UFOを探せ!

このエッセイを、故アイザック・アシモフに捧げる……



 ぼくは、CNNの日本語サイトを読むのが好きで、ブラウザを起動したとき、最初に表示(接続)するように設定してある。まずここでニュースを読んでから、他のサイトなり、自分のサイトの掲示板なりをチェックするわけだ。

 さて。数日前の(2003年6月30日)ことなんだけど、例によってCNNの日本語サイトに接続したら、こんな見出しのニュースが飛び込んできた。

『UFOのなぞ解明へキャンペーン 米ケーブル局』

 むむっ。またか。と思いながら記事を読んでみたら……やっぱりそうだった。またかよ。テレビ局って、好きだよなあ。

 CNNの記事によると(すでにバックナンバーから消えているので、記事そのものはご覧いただけない)、米ケーブルテレビのSF番組専門局「サイファイチャンネル」が、UFOや宇宙人の目撃談を、米政府はもっと真剣に検証すべきだとして、局を挙げてのキャンペーンに乗り出したそうだ。

 どうやら、番組の制作者ジェームズ・フォックス氏が、9年前にネバダ州で自らUFOと遭遇した体験が、大元にあるらしい。当時、だれにも信じてもらえず、家族にまで笑われたんだってさ。こう言っては失礼だが、まあ、ありがちだ。新鮮味はない。

 それでも、こんどのキャンペーンがニュースになった理由は、ワシントンのロビイストを雇って政府に働きかけ、さらに宇宙船に関するシンポジウムを主催するなど、かなりお金をかけて、マジになってるからだそうだ。

 いまさらなにを言っているのか……

 記事の中には、ケーブルテレビ局のヴィタール上級副社長のコメントとして、「われわれの目的はUFOを見つけることではなく、真実を見出すこと。SFと科学的事実との境界線を明らかにしたい」と書かれているけど、はたして「真実」を見いだしたいと本当に思っているのかどうか疑問が残る。

 なぜなら、制作者のジェームズ・フォックス氏が、「UFOを見たという報告の95%はでたらめや誤認だろう。それでも、説明のつかないケースが相当数残る」と発言しているからだ。こういった番組の常として、「説明のつかないケース」があるから、政府はなにか隠しているというような陰謀説に論旨が流れて、最終的に、異星人の宇宙船が地球に飛来していると「思える」ような結論に視聴者を導くことが多い。

 ぼくはSFを心から愛しているけれど、それと同じくらい、自然科学も愛しているので、テレビ局の無責任な番組の作り方に、どうしても不快感を覚えてしまう。SFならいい。フィクションなら、よろこんで見させてもらうし、よろこんで読ませてももらう。ぼくは年間に、何作のSF映画を見て、何冊のSF小説を読むことだろう。映画会社にも出版社にとっても、たぶんぼくは、いいお客さんだと思う。真空であるはずの宇宙空間で爆音がしたって気にしない。明らかにかぶりものの宇宙人が出てきたって気にしない。まあ、あまり陳腐な映画は好きではないが(苦笑)。

 それでも、いや、それだからこそ、科学を気取って、視聴者を煙に巻く様な、テレビ番組に不快感を覚える。見たいのは「SF」なのであり、また「本当の科学」なのであって、「ニセ科学」ではないんだ。

 この辺でそろそろお断りをしておくけど、ぼくは「UFO」を信じていない。ぼくのいう「UFO」とは、正式な意味での「未確認飛行物体(unidentified flying object)」のことではない。となると、このエッセイでは、UFOを「空飛ぶ円盤」と呼ぶべきかもしれないが、まあ、一般的によく使われるUFOという言葉を使用することにしよう。

 ちょっと待った。じゃあきみは、異星人の存在を信じていないのか?

