鏡の国



 この夏のこと。友人と話をしているうちに、自然のなりゆきでゴキブリの話題になった。ちょうどそのころ、ぼくは殺虫剤が開発された歴史についての本を読んだばかりだったから、ゴキブリを撃退することに執念を燃やしている友人に対して、殺虫剤の話を物知り顔で語る絶好の機会を得たと思った。

 だから、いつもの調子で(つまり、いつもエッセイでやらかすように)、おもしろおかしくその話をすると、友人は感心したように(あるいは、呆れていたのかもしれないけど)、「なんでもよく知ってるね」と言った。

 してやったり。こんなときこそ、ニヤリと笑うべきなんだろう。

 ところがどっこい。ぼくは、けっして物知りというわけじゃない。もしその友人に、もっと殺虫剤のことを知りたいという欲求があって、多少なりとも専門的な質問をしていたら、とたんに、彼女はぼくの無知を知ったことだろう。ぼくはただ、本で読んだことを、少しばかりかみ砕いて語ることしかできないんだ。

 というかね、それはぼくにとっての復習でもあるのだよ。本を読む。新しい知識を得たと思う。でも、ぼくの脳細胞は揮発性が高いから、そのままおいておくと、せっかく覚えた知識がどんどん蒸発して、ふと気がつくと、それを「覚えた」ことしか覚えてなくて、中身はスッカラカンになっている。

 と、そういう図式が成り立つわけなんだけど、覚えたことを、他人に語って聞かせると(聞かされる人の迷惑を考慮しないとして)、不思議な変化が起こる。その人に理解してもらおうと、一生懸命やさしい言葉を探したり、かみ砕こうとして、より基本的な部分を解説したりと、脳細胞をフル回転させているから、覚えたことの理解が、ぼく自身深まってしっかり定着する。すると、なかなか揮発しなくなる。これこそまさに「復習」だ。

 なにが言いたいかというと……

 つい最近、BBS1(雑談掲示板)で、反水素原子の話が出た。東京大学の、早野龍五教授らのグループが、ヨーロッパ合同原子核研究所の「反陽子減速器」を使って、反水素原子を、大量に作ることに成功したそうだ。

 反物質。なんとSFの香り高い、甘美な響きなんだろう。ぼくは偶然にもSFが好きで、しかも、たまたま、反物質について、まだ揮発していない知識があるから、これが黙っていられるだろうか?

 あのう、そういうわけですので、よろしいでしょうか、みなさま(やや遠慮がちに)。反物質について、語らせていただいても?

 えっ! いいですか? そうですか! では、遠慮なく(おい)。

 SFに興味がある人ならもちろん、そうでない人でも「反物質」という言葉は知っているだろう。反物質とは、われわれを形作っている物質とは、まったく逆の性質を持った物質のことで、鏡の国のアリスじゃないけど、「鏡の国の物質の姿」と考えると、あながち間違いでもなく、かつSFチックでカッコいい。

 でも。あなたがもし、鏡の国の「反自分」に出会っても、けっして握手をしてはいけない。そのとたん、あなたと、鏡の国のあなたは、ものすごい閃光とともに、この世から消えてなくなるだろう。

 消える? 消えちゃうの? 跡形もなく? ホントに?

 と、疑問に思った方がいたら、あなたは偉い。そう。「消える」という言葉は正確じゃない。目に見える形としては消えてしまうけど、けっして跡形もなくなってしまうわけではないんだ。そこには、依然として、なにかが残る。

 なにが残るのか。

 それは、エネルギーだ。物質と反物質は、対消滅して「エネルギーに代わる」と書くのが一番正しい(言葉としてはね。数学的に表記するのが、もっとも正しいのだろう)。

 ここで、アインシュタインにご登場願おう。知ってるよね? あのモジャモジャ頭のオッサン(世紀の大天才に対して、なんと失礼な!)。

 アインシュタインは、一九〇五年に、特殊相対性理論という革新的な理論を発表した。彼は、宇宙の中で、光の速度がもっとも早く、絶対に、そのスピード記録をうち破れないと思った。その前提から――ぼくにはなにがなんだかサッパリわからない――推論を重ねたのち、エネルギーは、質量と同じモノだという結論に達した。

 その結論をアインシュタインは、「E=mc」という、じつにエレガントな式にまとめた。この公式を言葉で言うと、エネルギー(E)は、質量(m)に光速(c)を二回掛けた値に等しい。ということになる。

 またこれは、「質量とは、エネルギーが、ものすごく凝縮した姿である」とも言い換えられる。つまり、物質と反物質が接触すると、互いの質量が凝縮を解かれて、エネルギーとして拡散するわけだ。

 では、その逆は起こるだろうか? 拡散しているエネルギーを凝縮させたら、質量にすることができるだろうか?

