いつかキミに会いたい……


 しばらく前から、ネットでブログというのが流行っている。ブログという技術(?)には、いろんな可能性があるんだろうけど、そもそもブログが注目されたのは、ネット上に、日記を簡単に公開できるからだった。いまも、ブログを使う人の目的の多くは、日記を公開することなんだろう。日記といって侮るなかれ。中には、大手の出版社からオファーがきて、書籍になるような日記もあるかもしれない。

 でも……あなたの書いた日記が、千年後に、国宝になるなんてことがあるだろうか?

 まあ、あるかもしれないけど、千年後のことはわからないから、千年前の話をしよう。鎌倉前期の歌人、藤原定家の日記は国宝になったのだよ。定家は、西暦でいうと1162年に生まれたから、正確には千年前の人間ではないのだけど(844年前だね)、彼が著したといわれる日記には、いまからちょうど千年前の西暦1006年に起こった、ある出来事が書かれている。つまり今年は、その「出来事」が起こってから、千周年記念なんだそうで、ぼくは、このエッセイを書かねばならないらしいのだ(笑)。

 ちょっと待て。844年前の人間が、なんで千年前の出来事を日記に書けるんだ? ごもっとも。ぼくもさっきネットで調べててそう思った。たぶん定家の日記は……

 おっと、失礼。さっきから日記、日記といってるけど、国宝になるくらいなんだから、ちゃんとタイトルがある。

「定ちゃんのウハウハ日記」

 なんてタイトルなら、内容もわかりやすそうでよかったんだけど、そんなのじゃあ、国宝になりそうもないから、定家の日記は、「明月記(めいげつき)」と呼ばれている。いいね、定家さん。国宝らしい風流なタイトルだよ。ちなみに広辞苑によると、照光記と呼ばれることもあるらしいけど……照光記じゃあねえ、なんかこう、懐中電灯のカタログみたいでパッとしないよな。

 冗談はともかく。明月記に記された、1006年の出来事とは、ある日(5月1日と書かれているらしい)、空に客星が現れたというんだよ。

 客星?

 なんの意味かよくわからない言葉だけど、わかってみると、なかなか悪くないいい回しなんだよ、これが。客星とは、いつもは見えないんだけど、ある日、突然見えるようになる星のことなんだ。たとえば彗星とかだね。ね、いい感じだと思わない?

 では、定家は1006年に彗星を見たのか?

 いや、結論としては彗星ではないのだけど、それ以前に、彼はなにも見ていない。さっきも書いたとおり、生まれたのが1162年だもん。生まれてないよ。ちなみに、明月記には1054年に現れた客星のことも書かれているらしいけど、定家は、それも見て(生まれて)いない。

 見てもいないものを、なんで日記に書けたのか? と、さっきの疑問に戻ると、当時あった日本の記録を編纂したのか、それとも中国の書物で学んだのか、その両方がミックスされているのか……常識的に考えれば、そんなところなんだろう。たぶんね。よく知らないけど。

 なに? ちゃんと調べろって?

 まあ、そう怒らないでくださいよダンナ。定家には申し訳ないけど、明月記について書いたのは、単なる「枕」でしてね。このエッセイの本題は、明月記ではなく「客星」についてなのだ。それも、客星の中でも、とびきり珍しい種類の客星について。

 では、話を戻して、1006年の客星は、彗星ではなかったところから、このエッセイを本格的にはじめよう。それは超新星だったのだ。彗星がつまらない天文ショーだというつもりはまったくないけど、超新星の方が珍しい現象なのはまちがいない。

 さあ、やっと本題の「超新星」という言葉をタイプしたぞ。ここまで来るのに、何文字を浪費したんだろう?(笑)。というわけで、今回は天文学についての講義をするから、ちょいとばかりお付き合い願いたい。

 まず最初に、超新星の正体を簡単に説明しておこう。以前「惑星を探せ!」というエッセイで解説しているから、物覚えがいい読者なら覚えているかもしれないし、覚えていなくても奇特な読者は、そちらを参照してくれるかもしれない。でもまあ、そうじゃないと思うから(笑)、ざっとおさらいしてみよう。

 超新星とは、「新星」という名が示すような、星のはじまり(生まれ?)ではなく、じつは、星の臨終なのだ。そろそろ星のことを「恒星」と表記にさせてもらうけど――念のため(本当に念のため)に書いておくと、恒星とは、わが太陽のように、自ら輝いている星のことだ――恒星は、水素を核融合させて輝いている。

 ぶっちゃけていうと、恒星は水素を燃やして光っているんだ。燃料を燃やすタイプの機械は、燃料がなくなれば、動かなくなるよね。恒星もそう。燃料がなくなると、文字どおり火が消えたように、徐々に暗くなって見えなくなる。ところが驚くべきことに、燃料がなくなると、爆発して消えてしまうものもあるんだ。ガソリンがなくなったら爆発する自動車なんてないけど、恒星にはあるんだよ。

 そう。超新星とは、この「爆発して消えちゃう」タイプの恒星の最後なんだ。だから、超新星爆発という。その爆発の瞬間は、太陽よりも数億倍、ときには数十億倍も明るく輝くっていうんだから、尋常じゃない明るさだ。

