馬車馬の休日



 このエッセイのタイトルを見て、ここ数日すごく忙しくて、その愚痴でもこぼしたいのかと思われた方がいたら、そうではないと最初にお断りをしておこう。

 いやね、つい、いまさっきのことなんだけど、小説を書いている最中に(安心してくれていい。書いていたのは『召しませMoney!』だ)、ベンツの馬力を知りたい欲求にかられたんだ。それを小説に書く書かないはともかく、とにかく知りたくなった。

 そんなときはインターネットが便利だ。さっそくGoogleで検索。余談だけど、Googleで検索することを「ググる」っていうんだって(笑)?

 まあ、そんなわけで、ベンツのオフィシャルページにいって、性能表を見た。それで万事解決のハズだった。ところがどうだ、最高出力の項目には、「キロワット」と書いてある。もちろん馬力も併記されているのだけど、明らかに「キロワット」が、正式な表記であると主張しているのだよ。

 ほほーう。どうやら、日本の車業界も、やっと馬力などという単位ではなく、メートル法を(正確には国際単位系と言うべきだね)採用する気になったらしい。というか、国際単位系での表示が義務づけられたんだって? 車のことなんて、最近ぜんぜん興味がなかったから知らなかったよ。

 でも……

 正直言って、少し戸惑った。もしも馬力が併記されていなかったら、ぼくはその車のパワーがどのくらいなのか感覚的に把握することができないんだ。いままでは、100馬力といわれれば、まあ、小型のファミリーカーだなとか、280馬力といわれれば大型のセダンかスポーツカーだねと思えたわけだ。ところが、100キロワットっていわれても困るじゃないか……電球何個分だそれ? ってなもんだよ(苦笑)。

 でも!

 そんなこといってたら、ビールを飲むとき、1リットルでは多いが、1パインがちょうどいいといって、国際単位系を否定し続けるイギリス人と同じではないか! ぼくは自他ともに認めるメートル法信者だから、もう馬力なんてものから離れなくてはいけない。離れなくちゃいけないのだけど……

 そもそも、馬力ってなんだ? いや、馬一頭分のパワーなんだと思うけど、本当にそうなのか? だいたい、馬ってなんだよ。サラブレットか? それとも農耕馬か? その馬を使って、ホントに計測した値なのか? だとしたら、いったいだれが、そんな暇なことやったんだ?

 ね、そういう疑問がわいてこない?

 だから、馬力のことを忘れ去ってしまう前に、小説を書く手をちょいと止めて、馬力の話をしよう。いや、安心してくれていい。エッセイを書き終わったら、召しませMoney!の執筆にちゃんと戻るから(笑)。

 さて、馬力の話だ。どこから話そうか? そもそものはじまりから話すのがぼくのやり方だけど、物理学をくどくど聞かされる読者も辛いだろうから(辛くてもあとで話すつもりだけど)、とりあえず、とっつきやすい歴史の話から入ろう。

 イギリスで、産業革命と呼ばれる現象が進んでいたころ、彼らが切実に必要としていたのは「石炭」だった。なぜ石炭が必要だったか話すと長くなるので、この話題はべつの機会に譲るとして、とにかく、石炭を掘り起こすのに彼らは夢中になった。

 石炭を掘り出す場所を「炭鉱」と呼ぶ。この炭鉱には、困った問題が生じた。水が出ちゃうんだ。地下水だね。こいつをほおっておけば、炭鉱は水浸しになって、生産性が著しく損なわれるから、炭鉱労働者は、出てきた水をバケツに汲んで、よっこらしょっと、外に捨てにいかねばならなかった。

 ちょっと待て。そんな仕事をしてたら、石炭を掘る仕事をする労働者が減るじゃないか。それは困る。水を汲んで外に出すなんて作業は、機械に任せられないだろうか?