 ふむ。いい質問だ。ぼくの好きなSF作家である、アイザック・アシモフが、以前この問題についてエッセイを書いている(≫ 注1)。アシモフは、一問一答形式でエッセイを進めた。ぼくも尊敬するアシモフの例にならって、質問に答える形でエッセイを進めよう。

 その前に、もう一つお断りをしてきたいのだけど、もし、UFOを信じているかたがこのエッセイを読んでいらしたら、ここから先は、あなたにとって、いささか刺激的な内容になるだろう。ぼくのことを嫌いになるかもしれない。そういうリスクは覚悟の上だが、それでも、あなたに、批判を受け入れる度量があることを願わずにはいられない……

 では、はじめよう。

 まず、ぼくは異星人の存在する可能性を否定していないことをハッキリさせておきたい。それどころか、この宇宙は、生命で満ちあふれていると信じているくらいだ。この広大な宇宙にある、何千億のさらに何千億倍もあるだろう惑星に、生命がひとつのないと考えるほうがおかしい。さらに言えば、なにかの偶然で、地球だけに生命が誕生し、ついでに奇跡が起こって、人間のような頭のいい生物が育ったなどとは、まったく、これっぽっちも思ったことはない。

 とはいえ、科学文明を発達させるほどの知的生命体が、宇宙にどれだけ存在しているかはわからない。多くの天文学者が(有名どころでは、故カール・セイガンとか)、多くの仮定のもとに試算をしてはいるが、その数字が正確かどうかはだれにもわからない。最新の天文学的知識をもとに推測すると、残念ながら、思った以上に少なそうだが……それでも、存在していることは間違いないだろう。

 だったら、なぜUFOを否定するんだ?

 ここで注意してもらいたいことは、地球のごく近くには、知的生命体は存在しないということだ。たとえば「火星」に知的生命体はいない。さすがのあなたも、火星人がUFOに乗って、地球を侵略するとは思わないだろう。太陽系に地球人以外の知的生命体がいないとなると、とうぜんべつの恒星にある惑星が対象になる。一番近いのは、アルファ・ケンタウリだが、そこですら、光のスピードで4・3年かかる。天文学的にはどんなに近く思えても、実際はものすごく遠いのだ。

 ぼくがなにを言いたいか、もうおわかりだと思う。現在われわれが知っている科学知識から考えると、広大な宇宙空間を移動する手段が問題なのだよ。宇宙のスピード制限は光速なのだ。光の速度を超えて移動することはできない。たとえ遠い未来に技術が進歩しても、人間の乗った宇宙船を、光速の10%程度まで加速させることができれば大成功だろう。これは、アインシュタインが提唱した光速度不変の原理が、万が一間違いだったとしても変わらない。拙作のエッセイ「もっと速く!」でも書いたが、もし光が現在の光速度を破ることがあったとしても、それは宇宙が誕生したほんの一瞬後にあった、想像もつかない高エネルギー状態のときなのだ。遠い未来どころか、はるかな未来に渡って、われわれ人類が制御できるようなものではない。もし、そのような高エネルギーを制御できるのなら、われわれは「宇宙」を創造することさえできるかもしれない。SFではこの問題を回避するためにワープ航法なるものが登場するけれども、実際にワープができる宇宙船を作ることは不可能に思える。

 なぜ、ワープできる宇宙船ができないと言うのか。いや、その前に、どうして光速と同じスピードで飛べる宇宙船さえ作れないと主張するのか?

 宇宙船は、なんらかの金属の固まりでできている。いや、未来の宇宙船は金属ではないかもしれないが、それでも、人間を安全に移動させるためには、それなりの「大きさ」が必要だ。宇宙の有害な放射線から人体を守るために、厚い壁を作る必要もあるだろうし、船内には、ベッドだって椅子だって机だって必要だろう。そしてもちろん「人間」も乗っている。それらに共通して言えることは「重い」ってことだ。物質にはすべて慣性質量がある。重力の束縛がなく、ふわふわと浮いている状態のときでさえ、その物質を加速(移動)させるのにはエネルギーが必要なのだよ。現在、われわれの持っている技術で、光速に近いスピードまで加速することができるのは、素粒子だけだ。その素粒子でさえ、光のスピードに近づけるには、莫大なエネルギーがいる。もし仮に、1gの物質を光のスピード近くまで加速させるとすれば、気の遠くなるようなエネルギーが必要だ。それが何トンもある宇宙船だったら? 人間に扱えるような単位のエネルギーでは無理だ。