 数十億倍ですぜダンナ。どこかのスーパーのポイントカードが、本日10倍セールなんてやってるのとは桁がちがいますぜ奥さん。人間でいえば、最後の花道ってやつかね。

 いや、マジにそれまでは、どちらかというと暗くて貧相に見えた星が、ある日、昼間でも見えるくらいに光り輝いて、あっという間に見えなくなってしまう。こいつは、非常に稀な現象で、天文学ファンなら(ぼくのような、天体望遠鏡を買うほどでもない人も含め)、ぜひとも、この目で見てみたい天文ショーのひとつなんだよ。

 とはいえ、宇宙には星の数ほど恒星があるから(この場合、比喩じゃないな(笑))、超新星爆発は、年中起こっているはずだ。宇宙全体として見れば、けっして「稀」な現象ではない。だってそうだろ? サイコロを振って、「1」が出る確率は6回に1度だけど、サイコロを6個に増やして同時に振れば、そのうちのどれかひとつは、いつも「1」を出すと期待できるじゃないか。超新星爆発が、何十億年に1度しか起こらない現象だとしても、銀河系には、2千億も恒星があるんだから、かなりの頻度で観測できるはずだ。もっと正確にいうと、銀河系にある星の数から推定して、肉眼で見えるような超新星は、10年に1個あってもおかしくないはずなんだよ。

 ところが……

 残念なことに、そのほとんどは、地球から観測することが難しい場所にあったり(たとえば銀河の中心の反対側とか)、濃いガスに邪魔されて見えなかったりして、われわれが肉眼で見ることのできる超新星爆発は、ここ400年ほどは観測されていない。肉眼で見えた(火星よりかは暗かったけど)超新星爆発が最後にあったのは、1604年のことだ。

 しかもだよ、みんな!

 聞いて驚かないでくれよ。1604年に先立つ、1572にも超新星が現れていたんだよ! たった32年の間に、2個も超新星爆発があったのに、ぼくらはその後400年も待って、1個も見ることができないなんて!

 ああ、なんという悲劇! ぼくが尊敬してやまないシェイクスピア先生だったら、この悲劇を、さぞ文学的な言葉で表現してくれただろう。当時は、超新星という現象について、なにも知られていなかったけどさ(笑)。

 待て待て待て! ちょっと待て。シェイクスピアだって? 先生ってば、そのころの生まれじゃなかったっけ?

 えーと、ネットで調べますと……(尊敬してる割りには覚えてない)

 げっ!

 シェイクスピア先生ってば、1564年に生まれて、1616年に亡くなってらっしゃるじゃないか。もしも彼の生まれが、記録どおり1564年だとしたら、1572年の超新星爆発のとき8歳だったし、もし彼の没年が記録どおり1616年だとしたら、1604年の超新星爆発のときは40歳で、ほぼぼくと同い年だ。つまりシェイクスピア先生は、超新星を(超新星とは知らなかったろうが)、その人生で2度も見ることのできた、極めて幸運な人間の一人ということになるわけで……

 くやしーいっ!

 2度も超新星を見たヤツが、400年も超新星を待ち焦がれているぼくらの気持ちなんか代弁できるわけないじゃんかよ! やめたやめた。ぼくらの代弁者はゲーテに頼むことにしよう。頼めないけど(苦笑)。

 ま、それはともかく。

 時計の針を、いきなり1万年ほど巻き戻して、シェイクスピア先生も、絶対に見たはずがない(ざまみろ)超新星について語ろう。

 超新星というのは、爆発の規模にもよるけど、基本的には、近くにあるほうが明るく見える。たとえば、10メートルの距離から、カメラのフラッシュを焚かれても、たいしてまぶしくないけど、1メートルの距離で、フラッシュを焚かれたら、なにすんだバカ野郎と怒りたくなるほど(よい子は、けっしてやらないように)まぶしいはずだ。

 いまから、1万1千年ほど前に、そんな超新星があったと思われる。その距離は、なんとたったの1000光年で、おそらく(証拠はない)、こいつが、われわれ人類が見たであろう超新星の中で、もっとも明るかったんじゃないかな。いまでは、爆発のあとに飛散したガスが漂っているのを見ることができるだけだけど(最初に詳しく観測した人物の名を取って、ガム星雲と呼ばれている)、それがいかに近かったかというと、その飛散したガスは、いまの速度で飛散し続けるとすれば、あと4000年ぐらいで、ぼくらの地球に届いてしまうくらいなんだ。

 といっても、実感が沸かないか。1万年はもちろん、4000年でさえ、人間の寿命から見れば大きな数字だ。でも、天文学的にいうと本当にご近所さんなんだよね。

 この1万1千年前の超新星爆発のつぎに明るかったのは、わが定家が記した1006年の超新星爆発だと思われるけど、まあ、待ちたまえ。ぼくはまだ、古代ギリシアについて書いてない。この手のエッセイで、古代ギリシアのだれかにご登場願うのが、ぼくの十八番だから、定家の前にヒッパルコスに登場してもらおう。

 紀元前130年ごろ。ヒッパルコスは、彼に見える星の「表」を作った。この話も「夜空の星よ」と題したエッセイで少ししたけど、ヒッパルコスが、星表を作りたいと思った動機は、じつは超新星を見たからなんだ。

 え? なんで、「夜空の星よ」のとき、その話をしなかったんだって?