 もちろん、できる。そもそも、宇宙の始まりには、エネルギーしかなかったと現代の科学者たちは考えている。そのエネルギーが凝縮して質量になり、いま、宇宙にありふれている物質が存在している。

 ちょっと待った。ここで立ち止まろう。だって、ものすごい疑問がわかないかい?

 宇宙の最初にはエネルギーしかなかったんだろ? それが質量に代わった。そこまではいい。でも、エネルギーが質量になるとき、物質と反物質が、同時に同じ数だけできるわけだから、それらは、またすぐに対消滅して、エネルギーに戻ってしまうんじゃないの?

 いや、まったくその通り。宇宙の始めに、エネルギーが質量に代わり始めたころ、物質と反物質は、同じ量だけ作られて、それらは、すぐさま対消滅して、エネルギーに戻ってしまったはずなんだ。ところが、どういうわけか、物質だけが、ほんの少しだけ残った。その、ほんの少しだけ残った質量が、われわれ人間を作っているわけだ。

 いったい、なぜ、物質だけが生き残ることができたのだろうか。

 その答えを説明するのはきわめて難しいけど、このエッセイが終わるまでに、ぼくにわかる範囲で答えることを約束して、とりあえず、いまはこの問題を忘れよう。

 さて。先に書いた東京大学の、早野龍五教授らのグループに話を戻そう。彼らがやったことは、エネルギーを凝縮させて、質量を作り出すことだったわけだ。

 つまり、さっきぼくは、物質と反物質を接触させると、それは対消滅してエネルギーに代わると書いたよね。その逆をやると、時計を逆回転させるように、物質と反物質が同時に、同じ量だけ作られるわけなんだよ。

 まず早野教授たちは、生成した反粒子が、ふたたび物質に接触して対消滅する前に急いで取り出して貯蔵した。反粒子を貯蔵する方法は、早野教授たちが利用した、ヨーロッパ合同原子核研究所(CERN)の技術者、シモン・ファン・デル・メールが、一九八〇年代に開発していた(メールは、その業績で、一九八四年にノーベル賞をもらっている)。

 早野教授たちが取り出した反粒子は、「反陽子」だった。陽子というのは、原子核を構成する粒子のことで、これだけでは「原子核」でしかない。原子にするためには、さらに「電子」が必要だ。だから、べつのところで調達した「反電子」を「反陽子」にくっつけて「反水素原子」にした。

 おやおや。ずいぶん、複雑になってきたぞ。ここで、素粒子が発見されていった歴史を語りたいという強い衝動に駆られてきたんだけど、どうしよう。そんな物を書いて、だれか読んでくれる人がいるだろうか。

 まあ、たとえ、読んでくれる人が一人もいなくても、このエッセイはぼくの「復習」の意味もあるわけだから、どんどん書いちゃおう。そうと決まったらどこから話そうか(ウキウキしてる)。なんて、ぼくが言うときは、たいてい、そもそもの初めからしゃべりたがっている証拠だから、そもそもの初めから始めよう。(変な日本語だな)

 準備はよろしいかな? 行きますぞ。

 いまを去ること、二四〇〇年ほど前(ホントに、初めだな(苦笑))、紀元前五世紀ごろのギリシアの哲学者、レウキッポスは、物をどこまで分割できるだろうかと考えた。たとえば、リンゴは半分に切ることができる。その半分をさらに半分にすることもできる。その半分の半分を、さらに半分にと、どこまでも小さくできそうだと思われた。そのうち、人間の手では半分に切れないところまで小さくなってしまうが、そこは、想像力を働かせて、どんどん分割していこう。

 レウキッポスは思った。しかし、いつかは、半分にできない限界があるに違いないと。その、もう「半分にはできない」ところまで小さくなった物が、じつは、この世の物質を作っている最小単位で、それこそが、すべての「根元」だと考えた。ぼくの記憶がたしかならば、レウキッポスこそ、「原子」という概念を考え出した、歴史に残っている最初の人物のはずだ。(もし、どなたか、レウキッポス以前に、原子論を考えた人物を知っていたら、ぜひ教えてほしい)

