狂った時間



 もう2ヶ月近く前のことなんだけど、何年も前から愛用していた腕時計が壊れてしまった。それは、シチズン製の自動巻きの時計で、とくに高価というわけではないのだけど、すごくお気に入りだった。ぼくが腕時計に求めるのは、文字盤が大きく、数字がアラビア数字で、かつ曜日と日付が表示され、曜日が漢字ならパーフェクト。

 壊れた時計は、そのすべてを満たしていた。ここまで気に入った時計は、はじめてだった。壊れてから、新しい時計をどんなに探しても、ぼくの要求を満たす時計を見つけることができなかった。ああ、失礼。正確には、お金をいくらでも出すという条件をつければ、まったく候補がなかったわけではないけど(苦笑)。

 だから、この時計は修理にだそうと思っている……のだけど、まだ出していない。なぜなら、とにかく、可及的速やかに腕時計が必要だったので、本当に気に入った時計が見つかるまでのつなぎで(いまとなっては、探すのを諦めたので、以前の時計を修理する間だけ)使うつもりで買った腕時計が、まあ、それなりに役に立っているからだ。

 その時計は、やはりシチズン製で、買った当時、まだ出たばかりの、新しいデザインのクロノグラフ。豊富な商品知識を誇ると、店内放送で自慢しているヨドバシカメラの店員も知らなかった。

 ま、それはともかく。以前の時計とはずいぶんちがう。デザインはもちろんだけど、その構造がちがう。今度のは、なんとクォーツなのだ。針が、カチカチと、1秒ごとに動く。その様子は見ていて、あまり気分がよいものではないけど、その正確さに驚いちゃった。なんと、2ヶ月も使っているのに、2秒しか狂ってない。この精度が1年を通じて保たれるのなら、12ヶ月での狂いは、たった12秒だ。

 驚異的だ……すごすぎる。信じられない。

 以前使っていた自動巻きの時計は、1日に、だいたい、2分ぐらい狂った。だから、毎朝、腕時計の時間を、卓上にある電波時計を見て合わせるのが日課になっていたのに、いまは、それをする必要がまるでない。便利だねえ。

 もちろん、ゼンマイの時計だって負けちゃいない。1950年代には、すでに19ヶ月でたった1秒しか狂わないゼンマイ時計が作られていた。現代では、もっと精度の高いゼンマイ時計もある。ところが、それはものすごく高い。信じられないかもしれないけど、ベンツどころか、フェラーリと比べた方がいいくらいに高価だったりする。

 ところが、ぼくの腕時計は、たった数万円だ。これはクォーツが発明されたおかげ。クォーツは、パソコンに詳しい人なら、エプソンのプリンタ技術で聞いたことがあるかもしれない「ピエゾ電気」という原理で動いている。ピエゾ電気の発見者は、かの有名なキュリー夫人の夫、ピエール・キュリーと、彼の弟ジャックだ。1880年のことだよ。

 ピエゾ電気のことを簡単に説明すると、ある結晶に圧力をかけると電圧が生じる現象のことなんだ。その逆も真で、結晶に電圧をかけると、それは収縮する。つまり、結晶に振動する電圧をかけて、収縮と弛緩を繰り返させると、電圧の振動に等しい周波数で音波を発生させることができるわけだ。これは、ソナーとして使われている。エプソンのプリンタも、この原理を応用して、インクをノズルから吹き出させている。

 同じ原理は時計にも使える。結晶の微小な振動によって、時を刻むために必要な「周期」を、ゼンマイよりずっと規則的で、しかも安価に作り出すことができるわけだ。ちなみに、この目的にもっとも適した結晶は無色透明の石英なので、この原理を応用した時計は、石英を意味する「クォーツ時計」という。

 無色透明の石英は、水晶と呼ばれるから、クォーツ時計の心臓部を、水晶発信子とか、水晶振動子とか呼んだりするよね。英語では、クォーツ・クリスタルだ。クォーツ時計の精度を決める要素として、水晶の純度が重要だから、不純物の多い安価な水晶を使っている時計は、けっこう狂う。

 あれ?

