夜空の星よ



 あまり思い出したくない話題だが、いまこのエッセイを書いている(2004/3/16)十日ほど前、わが愛機であるPCがクラッシュした。パーソナルコンピュータを使い始めて、十年以上たつが、これほど壊滅的なクラッシュに遭遇したのははじめてだった。

 ほぼ同じタイミングで、またまた、あまり思い出したくない(苦笑)、誕生日を迎えた。この歳になると、素直によろこべないものがあるのだけど、寛大かつ、心優しい読者のみなさんからお祝いのメッセージをいただいて改心した。うん。誕生日は、いくつになってもいいものだ。

 そのお祝いメッセージの中で、掲示板でおなじみの、七転八起さんから、恒星の距離を誕生日の基準にしたらいかがだろうかという提案をいただいた。これをSF的誕生星と呼ぶことにしよう。

 SF的誕生星の定義はこうだ。

 いま、おぎゃ〜と生まれた赤ん坊がいたとして、その子が生まれた瞬間から、光の速度で宇宙を飛び続ける宇宙船に乗ったとしよう。さらに相対論的効果も、恒星のじっさいの方角も無視するとして(空想とは、なんと便利なことか!)、その子が誕生日のたびに、どの星を旅しているかを、その歳の誕生星とする。

 このSF的誕生星の欠点は、1歳のとき、まだ近くに恒星はないことだ。4歳を超えて、やっと最初の、アルファ・ケンタウリに到着する。そこから先も、さらに4年以上旅を続けなければ、つぎのシリウスに到着できない。

 でもまあ、うまいことに、今年はぼくの誕生星がある。ぼくはいま、ちょうど山羊座のデネブ・アルゲティのあたりを飛んでいる。

 念のために申し上げると、SF的誕生星は、いわゆる「誕生日星」ではない。誕生石とか、誕生日の花とかと同じ意味合いの、誕生日星というの存在するのだ(いままで知らなかった)。だれが、なんの目的で、なにを根拠に決めたのかわからないけれど、たぶん占いの部類だと思う。

 ちなみに、ぼくの誕生日星は、ペガスス座のτ(タウ)星で、サルムなんだそうだ。星言葉は「高い理想に進むペガスス」だって。

 なるほど、そうかもしれないが……まあ、ぼくはSF小説を好んで書く身だから、占いよりは、恒星までの距離という、純粋に科学的な尺度を支持したい。

 というわけで、デネブ・アルゲティ。

 デネブというのは、その星座の「尾っぽ」の部分に使われることが多く、たとえば白鳥座のデネブしかり、鷲座のデネブしかりだ。ぼくのSF的誕生星(来年は変わるわけだが)である、山羊座のデネブ・アルゲティも、山羊座の尾っぽにある。尾っぽにあるからってバカにしちゃいけない。デネブ・アルゲティは、山羊座の中で、一番輝いている星なんだ。デネブ・アルゲティは、山羊座のα星(その星座の中で、もっとも明るい星)ではないのに、山羊座の中で一番明るい。まあ、たまに、こういう例外もあるのだよ。

 え? あなたのSF的誕生星を知りたい?

 ご安心めされよ。七転八起さんが、言い出しっぺの責任として(笑)、一覧表を作ってくれた。ここに、それを掲載しておこう。あなたは、該当する誕生星がありますか?

