近況報告など



 ああーっ! ベタベタなラブストーリーが書きたーい!

 いきなり失礼しました。いやあ、ここ一ヶ月ほど執筆から遠ざかっていましてね。こういうときはいつも、「○○が書きたーい!」病が発病するんだよ。そのときどきで、ホラーが書きたかったり、コメディが書きたかったりするわけなんだけど、今回はラブストーリーが書きたいのだ。まあ、ぼくの小説は、なんだかんだいって、ラブストーリーが根底にあるんだけど(ミステリ仕立てになっていたり、SF仕立てになっていたりするだけで)、今回は純粋に、ラブストーリーのためのラブストーリーが書きたいのだ。とびっきりロマンチックなヤツを!

 なんでだろう? べつに「冬ソナ」を観たわけでもないのになあ……あ、そうか! ギックリ腰を患って、ここしばらくデートが激減したからかも。というわけで、ギックリ腰の話題からはじめよう。(話題の振り方が、強引すぎますか?)



■こ、腰が痛い!

 先日、腰を痛めてしまった。いわゆるギックリ腰ってやつだ。ご記憶の方もいらっしゃると思うが、これがはじめてじゃない。なんと、わが人生において三度目。ギックリ腰って癖になるんだよね。

 心優しい読者のみなさんが心配するといけないから書いておくと、ぼくの場合、骨に異常があるわけではない(あったらギックリ腰どころではないのだ)。念のため、過去に複数の病院で診てもらったのだが、どこでも同じようにレントゲンを撮られ、どこでも同じような診察結果が得られた。要するに、腹筋と背筋が衰えてくることによって引き起こされる、肉離れに近い現象らしい。

 肉離れねえ……

 なんだかピンとこない。回復してくると、なるほど筋肉痛の延長線上なのかなという気もしてくるが、なった瞬間は、筋肉痛どころの騒ぎじゃなくて、神経を針で刺されたような、とんでもない痛みなのだ。

 今回は、幸いなことに一歩も動けないような、重度のギックリ腰ではなかった。しかし、相当に痛い。ちょっと無理をしようものなら、そのままピキーンと、一歩も動けない状態になりそうな予感。やばい。非常にヤバイ。

 兆候はあった。痛くなる数日前、朝から夜中まで21時間ほど、ほとんど休みなく(休んだのは食事のときだけ)猛烈に働いてしまったのだ。これがいけなかった。さすがに21時間労働は無茶をしすぎだ。その翌日も、さらにその翌日も、10時間以上労働に勤しんだ結果、ついに腰が悲鳴を上げた。

 しかし!

 仕事は待ってくれない。腰が悲鳴を上げた翌日もスケジュールはみっちりだ。その日は、とある化粧品会社が発売する新製品の、パッケージに印刷する写真を撮らねばならないのだ。広告代理店、モデル、メイクなどの撮影スタッフ、そしてもちろん、クライアント。その日の撮影のために、大勢の人間が関わっているのだ。なのに、肝心のフォトグラファーが、腰が痛いのでお休みさせてください……とは、いえないよなあ。仕事というのはみんなそうだろうが、とくに、ぼくのような自由業者の場合は、「仕事=契約」というのが明瞭であり、つまり仕事をボイコットするのは契約違反なのだ。すべての責任は自分にある。健康管理も含めてだ(不慮の事故など、避けられない事態はあるから一般論としてだけど)。

 腰が痛んだ日の夜。翌日には回復していることを願って、ベッドに入った。ところが、朝起きてみると、回復どころか、より痛みが増している気がする。気分は最悪だ。仕事はお昼前からだったので、とにかく朝一番で医者に診てもらった。二度目のギックリ腰のときからお世話になっている、まあ、いってみればぼくの主治医だ。