 燃料タンクを大きくすればよいではないか。

 燃料タンクを大きくすれば、それだけ「重さ」が増す。重さが増すと、さらにエネルギーが必要だ。この関係がどこまでも続くので……わかるだろ? 永遠に「必要なエネルギーを積んだ」宇宙船を建造することはできないんだ。

 では、そもそも燃料タンクなどつけなければいい。宇宙空間には、水素が満ちている。宇宙空間から水素を採取しながら飛ぶことは可能なはずだ。

 まったくの夢物語とは言わない。NASAの科学者が、そのような構想を持っていることも知っている。具体的には、宇宙空間から水素原子を採取し、それを核融合反応させることで推進力を得ようというものだ。不可能ではないだろう。

 だが、忘れてはならないことがある。宇宙空間は、極度に「希薄」なのだよ。一立方センチあたり、二個とか三個の水素原子しか浮いていない。驚くかもしれないが、オリオン星雲のように光り輝き、濃密に見えるガスの中でさえ、水素原子は、一立方センチあたり、千個から一万個だ。宇宙空間で水素原子を大量に採取するためには、地球をすっぽり包んでしまうような大きさの採集機が必要だろう。もちろん、船にそれほどのスピードを求めない場合は、もっと小型にできるかもしれない。たとえば、自動車程度のスピードでよければ。その場合は、アルファ・ケンタウリに行くのでさえ、何万年もかかるだろう。

 きみがさっきから言っているのは、水素を酸素と反応させる旧式のロケットや、せいぜい核融合程度の非効率的な方法だ。だったら、反物質のような究極のエネルギー源を利用するならどうだ?

 核融合でもかなり高度で、現在(あるいは予見可能な近未来においても)実用的な宇宙船を製造することは困難だろう。それでも、さらにその先にある反物質利用の可能性を否定しない。はるか遠い未来には、反物質を大量に製造することが可能かもしれない。またその反物質を安全に貯蔵することも可能かもしれない。少なくとも、現在われわれが知っている理論の延長線上で可能だと期待できる。理論があるのは非常に心強い。たとえどんなに困難でも、問題は「技術だけ」と思えるからだ。だからこそ、NASAの科学者も、反物質エンジンを積んだ惑星探査機の構想を持っている。

 さらに想像力を飛躍させて、宇宙空間からわずかな水素原子を採取し、それをもとに反物質を製造しながら飛ぶ宇宙船もまったくの夢物語ではないかもしれない。ここまでくると、さすがにかなりSFだが、そのような宇宙船は、燃料補給の心配をすることなく、いつまでも飛び続けることができるだろう。

 しかし……それでも宇宙船を光速に近づけることは不可能だ。あなたが燃料タンクを大きくすればいいと言ったので、燃料が増えると重さも増えると答えたが、燃料タンクの小さな宇宙船でも、いや、そもそも燃料タンクが存在しなくても、宇宙船はすでに「重すぎる」のだよ。素粒子という最小単位を加速するのでさえ、相当なエネルギーを必要とすることを思い出してほしい。それに比べて、人間の重さは「キログラム」単位だ。

 それでも、それなりの時間をかけて加速すれば光速に近づくだろう?

