われらが海を想う


 少し前のことだが、リメイクされた「日本沈没」を観てきた。物語として、いいたいことは山ほどあるんだけど……まあ、いい映画だと思った。小松左京が原作を発表したとき、ぼくはまだ子供で、最初に映画化されたときも、まだ子供だった。当時、日本沈没を観た記憶は、もうほとんど忘却の彼方だけど、それ以後、小松左京の小説を数多く読み、彼の原作が映画になれば、欠かさず観てきたのだから、かなり影響を受けている。

 それはともかく。リメイク版の日本沈没に、潜水艦の操縦士である小野寺が、消防庁に勤めるヒロインの家で、夕日を観ながら、彼女とお互いのことを語り合うシーンがあった。

「小野寺さんは、なんで潜水艦に乗ろうと思ったの?」
「ぼくは、子供のころから海が好きだったんだ。それも光が届かない、深い深い海が。変な子供だろ?」

 セリフは記憶だけを頼りに書いているから、細かいところで間違っているかもしれないけど、まあ、おおむねこんな会話だ。

 で、つい最近。感想掲示板で、海についてのエッセイを書いてくれないかと頼まれた。その方も、海が――それも深海が――お好きだと書かれていて、日本沈没のワンシーンを思い出したというわけ。そしてもう一つ思い出した。そういえば、宇宙については、ずいぶん知ったかぶりを披露してきたけれど、もっと身近な題材――わが地球――について、真剣に語ったことはなかった。

 だから語ってみよう。海について――

 まず最初に面積から見てみよう。海は3億6千万平方キロメートル……なんて言われても、実感できないよな。となると、東京ドーム何個分だろうか。待て、時期的に甲子園球場と比べる方がいいよな。えーと、甲子園球場の敷地面積は、39,600平方メートルだそうだから、えーと、えーと、えーと……(電卓を叩こうとして、冷や汗をかいているところを想像していただきたい)。

 みんな、勝手に計算するように。

 え? ダメ? 言い出したのはおまえなんだから、おまえが計算しろ? しょうがない。計算するか。えーと……(マジで計算中)。

 出ました。約9億1千万個ですな。地球の海には、9億個以上の甲子園球場が作れるわけで、そうすると、日本全国の高校が出場しても、ぜんぜん大丈夫どころか、全世界高校野球選手権を開催しても、まだ球場が有り余るわけなので、9億個も作る必要はない……

 って、なんの話をしてるんだぼくは?

 いや、要するにですね。海は広いな大きいな、ってわけですよ。あったよねえ、「海は広いな大きいな〜」って、ノンキな詞の歌が。地球の表面積の、約7割が海なのだから、広くて当たり前。それはそうと、「広い」はわかるけど、「大きい」ってなんだ? たぶん体積のことだと思うけど、海が大きいといわれても、ピンとこないのは、ぼくだけだろうか? 深いところでは、一万メートルぐらいあるそうだから、たしかに体積も大きいけどさ。

 失礼。ぜんぜん話が進みません。いいかげんマジメに書きます。

 さて、その広くて大きい海。こいつが「水」で満たされていることは、みなさんもよくご存じだろう。しかも、ただの「水」ではないこともご存じだろう。海水と呼ばれるそれは、簡単に言うと「塩水」なのだ。

 ねえ、みんな。不思議に思ったことない? なんで海って塩辛いんだろう。

 その理由を説明するには、時計の針を46億年ほど過去に戻さなくてはならない。みなさん、タイムトラベルの準備はよろしいかな。さあ、おやつを持って出発だ!