「先生! 助けてください! これから仕事なんです!」
「また、あんたか。痛いときは仕事を休めといってるだろうに」
「休めるもんなら、休みたいですよ!」
「しょうがないなあ。診察台に仰向けに寝てみなさい」
「痛くて横にもなれません」
「そんな状況で、よく仕事がどうとかいえるね、きみ」
「だーかーらー、ぼくだって、いいたかないんですよ」
「わかった、わかった。おーい、○○さん! 手伝って!」
 医者は、ぼくなんか、軽々と持ち上げられそうな恰幅のいい看護婦さんを呼んだ。その看護婦さんに(いまは看護士と呼ぶべきなのかな?※注 看護師が正しいと、ご指摘をいただきました)手伝ってもらって、なんとか診察台に仰向けになった。医者は、ぼくの足を持ち上げた。
「どう? 痛い?」
「いや、これは痛くないですね」
「足のしびれは?」
「ないです」
「じゃ、つぎはうつ伏せになって」
「先生……痛くて寝返りもうてない患者に、ご無体なことを、ずいぶん簡単におっしゃいますねえ」
 また看護婦さんに手伝ってもらって、うつ伏せになる。これがまた痛い。先生は、ちょうど背骨の下辺りをぐっと押した。
「痛い?」
「いや……大丈夫です」
「じゃ、ここは?」
 説明しにくいが、背骨の両側を押された。
「痛たたっ! い、痛いです」
「ふむ。ま、前もレントゲン撮ってみたけど、骨じゃなくて、いわゆるギックリ腰だよ」
「そうですか」
「で、仕事を休めないって?」
「休めません。車も運転しなくちゃいけないんです。これじゃ座るのも無理ですよ」
「しょうがない。痛み止めを打つか」
「お願いします」

 すると医者は、なにか得体のしれない液体を注射器に注入して、腰(というか背骨の辺り)にブスッと刺した。この注射がまた、飛び上がるほど痛いんだが……しばらくすると、あら不思議。いままでの痛みがウソのように消えて……というわけにはいかないけど、悲鳴を上げたくなるような痛みが、なんとか耐えられる程度にはなる。「不可能」が「可能」になるのだから、現代医学は偉大だ。

 でもね……じっさいのところ、そのあと仕事をするのは地獄の苦しみだった。なにしろ、車には乗れるようになっても、降りられないのだ。ふつう、車に乗ると、シートに腰を曲げた状態で座るよね。その姿勢のまま固まっちゃうんだよ。降りようと思って身体を動かすと腰にピキーンと痛みが走る。

 もう最悪……それでも、なんとか、ゆっくりゆっくり身体を動かして車から降りる。この時点ですでに、これから仕事をするってことが、自分でも信じられない。ホントにできるのかよ、こんな状態で?

 いや、やらねばならないのだ。ほとんど精神力だけで動いてるねホント。まあ、撮影がはじまって身体を動かしていると、だんだん腰の筋肉がほぐれてきて、痛みが和らいできたから助かったけど……なんちゅうかその、罰ゲームをやらされてる気分だよ。

 さて。そのあと数日安静にしていられれば治りも早かったのだろうが、そういうわけにもいかず、腰の痛みは、なかなかとれない。とくに座っているのが辛い。30分も椅子に座っていると、そのまま固まって、立ち上がれなくなりそう。で、また病院に行った。

「先生。どーもその、スッキリ治らないんですよね」
「うーむ。前からいってるけど、要するに腹筋と背筋を鍛えなきゃダメなんだよ」
 医者はここで、カルテに記されているぼくの生年月日を見た。
「まだ、そんな歳でもないじゃない。痛みが引いたら、ジムに通うとか、水泳をやるとか、なにか運動をしなきゃいけないね」
「はあ……やっぱり、そうなりますか」
「なるね。ところで、今日はこのあと時間はあるの?」
「ええ、今日は休みなんです」
「じゃ、電気でも当てていくかい?」
「はあ。お願いします」
 医者の口調は、なんとなく気休めだよという雰囲気があった。根本的には、腹筋と背筋を鍛えろといってるんだから、少なくとも劇的な治療方法でないことはたしかだろう。でも、ちょっとでもよくなるなら、電気だろうが磁気だろうが赤外線だろうが、なんで当ててくれという気分だ。

 そこで、リハビリ室に移動した。ぼくぐらいの年齢になると、世間で自分より歳上を探すのがだんだん難しくなるものだが、そのリハビリ室に入ったとたん、自分がまちがいなく最年少であることを悟った。いやべつに、若い女の子と運命の出会いを期待していたわけじゃない。きみも腰が痛いのかい? まあ、あなたも腰が悪いんですの? 奇遇だねえ。そうですわね。なんて、整形外科のリハビリ室で、奇遇もへったくれもないわけだが、それにしても……

 ジーさまと、バーさま、ばっかりじゃねえか!