 いつのまにか、時計の話をしているぞ。ちがうんだ、このエッセイを書こうと思った動機は、クォーツ時計の説明をしようと思ったわけじゃない。時間について、自然科学的な話をした……ああ、大丈夫。そんな身構えないで。時間といっても、相対論を語ろうってんじゃない。もっと日常的な話だから、心配しないでね。

 というわけで、軌道を修正して、時計でなく「時間」について語ってみよう。例によって、あちこち脱線するかもしれないけど、準備はよろしいかな? さあ、行くぞ!

 以前、「歩んだ道か、歩む道か」と題した歴史エッセイで、暦を扱った。あのときは、主題が暦なので、扱った単位は主に「年」であり、最小でも「1ヶ月」という単位しか話さなかった。だから今回は、1日について話そう。

 その「歩んだ道か、歩む道か」でも書いたとおり、そもそも、人間がいつごろ「時間」を意識しはじめたのかは、定かじゃない。ただ、まちがいなくいえるのは、人間も動物なので、おそらく、昼に活動して、夜は休むという生活リズムは、猿よりも劣る知能しかなかった時代に、すでに確立されていただろう。もちろんこれは、時間を意識していたわけじゃない。太陽という天体の、天文現象に生存を依存していただけだ。

 とはいえ、やはり太陽の力は絶大なので、人間の知能が発達して、いよいよ時間を意識しはじめたころ、まず最初に、太陽を基準にしたのは不思議なことでも、驚くべきことでもないよね。

 そう。最初の、それなりに正確な時刻を知るための装置は「日時計」だった。

 残念ながら、日時計を発明した人物がだれなのか、ぼくは知らないし、知っている人はこの地球上にはいないけど、エジプトの初期の文明時代はもちろん、エジプトに先立つ、シュメール時代にも、あったはずだ。

 日時計の原理は、しごく単純。まず、一本の棒を用意する。そいつを地面に、しっかりと突き刺しおこう。これで準備は完了だ。

 で、日が昇ってくると、その棒は西の方へ長い影を落とすはずだ。さあ、その影の位置に印をつけておくのをお忘れなく! 太陽が高く昇るにつれて、長かった影はしだいに短くなり、北に向かって回っていく(ぼくは北半球に住んでるからね)。それから影は、棒の北側を通過するとき、もっとも短くなって、それから東の方へ伸びていくようになるだろう。こうして日没を迎え、ついに影は消えてしまう。さあ、その位置も印をつけておくのをお忘れなく!

 これで、ほぼ日時計は完成だが、もちろん、完ぺきじゃない。日の出と日没の影の位置がわかっただけでは意味がないもんね。だから、あと二つ、工夫を加えよう。まず、日の出の印と、日没の印を、ちょうど二等分しよう。この真ん中の印を影が通るとき、太陽は天空を回る旅の、ちょうど真ん中だから、そこが日時計が示す「正午」だとわかる。

 つぎに、その「正午」から見て、日の出側を6等分、日没側も6等分して、全体を12等分しようじゃないか。

 え? なぜ12等分だって?

 たしか、「歩んだ道か、歩む道か」でも書いたと思うけど、12という数字を使うのは、まだ分数ができなかったシュメール人時代のなごりなんだよ。12という数字は、どういうわけか、2、3、4、6で割り切れる。これに近い数字で、4つもの因数で割り切れる便利な数字はなかった。だから、シュメール人は12を好んで使ったし、彼らと同じくらい分数が苦手な現代人も(苦笑)、12を好んで使うわけさ。

 さあ、日時計を12等分したかな。これで、昼間の時間を、12個に分割して扱えるようになった。あなたが友人の家に、日時計の、3等分目に出かけていく約束をしたとしよう。その友人の家が、同じ町内にあって、同じような日時計を持っているのなら、あなたが訪問してくるまでに、あとどのくらいなのかわかるわけだ。お互いに。