 46億年前……(いつ書いても、いい響きだ)。

 水素やヘリウムのガスと、それよりは重い元素の塵が、宇宙に漂っていた。いや、漂っていたというのは正確じゃない。そのガスと塵は、超新星爆発で作られたものだろうから、爆発のときの運動エネルギーを持っていた。つまり、ふわふわ漂うのではなく、湖に投げた石が水面に波を作るように、そのガスと塵は、波うっていたと思われる。ここが重要だ。波があるということは、密度の違いがあるというのに等しい。密度の高いところは、自分たちの重力によって、まわりのガスと塵を集めるから、より密度が高くなる。すると重力も強くなるから……どんどん成長していく。

 ちょっと待てーっ! 海の話をするといって、なんで宇宙の話なんだ。TERUさん、そりゃ詐欺だよ。と、Script1苦情受け付け電話に、お電話をしようとしたあなた。まあ、がまんして先を読んでくれたまえ。必ず、海の話しに戻すと約束するから。

 では、大好きな宇宙の続き(笑)。

 ガスと塵の密度の高い部分は、あるとき、明確に回転とわかる運動をするようになった。こうなると、ガスと塵は目に見えて(天文学的な長い長い時間をかけてだけど)回転の中心に向かって集まっていく。落下していくといった方が、より正確かもしれない。

 で、中心の密度が、ある値に達すると、量子力学でいうところのトンネル効果によって、集まった水素に核融合の火が灯る。これが太陽だ。ベイビー太陽。ベイビーというのは、言葉の比喩ではあるけれど、じっさい生まれたての太陽は、いまの太陽の70%ぐらいの大きさだったと思われる。まだガスが集まりきってはいなかったんだ。

 こうして太陽は生まれたけれど、それとほぼ同時に、惑星も生まれていた。太陽に落下していないガスと塵が小さな塊を作って、それが惑星になったのだ。この過程が、いまから46億年前というわけ。

 なーんて、さも見てきたように書いているけど、以前、「太陽系の秘密」と題したエッセイでも書いた通り、太陽系が、どのように形成されていったのか、まだわからないことが多いんだ。今後の研究に期待だね。

 ともかく地球は46億年ぐらい前に誕生した。最初の地球は熱かった。暑かったじゃないよ。熱かったんだ。そうだな。マグマの塊を思い浮かべてもらえば、当たらずとも遠からず。つまり火の玉だ。

 と、またまた見てきたように書いているけど、これもハッキリわかっていない。マグマと地殻が、いつ完全に分離したかは、学者によって見解が異なる。ただ、熱かったのは間違いないはずだ。もちろん海はない。それどころか大気すらなかっただろう。すでにガスを宇宙に逃がさないだけの重力はあっただろうけど、地表が熱すぎて、気体はどんどん宇宙に逃げていった(と、思われる)。

 誕生から3億年ほど経過すると――つまり、いまから43億年前――地球はだいぶ冷えてきた。ちょっと涼しくなって、宇宙に逃げていたガスが、地表にとどまれるようになったんだ。意外に思われるかもしれないけど、海ができるためには、このときの、原始大気の成分が重要だ。だから、もう少しこの話に付き合っていただきたい。

 さて、地球にできた一番最初の大気は、どんなものだったろうか? 宇宙にもっとも多く存在する元素は、水素とヘリウムだから、地球の重力は、それらを大気として補足していたのだろうか?

 ちがうんだ。水素もヘリウムも、あまりにも軽すぎて、地球の重力では捉えておくことができない。では、なにが大気を構成していたのか?

 そのヒントは、隕石の中にある。隕石は、惑星になれなかった、太陽系の材料の残りと考えることができる。だとすれば、隕石の中に閉じ込められている揮発性の成分は、原始大気の成分と同じではないのか?

