血塗られた惑星



 みなさんもご存じのとおり、一昨日(2003年8月27日)は、火星が地球に大接近した。となれば、火星についてエッセイを書かないわけにはいくまい。と思っていたのだけど、ちょいと仕事が忙しくて、大接近当日には間に合わなかった。無念。

 無念といえば、肝心の火星が、曇っていて(東京地方)見えなかったんだよね。残念に思っている方も多いことだろう。なにしろ、今年は通常の数倍のペースで天体望遠鏡が売れているそうだからね。でもまあ、そう残念がることもない。今回の大接近は、九月の中頃まで楽しめるので、晴れる日をのんびり待てばいい。

 え? 待てない?

 大丈夫。そう言うと思って(笑)、このエッセイを書いている。もしあなたが天体観測好きな青年で(中年でも壮年でもいいけど)、好きな女の子を火星観測に誘ったとしよう。そのとき、ぼくのエッセイで読んだ知識が、きっと役に立つよ。女の子に、火星に関するうんちくを知的に語れば、きみのことを見直すに違いない。いや、ただの天体マニアと思われても責任はとらないけどね(苦笑)。

 では、うんちくをはじめるとするか。

 そもそも、なんで火星は地球に接近するんだろう。その理由を的確に理解してもらうには図を描いて見てもらうのが一番いい……のだけど、インターネットをちょいと検索すれば、いくらでも図解で説明したページがあるので、そちらを見ていただきたい。と、言ってしまうと身も蓋もないので、女の子に説明するとき、きみが図を書かなくてもいいように、なんとか言葉で説明してみよう。

 まず距離を考えよう。地球は太陽から平均して1億4960万キロの距離にある。火星は地球の1・52倍太陽から離れているので、その平均距離は2億2800万キロだ。2億2800万キロから1億4960万キロを引くと、7840万キロメートル。つまり、地球と火星は、平均して7840万キロ離れていることになる。

 ここで曲者なのが「平均」だ。たぶんご存じだろうと思うけど、地球にしても火星にしても、完全な「円」を描いて太陽の周りを回っているわけではない。どちらも楕円軌道を描いている。地球の軌道は、かなり円に近いけど、火星のそれは、けっこう楕円。地球を無視して、火星と太陽の距離だけを考えると、火星が太陽からもっとも離れるとき、その距離は2億4900万キロ。もっとも近づくときは、なんと2億700万キロだ。その差は4200万キロ。じつに、火星と太陽の平均距離の18・4パーセントも変化する。

 つぎに考慮するのが、太陽を回るスピード。地球は火星より太陽に近いから、太陽の重力に強く引かれ、火星より短い軌道を急いで周回しなければならない。それにくらべて火星は、太陽の重力の影響が少ないから、地球よりずっとのんびり周回すればいい。さらに火星の軌道は、地球の1・52倍だから、太陽を一周するのに要する時間は、地球よりもかなり長くなる。つまり火星は、地球よりものんびりと、かつ長い距離を移動しているわけだ。おかげさまで、地球はいつも、火星を追いかけ、そして追い越しながら太陽を回っている。

 さあ、これで火星が接近することを理解するための材料が揃った。よく考えてほしい。じつに単純なことなんだよ。火星は楕円軌道を描いている。だから太陽に近づいたり遠ざかったりしている。地球はその火星を追いかけるようにして回っているから、いつか火星に追いつく。そのとき太陽から見ると、地球と火星は、一直線に並んでいるように見えるはずだ。もし、地球が火星に追いついた瞬間と、火星がもっとも太陽に近づいている瞬間が一致したら?

 そう。その瞬間こそが、火星の大接近だ。だいたい、15年から17年周期で、火星の大接近が起こるのだけど、じつは、軌道の計算はとても複雑で、15年周期とはべつに、10万年周期の、大きなうねりがあることが知られている。現在は、その10万年周期で言うと、ちょうど大接近の回復期に向かっている途中で、284年先の、2287年8月には、今年よりもさらに火星が地球に接近する。きっとまた、天体望遠鏡がたくさん売れるだろうね。ぼくは死んでるはずなので、買えないけど(苦笑)。