 と、トマス・ニューコメンは思った。そこで彼は、大気圧機関(いわゆる蒸気機関と理解してくれていい)を考え出した。蒸気機関でポンプを動かして、水を汲みあげようってわけなのだが……

 ダメだ。やっぱり、もっと最初から話さないと気分が落ち着かない。というわけで、時計を巻き戻そう。

 17世紀のイギリスに、一人の天才がいた。彼の名は、アイザック・ニュートン。人類史上のなかで、もっとも優れた科学者の一人。もっといえば、人類史上、最大の天才かもしれない。

 彼はなんと、独自に蒸気機関を発明していた。ぼくの知るかぎり、「馬を必要とせずに走る車」を作ろうとした最初の人物がニュートンだ。ただ、彼の作った蒸気機関には、まったく実用にならなかったという、ごくごく小さな欠点があった(笑)。

 よし。ニュートンの名誉は守った。時間を産業革命に戻そう。とくに断りを入れないかぎり、これから登場する人物は、すべてイギリス人だ。

 ニュートンより、ずっとマシな蒸気機関を作ったのは、トマス・セーヴァリだった。彼は天才ではなかったが、1698年に特許をとったその機械は、一応動いた。しかもニュートンのように「車」ではなく、時代に即した、「排水ポンプ」としてだった。セーヴァリは、炭鉱から地下水を汲み上げたかったのだ。だが、彼の装置はデキが悪すぎて、炭鉱が深くなると、まったく使えなかった。

 さあ、ここでやっと、さっき言いかけた、トマス・ニューコメンの登場だ。通常、蒸気機関の発明者といえば彼のことを言う場合が多い。というのは、彼はセーヴァリの機械より、ずっと安全に動き、かつ効率も若干いい蒸気機関を作ったのだ。

 ニューコメンは、鍛冶屋で、鉄器商だった。彼はまさに「石炭」を必要としていた。鉄を作るには石炭が欠かせない。なんとか、石炭を安定的に、そして安価に手に入れたかった。そのためには、炭鉱の地下水をなんとかする必要がある。そこでニューコメンは、1705年ごろ、ぜーヴァリの蒸気機関を改良した。当然、セーヴァリの特許は有効だったので、ニューコメンは、セーヴァリに特許料を支払わなければならなかった。しかし、その機械は、まだ試作品という段階だった。1711年になって、ついに実用的な蒸気機関が完成すると、ニューコメンはセーヴァリと会社を作って、共同経営者になった。

 しかし……

 ニューコメンの蒸気機関は、たしかに、炭鉱で広く用いられた。だが、依然として効率が悪い機械であることに間違いはなかった。どのくらい効率が悪かったかというと、彼の装置を動かすために、その炭鉱で採掘した石炭の40%近くを使わなければならなかった。炭鉱の経営者にとっては、めまいがするほどの非効率さだ。

 こうして、いよいよ、ジェームス・ワットが登場する。

 1736年、ワットは船大工の息子として生まれた。彼の家はあまり裕福ではなかったから、ワットは学歴はなにもなかった。ワットはある日、ふるさとのグラスゴー大学で、研究用機械の修理を引き受けた。大学の装置職人として働き始めた彼は、蒸気機関のことをはじめて知った。若く研究心旺盛だったワットは、石炭を掘るために、その石炭を恐ろしく消費する蒸気機関を改良しようと思い立った。

 ワットは努力した。するとある日、とんでもないアイデアを思いついた。当時の蒸気機関は、シリンダーに集めた蒸気を、その同じシリンダーで冷却していた。ワットは、冷却の工程をべつのところでやればいいのではないかと気がついたんだ。こいつは、まさに天才的な思いつきだった。

 彼は、その装置を1765年に作った。29歳だった。

 彼の考案した機械は「復水器」と呼ばれ、それまでの蒸気機関より、4倍も効率がよかった。40%ではなく、4倍だよ。現代の火力発電所も、基本的に彼の発明と同じ原理で動いているくらいだ。

