もっとも美しい女神



 神話の代表格といえばギリシャ神話です。と、言い切ってしまうと異論はありましょうが、この物語が世界中、もっとも多くの人に読まれていることに異議を唱える人は少ないでしょう。

 というわけで、今回はギリシャ神話のお話。この物語に登場なさっている神様たちはすごいですよォ。バイタリティーがある。さっそく神様たちのご乱交なんぞ書きたいところですが、そこはぐっと我慢して、まずはギリシャ神話の始まり、というか、ゼウスが神様の頂点に立つまでのことを簡単に書いときましょう。

 最初にいたのは「ガイア」という大地の神様です。ガイアは自分と対等な存在として「ウラノス」を作りました。こっちは天空の神様。で、ガイアはウラノスと結婚して、十二人の子供を作ります。ところが、ウラノスさん、どーいうわけか子供がお嫌いで、ガイアの体内に子供たちを押し込もうとしちゃうんですね。だったら、十二人も作るなよって思いますが、まあ、そこはそれ神様ですから、人とはお考えが違うんでしょう。

 で、子供を押し込められたガイアはたまりません。そこで末っ子の「クロノス」に父親を倒せと命じます。クロノス君。お母さんのために頑張っちゃいました。が、頑張りすぎるというか、どうしてそんなことをというか…… お父さんの身体の一部を切り取って、海に捨てちゃうんですな。ええと、この身体の一部って言うのが、その、あの、なんといいますが、男にとっちゃすごく大事な部分でして、こいつがないとですね、ニューハーフになっちゃうんですな。しかも、その身体の部分が海の中で泡になって、そこからマリリン・モンローも真っ青のブロンド美人、アフロディーテが生まれたって言うんですから、もうなにがなんだか。神話作家さん、ちょっとぶっ飛びすぎですよ発想が。

 まあ、そんなわけで、大事なところを切られて、すっかりウラノスのオッサンは静かになっちゃうわけですが、今度はクロノス君がおかしなことになっちゃうんです。クロノスは姉のレアと結婚したんですけど、レアとの間にできた子供を、つぎからつぎと飲み込んじゃうんです。親父に似て子供が嫌いなんですな(なんだかねえ)。奥さんのレアは、たまったもんじゃありません。六人目の子供を生むとき、なんとかクロノスに見つかるまいと、クレタ(クレーテだったかな?)島に隠れます。ここで無事に生まれたのがゼウスなんですな。

 さあて、やっとゼウスの登場。ゼウスは親父に薬を飲ませて、飲み込んだ子供たちを吐き出させます。で、この兄弟たちを指揮して、クロノス率いる旧世代の神様たち(ティターン族と呼ばれる)を滅ぼして、めでたく神様の頂点に立ったのでした。ゼウス本人は天空(オリンポス)を支配し、長兄のハーデスには陰気な冥界を、次兄のポセイドンには、どうってことない海を与えたましたとさ。めでたしめでたし。

 待て。ここで終わっちゃめでたくない。というか、ギリシャ神話は、ここからがおもしろい。さあ書くぞ!

 まずもって、ギリシャ神話に登場する女神の中で、もっとも美しい人のことを書きましょう。アフロディーテと思ったあなた。甘いなあ。もっと美しく高貴な御方がおられるのですよ。

 え? じゃあアテネだろうって? 違います。彼女の名は「ヘラ」です。

 納得できないですか? やはりアフロディーテの方が美人だと思いますか。そうですか。アルテミスだって美人だぞ? ふむ。ごもっとも。でもね。ヘラがもっとも美しかったという証拠があるんですよ。考えてもご覧なさいな。彼女は、あのゼウスの奥さんですよ。全能の神として、どんな女性でも妻に選ぶことができたゼウスが、自分から結婚してちょうだいって頼んだんですよ。そりゃもうヘラが、この世に並ぶものいない美女だった強力な証拠じゃないですか。

 というわけで、ヘラがもっとも美しい女神に決定です。ということは、この宇宙で最高の美女ってことです。すごいなあ。会ってみたいなあ。

 そんな、だれもが羨む美貌を持ったヘラさんも、じつは苦労してるんです。なにせ、ダンナが超のつく浮気者ですからね。年中、ダンナの浮気に悩まされてたわけです。さらに、ヘラさんの性格にも、ちょーっと問題があるんですね。すっごいヤキモチ焼きなんですよ。ダンナの浮気を許せないんですな。いいかげん諦めれば、血圧上がっちゃうことも少ないだろうに、ゼウスが浮気するたんびに、激怒してるもんだから、すっかり「嫉妬の神様」なんてイメージが定着しちゃった。実家(?)に帰らしてもらいます! なんて言って、何度も家出してるんだから、まさに夫の浮気に悩む奥様そのもの。ううう、可哀想に。宇宙最高の美女だったのに……