 うん。たぶんそうだろう。では、隕石を調べよう。

 と言っても、これまた大変複雑なお話で、隕石には、それが作られた時期や、作られたあとの環境で、どのように変化したかなど、科学者にとってはもっともな理由によって、さまざまに分類されている。科学者は分類が趣味なんだ。彼らの趣味に文句を言うつもりはないけど、説明する身にもなってほしいよなあ。ぶつぶつ……

 ぶつぶつ言っててもしょうがない。いまこのエッセイで重要なのは、海を作るための材料だから、それにフォーカスしよう。それは、水だ。

 隕石は、大きく分けると二つに分類できる。ひとつは金属の塊。主に鉄だ。超新星爆発に至る核融合で、最後に作られる元素は「鉄」だから、太陽系、ひいてはわが地球に、鉄がたくさん存在しているのは、当然の成り行きなんだ。

 そしてもう一つが岩石だ。この中には、さまざまな元素が閉じ込められている。酸素や炭素はもちろん、生命の材料になりそうな有機物まで入っている。そして、海を作るための「水」も含まれている。

 そもそも、水というのは、水素と酸素の元素がくっついた分子だ。水素は宇宙にたくさんある。酸素も、恒星が超新星爆発に至る過程の核融合で大量に作られるから、太陽系の材料になったガスと塵の中に、水が存在しているのは、これまた、ごく当然の成り行きなのだ(だから、火星に水があってもいいはずなのだ!)。

 では、つぎの段階に進もう。

 さっき、43億年ほど前に、地球は大気を保持できる温度になったと書いた。上に書いた通り、主に隕石の研究から、原始大気の成分を推察すると、おそらく、主成分は二酸化炭素だったと思われる。それに窒素と水蒸気が混じっていた。さらに、さまざまな揮発性の元素が含まれていただろう。その揮発性の元素の多くは、ハロゲン水素として存在していただろう。ハロゲンとは、ギリシャ語で「塩を作るもの」という意味だ。みんなも、理科の実験で、塩酸を使ったことがあるんじゃないかな。塩酸もハロゲン化水素の仲間だよ。

 ところで、原始大気の気圧は、いまわれわれが住む地球のように、1気圧ではなかった。ものすごく濃かったんだ。おそらく100気圧ぐらいあったんじゃないかな。こいつは、すごい圧力だぜ。なにせ、1000メートルの深海と同じなんだから。

 さあ、そろそろ水蒸気の登場だ。もし原始大気の気圧が100気圧だとしたら、水蒸気は、300度ほどの高温でも「雨」になることができる。逆に言えば、地球の表面が300度以下になったとき、ついに雨が降ったことになる。雨が降れば地表の温度を下げるから、この反応は加速され、ある時点で、われわれの想像を絶する豪雨が、地表に降り注いだことだろう。その雨は地表に水たまりを作り、池の大きさになり、湖ぐらいになり、やがて海と呼んでいいほどに成長していった。

 と、これまた見てきたように書いているけど、このシナリオも、まだ仮説であることをお断り申し上げておきたい。たぶん、大きく外れてはいないと思うけどね。

 ところで、二酸化炭素は水によく溶ける。嘘だと思うなら、コンビニでソーダ水を買ってきてごらん。ほら、ペットボトルの蓋を開けると、シュワーッと泡が出るだろ?

 さきほどぼくは、原始大気の主成分は二酸化炭素だったと書いた。となれば、雨に二酸化炭素が溶け込み、まるで炭酸水のような海を作っただろう。二酸化炭素を奪われた大気は、徐々に気圧が低くなって、地表はそれほど不愉快な状態ではなくなっていった。

 しかし、海は愉快じゃなかった。炭酸の海に砂糖を入れれば、子供は喜ぶかもしれないけど、原始の雨は、塩化水素も多く含んでいたはずだから、それは、強烈な酸性雨だったのだよ。酸っぱい水じゃあ、子供は喜ばないだろう。しかも、酸性の雨は地表を溶かしただろうから、原始の海は、まるでタールのように、どろどろしていたかも知れない。海水浴には適さないね。流行の水着を買った彼女が、怒って帰るのは目に見えている。間違っても、原始の海に、彼女を連れて行かないように。

 ところが世の中うまくできているもので、雨が酸性なら、地表はアルカリ性だった。とくにアルカリ金属のナトリウムとカリウムは、ハロゲン(塩素とか)とよく化合するから、海は速やかに中和され、中性になっていったことだろう。さらに海に溶け込んだ二酸化炭素は、主にカルシウムと反応して、炭酸カルシウムになった。いわゆる石灰石だ。こうして二酸化炭素は、石灰石として海の底に沈殿していった。