 のちに、その「等分」した一目盛りは、「1日の時刻」という意味のギリシアから「アワー」と呼ばれるようになったので、これから、このエッセイでは、一目盛りを1時間と呼ぶことにしよう。

 このように、最初のころは「日の出」がゼロ点だった。第1時といったら、それは、日の出から1時間後のことだ。第2時は、日の出から2時間後。だから、むかしの文献を読むときは、この点を注意しなくちゃいけない。

 たとえば、聖書に「第11時」と書かれていたら、それは、現代のわれわれがいうところの、午前11時でも、午後11時でもない。聖書の第11時は、日の出から11時間後であって、つまり、日没の1時間手前を示している。早い話し、夕方ですな。

 もうひとつ、過去の文献を読むときに注意しなければいけないのは、「正午」の扱いだ。さっき、日時計を、日の出と日没の、ちょうど真ん中で二等分して、そこが日時計の示す「正午」だと書いたけど、これは天文現象における「正午」であって、人間社会の正午とはちがっている。じつは、むかしむかし、正午とは「第9時」のことだった。

 たぶんこれは、食事を取る時間の習慣が原因だと思う。というのは、日時計の時代、人々は、日の出と共に活動をはじめ、日没と共に、その日、1日を終えた。となれば、活動を開始してから、9時間後あたりが、古代の人々にとって、1日のうちで、もっとも主要な(現代のわれわれがいうところのディナー)を取るのに、都合のいい時間だったかもしれない。現代人は、明るい電球があるから、日が暮れてからでないと、ディナーを取る気になれないかもしれないが、古代人は、あたりが暗くなる前に、食事を済ませてしまいたかっただろう。

 というわけで、古代では、午後のはじまりである正午は、食事の時間と結びついて、第9時になった。正午(ヌーン)という言葉自体、じつのところ、ギリシャ語の「9」がなまったものなんだ。

 そして、時代が多少現代に近づいてくると、1日の主要な食事の時間が、少しずつ早まっていった。いつしかそれは、第6時、つまり天文現象における「正午」と一致したのだけれど、言葉は依然として「ヌーン」が使われた。われわれは日本人だから、あまりピンとこないかもしれないけど、以上のような経緯があって、午前は「ビフォアヌーン」、午後は「アフタヌーン」と呼ぶわけだ。また、ちょっと気取ってラテン語を使いたいなら、午前を「antemeridian(A.M.)」、午後を「postmeridian(P.M.)」とお呼びになってもかまわない。

 さて、これで昼間の活動は「時間」で区切ることができるようになったわけだ。でも、夜はどうしたらいいんだろう。いうまでもないことだけど、夜になると、日時計は役に立たない。

 そこで、夜は「星」を利用するのが妥当だと古代人は気がついた。でも、どの星を、どの位置で観測したらいいんだ?

 どの星を観測するかについては、「この星に決めた!」と、勝手に決めればいいことなのでそれほど問題ではないけど、「位置」は問題だった。星が地平線から現れ、そしてまた地平線に沈んでいくのを観測するのは難しい。話が前後するけど、じつは、太陽でもそれは難しいのだ。地平線は、場所によっては、本当に平らだろうけど、ふつう起伏があるものだし、雲や霞に隠れてしまうことも多いだろう。

 そこで古代人は考えた。太陽が、空の一番高いところにあるときを基準にしたら観測しやすいぞと。つまり、日時計の示す正午、第6時をだ。太陽が、もっとも空の高い位置にあるとき、そこに仮想的な印をつけて、さらにその印から、南北に伸びる線を引く。これが子午線だ。なにもない空に、仮想的な線を引くのは大変な作業ではあるけど、なんとか工夫すれば、その仮想的な線を確認することはできる。たとえば、屋根に穴をあけて、そこを覗き込めば、子午線と一致するようにするとか。で、一度、そのような工夫が考案されると、われわれは、薄もやに曇った地平線を観測するより、ずっと容易に、太陽や星の位置を知ることができるようになった。