 でも、ヘラさんと、彼女に恨まれた人たちには悪いんですけど、彼女の嫉妬はおもしろい物語になるんですな。ギリシャ神話の中でも、最高におもしろい部分に「ヘラクレス」の冒険物語があります。知ってるでしょ、ヘラクレス。有名ですもんね。彼の冒険談は、じつはヘラの嫉妬が発端だったんですよ。

 ええとですね。ヘラクレスは、ゼウスがアルゴスという国の王女、アルクメネーに生ませた子供です。アルクメネーは、当時、すっごい美人で有名だったんです。が、結婚してました。人妻ですな。だいたい、ゼウスのオッサンも浮気するときゃ避妊ぐらいしろよって言いたいですが、そうなるとお話も始まらんか。って、どうも話がそれるな。

 ヘラクレスは人間と神様のハーフですが、なにせ親父は神の中の王様。生まれたときからできが良かった。ヘラには、これがおもしろくない。普通、ダンナの浮気相手の女を恨みそうなもんですが、じつは今回、浮気相手のアルクネメーには、かなり情状酌量の余地がある。じつはアルクメネーさん。とっても貞操な奥様で、愛する夫以外とベッドを共にするなんて、とうてい考えられない。そこでゼウスのダンナ、こともあろうにアルクメネーの夫に化けて、彼女と一夜を共にしたわけです。そこまでして、美人とやりたいのか!

 というわけで、アルクメネーには、ちょーっと怒りの矛先を向けにくいヘラさん。ですが、嫉妬の炎は燃え上がります。そこで、ゼウスとアルクメネーの間にできちゃった、息子のヘラクレスに激しい憎しみを持つに至るわけです。しかも、嫉妬暦、うん十年のヘラさんにして、最大級の憎しみをぶつけました。

 どんなことをやったか想像できます? お教えしましょう。ヘラクレスが大人になり、結婚して子供を作るまで待ってですね、彼に呪いをかけました。「気が狂って、自分の子供をすべて殺害する呪い」を。すごいでしょ。ぶったまげますよね。ヘラクレスが憎けりゃ、彼を殺せばいいじゃないですか。ところが、そうしないで、彼に彼自身の子供を殺させるんですよ。そのあと、気が狂ったヘラクレスを正気に戻すんだから念が入ってる。この時点で、ヘラさんってばすでに性格破綻者ですが、そんなことじゃ、まだ気が治まらず、ヘラクレスに十二の試練を与えます。この部分が、かの有名な「ヘラクレスの冒険」ですね。映画にもなりましたよねえ。

 ここでヘラクレスの冒険には触れませんが、十二の試練を、ヘラクレスはみごと乗り越えちゃいます。ギリシャ神話最高とうたわれる英雄の誕生ですね。だいたいからして、ヘラクレスって名前が、「ヘラの栄光」って意味らしいですからね。神話作家さんのプロット通りです。

 が、ここで終わらないのがギリシャ神話のしつこくてすてきなところ。なんとヘラクレス君。英雄になったあとも気が狂ちゃって、罪のない人を殺すわ略奪はするわと大暴れ。最後には自分の奥さんに殺されて、一巻の終わり。情けなや…… ま、死んだあとは親父のゼウスに神様にしてもらって、ヘラとも仲直りして、ついでに、ヘラの娘と結婚しちゃったんだから、やっぱ、たいした男ですけどね。

 ヘラに話を戻しましょう。彼女の嫉妬心が生んだ物語は、上に書いたヘラクレスの冒険談が一番有名ですが、ほかにも数限りなくあります。イオは牛に姿を変えられて世界を放浪させられたし(彼女が飛び込んだ海の名前がイオニア海)、ディオニュソスの母、セメレーはヘラに騙されて焼け死んだし、アルテミスの侍女、カリストーは熊に変えられたしと、枚挙にいとまがありません。ことほどかように、すさまじい嫉妬心を持った女神様なのですが、ところがどっこい、そこはそれ、宇宙最高の美女。このまま、おっかないオバサン(?)で終わらせませんよ、ぼくは。

 ゼウスの浮気に怒り、泣き、すっかり疲れ果てたヘラさんは、毎年春になると、カトナスの泉で水浴びをするんです。この泉には不思議な力があって、いままで溜まりに溜まっていた苛立ちとか怒りとか、そういったものを、ぜーんぶ洗い流してくれるのです。しかもしかも、身体まで若返り、そればかりか処女に戻ってしまうんです。正真正銘、純潔を守ったアテネとは、ちと違いますが、一応、ヘラも永遠の処女ってことで一つ…… ダメですかね? 