 もう察しがついてきたと思うけど、この過程で、塩(塩化ナトリウム)も作られていったことだろう。つまり海は、比較的早い段階で、すでに塩辛かったと思われる。そろそろ、彼女をデートに誘ってもいいかな? いや、まだ待った方がよさそうだ。

 さらにつぎの段階に進むと、海にはもうちょい重い分子も溶け込むようになった。太陽は、ほぼ現在と同じ大きさになり、強く光り輝いて、豊富な紫外線を地表に届けた。日焼けの原因になる不愉快な紫外線も、わが地球の進化にとって、なくてはならないエネルギー源なんだ。大気にできた雲の雷と相まって、それらのエネルギーは、大気中の水蒸気を分解し、さらに二酸化炭素が減ったおかげで、相対的に、主成分の座に躍り出た窒素を反応させて、メタンやアンモニアなどを作った。もちろん、これらが海に溶け込んだ。アンモニアの海を目の前にしたら……やっぱり、彼女は怒って帰るだろう。

 では、先を急ごう。メタンやアンモニアができたあとのことは、以前、「グッバイ、神さま」というエッセイで書いたから、ここでは説明しない。これらの分子が、より複雑な分子を作り、それがやがて生命になった。というのを、「グッバイ、神さま」で書いたのだ。忘れてたら読み返してみてね♪

 さあ、みなさん。やっと、このエッセイのスタートに立てたようだよ。では、時計の針を、ぐーっと進めて、現在の海を眺めてみよう。

 それでもやっぱり、最初は成分の話から。

 なんといっても、一番多いのは(主成分の「水」を除いて)塩分だ。3・5%ぐらい含まれている。そして、おそらく地球上に存在するほとんどの元素が溶け込んでいるだろう。金(ゴールド)も、ウランさえ、海にはあるんだ。

 もしも、海水から稀少金属を安価に取りだす技術があれば、われわれ人類は、地表を掘らなくてもよくなるだろう。残念ながら、現在の技術では(不可能ではないが)コストがかかりすぎて、やるだけむだなんだ。

 でもね、なにも人間が機械を使って、海から成分をこし取らなくても、それを代わりにやってくれるヤツらがいる。その代表は海藻だ。海藻は、ヨウ素を溜め込む性質があって、さらにヨウ素は人間にとって、とっても大切な元素だから海藻を食べると都合がいい。ヨウ素が不足して起こる、不愉快な病気にかかりにくくなるんだ。海藻でなくても、海藻を食べて育つ貝類も、ヨウ素を豊富に含んでいるから、シーフードは身体に良いのだ。日本はむかしからシーフードをたくさん食べてたよね。だから、ヨウ素が不足して起こる病気が少なかった。ただし、ヨウ素を取りすぎても病気になるから、気をつけてね。なにごとも、過ぎたるは及ばざるがごとし。

 失礼。話がそれた。

 えーと、たぶんご存じだろうけど、海は、単なる大きな水たまりではない。もし海がなければ、生命が誕生しなかったのはもちろん、地球の気候に、非常に大きな役割を担っている。地球が温暖な惑星なのは、海があるおかげだ。

 そもそも、水というのは、とてもユニークな分子だ。

 まずもって、比熱容量がすごく大きい。正確には、モル熱容量と呼ぶべきかも知れないが、まあ、どっちににしても意味がわからないだろうから、もっと簡単に言うと、「温めにくい」という特性を持っているんだ。ただし、一度温まれば、今度は冷めにくい。

 これはどういうことかというと、海は、どんどん宇宙に逃げて行ってしまうエネルギーを、蓄えておいてくれるんだ。たとえば、南の海の暖かい海水は、海流となって冷たい北の海の流れ込み、地球全体の気温を安定させる。このサイクルを比喩的に表現するなら、寒い冬に、われわれがコートを着るようなものだ。