 答えはノーだ。反物質のような究極の効率をもったエネルギー源を使えば、たしかに光速の数パーセント(うまくすれば10パーセントぐらい)のスピードまで加速できる宇宙船を作れる可能性はある。だが、光速に近づけば近づくほど、必要とするエネルギーは増大するのだよ。なぜなら、光速に近づく物質は、相対論的効果によって、その質量も増大するからだ。スペースシャトルは平均して、時速2万8千キロメートルほどで地球を回っているが、こんな低速では相対論的効果による質量の増大ははほとんどない(まったくないわけではない)。シャトルのスピードを秒速に直すと、約7・7キロメートル。光の秒速30万キロメートルと比べてほしい。シャトルがいかに遅いかわかるだろう。

 だが、光速の10パーセント、20パーセントというような数字になってくれば、相対論的効果による質量の増大は無視できない。それどころか、その他の問題を無視できるほどの大問題となるかもしれない。言うまでもないことだが、特殊相対論の正しさは、過去100年の検証によって確かめられている。光速に近づく物質は、たしかにその質量が増えるのだ。相対論によれば、光速に到達した段階で、質量は無限大になる。無限大の質量というのはあり得ないから、物質はけっして光速度と同じスピードにはなれない。素粒子でさえ、限りなく光速に近づくことができるだけだ。100%はあり得ない。とにかく、相対論的効果によって、加速すればするほど質量が増す宇宙船を、さらに加速し続けるには、エネルギーがどう考えても足りないのだ。

 わかった。では、さっきの質問に戻ろう。なぜワープが実現できないと言うのか。

 実現できないとは言っていない。「不可能に思える」と言ったのだ。

 では、可能かもしれないわけだ。

 可能性を否定しない。ライト兄弟が飛行機を飛ばすまで、人間が空を飛ぶことは不可能だと思われてきた。アシモフ流に言えば、われわれよりも、はるかに進歩した科学技術を持つ異星人が、われわれが知っている科学には概念さえ存在しない理論をもとに、ワープ航法を開発するかもしれない。とてつもなく不可能に思えるが、それでも可能かもしれないのだ。

 やっと議論の足場ができたようだ。きみは異星人も否定しないし、その異星人がワープ航法を開発することも否定しない。だったらなぜUFOを信じないんだ?

 ここでもアシモフの立論に従って答えたい。ちなみに、さっきからアシモフ、アシモフと連呼しているのは、べつに彼を崇拝しているからではない(尊敬はしているが)。このエッセイで論じている事柄が、ぼくのオリジナルだと誤解されるのを避けたいからだ。大先輩が考えたことを盗用しただけと思われたら心外だ。ただし、アシモフが、この問題に対するエッセイを書いたのは一九七六年ごろだから(そう! そんな昔から同じことの繰り返しなのだ! いつの時代もテレビ局はUFOが大好きだ)、ぼくはアシモフの知らない科学的発見を付け加えてはいる。悲しいかなアシモフは、もう自分のエッセイを最新の科学技術に基づいて書き直すことはできないのだ。彼は一九九二年に亡くなっている。

 彼は、ニセ科学から、正当な科学を擁護する重要性を説いていた。少年だったぼくは、そんなアシモフの著書を、目を輝かせて読んで育った。いまこうして刺激的な(敵を作りそうな)エッセイを書いているのは、CNNのニュースを読んで、まったく進歩しないテレビ局のやり方に、アシモフの遺志を思い出したからだ。ぼくにはアシモフのような知識も知能もない。だが、それでも立ち上がらずにいられない。失礼……話がそれた。もう一度質問を繰り返してもらえないだろうか。

 人情噺を聞かされて手加減すると思ったら大間違いだ。それどころか、ニセ科学呼ばわりされて、非常に不愉快だ。まあいい……きみは異星人の存在を認め、異星人がワープ航法を開発したことも認めた。なのになぜUFOを否定するのだ?

