シュメールのこと




 さあ、いよいよギルガメシュ叙事詩の後半です。いいかげん、終わらせましょう、このシリーズ。ぼくは脱線が多すぎるから終わらないんだよな。反省。

 と、反省したところで、さっそく脱線(おいおい……)。

 今回は、少しばかりこの地域の歴史的背景を語りたいと思います。じつは、歴史的背景を、最初に書いときゃよかったと、マジで反省してます。歴史の背景を知らずに読むのと、知って読むのとでは、神話の(ギルガメシュ叙事詩)おもしろみが、ぜんぜん違う。だから、こまめな脱線でフォローしようと思っていたのですが、過去に二回このエッセイを書いて、そういう手法で紹介できるほど簡単じゃないと思うに至りましたので、ここに大脱線して、歴史を語っておきたいと思います。

 歴史? そんなの読みたくない。って思われた方。どうか、辛抱してお付き合いください。大丈夫。わたくしTERUが、教科書のような歴史を書くわけない。

 と思う……





BC8000
第四氷河紀が終わる。
ホモサピエンスが、急速に世界中に拡大。当時の人種は、モンゴロイド(東ユーラシア)、ネグロイド(アフリカ)、コーカソイド(西ユーラシア)の三大人種が中心。

それまでの氷河期では、人類の文化の発達は、非常に緩慢でした。まあ、生きるのに必死で、文字を発明したり、文学を作ったりする余裕がなかったと思われます。ところが、気候が温暖になり、作物がよく採れるようになると事情は変わる。芋なんかは、ほっといても根っこが伸びて増えるから、たぶん、そういう単純な「農耕」はかなり早い時期からあったでしょう。ちなみに、牧畜は農業の発明より、さらに千年ぐらい早く(すでに氷河期時代から)始まってたみたいです。

で、いま現代人も美味しくいただいている麦ですが、こいつには、人類に農業を思いつかせる秘密があったのです。メソポタミアのような乾燥地帯には多年草が存在できませんが、幸いなことに雨季がありました。

雨季。この映像をテレビでご覧になったことありますか? とにかく雨が降って、乾燥した大地が、まるで川のようになります。すると、植物が、ぶわーっと生える。とくに麦のような植物は、地中に埋まって硬い殻で種子を守り、この雨季に一斉に芽を出すんですよね。つまり群生する。それを見つけたホモサピエンスは、さぞ喜んだでしょうね。そして、この群生する習性をコントロールできたら、もっと素晴らしいと思った。こうして、農業が発達したと推察されます。

そうなんです。「麦」を栽培していたのが、メソポタミアの農業の特徴であり、かつ高度な文明を発達させる下地になったのです。麦は一年に一度しか収穫できませんが、とにかく大量に収穫できる。そして保存性もよい。

で、そうなりますと、当然、養える人間の数が増えるので人口が増加する。作物の育ちやすい土地は限定されるので人はそこに集まり町が作られる。いよいよ文明(civilization)が発達する素地が出来ました。

すべての人間が「作物を採る」という、作業に従事しなくてもよくなるので、知的生産活動を始める人間が出始める。そう。文字を発明したり、その文字を使って物語をつくりだすような。こうして文化(culture)も発達していった。

わざわざ文明文化を分けて書いたの、気づいていただけました? しかも英語までつけて。少しばかり学術的にエッセイなんか書いてますとね、こういうところ気になっちゃうんですよ。文明とはシヴィリゼイション。「市民」になること。つまり、社会が形成されていくってことですね。文化はカルチャー。教養です。ここには大きな違いがありますね。日本は、文明は進んでいるけど、文化が進んでいない(大切にしない)ような気がしてなりません。美術館とか少ないし、開館時間も短い。国会図書館なんか、平日しか開いてないもんね。ふつうの人は、仕事をしてて、平日なんか行けないちゅうの!

えらく脱線したな(苦笑)。

さて。町が作られ、人々が豊かになると、その土地を奪い合う、大規模な部族衝突。つまり「戦争」も、同じ時期に発明(?)されてしまいました。残念。



BC6500
「ジャルモ(イラク)」「アリコシュ(イラン)」「イェリコ(ヨルダン)」などの集落が出来る。

いよいよ、集落と呼べるものが登場です。これ以前にも、いくつかあったでしょうが、現存する(というか発見された)集落の跡は、あまり多くないです。なにせ時代が古いし、洪水もあったし、侵略もあったしで、かなりの集落が、歴史の闇に消えてなくなったと思われます。

このころの集落の遺跡には、もちろん、農業を行っていた証拠が残ってます。さらに、彼らは象形文字などを作ったらしい。しかし、彼らはまだ国家と呼べるような統制制度はなく、遊牧民が農業によって土地に定着した。って程度のものだったでしょう。でも、これから先、現代にいたるまで人間の精神に多大な影響をおよぼしている「神」という観念はすでに、かなり浸透していたはずです。自分たちに理解できない現象(たとえば洪水とか)は、ぜんぶ神様のしわざだった。


BC4000
どうも、このころ大規模な洪水があったらしいです。メソポタミアは洪水が少なくないのですが(というか、そのおかげで栄養分の豊富な土が運ばれてきて農業が発達したんですけども)、このときの洪水は、えらく規模がでかくて、それまでの集落がほぼ壊滅したようです。