 つぎに水の不思議な特性として、固体の方が液体より軽いことが挙げられる。氷が水に浮くのはみんな知ってるよね。あたりまえだと思うだろ? でもね、それはとても特殊なことなんだ。ほかの物質はそうじゃない。ふつう固体の方が重くなるんだよ。氷が水に浮くという不思議な現象も、地球の気候にとって、とてもとても、大きな役割を担っている。

 それほど前のことでもないのだけど、われわれは以前、深海に「海流」はないと思っていた。光の届かない海の底は、とても静かだと考えられていたんだ。ところが近年になって、深海にも海流があることがわかってきた。そこに、氷が関わっている。

 そのメカニズムはこうだ。まず、海水は北極や南極で、氷になる。このとき、氷になるのは「水」だけだから、氷ができるところでは、塩分が余る。もっと正確に言うと、塩分濃度が高くなるんだ。要するに「濃く」なるわけだね。

 さて。塩分濃度が高い海水は、比重が重いので、海の底へ沈んでいく。どんどん氷ができると、どんどん「濃い海水」がができて、どんどん沈んでいく。このサイクルがいつまでも続くと、底に沈んだ濃い海水は、もう沈むことができないのに、上からは、どんどん押されるから、最後には水平に移動するしかない。これが、深海の海流だ。

 想像してほしい。暗い海の底には、とても冷たく、そして濃い海水が、ゆっくりとゆっくりと流れているんだ。どれほど、ゆっくりかというと、なんと2000年もかけて、地球を回っている。2000年かけて流れてきた海流は、北太平洋で上昇し、やっと上層の海水と混じり合う。いま、北太平洋に沸き上がっている深海の海流は、キリストが生まれたころ、海の底に沈んでいった海水なのだ。

 神秘的だね。いや、安易に「神の秘密」なんて意味の言葉を使いたくはないけど、海というのは、思わず神秘と呼びたくなるほど、巧妙なシステムを持っているんだ。どうやら、海の底に流れる冷たい海水は、その上の海水が暖かくなりすぎるのを防いでいるらしいのだよ。

 つまりだ。海が、地球大気にとってのエアコンだとすれば、深海の海流は、その海のための、エアコンなのだ。海は、地球が寒くなりすぎるのを防ぎ、また逆に、暑くなりすぎるのも防いでくれる。この、自然のエアコンが機能するのは、深海の海流があってこそだったのだよ。

 それだけじゃない。深海の海流は、2000年もの長きに渡って、海の底を旅する間に、表層から、さまざまなミネラルや栄養素が降り積もる。ということは、その海流が上昇してくる場所には、豊かな漁場ができるはずで、じっさい、そうなんだ。深海の海流は、気候の調整だけじゃなく、シーフードまでぼくらに届けてくれるわけだ。なんと、ありがたいシステムだろうか。

 そういえば最近、「海洋深層水」というミネラルウォーターが売られているね。上に挙げたとおり、たしかにミネラルは豊富だ。さらに、深海には雑菌が少ないから、きれいな水でもある。もっというと、深海には光が届かないので、植物プランクトンが光合成を行うことができず、「酸素」が少ない。浅い海や河川では、酸素が少ない方が汚れた水の場合が多いのだけど、深海の場合は逆で、酸素が少ないせいで、海洋性の細菌の数も少ないんだ。

 欲深いホモサピエンスは、そこに目をつけた。ミネラルが豊富で、きれいな水ならば、ペットボトルに入れて、スーパーの棚に並べれば、高値で売れるだろう。健康にいい水なんてキャッチコピーを入れれば、なおさらだ。

 もっとも、海洋深層水を売るのは、なにも、飲料水メーカーの金儲けだけが目的ではない。売り上げの一部は、海を研究するための資金にも使われているようだし、アトピーの治療に使えるかもしれないと考える学者もいて、いまその研究が行われている。