 ああ、ごめんなさい。みなさん、人生経験が豊富でいらっしゃる方々ばかり。こんな若造が来るところじゃないですねよ。すいません。でもその、先生が電気を当てろっておっしゃるんで、ちょっとだけ、お邪魔します。

 ぼくは、腰にビリビリする装置を当ててもらいながら思った。将来、老人ホームで、美しく歳を重ねた未亡人をナンパするのが人生の最終目標なのだが、どうやら整形外科のリハビリ室も、有望なナンパの場所になりそうだと……

 なんて、バカなことを考えられる程度には回復した。みなさん、ご心配をかけて申し訳ない。またギックリ腰になることがあるかもしれないが(あってほしくないなあ)、そのときは、暖かい気持ちで見守ってやってください(苦笑)。



■サイトリニューアル

 すでに、一月以上前になってしまったけど、サイトを引っ越しして、それに伴ってデザインも一新した。しかも今回は、ファイルを手直しするのではなく、まったく一からHTMLファイルを作り直した。

 いや、大変だったよ。5年間で増えたファイルの数は、この5年で増えた、ぼくのお腹の脂肪の比じゃない。画像ファイルなどを除いたHTMLファイルだけで、700近くあるんだから、もう目が点になったね。それを一つずつ作り直すんだぜ。もちろん、HTMLファイルを複数一括して置換できるソフトなんかの手を借りて、できるだけ作業が少なくなるように工夫はしたけど、途中、あまりの作業量の多さに挫折しかかった。

 でもさ。せっかく広くて快適なサーバーに引っ越すんだから、中身(ファイル)も、すべて美しくしたいよね。だから、がんばりました。

 ぼくがサイトをリニューアルするとき、まず第一に決めるのがページの配色だ。最近は、目に優しい配色を心がけているから、淡い色が多くなる。とはいえ、暖色系は使ったことがない。基本的に冷たい色が好きなんだ。というわけで、自然と使う色はブルー系とグレー系になる。この2色を混ぜて濃度を調節し、3種類ぐらい「色」を作るのだけど、この作業がなかなか難しいし、逆に楽しい作業でもある。ちょっとした色使いで、ページの印象は大きく変わるからね。女の子がデートに着ていく服を選ぶのに似てるかも(笑)。

 つぎに気をつかうのは、サイト全体のアクセシビリティ。まあ、目に優しい配色を選ぶのも、アクセシビリティの一種だけど、ここでいうアクセシビリティとは、「見やすさ」じゃなくて、「わかりやすさ」と解釈してもらえるといいかな。

 その意味で、以前から、目的のファイルにたどり着くまでに、最長で3クリック以内を目標にしていた(一部に例外はあるけど)。これは、今回のデザインでも変わっていない。また、だれが見たって迷わないように、リンク文字の色は、ブラウザが表示するデフォルトのままにしてある。ついでに、リンクの文字には、色盲や色弱の人も迷わないよう、「≫」マークをつけるようにもしている。そこまでする必要はないと思うのだけど、まあ、なんというか、少しでもアクセシビリティを向上させたいという「気持ち」だね。

 つぎに重要なのが(ぼくにとって)、ブラウザの違いによるデザインの崩れを、どこまで抑え込むかだ。もっとも悪い子ちゃんなのは、ネスケのバージョン4(以下NN4と表記)ですな。こいつは、ネットスケープ社が、独自の拡張仕様にひた走ったころの最後の置き土産なのだ。

 ぼくはしばらく前まで、執拗にNN4をサポートしてきた。NN4で、自分のサイトが完ぺきに表示されることが、自分の中の密かなステータスだったんだ。マックユーザーだった時代から、Windows ユーザーになった初期のころまで、NNを使っていたから、NN4への愛は深かったんだよ。ちょっと大げさにいうと、インターネットという世界に革命をもたらしたNNに対して、尊敬と恩義を感じてさえいた。

 それでも……

 NNと永遠の愛を貫くことはできなかった。ぼくは、スタイルシートという技術(であり、かつ規格)を愛してしまったのだよ。スタイルシートはクールな技術だ。これを使わない手はない。なのに、ぼくが、どんなにスタイルシートの世界を彼女(NN4)に見せても、彼女はHTMLにしがみついて離れようとしない。HTMLを装飾で飾るのは美しくないというのに! これでは、あれほど熱かった愛も、冷めてしまうというものだ。

