頑固な電気屋さん



 エアコンのリモコンが壊れた……

 この時期、かなり肉体的および精神的ダメージの大きい出来事だ。もしぼくが、軽井沢か上高地か、まあ、どこか高原のロッジにいて、さらに、窓を開けると、さわやかな風がふわりとカーテンを揺らすようなシチュエーションだったら問題ない。

 でもぼくが、壊れたリモコンを手にして立っている場所は、土なんかどこにもない、アスファルトだらけの、東京の(ど真ん中とはいわないが)、気密性のいい、アルミサッシの窓の部屋なのだ!

 話を戻そう。

 数日前。リモコンの液晶表示(いつも現在時刻が表示されている)が消えているのに気がついた。どのボタンを押しても、うんともすんともいわない。こういう場合に、まず疑うべきは電池の消耗だ。当然ぼくも、つつましく謙虚な性格だから、いきなりリモコンが壊れたなんて考えず、電池を疑った。

 ただ、気づいたタイミングが悪かった。すでにぼくはジャワーを浴びたあとで、寝間着に着替えていた。髪も濡れたままだ。いまから、髪を乾かして、服に着替えて、コンビニまで電池を買いにいく元気はなかった。幸い、そんなに暑くもなかったので、その日の晩は、扇風機でしのいだ。

 翌日。仕事の帰りに、電気製品の量販店(ビックカメラ)で、単四の電池を購入して帰って、電池を入れ換えたら、みごとリモコンは復活。これで、おやすみタイマーをつけて快適に夢の世界に旅立てるというものだ。

 ところが……

 二日ほどすると、またまた、リモコンの液晶が消えている。

 な、なぜだ? 電池は取り替えたばかりだぞ。念のため、入れ換えた電池の有効期限を調べたら、「04-2004」と書いてあった。これって、2004年の4月まで、大丈夫って意味だよな? そうだよな? つぎのワールドカップまでは持たないけど、つぎのオリンピックまでは保存できるってことだよな?

 なのに、なんで? 大量に電気を消耗する機器なら、二日どころか、二時間でも持たないかもしれないけど、エアコンのリモコンだよ。二日でなくなるか?

 むーう。まさか、壊れたか?

 それでもまた、ぼくは、つつましい性格だから、やっぱり、電池だろうと思うことにして、コンビニに電池を買いにいった。

 交換。

 すると、液晶表示が復活するではないか! もちろん、ちゃんとエアコンも動く。ああ、よかった。と、このときは事態を深刻には考えなかった。(人間なんて、そんなものさ)

 そして、また二日経つと……

 ぎゃーっ! リモコンの液晶が消えてる! もちろん、エアコンも動きません!(正確にいうと、そのリモコンで、エアコンが制御できない)

 というのが、本日の午後四時の出来事だ。

 イカン。これはきっと、電気を食べるのが好きな精霊のしわざだ。それとも、イタズラ好きの妖精の遊びか? なんて、真剣に考えたりすると、蒸し暑さに頭がやられちゃってる証拠なので、かなり危険なのだが、もちろん、ぼくは……

 リモコンが、壊れてるんじゃないか!

 と、叫びましたとも。ええ。まだ頭は大丈夫ですよ。

 ぼくの頭は大丈夫なんだけど、リモコンは病院に連れて行かなければならない。とはいえ、エアコンを買ったお店は、うちの近くじゃないのだ。量販店で買って、引っ越しと同時に、いまの部屋に取り付けてもらったのだ。

 うーむ。近くで、大きな電気屋といえば、駅前に第一家電があったんだけど、あそこは(先月だか、先々月だかわすれたけど)つぶれちゃってるし……

 余談だけど、その第一家電で、三年ほど前にMDプレーヤーを買った。前のプレーヤーが、一年ちょっとで壊れたから、そのときは、第一家電の長期保証に入った。五年間保証期間が伸びるというやつだ。けど、お店自体がつぶれちゃったら、あの長期保証は、どうなるんだろうね。余談終わり。

 話を戻そう。

 どうしよう…… うーむ。と、考えていると、駅からうちに帰る途中に、小さな電気屋さんがあることを思い出した。ここに越してきてから七年か八年経つが、失礼ながら、一度も、利用したことがないお店だ。

 まあ、とにかく、その店に行ってみよう。その場で直るとは思えないけど、エアコンのメーカーに修理に出すなり…… いや、修理は却下だな。エアコンが、まったく使えなくなっちゃうのは、非常にマズイ。電池を入れれば、二日は使えるわけだから。なんとなれば、使うときだけ電池を入れて、ふだんは抜いといたっていい。

 でも、これから、ずーっと、そういう生活では不便なので、新しいリモコンを取り寄せてもらおう。そう決心して、そのお店に行った。

 店の前に立つと、本当に小さなお店だった。いや、お店というより事務所だ。ガラス戸から中をのぞくと、一応、テレビが二台と、オカマ(性転換した男性ではないよ)が一台、ディスプレイされているけど、あとは、なにかを修理する作業台と、灰皿の乗った、小さなテーブルがあるだけだった。

