神話について



 今日は、ちょっとまじめなお話を書いてみようと思う(だから書き口も変えて「ですます調」ではない)。

 ふと、物語の原点はなんだろう。という考えが頭に浮かんだ。この設問は、人が「物語」という架空の世界に親しむようになったのはいつごろだろうと言い換えてもいい。

 いわゆる「小説」というものがいつごろ登場したのかよく知らないが、物語ははるか昔から存在していた。そのもっとも古いものの一つに「神話」があると思う。こいつは文字が発明される以前から存在していたはずだ。こんなことを書くと、信仰の厚い人に怒られそうだが、そもそも神という存在が「架空」なのだ。そこから「想像の世界」つまり「物語」が紡ぎ出されることに、なんら不思議はない。

 ぼくは信仰心はないけど、神話を読むのは好きだ。で、神話を読んでいると、あることに気づく。それは、民族も文化も違う人たちが作り出した神話の内容に類似性があるということだ。その最たるものが「世界の始まり」についての下りだろう。

 あるとき。とつぜん「神」という人間を超越した存在が現れ、それが混沌とした、あるいは、なにもない空間に「世界」を構築する。神話というのは、たいていこういう始まりだ。文化的に、まったく交流のなかった古代の人々が、まったく別の場所で、同じような神話を作っていたってことに、少し不思議なものを感じないでもない。ある人は、「だから、神は存在するのだ」と言う。神が存在するから、みんな神の意志によって、同じように考えたのだと。いや、そもそも「神」という概念を持ったことこそ、その証だと。

 だが、そう考えるのは早計だろう。古代の人たちに文化的交流がなかったのは事実だろうが、それでも共通点はある。それは「科学を知らなかった」ということだ。人々は、嵐がくれば逃げ惑い、地震がくれば驚き、火山が噴火すれば恐れおののいた。科学を知らない人たちにとって、それは「不思議な力」以外のなにものでもない。そこから、「人を超越した存在」を想像するのは容易だ。というか自然だ。つまり「神」は生まれるべくして生まれたのだ。

 神話の類似性については、「人間という種の思考の類似性」とも言い換えられる。簡単に言うと、「人間、考えることはみんな一緒ね」ってことだ。これも考えてみれば当然のことだ。どんなに民族が違っても、人間、やることは同じ。シンプルな生活を送っていた古代人なら、なおさらだ。もしも、夜行性の「人類」が、われわれとはべつに発達していたとしたら、彼らの作る神話は、ぼくらとはまったく違った物になっていただろう。だが残念なことに夜行性の人類はこの世にいない。人間はみな、日の出とともに活動を開始する動物なのだ。たいていの神話で、「神様が最初に光を作った」のも自然なことだと思う。

 ちょっと話はそれるけど、夜行性の人類っておもしろいね。バンパイヤは太陽がなければ生きていけないモンスターとして描かれるだろう。日の出とともに活動を始めるモンスター。ううむ。怖くない。でも夜行性の人類にとては、太陽そのものが「魔」だろうから、きっと怖いんだろうな。

 話を戻そう。

 さて。神話の類似性はなにも「最初」だけじゃない。神様がこの世を確立した後も類似性は続く。たとえばギリシャ神話と古事記なんかソックリだ。どちらもワイドショー顔負けの不倫ドラマを楽しめる。これなんかも「人間の類似性」なんだろう。みんな古代から似たようなことやってるから、神話も似たようなものになっちゃうわけだ。この時代の神様は、やけに人間臭くて、憎めないって言うか、親しみが持てる。神話が物語としてもっともおもしろかった時代だ。神話作家(?)の方々は、きっと想像力を大いに膨らませて、楽しんで神話を書いていたことだろう。古事記なんかも、歴史書としては信憑性が著しく低いけど、物語として読めばすごくおもしろく、文学的ですらある。

 そういえば、ホメロスの書いた神話物語、「イリアス」と「オデュッセイア」が事実だと信じて、トロイの遺跡を発見した男もいたっけ(シュリーマン)。神話はことほどかように、夢に満ちていた。(ちなみに、シュリーマンは、拙作「ケインとラニー」に登場するケインと同じ、アマチュアの歴史学者だった。いや、ケインがシュリーマンと同じだと言わなきゃ怒られるね)

 だが。神話が政治に利用されるようになってから、神様の位置づけも変わってくる。古代には「唯一絶対神」と言う考え方は少なかった。たいていが「多神教」。登場人物が多い方が、物語に幅が出て書きやすい。第一、読んでいておもしろいからだろう。だが、統治者にとっては、この多神教は具合がよろしくない。民衆が、バラバラの神様を信じていると、統治しにくいからだ。だから統治者は「神を一つ」にしちゃった。たいていの統治者がそうした。これも人間、いや政治家の考えることは似たようなもんだってことなんだろう。(エジプトのファラオや日本の天皇は、自分自身が「神」だと主張し、モーゼやキリストは、神から認められた預言者だと宣言した)

