大王と呼ばれた男の父



 ぼくはたまに、人から「物知りね」といわれる。知性の輝きをチラリと見せるのは、長い年月をかけて習得したナンパの極意……じゃなくて! まあ、ちょっとした優越感に浸るために、物知り顔をするわけなんだけど、残念ながら、人が思ってくれるほど、ぼくは物知りじゃない。

 たとえばクイズ番組を見ればよくわかる。ぼくは、ほとんどの質問に答えることができないんだ。まあ、クイズ番組に答えられないくらいどうってことないが、ショックが大きいのは、自分が得意だと思っていた分野について、知識が欠落していることに気づいたときだ。

 しばらく前に、そんなショックを味わった。

 もう、ずいぶん時間が経ってしまったので、覚えている人は少ないと思うが、感想掲示板で、「アレキサンダー大王」についてエッセイを書いてくれませんかと頼まれたんだ。頼んだ人はアメリカ在住で、当時アメリカで公開されたばかりの、オリバー・ストーンの最新作「アレキサンダー」を見る前に、ぼくのエッセイを読んで、事前に予備知識を持っておきたいといってくれたのだ。こんなうれしいことはないので、もちろん、ぼくは快諾した。

 ところが……

 さあ書こうと思って筆をとった……いやPCのキーボードを叩き始めたとたん、ぼくは恐ろしい事実に気づいた。なんと、アレキサンダーについて、エッセイを書けるような知識を持っていないのだよ!

 なのに、なんでエッセイを書くなんて約束したかって? いやその……

 言い訳をさせてください。当時(紀元前4世紀ごろですな)の世界情勢について、一般的な知識はもちろん持っていた。アレキサンダーが、どこで戦争をはじめて、どのように帝国を広げていったかという知識をだ。いや、正直に告白しよう。正確に歴史の流れを覚えているわけではなかったけど、そんなのは、ちょいと調べればすぐにわかる。あとは、自分の頭脳に蓄えられた知識を使って、エッセイが仕上がるだろうと、軽く考えていたんだ。

 とんでもない!

 じっさいに書き始めてみると(最初は快調に進んだ)、チクチクとぼくの胸を刺すものがある。ぼくは、いったいなにを書いているのだろう? アレキサンダーが行ったことの羅列が、アレキサンダーその人について語ることになるのか?

 ぼくは以前、クライシュ族の鷹というエッセイで、アブドル・ラフマーンについて書いた。あのときぼくは、彼の内面にまで踏み込んで……いや、彼の内面にこそスポットを当ててエッセイを書きたいと思った。それなのにいま、アレキサンダーについては、歴史の教科書を書こうとしている。

 それに気づいたとたん、キーボードを叩く手が止まった。

 もちろん、ここで音を上げては男が廃る。ぼくは、アレキサンダーについて、ふたたび調べはじめた。もちろん、日本語で手に入る資料を、すべて読みあさったわけではないけど……少なくとも、欠落している知識さえ補完すれば、ぼくなりの視点から、アレキサンダーを論じられると思った。ところが、どうもイメージが沸いてこない。彼の人格や行動には、納得できる部分が少ない。

 そもそも、歴史上の人物を正確に理解しようというのが不可能なことなのだろう。時代もちがえば、民族もちがう。もちろん宗教もちがうわけだ。それに加え、相手は歴史上の人物……つまり、歴史に名を残す大仕事をした人物だ。ぼくのような凡人には、計り知れないなにかを持っておられるのだろう。

 いや、これは困ったぞ。アレキサンダーとは、いったい何者なんだ?

 そこで、ぼくもオリバー・ストーン監督の映画を観てからエッセイを書いた方が無難だという結論に達した。オリバー・ストーンは、はたして彼をどのように解釈しているのだろうか? ぼくなんかより、はるかに歴史に造形が深い優れた監督だから、大いに参考になるはずだ。映画の評判が芳しくないのが、やや不安だけど……

 で、観た結果は――

 おっと、その前に。さっきから気になっていることがあるので、ちょいとお断りを入れさせていただきたい。それは名前の表記だ。いまここで語ろうとしているアレキサンダーは、「アレクサンドロス3世」と表記するのが一般的なんだよね。今回のエッセイでは、あえて映画と同じ英語読で「アレキサンダー」と書くことにしよう。さらにややこしいことに、アレキサンダーは彼だけではないんだ。同名の人物がけっこういるんだよ。このエッセイでも、話が進んでいくにしたがって、当然、同名ではあるが、まったく別人のアレキサンダーも登場するだろう。そのとき、混同を避けるため、ほかのアレキサンダーは一般的な表記である、「アレクサンドロス」と書くことにしよう。変則的で、かえって誤解を招きかねない危険はあるけど、読みやすさと、わかりやすさを優先するね。

 では、話を戻そう。映画を見た感想は――

 正直にいうと、あまり参考にならなかった。オリバー・ストーンは、記録に残っているアレキサンダー像を、できる限り忠実に描こうとしていたから、ぼくの知るアレキサンダーを超えるものではなかったんだ。自慢じゃないけど、それなりに下調べが終わっていたので、映画で語られる内容より、ぼくの知識の方がずっと豊富だった。オリバー・ストーンの映画では、細かい部分がほとんど削られていて、たぶん、かなり当時の歴史に詳しくないと、登場する人物たちの関係を理解できないだろうと思う。

 そう。たしかに、知識としては参考にならなかった。けれども……

 まいった。脱帽。やられた。オリバー・ストーンは優れた監督だよ。ぼくはかつて、「歴史好きな人が読んで楽しい小説ではなく、歴史が嫌いな人を、歴史好きにさせる小説を書きたい」と発言したことがある。オリバー・ストーンは、それを映画で実現させていた。

 これまた拙作の宣伝で申し訳ないけど、ぼくは、クライシュ族の鷹を、エッセイだけでなく、ちょっとした小説にも仕立てた。ラフマーンが遭遇したであろう、一夜の物語を創作したんだ。その経験があったから、オリバー・ストーン監督に、すごく共感してしまった。彼の映画は、誤解を恐れずにいうなら「創作」だ。いや、うそを描いているという意味じゃなくて、あの映画には、オリバー・ストーンの思い入れが込められている。歴史に残っていない部分は、彼の想像力が補完しているんだ。ぼくがクライシュ族の鷹で書きたかったように、史実ではあるけれど、「物語」でもあるんだよ。けっして歴史の教科書ではない。

 苦言を呈するなら、興行的な失敗を恐れたのか、煩雑になりがちな背景描写や、複雑な人間関係の説明などを避けたところだ。さっきも書いたけど、当時の歴史をキチンと理解している人でないと、この映画を見ただけでは、登場人物たちの人間関係を把握することが不可能だと思われるくらい、描写が削られていた。これは痛い。

 でもまあ、描写(説明)の欠落は欠点ではあるけど、映画としては、致命的な欠陥ではないと思う。商業映画として、致し方なかったところだろうし、そもそも、説明が多すぎて「教科書」になっては意味がない。知識のある人にとっては、逆に、面倒な説明が省かれている方がありがたいと思うかもしれないしね。

 いやあ、久しぶりにハリウッド映画でワクワクしちゃった。三時間は長いという人がいるけど、ぼくにとってはあっという間だ。アレキサンダーの父親、片目のフィリッポス、アレキサンダーの教師だったアリストテレス、そしてアレキサンダーの部下だった、若き日のプトレマイオス。こんな連中が出てくるんですぜ。しかも、ペルシアの王女ロクサーヌも、ちらっとだけど出てくるんだから、もう、たまりません。登場人物は、みな歴史を作り上げてきた人物ばかり。それぞれに、一本映画が作れちゃうほどだ。ただでさえ、ペルシアやヨーロッパ、そしてアラブに興味があるぼくが、この映画を見てワクワクしないわけがない。

 しかし……

 映画の評判は、あまりよろしくない。もっとハッキリいうと、ラジー賞という、アカデミー賞の前夜に、その年最低の映画を決定する映画賞に6部門もノミネートされちゃうぐらいだから、かなり悪い。