 レウキッポスの考えを、さらに推し進めたのは、デモクリトスだった。彼は原子論という概念を、人間の社会生活を説明するためにも使った。これはいかにもやりすぎだった。物質が原子という最小単位にまで分割できるという考えは正しかったけど、彼らには、それを研究する手段がなかったから、想像力がふくらみすぎて、結果として、的はずれな、トンチンカンなことになってしまった。その後、エピクロスなどの哲学者が、原子論を引継はしたものの、けっきょく、目に見える物ではない原子という考え方は、人々から忘れ去られた。人々が、その概念を思い出すのは、なんと、二二〇〇年も後だった。

 一八〇三年。ついに、原子論を人々に思い出させる人物が登場した。彼は、イギリスの化学者で、名前をジョン・ドルトンといった。ドルトンは、物質が、原子というこれ以上分割できない小さな粒子の集まりであるとすれば、各種の化学反応が起こる理由が、うまく説明できると考えた。

 ここで、学者は二手に分かれた。ドルトンを支持するものと、ドルトンを否定するものだ。その決着をつけたのは、アインシュタインだった。彼は、かの有名な特殊相対性理論を発表する数週間前、ブラウン運動として知られていた現象――液体に浮いている小さな塵が、細かく振動する現象――は、液体の原子が塵にぶつかっていると考えれば、うまく説明できると主張した。

 とにかく、ドルトンの理論が正しそうなので、化学者は真剣に研究した(アインシュタインがドルトンの理論を援護する前から)。すると、原子は一種類ではなく、様々な種類があるように思われた。たとえば、酸素の原子とか、鉄の原子とか。これらは、それぞれの物質の特徴を持つ最小単位なので、『元素』と呼ばれるようになった。つまり、純粋な鉄は、鉄元素だけが集まったモノなのだと。これらの元素が、一個だけではなく、二個や三個つながることがありそうなこともわかった。だから、それらを『分子』と呼ぶことにした。たとえば、空気中にある酸素は、酸素元素が二つくっついた、酸素分子だ。さらに、べつの元素同士がつながる場合もありそうだった。たとえば水は、酸素元素と水素元素がくっついたものなので、それらは『化合物』と呼ぶことにした。

 これで全部だ。これだけわかれば、化学反応はすべて説明できる。だから、十九世紀の末には、科学者たちは、この世の物質の秘密を、すべて解き明かしたと思った。もう、知るべき事実はない。

 とんでもない!

 まだ十九世紀が終わる前に、それまで科学者が信じていたことが、ガラガラと音を立てて崩れてしまうような、とんでもない発見があった。

 一八九六年。フランスの物理学者、アントワーヌ・アンリ・ベックレルは、その前年に発見されたX線を研究していて、まったくの偶然から、ウラン原子が分裂することを発見してしまった。

 原子が分裂するって? まさか!

 原子は、もうそれ以上分割できないモノのはずだったから、それがさらに分割できるとなると、これはもう、大事件だった。ところが、ウラン以外にも分裂する原子が発見されるにいたって、科学者は、いままで考えていた原子論が間違いだと認めた。そこで、またまた新しい言葉を発明しなければならなかった。勝手に分裂してしまう原子のことを『放射性物質』と呼ぶことにした。それらは、分裂と同時に、なにか粒子を放出したからだ。

 しかし、まいったね。原子が分裂してしまうということはだよ、原子はさらに小さな「なにか」で、できていることになるんだよ。いったい、それはなんだ?

 その答えを見つけたのは、ニュージーランドの、アーネスト・ラザフォードだった。ラザフォードは、分裂する放射性物質を使って実験を繰り返した結果、原子には原子核があることを発見した。その原子核は、原子の質量のほとんどを占めているように思えたけど、それにしては、原子核は、信じられないくらいに小さかった。なんと、原子の大きさの、十万分の一ぐらいしかないように思えたのだ。原子というのは、中心に堅くて重いモノがあるけれども、ほとんどが空洞の風船のような玉かもしれない。

 では、その外側の「殻」はなにでできているんだ? いったいなにが、原子の大きさを決定しているのか? ラザフォードは、原子核の周りを、ものすごいスピードで飛び回る、小さな粒子を発見した。どうやら、その小さな粒子が原子の「殻」だと思えた。

 ここで、あまりいい例ではないけど、綿菓子を想像してみよう。綿菓子の中には、割り箸が入っている。でも、周りには、ふわふわした綿の飴があるので、けっして割り箸が人の目に触れることはない。(綿飴を食べてしまわなければ)

 一九一一年。ラザフォードは、原子核は、プラスの電荷を持っていて、原子核の周りを飛んでいる小さな粒子は、マイナスの電荷を持っているようだと発表した。それらが、つかず離れずの距離を保って、同時に存在しているので、プラスとマイナスがうち消しあって、原子そのものには、電荷がないように見えた。マイナスの電荷を持つ小さな粒子は、「電子(エレクトロン)」と名前が付けられた。