 話の都合上、いまごろ子午線の説明をしているわけだけど、じっさいには、古代エジプト人も子午線というアイデアを持っていた。

 さて、子午線があると、日時計はより便利だ。というのは、太陽は季節によって、空にいる時間がちがう。ご存じの通り、夏になると昼が長く、冬になると昼が短くなる。日時計は、その変化を忠実に再現する。いい換えれば、棒の影が動く範囲が、広くなったり狭まったりしてしまうわけだ。

 そこで子午線。太陽が子午線を通過するときは、昼の時間が長い夏でも、昼の時間が短い冬でも、季節に関係なく、常に、太陽が空を回る旅の、ちょうど中間だよね。だから、正午の印は不変にして、日の出と日没の印を、広げたり縮めたりすれば、季節による変動に対処できるわけだ。ね、便利でしょ。

 さて、夜に戻ろう。ある特定の星の位置を観測するとき、この子午線を基準にすればいいことが、もう推察できるよね。だから、古代人はそうした。そこで、ある晩の、ある特定の星が、子午線を通過してから、つぎの晩に、また通過するまでの間を「恒星日(サイデリアル・ディ)」と呼んだ。サイデリアルとは、星座や星を意味するラテン語に由来する。この、サイデリアル・ディは、地球が、恒星に対して、つまり宇宙全体に対して、ちょうど一回転する時間を意味する。これに対して、太陽が子午線を通過し、次の日にまた子午線を通過するまでの間を「太陽日」と呼ぶ。じつは、恒星日と太陽日は、微妙にちがうのだけど、それはあとで説明するから、ちょっと覚えていてね。

 さあ、こうして夜は、星を見れば時間がわかることが理解できたよね。日時計の役に立たない、空白の半分(つまり夜の部分)も、昼と同じように12に等分して、1日は24時間と考えることができるようになった。

 とはいえ……

 やはり夜は不便だ。日時計のように、明確に時間のわかる装置が使えないし、その日時計だって、曇りの日には役に立たない。なんとか、日時計の代わりになる時計は作れないものだろうか。と、古代人は思った。そこで、古代エジプトでは水時計とか、砂時計とか考案された。もっと時代が現代に近づくと、蝋燭が作られて、それが燃える速度を時計の代わりにもした。

 しかしだ!

 これら、天文現象に依存しない時計には、大きな欠点が(利点でもあるが)あった。それは、季節による変動とは無関係に動くんだよ。そうだろ? 太陽がどこにあろうと、水が落ちる速度は一定なんだから。

 さっき説明した通り、太陽は季節によって、空にいる時間がちがう。夏になると昼が長く、冬になると昼が短くなる。日時計は、その変化を忠実に再現する。もしも、日時計を基準に時計を厳密に合わせるならば、砂時計でも水時計でもなんでもいけど、それら人為的というか、機械的な時計は、季節の変動を補正しなくちゃいけない。

 正直いって、それはとてつもなく複雑で、気の遠くなるほど面倒な作業だ。なんとか工夫すれば、機械的な補正は可能かもしれないが、どの地域を基準にすべきかの問題だってある。われわれ人類は、その努力を放棄した。その代わり、一年を通じて、いや、それどころか、昼夜を通じて、時間の方が「一定である」と決めることにした。

 こうして、日の出は季節に関係なく、常に「第1時」であったのに対して、夏の日の出は、午前四時ごろであり、冬は午前六時ごろであるというように、天文現象の方が、時計の上での位置を変えることになった。この習慣が、現代でも続いているのは、いうまでもないことだよね。

 ところで「日付が変わる瞬間」だけど、子午線を基準にする限り、そのポイントは、1日のうちに二回ある。太陽が子午線を通過する正午か、星が子午線を通過する真夜中か。これは、真夜中の方に決まった。人が活動的な昼間に日付が変わるより、大勢の人が寝ているだろう真夜中の方が混乱が少ないからね。