 いやまあ、なんでも一度に説明しようと思わないのが、人になにかを伝えたいときのコツみたいなもんでね(と、ぼくは思っている)。いつもエッセイを書くときは、なにを「書くか」ではなく、なにを「書かないか」のほうが悩むくらいだ。ぼくはただでさえ、「余談」だとか「話がそれた」とか多いからね。

 失礼、話がそれた(←さっそくやってるよ(苦笑))。

 ヒッパルコスは、ある日、見たこともない星が夜空に輝いているのに気づいた。彼は、夜空に輝くほとんどの星の位置を記憶していたらしいから、自分の知らない星が現れたことに、かなり驚いただろう。

 しかもその星は、しばらく輝いていたあと、忽然として消えた。白状すると、ヒッパルコスは、なにも書物を残さなかったから、彼が見た星が「消えた」証拠はない。でも、そうだったはずなのだ。

 そこでヒッパルコスは思った(はずだ)。のちの世の人が、そこに「新しい星」が出現したのか、それとも、はじめからあったのに「気づかなかっただけ」なのか判断できるように、自分が記憶している星の位置を、ちゃんと表にして残しておこうと。こうして、いまわれわれが親しんでいる「星座」なんてものまで作ってくれたのだ(まあ、ぼくが小説を書くように、それが趣味だっただけかもしれないが)。

 ヒッパルコスのあとも、そのような「新しい星」は、たびたび見られた。たとえばそう、わが定家が明月記に記した、1006年の超新星や、そのあと1054年の(これも明月記に書かれているそうだ)超新星など。

 とくに、1006年の超新星は、マイナス8等級くらいだったと推定されているから、金星より格段に明るくて、昼間でもバッチリ見えたはずだから、注目に値するけれど……

 残念なことに、当時は超新星というすばらしい天文ショーを楽しんで(あるいは恐れて)、記録に残す人はいても(そうでなくても、中国人はなんでも記録したが)、「観測」するほどの暇人はいなかったのだ。

 その暇人がいて、さらに超新星が輝いたのが、1572年だった。冗談はやめて、もう少しマシな書き方をすると、1572年には、超新星を科学者の目で観測することのできる人物がいたのだ。

 その人の名は、デンマークの天文学者、ティコ・ブラーエだ。

 1572年、11月11日。当時26歳だったティコは、その「新しい星」を子細に観測し、52ページの書物を発表した。たちまちティコは、ヨーロッパでもっとも著名な天文学者になった。

 しかしだ。当時一級の天文学者だったティコにも、それが「星の死」であることはわからなかった。彼にとっては、ヒッパルコス同様、「新しい星」だったので、書物のタイトルを「新しい星について」とした。(本当はもっと長ったらしい名前だったのだけど、一般的には、そう呼ばれている)

 しかもだ。ティコは書物をラテン語でお書きになるインテリだったので、そのタイトルは「デ・ノヴァ・ステラ」なのだよ。このときから、「新しい星」は、ラテン語の「新しい」という意味の、「ノヴァ」と呼ばれることになった。今日、われわれもそう呼んでいる。超新星を英語でいうと、「スーパーノヴァ」なんだよね。

 なに? スーパーとかいってるけど、だったらスーパーじゃない、ただの「ノヴァ」もあるのかって? つまり、日本語でいうと「超」が付かない、ただの「新星」が。

 うん、あるよ。順番が逆だけど、けっこう最近まで、すべて「新星(ノヴァ)」だったんだ。「超新星(スーパーノヴァ)」という言葉はなかった。それについては、あとで話そう。

 で、おつぎは1604年だ。ティコは、その3年前に54歳で他界しているから、残念ながら見ていない。シェイクスピア先生が2度見ていたとしても、あまり意味はないが、ティコが2度見ていたら、どんな記録を残しただろうか。

 1604年の超新星は、ティコが若いころに観測した超新星より暗くて、火星より明るくなることはなかったはずだけど、もしティコが生きていて、さらに心身ともに健康であったなら、よろこんで観測したことだろう。

 でも、ご安心あれ。このときも優れた頭脳を持つ人物がいた。ティコのようにお金持ちではなかったけど、ティコのように科学者の目を持ち、ティコには理解できなかった惑星の動きを解明した男が。

 彼の名は、ヨハネス・ケプラーという。

 余談だけど、厳密には、ケプラーの惑星の運行に関する計算はまちがっていた。でも、発想は正しく、かつ画期的だった。古代ギリシアからの呪縛である円を、楕円に変えたのだから。

 余談終わり。話を戻すよ。

 当時33歳だったケプラーは、突然現れた超新星を観測した。ケプラーは天文学者ではなく、数学者というか哲学者というか……あえて「天」を付けるなら、天体物理学者と呼ぶべきだから、超新星の観測によって彼が得たものはあまり大きくはなかったかもしれない。でも、とにかく観測し、記録を残したのだ。学問には、こういった積み重ねが重要なのだ。

 しかし、これが最後だ。ケプラー以後、われわれは「肉眼」で、ハッキリそれとわかる超新星を見ていない。

 ところでみなさん。ぼくがさっきから超新星を見るのに、「肉眼で」と書いていることに気づいたかな? このエッセイを書きはじめてから、ずっと気をつけて「肉眼で」と書いてきた。

 そうだよ。ぼくらには望遠鏡があるじゃないか!