 うーむ。

 この映画が評価されない理由はいくつか考えられるけど、中でも一番深刻なのは、もしかしたら、多くの人が望んでいたのは、歴史に親しむ映画ではなくて、歴史なんて知ったこっちゃない映画だったのかもしれないということだ。アレキサンダーの映画を観ていながら、アレキサンダーなんて、どーでもいいのかも……

 もし本当にそうなら残念だよ。知性の輝きを感じられない映画は、一時の快楽しか与えてくれない……いや、もちろんぼくだって、知性もへったくれもない映画を観て楽しみますよ。B級ホラーや、B級SFは大好きだ。でもね、そういうのと、オリバー・ストーンの「アレキサンダー」を比べて、どっちが「おもしろいか」なんて議論は、あまり意味がないと思う。

 そういえば、ブラッド・ピット主演の映画「トロイ」と、主演の名前は忘れた「キング・アーサー」などは、それほど悪い評価は受けてないようだ。ぼくは、この二つの映画こそ、ラジー賞にふさわしいと思う。これらは、神話や伝説を、無理やり「史実ふう」に仕立てた映画で、神話の歪曲であり、伝説の冒涜だ。なぜ神話を神話として描かないのか。なぜ伝説を伝説として描かないのか。史実に見せかける必要が、いったいどこにあるというのか? ぼくには、まったく理解できない。

 いや、誤解されたくないから書いとくけど、神話や伝説、あるいは聖書から史実の痕跡を探し出すのはいい。学者のみなさんには、大いにやっていただきたいし、ぼく自身、神話や伝説から、史実の香りを感じるのが好きだ。ただぼくは、ギリシア神話を、そしてアーサー王の伝説を、あんなふうに毒気を抜いて、単なるアクション大作にしちゃうハリウッドの低能さに腹が立つ。

 だからこそ、ぼくはオリバー・ストーンの仕事に共感する。彼は、本当の歴史(記録に残っているという意味で)を扱い、それを歪曲しないよう気をつけながら拡張して、観客を魅了する(少なくともぼくは魅了された)映画を作り上げた。トロイやキング・アーサーとは似て非なるもの……と、ここまで書くと、さすがに褒めすぎだと思うけど、「良識ある映画人の作った商業映画」であることはまちがいないと思う。

 あれ?

 エッセイが遅れた言い訳をしようと思っていたら、いつのまにか、映画の評論をしているね(苦笑)。先ほど、知識としては参考にならなかったと書いたけど、じつのところ、オリバー・ストーンの映画には、大きな刺激を受けた。だから、そろそろ本題に入ろう。アレキサンダーとは、いったい何者だったのか? ぼくも、その謎に迫ってみたい。

 さて……

 映画は、実質的に(冒頭はちがう)、アレキサンダーの幼少のころからはじまる。紀元前4世紀ですな。舞台は、アレキサンダーの故郷マケドニアの首都ペラ。でもぼくのエッセイはちがう。もっと、むかしの話からはじめよう。なぜなら、アレキサンダーの生まれたマケドニアのことを理解しないと、彼のことを理解するのは難しい。そう、オリバー・ストーンが映画では削りまくった説明を、ここでするつもりなんだ。

 マケドニアっていつできたんだ? マケドニア人って何者? 気になるよね。

 それでは、紀元前2000年ごろを見てみよう。このころ、のちにマケドニアと呼ばれることになる、バルカン半島の中央部付近に、ギリシア系の民族が移り住んできたと考えるのが一般的だった。「だった」と過去形なのは、最近は、どうもこの説は怪しいと思われている。では、もっと有力な説があるのかというと、これがない。いまのところ、青銅器文明以前に、マケドニアに人は住んでいなかっただろうというくらいしか、たしかなことはわかっていないんだ。

 時代が下って、紀元前1100年ごろ。やはりギリシア系民族であるドーリア人が侵入してきて、それがマケドニア人の中核をなす……と考えられている。けれども、これも決定的な証拠があるわけじゃない。民族の起源を探るのは、容易なことではないんだよ。

 ちなみにドーリア人とは、もともと住んでいた地方がドリスと呼ばれていたから、その名がついた。だから正しくは「ドーリス人」なんだけど、まあドーリア人と表記するのが一般的だ。ドーリア人の作った都市で、もっとも有名なのがスパルタだね。

 マケドニアがいよいよ「史料」に出てくるのは、紀元前5世紀ごろのことだ。当時の歴史家ヘロドトスが、『歴史』という著書の中でマケドニアについて書いている。それによると、マケドニア人とは、紀元前7世紀ごろに、ピンドス山脈で暮らしていた遊牧民族が、付近の平野部に進出してきて先住民を追い出し、そこで農耕を営んだ人たちらしい。

 ピンドス山脈から、平野に降りてきた遊牧民だって?

 もしギリシアの地図をお持ちなら、広げてみてもらいたいんだけど、ピンドス山脈から平野に降りたら、そこはギリシアと呼んでもおかしくない場所だ。じゃあ、マケドニア人は、ギリシア人なのか?

 まあ、待ちたまえ。結論を焦ってはいけない。

 ヘロドトスの記述を、そのまま信じるのは危険なんだけど(それについては、あとで詳しく話すね)、いまのところ、学者の先生方のほぼ一致した意見によると、どうやら、マケドニア人とは、紀元前7世紀前半から半ばにかけて、ピンドス山脈一帯で、遊牧生活を送っていたインド=ヨーロッパ語族が、平原に移住してきた人たちと思ってよさそうだ。

 ふむふむ……

 すると、彼らがドーリア人だったのだろうか? もしそうなら、マケドニア人とはドーリア人なのであって……

 ああ、頭が混乱してきた(苦笑)。でも大丈夫。いままで述べたことを、ごく簡単にいうと、「ギリシア人と同じ民族が、べつの国を作った。それがマケドニアと呼ばれるようになった」ということなんだ。

 うん。まあ、基本的にそう考えてよさそうだ。さっきも書いたとおり、決定的な証拠はないのだけど、おそらく彼らは、単一の民族ではなく、さまざまな民族の寄せ集めだったはずだ。中でも、ドーリア人がマジョリティだったのだろう。

 となれば、マケドニア人と、ドーリア系ギリシア人とは、血縁的に近い関係にあったのはまちがいなさそうだ。もちろん使っていた言語もかなり近く、言語だけでいうなら、マケドニア人は、「ギリシア人」と表現していいかもしれない。ギリシア語の方言を話す人たちってわけ。

 マケドニア人の起源に関する考察はこのくらいにしておこう。

 さて。ヘロドトスによると、マケドニアの最初の王は、ペルディッカスという男だ。またまたヘロドトスによると、ペルディッカスは、アルゴスを建国した、テメノスの子孫なんだという。

 アルゴスってなんだ? テメノスってだれ?

 みなさんは、こう思われただろう。うん。まさに、その質問が重要なんだよ。じつはテメノスという人は、神話の登場人物なんだ。

 神話? どーいうこと? ヘロドトスは、神話に出てくる人物の子孫が、マケドニアの初代王だと書き残したの?