 ここで、ちょっと話を脱線させて、「時間」から「時計」に移ろう。時計を太陽に合わせなくなったのは、いつごろだとおもう? 古代ギリシア人が決めたんだろうか? いや、さすがにそこまで早くない。われわれが、時計と太陽の動きが一致しなくてもよいと思えるようになったのは、1300年ごろだ。紀元前じゃないよ。紀元1300年。

 じつはこのころ、「重力時計」というものが発明されたんだ。ごく簡単に構造を説明すると、駆動軸に紐を巻き付けて、それに大きな重りを吊るす。当然、重りは重力によって落ちていくから、駆動軸はくるくる回る。その駆動軸に、適度な抵抗(ブレーキ)を取り付ければ、重りは、ゆっくり1日かけて地面まで落ちるだろう。

 さてさて、その駆動軸には、もちろん時計の針が繋がっているわけさ。こいつは、装置が大がかりになるので、教会や礼拝所に取り付けられた。というか、修道士たちが、お祈りをするための正確な時間を知りたくて発明したらしい。

 この重力時計は、けっこう正確に時を刻んだ。1日の狂いは、だいたい15分程度だったと思われる。1300年にはすでに、1日に15分しか狂わない時計があったんだ。これはすごいことだよね。

 最初はそれでよかった。修道士のお祈りが、15分遅く(あるいは早く)はじまっても困る人はいない。でも、生活のリズムとはべつの意味で、正確な、とにかく正確な時間を知らなければならない人がいた。

 1581年。当時17歳になったばかりの、ガリレオ・ガリレイも、その一人だった。彼は、ピサの聖堂で礼拝に参列しているとき、シャンデリアが風で揺らぐ様子を見ていて、同じ時間で往復しているように思えた。自分の脈拍でそのことを確かめると、すぐ家に戻り、糸に吊るした重りで実験してみた。彼はこのとき「振り子」の原理を発見したのだ。

 それまでの時計は、水だろうと、砂だろうと、重りだろうと、蝋燭だって、つねに下に向かって動く構造だった。ところが、振り子は下への一方的な変化ではなく、「周期」だった。これは、それまでになかった概念だ。理屈では、振り子が時計に使えることはガリレオにもわかっていた。でも残念ながら、彼に時計は作る才能はなかった。

 じつは、振り子の揺れる周期は一定ではない。糸で吊るした重りは、円形の弧を描いて動くけれど、大きな揺れは、小さな揺れより、少しだけ時間がかかるんだ。なおかつ、振り子は、放っておけば自然にとまってしまう。こいつを、いつまでも動かし続けるにはどうしたらいいんだろう? ガリレオは、この問題を解決できなかったんだ。

 その解決方法を思いついたのは、オランダの物理学者、クリスティアーン・ホイヘンスだった。彼は、1656年に、二つの湾曲した誘導レールの間で振り子を揺らせて、「サイクロイド」という一種の曲線を描かせた。この場合には、振り子の周期は一定になる。そして、振り子を動かし続けるエネルギーには重力を使った。そう。べつの重りが、重力で落ちるエネルギーを振り子に供給するようにしたんだ。ま、いうまでもなく、たまに下まで落ちてしまった重りを、上に持ち上げる作業は必要だけど。

 ホイヘンスの発明した振り子時計は、ついについに、「時」ではなく「分」を計れるようになった。われわれ人類は、当時すでに(計れもしないのに)、「時」を60等分して「分」という概念を持っていたけど、ホイヘンスこそが、はじめて「分」を見た人なんだね。だから彼のおかげで、時計にもう一本、針(長針)が加わって、短針が1時間進む間に、1回転させることができるようになった。

 え? なぜ1時間は60分なんだって? そりゃシュメール人が分数が苦手だったからだよ。12を採用したのと同じ理由だ。

 ホイヘンスは、さらに先に進んだ。イギリスの物理学者、ロバート・フックが、1658年にゼンマイを発明したんだ。こいつは、重りを吊るすのと同じ働きをして、しかも原理的に小型にできない振り子時計とちがって、驚くほど小さくすることができる。

 ホイヘンスは、このゼンマイを使って、1675年に、小型の時計を考案した。彼の作った小型の時計は……驚くなかれ! なんとポケットに入れることさえできたんだ!