 ぼくは、ガラガラっと、ガラスの引き戸を開けて、お店の中に入った。

「すいませーん」
 と、声をかけると、店の奥(あきらかに、ふつうの家庭の台所)から、お婆さんがでてきた。あるいは、老けて見えるオバサンというべきか…… ううむ。よくわかんないけど、七十は超えてそうだよなァ。やっぱ、お婆さんというのが正しいんだろう。
 いや待て。ぼくだって、オジサンと言われたら、腹が立つよな。お婆さんなんて言っちゃ失礼だ。うん。お婆さまと呼ぼう。(どっちにしても失礼だが)

「はい、なんでしょう?」
 と、お婆さま。
「じつは、エアコンのリモコンが壊れちゃったんですよ。こちらで、新しいリモコンを取り寄せてもらえないかと思いまして」
「電池は交換しましたか?」
 おお! さすが電気屋さん! よくぞ聞いてくださいました。というか、電池がなくなって、壊れたと思うお客さんが多いんだろうね。
 ぼくは、得意気な顔にならないように気をつけながら答えた。
「もちろんですとも! しかも二回もね!」
「はあ? 二回もですか?」
「そーなんですよ。電池を入れても、急速に電気がなくなっちゃうんです!」
 ぼくがそう答えると、お婆さまったら、あきらかに不審そうな顔で言った。
「あのね、電池を交換するといってもね、ちゃんと、新しい電池を入れなきゃダメよ」
 お婆さまはの口調は、なんだか小学生の孫に、赤信号は渡っちゃダメよと教えてるように聞こえた。
 新しいとも! 買ってきたばかりの電池なんだから、二回とも!
 ぼくは、心の中で、そう叫んだあと、頭の中で同じセリフを、社会常識というフィルターを通してから、お婆さまに答えた。
「いや、買ってきたばかりの電池なんですよ。もちろん、二回とも」
「そんな、故障聞いたことないわ」
 産業革命の時代から電気屋さんをやってるようなお婆さまが聞いたことがないんだから、ぼくだって、もちろん、聞いたことはない。
「いや、でもね、本当なんですってば。二回とも、まったく新しい電池を入れたのに、二日でなくなっちゃうんです。電池が」
「そんな、バカなことあるかしらねえ」
「あるんですってば」
「困ったわねえ」
「困ってますよ、十分。そこでものは相談なんですが、こいつの新しいのを取り寄せてもらえませんかね?」
 なんで、相談しなきゃいけないのかわかんないけど、まあ、そんなような意味のことを、ぼくは、お婆さまに申し上げた。
 ところが。
「困ったわねえ。いま、主人が出かけてていないんですよ」
「ご主人?」
 お婆さまのご主人…… この場合、意味はふたつあるな。この電気屋さんの店長(というか社長かな?)。という意味と、文字通り、お婆さまのハズバンドという意味。つまり、その両方を、いっぺんに兼ね備えた人物のことをいっているのだろう。どんなジイさんなんだろう…… 一抹の不安がよぎるなァ。
「お客さん、おうちは近いの?」
「ええ。歩いて、五分ぐらいの所です」
「そう。じゃあ、じきに主人が戻ってくるはずですから、帰ってきたら電話するわ」
「そうですか…… うーん。じゃあ、お願いします」
 一瞬、もう、けっこうです。と、いい掛けたんだけど、ぼくは、電話番号を告げた。
 お婆さまは、電話番号をメモしながらいった。
「このリモコンは、お預かりしますよ」
「ええ。では、よろしく」
 ぼくは、ペコリと頭を下げて(ぼくがお客なんですが)お店をでた。帰る途中、ちょいとコンビニに立ち寄り、新しい電池と、ペプシコーラを購入して家に戻った。新しい電池を買ったのは、どうせ、その場では直らないと思ったからだ。

 で、家に戻って、三十分もしないうちに電話がかかってきた。

「○○○電気です」
 おジイさんの声だった。まあ、予想していたとおりだ。
「いまね、電池の電圧みたけど、一ボルトになってるね」
「でしょ。電池がすぐなくなっちゃうんですよ」
「でもね、中を開けてみたけど、どこも、変なところはないですよ」
「いや、そういわれても……」
「とにかく。うちで、新しい電池入れたから、取りにきてもらえます? 電池代三百円だけでいいですよ」
「え? 電池はいま買ってきちゃったんですけど」
「うちの電池で試してみてほしいんですよ」
「は、はあ。そうですか」
 ううむ。まがりなりにも、なかを開けて検査(どこを検査したか知らないけど)をしてもらったんだろうから、まあ、手間賃として、電池代三百円はしょうがないか…… このお店で買ったエアコンじゃないんだから、電池代だけなのは良心的なのかも。