 ケプラーが、肉眼で見える超新星を観測してから5年後の1609年。われわれ人類ははじめて望遠鏡を空に向けた。それをやったのはガリレオだ。

 ガリレオがまず気づいたのは、肉眼では見えない星があることだった。それどころか、そういう暗い星は、肉眼で見える星よりも、ずっと多いように思えた。ガリレオが気づいたとおり、われわれが肉眼で見ている夜空の星は、宇宙の、ほんのひとカケラなんだ。いや、ほんの一粒とさえいえるくらいだ。

 さらにガリレオは、暗かった星が明るくなり、また暗くなることに気づいた。星は「またたき」をしていたんだ。星の明るさが変わる理由はいろいろあって、理由によって分類も変わるけど、「新星」も星の光度が変わる現象のひとつだ。

 さて。こうして望遠鏡を手に入れたわれわれは、肉眼では見えない(見えても、容易には気づかない)暗い新星、あるいは超新星を見ることができるようになった。

 それでは、つぎのトピックはなんだろう?

 それは1885年に現れた超新星だ。かなり目のいい人でないと見えないが、それでもなんとか肉眼で見えるギリギリの明るさだった。それにしたって暗いから、天文ショーという意味では、非常に貧相で、注目に値するものではない……

 とんでもない! こいつはすごい発見だったのだよ!

 みなさんは、アンドロメダ星雲というのをご存じだろうね? ぼくらの銀河のとなりにある銀河だ。たぶん、ぼくらの銀河と同じように、2千億個もの恒星がそこにはある。

 そう。1885年の超新星は、アンドロメダ銀河の恒星が、超新星爆発を起こしたものだったんだ。これが、どれほどすごいことかわかるかな?

 あえて古くさい「星雲」なんて言葉を書いたのは、いくらとなりでも、銀河はすごく遠いところにあるので、肉眼では貧相な、ぼんやりとした「もや」みたいにしか見えないからなんだ。現代の高性能な望遠鏡なら美しい銀河に見えるけど、1885年当時の望遠鏡では、せいぜい「雲」だった。だから当時の天文学者のほとんどは、アンドロメダを銀河ではなく、比較的近くにある塵とガスの集合体だと考えていた。

 でもね。中には、われわれの銀河と同じくらい複雑な構造を持った、遠くにある銀河ではないかと考える学者もいたんだよ。

 アメリカの天文学者、ヒーバー・ダウスト・カーテスもその一人だった。カーチスは、1910年代にアンドロメダ星雲を詳しく観測して、その「雲」の中に、新星が現れることを発見した。しかもそれは、宇宙のほかの領域の、その「雲」と同じ面積より、格段に多かった。

 カーチスは、その理由を、アンドロメダが「雲」ではなく、「銀河」だとすれば説明がつくと考えたのだ。その中に何千億個もの恒星があるからこそ、頻繁に新星が発生するってわけだよ。

 とすると……

 1885年の超新星は……ごめん、順番が逆(というか説明が下手)なんだけど、当時「超新星」という言葉はなかった。1885年のヤツも「新星」とだけ呼ばれていた。

 その新星は、なんとか肉眼でも見えるくらいに輝いたということは、そいつが住んでいる銀河(アンドロメダ)と、同じくらい強く輝いたことになる。たったひとつの星が、その集合体である銀河と同じくらい強く光ったって?

 まさか! でも、そうなのだ。少なくともカーチスは、そう考えた。

 1930年代に入ると、スイスの天文学者、フリッツ・ツウィッキーが、銀河に匹敵するほど明るく光る「新星」を丹念に探し出し、そういった異常に明るい星を「超新星」と呼んだ。いままでぼくが使っていた、超新星(スーパーノヴァ)という言葉は、じつは、ことのときはじめてできたのだ。1885年の超新星は、新星と超新星を分けて考えるキッカケになったのだ。

 詳しく調べてみると、新星は、太陽の数十万倍ぐらいの輝きなのに対し、超新星は数億から、数十億倍も明るい。さらに、新星は暗くなっても、また明るく輝きだす。ところが超新星は、暗くなると、もう二度と輝くことはない。

 どうやら、新星と超新星は、そのメカニズムがちがうようだ。超新星については、燃料がなくなって爆発する現象だと、さっき説明したよね。

 では、新星とはなんだ?