 そうなんだ。これはべつに珍しいことじゃない。日本書紀や古事記には、日本の最初の天皇は、アマテラスの子孫と書かれてるのに似ている。

 では、問題の神話を簡単に紹介しよう。ギリシア神話には、英雄ヘラクレスの子孫たちが、ギリシア南部のペロポネソス半島へ帰還したというくだりがある。ここで子孫たちは、さまざまな国を作った。たとえば、コリントスはアレテスが、シキュオンはパルケスが、アカイアはティサメノスが……という具合で(かなり割愛)、アルゴスは、テメノスとキッソスが建国したことになっている。

 つまりだ。ヘロドトスの記述を、そのまんま信じると、マケドニアを建国したペルディッカスは、あのギリシア神話最大の英雄である、ヘラクレスの子孫ということになってしまう。

 え〜っ、そんな、まさかァ。

 と、ふつうは思うよね。正しい疑問だと思う。のちに英雄や偉人と呼ばれることになる人物の、若き日の超人的(あるいは奇跡的)逸話は、作り話と思ってまちがいないので、ヘロドトスの記述にも、作り話が混ざっていると考えるべきだ。

 ところが、いまこのエッセイでぼくらが求めているのは「作り話」でも「神話」でもない。マケドニアを建国したとされるペルディッカスが実在したのなら(おそらく実在していたろう)、彼の正体を探らなければならない。

 最初に結論を申し上げると、残念ながら謎だ。ヘロドトスの記述によると、それほど裕福な王さまではなかったらしく、王妃自らパンを焼いたりしている。ヘラクレスの子孫だという割りには質素だな。そういう逸話を拾い集めれば、ペルディッカスの人となりは、それなりに推察できるけど、ヘロドトスの記述がそのまま信用できないことを考えると、あまり意味のないことだ(しつこいようだけど、このエッセイは神話の紹介ではないのだ)。ここで重要なのは、なぜヘロドトスは「作り話」を残したかだ。

 その理由は、それなりに説得力のある説明ができる。

 ヘロドトスがマケドニア王国を訪れ、そこで直接か間接かは定かではないが、当時の王だったアレクサンドロス1世から、マケドニアの歴史について情報を得たのは、ほぼまちがいないだろう。

 ということは……

 そう。ペルディッカスがヘラクレスの子孫だったという話は、アレクサンドロス1世の創作だった可能性が非常に高い。

 なぜアレクサンドロス1世は、そんな創作をしたのだろうか?

 その謎を解くのは、マケドニアの位置と、当時の世界情勢だ。マケドニアは、大雑把にいって、ギリシアとペルシアの中間にある。強国に挟まれているわけだ。しかも悪いことに、ギリシアとペルシアは、まさに戦争の真っ最中だったんだよ。

 アレクサンドロス1世は、ギリシアともペルシアとも敵対しないように気をつけていたようだけど、どちらかというとペルシア寄りの外交政策をとっていた。ところが、ギリシアとペルシアの戦争は、ギリシアが勝利してしまった。これはアレクサンドロス1世にとって、非常に困った事態だ。ギリシアを敵に回すわけにはいかない。

 そこでアレクサンドロス1世は考えた。自分たちは「ギリシア人」なのだという歴史を作ってしまおうと。もともと、血統的にはギリシア民族に近いわけだし、言語もギリシア語に近い。マケドニア人にとって、自分たちの起源をギリシアに求めるのは、心理的な抵抗はほとんどない。それにしちゃあ、テメノスの子孫だというのは大げさすぎるけど、まあ、そんなにビックリするほど大胆なウソでもなかろうと……アレクサンドロス1世は考えたのかもしれない。だから、ペルディッカス以降のマケドニア王朝が、「テメノス王朝」と呼ばれているのは、アレクサンドロス1世の作り話がもとなんだね。

 そういえば、もう一つ思い出した。アレクサンドロス1世は、ギリシアのオリンピア競技に参加を許され、そこで(なんの競技だったか忘れたが)優勝したそうだ。ところが、そんな記録はギリシアに残っていないようだ。たぶん、この逸話もウソだろう。(アレクサンドロス1世以降は、オリンピア競技に参加していた)

 さて。アレクサンドロス1世が、政治的思惑だけでテメノスの子孫だと主張したのか、それともギリシアに文化に恋い焦がれていたのか……そのへんのことはわからない。ただ彼が、王国を発展させるために、ギリシアとの結びつきを強化しようと思ったのはまちがいないはずだ。

 アレクサンドロス1世の政策が、政治的に正しかったかはともかく、彼がその後の、マケドニアという国の性格を決定したとぼくは思う。というのは、アレクサンドロス1世の死後、マケドニアの王になったペルディッカス2世、そしてそれに続くアルケラオスも、アレクサンドロス1世の政策を基本的には受け継いだから、マケドニアは、いよいよギリシア文化に染まっていく。

 しかし、本家ギリシアが、政治的にも文化的にも一流だとすれば、マケドニアは何年経っても二流だった。事実、ギリシア人は、マケドニアを、北方の辺境の地にある野蛮人の国だと思っていた。こうした時代が長く続くと、最初はマケドニアの国益を守るために、自分たちをギリシア化しようとした政策は、徐々に「ギリシアの一等国になりたい」という欲望に変わっていったのかもしれない。

 さあ、これでやっと、アレキサンダーの生きた時代を語る下地ができた。いよいよアレキサンダーの父、フィリッポスにご登場願おう。ギリシア世界の覇者であり、彼の後継者たるアレキサンダーよりも、ある意味、ずっと優れた王さまですぜ。

 フィリッポスは、紀元前382年に、マケドニア王アミュンタス3世とその妻エウリュディケーの3番目の息子として生まれた。余談だけど、フィリッポスの母親エウリュディケーは、マケドニアの歴史の中で、はじめて一人の人格ある女性として語られた人物だ。彼女以前のマケドニアの王妃については、ほとんど記録がない。

 ま、それはともかく。後にフィリッポス2世となる青年が即位したとき(王になったのは23歳のときだ。※注 当時の23歳は青年と呼べないというご指摘をいただいた)、マケドニアの政治情勢はかなり不安定だった。まず、王族たちの覇権争い。王の暗殺なんて日常茶飯事。これだけでも国が乱れるのに充分だが、それに加えて、パイオニア人やイリュリア人という部族に都市を侵略され、領土もずいぶん失っていた。フィリッポス自身、王族の覇権争いに巻き込まれ、若いころはテーバイという、ギリシアのポリス(ギリシアは都市国家なのだよ)に人質として取られていた。今川や織田家の人質になっていた家康みたいなもんだな。

 しかし、この人質生活は、フィリッポスにとって無益だったわけじゃない。それどころか、当時ギリシア世界の有力な都市国家、テーバイでの生活が、彼に大きな影響を及ぼした可能性がある。おそらく彼は、ギリシアの洗練された文化に直接触れて、それを吸収していったのだろう。オリバー・ストーンの映画では、かなり粗暴な男として描かれているけれど(たしかに酒を飲むと粗暴なところはあったらしいが)、彼の行った政治、外交、そして戦争を見ると、非常に頭がよく理性的な人物だと推測できる。この点だけは、オリバー・ストーンに文句をいいたい。あの映画では、フィリッポスの描写がお粗末すぎる。

 フィリッポスは、紀元前365年、兄のペルディッカス3世が王として権力を確立したあと、人質に取られていたテーバイからマケドニアに帰国した。そんでもって紀元前359年の夏に、兄ちゃんがイリュリア人相手に戦争を仕掛けて大失敗。自身も戦死しちゃったので、弱冠23歳のフィリッポスに王座が転がり込んできた。いや、転がり込んできたというのは失礼だな。じつは、フィリッポスにはもう一人兄貴がいたんだ(同じ母親から生まれた本当の兄ちゃんだよ)。

 当時のマケドニアは、長男が王位を世襲するという制度は確立されていなかった。要するに、うまく立ち回った者が王になれるわけで、フィリッポスは、文字どおりうまいことやったわけだ。あ、そうそう。それで思い出した。死んだ兄王のペルディッカス3世は、母親のエウリュディケーが暗殺したって説もある。たぶんそれはウソだろうけど、そういう噂が流れるほど、暗殺が多かったのだ。怖い怖い。

 さあ、王さまになったフィリッポスくん。ここからが彼の本領発揮だ。

 と、その前に。話の腰を折るようだけど、王さまといっても、このころのマケドニアは、ギリシアに臣従していた……とまではいわないけど、ギリシアの顔色をうかがわないと、非常にヤバイ立場だったので、ギリシア側から見れば、フィリッポスは、マケドニア地方を収める「将軍」という扱いだった可能性が高い。

 しかし、23歳のフィリッポスくんはがんばった。まず軍を改革した。兵士に近代的な武器を渡して、訓練もちゃんと行った。この辺は、テーバイで人質になっていたときに学んだ知識が役に立ったはずだ。関係が悪化していたアテネなどの、ギリシアの有力なポリスとも、同盟や和平を結んで政治的安定をもたらした。このころから……というか、王になってすぐだけど、彼は外交上手だった。いろんな資料を読み進めていくと、軍事力に頼るより、むしろ外交を好む政治家としての手腕があったんじゃないかと思えてくる。もちろん、軍人としても優れていたから、軍事力と外交を、うまく使い分けていた。彼の能力がバツグンに優れていたことは、混乱のさなかにあったマケドニアをまとめ上げ、ついには、ギリシア世界の覇者になった結果からも、疑いようがない。