 ただし、海洋深層水はマグネシウムが非常に多く含まれるので、マグネシウム過敏症の人は気をつける必要がある。これまた、過ぎたるは及ばざるがごとし。われわれホモサピエンスは、お高い海洋深層水を買って飲まなくても生きて行けるように進化してきたので、必要がない人は、べつに飲まなくてもよろしい。

 ここで話題を、生物に切り換えよう。

 ご存じの通り、地球上のすべての生物は、海で生まれた生物の末裔だから、海洋生物が、陸上生物に劣らない多様性を持っているのは、驚くに当たらない。海には、じつに奇妙な生物がたくさんいる……

 のだけど、ごめん。ぼくは生物の分類学には、とんと疎くて、この点に関して書けることはほとんどない。とくに深海魚と聞くと、まっさきに、アン肝食べたいなあと思うぐらいだから、われながら情けない。

 でもね、シーラカンスだけは特別だ。生きた化石と呼ばれるお魚。みんなも知ってるよね? 子供のころ――記憶が定かではないが、たぶん小学生の低学年だった――シーラカンスの存在を知ったときは驚いた。

 なんで、化石が生きているんだーっ!

 いや、ボケてるわけじゃなくて、本当にそう思ったんだもん。化石の中のお魚が、ビチビチと不気味に動き回る姿を想像して恐かったんだもん。だって、子供だったんだもん。

 そんな純白な心を持った少年が、「生きた化石」という言葉の意味を理解したのは、いつだったろうか。少しだけ不純なことを覚えた、中学生になってからかな?

 意味がわかると、それはそれで、すごいことだと思った。三億年ぐらい前から、ぜんぜん進化してないんだって? なんとマヌケなお魚だろう……じゃなくて、本当にすごいと思いましたよ。はい。

 で、すっかり、酸いも甘いもかみ分けて、純白どころか灰色に汚れて、とっても不純な大人になったいまはどう思うか?

 生きた化石ぃ? 三億年前から変わっていないってぇ? そんなこといったら、ゴキブリだって同じじゃないか。三億年前から、あいつらあんな姿だぜ。茶色くて、脂ぎっててさあ。ああ、思い出しただけでも虫酸が走る。たまんないよな。学生のころ住んでた六畳一間のアパートなんか(風呂はなく、トイレも共同だった)、生きた化石の博物館だ。カサカサ耳障りな音立てて、人の神経逆撫でする生きた化石が、ウヨウヨいた。だから、生きた化石なんか大嫌いだ。

 われながらイヤな大人になったもんだな(苦笑)。でもじっさい、ゴキブリは生きた化石と呼ばれる生物に分類されてるんだぜ。あと、有名どころでは、カブトガニとか、オオサンショウウオとかだな。

 ゴキブリはともかく、シーラカンスに恨みはないので、シーラカンスの話をしよう。

 シーラカンスの祖先は、古生代デヴォン紀の中ごろから登場したらしい。いまから三億年以上前だ。ところが、恐竜が絶滅したころに、シーラカンスの化石も見当たらなくなっているので、どうやら、恐竜と一緒に絶滅した……と、思われていた。

 ところが!

 1938年12月22日。クリスマスイブまで、あと二日という日に、南アフリカのイーストロンドンの博物館で働いていた、マージョリー・コートニー・ラティマーという、チャーミングな女性が、南アフリカ南東部の、カルムナ川で漁をしていた漁船の中に、変な魚がいるのを見つけた。

 マージョリーは、どうしてもそのお魚の正体がわからず、知り合いの魚類学者である、ジェームズ・レオナード・ブライアリー・スミスに意見を求めた。どうでもいいが、長い名前だな、ジェームズ。

 長い名前だけあって、ジェームズくん、長い時の流れもよく覚えていたらしく、8500万年前の、白亜紀末期に絶滅したお魚によく似ていると思った。

 つぎにシーラカンスが発見されたのは、14年後だった。そこは、最初に発見された南アフリカから、三千キロも離れたコロモ諸島だった。ここでは200固体ぐらい捕獲された。