 ぼくがいつ、異星人を認め、異星人がワープ航法を開発したと認める発言をしただろうか。

 したではないか。

 していない。ぼくは「異星人の存在の可能性を否定しない」と言った。そして「異星人がワープ航法を開発する可能性を否定しない」とも言った。可能性を否定していないだけで、「認めた」などとは一言も言っていないのだ。

 同じことではないか。

 単に言葉遊びをしているのではない。天気予報を思い出してほしい。降水確率という数字が発表されるが、それは「雨の降る可能性」を示唆したものであって、「雨が降る」と断言するものではないのだ。この違いは非常に大きい。降水確率50%と予報された日を100日集めれば、そのうちの50日は1ミリ以上の雨が降っているだろうが、「明日雨が降る」という意味ではないのだ。

 しかし、可能性を否定しないなら、なぜUFOを否定するのだ。

 よし。異星人が、未知なる理論によって、未知なる技術を開発し、広大な宇宙という「距離」を無視できるとしよう。となると、残るは動機だ。異星人の宇宙船は、どのような理由で地球に飛来しているのだろうか。地球になにか彼らの興味を惹くようなものがあるだろうか。もしあるとすれば、ぼくには、われわれ人間とその文明だと考えるのが自然に思える。だとすれば、なぜ彼らはわれわれと連絡を取らないのだろうか。未知なる理論で、未知なる技術を開発した異星人なら、われわれと効果的に連絡を取る方法を思いつくだけの十分な知性を持ち合わせているはずだ。われわれの低級な文明レベルにあわせて、電波を使った原始的な通信手段を使ってくれるかもしれない。だが、どう考えても、どこかの農村の農夫と話をしたり、人気のない幹線道路を走るドライバーに姿を見せるだけで満足するとは思えない。

 なぜきみは、われわれ人間が接触に値すると思うのだ。それこそ人間の驕り高ぶったエゴではないか。

 その意見には賛同する。彼らが人間やその文明に興味を持たないのなら、わざわざ地球に立ち寄ったりはしないのだ。

 それがエゴだと言っているのだ。彼らは人間に興味はなくとも、それ以外のなにかに興味があるかもしれないではないか。

 牛とか?

 牛に限定しているわけではないが、まあ……たとえて言えばそういうことだ。

 つまり、宇宙人は人間に興味を持っていないが、地球にあるなにかに興味を持っているので、人間にはまったく頓着しないで、空を飛んでいると「仮定」するわけだ。

 そのとおりだ。

 もうひとつ、あなたがたが好きな仮定があるだろう。宇宙人は人間に興味を持っているが、われわれには想像もつかないなんらかの理由で、人間と接触することを避けている。

 その可能性もある。

 彼らは高度な科学力を持っているはずだから、仮に、人間と接触したくないとすれば、「UFO」呼ばわりされる目撃談が生まれるようなヘマはしないと思うが。この点はいかがなものだろう。

 どうしてきみは、人間の思考回路でしか物事を考えられないのだ。異星人には、われわれ人間と接触する気はないし、同時にわれわれに見られないようにする気もないかもしれないではないか。

 接触はしたくないが、見られてもいい?

 そうだ。

 なるほど……宇宙人の動機は謎に満ちているわけだ。われわれの思考回路では推測すらできないほどに。

 そのとおりだ。

 いま思いついた。こういう「仮定」はどうだろう。UFOに乗っているのは、人間が環境破壊や戦争などで、自ら滅びる過程を観察している、どこかの星の研究チームかもしれない。彼らの論文のタイトルはこうだ。「低級知的生命体における、低級科学文明の乱用と愚行に関する研究」。彼らは研究対象である人間に干渉できないが(干渉すると正確なデータがとれない)、UFOを見て驚いている人間を観察して、大笑いするぐらいのユーモアはあるのかもしれない。

 冗談めかしているつもりだろうが、その可能性は大いにある。

 この可能性を認めると、宇宙人の思考回路も、しょせん人間の思考回路で推測できる範囲だということになるが、それに気づいたかな? まあいい。これ以上議論しても相手の揚げ足取りにしかならないから、そろそろ不毛な議論を終了するために、いままであなたが積み重ねてきた仮定を列挙してみることにしよう。

1)異星人が存在する。
2)異星人が未知の理論で、未知の技術を開発し、広い宇宙を自由に飛び回れる。
3)異星人は人間に連絡をする気はない。
4)だが異星人は、人間に見られても気にしない。
5)異星人の動機は、人間の思考回路では推測すらできない。

