戦争



 アメリカによるイラクへの武力行使が避けられない情勢になってきた。あまり政治のことは書きたくないし、じっさい、このエッセイを書いたあともアップするかどうか悩んだ。どうか、ひとりの市民の声として読んでいただければ幸いだ。

 ここ最近、ぼくは国連の安全保障理事会をできる限りチェックしてきた。外交とは、まったく難しい物だと痛感しつつ、不謹慎な物言いを許してもらえるなら、かなりエキサイティングだった。そこはまさに外交の「舞台」だった。比喩で舞台といっているのではなく、各国の外相たちが、本当に「役者」に見えた。

 口火を切ったのはフランスだ。そう。最初の役者は、いまや武力行使反対の象徴的存在ともなった、フランスのドビルパン外相だ。

 アメリカに「古くさい欧州」と呼ばれたドビルパンは、2月14日の安保理外相級会合の演説で、自ら、フランスを「戦争と占領と蛮行を経験した古い国から」と表現しながら、武力行使に急ぐアメリカを諭した。「古くさい欧州」という言葉を逆手にとったこの演説は、アメリカの揚げ足をとるのが目的だったわけではない。戦争がなにをもたらすのか。その答えは、過去の経験という重みの中にあると、ドビルパンは言いたかったのだ。

 もちろん、フランスには政治的思惑が山ほどあるだろう。ただの平和主義者とは思えない。それでも、ドビルパンの演説はすばらしかった。非常に理性的であり、かつウィットにとんだ名演説だと思う。ぼくがそう感じただけではない。その証拠に、ドビルパンの演説が終わった直後、本来、拍手が禁じられている安保理で、彼は拍手によって迎えられた。それは、きわめて異例のことらしい。この瞬間、ドビルパンは一躍有名になった。

 ふと思う。日本だって、古くさい国だ。「戦争と占領と蛮行を経験した古い国」という表現がピッタリ当てはまるではないか。戦争を経験し、蛮行を経験し、他国を占領し、他国に占領された。同じ経験を持つ国は、数えきれないほどあるだろう。だが、その中にあって日本は、核兵器を落とされた、世界で唯一の国なのだ。これだけの経験と歴史の重みを持つわが国は、はたしてドビルパンのような外相を国連の舞台に送ることができるだろうか。少なくとも、戦争を回避するために、国際舞台でなんらかの発言をしたか? いや、それどころか、小泉首相は、アメリカを支持すると言っている。日本政府は、アメリカを支持するにたる情報を本当に持っているのだろうか。そしてアメリカを支持する理由をわれわれ国民に、どれだけ説明してきたのだろうか。

 話がそれた。ともかく、ドビルパンの演説から、安保理が武力行使反対に傾いたのは間違いない。いや、最初から武力行使反対が多かったのだが、態度を明確にしていない中間派の関心を引きつけたのは間違いない。

 反撃に出たのはアメリカではなかった。アメリカは、外交努力が重要だとしながらも、じつは、あまり安保理を重視していない。最終的には単独行動も辞さないと示唆していたのは外交戦略ではなく、たぶん本音なんだろう。

 だが、武力行使を強力に押し進める国の中にも、安保理の決議が、どうしても必要な国があった。それはイギリスだ。イギリスはアメリカと違って、国内世論が戦争に反対している。国連の決議なしで戦争に参加したら、ブレア首相の政治生命は、おそらくかなり短い物になるだろう。(それでも最終的には参加するだろうが)

 そこで、イギリスのストロー外相は、3月7日の会合でドビルパンを狙い撃ちにするという作戦に出た。

「ドミニク」

 と、ストロー外相は、ドビルパンに、ファーストネームで呼びかけた。

「きみは間違っている。査察に進展があるのは、アメリカとイギリスの、20万人以上の若い男女が、命をかけて前線に展開し、イラクに圧力をかけているからなのだ。その事実に鈍感でいいのか」

 なかなかの名演だ。悪くない。胸に響く。そして理屈も通っている。ストロー外相は、この後も、ドビルパンを五回もファーストネームで呼びかけ、安保理の歴史の中でも、きわめて異例の演説で拍手を受けた。