 さあ、そうなると、注目は原子核だ。原子の中に、原子核があるなら、こいつが、物質の最小単位なのだろうか。原子核こそ、もうこれ以上分割できないモノなのだろうか。

 ラザフォードは、なおも研究を続けた。そして一九一九年。その原子核さえも、さらに分割して、べつの種類の原子核になることを発見した。そして、いよいよ、それ以上分割できない原子核に行き当たった。それは水素だった。水素原子核は、プラス1の電荷を持っていて、これこそ、単一の粒子から構成されてると思った。じっさい、ラザフォードがどれほど苦労しても、水素の原子核は、それ以上分割しなかった。だから彼は、それを「陽子(プロトン)」と名付けた。

 つまり、たとえば「酸素」という元素は、「酸素原子核」という、それ単体で存在するものではなくて、陽子が集まってできた「大きな原子核」だったんだ。

 ここで、こんな想像をしてみよう。ご飯の上に乗せて食べる、タラコってあるじゃない。あれは、遠くから見ると、「タラコ」という形をした食べ物なんだけど、箸でほぐすと、中に小さな卵がいっぱい詰まっているのがわかるよね。原子核というのは、この「タラコ」だったんだ。卵一個が、陽子一個に相当する。ところが、タラコの「卵」は、いくら集まっても、「タラコ」にしかならないけど、陽子は、二個、三個と集まると、集まってできた物質は、性質が変わるんだ。たとえば、酸素の原子核は、プラス8の電荷を持っているから、陽子が八個入っていると考えられた。同じように、鉄の原子核は二六個の陽子を、ウランは九二個の陽子が入っているはずだった。

 これで解決した。よかった、よかった。

 いや、よくない。またまた問題が発生した。酸素にしろ鉄にしろ、その原子核には、陽子が詰まっているのは間違いないが、それにしては、原子核は重すぎた。たとえば、酸素原子核は、八個の陽子でできているのだから、陽子の重さ×八倍でなければならない。ところが、酸素原子核の重さを精密に測定してみると、なんと、陽子の十六倍の重さがあった。理論より、倍も重いとなる。これは大きな問題だった。理論の、どこかが、間違っているかもしれなかった。あるいは、まだ発見されていない、陽子と同じぐらいの質量を持った、謎のなにかが、あるのかもしれなかった。

 じつは、謎の物質があったんだよ。原子核には、電荷を持たない中性子が含まれていた。これは、電荷を持たないので、なかなか検出されず、一九三二年まで、謎の存在だった。ところが、いったん中性子が発見されると、それは、あわただしく研究されて、陽子よりも、ほんの少しだけ重いことがわかった。

 これで、たいぶスッキリしてきた。一九二七年に、ハイゼンベルクが「不確定性原理」を提唱してからは、量子力学もより進歩した。それ以前を古典にしてしまうほどに。となれば、「不確定性原理」についても語りたいところだけど、その衝動は抑えよう。ぼくには正確に説明する頭脳はないしね。それよりも、そろそろ、年代的に、反物質の存在が唱えられた時期に来ているので、話を反物質に戻したいんだけど…… 日本人として忘れてはならない人物がいるので、反物質の話は、もうちょっと待っててね。

 科学者たちは、なぜ原子核が安定して存在しているのか謎だった。だって、陽子はプラスの電荷を持っているから、原子核のような小さな場所に閉じこめられたら、互いに反発しあって分解しそうなのに、原子核は簡単には分解しないのだ(ウランなどの放射性物質はべつにして)。

 そこで、われらが、湯川秀樹が登場した。この眼鏡をかけたオッサンは、一九三五年に、陽子と中性子が粒子をやりとりして、それが原子核を壊れずに保たせている原因だと考えた。湯川は、それを『中間子』と名付けた。それは、翌年の一九三六年に、遠く宇宙から降り注ぐ、宇宙線を調べていた、アメリカの物理学者、カール・ディビッド・アンダースンによって発見された。

 ところが……

 残念ながら、アンダースンが発見した中間子は、湯川が、彼の中間子理論で計算したモノより、かなり軽かった。それから、しばらくはなんの進展もなかった。十一年後の一九四七年、イギリスの物理学者、セシル・フランク・ポウエルによって、湯川が予言したとおりの中間子が、やはり宇宙から降り注ぐ、宇宙線の中から発見された。アンダースンが最初に発見したのは、中間子が壊れて、軽くなったべつの種類の中間子だったこともわかった。だから、軽い方を、ミュー中間子、湯川が予言した重い方を、パイ中間子と呼ぶことにした。これらはふつう略語で、「ミューオン」、「パイオン」と呼ばれている。(現在、ミューオンは中間子ではないことがわかっているので、ミュー粒子と総称して呼ぶ)

 やっと中間子理論の正しさが実証された湯川は、一九四九年、日本人としてはじめてノーベル賞をもらった。おめでとう、湯川博士!