 こんなところだろうか。1番の異星人が存在する可能性に異論はないが、あなたは、異星人が超光速飛行を実現していると仮定しなければならないし、彼らが地球に繰り返しつきまとうほど興味を示しながらも、話しかけようとするほどには人間に興味を示さず、しかも人間に見られても平気なのだと仮定しなければならない。

 かもしれない……かもしれない……かもしれない……

 すべてがこの繰り返しだ。これらの「かもしれない」には、根拠になるものがなに一つ存在しない。あなたの「かもしれない」が果たす役割は、ただただ、UFOを説明することだけなのだ。するとこんどは、UFOを根拠として、「かもしれない」のほうも正しいと主張することができる。「Aが正しいとすれば、Bは正しい。Bが正しければ、Aも正しいのだ」とね。これを循環論法と呼ぶのをご存じだろうか。

 広辞苑によると、循環論法とは、前提の真理と、結論の真理とが相互に依存し合うような堂々めぐりの虚偽の論証のことだ。たとえば、「神が存在することは聖書に書かれている。聖書は神の言葉である。故に神は存在する」というヤツ。神の存在を説明するのに、神が書いたとされる聖書に、「神は存在する」と書かれているから、神は存在するのだと言われても困る。知能の低い者には楽しい議論かもしれないが、循環論法は、虚偽のひとつでしかない。ハッキリ申し上げて、詐欺と変わりはないのだ。

 きみは、われわれを知能が低い詐欺師だと侮辱するのか!

 では、こう言い換えよう。誠実な科学者は、正確な観測や、正確な実験で、正確なデータを集めることに腐心している。寝食さえ忘れ、仕事に没頭することもあるかもしれない。彼らが求めているのは、合理的な理由で得られる、合理的な結果なのだ。もし合理的な結果が得られなければ、誠実な科学者ならば、なぜ合理的な結果でないかを、合理的な理由で考える。

 あなたがたの「かもしれない」とは、立脚点がまるで違うのだ。「かもしれない、かもしれない、かもしれない。だからUFOは存在する」。これでは、あなたがたこそ、寝食を忘れ実験や観測に勤しむ、誠実な科学者を侮辱しているといえないだろうか。

 まったくお門違いの批判だ。UFOが宇宙船だという直接的な証拠はたしかにあるのだ。宇宙船や異星人を目撃した報告は無数にある。それどころか、宇宙船に乗ったと報告する者もいる。きみは、こういう報告を調べたことがあるのか? 調べもせずに、それらを無価値だと決めつけるのか? そんなことが許される根拠がどこにあるのだ。

 残念ながら、あなたがたの考えている「直接的な証拠」というのは存在しない。少数の目撃者による証言は、すべて証拠として不十分だ。それらは、ほかの種類の証拠によって補強されなければならない。科学というのは、研究すべき体系が、観察または実験、あるいはその両方がいつでもできるときに、うまく機能するのだ。

 また科学というのは、全般的な状況が理解できるような、単純な実験が組み立てられたときに、うまく機能する。たとえば、ぼくらは「球が落下する」理由を説明する法則を知らなかったとしよう。それでも、制御された条件のもとに、多数の球が落下する様子を研究することはできる。その研究から、いつか球が落下する理由を説明する理論が生まれると期待できるのだ。

 このように、科学的取り組みでは、複数の科学者が、同一の条件で、同じ観測結果、同じ実験結果を、いつでも得られる場合に、その観測または実験の正しさが証明される。あるいは、理由のわからない現象の理由を説明できる研究が進むのだ。ご存じないといけないので申し上げておくが、いま挙げた例は、ガリレオ・ガリレイとアイザック・ニュートンの話だ。落体の実験を行ったのがガリレオで、理論を考えたのがニュートン。ニュートンは、ガリレオの実験があったからこそ、万有引力の法則を構築できたのだよ。