 もちろん、イギリスは、フランスがこの演説で態度を変えるとは思っていなかっただろう。だが、どうしても、中間派の票がほしかったはずだ。この時点で中間派は6カ国。この票を取り込めれば、決議案への賛成票が過半数を超える。その中間派を取り込むための、苦肉の策とも言える演説だったんだ。決議案に賛成する国が多ければ、それだけ拒否権を行使しようとするフランスの立場が悪くなる。これは、ごく単純な理屈だ。賛成する者が多いのに、それを拒否すれば「身勝手」というレッテルを貼ることができる。いま、アメリカが世界から言われていることを、フランスにも言えるわけだ。

 ぼくは、安保理をこんなに興奮してみたことは過去にない。彼らは、本当に役者だ。実際のところ、水面下では、われわれにはうかがい知れない政治的駆け引きが頻繁に行われている。そのほとんどは、醜く愚かな行為で、むしろ、そっちが外交の本当の舞台だと言える。アメリカは、公然と言ってもいい態度で、各国の大使館の電話や通信を盗聴しているぐらいだ。

 それでも、安保理の外相級会合という表舞台が、世界の政治に及ぼす影響は小さくない。その舞台は、ぼくのような、安保理のカヤの外にいて、なんの影響力も行使できない、どーでもいいような極東の小さな島国の、さらに政治に影響力を持たない、ちっぽけな人間でさえ見ているのだ。情報が、一瞬で世界中を駆けめぐる現代においては、そんなちっぽけな人間たちの心を、どれだけ惹きつけるかが問題なのだ。

 ふたたび不謹慎な物言いを許していただきたいのだが、ぼくは今回の安保理の流れを見ていて、「外交」に関して大いに得る物があった。ドビルパンが、そしてストローが、あるいはパウエルが、ぼくの書く小説に影響を与えるはずだ。もちろん、ブッシュもフセインも。

 もう小説の話はやめよう。そして、ここで声を大にして言いたい。イラクを攻撃すれば、きっとたくさんの人が死ぬ。それを見たくない。戦争はゲームでも映画でもアニメでもないんだ。本当に死んでしまうんだよ人間が。考えてみてほしい。もしも、街で人が倒れていて、その人が血を流して死んでいたら、どれほどビックリするか。そんな人たちが、何千人も街にあふれるところを想像してごらん。いったいぼくは、そしてあなたは、何分、その場に立っていられるだろうか。その倒れた人の中にあなたの家族がいたらどうする。あなたの恋人がいたらどうする。あなたの友人がいたらどうする。

 しかも今回、アメリカもイギリスも、劣化ウラン弾を使うことを示唆している。湾岸戦争で使われて、多くの人々が(使った側のアメリカ軍の兵士も)いまも白血病やガンで苦しんでいる汚い兵器だ。

 なんとかして、戦争を回避してほしい。カッコつけて平和主義者を気取っているわけじゃないんだ。本当にもう、暗い話題はいやなんだよ。人道的な意味だけで足りないならば、世界経済の混乱を理由にしてもいい。日本の経済が中東情勢の不安定化で、さらに悪化し、なんの関係もないはずのあなたも、リストラされるかもしれない。

 ぼくは戦争が起こらないことを切実に願う。でも、もはや希望は赤子の手よりもか細く、容易に握りつぶせるほど小さい。これを書いている途中で飛び込んできたニュースによると(このエッセイは、3月17日の深夜に書いている)、国連安全保障理事会の新決議修正案は採決されないことになった。つまり、アメリカもイギリスも、そしてスペインも、武力を行使することについて、国連の「了解」を求めないということだ。外交の表舞台である安保理は、ただの茶番で終わった。

 こうしている間にも、ブッショ大統領は、査察団のイラクからの退避を勧告し、さらに、ホワイトハウスのフライシャー大統領報道官は「外交交渉の窓口は閉じられた。戦争を避けるためには、フセイン大統領がイラク国外へ出なければならない」と述べた。ブッシュ大統領が、日本時間18日午前10時に行うという演説も、基本的に、フライシャー大統領報道官の述べた言葉を繰り返すものになるだろう。本当の最後通告が行われるわけだ。

 一方、フセイン大統領は、軍幹部との会合で、「神が望むなら、神のもとにおいて(アメリカ軍と)短刀や剣でも、ほかに武器がなければ棒ででも戦う。敵が攻撃を全面展開してくるなら、空と大地と水のあるところ全て、地球上のあらゆる場所で戦う」と語り、その模様は、イラク国内でテレビ放送された。

 戦争が回避できないのであれば、一日も早く戦争が終わりますように。もう、そう願うしかない。


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