 そう。NN4の問題点はいろいろあるけど、中でももっとも問題なのは、「その問題が修正されることはない」ことなんだ。機能が向上しないのは仕方ないとしても、バグが取り除かれることもないんだ。ソフトウェアにとって、これほどの屈辱と悲劇はないだろう。同情はするが、ぼくには、どうすることもできない。

 と、NN4ばかりを悪者扱いしていると、いまでもNN4を使っている人に怒られそうだから、このくらいにしておこう(苦笑)。

 じっさい、NN4よりも問題なのは、ブラウザの種類が増え続けていることだと思う。こういっては失礼だが、NN4は、待っていれば消えていく。しかし、新しいブラウザは、待っていると増えるのだ。Opera とか Firefox とか、マックでは Safari とか、いまでは、けっこうな数があるよね。もちろん、どんな世界でも競争があることはすばらしいことだから、いまの状況は歓迎すべきなのだけど……サイトを運営する者としては、頭の痛い問題なのも事実だ。

 いま現在、ぼくはマックでの表示を直接確認できないので、Windows だけに話を限定するけど、IEと Firefox では、表示が微妙にちがうんだよね。困るよ、ホントに。ブラウザを判定して、それにあった仕様を読み込ませるような技を駆使するのが、もっともエレガントな解決方法だろうけど、幸い、いまのブラウザは、表示が耐えがたいほど食い違うわけじゃない。1ドットでも表示が狂ったら許せない人でなければ、上にあげたブラウザの中から、どれか一つを基準に選んで、そこから微調整をしても、なんとかなる。

 今回ぼくは、「微調整」のほうをチョイスした。いままでは、JavaScript でブラウザを判定して、それぞれのブラウザに合ったスタイルシートを適応するようにしていたけど、ここまでブラウザが増えて(さらに将来も増えるかも)しまうと、判定スクリプトを直すのも大変なのだよ。

 そもそも、なんで不慣れな JavaScript を使ってまで、ブラウザを判定したかったかというと、フォントサイズを相対単位で指定したとき、ブラウザによって文字サイズが変わるのがいやだったんだ。ぼくが「最良」だと思う文字サイズで、小説本文を読んでもらいたかった。そういう環境を提示した上で、文字サイズが小さすぎると思う人は、ブラウザの設定で大きくすればいい。

 でもね。この考えはまちがっているんじゃないかと思うようになった。ぼくの考える「最良」はお仕着せじゃないのか? IEは、文字サイズを指定しないと(つまりデフォルトだと)、けっこう文字が大きく表示されるのだけど、もしかしたら、このデフォルトが、一番読みやすいのかもしれない。

 それに、IEと比べるから、ほかのブラウザは文字サイズがちがうように見えるんであって、たとえばNN4だけを使っている人にとっては、IEとのちがいなんて、どうでもいいことかもしれない。NN4は逆に、デフォルトだと文字サイズが小さすぎると、ぼく自身は思うのけど、NN4ユーザーは、それが当たり前だから、余計なお節介をするのは、やめておこうと思うようになったわけ。まあ、これはNN4への愛が薄れたせいでもあるんだけど(苦笑)。

 というわけで今回は、Firefox で表示したとき、もっとも、ぼくの意図を反映させるように作り込んだ。なぜIEを基準にしなかったのかって? そりゃ、ぼく自身 Firefox が好きだからさ。なにせ、Firefox は、NNの子孫だからね。彼女への愛は、まだ完全に消えたわけではないのだ(笑)。

 とはいえ、もちろんIEでも大丈夫。IEと Firefox での表示のちがいは、比べてみなきゃわからない程度にまでチューニングしたつもりだ。Opera も問題ない。しかし、残念ながらNN4では、文字化けの問題が発生した。いま現在、その問題は克服されたはずだから、もう大丈夫だと思う(文字色が反映されないけどね)。もっとも自信がないのは、マックの Safari だね。直接確認できないんだから、ぼくにとって、 Safari はミステリアスな存在だ。でもまあ、たぶん大丈夫だろう(※注 このエッセイを掲載後、Safari ユーザーから、問題なく表示されているとご報告をいただいた。一安心)。