 またべつの例を挙げるなら、一人の科学者が、常温核融合を発見したと主張しよう。他の科学者は、ただちに報告されたのと同じ条件で実験を繰り返し、その正しさを検証しようとする。もし仮に、複数の科学者が、報告者と同じ実験結果を得られたら、その発見の正しさは急速に高まる。だが、報告者以外の科学者に、同じ結果が得られなければ……誤りであることがわかるだろう。

 ところが、あなたがたの用意する目撃証言は、どれもみな検証が不可能なものばかりなのだ。同様な事例はいくらでも列挙できる。幽霊、狼男、未来予知、テレパシー、ツチノコ、ネッシー、雪男……もっと挙げようか? いや、その必要はないはずだ。どれも少数の目撃証言と、なにが写っているのか判別の困難な写真やビデオなどで構築された神秘主義的信仰と言える。

 調べもしないで、勝手な批判をしてほしくない。

 たしかにぼくは調べていない。調べようとも思わない。だが、そうではない人もいるのだ。1954年に、アメリカ空中現象調査委員会(NICAP)が組織された。音頭をとったのは、元アメリカ海兵隊の退役少佐ドナルド・キーホーだ。ぼくの知るところでは、この組織が、おそらく世界最初の民間UFO調査団体だろう。彼らは賢明にも、目撃者の証言を鵜呑みにするようなことはしなかったので、UFOを信じる者たちには評判が悪かった。

 その後、UFOに関する議論は熱を帯びるばかりで、多くの民間団体は、自分たちこそがUFOの正しい理解者だと主張し、アメリカ空軍の態度にも批判的だった。彼らは、空軍が本当はUFOが宇宙人の宇宙船だと知っているのに、その事実を隠していると主張した。アメリカ国民には真実を知る権利があると。その結果、連邦議会には再三、UFO目撃の真相を明らかにしろとか、目撃証言に対する空軍の処置が適切であったか調査しろ、といった請願が提出された。

 念のために申し上げておくが、いまぼくが言っているのは、1960年代のことだ。つい先月、CNNで報告された、米ケーブルテレビ局の話ではない。そう。40年前にも同じことが行われていた事実を指摘したい。テレビ局の発想など、まったく進化していないのだよ。

 さて、話をまた40年前に戻そう。あまりに高まるUFO熱に頭を抱えたアメリカ空軍は、コロラド大学の物理学教授を勤めていたエドワード・コンドンを委員長に据えた調査委員会を発足させた。このグループは、後にコンドン委員会として世に知られることになる。最初、この委員会はあらゆる立場の者から楽観的な期待をもって迎えられたが、UFO支持派の団体は、すぐにコンドン委員会にも不満を持つようになった。委員会の内部でも、問題解決の方法をめぐって激しい議論が行われた。どのような態度で調査を進めるかが問題になったのだ。「UFOを宇宙人の宇宙船と仮定」して調査するか、「UFO現象は目撃証言の心理的問題」として調査するかだ。

 けっきょくこの論争は、コンドン委員会を内部分裂させた。UFO支持者と、UFO懐疑主義者とでは、UFO現象を解決する方法ですら意見があわなかったのだよ。

 そのような紆余曲折を経ながらも、コンドン委員会は、1969年に報告書をまとめ、「UFOが地球の外からやってきたという説には、なんの証拠も認められない」という結論に達した。これにより、1969年11月、アメリカ空軍は公式にUFO問題から手を引くことを決定した。ちなみに、アメリカ空軍が関わってきた、一連のUFO調査をブルーブック計画と呼ぶが、1969年が、そのブルーブック計画終焉の年なのだ。

 もちろん……コンドン委員会の報告がなされたあとも、UFO支持者は目撃証言の調査を継続して行い、宇宙から謎の飛行体がきている証拠を手に入れたと主張し続けた。

 ここであなたもご存じだろう人物が登場する。アメリカの天文学者であった、ジョーゼフ・アレン・ハイネックだ。この名に記憶がなくても、スティーブン・スピルバーグが監督した「未知との遭遇」に出てくる科学者のモデルで、第三種接近遭遇という言葉を作り出した人物と言えばわかるだろう。映画の制作では、実際に顧問を務めている。アシモフのエッセイでも彼が登場する。アシモフ自身、彼と面識があったそうで、科学者として完ぺきな学識を持ち、誠実で知能の優れた人物だと評価している。