 と、これを書きたくて(だって、ぼく日本人だもん)、時代を先に進めすぎちゃった。時計を、一九二八年まで巻き戻そう。

 イギリスの物理学者、ポール・エイドリアン・モーリス・ディラックは、原子の構造を子細に検討していた。彼は、電子がなぜ1/2のスピン(スピンとは、単純な回転ではないんだけど、まあ難しい話はやめよう)を持っているのかに注目して、それを数学的に説明した。すると、その理論から、電子にはパートナーとなる粒子があるはずだと予想できた。そのパートナーは、電子とはまったく逆の電荷を持っているはずだった。反電子、すなわち陽電子だ。なんとも、壮大な妄想ではないか。ところが、彼の理論は、量子力学と特殊相対性理論のどちらとも整合性があるはじめてのものだったから、つまり、かなり正しそうなのだ。

 そう。ディラックは正しかった。

 一九三二年。のちに、ミューオンを発見することになる、アンダースンが、プラスの電荷を持つ電子を発見した。反電子だ。これで、ディラックの理論が正しいことが裏付けられた。これによってディラックは、一九三三年にノーベル賞をもらった。

 その後も、いろいろな粒子の反粒子が発見されたんだけど、それらは、みんな軽い粒子だった。陽子のように、原子核を構成するような、重い粒子の反粒子は発見されなかった。まあ、べつに発見されなくてもディラックの理論が間違っているとは思えないんだけど、それでも、発見できるに越したことはないし、じっさい、科学者は、そういうモノを発見したくてしょうがない人種なのだ。

 でもね。重い粒子の反粒子は、たとえどこかに存在するにしても、何億分の一秒という短い時間でこの世から消えてしまいそうだから、とても発見できそうになかった。

 ではどうするか。自然に存在しないのなら、作っちゃえばいいじゃないか!

 ここでアインシュタインを思いだそう。彼は、一九〇五年に、特殊相対性理論を発表して、そこで、質量とエネルギーは、同じモノだと主張した。繰り返しになるけど、もう一度書こう。アインシュタインはそれを、E=mcという、いまや超有名になった簡素な式で表してみせた(Eはエネルギー、mは質量、cは光速)。

 エネルギーと質量が等価だって?

 いや、その理論を説明しろと言われても困るから、難しい話はなしにしよう。とにかく、アインシュタインの理論の正しさは、すぐに実験によって確かめられたから、アインシュタインは、すぐさま、世界でもっとも有名な科学者になったとだけ覚えておいてほしい。

 というわけで、質量とエネルギーは等価なんだから、科学者には、エネルギーから、物質が(同数の反物質も)誕生することがわかっていた。もちろん、少しでも正気のある科学者なら、アインシュタインの理論が正しいと信じて疑わなかったから、ものすごくお金のかかる装置を作って、エネルギーから物質を作ってみる気になった。

 その、ものすごくお金のかかる装置は、一九五四年の三月に、カリフォルニアに完成した。その装置は、「ベバトロン」と名付けられた。

 ベバトロンは、完成後すぐに、反物質を作る目的で動かされた。陽子を加速させて、六・四ギガ電子ボルトというエネルギーを加え、それを銅の的にぶち当てれば、反陽子が飛び出てくるはずだった。理論上は。

 その実験の責任者は、イタリア生まれの物理学者、エミリオ・セグレと、アメリカ人のオーエン・チャンバレンだった。彼らは、六十回もベバトロンを運転して、一九五五年の十月に、ついに反陽子を作り出すことに成功した。

 ところが、その反陽子は、それがたしかに作られたことを検出するには十分な時間だけ存在していたけれども、もっと子細に研究するには、短すぎる寿命しかなかった。つまり、できたとたん、あっという間に消えてなくなっちゃったのだ。

 いったい、どこに消えたんだろう?