 この小型の時計は、夜の間、街の見張りをする人たちに大好評だった。このエッセイをお読みのみなさん。見張りのことを英語でなんという? セキュリティ・ガードとはいわないように。さあ、ごいっしょにどうぞ。

 ウォッチ!

 そう。警戒、警備員、見張りなどのことを、ウォッチと呼ぶ。だから、彼らが使っていた時刻を知るための装置も、ウォッチと呼ばれるようになったわけ。

 バンザーイ! ついに腕時計ができたぞ。

 話が飛んで申し訳ないけど、また「時間」に戻ろう。

 かなり正確な時計も発明され、1日を計る方法はすべて確立されたのだろうか? いや、万事めでたく解決というわけにはいかない。さっき、恒星日と太陽日の話をしたとき、この二つは微妙にちがうと書いたよね。覚えてる?

 もう一度おさらいしよう。太陽日とは、太陽が子午線を通過して、次の日に、また子午線を通るまでの間だ。これをわれわれは、24時間と決めた。そして、恒星日は、ある星が子午線を通り、また次の日に子午線を通る間のことだ。こちらも、ピッタリ24時間になるように思えるよね。

 ところが、そうじゃないんだ。恒星日は、わずかに24時間に足りない。23時間56分4秒なんだよ。なんでだろう? どちらも、地球が一回転(自転)する時間なのだから、それが太陽に対してだろうが、星に対してだろうが、常に一定だろうに。

 残念ながら、一定ではないのだよ。というのは、地球は自転しているだけじゃなく、太陽の周りを公転してもいるのだ。太陽は、わが地球がその周りを回るにつれて、恒星に対する位置を変えちゃうわけなんだよ。その様子は、図にするとわかりやすいけど、図を描く気力がないから、説明をはしょって、まあ、そういうもんだと、ぼくを信じてほしい。

 太陽を基準にすると、公転の影響で、1年は「365・2422日」になる。ところが、恒星ははるかはるか遠くにある。地球が太陽を回る公転は、ぼくらにはものすごい距離に思えても、恒星から見れば、ただの「点」と見なせる。つまり、影響しないってこと。そこで、恒星を基準にして1年の長さを決めると、それは「366・2422日」なんだ。これが、宇宙全体に対する、地球の本当の自転周期だ。

 でもさ、どこか見ず知らずのクエーサーだか中性子星だかを見上げながら、それが本当の自転周期だといわれても困るよね。そんなの、天文学者とSF作家以外に、いったいだれの役に立つ? まあ、正直に告白すると、ぼくには、ちょっと魅力的なんだけど(苦笑)、ふつうは太陽を基準にするよね。だから、1日の長さは24時間なのであって、恒星日の23時間56分4秒ではない。

 しかし、ああ、しかし!

 太陽を基準にしても、じつのところ、1日は24時間ではないのだ。地球は太陽を完全な円を描いて公転していない。それはわずかに楕円なのだよ。一年を通じてみると、地球は一年の半分の間、平均よりわずかに太陽に近く、したがって平均よりわずかに速い速度で太陽の周りを動く。また反対の半年間は、地球は平均よりわずかに太陽から遠ざかり、したがって平均よりわずかに遅く、太陽の周りを回る。プラスとマイナスが、半年ごとに入れ代わるわけだね。

 さらに、地球は軸が傾いている。その角度は23・5度だ。この傾きが、空を横切る太陽の見かけの速度を変えてしまう。これら二つの要素、すなわち、公転と地軸の傾きの二つを加え合わせて、われわれは「均時差」と呼んでいる。

 え、なに? いまいちよくわからんって?