 それから、さらに45年後の1997年に、こんどはコロモ諸島から遠く離れた、インドネシアのスラウェシ島でシーラカンスが見つかった。DNAを調査してみると、コロモ諸島のシーラカンスとは、別種だとわかった。

 そうなんだ。シーラカンスは一種類ではない。最初に発見されたシーラカンスの学名は、ラティメリア・カルムナエという。ラティメリアは、言うまでもなく、発見者のマージョリーのファミリーネーム、「ラティマー」から来ている。カルムナエは、発見場所のカルムナ川だ。

 このラティメリア・カルムナエとは別種と判断された、1997年発見のシーラカンスは、ラティメリア・メナドエンシスと名付けられた。現在知られているシーラカンスは、この二種だけだ。

 さらにさらに、2006年(つまり今年だ!)の5月30日。インドネシアでシーラカンスを調査していた、福島県いわき市にあるアクアマリンふくしまの、岩田雅光たちが生きたシーラカンス(ラティメリア・メナドエンシス)の撮影に成功した。彼がらシーラカンス調査をはじめて、6年後の快挙だった。

 なんにせよ現在のシーラカンスは、深海魚に分類されるお魚で、なかなかお目にかかれない。深度150から700メートルぐらいのところに生息していると思われるけど、その生態はよくわからない。むかし、シーラカンスが繁栄していた時代は、世界中にいたはずだから、もしかしたら、いまのシーラカンスも、世界中の深海にいるかもしれない。

 しかし、ここで一つ疑問が浮かぶ。じつは、むかしむかし、シーラカンスが繁栄していた時代、シーラカンスは深海魚ではなかったと思われる。それがなぜ、現代のシーラカンスは、深海に住んでいるのだろう?

 理由は二つ考えられる。一つは、より進化したお魚に生存を脅かされて、深海に逃げたという説。もう一つは、繁栄していた時代に、すでに深海に適した種がいて、そいつらだけが絶滅を逃れて生き残ったという説。

 どちらが正しいのだろう? ぼくは、深海に適応した種だけが生き残ったという説の方が、正しいような気がするけど、みなさんは、どう思う?

 そうそう。お魚なんだから、味のことも話しておこう。シーラカンスを食べると、味のない歯ブラシのようで、旨くないそうだ。

 なんだそりゃ? 味のない歯ブラシって、どんな味だ? だいたい、味のある歯ブラシってあるのか? ちなみに、シーラカンスの肉には、ワックスが多く含まれているそうで、たくさん食べると下痢をするそうだよ。そうでなくても、商業取引は禁止されているので、食べないようにね。いやマジで、インドネシアの市場には、ごく稀に並んでいるそうだから、うっかりすると食べちゃうのだ(苦笑)。

 シーラカンスの話はこのくらいにしよう。じつは、大人になったぼくには、シーラカンスよりも、もっと興味深い、深海の生物がいるのだ。

 その話をする前に、光の届かない深海の生物も、じつは太陽エネルギーがあるからこそ、生きていることを主張しておきたい。たしかに深海には、太陽の光が届かない。だから、植物プランクトンが光合成を行うことはない。でもね、水面近くで光合成をしていた植物プランクトンの死骸は、海底に沈んでいくのだよ。これらが、深海に住む生物の貴重な餌になる。植物プランクトンの死骸を食べて育った、深海の動物プランクトンを、小さな深海魚が食べ、さらに大きな深海魚が小さな魚を食べて……と、説明すれば、けっきょく太陽エネルギーが、深海の生物にとっても重要だとわかるだろう。

 ところが、ところが!