 このようにワットの改良があまりにもすばらしかったので、セーヴァリはもちろん、ニューコメンも(この時ばかりはニュートンさえも)忘れ去られるぐらいだ。蒸気機関の発明者をワットだと思っている人はかなり多いかもしれない。

 しかも、ワットがやった改良はそれだけではなかった。ピストンが上下する往復運動を、回転運動に変える仕組みも考えた。これで蒸気機関は排水ポンプだけでなく、もっといろんなことに使える可能性が広がった。たとえばそう、車とか、汽車とか。そしてなにより、産業革命のもう一つの柱である、紡績工場の動力にも使えるようになった。(ニュートンも車の動力源として蒸気機関を研究したことはさっき書いたけど、ワットが考えた方法とは違うんだよ)

 ここでちょっと余談。

 車や汽車に蒸気機関を使うための重要なアイデアを思いついたのはワットではなく、リチャード・トレビシックだった。ワットは、トレビシックの才能に嫉妬して、彼を特許侵害で訴えたりと、トレビシックが精神病にかかるほど執拗に追い詰めた。じつは、ワットさんってば、腹黒い男なのだ。

 余談終わり。

 さて。ワットは、自分が作った蒸気機関が、すばらしい「仕事」ができることを知っていたわけだけど、しかし、それがどのくらい「すばらしい」のか、数値で表せないかと思った。いや、べつに自己顕示欲が強かったわけではなくて(弱くもなかったろうが)、機械の能力を客観的な数値で示すことができれば便利なんだ。たとえば、電球の球を買いにいくとき、60ワットなのか、100ワット判断して買うよね。電球に限らず、なにかの装置が必要なとき、その性能を表す数値が書いてなかったら困る。

 そこでワットは考えた。当時、重いものを引いたり運んだりするのは、馬や牛の仕事だから、それらを基準にしたらどうだろうかと。ワットは馬を選んだ。なぜ牛を選ばなかったのか知らないが、たぶん、ぼくがワットでも馬を選んだろうね(笑)。

 ワットが選んだ馬は、荷馬車用の馬だった。合理的な判断というべきだろう。彼はじっさい、馬に荷物を引かせてみた。すると、1分間に15トンの重さのモノを、30センチぐらい動かせるようだと思ったので(単位はすべてメートル法に換算してある。トンを使ったのはご愛嬌だ)、これを1馬力と呼ぶことに決めた。

 そうなのだよ。ワットは、「仕事率」という単位も作り出したのだ。いうまでもないことだけど、彼の時代、まだ国際単位系はなかった。

 わかるかな? ここでぼくらは、「力」と「仕事」を混同してはいけない。馬が持っている「力」が、はたしてどれくらい役に立つかというのが「仕事」だ。この二つは密接に関係してはいるけど、同じものではない。

 こう考えてみよう。いまここに、1キログラムの物体があったとしよう。これを持ち上げるためには、もちろん「力」が必要だ。幼児でもないかぎり、ふつうの大人なら簡単に持ち上げられる重さだね。だから、あなたには、1キログラムの重さを持ち上げられる力があるとわかる。

 では、それを1メートル持ち上げることにしよう。このとき「力」で、それを表すべきだろうか? いや、それは「仕事」という単位で語るべき行動なのだよ。あなたは1キログラムの物体を、1メートル移動するという「仕事」をしたのだ。

 つまり、「力」というのは「能力」なのだ。そこに「努力」が加わると、その行為は「仕事」になる。もちろん、数値にするとき、「努力」なんて、あやふやなものを使うわけにはいかないから、それは「力の向きへの移動距離」と考える。このエッセイでは簡単に「距離」と理解しておくことにしよう。