 これも簡単に説明しよう。恒星というのは、じつは連星になっていることが多い。わが太陽は一人っ子で、太陽系には太陽以外の恒星はないけど、宇宙には、兄弟がいる恒星というのは多いんだよ。兄弟同士、相手のまわりを回っているんだ。イメージとしては、地球と月の関係のような感じ。

 そのひとつが白色矮星……なんて説明をはじめてもめんどうなだけだから、ざっくり説明しちゃうと、たまに重力の関係で、でっかい兄貴の恒星(主系列星)から、小さい弟の恒星(白色矮星)に、大量の水素が降り注ぐことがあるんだ。弟は、いつも暗くて見えないんだけど、兄貴から水素をもらったときは、一時的だけど、その兄貴よりもずっと強く光り輝くんだ。これが、新星の起こるメカニズムだと思われている。超新星は星の死だけど、新星は、冴えない弟を、兄貴があたまに盛り立ててあげていたわけだ。

 ガリレオが見た「またたく星の中」の中にも新星があった。けれど、ガリレオには、それを理解する知識はなかった。それどころか、ガリレオから200年ぐらい経ったころでも、それは謎のままだった。天文学者が「新星」と認識した最初の恒星は、ぼくの調査がまちがっていなければ、鯨座のオミクロン星だけど、もちろん発見当時、新星のメカニズムはわからず、オミクロン星は、不思議という意味の「ミラ」なんて呼ばれるくらいだった。さっき説明した新星の(連星による)メカニズムが考えられたのは、1950年代に入ってからなんだよ。

 ちなみに、わが銀河(つまりご近所さん)でも、新星は一年に25個くらい発見されてもよさそうなんだけど、これまた見えない場所にあったり、ガスで隠れていたりして、なかなか見ることができないんだ。はるか遠い、べつの銀河の新星のほうがよく見える(望遠鏡でだけど)というのも、皮肉な話だね。

 こうして、新星(ノヴァ)と、超新星(スーパーノヴァ)が分けて認識されるようになり、名前の付け方も変わった。超新星の場合、いまではスーパーノヴァの頭文字をとって、まずSNと記号がつき、その後ろに発見された年を記すようになった。もし同じ年に複数の超新星が発見されたら、順にA、B、Cとアルファベットを付ける。もしZまで使い切って足りなければ、そのあとは、aa、bb、cc……と続ける。

 たとえば、ティコが観測した超新星は、通称「ティコの星」と呼ばれるのだけど、彼自身の書物のタイトルから、「ノヴァ」という名称になり、そのあと「スーパーノヴァ」だったとわかったので、ティコの星は、「SN1572」となる。科学者だって、ティコの星と呼んだ方がロマンチックだし歴史も感じると思うけど、まあ文句はいうまい。

 いまでもなく、定家が記した、1006年の超新星は、SN1006だし、1054年の超新星は、SN1054だ。

 ところで、SN1006と、SN1054は、肉眼でも見えるどころか、それぞれ昼間でも見えるほど明るかったらしい。ほかの超新星は暗くて見えないのもあるのに、この二つは、なぜそれほど明るいのか?

 近かったのだよ。

 SN1006も、SN1054も、わが銀河系の恒星が爆発したもので、その距離は、どちらも(方向はちがう)7000光年ぐらいだ。アンドロメダ銀河は230万光年だから、まさに桁ちがい。320倍だ。1メートルの距離で、カメラのフラッシュを焚くのと、320メートルの距離でフラッシュを焚くのでは、どちらが明るいか、比べてみるまでもないだろ?

 繰り返しになるけど、われわれが知る中で、もっとも近かったのは1万1千年前の超新星だ。なにせ、たった1000光年だからね。おそらく数週間は、昼間でも月のように明るく、夜は満月のごとく暗闇を照らしたことだろう。と、思うが、記録する者がいなかったんだから、ただの推定にすぎない。(じつは、先史時代の遺跡に、空の異常を示すと思われる記号が残っているらしいけどね)

 さて。いまぼくらは、古典から、近代に至るまでの、超新星を見てきた。では、いよいよ現代の天文学から、超新星を見てみることにしよう。

 明確に「現代」と呼べる時代に観測された超新星の中で注目すべきは、SN1987Aだろう。1987年の最初に発見された超新星だ。こいつは大マゼラン銀河で発生した。なんとか肉眼でも見える明るさだったらしいが、ぼくは見ていない。いうまでもなく、天文学者たちは、こぞってSN1987Aを観測したの。その中に、日本の小柴昌俊がいたのだ。

 小柴昌俊は、少し変わった観測をした。現代の天文学は、目に見える光以外の、さまざまな電磁波を観測することができる。ところが、小柴昌俊はニュートリノという粒子を観測したのだ。

 ニュートリノ。こいつは、孤独を愛するつれないヤツなんだ。たいていの粒子は、ほかの粒子とぶつかったり反発したり、ときには結合したりする。ところが、ニュートリノは、ほかの粒子と接触しない。少しばかり正確にいうと、ほかの粒子と相互作用をほとんどしないんだ。

 ま、それはそれとして。なんでニュートリノなのか?

 じつは、ニュートリノは核分裂や、核融合などの反応の過程で、大量に作られる。といっても、どうぞご心配なく。ニュートリノは、さっき話したようにほかの粒子と相互作用をほとんどしないから、大量に浴びても危険はない。ニュートリノは、ぼくらの身体の組織などには、なんの関心も示さずに通り抜けていく。

 でもね、核融合の過程で作られるということは、そういう場所を近場で探すと、それはわが太陽だから、ニュートリノを調べることで、太陽の内部で、どんな反応が起こっているかを知ることができるんだ。

 しかも、ニュートリノには、何度もいうとおり、ほかの粒子と相互作用をほとんどしない特性があるから、ほとんど、どんな物質も簡単に貫通する。具体的にいうと、太陽の内部で作られてから、3秒後には外に飛び出てくるんだ。

 光だと、そうはいかない。太陽の内部で作られた「光」は、ほかの粒子と強く相互作用をするから、進路を妨げられて、外に出てくるまでに、数十万年はかかるんだ(これは正しい説明じゃないけど、イメージとしては合っている)。

 えっ? ホントに?

