上では、各種の摩擦があるから、あまり実感できないかもしれないけど、宇宙船に乗って、無重力状態になれば、顕著にわかるはずだ。同僚の宇宙飛行士を押せば、自分も同じ力で、後ろに動いてしまうだろう。

 さあ、これで万有引力を考える準備が整ったぞ。

 ニュートンは、さらに先に進んで、この世の、質量のある、あらゆる物質は、互いに引き合うと考えた。たとえば、あなたがいま、どこで、このエッセイをお読みなのかわからないが、たとえ100キロ離れていても、ぼくらは互いに引き合っている。二人の距離が近くなればなるほど、引き合う力も強くなる(距離の二乗に比例する)。

 あなたが男である可能性もあるので、その場合は、間違っても「惹かれ」合いたくはないが、ニュートンの法則によれば、ぼくらが「引かれ」合うのは運命なのだ。ただ、地球がより巨大な力でぼくらを引いているので、そのことに気づくことはないだろう。

 ま、なんにせよ、万有引力の法則のキモは、「互いに引き合う」だ。リンゴが木から落ちるのは原始人でも知っていたけど、じつは、そのリンゴは、地球と引き合っていたと理解したのは、人類史上、ニュートンがはじめてなのだ。

 このようにニュートンは、運動の法則から、万有引力の法則にまで到達した。プリンキピア・マセマティカの第一巻が運動の法則で、万有引力が第三巻なのは、まさにニュートンの思考の過程だろう。

 しかし、万有引力の発見は、運動の法則を考えていたからだけではない。ケプラーがいたからだ。彼が惑星の運動に関する法則を発表していたから、ニュートンは万有引力を思いついたんだ。

 さっき、ケプラーのことを紹介したとき、彼は、惑星の動きを理解しながら、その動きを支配する仕組みにまでは到達できなかったと書いた。その理由は、「運動の法則」に思い至らなかったからだと思う。彼の時代、ガリレオがすでに、運動の実験をしていたのだから、ケプラーにも、万有引力を発見するチャンスはあったのだ。

 残念なことにケプラーは、惑星の動きを、正多面体に当てはめるという、初期のころ(25歳で出版した本)のアイデアを生涯捨てられなかった。さらに、重力の原因を、地磁気に求めてしまった。じつは、重力が生まれる原因は、現代の最新物理学でもわかっていない(重力子は、まだ未発見)。ケプラーは、ケプラーの時代に考えてはいけないことを考えてしまったのかもしれないね。

 そこいくと、ニュートンは、ザバサバしたもんで、「質量を持つ物体同士は、互いに引き合う」という「現象」を提示しただけだ。その先の、「なぜ質量があるか」とか、「なぜ重力が生まれるか」は考えなかった。それは神の仕事なのであって、敬虔なクリスチャンであるニュートンにとって、理解する必要のないことだった。

 いや……本当は、ニュートンは恐れたんだと思う。万有引力の法則を突き詰めていくと、神の存在を否定してしまいそうだった。それはマズイ。ニュートンは、正統派のキリスト教徒ではなかったようだけど、宗教心はとても強かった。彼にとって、神の否定はあり得ないことだったんだ。

 ところが、おもしろいことに、このニュートンのスタンスが、近代科学の基盤となった。科学者は、「どのようにして?」を問うのはいいけど、「なぜ?」を思い詰めてはいけない。「なぜ?」の迷宮にハマると、抜け出せなくなる。

 そうだな……こういうふうに言い換えようか。「なぜ人間が存在するか?」という問いかけは、科学ではない。これは哲学であり、おそらく答えはない。科学では、「人間はどのようにして誕生したか」と問わなければいけない。これならダーウィンが、進化論を発表できる。

 科学とは、制御された実験、あるいは観測が行われ、さらにそれらが再現可能なときに限り、有効に機能する。ニュートンは、はからずも、この現代科学の常識を作ってくれたのかもしれないね。

 さて、そろそろ、このエッセイを締めくくろう。

 ぼくらは、アリストテレスの、間違った宇宙観に、1900年間支配されてきた。その呪縛から抜け出したのは、ガリレオとケプラーだった。そして、彼らの業績を、ニュートンが完成させた。

 だからこそ、いま、ぼくらは宇宙を正しく見ることができるのだ。いや、ひょっとしたら正しく見ていないかもしれないけど、もしそうだとしても心配はいらない。きっと、未来のだれかが、ニュートンたちがしたように、正しい答えを見つけてくれるだろう。


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