 ここでもう一度、ワットが馬力を決めたときの様子を見てみよう。

 馬は「1分間」に、「15トン」を、「30センチ」移動させた。

 どう? もうわかったよね。馬力というのは、モノを引っ張る「努力」のたまものなのであって、つまりそれは「仕事」なのだよ。

 ところで、上に書いたワットの方法には、「時間」が含まれていることに気づいた人もいるだろう。それはあとで説明することを約束して、いまは忘れてほしい。

 では、じっさいに、「仕事」を数値で表してみよう。

 仮にあなたの体重が、50キログラムだったとしよう。そして10メートルの階段を登ったとしよう。いままで見てきたように、仕事とは、「力」×「距離」だから、計算はしごく簡単だ。

 50×10=500

 たったこれだけ。これに適切な単位をつければいい。メートル法なら、これまた単位をつけるのも簡単だ。50キログラムが10メートル移動したんだから、それは「重量キログラムメートル」と呼べばいい。つまり、上の式の答えは「500重量キログラムメートル」となるわけだ。

 いやあ、簡単だねえ。とよろこんでいると、じつは落とし穴がある。いまぼくは仕事の数値を求めるのに「重さ」を使った。これはあまり好ましいことじゃない。「重さ」を生み出すのは「重力」であり、重力も「力」だから、まったく間違いではないはずだけど、それで満足していたら、地球の重力がある場所(つまり、われわれが生活している場所だけど)に縛りつけられてしまうではないか。

 だから「重さ」から離れよう。少し難しくなるけど「質量」を使おうじゃないか。

 ハッキリ言って、重さと質量の区別は難しい。質量が地球上では「重さ」となって現れるので、この両者はすごくよく似ている。だいたい、重さというのは、おそらく原始人だって利用していた単位だろうから(物々交換とか)、われわれになじみ深い。ところが質量は、アイザック・ニュートンが登場するまで、だれも指摘しなかった考え方なので、科学者でさえ、うっかり重量単位を、質量に使ってしまうことがあるくらいだ。

 でも、がんばって「重さ」を忘れよう。

 忘れたね? では、まず仕事をするための「力」から見ていこう。重量ではなく質量で考えると、「力」をずっとエレガントに定義できるようになる。力とは、「ある質量の物体を移動させる能力」といえるから、このときの「移動」を「加速度」とすれば、あとあとすべてがうまく説明できることにニュートンは気がついた。

 たとえば、1キログラムの質量を、毎秒毎秒、1メートル加速させるとしよう。このときの力は「1毎秒毎秒キログラムメートル」と呼ぶ。これを簡略に表すと……

 1 Kg ・ m /sec2

 となる。これでは式も発音も長くなりすぎてめんどうなので、われわれは「1毎秒毎秒キログラムメートル」を、かの大科学者を記念して、「1ニュートン」と呼ぶことにした。簡略には「1N」と書く。

 さて、みなさん。「重さ」のことは本当に忘れてもらっているかな? もしも、ここまで読んで、机の上にある1キログラムの物体を持ち上げるのには、1Nの力が必要なのだと理解しているのだとしたら、まだ「重さ」を忘れきっていない証拠だ。

 地球は、その上に乗っかっているあらゆる物体を、毎秒毎秒9・8メートルの力で引っ張っている。だから、地球上で1キログラムの物体を持ち上げるには、重力に対抗せねばならず、つまり、必要な力は「9・8N」なのだよ。

 さあ、これでだいぶスッキリしてきたぞ。

 つぎに「仕事」にステップアップしよう。さっき仕事は、「力」×「距離」だとぼくは言ったよね。だから仕事を求める式には、「重さ」ではなく、この「ニュートン」をこそ使うべきなのだ。仕事とは、「ある距離に費やされる力」だから、1ニュートンの力で、1メートル移動させるとき、その仕事量を「1ニュートンメートル」と決めればいい。

 頭が混乱してきたかしら(笑)? でも、なんとなくわかってきたよね?