 科学者には、その答えがわかっていた。反物質は、物質と接触すると、対消滅してエネルギーに戻ってしまう。そして、この世は物質だらけなので、装置の中で作られた反物質は、すぐに物質と出会って、対消滅してしまったんだ。

 だったら、装置の中を真空にすればいいじゃないか。

 まあ、そうだけど、真空を作るのは、ものすごく大変な仕事なのだよ。いや、ぼくは作ったことがないから、科学者の苦労は推して知るしかないけど、とにかく大変なのだ。それに、高度の真空を作ったとしても、反物質を、その真空の中に浮かべておかなくちゃならない。これは、現代の技術を持ってしても、容易なことじゃないんだ。そういう装置を、ヨーロッパ合同原子核研究所のシモン・ファン・デル・メールが作ったわけなんだけど、まだまだ、何分とか、何時間という単位で、反物質を保存しておくことはできない。

 とにかく反物質ができることはわかった。しかも、理論通り、反物質を作ると、物質も同時にできることがわかった。ここで、頭を悩ませたのは天文学者だった。なぜ天文学者が、悩まなきゃいけないんだ?

 いや、考えてみると、彼らが頭をかきむしる理由がよくわかる。というのは、この宇宙がビッグバンで始まったことを彼らは疑っていない。そして、そのビッグバンのエネルギーから、物質が作られた。とすると、それとまったく同じだけの、反物質も同時に作られたわけで、それらは接触したとたん、対消滅してエネルギーに戻ってしまう。だったら、なんで、いまこの宇宙には、こんなにもたくさんの物質があるのか?

 ふう……

 やっと、最初の約束通り、この大問題まで戻ってきたぞ。はたして、この大問題の回答をぼくは解説することができるだろうか。

 無駄と知りつつも、挑戦してみよう。

 じつは、この問題の答えは、完全には出ていない。説得力を持って説明できる理論はあるけれども、まだ証明はされていない。その理論を説明するためには、陽子が、もうそれ以上分割不可能な究極の粒子なのではなく、さらに「クォーク」と呼ばれるモノに分割できることを説明しなければならない。

 一九六〇年代。ベバトロンのような粒子を加速させる大がかりな装置で、さまざまな実験ができるようになった。すると、科学者が思っていたよりずっと多くの種類の粒子が存在することがわかった。これは、いままでの理論では説明できないことだった。

 そこで科学者は「クォーク」というものを考え出した。陽子は、究極の最小単位ではなくて、さらに「クォーク」に分割できると考えたんだ。そうすると、数百種類にも及ぶ粒子の存在を説明するのに便利そうだったからね。

 ところが、クォークは発見されなかった。いや、発見されてはいけないんだ。というのは、理論では、クォークは単独では陽子の中から取り出せないことになっているからなんだよ。でも、クォークが介在していないと説明できない現象を観測することはできる。そのような方法で、クォークの存在は認められた。そして、一九九五年までに、六つあるはずのクォークがすべて確認された(日本も、トリスタンという加速器で最後のクォークを発見しようとがんばったけど、加速器の設計を間違えて失敗しちゃった。残念)。

 さて。ビッグバンの直後には、宇宙はクォークで満ちていた。このクォークにも、反クォークが存在する。だから、まったく同じ数のクォークと反クォークが存在していた。ここまではいい。問題は、なぜ反クォークだけが消えてしまったかだ。

 一九六七年。ロシアの(当時はまだソ連だった)アンドレイ・サハロフが、その問題の答えを考えついた。彼は、ぼくの頭脳では、南部火星語で書かれたとしか思えない、超難解な理屈によって、クォークと反クォークは、微妙に物理法則が違うらしいことに注目した。その微妙な違いによって、反クォークがすべて消え去った後に、クォークが、ほんのちょっぴりこの宇宙に残ったらしい。その残ったクォークで陽子が作られ、原子が作られ、分子が作られ、最終的に、われわれ人間も作られた。らしい……

 まあ、この程度の説明で許してください。これ以上は、ぼくにも理解できない。ただ、クォークと反クォークの微妙な違いを「CP対称性の破れ」と呼ぶことだけは書いておこう。そしてもう一つ。早野教授たちが作った、反水素原子が、これらの理論を検証する手段になると期待されていることもつけ加えておこう。興味のある方は、ご自分で、より詳しく調べていただきたい。

 そろそろ、科学の歴史を語るのも疲れてきたね。読む方はもっと疲れたんじゃないかな。だから、ここから先は、小説サイトらしく、SFチックな話をしよう。

 もしも、大量(何キロという単位)の反物質が作られて、それが、安全に保存できるようになったとしたら、これは、じつはとんでもないことが起こる。エネルギー革命だ。

 アインシュタインが、質量とエネルギーは同じモノだとする、E=mcという有名な公式を紹介したよね。反物質と物質は、互いに接触すると、そのすべての質量がエネルギーに代わる。これがどれほどすごいことか想像できるかい?