星座名 略号 最輝星 明るさ 太陽からの距離
ケンタウルス Cen リギル・ケンタウルス −0.27等 4.4光年
大犬 CMa シリウス −1.46等 8.6光年
小犬 CMi プロキオン 0.38等 11.5光年
Aql アルタイル 0.77等 16.8光年
水蛇 Hyi バイヤー(β星) 2.80等 24光年
Lyr ベガ 0.03等 25光年
双子 Gem ポルックス(β星) 1.14等 32光年
牛飼(うしかい) Boo アルクトゥルス −0.04等 37光年
山羊(やぎ) Cap デネブ・アルゲティ(δ星) 2.87等 39光年
馭者(ぎょしゃ) Aur カペラ 0.08等 42光年
蛇遣(へびつかい) Oph ラスアルハゲ 2.08等 47光年
ケフェウス Cep アルデミラン 2.44等 49光年
コンパス Cir ラカイユ 3.19等 54光年
牡牛(おうし) Tau アルデバラン 0.85等 64光年
牡羊(おひつじ) Ari ハマル 2.00等 66光年
Ser ウヌクアルハイ 2.65等 72光年
CrB アルフェッカ 2.23等 74光年
獅子 Leo レグルス 1.35等 78光年
大熊 UMa ε星 1.77等 80光年


 と、ここまでは前書き。

 こんなネタを用意され……じゃなくて、ステキな一覧表まで作ってもらったら、恒星について書かないわけにはいかないじゃないか!

 だから書こう。

 さいわい確定申告も終わったし(ホッとしたよ)、PCクラッシュの傷もかなり癒えて、召しませMoney!の続編も書き直しをはじめたところだ。本格的に調子を取り戻すにはいいネタじゃないか。

 今回のエッセイでは、七転八起さんが作ってくれた表の「等級」に注目しよう。おそらく、ほとんどの人が聞いたことのある言葉だと思うけど、その由来はご存じかな?

 ご存じない?

 そうだと思った。よろしい。説明しよう(嬉々として)。なんと、等級の起源は、紀元前2世紀までさかのぼることができる。恐ろしく由緒正しいのだよ。

 等級という考え方(見方というべきか?)を導入した、最初の人物は、古代ギリシアのヒッパルコスだった。彼は、肉眼で見た星を(望遠鏡はなかったのだ!)明るさごとに六等分して、もっとも明るい星を1等星、そのつぎが2等星、なんとか肉眼で見えるギリギリの暗い星を6等星として記録した。

 さらに彼は、現代にも、そのまま残っている星座のうち、46個を決定した。さらにさらに、驚くべきことに、現代では「歳差運動」と呼ばれている、天の軸にはズレがあることも見つけたらしい。なかなかすごい天文学者じゃないか。(もっとも、歳差運動がなぜ起こるかヒッパルコスにはわからなかった。もちろん、ヒッパルコスに罪はない。なぜなら、その理由を説明するには、ニュートンが生まれるのを待つ必要があったのだから)

 そんな過去の大天文学者であるヒッパルコス。残念ながら、彼自身が書いた書物は残っていない。だから、彼が天文に関して、どんな考えを持っていたのかハッキリしないのだけど……推察はできる。

 まず、当時の情勢を見てみよう。ヒッパルコスよりもずっと以前、おそらくソクラテスと同じ時期に活躍しただろう、フィロラオスという数学者(哲学者)は、地球が太陽を回っていると考えていた(太陽という言葉は使わなかったが)。

 フィロラオスは、ピタゴラス学派の一員で、彼らの神秘に満ちた理論をはじめて書物にして、公にした人物の一人だから、それなりに説得力はあったはずだ。だが、地動説を体系化しなかった。つまり、計算はしなかったんだ。その説をもとに、未来や過去の惑星の位置を予言できなければ意味がない。

 それから、ソクラテスの弟子プラトンの、さらに弟子にあたるアリストテレスが登場し、彼は天動説を唱えた。アリストテレスの影響力はとても強かったし、地球が宇宙の中心だと考えるのは、当時の観測技術では当然ともいえる結果だった。それに、いうまでもなく、自分が一番えらいと思い込みたくなるのは人間の悪い癖なのだ。天動説は理屈よりも、思想というべきかもしれない。地球が宇宙の中心で当たり前じゃないか! 神の作った星(惑星という概念はなかったろう)なのだから!