 深海には、光合成に頼らずに生きている生物がいる。彼らは(彼女かもしれないが)、格別にユニークだ。

 たとえば、海底火山帯の付近では、硫化水素やメタンを含む、300度を超えるような熱水が沸き上がっている場所がある。あるいは、プレートが衝突するところでは、冷湧水と呼ばれる、メタンに富んだ間隙水が海底から出ているところもある。そういう場所には、硫化水素やメタンを、海水中の酸素で酸化することで、化学エネルギーを作り出し、そのエネルギー使って、有機物を合成する細菌がいるんだ。

 すごいじゃないか! まるで、原始の地球に生きていたような生物だ。これこそまさに、生きた化石かもしれない。

 これだけでも驚きだけど、もっと驚くのは、そういう細菌を体内に寄生させて生きる、細菌よりはるかに高度な生物がいることだ。その代表格である、彼ら(彼女かもしれないが)の名は、シロウリガイという。

 シロウリガイは、化学合成型のバクテリアを、エラに寄生させて、ヤツらの作る有機物を食べて生きている。太陽に依存して生きているわれわれとは、まるでちがう。硫化水素は、酸素を吸って生きている動物にとっては猛毒なんだよ。われわれは、血中のヘモグロビンが、酸素と結合することで、身体の隅々に、酸素を送っている。ところが、硫化水素は、酸素より先にヘモグロビンと結合してしまうから、硫化水素を吸い込むと、われわれは窒息して死んでしまう。

 シロウリガイだって、そうじゃないのか? 

 もちろん、そうなのだ。シロウリガイにもヘモグロビンはある。ところが彼らは、ヘモグロビンのほかに、硫化水素と結合しやすい特殊なタンパク質を持っていて、硫化水素を取り除いてしまうのだ。すごいよね。

 こんな生き物がいるなんて……生物の多様性。これこそまさに神秘だ。こんな生物がいることを知ると、もしかして、火星の地中にも生物はいるんじゃないかと期待してしまうぼくは、ロマンチストすぎるだろうか?

 さて、このまま、火星の話しに突入してしまう前に、今回のエッセイを締めくくるとしよう。

 近年、地球は温暖化の危機が叫ばれている。二酸化炭素に代表される、温暖化を促進する物質が、海のエアコン能力を超えて増えているんだ。状況は加速度的に悪くなる。地球が暖かくなると北極や南極で氷が溶ける。すると極地方の海水は薄まって、深海の海流が止まる。その結果、海のエアコン機能が働かなくなって、地球の気象は、いよいよ不愉快な状況に突進していく。

 ハッキリ申し上げて、地球はいま、たいへん危機的状態にあるようだ。学者の中には、すでに温暖化を止めるのは不可能なので、温暖化によって気象が激変した地球で、一人でも多くの人類を生き残らせる方法を考えた方がいいという人もいるくらいだ。

 しかし、多くの学者は、もう少し楽観的で、温暖化を止められるかどうかのターニングポイントまでは、あと十数年の余裕があると考えている。

 どちらにしても、人類に残された時間は少ない。とはいえ、機械文明を捨てて、原始的な生活に戻ることはできない。車も、コンピュータも、快適なエアコンもない生活なんて、絶対にいやだ。ならば、さらに機械文明を発展させて、エネルギー消費の少ない生産活動をするしかないし、発生した二酸化炭素などを、なんとかして回収しなくてはならない。

 はたして人類は間に合うだろうか?

 じつは、一つだけ究極の解決方法がある。宇宙にスペースコロニーを作って、そこに移住するのだ。スペースコロニーは、きっと快適だろう。

 でも、大きな問題がある。そう。あの、広くて大きい海は存在しない。おかげで台風に悩まされることはないだろうが――それどころか、本物の雨にさえ悩まされない――それで人類は満足するだろうか? ぼくは、スペースコロニーの住人が地球旅行に出かけたら、二度と宇宙に帰りたくないと思う方に、一万円賭けよう。

 とくに、広くて大きい海を見たあとでは……いやまあ、ゴキブリを見たら、スペースコロニーに逃げ帰るかも知れないけどね(笑)。


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