 と、驚いたかな? そうなんだ。ぼくらが見ている太陽の光は、「いまの太陽の内部の様子」を示しているわけではないんだよ。ところが、ニュートリノは、「年」という単位どころか、「秒」の単位で、外に飛び出る。たった3秒だ。それから約8分後には地球に届くから、太陽の中で、たった「いま」起こっていることを知ることができる。だから、ニュートリノ天文学という分野ができたともいえる。

 ところが、相互作用しないニュートリノの特徴は、科学者にとって都合がいいことばかりじゃない。ほかの粒子と相互作用しないということは……

 そもそも、観測できないんだよ!

 だってそうだろ? なんでもかんでも貫通しちゃうんじゃあ、まるで透明人間だ。見えない相手を探そうとしても難しい。じっさい、ニュートリノを捕まえるまでに、科学者は苦労した。だから、いま少しだけ、ニュートリノの話を続けよう。

 最初ニュートリノは「理論上の粒子」だった。アインシュタインが、質量はエネルギーの一形態だといいだして、どうやら彼のいうとおりのようなのだけど、ベータ粒子(電子)が生成するときに、ちょっと困ったことが起きた。ほんの少しだけ、エネルギーが行方不明になるんだ。物理学には、エネルギーの保存則があって、エネルギーが質量に変換したり、あるいはその逆が起こったとき、絶対に、どんなことがあっても、エネルギーの収支はいつも等しくなくてはならない。行方不明のエネルギーが、ほんのわずかでもあってはいけないんだ。

 もしも、もしもだよ。本当にエネルギーが失われているとしたら、それはエネルギーの保存則が破られている証拠であって、それは、とてつもなく重大な事件なんだ。科学者たちは、ありとあらゆる可能性を、すべて検討し尽くすまでは、エネルギーの保存則が破られていることを認めない。ほんの少しでも正気がある科学者なら。

 ところが、ベータ粒子の生成では、エネルギーの収支があわない。さあ困った。

 そこで、1931年に、オーストリア生まれの物理学者、ウォルフガング・パウリは考えた。なにか未知の粒子が、エネルギーを運び去っているにちがいない。その未知の粒子を検出できないということは、それはきっと「電気的に中性」にちがいないと。

 さらにパウリは計算した。行方不明のエネルギーは、ほんのわずかで、未知の粒子がそれを奪ったとしても、奪ったエネルギーのほとんどは運動エネルギーになるはずだから、粒子そのものの質量は、極めて小さいだろう。もしかしたら、ゼロかもしれない。

 その翌年の1932年。中性子が発見された。こいつは陽子と同じくらい重いのだけど、電気的には中性の粒子だった。そこでイタリアの物理学者、エンリコ・フェルミは、パウリが考えた粒子を、イタリア語で「小さな中性なもの」という意味の、「ニュートリノ」と呼ぶように提案した。

 ニュートリノは、理論上、じつに便利な粒子だった。エネルギーの保存則は破られなくてすむし、そのほか、粒子のスピン保存則や、粒子・反粒子対創生の法則なども、危機的な状況から救い出したんだ。

 でも、依然として検出できなかった。もしかしたら、ニュートリノは、科学者が理論の辻褄を合わせるために作り出しただけの「幻想」かもしれない。ニュートリノが検出されれば、万事解決なんだけど、そうでなければ、どこかのオカルト好きが魂の存在を論じるのと同じだ。もちろん科学者は、そういう不毛な議論を好まない。

 だけど、理論が予想するニュートリノは、幸いなことにまったく相互作用をしないわけではないようだった。ほんのたまに、ほんのわずかだけど、相互作用をするときがあるんだ。

 いま仮に、それが百億年に一度だけ起こることだとしよう(この数字は比喩であって、まったく正しくない)。もし、一個のニュートリノだけを対象にするなら、われわれは百億年待たなければならない。でも、ニュートリノの数を、百億個に増やしたら? われわれは1年待てばいいだけではないか!

 そう。少し前に、サイコロを例にとって説明したとおり、観測する対象の数をものすごく増やしてあげればいいんだ。でも、ニュートリノがたくさんある場所は、地球上にあるだろうか?

 ある。ニュートリノは、核分裂でも多く作られるはずだから……うん。いまあなたが想像したとおりだ。原子炉の近くには、ニュートリノがいっぱいあるはずなんだよ。

 そこで、1953年から数年をかけて、われわれ日本人が聞くと、やや複雑な感情を抱くロス・アラモスで実験がおこなわれた。このとき、ついにニュートリノの存在を証明することができた。質量がほんのわずかでもあるのか、それともゼロなのか、詳しいことはわからなかったが、とにかく、ニュートリノを捕まえることに成功したんだ。

 科学者は、ホッと胸をなでおろした。と、同時にニュートリノの研究は、じつに有意義なものであることも知った。

 たとえば、1967年から、アメリカの物理学者、レイモンド・デービス・ジュニアは、アメリカのサウスダコタ州にある、ホームステイク鉱山に装置を作って、太陽ニュートリノを観測した。それが観測できれば、太陽の中で核融合が起こっている証明のひとつになる。

 そうなんだ。いまでは、太陽の中で核融合が起こっているのは疑いのないことなのだけど、当時は「理論」にすぎなかった。実験、あるいは観測でそれが証明されないかぎり、どんなにすぐれた理論も信頼を得られない。いつも口を酸っぱくしていうことだけど、科学はオカルトではないのだ。実験、観測、また実験!