 いや、これも図にするとわかりやすいんだけど、図を描く気力が……以下同文なので、そういうもんだとぼくを信じてほしい。

 ただ、もしも興味があるなら、均時差をネットを検索してみるといいよ。容易に均時差をグラフで表した図が手に入るはずだ。そのグラフを見た人のために、ちょっとだけ補足すると、均時差を構成する二つの効果のそれぞれは、対称的なグラフになるのがわかるよね。でも、それらを合計した均時差は非対称的なんだ。なぜなら、二つの効果は、大きさが等しくないし、1年の同じ時期には起こらないからね。以上、補足おわり。

 ともかく。均時差によって、太陽の動きは不規則になるのだけど、それはプラス・マイナス15分程度だから(プラス16分からマイナス14分ぐらい)、ふつうに生活している分にはまったく影響ない。それでも、もしも時計を精密に作りたいと思うなら、この均時差を補正するべきかもしれない。

 が……

 機械的な時計を太陽の季節変動に合わせる努力を放棄したのと、ほぼ同じ理由で、われわれは均時差の補正も放棄した。

 その代わり、またまた時間の方が一定だと定めることにした。幸い、均時差は、一年の終わり、逆にいうと、一年のはじまりには、帳消しになるというか、元に戻るというか、とにかく、ただ振幅を繰り返すだけの現象だから、地球の公転が完全な円形であり、軸も傾いていないと仮定しちゃえばいい。そのときの太陽を「平均太陽」と呼ぶんだ。そう。ずばり平均をとればいいんだよ。

 ここで、また日時計に戻ろう。日時計は太陽があって、はじめて機能する時計だ。季節の変動も、ちゃんと(当然だけど)反映される。だから、日時計の示す時間を「太陽時」と呼ぶとすれば、いま、ぼくらの時計が刻んでいる時間は、「平均太陽時」と呼ぶべきなのだ。

 ところがどっこい、その「平均太陽時」でさえ、まだ修正しないと使えない。ったく、時間ってのは、よく狂う困ったヤツだよ(苦笑)。

 地球の自転は、いままで見てきたように、太陽に対してと、恒星に対してではちがう。そして、太陽を基準にすると、均時差という問題も生じる。でもそれは「平均」をとってしまえば解決するわけだ。誤解を恐れずにいえば、いままで説明してきたのは、「見かけ上の狂い」なんだ。

 でもさ、地球の自転が、本当に狂っているとしたらどうする?

 狂ってるんだよ。残念ながら、わが母星である地球は、時計としてはかなりデキが悪くて、どこかで大きな地震があれば狂うし、雪が降ったり、暴風雨が吹いたりするだけでもわずかに狂う。これらは、まさにランダムな狂いであって、地殻の、あるいは核の、そして大気の、質量分布が変わることで、自転が速くなったり遅くなったりする。

 さらにさらに、潮汐作用がある。こちらは速くなることはない。潮汐作用は、常にブレーキとして働くから、地球の自転を長い目で見れば(なにかの原因で、たまに速くなることはあっても)、少しずつ遅くなっている。

 なんで、こんなことがわかったかというと、われわれ人類は、いまや、かなり正確な時計を持っているからなんだ。さっき、ちょっとだけ重力時計の話しをしたよね。この時計は、1日にプラス・マイナス約15分の精度で時間を計ることができた。ところが、いまぼくの腕にある時計は、2ヶ月に2秒だぜ。この精度が1年を通じて保たれるなら、年間の狂いは、たった12秒。1年を、31・536・000秒だとすると、わずか0・00038%の狂いだ。消費税もこのくらいだったらいいのにね。百万円の買い物しても、3・8円払えばいいだけだ。

 それでも、ぼくの腕時計では、科学的な観測するには充分ではない。いや、不充分すぎる。もっと、はるかに正確な時計が必要だ。いま、われわれが持っている最高に狂わない時計は、セシウム原子を使った原子時計で、これは500万年に1秒ぐらいしか狂わない。しかし、これでもまだ充分ではない。ますます深まる自然の謎を解くには、セシウム原子時計より、はるかに精密な時計が必要だ。だから、いま現在も、世界中の技術者ががんばってる。もしももしも、未来のどこかで、水素原子の振動を利用することが可能になれば、たぶん水素原子時計は、1億年で1秒も狂わないだろう。