 それはともかく。ゼウスのダンナも、すっかり、リフレッシュして、むかしの優しい妻に戻ったヘラさんが大好きなんですな。そりゃそうでしょう。結婚したぐらいなんだから。で、この日ばかりは、そそくさと家に帰りまして、思いっきりロマンチックなお膳立てをして、ヘラさんと甘い夜を過ごすそうです。ま、二、三日もすれば、また浮気に出かけ、ヘラさんはまた血圧を上げてという繰り返しなんですけどね。ちなみにヘラさん、結婚生活の守護神として祭られてます。いいのか、それで?

 そうだ。ヘラについては、ほほ笑ましいエピソードもありました。あるときヘラは、ゼウスと喧嘩して山の中に姿を隠しちゃいました。そのヘラを呼び戻すため、ゼウスは一計を案じます(なんだかんだ言って愛してるんですよ、奥さんを)。ゼウスは別の女性と結婚すると称して、木像に花嫁衣裳を着せ、馬車で派手なパレードをしました。ヘラさん、怒った怒った。浮気だけならまだしも、わたしを捨ててほかの女と結婚するなんて! きーっ、許せない! 山の中から飛び出し、馬車に乗っている花嫁の衣装をはぎとります。が、中身はただの木像。すかさずゼウスのダンナ。「バカだなあ。ぼくがきみ以外の女性と結婚するはずがないだろう」。と、言ったかどうかは知りませんが、ゼウスのユーモアにヘラさん大笑い。それですっかり機嫌が直り、二人は仲直りしましたとさ。

 ヘラの話を書いていたら、「黄金のリンゴ事件」も思い出しました。これ、おもしろい話なんで書きましょう。ちょーっと待ってください。思い出したのはいいけど、さすがに資料を見ないと、細かい名前がわからない…… ええと、本棚の整理をちゃんとやらなきゃイカンなあ。「オカルトの辞典」って、これじゃない。「架空地名大辞典」違う。あった、あった。「ギリシャ神話」じゃ書きますか。

 ことの発端は、ペレウスとテティスの結婚披露宴でした。とても大きなパーティだったので、ほとんどの神様が招待されたのですが、争いの神、エリスだけは招待されませんでした。怒ったエリスは(なにせ争いの神だし)、披露宴の会場に、黄金のリンゴを投げ入れます。ただし、そのリンゴにはこう書いておきました。

「もっとも美しい女神様へ」

 さっすが争いの神。やることがニクイ。案の定、そのリンゴには三つの手が伸びました。彼女たちの名は、ヘラ、アテネ、アフロディーテ。みなさん、ご自分の美貌に自信満々の方々ばかり(さすがにアルテミスは奥ゆかしい性格で、手を伸ばさなかったようで)。

 こうなりますと、結婚披露宴どころの騒ぎじゃなくなるわけです。想像してごらんなさいな。ヘラとアテネとアフロディーテが、黄金のリンゴをまん中に睨み合ってる姿を。恐ろしや。三人とも、「わたくしが一番美しい女神よ!」と言って、譲ろうとしない。気が気じゃないのはゼウスのダンナ。やべえなあ。と、思ってるところに、やっぱりヘラが提案します。「それでは、ゼウス様に審判していただきましょう」

 ほらな。やっぱ、オレんとこに振るんだよな。ゼウスは冷や汗ものです。ここで奥さんのヘラの顔を立てておけば問題は最小限にとどまったのでしょうが、そこはそれゼウス。アテネにも負いめがあるし、アフロディーテに至っては、浮気の相手でもあったりして、簡単にはいかない。で、どうしたかって言うと、「そうだ。トロイの王子、パリスに判定してもらおう!」って言って、逃げちゃいます。なんちゅー神様だ。それでもあんた全能なのか?