 ほんのちょっぴり、割り切れない思いを胸に抱きながら、もう一度、そのお店を訪問した。すると、予想していたよりかは、少しだけ若く見えるジイさんがいた。どうやら、奥さんのほうが年上だな。姉さん女房だ。なんて、ことはどうでもよろしい。

「リモコンで、電話をもらった者です」
「ああ、どうもどうも。これね、中あけて、アルコールで拭いてみたけど、それ以上はどうにもできないですな」
「アルコール? そうですか。それで直ればいうことないですね」
「うーん。直るっていうかね…… お客さん、電池は新しかったの?」
「抜いた電池の、有効期限はご覧になりましたか?」
「うん。期限は大丈夫みたいだね。どこで買った電池なの?」
「コンビニです」
「ああ、コンビにはねえ。コンビニはたまに、消耗してる電池を売ってるんだよ」
 ホントかよ!
 と、心の中で叫んだけど、まあ、そこは穏やかな声で反論してみた。
「さっき、奥さんにも話しましたけど、これで二回目なんですよ。最初は、量販店で買った電池を入れたんです。それも、ちゃんと有効期限がありましたよ。つまり、二回も新しい電池を入れ換えてダメだったんだから、ぼくとしては、そのリモコン自体の故障だと思うんです」
「うーん。そんな故障、聞いたことないよ。液晶が消えちゃう故障はあるけどね」
「というと?」
「リモコン自体はね、ちゃんと動く。それでエアコンも動く。でも、液晶が消えちゃってるから、自分がなにをやってるか、わかんないんだよ」
「はあ? ああ、なるほど。それも困った故障ですね。でも、ぼくのは、電池を入れれば、二日間は動くんですよ。液晶もちゃんと表示されます」
「うん。そうらしいね」
 おジイさんは、ぼくのリモコンを見ながらいった。
「いいかね、お客さん。これよく聞いて」
 おジイさんは、そういいながら、作業台の上にある、ラジオみたいな機械のスイッチを入れた。そして、その前で、リモコンのボタンを押すと、ビーッという、耳障りな雑音が、機械のスピーカーから聞こえる。
「ね。こうやってね、なんか信号が出ると、わかるわけ」
「なるほど」
「でね。電池が消耗するってことは、このリモコンが、常に動作してる状態なわけなんだよ。そうじゃなきゃ、電池はなくならないでしょ?」
「ええ、まあ」
「ところがね。ほら、こうして、なにもリモコンのボタンを操作してないと、雑音が聴こえないでしょう?」
「聞こえませんね」
「ってことはね、お客さん。このリモコンはね、いま動いてないわけよ。この状態でね、電池が消耗することはないわけ」
「アルコールで拭いたから、直ったんじゃないですか?」
「そんなことないよ。拭く前にもチェックしたんだから」
「いや、でも、じっさい消耗したんですよ」
「うーん。なんていうかなあ。そんなことは、あり得ないんだけどね。たぶん、電池がダメだったんだね。だから、うちで入れた電池で使ってもらえば、大丈夫ですよ」
「だから、ぼくが自分で入れたのも、新しい電池だったんですよ」
「なんかの理由で、消耗してたんだよ、最初から」
「二回とも? べつのお店で買った電池が、たまたま?」
「うーん…… まあ、そうなんだろうねえ」
「ぼくには、そっちのほうが考えられないなあ」
「でも、そうなんだよ」

 おジイさんは、断言いたしました。どう言っても、信じてもらえない。幽霊を見たとか、空飛ぶ円盤を見た人も、こういう気分を味わってるのだろうか。

「そうですか……」
 ぼくは、説得をあきらめた。
「えーと、三百円でしたね。領収書ください」
「はいはい。領収書いる?」
「ください。せめて……」

 まあね。リモコンが壊れたと思い込んでいるお客さんに、新しいリモコンを買わせるなんて、無駄なことをさせたくなかったのでしょう。それはわかる。たいへん良心的だ。

 けど……

 割り切れないなあ。なんで信じてくれないんだろうなあ。

 さて。強制的に買わされた電池を入れてもらったリモコン君は、まだ動いている。はたして、ぼくが間違っていたのか。やはり、餅は餅屋で、頑固なジイさんが正しいのか。その結果は、二日後に出る!


 え、もう結果が知りたいの?

 しょうがないなあ。では、教えましょう。いままでのお話は、じつはきのう(土曜日)のことで、なんと二日は持つと思っていた、頑固な電気屋さんで買った(買わされた)電池は、すでに消耗をはじめて、電池交換を示す警告が点滅し始めました!

 そうなのです。やっぱりぼくが正しかった!

 こういうのを、試合には勝ったけど、勝負には負けたというんでしょうか…… だって、電池代とられて、新しいリモコンも買わなきゃいけないんだもんね(苦笑)。


≫ Back


Copyright © TERU All Rights Reserved.