 さて、観測をはじめたデービスは、計算どおりではなかったけれど(計算値より3分の1ほど少なかった)、太陽ニュートリノを検出し、太陽の中で核融合が起こっている証拠をつかんだ。

 さあ、お待たせ!

 やっと小柴昌俊の登場だ。彼は1983年に、岐阜県飛騨市神岡町の、神岡鉱山に装置を作った。それは「カミオカンデ」と名付けられた。変な名前だけど、じつはこれ、装置を設置した地名「カミオカ」と、「核子崩壊実験」の英語をラテン語風に活用したものなんだってさ。いまでも科学者は、ラテン語がお好きらしい(笑)。

 ちなみに、「核子崩壊実験」なんて名前から連想されるとおり、カミオカンデは当初、大統一理論が予想する陽子崩壊を観測するために作られた。まあ、それはそれとして、ニュートリノ検出装置であることにまちがいはなく、太陽ニュートリノを検出したデービスと協力して、のちに、太陽ニュートリノの観測もできるように改良された。

 そんなことをやっているうちに、SN1987Aが現れたんだ!

 覚えてる? SN1987Aのこと。まさか忘れてないよね。1987年に発見された超新星。ぼくはこの話をしたくて、延々とニュートリノの説明をしなくてはならなかったのだよ。

 このときまで、超新星の爆発するメカニズムは「理論」でしかなかった。その理論によると、超新星が爆発するとき、太陽の核融合なんて比ではないニュートリノが作られるはずで、そうだとしたら、カミオカンデで検出できるはずだった。

 できたのだ!

 こうして超新星爆発の理論には、大きな証拠が提出された。たまにはナショナリズムを発揮して、ぼくは、この日、このときをもって、「ニュートリノ天文学」が生まれたと主張したい。

 小柴昌俊は、さらに先へ進んだ。カミオカンデより、もっと巨大な装置を作って、それをスーパーカミオカンデと名付け、その装置を使って、ニュートリノに質量があることの証拠も突き止めたんだ。すばらしい。小柴昌俊は、こうした一連の業績により、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。

 おっとっと、また脱線しかけた。超新星に戻ろう。

 さっきぼくは、超新星は燃料がなくなった恒星が爆発する現象だと説明した。われわれは、超新星の爆発するメカニズムについて、ほぼ正しいと思われる理論を手に入れたから、そのことを、もう少し詳しく説明しよう。それは想像を絶するものなんだ。

 超新星爆発には、大きく分けて二つのパターンがある。今日では、「I型」、「II型」と分類されている。

 まず、I型から説明しよう。

 超新星爆発が起こるには、わが太陽の質量では足りない。少なくとも1・5倍は必要だと考えられている。これは、それをはじめて計算した天文学者の名をとって、「チャンドラセカール限界」と呼ばれている。

 I型は、チャンドラセカール限界を超えて、かつ太陽より8倍以上は重くない場合に起こるようだ。要するに、ほどほどに重い恒星だね。その中にあって、さらに水素の吸収線が見られない超新星をI型に分類している。まあ、吸収線がどうのこうのと、そこまで細かいことは、このエッセイでは問わないことにしよう。

 で、ほどほどに重い恒星は、水素を核融合し尽くすと、自分の重力に逆らって膨張していたエネルギーがなくなって、ちょっと小さくなってしまう。すると、内部の圧力が高まって温度が上がり、水素の核融合でできたヘリウムを核融合できるようになる。そうなりますとね奥さん。また膨張できるから温度が下がるんですよ。するとですね、旦那さん。圧力が下がって、重力で小さくなるんですよ。この繰り返しなんだよ、お嬢さん。

 こんなわけで、水素を燃やし尽くすと、恒星はちょいと不安定になるんだ。それでもヘリウムがあるうちは、なんとか持ちこたえられる。ちなみに、ヘリウムが核融合すると炭素ができる。

 そして、ヘリウムを燃やし尽くすと、今度は炭素を核融合しなければならないのだけど、こいつはとんでもなく爆発的な反応で、ほどほどに重い恒星は、炭素の核融合による爆発的な膨張を、自分の重力では支えきれずに……

 バーン!