 そんな彼の歩んだ道を簡単に見ていこう。

 まず、ギリシアとの関係を修復して、政治的な最大の懸念が払拭されると(一時的なものだけど)、彼は、マケドニアにとって、脅威となっていたパイオニア人、イリュリア人に対し戦いを挑んだ。パイオニア人は、ちょうど王さまが死んだところだったので、わりと簡単に勝てた。というか、フィリッポスは、相手の王さまが不在のチャンスを最大限に利用したわけだ。問題はイリュリア人のほうだった。こちらは簡単には勝てない。その戦いは熾烈を極めたけど、なんとか勝利した。これでイリュリア人は、マケドニアのすべての都市から撤退し、とりあえず和平を結んだ。

 やれやれだ。これで占領されていた都市を取り戻すことができた。彼は休む間もなく、取り戻した都市の再建に取りかかった。しかし、フィリッポスはイリュリア人を完全に駆逐したわけじゃない。占領地から撤退させただけなんだ。だから、イリュリア人の脅威が取り除かれたわけではなかった。

 そこでフィリッポスは、長年自立していた上部マケドニアの諸部族を、マケドニアに取り込むことにした。そのためにまず、上部マケドニアと関係の深い、エペイロスという国と同盟を結んだ。エペイロスにしても、イリュリア人は脅威だから、マケドニアとの同盟を拒む理由はなかったんだ。一緒に戦いましょうってわけだ。

 ここでフィリッポスは、持ち前の政治力を発揮した。紀元前357年に、エペイロスの王女を妻として迎えたんだ。いわゆる政略結婚ですな。彼女の名はオリンピアス。そう。アレキサンダーの母親だ。

 おー、いよいよアレキサンダーの話がはじまるか! いや、ちょっと待っていただきたい。いまはまだ、フィリッポスの話を続けよう。

 その後も、フィリッポスの進撃は止まらない。こんども外交手腕を発揮して、アテネと密約を交わした。アンフィポリスという都市を征服したら、それをアテネに譲り、代わりにアテネが支配するピュドナをマケドニアに譲ってもらうことにしたんだ。ピュドナを手に入れると、東方へ領土を拡大する拠点になるからなんだ。

 このように、フィリッポスはマケドニアの領土を広げるべく努力した。自分の国を大きく豊かにするのは、どんな王さまだって(無能でなければ)追い求める目的だろう。

 しかし、フィリッポスには、それ以上のもっと強い情熱を感じる。彼には、将来に対する明確なビジョンがあって行動していたと思えるんだ。そのビジョンとは、ギリシア世界の覇者になることだった。領土を拡大していったら、ギリシアも支配しちゃいました。というのじゃなくて、最初からギリシア支配が目的だったはずだ。

 ぼくがそう思う根拠は、フィリッポスが、デルフォイを異常に意識していたからだ。デルフォイっていうのは、古代ギリシアの聖地。当時のギリシアで、信仰の対象として非常に人気のあったアポロンの神殿がある場所だ。フィリッポスは、マケドニア兵に月桂樹の冠をかぶせたり、常にアポロンの擁護者としてふるまった。

 ここで、フィリッポスの行動を理解するのに必要な知識は、当時のギリシアの政治体系だ。ギリシアは、ギリシアという国家があったわけではない。有力なポリス、当時はアテネ、テーバイ、そしてスパルタあたりだけど、それら有力な都市国家が、小さなポリスを支配して、そこを大きくギリシアと呼んでいたわけだ。

 つまり、アテネとテーバイ、そしてスパルタを一気に征服できるなら話は簡単なんだけど、フィリッポスが、いかに有能な王さまだろうとも、そんなことができるわけがない。そこでフィリッポスが目をつけたのが、小ポリスだ。アテネなどに支配されている小ポリスと同盟を結んだり、ときには軍事的な圧力をかけたりして、徐々に味方につけ、外堀を埋めていったんだ。

 このとき重要なのが、先ほど話したデルフォイの存在だ。ギリシアの小ポリスを味方につけるためには、マケドニアはアポロンの擁護者であり、ギリシア文化の正当な継承者というイメージ戦略が必要だったんだね。小ポリスが、マケドニアとの関係を深める心理的抵抗を減らすために。だからフィリッポスは、外交上は、小ポリスを大ポリスの支配から解放するという立場をとった。

 ここで、アレキサンダーの話を投入しよう。

 アレキサンダーは、紀元前356年、マケドニア暦でいうロオオス月に誕生した。これはたしかなようだ。さらにいうと、学者の間で意見が一致しているわけではないようだけど、ロオオス月の6日生まれと考えられている。現在の暦に換算すると、7月20日になるらしい。

 父フィリッポスは、ちょうどそのころ、ポテイダイアという都市を占領したところだった。さらに部下であるパルメニオンが、イリュリアとの戦いにも勝利したという知らせが届いていた。そんなとき、息子の誕生を聞かされた。これには大喜びしたらしい。

 そうはいっても、フィリッポスは忙しい。なにせ世界を征服している最中だ(そりゃ、忙しいだろうよ)。息子と仲むつまじく過ごす時間なんかない。

 父が、あっちこっちで戦争している間、アレキサンダーは、首都のペラで母のオリンピアスと過ごしていた。これがどうも、アレキサンダーの人格を形成する上で、あまりよろしくなかったらしい。それには二つの理由がある。

 まず、一つ目の理由。

 当時、ディオニュソスやカベイロス、サバジオスといった神々を信仰する密儀宗教が広まっていて、オリンピアスも、その密儀に入信していたんだ。その密議でどんな儀式が行われていたか、詳しいことはわかっていない。秘密を洩らしたものは死罪になる掟があったからね。とはいえ、ディオニュソスを奉じていたところから推測はできる。ディオニュソスは、エクスタシーを与える神だった。人間に、自分の人格のせまい枠を抜け出し、神々の神秘をのぞきこむような、恍惚に身をゆだねる術を教えてくれるんだ。こんなことを書くと、あんたはなにも理解していないって怒られそうだけど、要するに、気持ちのいいことをバンバンおやんなさいという密儀だったのだろう。

 おかげでアレキサンダーは、母親に神話を吹き込まれて育った。いっとくけど、おとぎ話を子供に語って聞かせるなんて生易しいものじゃない。おまえはアキレスの末裔なんだとか、ヘラクレスの子孫なんだとか、挙げ句の果てに、父親はフィリッポスではなく、じつはゼウスなのよ。なんていわれる始末。三つ子の魂百までもとはよくいうが、アレキサンダーは、こんな母親の下で、13年も暮らした。人としての人格形成に、よい影響があったとは思えない。もちろん王の息子だから、ちゃんと家庭教師はいた。しかし、アレキサンダーについた家庭教師の長は、レオニダスという男で、こいつオリンピアスの親戚なんだよ。オリンピアスのいいなりだ。

 つぎに二番目の理由。

 映画では、オリンピアスはフィリッポスを恨んでいた。たしかに、この二人は不仲だったようだ。政略結婚だから、もともと恋愛感情はなかったろうし、同盟とは名ばかりで、じっさいのところ、オリンピアスの祖国は、マケドニアに臣従させられたようなものだ。オリンピアスの父も、マケドニアと同盟したはいいが、フィリッポスの権力が巨大になるにしたがって策略を巡らし、フィリッポスの失脚を狙うようになる。それを察知したフィリッポスも、オリンピアスの兄を人質に取ったりと……まあ、この夫婦が不仲になる理由は事欠かない。

 そういえば、話を先に進める前に、指摘しておかなければならないことがある。マケドニアは一夫多妻制だった。つまり王に正妻はいないのだ。オリンピアスも6人いる妻の一人でしかなかった。一夫一妻で、正妻の地位が確立されているなら話はべつだが、常識的に考えて、マケドニアの王宮では、夫の機嫌を損ねるのは得策ではないと思える。しかしオリンピアスは、夫を遠ざけていたにも関わらず、6人の妻の中で、もっとも権力を持っていた。

 その理由は、彼女の故郷とは、友好的関係を維持しなければならないので、フィリッポスもオリンピアスを無下にはできなかったという理由がある。そしてさらに重要なのが、アレキサンダーの存在だ。彼女以外の妻が生んだ息子は、みな凡庸で、王の後継者とは見なされていなかった。一夫多妻制の目的は、優秀な後継者を生んでもらうことでもあるので、その点オリンピアスは、アレキサンダーという宝物を手にしていたから、夫を怒らせるような多少の無茶をしても大丈夫だったんだろう。

 それにしても……映画でのオリンピアスは、あまりにも激しくフィリッポスを恨んでいた。彼女は狂ってるんじゃないかと思えるくらいだ。あれが、オリバー・ストーンの求めた演技だったのか、アンジェリーナ・ジョリーの熱演をカットできなかったのかしらないが、ぼくにはどうも違和感の残る演出だった。

 本当はどうだったんだろう?