 ところで、「1ニュートンメートル」というのも、やや長ったらしい。ふつうは、エネルギーに関する重要な研究を行った、イギリスの物理学者、ジェームズ・プレスコット・ジュールにちなんで、「1ニュートンメートル」を「1ジュール」と呼ぶ。簡略には「1J」と書く。

 さあ、だいぶ話が進んできたぞ。ここでやっと現代の「自動車」に戻ろう。

 みなさんが覚えているかどうか心配なので、ワットが馬力を決めたときの様子をもう一度ここに書き出そう。

 馬は「1分間」に、「15トン」を、「30センチ」移動させた。

 だったよね。ここに「時間」が入っていることに注目しようじゃないか。さっき忘れてほしいと書いた「時間」をだ。いままで説明してきたジュールは、じつは仕事の「量」ということができる。これに「時間」が加われば、それは仕事「率」になる。ワットさんが馬力という単位に求めたのは、この「仕事率」だったわけだ。

 わかんない?

 では、こういう説明を試みてみよう。たとえばぼくが、1キログラムの物体を、どこかに運ぶとしよう。それと同じことを、小学生の男の子がやるとしよう。つまり、行う「仕事の量」は同じだから、消費するエネルギーも同じだ。

 でもたぶん、ぼくは小学生より、その仕事を「早く」終わらせることができるだろう。もし仮に、ぼくが小学生より半分の時間で同じ仕事の量をを終わらせるとしたら、効率が倍もいいことになる。これが仕事率なのだよ。これまた誤解を恐れず簡単にいうなら、仕事率とは、「どれだけの仕事を、どれだけの時間に行ったか」だ。

 いま仮に、小学生の男の子を「1馬力」だとしたら、ぼくは小学生の半分の時間で仕事を終えるので、「2馬力」なのだ。あるいは、同じ時間に倍の仕事をしてもいい。その場合もやはり、ぼくは「2馬力」となる。

 さてさて。われわれは、メートル法がない時代に、ワットさんが考えた「馬力」を仕事率の数値として使ってきた。ところが、メートル法という、じつにエレガントな体系を考え出したので、力の単位も、仕事量の単位も、メートル法をもとに国際単位系を作ることができた。もちろん、仕事率も例外じゃない。だから、馬が荷物を引っ張るなんて古典的な方法で決められた単位は歴史の1ページに残して、じっさいに使うのはやめよう。馬だって、機嫌が悪くてさぼりたいときもあるだろうし。

 なに? それでは、ワットさんの名誉はどうなるんだって?

 大丈夫。それこそワットさんの名誉のために、仕事率の単位を「ワット」と呼べばいいのだから。

 というわけで、仕事率の単位はワットになった。これは先ほど説明したとおり、仕事の「率」なので、「1秒間に、1ジュールの仕事をするとき」を「1ワット」と呼ぶことに決めた。簡略に書くとみなさんご存じのとおり「1W」だ。

 だから、1Wを分解すると「 1 J/s (ジュール毎秒 )」なわけ。

 さあ、これでぼくらは、仕事率を表すのに、馬力ではなくワットを使えるようになった。馬力はフランスとイギリスでその「値」が違っていたから、ヨーロッパではとくに「ワット」にすると、なにかと便利だった。

 ちなみに、イギリス馬力をワットに換算すると「1馬力=764W」で、フランス馬力は「1馬力=735・5W」になる。

 われわれ日本人は、それほど不便を感じなかったせいか、エンジンの仕事率に長らく馬力を使っていた。でもまあ、そろそろ忘れるべきだろうし、忘れようとしている。

 ここで、ちょっと待て。と、だれかが疑問を感じている気がする。ぼくらはワットを使うとき、ふつう「電力」を思い浮かべるよね。そう、日本人だって、ずっと前から電力を表すのには、ワットを使っていた。では、電力というのも、仕事率なんだろうか?