 はい、終わり。I型は、さらにIa型、Ib型、Ic型と、科学者にとってはもっともな理由によって細かく分類されているけど、ぼくらがそこまで覚える必要はないだろう。

 ただし、Ia型は、ちょっと説明しておいてもいいかもしれない。定家が記したSN1006は、このIa型だったようだ。このタイプは、もっとも強く輝くときの光の強さが、どれもほぼ同じなんだ。ということは、Ia型が宇宙のどこかで誕生したとき、われわれは、そこまでの「距離」をかなり正確に推測することができる。宇宙の星までの距離を計るのは骨が折れる作業だから、Ia型は便利なんだ。

 つぎにII型。

 こいつは重いぞ。太陽の8倍以上ないと起こらない。とっても重いから、炭素の核融合でも膨張を重力で抑えることができる。まだまだ爆発しない。よし、じゃあ炭素が核融合してできたはネオンも燃やしてしまえ!

 なに? ネオンは燃やせない? じゃあどうするの? 収縮する? うん、する。

 というわけで、太陽の8倍程度の恒星は、この辺で力尽きて、ネオンが電子捕獲反応を起こしはじめる。電子捕獲反応を詳しく説明はしないけど、ごく簡単にいうと原子を回っていた電子が、原子核に取り込まれて、中性子になっちゃう反応だ。このときエネルギーが放出されるから、恒星の内部では温度が一気に下がって、収縮を押しとどめていた圧力がなくなり、収縮がそれまでの比ではないスピードで進む。

 さあ大変だ! 一気に中心に向かって落ちたまわりの物質は、中心でぶつかり合い、今度はその反動で……

 バーン!

 はい、終わり。これを、ちょいと難しくいうと重力崩壊と呼ぶ。難しくいおうと簡単にいおうと、ショーは終わった。帰るよみんな。

 帰っちゃダメ!

 ショーはまだ終わっていない。太陽より10倍以上重い恒星は、ネオンさえ燃やすことができるんだぜ。すごいねえ。立派だねえ。じゃあ、ネオンのつぎの酸素も燃やそう。これでも平気? わお、すごいじゃんか。じゃあ、シリコンも燃やそうか。

 こんな感じで、じゃんじゃか核融合が進み、最後は鉄ができる。ここが恒星の内部で進む核融合の終点だ。これ以上は絶対に進まない。いや、鉄も核融合して、もっと重い元素を作ることはできるけど、恒星の内部では起こらない。なぜなら、鉄を核融合させてもエネルギーは出ないんだよ。むしろエネルギーが必要なんだ。核融合は、恒星を膨張させるためのエネルギー源だろ? そのエネルギーが取りだせないなら、意味はないもんな。だから、鉄ができたら終わり。

 ってわけで、鉄ができた恒星は、もう収縮が止まらない。どんどん小さくなるだけ。すると内部の温度は、さらにさらに上昇し……

 驚かないでくれよ。信じられないかもしれないけど、あまりにも高温になると、鉄は高エネルギーのガンマ線を吸収して、ヘリウムと中性子に分解してしまうんだ。これを鉄の光分解と呼ぶ。この光分解は、ほぼ一瞬で起きる。これまた正確ではないし、簡単すぎる説明だけど、あるとき突然、鉄が消えて、そこにはスカスカの空洞ができるとイメージしてもらうとわかりやすいと思う。

 さあ、今度こそ大変だ!

 ただでさえ、巨大な重力で収縮していた恒星の中心に、ぽっかり穴が開いちゃうんだか、支えるものがなくなって、恒星はそれまでの比ではないスピードで爆縮する。そして、さきほどと同じように、一気に中心に落ちたまわりの物質は、中心でぶつかり合い、今度はその反動で……はい、みなさん。声を揃えてどうぞ。

 バーン!

 今度こそ終わり。お疲れさんでした。あとには、爆散したガスが漂うだけ……

 ではない場合もある。恒星の重さによって、中心の中性子が残って、パルサーになることもある。たとえば、SN1054は、中心にパルサーが残った。

 さらに、太陽より40倍以上重い恒星は、その中性子さえ収縮して、ブラックホールになってしまう。

 もう一つ重要なのは、超新星の爆発で、鉄も核融合することなんだ。さっき鉄を核融合させるには、エネルギーが必要だと書いたけど、爆発のエネルギーが供給されるので、鉄も融合できるんだよ。それは、ほんの一瞬の間に作られる。こうして、ぼくらが原子力発電に利用しているウランのような、非常に重い元素も、宇宙には存在しているのだ。

 それ以前にだね、超新星は、ぼくらにとって必要不可欠な元素、たとえば炭素や酸素などを作ってくれた。ということは……ぼくらは超新星がなければ、この世に生まれることはなかったんだ。

 どうか想像してみてほしい。ぼくらの身体を作っている元素。その元素は、過去のどこかで、星の中にあったんだよ。水素とヘリウム以外は、そこでしか作ることができないのだから、まちがいない。その一粒一粒すべてが、星の中にあったんだ。あるいは星の爆発でできた。ぼくらの本当の故郷は、あの夜空に輝く星々なんだよ。

 元素には人格も記憶もないけれど、もしも記憶があって、どこの恒星の生まれかを聞くことができたら、じつにおもしろいだろうね。

 さて……ずいぶん長いこと書いたな。ここ最近では最長のエッセイで、しかも最短で書き上げることができた。きのう、エッセイを書く前の準備として、ざっと年号や人の名前を調べておいたからね。

 というわけで、久しぶりの天文エッセイを書くのは、じつに楽しかった。この機会を作ってくれた、七転八起さんに感謝!


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