 できない? じゃあ、厚かましくも、ぼくが教えてあげよう。

 薪を燃やすことを考えてみよう。木はセルロースでできているけど、けっきょくのところ、炭素と水素と酸素の化合物だと言える。薪に火をつけると、炭素が酸素と結合して二酸化炭素になる。そのときエネルギーが出る。水素も酸素と結合して水になる。このときもエネルギーを放出する。

 石油も同じだ。たとえば、車を動かすガソリンも、同じような化学反応でエネルギーを取り出して動いている。

 さあ、いままでクドクド説明してきたことを思い出してほしい。エネルギーと質量は同じモノ(等価)だから、ガソリンを燃やすときにエネルギーが出るってことは、じつは質量がエネルギーに代わっているんじゃないのか?

 そのとおり!

 ガソリンが燃えるとき、その質量の二十億分の一が、エネルギーに変化しているんだ。いいかい、二十億分の一だよ。たったこれっほっちの質量をエネルギーに変えるだけで、われわれは、車を動かし、多少熱量が高い燃料を使っているとはいえ、飛行機さえも飛ばすことができる。

 ところが、人類は化学反応より効率のいいエネルギーの取り出しかたを発見した。それは原子力だ。ウラン原子が崩壊するとき、その質量の七百分の一が失われて、エネルギーに変わる。

 七百分の一だぜ! 木や石油を燃やすときの、二十億分の一と比べて、原子力がどれほど効率がいいか計算してほしい。

 え? めんどくさい?

 じゃあぼくが変わって計算しよう。なんと、二五〇万倍も効率がいいんだ。比較できないほどすごい差があるとき、ぼくらはよく、桁違いという言葉を使うけど、まさしく桁が違いすぎる。それほど、原子力は効率がいい。でも、そんな計算じゃ、実感がわかないと言う人のために、こんな計算をしてみよう。

 もしも、1gのウランを核分裂させるのと同じエネルギーを、ガソリンの燃焼で得るとしたら、どれだけのガソリンが必要か。答えは、二五〇万gだ。つまり、2.5トンのガソリンが必要になる。ガソリンの比重を、0・7だとすると(種類によって異なる)、その総量は3250リットルになる。あなたの車に、65リットルのガソリンが入るとすると、50回満タンにできる。それと同じことを、1gのウランがやってくれるのだ。たった、1gだよ。

 だからこそ、広島と長崎に悲劇が起こった。どんなに高性能の爆薬でも、けっきょくは化学反応だから、核分裂の効率の良さには及ばない。原子爆弾は、武力を求める国にとって、あまりにも魅力的な兵器なのだ。

 幸いにも、人類は核分裂を爆弾ではなく、発電に使う知恵を学んだ。俗に言う原子力の平和利用だ。ところが、原爆によって放射線の恐ろしさを、イヤと言うほど知っているはずの日本で、臨界事故が起こった。その悲劇を知っても、なお東京電力は(ほかの電力会社もすべて)、原子力発電所のトラブルを隠し続けた。

 まあいい。このエッセイではそのことを論じるつもりはない。エネルギーの話に戻ろう。

 じつは、核分裂でも、まだまだ、効率が悪い。だって、たった、七百分の一の質量しか使ってないんだから。

 もっと効率がいいのは、核融合だ。今度は原子核を分割するんじゃなくて、くっつけるわけ。これは、わが太陽の中で起こっている反応だよ。これだと、質量の110分の1がエネルギーに代わる。つまり、核分裂よりも、さらに、6・5倍も効率がいい。

 さて、またガソリンと比較しよう。1gの水素を核融合させるのと、同じエネルギーを得るのに、ガソリンはどれだけ必要か。答えは、21125リットル。あなたの車に65リットル入るとすると、325回満タンにできる。

 これで、核融合が、いかに効率がいいかわかる。太陽が核融合で、あれほど熱く燃えてるわけは、この効率の良さが原因だったわけだ。

 ところが、ここでもまた悲劇が起こった。われわれ人類は、その核融合を使った爆弾を製造することに成功した。それは水爆と呼ばれている。広島型原爆と同じ質量を積んだ水爆なら、単純に計算して、6・5倍の威力がある。

 不幸にも、われわれはまだ、核融合発電を実用化していない。もしも、太陽と同じように、水素を核融合させられるとしたら、それはとてもクリーンな発電所になるはずだ。水素の核融合でできるのは、ヘリウムだけだから。

 ところが、そうは問屋が卸さない!