 以上が、今回のリニューアルの話だ。ほかにも、いろいろ改善点はあるけど(画像ファイルを極力減らしたとか)、あとは細かい話になるから、このぐらいにしておこう。

 最後に、まとめっぽいことを書いておくと、ぼくは、リニューアルのたびに思うことがある。それは、サイトのデザインに、「最終形」はないってことなんだ。RSS だとか Blog だとか、ソフトウェアが進化し続けるんだから、それは当然だよね。さらに、アクセシビリティについても、終わりはない。ぼくは将来的に、視覚障害のある人でも、健常者となんら変わることなく使えるサイトを作ってみたいし(それこそネット小説の本領発揮ではないか)、携帯電話での利用も考慮するべきときがくるだろう。

 要するに、リニューアルのたびに、「最新にして最善」を目指すべきなんだ。進化する技術に付いていくのは大変だし、新しいことを覚えるのも、だんだん難しくなっていくだろう(ボケ防止には最適かもしれないね)。でも、だからこそ、挑戦のしがいがあるじゃないか。

 まあ……そうはいっても、あまり気負わず、自分にできる範囲で、ゆっくり進化させていこうと思っている。いままで5年やってきたんだ。これからの5年も、きっと、なんとかなるさ。



■リンク

 数日前に、やっと引っ越しのお知らせを送った。サイトを引っ越ししてから、まず、相互リンクしているみなさんに、引っ越しのお知らせを……と思っていた矢先に、仕事が忙しくなって、腰も痛くなってしまった。ネットに割く時間が減ったというだけでなく、気力まで衰えてしまい、いまごろになってしまったのだ。

 と、言い訳はともかく(苦笑)、相互リンクサイトとはいえ、ほとんどのサイトマスターさんとは、交流が途絶えている。交流のあるサイトなら、掲示板にお知らせを書き込んで連絡終わりなんだが(すいませんね、手抜きで(苦笑))、すっかりご無沙汰のサイトでは、そういうわけにもいかない。はたして連絡がつくだろうか……

 なんて心配した通り、リターンメールが、いくつかあった。サイトはあるのだけど(しかし掲示板はアクセス不能だ)、どうやら、以前のメールアドレスは廃止なさったようだ。残念だが、仕方がないね。

 また、相互リンクではないのだけど、うちにリンクを張ってくださっていたり、ぼくの作品の書評を載せていただいている方々にも、ぼくが把握しているかぎり、メールをお送りした。みなさん、ご好意でリンクしてくださっているわけだから、リンクを変更してくれなんてメールが、厚かましく思われないといいのだが……

 さて、そんなことをしているうちに、Script1 が、どれだけリンクされているか気になったので、Googleで検索してみた。数を数えたわけではないけど、けっこうリンクをしてくれている人がいて、大感激。そして、トップページだけでなく、エッセイの個別記事に、直リンクされているのも、いくつか発見した。

 おや……これは困ったぞ。

 いや、勘違いしないでほしい。直リンクはぜんぜん問題ないんだ。Script1は、リンクフリーであり、どのページに直リンクしていただいてもかまわない(投稿記事とイラストだけは、ぼくの著作物ではないので勘弁していただきたいが)。この方針は、サイトを開設した5年前から、ずっと貫いている。

 いい機会だから、まずは、ぼくのリンクポリシーを説明しよう。

 最近、Blog が流行っているので、情報の共有化という概念も、ずいぶん浸透してきたと思うけど(ご存じだと思うが、Blog の本質は『日記』ではない)、そもそも、インターネットという世界は、情報の共有化で成り立っている。

 その、もっとも原始的な概念が「引用」だ。論文には、必ずといっていいほど引用がつく。人類は、一人の天才が、なにもない「無」の状態から、突如としてなにかを作り出してきたわけではない。どんな天才でも、過去の知識の上に立っているからこそ、新しい発見や発明ができるのだ。誤解を恐れずにいうならば、引用とはつまり、過去の知識が、どれだけ役に立ったかを示していると考えてもいいだろう。この「引用」が、ネットでは「リンク」となった。と思ってもらえばわかりやすい。