 さあ、よくわからない(苦笑)。オリバー・ストーンの描写は当たっているかもしれない。でもぼくは、オリンピアスは、それほど激しくフィリッポスを恨んではいなかったと思えてならない。ただ彼女は……いや、フィリッポスのほうも、お互いに、お互いのことを理解できなかったんだと思う。

 じつは、フィリッポスも、オリンピアスと同じ密儀宗教に参加したことがあるらしい。その密儀の場で、フィリッポスとオリンピアスは出会ったという説もある。それはまあ、できすぎた話だからウソだとしても、フィリッポスも密儀に興味を持っていたのは事実だろう。

 ところが、その後フィリッポスが密儀宗教に没頭したという記録はないから、早々に興味を失ったと思われる。彼の合理的な性格からして、ディオニュソスの教えに染まるようなことはなかったはずだ。オリンピアスにしてみれば、自分の信じる宗教を侮辱されたと思えたのかもしれない。もともと恋愛感情のない男を、よりいっそう嫌うには、充分な理由ではないだろうか。

 これが、彼らの不仲のもっとも大きな理由だったかもしれない。少なくともオリンピアスにとっては。彼女は、フィリッポスを恨むというより、さげすんでいたんじゃないだろうか。ディオニュソスの教えを理解できない愚かな男だと。祖国とマケドニアの関係うんぬんより、そのほうが、オリンピアスの性格に合っているような気がする。真実は、2300年以上の、途方もない時間の闇に埋もれて、永遠に掘り出されることはないだろうが、もしぼくがアレキサンダーの伝記を書くなら、オリンピアスとフィリッポスの関係悪化は、宗教観のちがいとして描写するだろう。

 じつは、この点に関して、オリバー・ストーンの映画にも、一カ所だけ興味深いシーンがある。アンジェリーナ・ジョリー演じるオリンピアスが、ディオニュソスの像に香をたきながらいうんだ。「ディオニュソスを本当に理解できるのは女だけよ」と。

 ふーむ……考えさせられるね。

 オリバー・ストーンは文字どおり、「男には本当の快楽を理解できない」という意味で、シナリオを書いたのだろう。だとしたら、妖しい色香を放つアンジェリーナ・ジョリーに似合っているとはいえ、ありがちでつまらないセリフだ。でも、もしかしたらもしかして、「フィリッポスには、わたしの信仰を理解できない」という意味だったのかもしれない。そうなのだとしたら、オリバー・ストーンの解釈に大賛成だ。ただし、あんな短いセリフで片づけてしまった演出には不満を感じるけどね。

 さて。それはそうと、常識的に考えて、こういう母親に育てられた子供が、幸せであったとは考えにくい。事実、アレキサンダーは、徐々に友人たちとの関わりの中にだけ、安息を求めるようになる。まあ、彼の同性愛嗜好まで、母親のせいだとはいわない。当時、男と男が愛し合うのは珍しいことじゃないからだ。アレキサンダーの父、フィリッポスだって、何人か寵愛していた部下がいた。

 オリバー・ストーンは、アレキサンダーの同性愛嗜好を執拗に描写しすぎたかもしれない。彼にとって男の恋人との関係は遊びではなく、精神的な支えだったのは事実だろう。それを訴えたかったオリバー・ストーンの考えはわかる。それでも、「きみが死んだらぼくも死ぬ」なんていいながら、男たちが抱き合うシーンを(しかも、あの濃い顔のコリン・ファレルが)延々と見せられるのは、さすがに辛いものがあった(苦笑)。事実、映画がヒットしなかった理由に挙げられるくらいだ。

 いかん。話が脱線した。

 さすがにヤバイと思ったのか、フィリッポスは、アレキサンダーを母親から引き離し、家庭教師をつけることにした。そこはそれ、フィリッポスくん。どこぞの二流大学の学生なんかじゃなく、とびきり優秀な男を呼び寄せた。

 彼の名は、アリストテレス。

 うはあ……こりゃまた、すごいオッサンを呼んだもんだよ。近代にまで影響を及ぼした、偉大なる哲学者アリストテレスですぜ、ダンナ。地球は丸いんだってことを、世界ではじめて、明快な理論によって説明したオッサンですぜ、奥さん。もしタイムマシンがあって、過去の偉人に会うことが許されるとしたら、ぼくの訪問先リストには、彼の名もあることだろう。冗談抜きで、ぼくはアレキサンダーより、アリストテレスに会いたいよ。

 失礼。また話が脱線した。

 哲学者が王族の家庭教師になることは珍しいことじゃないけど、アリストテレスは、まさしく一流中の一流。しかも、当時アリストテレスは41歳だったから、もっとも脂の乗っていた時期だ。そのアリストテレスを召還して息子の帝王教育を頼んだのだから、フィリッポスは、アレキサンダーを本気で後継者に育てたいと考えていたんだろう。

 こうしてアレキサンダーは、アリストテレスに出会い、やっと神話と情念の世界から解放され、理性を学ぶことができた。アリストテレスの哲学がアレキサンダーに影響を及ぼしたとは思えないが(13歳の子供に形而上学が理解できただろうか?)、自然科学には、かなり興味を持ったらしい。

 よく、アレキサンダーは理性と激情の人といわれる。織田信長に似てるね(笑)。理性は、父フィリッポスとアリストテレスから、激情の部分は、母オリンピアスから受け継いだというわけだ。アレキサンダーの性格を、多少なりとも理解した気になるには、そう思うしかないんだろう。ぼく自身、読んでくれている人が、自然とそう理解するように、このエッセイを書いている。

 でも……

 そういう書き方が公平なのかどうか、ちょっと悩むね。人の性格って、そんな単純なものじゃないと思うんだよ。でもまあ、こればっかりはねえ。タイムマシンで、アレキサンダー本人に会えるわけじゃない。どこかで割り切って、「わかったような気になる」のも重要なことだ。

 ごめん。三度、話が脱線した。

 アリストテレスの教育は3年続いた。アレキサンダーは16歳の青年へと成長した。フィリッポスは、この若き息子をペラに呼び戻し、なんと、自分が不在中の国事を任せたんだ。もう、完全に後継者候補ですな。

 ここでアレキサンダーは、父の期待どおり頭角を現した。摂政として国を治めるだけでなく、トラキアが反乱を起こすと、なんと自ら軍を率いて遠征したんだ。しかも勝った。このころのマケドニア軍は、当時の水準からして、かなり近代的で、よく訓練もされていたからこそ勝てたのはまちがいないけど、戦のうまい父フィリッポス(彼は、ほとんど負け戦がない)の影響も大きかったと思うよ。父の戦いぶりを、よく学んでいたのだろう。

 そして、18歳になったとき……

 父フィリッポスは忙しかった。なにせ世界制服の最中……以下同文だが、本当にこのときは超多忙だった。

 この紀元前338年は、フィリッポスにとって非常に重要な年だ。そもそも、マケドニアの国政をアレキサンダーに任せたのは、宿敵アテネとの戦いに明け暮れていたからだ。そう。いよいよ大ポリスであるアテネと、真っ正面から衝突する時期に差しかかっていたんだよ。しかも敵はアテネだけじゃない。アテネとテーバイの連合軍だ。なんで、そんなヤバイことになったのか詳しい説明は省くけど、そもそもの発端はアレキサンダーが生まれたころまで遡る。