 そのとおり。

 電力とは、「電気が1秒間にどのくらい仕事ができるか」を表すものと理解していい。だからワットを使うのだよ。直流の場合は、「電圧×電流」で計算できる。交流の場合は、実際の仕事には使われないむだな電流が流れてしまうので、ちょいと計算が複雑になるのだけど、今回はそのことに触れるつもりはない。


 まとめてみよう。

質量×加速度 ニュートン(N)
仕事量 力×距離 ジュール(J)
仕事率 仕事量×時間 ワット(W)


 箇条書きにすると、ちょっとスッキリするね。

 ところで、自動車に興味のある人なら、ワット(あるいは馬力)のほかに、トルクという数値もあるのをご存じだろう。いままで、エンジンのトルクを表す単位は、「キログラムメートル」だった(正確には重量キログラムメートルと呼ぶべきだと思うが)。ところが、馬力と時を同じくして、「ニュートンメートル」に置き換わっている。

 さて、まずもってトルクとはなんだろう?

 ニュートンメートルを単位に使うということは、「仕事率」でないことはたしかだ。としたら、トルクは「仕事量」なのだろうか?

 比喩的には「イエス」だ。ぼくはさっき、「仕事率」の説明のところで、小学生と1キログラムの荷物を運ぶ競争をやったよね。あのときの説明では、ぼくと小学生は1キログラムの荷物を運ぶ能力があるとしか書かなかった。でもじっさいには、ぼくは小学生よりも重い荷物を持つことができる。おそらく50キログラムを持ち上げることは小学生には無理でもぼくには可能だ。

 そう。比喩的には、「何キログラムの荷物を持ち上げられるか?」という部分が「トルク」なんだ。で、仕事率(ワット)は、持ち上げた荷物を、ある時間のうちに、「何回運べるか?」を示しているわけなんだね。

 車のカタログを見ると、ワット(あるいは馬力)が先に書いてあって、トルクはたいてい、その下に書かれている。しかし本来は、トルクはワットより先に語られるべき数値なのかもしれないね。トルクが決まらないことにはワットも決められないのだから。

 では、トルクが大きい車は、ワットも大きいといっていいだろうか?

 これまた、比喩的には「イエス」だ。基本的に、トルクとワットは比例する。ただ、自動車の場合難しいのは、エンジンには「回転数」というものがあることだ。

 また、小学生に登場してもらおう。ぼくは、小学生より重い荷物をもてるけど、小学生は、ぼくよりも動きが素早かったとしよう。

 たとえば、ぼくは「50Kg」を「1分間」に「1回」運べるとする。小学生は「5Kg」しか持てないが、「1分間」に「10回」運べるとしたら?

1分間に、50 Kg × 1回=50 Kg 運べる。
1分間に、5 Kg × 10回=50 Kg 運べる。

 と、なるわけで、これも仕事率で説明したとおり、結果は同じ「仕事率」になる。つまり、ぼくと小学生のワットは同じなんだ。

 だから、ワット数の大きい車が、必ずしも、大きなトルクを持っているとは限らない。もしかしたら、その車のワットは、エンジンをものすごく高回転で回したときにだけ出る数値なのかもしれない。

 逆に、ワット数が小さく見える車でも、エンジンの回転が低いときに、大きなトルクを発生するかもしれない。そういうエンジンは、速く走る必要はないが、重い荷物を運ぶ必要のある車に適している。たとえばトラックとかね。

 だから、自動車のカタログには、エンジンの回転数も必ず書かれている。じっさいには、ギア比とか、回転する部品の慣性モーメントとか、タイヤの径とか、空気抵抗とか、地面の摩擦とか、考慮することはもっといっぱいあると、このエッセイの不足を指摘したい人がたくさんいると思うけど、自動車工学の解説をしているわけではないので、その手のご意見はご遠慮ねがえれば幸いですな。

 失礼。話がそれた。いままでの説明は理解してもらえた?

 以上のことから、比喩的には、トルクは「仕事量」なのだとわかったよね。だとしたら、車のカタログには、「ニュートンメートル」ではなく、「ジュール」を使った方がよろしいのではないだろうか?

 まあ、それはそうなんだけど……ぼくはさっきから「比喩的には」と、慎重を期していることに気づいてくれた?