 さて。そのハイネックだが、彼は最初、UFO懐疑主義者だった。だが、あまりにも多くの目撃証言があるので、ついに心変わりして、目撃証言があまりにも多いことを根拠に宇宙人仮説を信じるようになった。ハイネックは、多くの目撃証言が慎重に吟味されることを望んで、事実そうしたのだ。残念ながら、UFO信者の中には、多くの変人、奇人、偏執狂がいる。それらと誠実な目撃報告を区別することはきわめて難しい。

 ハイネックは、1986年に亡くなるまで、「世界中のあらゆる地域で、明らかに信頼のおける観察者」によって、UFOが目撃されているのだから、UFO=宇宙人の宇宙船説は正しいと主張し続けた。だが、ここで重要なことは、ハイネックの行った調査は、偽証の報告と善意ある報告をより分けただけという事実だ。彼の問題点は、人間の知覚や記憶は、さまざまな条件のもとで、信頼できないものになることを、進んで認めようとしなかったことにある。十分な訓練を受けた一流のパイロットでも、あるいはレーダー技師でも、人間である以上、そのことに変わりはない。ハイネックは、彼らが「まっとうな人間」というだけの理由で、その証言を「正しい」と結論づけてしまったのだ。

 ハイネックによって、「未知との遭遇」というSFが生み出されたことをうれしく思うが……けっきょくはSFなのだ。科学的調査としては、彼のやってきたことは時間の無駄だった。

 しかし、どんなにわずかであろうとも、科学的に説明できない現象が、必ず残るはずだ。それらは、いったいなんだと言うのだ?

 さあ、ぼくは知らない。ぼくに要求して、答えを得られない問題など山ほどある。この場合は「星の数ほど」と言ったほうが的確かな。もしあなたが、質問に答えられないから、あるいは否定できないから、「それらは正しい」などという論法を展開しようとしているなら、悲しくなるほどの無教養だ。

 たとえば、ヨーロッパという名前は、ギリシア神話に登場する美女、エウロペにちなんでつけられたと、ぼくが主張したとしよう。あなたがそれを「否定」できなくても、ぼくの「正しさ」が証明されるわけではない。

 ここで、1977年に、ネバダ州で起きたUFO目撃談をひとつ報告しよう。この目撃談を調査していた、UFO研究センターが発行する「国際UFO報告」誌の編集者が、たまたま幸運にも、環境保護局(EPA)の職員と接触した。編集者は、EPAが調査気球を飛ばしていて、それが目撃されたことを知ったのだ。もしこの編集者が、たまたまEPAの職員と出会わなかったら……ネバダ州の目撃談は、あなたがたがよろこぶ、「科学的に説明できない謎」となり、UFOを証明する証拠として示されることになっていただろう。

 幸い、この事例は、真相が突き止められたわけだが、こういった目撃談を大々的に報じた大衆紙や雑誌に、真相が掲載されることはほとんどないのだ。大多数の人々は、「UFOが目撃された!」というショッキングな見出しを見ることはあっても、「じつは気球でした」という報告を読むことはない。


 以上で、一部の人には不愉快極まりないであろうエッセイを終わりたいと思う。CNNで報じられた米ケーブルテレビ局が、なぜUFOに固着するのかぼくにはわからない。金儲けのためなのか、それともぼくには理解できない、彼ら独特の善意なのか……

 どちらにしても、困ったもんだ。



(注1)
早川文庫、アシモフの科学エッセイ(10)「存在しなかった惑星」に収録の「さまよえる宇宙船」
このエッセイは、アシモフのエッセイを下敷きにして書かれている。


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