 とまあ、こんなところで、やや退屈な天文学のお話はやめにして、Script1のエッセイらしい話題に移ろう。

 火星は、なぜ火星と呼ばれているんだろう。ここで正直に告白すると、ぼくは日本や中国の歴史に詳しくない。日本人のくせに(苦笑)。だから、「火星」の名前の由来を知らないんだけど(ちょっとネットで調べたくらいではわからなかった)、おそらく中国人は、火星が赤く見えるから「火」を連想して、その名をつけ、それが日本にも伝わったのだろうね。どなたか詳しいことをご存じの方がいたら、ぜひ教えていただきたい。

 で、ぼくはヨーロッパの歴史のほうが詳しいので、ここでは「マーズ」の由来を話すことにしよう。

 土壌が鉄分に富むため、火星は赤く見える。一般的な言い方をすれば、火星は「錆びた星」なのだ。中国人は火星の赤さから「火」を連想したと推測されるが、人類最古の文明を築いたシュメール人は違った。彼らは「血」を連想したのだ。だから彼らが、戦争と破壊と死の神ネルガルに因んで、この惑星の名前を決定したのは不思議なことではない。ギリシャ人はその先例に従って、彼らの戦いの神から、この惑星を「アレス」と名付けた。またそれに続くローマ人は、これまた彼らの戦いの神の名をとって「マルス」と呼んだ。

 火星が不吉なイメージで捉えられたのは、その見かけの軌道が複雑だからなのも大きな理由だろう。理屈がわかってしまえば、火星の軌道は不思議でも(もちろん不吉でも)なんでもないのだが、ヨハネス・ケプラーが登場するまで、天文学の専門家たちは、火星の軌道を理解するよりも、人々を不安にさせて楽しむ(あるいは儲ける?)ほうが好みだったらしく、だれも科学的なアプローチは取らなかった。ちなみに、その専門家たちは、占星術師と呼ばれる。

 そして、火星にとっての決定的な悲劇は、1877年に起こった。このときも火星は地球に大接近していた。1608年に発明された望遠鏡は、格段の進歩を遂げていたから、アメリカの天文学者アサフ・ホールは、火星を丹念に観測した。彼は火星に小さな衛星があるはずだと信じていたから(もちろん科学的な計算によって)、懸命にそれを探したのだけど、ついに発見できず、8月11日に諦めることを決意した。そのことを妻のアンジェリーナに話すと、彼女は言った。「諦めないで。もう一晩やってごらんなさいよ、アサフ」。彼は妻の勧めに従って、二個の衛星を発見し、マルスの息子に因んで、フォボス(恐怖)、ダイモス(恐れ)と命名した。

 同じとき。イタリアの天文学者ジョヴァンニ・ヴィルジニオ・スキャパレリは、それまでにはなかった、優秀な火星の地図を作った。彼は細い黒線に注目し、それを水路と考えて「カナリ」と呼んだが、これはイタリア語で「溝」を意味していて、自然が作り出す細い水路のことだった。

 ところが……

 ここで悲劇が起こった。スキャパレリが「カナリ」と呼んだ部分が、英語に訳されるとき、「カナル」と誤訳されてしまったのだ。カナルとは、自然にできた水路ではなく、人工的な水路を指す言葉だった。たちまち一般大衆は、火星に生命が存在する証拠が発見されたと思った。それも、単なる生命ではなく、運河を建築できるほどの高度な文明が存在すると。

 アメリカの天文学者パーシヴァル・ローウェルは、まともな天文学者であるにも関わらず、不幸にもこの誤訳を信じ込んでしまった。アリゾナに天文台を設立し、ありもしない運河を毎晩観測して(理由はまったく不明だが、彼にだけは運河が見えていた)、まったくデタラメな火星の地図を描き、火星が進歩した生物の住みかであると宣言した本を何冊も出版した。

 もちろん、大半の天文学者はローウェルを信じなかった。ところが、一般大衆は夢中になった。火星につきまとう、血みどろの惑星という古い迷信が、一般大衆の興味をいっそう刺激したのは言うまでもないことだった。おかげさまで、火星人は邪悪な生物だと、誰もが信じて疑わなかった。