 そのアリストテレスが世を去ったころに生まれた、サモスのアリスタルコスは、フィロラオスに立ち戻って、地動説を唱えたが、彼も地動説を体系化することはできなかった。アリスタルコスは、月食を研究して地球の大きさを推察し、そこからさらに太陽の大きさを推察して、地球よりも格段に大きいことを知った。彼の計算した数字は間違っていたが、とにかく地球より大きいことはわかった。となれば、地球が太陽を回っていると考えた方が、彼には自然に思えたのだ。

 じつは、アリスタルコスよりはるか以前、紀元前500年ごろに生まれた、クラゾメナイのアナクサゴラスが、すでに太陽は地球よりも大きいと主張している。そのせいで彼は、不信仰と無神論のかどで裁判にかけられ、アテネを追放された。ただし、アナクサゴラスは、ただそう思えると主張しただけ。それに比べてアリスタルコスは、太陽の大きさをちゃんと「計算」したのだよ。

 だが、さすがのアリスタルコスもそこまでだった。地球の大きさを測定したところまでは申し分なく科学的だが、地動説に関しては思いつきに近かった(しごく、まっとうな思いつきではあるが)。思いつくだけなら、それはSF小説となんら変わりがなく、18世紀だけ時代に先んじていたという小さな、でも決定的な欠点を持ったアリスタルコスの説は、物笑いの種になっただけだった。アリスタルコスの書物も現代には残っておらず、彼の主張を知ることができるのは、アルキメデスが自身の著書で、アリスタルコスを笑い飛ばしているからなんだ。(アリスタルコスも、地動説を訴えたせいで当局ににらまれたが、不信仰のかどで裁判にかけられるのは免れたようだ。よかったね)

 というわけで、アリスタルコスの死後200年ほどたったヒッパルコスの時代にも、劇的な変化はなく、天動説が支配的だっただろう。

 天動説を決定的にした人物は、ヒッパルコスより後、さらに200年近くたってから現れたクラウディオス・プトレマイオスだった。プトレマイオスは、天文に関する過去の知識をかき集め、その中から、正しそうなのを選んで体系化した。そして、かの有名な『アルマゲスト』という本に、それらをまとめた。

 こいつは、まさに決定的だった。それまで、バラバラに伝えられていた天文の知識がひとつにまとまっただけでもすごいけど、プトレマイオスは、天動説を、当時としては、ほぼ完全に体系化して、惑星や月の軌道を計算できるようにしたんだ! この業績が、後世に与えた影響は、あまりにも大きかった。人々は、プトレマイオスの説に、がんじがらめに捕らえられた。

 それに……何度もいうようだけど、天動説はただの「天文学」ではない。それは哲学であり、宗教であり、思想であった。おかげさまでわれわれは、コペルニクスの登場まで、長い長い暗黒の時代をすごさなければならなかった。いや……コペルニクスの死後、100年近くたった、1633年でさえ、ガリレオは異端審問所で、地球が回っているといったのは、軽い冗談でしたと謝らなければならなかった。

 ここで、ちょっと余談。

 19世紀に入ると、さすがにコペルニクスの業績は正しく理解されるようになっていた。それなのに……1807年、ナポレオンは遠征の途中でポーランドを通ったとき、コペルニクスが生まれた家を訪れた。ナポレオンも観光旅行をしたかったんだろうね。そこで、ナポレオンは、驚くべき事実を知った。コペルニクスの生家には、彼の名誉をたたえる銅像が建っていなかったんだ。なんと、ローマ・カトリック教会によって追放された禁書リストから、コペルニクスの本が削られたのは、1835年のことだった。

 それから4年後の1839年。ついに、ワルシャワでコペルニクスの銅像の除幕式が行われた。ところが……このときになってさえ、儀式の執行を引き受けようとするカトリックの司祭は一人もいなかった。ただの一人もだ!