 じつは、水素を核融合させることは、地球上では不可能だと思われている。もっと重い原子でないと、核融合に点火させるだけの十分な圧力が得られないから。そこで、水爆にしろ、研究中の核融合発電にしろ、水素原子に中性子がくっついた、アイソトープ(同位体)を使うのが一般的だ。水素のアイソトープには、中性子が一個ついた、重水素(デューテリウム)と、中性子が二個ついた三重水素(トリチウム)がある。これらを核融合させるわけなんだけど、残念なことに、重水素も、三重水素も、核融合するときにできるのはヘリウムだけじゃない。余分にくっついた、中性子が、表に飛び出て来ちゃうんだ。言うまでもなく、人間が中性子を浴びると死んでしまう(少量だったら、即死はしないけど、まあ、白血病になったりガンになったりして、けっきょくは死期を早める)。もちろん、核融合炉は、中性子を遮蔽するように設計されるだろうから、人間が直接、中性子を浴びることはないはずだけど、核融合炉そのものと、遮蔽物(おそらくコンクリート)は、中性子によって徐々に放射化する。つまり、いまの原子炉と同じように(程度は低いかもしれないけど)、放射能に汚染されてしまうんだ。さらに申し上げると、三重水素(トリチウム)は、天然にほとんど存在しないから、発電に使うほどの量を確保するためには、原子炉で、トリチウムを生産しなければならないだろう。原子炉をなくすために研究している核融合を使うためには、原子炉が必要になるなんて、なんという皮肉だろう……

 とはいえ、ウランの核分裂より、中性子の発生量は少ないはずだし、効率がいいぶん使う燃料の量もずっと少なくていい。その意味では、原子力発電よりもずっとクリーンな技術だろう。原理的に、臨界事故のような、恐ろしい事故も起こらない。だからぼくは、いろいろ問題はあるにせよ、増え続けるエネルギー需要を解決する手段として、核融合発電の実用化を一日も早く実現させるのが、もっとも現実的な回答だと思う。

 なんか、話が脱線してるなあ……

 では、いよいよ、究極のエネルギー源に登場願おう。言うまでもなく、それは反物質だ。これだったら、質量のすべてをエネルギーに変換できるから、なんと核融合の――太陽よりも――110倍も効率がいい。

 またガソリンと比べよう。1gの反物質を消滅させるのと同じエネルギーを得るには、なんと、驚くなかれ、2323750リットルのガソリンが必要になる。あなたの車が65リットル入るとすると、35750回満タンにできる。もしも、月に10回ガソリンを満タンにする人がいても、35750回満タンにするには、約300年かかる。

 言い換えると、月に10回、ガソリンを満タンにする人でも、反物質で動く車に乗れば、その車に、1gの反物質と、1gの物質をタンクに入れておくだけで、300年も無補給で走らせることができるわけだ。(計算間違ってないかな。ドキドキ)

 さて。以上のことから、遠い未来に、反物質を十分な量を製造できるようになって、それを十分に長い間貯蔵できるようになったら、人類は二度とエネルギーの供給源に悩むことはなくなるだろう。二酸化炭素を出す火力発電所も、自然の川を破壊する水力発電用のダムも、何百万年も消えない放射性物質を残す原子力発電も、まだ実用化されてはいないけど、おそらく、中性子で汚染される核融合発電も、とにかく、危険な発電設備はいっさい必要がなくなる。どうやら、バラ色の未来じゃないか。

 本当にそうかな?

 人類は、物理学で許された、究極の反物質爆弾を作らないだろうか? ぼくは作るほうに賭けるね。いまの技術では、反物質を1g作るのに、数十億年かかるから、反物質爆弾の心配をする必要もないんだけど、もしも、すべての技術的問題が解決して、反物質を大量に短時間に作れるようになったとしたら、反物質は兵器にこそ利用されるだろうね。

 だって、考えてもごらんよ。反物質を作るのには、エネルギーが必要なんだよ。効率100パーセントで反物質を生産できたとしても、作った反物質が物質と対消滅して放出するエネルギーと、同じ量のエネルギーが必要なんだ。

 わかるよね? 反物質で発電所を作っても、その発電所で得られるエネルギーのすべてが、新しい反物質を作るのに使われるってわけさ。(念のために書いておくと、反物質を作るとき、物質も同時にできるから、生産には倍のエネルギーが必要になる。だけど、反物質と対消滅させる物質はこの世にいくらでもあるから、結果的に、得られるエネルギーと消費するエネルギーは同じになる)

 というわけなんで、反物質を発電に使うのは意味がない。兵器に利用するしかないわけさ。唯一、ぼくが思いつく平和利用は、宇宙船のエネルギー源かなァ。

 あなただったら、どんな利用方法を思いつくだろう? 兵器以外に。


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