 1898年。イギリスの作家ハーバート・ジョージ・ウエルズは、これをもとに「宇宙戦争」というSFを書いた。これはその後、何千、何万と生み出された、惑星間戦争を扱った本の最初のものだった。ウエルズこそがオリジナルなのだ。しかもウエルズは、とびきり知的な作家だったので、彼の作品は単なるSFではなかった。それは社会風刺だった。ヨーロッパの人々、とくにイギリスは、アフリカの人たちの人権などまるで無視して、アフリカを勝手に分割したばかりだった。ウエルズは、イギリスに着陸した火星人が、イギリス人を無視して、そこを占領するところを描いて、イギリス人がアフリカに対して行っていることを批判したのだった。

 ここでも一般大衆は誤解した。ウエルズの意図は理解されず、それどころか、彼の知的な作品は、火星人は邪悪であり、退廃していて、自分たちの星が死にかけているので地球を侵略しようとしているというイメージを定着させた。

 1938年。オーソン・ウェルズは、ウエルズの小説を脚色したラジオドラマを制作した。彼は火星人が着陸する地点をイギリスからニュージャージーに変更して、架空のニュース速報や政府放送の形で番組を進行させた。

 ウェルズは、明確に「物語が作り話」だと断ったのに、例によってニュージャージーの人々は肝心なことはなにひとつ聞かず(あるいは理解できず?)パニックに陥り、侵略してくる火星人から逃げようとして、高速道路を渋滞させた。

 そして1965年。ついに、五千年のながきに渡って与えられた汚名を返上する機会が火星に与えられた。前年の1964年11月28日に打ち上げられた火星探査機マリナー4号が火星の表面から1万キロメートル以内を通過して、20枚ほどの写真を撮って地球に送ってきたのだ。それらの写真には、運河など一つも写っていなかった。ただの一つもだ。火星の表面は、月とよく似たクレーターだけの世界だった。

 その後、マリナー探査機は6、7、9と成功し、とくにマリナー9号は、7千枚近い写真を撮影して、火星の詳細な地図を作ることを可能にした。もはや火星に知的な(しかも邪悪な)生命体が存在しないことは明らかだった。

 これで火星の名誉は回復した。と同時に、人々は火星に対する興味を失ったか? 邪悪な火星人のいない惑星に魅力はない?

 とんでもない! 火星は迷信などとは無縁の科学的魅力に満ちている。マリナー探査機のあと、1975年にはバイキング2号が火星に着陸し、5万枚もの写真を撮影した。ソ連も(ロシアではないよ)1988年まで、なんども火星探査に挑戦した(ただソ連の計画は、ほとんど失敗に終わった。非常に残念)。1996年には、20年の火星探査の停滞を打開すべく、マースパスファインダーが、火星着陸に挑戦して見事に成功した。

 そして、来年の2004年。ついに日本の探査機「のぞみ」が火星に到着する予定になっている。ここでまた正直に告白しよう。火星の大接近に興奮して、こんなエッセイを書いているように思われるかもしれないが、じつは、南の夜空を見上げて、大接近してるといっても、肉眼では赤い点にしか見えない火星を見るよりも、日本の探査機が、火星の写真を送ってくる日のほうが、ぼくは百万倍も楽しみだったりする(もちろんカメラだけでなく、のぞみには、火星大気の分析など14種類の観測機器が搭載されている)。無益なナショナリズムと笑われそうだけど、それでも、やっぱりうれしいじゃないか。日本の探査機が、火星に向かっているんだぜ。これを書いているたったいまも!

 ただ……

 のぞみは、いま、ちょっとばかりご機嫌ななめで、電源系が止まってたりする。制御エンジンが壊れてしまって、最初予定していた軌道に乗れなかったのだ。宇宙科学研究所はミッションを再検討して、べつの軌道で火星に行けることを突き止めたのだけど、その間に太陽面で大規模な爆発が起こり、強烈な粒子線が飛んできて、電源系が壊れれてしまったのだよ。宇宙科学研究所は、なんとかのぞみの制御系を回復させて、新しく計算した軌道にのぞみを乗せることに成功したんだけど……まだ電源系を回復させることはできていない。満身創痍だね。

 宇宙科学研究所のみなさん! がんばってのぞみを動かしてください! ぼくは、ものすごく期待して待ってますよ。よろしくお願いします。


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