 それでも神話作家はがんばった。唯一絶対神という制約の中で書かれた神話としては、旧約聖書が最高傑作だろう。ノアの方舟のくだりなんか、あまりにも有名だ。(ノアの方舟は、本当にあった洪水を題材にしているという説もある)。でも、ぼくが一番好きなのはソロモン王が活躍した時代のお話。エンドラの魔女とか出てきて、まさしく物語だ。

 旧約聖書には、こういった物語の宝庫だ。だからこそ、旧約聖書から派生した物語が、数えれないほどある。いまだに女神様とか天使とか、あるいは悪魔が「小説」の登場人物になるんだから、旧約聖書の果たした役割はあまりにも大きい。旧約聖書を編纂した作家は、まぎれもなく天才だ。超ロングセラーだしね。(印税っていくらになるんだろうね? あ、その前に著作権が切れてるか)

 ところがこの「聖書」も、新約になってから様子が変わってくる。残念ながら新約は物語というより、「道徳の教科書」と呼ぶべきものになった。まあ、当のキリストが、腐敗していたユダヤ教を批判することから始めたわけだから、道徳的になるのは致し方ないところか。それでも「キリストの生涯を描いた大河ドラマ」として読んでみると、なかなか興味深かったりする。とくにキリストが十字架にかけられるシーンは、新約聖書のもっともドラマチックな部分だろう。もっとも、それに至るまでの道筋にけっこう矛盾があったり、そのあとも謎めいた部分があったりして、どうも釈然としなかったりする。ドラマとしてはともかく、小説としてはできが悪い。ま、これについては、いろいろ書きたいこともあるけど、いまはやめておこう。

 さて。西洋を離れて、われらがアジアに目を向けよう。本当は古代アーリア人の最古の聖典である「リグ・ヴェーダ」あたりから話を始められるといいんだけど、さすがにそのあたりは知識がない。リグ・ヴェーダに書かれた最高神がインドラ(帝釈天)だってことを知ってるぐらいだ。もう一つ有名な「大日如来」は、もっとずっと時代を下り、七世紀ごろに(イスラム教と同じぐらいの時代)密教の信者たちが作った宇宙神だ。宇宙神という概念を考え出した密教の信者たちも、旧約を編纂した作家と同じく天才的だと思うが、いかんせん複雑すぎる。まさに曼荼羅(マンダラ)の中に迷いこんだ気分になる。

 というわけで、ぼくの頭ではヒンズー教から密教に至る「神話」は難しすぎるので、ここでは実在した人物、ブッダについて書いてみよう。

 ブッダの書物といえば「経」だ。一口に経といっても、新約聖書と違って、その種類はたくさんある。たとえば、「般若経」「法華経」「華厳経」といった具合。ところが、この「経」という読み物。ブッダが書いたものは一冊もない。その点では新約聖書に似ている。新約聖書は弟子たちが「キリストの教え」として編集したものであり、「経」もブッダの弟子たちが編集したものだ。だから経に書かれた章の始めには、たいてい「如是我聞」と書かれている。これは「わたしは、こう聞いた」という意味だ。つまり「又聞きですよ」ってこと。

 まあ、それはそれとして「経」もブッダの「道徳の教科書」なんだけど、やっぱりブッダの生涯を描いた大河ドラマとして読むことができる。しかもこっちは、なかなかエロチックでよろしい。雑阿含経の相応部には、悟りを開くため出家したブッダに、悪魔が少女から熟女まで、ありとあらゆるタイプの女性を送り込み(その数、なんと四百人! 悪魔さんも太っ腹だ)、ブッダを誘惑して悟りを断念させようとした下りがある。ブッダは、それらをみんな、はねのけたそうだ。ブッダが悟りを開いたのは、三十五歳のときだと言われているから、枯れたジイさんだったわけじゃない。なんとももったいない話だ。ぼくがブッダなら喜んで…… あ、だから悟りが開けんのか(開きたくもないけど)。

 おもしろいのは(というか疑問?)、ブッダが断食をして疲れ果てたとき、村の娘が乳粥をブッダに差し出すシーンでのこと。この娘の名前は「スジャータ」。出したものが乳粥。たしかコーヒーに入れるミルクを作っている会社にスジャータってところがあったと思うけど、ここから取ったんじゃなかろうか? だとしたら、けっこう罰当たりな会社で好感が持てる。

 名前といえば、もう一つおもしろい話がある。ブッダの娘の名前だ。「ラーフラ」というんだけど、その意味は「悪魔」。仏様になろうって御方が、自分の娘に悪魔なんて名前をつけるのがおもしろい。子供が嫌いだったのかね? そういえば、F1ドライバの中に、デーモン・ヒルって男がいたな。彼も悪魔くんだ。外人は意外と悪魔って名前に抵抗がないのかもしれない(ううむ。そーなんだろうか?)。

 なんだか、とりとめのない話になってしまったけど、この「神話について」は、またそのうち続きを書こうと思う。そのときは、ギリシャ神話か日本の古事記に的をしぼって、神様のご乱交など紹介したい。


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