 紀元前356年(アレキサンダーが生まれた年だね)、「神聖戦争」が勃発した。ここでいう神聖戦争とは、第三神聖戦争のことだ。隣保同盟がフォキスに対し神聖冒涜罪を決議して、戦争をはじめちゃったんだよ。要するに、デルフォイのアポロン神域守護のために行われた争いなんだけど、フィリッポスは隣保同盟側として戦った。いうまでもなくアテネは、フォキスを支持していた。

 フィリッポスとアテネは、アンフィポリスとピュドナを交換する密約のあとから、どうも馬が合わなくなっていたんだけど、この神聖戦争で、その関係は決定的に悪化した。まあ、フィリッポスは、アテネの支配から小国を解放するって立場をとっていたんで、両者がぶつかるのは時間の問題だったわけなんだけどね。

 そんなこんなで、すったもんだあった挙げ句、18年後に、とうとうアテネ・テーバイ同盟軍と、激突することになる。いや、フィリッポスは、テーバイがアテネと同盟しないよう、ずいぶん外向的な努力はしたんだよ。でもむだだった。

 さあ、いよいよ正念場だぜフィリッポス!

 こうして世にいう、カイロネイアの戦いがはじまる。このときフィリッポスは、18歳になった息子を呼び寄せた。もちろん彼の名はアレキサンダー。フィリッポス自身は、マケドニア軍の右翼で歩兵を率いた。息子のアレキサンダーには左翼で騎兵隊を任せた。

 一方、アテネ・テーバイ同盟軍は、右翼側にはボイオティア軍が、アレキサンダーの騎兵隊の対面には、テーバイの名高い神聖隊が陣取っていた。この神聖隊はマジ強かったらしい。

 さて。戦いの経過について、残念ながら詳しい記録は残っていないのだけど、おおよそ、つぎのような戦いが繰り広げられたと考えられている。

 まず、フィリッポスの率いる歩兵と、アテネの軍隊が激突した。このとき、フィリッポスは、意図的に後退していった。形勢有利と見たアテネの軍が前進。だが、勢いに任せた前進だったので、陣形が乱れた。そこへ、アレキサンダーの騎兵隊が突入したんだ。さらにフィリッポスの歩兵隊も反転してアテネ軍とふたたび激突……

 この戦いが、どれだけ続き、両軍にどれだけの死者が出たのかハッキリしたことはわからない。一つたしかなことは、マケドニア軍が勝利したってことだ。テーバイの神聖隊も、アレキサンダーの騎兵隊に打ち負かされて、ほぼ壊滅したという。

 ここで、ひとつ考察しておくべきことがある。それはギリシア軍とマケドニア軍のちがいだ。当時のギリシアでは、ポリスが危機に陥ったら、市民が武器を持って立ち上がった。つまり、ふだんはパンを焼いたり魚を売ったりしてるオッサンたちが、仕事道具を剣や槍に持ち替えて、敵に立ち向かったわけだ。もちろん、そういう市民兵だけで軍が成り立っていたわけではないが(騎兵隊などは特殊な技能が必要だしね)、歩兵の大部分は、市民兵によって組織されていたはずだ。ところがマケドニア軍はちがう。フィリッポスは、王位になったあと、すぐに軍の改革に着手したと、ぼくは書いたよね。要するに彼は、生粋の軍人……いまふうにいうと、職業軍人を育てていたんだ。王になって20年以上続けてきたその改革が、ギリシアとマケドニアの明暗を分けたといってもいい。ギリシアの泥臭い市民兵が、マケドニアの洗練された軍隊に負けたのは当然かもしれない。

 話を戻そう。

 戦いが終わると、そこには一人の覇者がいた。王になってから21年。休むことなくギリシア世界を駆け抜けた男。それまで、1700年の長き渡り、ただの一度も統一されたことのなかったギリシア世界を、その手に治めた男。

 その男の名は……フィリッポス2世なのだ。

 なーんて、NHK特集のように語ってみましたが、じっさいには、このあともフィリッポスは忙しかった。実質的には、カイロネイアの戦いの直後から、彼がギリシア世界の支配者だけど、政治的に、その立場をキチンと確立しておかなきゃいけない。それに、まだスパルタが残ってるんだよねえ。

 そんなこんなで、戦後処理なんかやりながら、スパルタをのぞく、すべてのポリスの代表をコリントスに集めて会議を開いた。そこで、これからのギリシアのあり方を討議して、翌年の紀元前337年。スパルタをのぞく、全ポリスを対象に「コリントス同盟」が結成された。この同盟の規約を簡単に説明すると、ポリス間の争いを禁止して、当然のことながら、フィリッポスとその後継者に挑戦して、マケドニア王朝を転覆させるような試みもすべて禁止された。この同盟を侵犯する者がいれば処罰されることも決められた。そのための機関も作ったらしい。同盟の総帥は、いうまでもなくフィリッポスだ。

 さらに、この同盟は、軍事同盟でもあった。フィリッポスは、ギリシア全土から兵士を集め、それを指揮する権限を持った。ギリシア統一を維持するのに軍事力が必要なのはもちろんだろうけど、フィリッポスの狙いはそれだけではなかった。彼はすでに、つぎの目標を定めていたんだ。

 それは……

 ペルシアだ。フィリッポスは、コリントス同盟の評議会に、自分を対ペルシア遠征軍の総司令官として任命させた。こうして、マケドニア主導の、対ペルシア遠征軍が組織されていったんだ。彼にとっての世界は、ギリシアだけではなかったのだ。ペルシアまで征服してこそ、彼の野望は完結する。

 ところが……

 それまでに、6人の妻を娶った彼が、7人目の妻を迎えたところから、彼の人生は終焉に向かっていく。40半ばに差しかかったこのオッサン、なんと恋に目覚めてしまったんだ。いままで娶った6人の妻は、すべて外国との政略結婚だったのだけど、7人目はマケドニア貴族、アッタロスの姪だ。

 このことに、激しく動揺した人物がいた。アレキサンダーの母親だ。まずもって、恋愛結婚というのが気に食わない。妻の中で、その女を一番優遇するに決まっている。自分の地位が危ない。さらに、その女に男子が生まれたら……後継者としての地位を固めてきたアレキサンダーも排除されるかもしれない!

 オリバー・ストーンの映画では、アレキサンダーが、母親の疑念をいさめるシーンがある。「父上は、いまさら、われわれからなにも取り上げませんよ」と。しかしオリンピアスは、息子の言葉に耳を傾けない。アレキサンダー自身、母親をいさめておきながら、心が揺れている。父を信じたいが、母を侮辱するような行為を、笑って見ているわけにはいかない。そしてなにより不愉快なのが、アッタロスだ。彼には野心があり、それを隠そうとすることもなかった。姪がフィリッポスの妻になることで、自分がフィリッポスにもっとも近い親族になるのだと宣言してはばからない。映画では、フィリッポスの結婚の祝宴中に、アレキサンダーとアッタロスが、激しく口論する。じつは、このシーンもたしかに史料に残っている。

 と、映画ではこんな感じに描かれていた。いい感じですね。ぼくが補足することはほとんどない。たぶん、当時の宮廷で繰り広げられた醜態は、おおむねオリバー・ストーンの映画に近かったろう。

 そんなこんなで、オリンピアスの不安と疑念は消えることがなく、ある日、とうとう「実家に帰らせていただきます」といって、マケドニアを出ていってしまった。このときはアレキサンダーも母に従い、一緒にマケドニアを出た。これに怒ったフィリッポスは、アレキサンダーに忠実だった、彼の親友たち5人を、国外追放にした。

 これでアレキサンダーは失脚。というわけではない。時間が経って、フィリッポスは冷静さを取り戻した。オリンピアスのことはどうでもいいけど、息子の中で、もっとも優秀なアレキサンダーを失うのは痛い。それに、彼女の祖国、エペイロスと関係がこじれるのはマズイ。