 ここでぜひ思い出してほしいことがある。自動車というのは、タイヤを回転させて走る機械だということだ。じつは、いままで話してきたのは、すべて「直線運動」についてなんだよね。回転する場合は、その系の「角運動量」を考える必要があるので、量は量でも、トルクに関しては、「回転能力の大きさを表す量」として、区別した方がよろしい。

 たとえば、いまここに、野球のバットがあったとしよう。あなたは、どういうわけかバットを回転させたかったとしよう。すると、バットをつかんで「ねじる」必要がある。この「ねじる力」こそがトルクの正体だといって、大きな間違いはないだろう。これを物理的には「力のモーメント」と呼ぶ。

 もう一度、野球のバットを考えてみよう。ここで、もうひとり、べつの人間を連れてきて(Bさんと呼ぶことにしよう)、あなたの持っているバットの反対側を持たせるとしよう。このときの前提として、Bさんは、あなたと同じ力をもっているとする。

 で、あなたはバットのグリップを持って、Bさんは、球を打つ方を持つとしよう。そして、互いにバットを反対側に回して、力比べをしてみよう。結果はどうなる?

 残念ながらあなたは負けるだろう。なぜなら、もともと、あなたとBさんは同じ「力」しかないのだから。

 どういうことかというと、グリップの方は細くなっているからなんだ。ざっくばらんに言ってしまえば、あなたは、バットを回転させるために、より多くの「ねじる力」が必要だ。Bさんと同じ「力」があるのに、損をしちゃったわけ。

 もっとも、Bさんは距離で損をしているので、あなたは、あまり悔しがる必要はないかもしれない。だって、Bさんの持つ方は径が太いわけだから、あなたより回す距離は長いもんね。というわけで、損得は差し引きゼロ。

 以上のことから、トルクを求めるには、「力」と、その力を加える棒の半径、つまりこの場合は、バットの中心(回転する中心)からバットの表面(力の作用点)までの距離を考慮する必要があるといえる。

 難しくなってきたね(苦笑)。

 ぼくもこれ以上、角運動量保存の法則を解説するのはめんどうだから、まあ、なんとなく「回転」と「直線」の運動は、区別して考えた方がいいんだよと思ってくれればいい。

 で、この「力のモーメント」、一般的には「トルク」を表す単位は、「重量キログラムメートル」が使われていた。いままでぼくが説明したことを覚えてくれていれば、力に関わる単位に「重量」を使うのは好ましくないと思ってもらえるよね?

 仕事の単位はたしかにジュールだけど、力のモーメントは、ニュートンメートルで表しましょうと、決められている。だから、自動車のカタログのトルクも、ニュートンメートルになってるわけ。

 さてと……こんなところかな。

 いちおう、このエッセイで書きたかったことはすべて書いた。いまはまだ、ぼくだって280馬力といわれた方が、車の性能を感覚的に把握しやすい。でも、これは慣れの問題だ。ワットに慣れよう。そうすれば、電気モーターだって(身近なところでは洗濯機とか)、発電所だって、そして自動車だって、みんな同系列に、その性能を感覚的に理解できるようになる。べつに、洗濯機とスポーツカーを比べてみようとは思わないけどさ。

 待て。なんか比べたくなってきた(笑)。

 いま家電メーカーのページで見たら、洗濯機って、だいたい500ワットぐらいらしいよ。ポルシェの911という車は、235キロワットだそうだから、洗濯機470台分だね。すごいじゃんポルシェ。いっぱい洗濯できるぜ(笑)。

 もしも将来、国際単位系で、仕事率の単位に洗濯機(500W)が選ばれたら、ポルシェは「470洗濯機力」と呼ばれるでしょう。世の男どもは幻滅するかもしれないが、奥さんを説得しやすくなるかも。いまの車は「200洗濯機力」だからさあ、せめて「300洗濯機力」の車に買い換えたいよ。とかね!

 ま、「洗濯機200台もあれば充分でしょ!」と怒られるのがオチだろうが(笑)。


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