 そういえば、ハイパーリンクなんて言葉を知っている人も多いんじゃないかな。最近はあまり使わない言葉だけど、そのハイパーリンク情報(要するにただのリンクなんだけど)が埋め込まれた文章を、ハイパーテキストと呼ぶ。WWWは、ハイパーテキストの代表選手みたいなもんだ。「ハイパー」なんて、いまとなっては大げさに感じるけど、インターネットのきわめて初期の時代には、こいつは、本当にクールな技術だったんだぜ。まさに熱狂的だった。ぼく自身、OSに、呪文のような文字を読み込ませ(解説書を見ながら、必死に打ち込んだ)、2400ボーのモデムで、はじめてネットの世界をかいま見たとき、リンクという概念を知って、ビックリしたもんだよ。

 歳を感じる話だなあ……(涙)。

 という思い出があるから……というわけでもないんだけど、ぼくはリンクを規制するべきではないと考えている。著作権は守られなければならないけど(当然だ!)、情報は共有するべきだ。いや、しなきゃいけない。そうでなければ、インターネットの存在意義はない。

 だから、ぼくのエッセイが、参考文書として直リンクされているのを見るのは、じつに気分がよろしい。科学について語り合っている掲示板で見つけたし、歴史についての掲示板にもあった。そして、一番多かったのが神話についてだ。日本神話を真摯に考察しているページにも、ぼくのエッセイがリンクされているのを見つけたときは、さすがにちょっと照れくさいと思ったけど……引用してくださったみなさんに、心からお礼を申し述べたい。大変光栄です。

 さて。ぼくがなにをいいたいか、もうおわかりだと思うが、「引用」としてのリンクの場合、ぼくの書いた文章を参照するのに、Script1 のトップページからたどっていくのは時間のむだだ。目的の文書そのものに、すぐたどり着ける直リンクが望ましい。よって、ぼくが直リンクをお断りすることはない。今も昔も、そしてこれからもだ。じつは、3年ほど前から、トップページだけでなく、すべての扉ページにサイトメニューを入れているのはそのためだ。どこか特定のページだけをご覧の方が、Script1 に興味を持ってもらえたとき、最短でサイト全体を見渡せるようにするためなのだよ。

 ただ……個人が趣味で開設しているサイトでは、サイトマスターそれぞれに、リンクについての考え方があるだろう。特定のページに直リンクされるのは、不快に思う人もいるかもしれない。これだけサイトが増えると、「パブリック」ではなく、「プライベート」な空間としての、ネットのあり方も、当然あり得るだろう。そのことを否定しない。サイトマスターが、リンクを望まないのであれば、エチケットとして、そのサイトにはリンクを張るべきではないと思う。

 と、同時に、リンクを望まないサイトマスターさんにも、原則として、ネットはパブリックなのだということをご理解いただければと願っている。でなければ、Google などの検索サイトは成り立たない。ネットを利用するほとんどの人が、検索サイトの有用性を実感しておられると思うので、リンクを禁止することに意味がないことは、容易に理解していただけるだろう。どうか、寛大な気持ちで、ご自身の発信している情報を、共有物として提供していただきたい。ネットから「なにを得られるか」だけでなく、「なにを与えられるか」を考えることは、けっして無益ではないと思うよ。

 以上が、ぼくのリンクに関する考え方だが、さっき、直リンクを発見して「困った」と思ったと書いた。それはなぜか?

 いうまでもなく、サイトを引っ越ししたからだ。旧サイトの情報は、今後1年間(2006年5月末日まで)アクセス可能だから、エッセイや小説などのコンテンツは残してあるけど、それらは、いずれ消えてなくなるのだ。

 せっかくリンクしてもらったのに、残念なことだ。

 情報同士のリンクが、ネットの本質だとしたら、情報のはかなさが、ネットの宿命かもしれないね。ネット上の、すべての情報を保存しようというプロジェクトもあるけれど、そのプロジェクトが成功しても、消えたリンク先を、自動的に修復するわけではない(仮に修復できても、それはそれで問題があるだろう)。

 こう考えると、いまのリンクという技術は、単純すぎるのかもしれない。将来、もっとインテリジェンスな(たとえばマックOSの、エイリアスのような)リンク技術が登場するかもしれないね。

 以上、近況報告おわりです。



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