 そんなわけで、えらいことを頼まれちゃったパリス君ですが、悪いことばかりじゃない。三人の女神は、自分を選んでもらおうと、パリス君に賄賂を送ります。ヘラは、権力と富を。アテネは戦場での名声を。アフロディーテは、人間の中でもっとも美しい(ただし自分には劣ると、思ってるんでしょうな)、スパルタの王妃ヘレネと結婚させてあげようと約束します。

 さて。ここで問題。パリス君は、だれを選んだでしょう?

 答え。アフロディーテです。というか、彼女の提案を気に入ったのでした。ヘレネと結婚できるなんて、ぼくは、なんて幸せなんだろうってなもんです。ところがどっこい、問題はここからです。ヘレネさんは、スパルタの王妃です。つまり、もう結婚なさっていらっしゃる。パリス君、アフロディーテのおかげで、このヘレネをまんまと誘拐してきちゃうんですな。これが発端で、あのトロイ戦争が始まります。で、自分を選ばなかったヘラとアテネが恨みを持っていて、トロイを支援しなかったので、この戦争でトロイは滅亡しました。一個のリンゴが生んだ悲劇でございます。

 ううむ。ヘラのことを書いてると、どんどん思い出すぞ。そういえば、ナルシシズムという言葉も、ヘラの嫉妬のおかげで、できたんだっけ。

 知りたい? じゃあ書こう。

 この日もゼウスのダンナ、せっせとニンフ(妖精)と浮気にいそしんでいました。で、例によってヘラさんってば、夫の浮気現場を押さえてやろうと、こめかみに血管浮き上がらせて現場に乗り込んだわけですな。ところが、その少し前、おしゃべりで陽気な性格のニンフ「エコー」が、そのことを、みんな知らせたんです。エコーのおかげで、ニンフたちは(ゼウスのダンナも)無事に逃げることができました。

 はい。ご想像どおり怒りましたよ、ヘラさん。エコーをとっつかまえて、「この、おしゃべり娘め! おまえなんか、二度と自分から話ができないようにしてやる!」

 えいや。とばかりに魔法をかけられるエコーちゃん。こうして彼女の口は、自分からは話ができず、だれかからの呼びかけに対して、返事をするだけにさせられたのでした。もう、おわかりですよね。これが「エコー(こだま)」の語源。

 さて。不幸なエコーちゃんですが、そんな彼女も恋をしました。相手の名前は「ナルキッソス」。こいつがまた、えらいハンサムな男で、しかも面食いで、女性に対する理想が高いと来てる。やなヤツ…… なんでエコーちゃん、こんな男に惚れちゃったの? と、それはともかく。エコーちゃんは、来る日も来る日も、ナルキッソスに声をかけられるのを待っていました。なにせ彼女、自分からは話せない。でも返事は出来るんですよねえ。そんなエコーちゃんの願いが届いたのか、ついにナルキッソスが声をかけるときがきます。彼は森の中で仲間とはぐれ、大きな声でこう言ったのです。

「だれかいるか?」

 さあ、エコーちゃん大喜び! 「いるわ!」と答えて、彼のもとに走り寄り、にっこりとほほ笑んだのでした。

 ところが、ナルキッソス君。仲間が出てきてくれると期待していたのに、出てきたのはニンフ。しかも、自分の好みじゃない。「なんだよ。おまえなんか知らん。あっち行け」と、にべもなくエコーちゃんを追い払ったのでした。ああ、可哀想なエコーちゃん。彼女は返事しかできません。悲しそうな顔で、「あっちへ行く……」と、返事をしながらナルキッソスから離れたのでした。そのあとエコーちゃんは、悲しみに泣きくれて、ついには肉体が消え去り、声だけの「こだま」になったのでした。

 さてさて。ナルキッソス君。なにせ顔だけはいい。ほかのニンフも、次々に彼に恋をしてしまうのですが、みーんなむげもなく、「おまえなんか、好みじゃないね」と追い払ってしまいます。ついに気性の荒いニンフがネメシスという女神様に訴えました。「彼にも、報われない恋を与えてやってください!」

 この願いは聞き届けられ、ナルキッソスは、湖に映った自分の姿を、美しい水のニンフだと思いこんで、恋をしてしまうのです。彼は、毎日毎日、その自分の姿に魅了されつづけ、ついにはやせ細って死んじゃいました。そのあと彼は、水仙の花になったそうです。

 ふう。なんか思い出すままに、脈略なくヘラのお話を書いちゃいました。ゼウスの浮気物語を主体にしようと思ったんだけど、やっぱりヘラが好き。ってところでしょうか。なんにしても、ギリシャ神話は、とても短い行数では書ききれません。まだまだ続きますよ。


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