 そこでフィリッポスは、奇策を考え出した。そもそも政略結婚で関係を維持してきたんだから、自分の政略結婚が破綻するのなら、べつの政略結婚で、関係を修復しようと。

 なんと、エペイロス王と、自分の娘(アレキサンダーの実の妹)を結婚させることにした。マジかよ。すごいこと考えるよなあフィリッポスのオッサン。ここまで冷静……というか冷淡でないと、世界は征服できないんでしょうな。

 その結婚式は、紀元前336年に開かれた。祝典の会場には選ばれたのは、マケドニアの古都アイガイだった。マケドニアに王朝ができるずっと以前から、マケドニア人が住んでいた由緒ある都市だ。式には、ギリシア全土から著名人が招かれ、結婚式というよりかは、フィリッポスの巨大な権力を誇示する場のような様相だったかもしれない。

 饗宴の翌日には、アイガイの劇場で、見せ物が行われる予定だった。このとき、華やかな行列の通る道に、オリュンポス12神の像が立てられた。ところが、なんと13番目の像があったのだ。それはフィリッポスの像だった。まるで彼が、オリュンポスの新しい神になったかのようだ。

 この逸話は有名なので、オリバー・ストーンの映画にも、ちゃんと登場する。映画では、13番目の像を見たオリンピアスが、「あの男は、神にでもなったつもりかしらね?」と、陰口をたたいていた。おそらく、ギリシアから招かれた客も、オリンピアスと同じ思いだっただろう。

 しかし、フィリッポスは神ではなかった。彼は人間だ。身体が弱れば病気にもなるし、剣で刺されれば……死ぬのだ。

 王になって24年。ギリシアの覇者になってからは、わずか3年。これからペルシアへ遠征しようと、すでに先遣隊まで出陣させていたのに、フィリッポスはペルシアへ渡ることはなかった。

 そう……ここ、アイガイの劇場で暗殺されたのだ。

 当時の様子は、かなりよくわかっている。もちろん、オリバー・ストーンの映画にも登場する。まず映画を観た人申し上げておくと、映画では、暗殺の様子が、ほぼ正しく描写されている。

 では、ぼくも当時の様子を再現してみよう。

 華やかな行列が終わると、フィリッポスは、息子のアレキサンダーと、結婚式の新郎であるアレクサンドロスを伴って、劇場に入ろうとした。だが、劇場の中には(彼らの後ろにも)護衛の兵士たちがいたので、フィリッポスは、祝宴の場に剣を下げた兵士がいるのを無粋と思ったのか、兵士たちに下がるよう命じた。

 警護の兵士たちは、フィリッポスの命令に従って彼から離れ、劇場の中にいた兵士も脇に下がった。ところが、その中の一人、パウサニアスという男だけは下がらず、劇場の入り口に立っていた。そして、フィリッポスが入ってきたところで彼の前に立ち、隠し持っていた短剣で、フィリッポスの胸を刺した。パウサニアスは、すぐさま逃亡したが、途中でツタに足を取られて転んだところを、追ってきた兵士たちに、槍で刺されて絶命した。

 あっけない最後だ。フィリッポスは、即死だったと伝えられている。死の間際に、一言も言葉を発することはなかっただろう。アレキサンダーは、父の死を目の前で見ながら、なにを思ったろうか?

 さて。ここで問題です。フィリッポスを暗殺した犯人はパウサニアスという一兵士にすぎない。となれば、当然、黒幕がいると疑える。では、だれが真犯人なんだろう?

 その問いに答える前に、国王暗殺のパターンを考えてみよう。細かくいいはじめれば、いくらでもパターンはあるだろうが、とりあえず、大きく分けると二つだと思う。


■第1のパターン
外国、または国内の反対勢力が、国の混乱を狙って殺す。この場合、つぎの国王が能なしだとより効果的。

■第2のパターン
王の座を狙うものが、国王を殺し、自分が王になる。この場合、他の貴族など、有力者の協力を得られないと成功する可能性は低い。


 1のパターンを想定すると、フィリッポス暗殺の真犯人は、アテネかテーバイの貴族かもしれないし、ペルシアだったかもしれない。

 問題は2のパターンだ。フィリッポスの死後、国王になったのは息子のアレキサンダーだから、アレキサンダー本人と、彼を支持する貴族が真犯人だと疑える。さらにこのとき、アレキサンダーは、母親と家出中なので、母のオリンピアスも関与していたと思われる。

 以上が、いまのところ考えられる、フィリッポス暗殺のパターンだ。

 オリバー・ストーンは、どう解釈しているだろう? じつは彼も、この点は結論を出していないが、主役のアレキサンダーが黒幕だという説は退けている。映画の中の彼は、本気で父の死に動揺し、激しく母を糾弾する。あんたが殺したのかと。オリンピアスはそれを否定するが、彼女の心の中はわからない。どちらかというと、彼女が犯人だろうと観客に思わせる演出がなされてはいるが、結論は出していない。

 うーむ。じつに微妙な演出だ。歴史の謎について、勝手な創作はしたくないが、映画的には、オリンピアスが犯人だとする古典的な説を支持する方がおもしろい。だから、その中間でお茶を濁したということだろうか。

 で、けっきょく映画のアレキサンダーは、父を暗殺したのはペルシアだと主張して、ペルシア遠征に向かっていく。映画の中の彼は、自分自身、ペルシアが犯人だと思い込むことで、遠征の情熱を高めているようにも感じられた。ぼくがそう感じたのは、オリバー・ストーンの狙いどおりだろう。オリバー・ストーンは映画の中で、アレキサンダーの戦争に対する情熱は、母親の呪縛から逃れるためだったという説を展開しているからだ。

 映画の解説ばかりしていては、このエッセイを書いている意味はないね。ぼくも独自の説を展開してみよう。

 まず、この事件の性格をつかむには、実行犯のパウサニアスについて語らなければならない。さっきぼくはパウサニアスを一兵士にすぎないと書いたけど、あれは正確な発言ではないのだ。この男、じつは過去に、フィリッポスの寵愛を受けていた。要するに、ベッドの上で楽しいことをする関係だった(苦笑)。しかし、フィリッポスにとっては、しょせん遊びだから、パウサニアスは、ほどなく捨てられた。

 どうやら、パウサニアスは、自分を捨てたフィリッポスを恨んでいたらしい。フィリッポスが、自分を捨てて、新しく作った男の遊び相手を(非常にめんどうなことに、その男の名もパウサニアスなのだ)激しく罵ったりしている。困ったフィリッポスは、パウサニアスを護衛官に抜擢して(事実上の昇進だった)、事態を収拾した。

 しかし、パウサニアスの恨みは消えず……

 と、考えれば、実行犯のパウサニアスが、独断でフィリッポスを殺したのであり、べつに黒幕なんかいないとも思える。オリバー・ストーンの映画でもパウサニアスは、『なぜ、自分を捨てたんだ』といわんばかりに、辛そうな顔でフィリッポスにキスをしたあと剣を抜いている。こういうところも、オリバー・ストーンの演出は細かくて好感がもてるね。

 それはそうと、パウサニアスの愛憎が原因だとしたら、この事件は、ミステリでもなんでもないわけだ。だからこそ、それが真相だったという気もする。事実は小説より奇なりとはよくいうけど、たいていの場合は、小説の方が奇妙なんであって、事実は単純なもんなんだよ。さっき、国王暗殺のパターンを二つ挙げたけど、第3のパターン、「個人的な恨みで殺された」というのが存在したわけだ。

 とはいえ、相手は国王だ。しかも、これからギリシア世界を導いていく重要人物。個人的な恨みだけで殺そうと思うだろうか? まあ、殺したいと思うのかもしれない。しかし、本当に愛憎が原因で殺害したのなら、殺したあと逃げたりせず、自分もその場で自害したりしないのだろうか? まあ、逃げたいと思うのかもしれない。

 正直いってパウサニアスの心理はわからない。それこそ永遠の謎だろう。だが世間は、そして後世の人々も、パウサニアスの愛憎が引き起こした事件などという単純さを許さなかった。国王暗殺の真相は、ミステリでなければならないのだ。

 そこで、世間一般では、第2のパターンである、王の後継候補が殺したという説に傾くことになる。真犯人は、アレキサンダーとオリンピアスってわけだ。当時から、彼らの犯行だとする証拠はないし、現代においても、そんな証拠は発見されていないのだが、フィリッポスが死んで、一番よろこぶ人物がオリンピアスだし、アレキサンダーにしたって、自分が王になる野望はもっていただろうから、彼らが、ミステリを望む人々に犯人扱いされても仕方ない。

 よし。それでは彼らが真犯人だとしたら、どんなシナリオが考えられるだろうか。この場合、パウサニアスを実行犯に選んだところがポイントだ。彼が実行犯なら、フィリッポスを愛するがゆえに殺したと、みんな思うことだろう。さっきも書いたとおり、彼がフィリッポスと愛人関係にあり、なおかつ、捨てられて恨みを抱いているのは公然の秘密だから、パウサニアスが実行犯なら、彼らは、自分たちが疑われることはないと考えただろう。

 でも、どうやってそそのかす? 金でも渡すか?