 とはいえ、セシウム原子を使った原子時計は、いま手に入る最高精度の時計なので、こいつを使って「国際原子時」というのが作られた。動き始めたのは1958年の1月1日0時0分0秒からだよ。

 あ、そうそう。1秒の定義も、このセシウムを使って決められてる。現在のところそれは、「セシウム133原子の、基底状態の2つの超微細準位間の遷移に対応する放射の 9,192,631,770 周期の継続時間」なんだ。

 難しいねえ!

 ま、多少とも簡単に、「1秒は、セシウム原子の、91億9263万1770周期に等しい」と覚えとけばいいよ。いや、これでも覚えられないけど(苦笑)。

 さてさて。われわれは原子時計を手に入れたので、さまざまな理由で揺らぐ自転を、正確に観測できる。原子時計は、ぼくらが、1日は24時間であると固着するために、地球の自転の狂いを埋め合わせるための「うるう秒」を加えるべき時期を教えてくれるんだ。

 うん。じつはね、密かに(笑)時間は調整されているのだよ。自転が遅くなったら、ある決められた時期に、1秒を挿入するんだ。もしも自転が速くなっていたら、1秒を抜けばいい。

 はじめて「うるう秒」による調整が行われたのは、1972年。それ以来、2003年7月までに、22回も、うるう秒が実施されてるんだよ。その22回とも、すべて1秒を挿入している。地球はの自転は、けっこう狂ってるよねえ。

 念のためにいっとくけど、潮汐作用だけでこんなに狂ってるわけじゃないよ。本当に、いろんな原因があるんだ。だから、地球の自転が、未来のいついつに、どのくらい狂っているかを長期的に予想することは、とっても難しい。いや、ハッキリ申し上げると不可能なんだ。

 そろそろ、このエッセイも終わりたいと思うのだけど、まだ、時間を修正する必要があるので、それを説明せねばなるまい。

 それは、地域だ。

 どういうことかというと、いま東京にいるぼくが空を見上げて、子午線を通る太陽を見て、正午だと決めたとしよう。しかし、同じ時刻に、あなたがニューヨークにいたらどうなる? 太陽は子午線の上を通過しているかな? してないよね。だから、東京で正午を決めても、それは「地方平均時」でしかない。いまは、わかりやすく東京とニューヨークを例に出したけど、もちろん、東京と大阪でもちがう。

 だから「標準時」という概念が生まれた。これは、ある地域における、正確な地方平均時とは無関係に、同じ時刻を適用しようという考え方だ。たとえば、日本全国どこでも同じ時間にしてしまいましょうと、決めちゃえばいいわけ。これが「地方標準時」。

 よーし。これでオッケイ。じゃ、ないんだよなあ。

 現代はグローバル社会なので、地方標準時も、なにか世界的な基準を元に決めた方がよろしい。そこで「世界標準時」が決められた。むかしはグリニッジの地方平均時を、世界標準時として使っていたから、いまでも世界標準時のことを、「グリニッジ標準時」というよね。

 でも、現在の、地方標準時の基準は、ちょっとちがうんだ。厳密には「協定世界時」というのを基準にしている。

 協定世界時とはなんぞや?

 さっき、国際原子時(セシウム原子時計が刻む時間)を基準に、ぼくらの時計には、適切な「うるう秒」が加えられていると説明したよね。この、原子時計によって調整された時間こそが、じつは「協定世界時」なんだ。具体的には、グリニッジ標準時との差が、0・9秒以内に収まるように、うるう秒を加えて(あるいは引いて)調整する。

 ふう。これで全部かな。

 なに? まだサマータイムがあるだろうって? たしかに。でも、細かいこといいはじめたらきりがない(笑)。この辺でエッセイを終わるとしよう。


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