 余談、終わり。

 ことほどかように、天動説は魅力的だった。プトレマイオスの著書が、アリストテレスの説を基盤にしているのは、ほぼ間違いないところだろうけど、じつは、もっとも引用回数の多い人物がヒッパルコスだった。となれば、自身の著書が残っていないヒッパルコスも、天動説を支持していたことは、容易に想像がつく。それどころか、もしかしたら、ヒッパルコスが、天動説を人々の心に刻み込んだ張本人だったかもしれない。

 まあ、それはそれとして、いいかげん等級の話に戻ろう。

 時代がずっと進んでくると、望遠鏡が発明された。すると、ヒッパルコスには見えなかった(すなわち、彼にとっては存在しなかった)暗い星も見えるようになって、等級は、7等級、8等級と増やさなければならないことが明らかになった。

 明らかになったのはいいけれど、その等級のつけ方は、天文学者によってバラバラだったから、だれかが、きっちり体系化しなければならないことも明らかだった。19世紀のイギリスの天文学者、ノーマン・ロバート・ポグソンが、その仕事をした。

 彼は、1等星と6等星の明るさの差は、およそ100倍だと測定した。そこから、等級が1変化するごとに、2・512倍しましょうと決めた。これはうまい方法だった。おかげさまで、1、2、3としか表せなかった等級が、1・2とか、2・8とか、細かく表示できるようになった。ついでと言っちゃなんだけど、全天で、一番明るい星を1等星と呼ぶのが適切じゃなくなり、それは0等星と呼ぶことになった……と、思ったら、それでも足りなくて、マイナスまで作らなくちゃならなくなった。だからいま現在、全天で一番明るく見えるシリウスは、−1・46等星なのだ。

 さらに時代が進むと、こんどは写真が登場した。こいつは天文学者にとって、すごくチャーミングな発明だった。それまで、一瞬の出来事を見逃さないように、望遠鏡を必死にのぞいていなければならなかったのが、写真をパチリと撮影したあとに、のんびりコーヒーでも飲みながら、その写真を調べればよくなったんだ。

 でも、問題もあった。写真と人間の目は、色の感じ方がちょっと違う。具体的にいうと、写真は「青」によく反応するんだけど、「黄色」は苦手だった。だから、人間の目で見る等級と、写真に写った等級との間に差ができてしまった。というわけで、人間の目で見た等級は、視等級とか、実視等級とか呼んで、写真の方は、そのものずばり、写真等級と呼んで区別することになった。

 さらに、よせばいいのに、お節介なだれかが写真に改良を加えて、黄色のフィルターを使って、人間の目に近づける努力をした。こいつは、写真実視等級という。

 そんなこんなでは、混乱するばかりなので、1922年に、ローマで開かれた国際天文連合の総会で、写真等級を決めるときと、写真実視等級を決めるときの約束事が定められた。さらに、北極の周りの星約100個を選んで、その等級を基準として、ほかの星の等級を決定しましょうという、約束事も作られた。

 これで物事が丸く治まったかというと……

 とんでもない! 1950年ごろ、アメリカの天文学者、ハロルド・L・ジョンソンは、紫外線(ultraviolet)と、青色(blue)と、実視(visual)を組み合わせて、UBVシステムという測光方法を考えた。彼は、UBVシステムが国際的に受け入れられるようにがんばっちゃったので、やがて、恒星の光を測る権威になった。

 ふう……疲れた。等級を説明するだけでも、こんなに歴史があるんだね。

 それはそうと、この「等級」という言葉。英語では「マグニチュード」という。マグニチュードって、ふつうは地震の大きさを連想するよね。そう、まさに大きさなんだ。「明るさ」ではないんだよ。

 なぜ、星の明るさを、「大きさ」で表現するのだろう?

 おそらくそれは、古代や中世の時代の名残なのだと思う。そのむかし、地球は宇宙の中心にあった。さっき説明したプトレマイオスのせいで、16世紀までそうだった。

 つまり、星々は、空の天球に貼りついた、光る点としか考えられていなかったから、星の距離は、どれも同じはずだった。距離の違いではないとすると……明るさの違いは、光る点の「大きさの違い」と考えるしかないじゃないか。だからマグニチュードなのだ。

 しかし!