 うーん。どうだろうねえ? 国王暗殺だからなあ。そのへんのオッサンを殺すのとはわけがちがう。もともと恨みがあるんだから、ちょいと金を渡せば「その気」になるだろうなんてもんでもないだろ。捕まればその場で殺されるのは明らかだし、もし無事に逃げ延びても、二度とマケドニアには戻れない。それどころか、一生逃亡生活を送ることになるかもしれない……考えれば考えるほど、国王暗殺というのは簡単なことじゃない。

 以上、常識的に考えて、本人が、もともと「その気」になっていなきゃ、少々金を渡したくらいでは首を縦にふらないだろうと思う。たとえ、金を渡して首を縦にふったとしても、こんどは、そんな男に頼むのはヤバくない? 秘密なんかバンバン漏れそうだし、そうでなくても、失敗しそうじゃん。

 第2のパターンで国王を暗殺する場合、組織的じゃないとうまくいかないと思うんだよ。アレキサンダーとオリンピアスが真犯人なら、なおさら組織的であったはずだ。自分が国王になった暁には、地位を約束するとかなんとか、有力な貴族たちと密約して、さらに軍の反乱が起こらないように根回しも忘れず、綿密な計画の元にフィリッポスを殺す……というシナリオだ。今回の事件は、このシナリオに当てはまるだろうか?

 常識的には当てはまらない。フィリッポスを殺したのは、かつて彼を愛していた、一人の兵士だった。という時点で、さっき説明したとおり、アレキサンダーとオリンピアスの容疑は晴れていると思うんだよ。やっぱりさ、フィリッポスってば、ただの怨恨で殺されたんだよ。

 え? そんな結論じゃおもしろくないって?

 うーむ。疑いはじめればきりがないが、だからこそミステリともいえるので、思いっきり疑いながら、シナリオを考えてみようか。

 後継者の筆頭候補はアレキサンダーだ。息子と不仲になるまで、フィリッポス自身、彼を後継者にしたいと望んでいただろうし、みなそう思っていたはずだから、アレキサンダーも、そのつもりだっただろう。しかし、フィリッポスは、アレキサンダーを後継者に指名していなかったのも事実だ。これがオリンピアスを怒らせ、さらに、アレキサンダーにも、漠然とした不安を抱かせていたと疑えば、いくらでも疑える。

 そんなとき、フィリッポスが恋愛結婚なんてしちゃったから、彼らの不安と怒りは爆発し、ついにはマケドニアを出て、フィリッポスと絶縁するに至ってしまった。

 ここで、もう一人、フィリッポスの結婚に不安と疑念を抱くものがいた。それはフィリッポスの腹心だった、貴族のアンティパトロスだ。彼は、フィリッポスより歳上で、フィリッポスが王になる以前から、マケドニアの王宮で働いていた。フィリッポスが王になると、彼を支持して、力をつけてきた貴族だ。だから本来なら、フィリッポスに死んでもらっては困る人物なのだが……

 フィリッポスの恋愛結婚が問題だった。彼が恋した女は、自分の娘ではなく、貴族仲間、アッタロスの姪だ。となれば、宮廷でアッタロスが力をつけてくるのは明白で、アンティパトロスは、自分の権力が弱まってしまうと不安にさいなまれた。そんなとき、アレキサンダーとオリンピアスが、マケドニアを出ていったもんだから、これは使えると、アンティパトロスは思ったにちがいない。

 アンティパトロスは、さっそくアレキサンダーに密書を送った。


 拝啓、アレキサンダー電化……失礼。殿下。

 フィリッポス陛下が、アッタロスの姪と結婚しましたのは、わたくしにとっても青天の霹靂でございました。殿下と王妃さまのお怒りは、察して余りあるものでございます。余談ですが、「霹靂」なんて漢字はパソコンがないと書けませんなあ。
 失礼しました。さて、突然の提案でございますが、もし、フィリッポス王に万が一のことがあれば、わたくしアンティパトロスは、アレキサンダー殿下を、強力に支持するものでございます。見返りなどなにも求めません。ただ、現在のわたくしの地位を、そのまま継続させていただければけっこう。なにとぞ、わたくしの気持ちをお察しくださいますよう、伏してお願いを申し上げる次第でござりまする〜。


 なんて、文面だったのだろう。たぶん(苦笑)。

 これを読んだアレキサンダーは、オリンピアスに相談した。
「かあちゃん! アンティパトロスのオッサンから、こんな手紙がきたよ!」
「どれ……あら、アンティパトロスったら、気が利いてるじゃない」
「どーする、かーちゃん?」
「そうね……アンティパトロスが味方につくなら、殺しちゃう?」
「でもどうやって?」
「ほら、なんだっけ、パウサニアスとかいうバカな男がいたじゃない。あいつをそそのかしましょう。殺したあとの逃走の準備と、あんたが国王になったあとの、身の安全と裕福な生活を約束してあげれば、きっとその気になるわよ」
「うん、そうだね。さっそく手配しよう」
「うふふ。フィリッポスも、バカね。あんな小娘に惑わされなければ、もっと長生きできたでしょうに」

 なんて、会話がなされたのだろう。たぶん(苦笑)。

 こうして、フィリッポスは殺された。ここからは、ぼくの勝手な想像ではなく、記録に残っている話をしよう。

 フィリッポスの息子たちは、みなボンクラで、アレキサンダーだけが突出して優れていた。だから、アレキサンダーが後継者の筆頭ではある。しかし、彼にライバルがいないわけではなかった。それは親戚の子だ。中でも有力だったのが、フィリッポスの兄、ペルディッカス3世の息子、アミュンタス。彼の実力がどれほどのものか、よくわからないが、王族としての血筋は悪くない。

 ここで注目すべきは、貴族たちがどう動いたかだ。マケドニアの王を決めるのは、兵員会と呼ばれる兵士たちの会議なんだけど、それは形式的なものであって、じっさいは、貴族たちが決めていた。だれが王になるか(いまの場合だと、フィリッポスの後継者がだれになるのか)は、彼らの利害に大きく関係してくる。となれば、貴族たちの動きに注目するのは当然だろう。そして、このときのキーパーソンは……

 そう! アンティパトロスだ。

 事実、フィリッポスの腹心だったアンティパトロスは、フィリッポス殺害後、早々にアレキサンダー支持を打ち出した。そして、アミュンタスを推す勢力が盛り上がる前に、兵員会を開くことを声だかに主張して実現させた。これは効いた。貴族たちは、急速にアレキサンダー支持でまとまり、めでたく、アレキサンダー王が誕生した。

 いかが?

 アンティパトロスが、アレキサンダーを支持したのは事実なんだから、フィリッポスを殺した真犯人は、アレキサンダーとオリンピアス。そしてアンティパトロスの三人だったといっても、それなりに筋が通るんじゃないかな。いうまでもなく、ぼくの勝手な創作だから、眉に唾をつけて読んでいただきたいが(苦笑)。けっきょくのところ、フィリッポス暗殺の真相は、永遠の謎なのだ。


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