 現代に生きるわれわれは、星が暗いのは小さいからではなくて、もしかしたら、遠くにあるからなのかもしれないことを知っている。

 それでも……

 じつは、古代人のように、星の距離が一定だと考えることは無益じゃない。いや、天球にくっついた光る点としてではなく、もっと科学的に。

 こういうことなんだ。いまここに、本当は明るいけど遠い星(つまり地球からは暗く見える)と、本当は暗いけれど近くにある星(地球からは明るく見える)があったとしよう。この二つの星を比べるとき、いちいち距離を考慮するのはめんどうだ。

 そこで、もしも、この二つの星が、地球から同じ距離にあったとしたら、どう見えるだろうかと考えることにしよう。具体的には、10パーセク(32.6光年)に揃えちゃおうというわけ。そうすると、本当に明るい星は明るく、本当は暗い星は暗いことが、一目瞭然、見て取れるようになる。本来の明るさがわかるわけ。これを「絶対等級」と呼ぶんだ。

 わかる? 難しい?

 じゃあ、こういう説明をしよう。わが太陽を見てみよう。太陽は「星」とは思えない。太陽は、点ではなく円盤に見える天体だ。さらに、いっさいの星を消し去るほど強烈な光を放って、ぼくらに豊かな恵みをもたらしてくれる。だから、あまりにも特別の存在で、ぼくの誕生星である、デネブ・アルゲティと同列に語ることができないではない(デネブ・アルゲティは変光星だから、そもそも光度の比較はできないけど)。

 そこで、絶対等級の登場だ。絶対等級では、太陽も特権は受けられない。地球のすぐとなりにあるのではなく、約32光年先にあると考える。このとき太陽は、どのくらいの明るさに見えるんだろう?

 答えは、+4・8等だ。わざわざ「+(プラス)」なんて記号をつけたのは、「−(マイナス)」の星もあるから。等級の読み方は、数字が少なくなるほど明るい星を表す。その原則は絶対等級でも変わらないので、マイナスのほうが明るい。

 もう察しがついたと思うけど、宇宙の中で、太陽は、けっして明るい星ではないんだよ。たとえばシリウスは、+1・4で、太陽よりも26倍も明るい。それどころか、オリオン座のリゲルなんてすごいよ。なんと絶対等級は、−8・1等だ。太陽と比べると、その光度は、3万倍もある。もしも、リゲルが太陽と同じ位置にあったら、われわれは、3万倍の光を浴びて、焼け死ぬどころか、即座に蒸発して消えてしまうだろう。

 なのに、ヒッパルコス式の等級(実視等級)では、太陽が「−26・8」なのに、リゲルは「0・12」でしかない。まあ、1等星より明るいんだから、十分立派な星ではあるけど、太陽よりも3万倍も明るい星に対して失礼じゃないか。

 いかが? 絶対等級の意味と、それを定義する意義がご理解いただけたかしら。

 いまぼくは、太陽よりも明るい星を話題にしたけれど、絶対等級で星を見ると、じつは宇宙には、太陽よりも暗い星の方が、圧倒的に多いことがわかる。

 うん。太陽はね、なかなか立派な星なんだよ。

 たとえば、われわれから近い順に、恒星を100個選んで、太陽と比較してみよう。このなかで太陽に近い光度を持っているのは、なんと、もっとも近くにあるアルファ・ケンタウリだ。絶対光度は+4・4。ご近所さんに、似たようなのがいるわけ。

 ところが、太陽よりも明るい星は、たった二つしかない。それはプロキオンとシリウス。残りの97個は、みーんな太陽よりも暗いんだ。もしも、この数字が全宇宙に適応できるのならば、この宇宙には、わが太陽を超える星は、2パーセントしかないことになる。

 どうよ。立派なもんじゃないか。まあ、じっさいは、近隣の100個の恒星が、宇宙全体に当てはまるパターンを提供しているわけではないけど、今回は、わが太陽を自慢する優越感を感じながら、エッセイを終わることにしよう。


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