BC4000-3000
それまでの集落が大洪水で滅び去ったあと、新たにシュメール人が、メソポタミアの地に移り住む。

シュメール人。じつは、彼らは謎の民族です。歴史ミステリ。

というのは、彼らには、これぞ「シュメール人」と言えるような、人種(血統)的特徴がないのです。では、なにを持って彼らを「シュメール人」と呼ぶか。それは言語です。彼らを正確に表現するなら「シュメール語を話す人たち」となります。文化的共通性を持った集団と言い換えてもいいでしょう。現代の「アメリカ人」に似ている。アメリカ人も、けっして人種(血統)的民族を差す言葉ではないわけです。

さて。このシュメール語ですが、じつは、系統が不明なのです。突如として現れた「言葉」なんですよね。

いったい、シュメール人は、いつどこでシュメール語を発明したのか。謎です。だから、「シュメール人=宇宙人」説なんて言い出す学者もいる。宇宙人に言葉を教わったのだ。いや、彼らこそが宇宙人そのものだと。あるいは、海底人だったという人もいる。たしかに、シュメールの粘土板に、鱗(うろこ)を着た人たちが海から来た。と書かれているものもあるようですが……

困ったモノです。それでも科学者かと、知性を疑いたくなりますね。そういう変な人はほっといて、シュメール人の謎に迫ってみましょう。

シュメール人の謎の大部分は、「われわれの知識の欠落」から来ています。とにかく、われわれは、彼らのことを「知らなすぎる」のです。発見されている粘土板も、ほんのわずか。巨大なジグゾーパズルの、ほんの数個のピースを見つけたに過ぎません。さらに、その粘土板にしても、「われわれ現代人」に読ませるために、書かれたものではない。われわれは、さも、全文を解読したような顔をしてますが、解読できた部分にすら、本当はなにを現しているのか、現代人には、永遠にうかがい知れない内容もあるわけです。

という前提で、仮説を積み重ねていきましょう。前に、仮説を積み重ねすぎると、真相から遠のく危険があると書きました。「宇宙人説」がいい例ですが、そこまで飛躍しないように、注意深く進めていきましょうね。

人種的特徴がないことは、すなわち、多くの民族からなる多民族集団だったことを示しています。これは、ほぼ間違いないでしょう。大洪水によって、ほとんどの集落が滅亡した土地に、それまで砂漠地帯で遊牧していた民族が、ぞくぞくと入り込んできた。これがシュメール人の「最初の形」だったと思われます。

先に書いた通り、メソポタミアでは「麦」が収穫できる。これは、本当に大量に採れるので、人間だけではなく、ついに家畜の餌にまで使えるようになった。彼らは、それまでの集落より、かなり野心的に農地を広げていった。穀物も動物性の蛋白質も豊富にあることで、シュメール人の人口は、爆発的に増加したと思われます。

これで、突如として現れたシュメール人の謎が解ける。しつこいようですが、宇宙人が宇宙船で移民してきたのではなく、一気に子供が増えたんです。それまでの人類には、考えられないようなスピードで増えたことでしょう(だから、突如という感じがしちゃう)。

しかし、人口増加だけでは、「シュメール語」の謎は説明できない。この言葉は、どこで発明されたのか。その謎を解く鍵は、彼らが多民族集団だったことではないでしょうか。人口が少ないうちはともかく、人口の増加に伴って、民族間のコミュニケーションが非常に重要になったと思われます。多民族=多言語では、具合が悪い。で、言葉は生き物ですから、わずかな時間でも(といっても、何百年という単位ですが)「共通言語」が形成されていった可能性を否定はできないと思うのです。多民族と、やはり急激な人口増加。これが、「新しい言語」の発達を促した。

待てよ。それでも、もとの言語の名残があるだろ? まったく系統不明の言語が出来上がるわけがない。と、疑問に思われたあなた。あなたは正しい。しかし、われわれが、その「もとの言語群」を知らない可能性が大きいです。遊牧民は自分たちの生活を記録に残すことは少なく、当然、彼らの「話していた言葉」は、現代ではうかがい知れない。それがいくつか混ざってできた、複雑な「シュメール語」の起源を探ることは、もはや不可能なのかもしれません。とはいえ、われわれが手に入れている最古の粘土板は、シュメール人がメソポタミアに住み始めてから、すでに千年近く経ってからのものです。この間を埋める粘土板が、これから発見されることに期待ですね。

もうひとつ。シュメール人が、なぜ神様を詳しく書き記したかも、重要なキーポイントだと思います。彼らは、それまで人々の伝承でしかなかった「神話」を体系だてていった。これは、多民族の文化的共通性を高めて、統一国家を作るためだったのではないでしょうか。過去、多くの権力者が、宗教を人民の統制に利用してきたことを考えれば、最古の文明であるシュメール人が、すでにその手法を用いていたと推察しても、間違いではないでしょう。なにせ彼らの政治を「神権政治」と呼ぶくらいですからね。

こうして彼らは、急速に人口を増やしつつ、新しい言語を発明し、共通の文化を持った「シュメール人」となったのです。

こんな感じでいかがなもんでしょう。常識的すぎてつまんない? ま、いいじゃないですか。宇宙人とか海底人とかは、フィクションの中だけに留めておきましょうよ。

さあ、先に進みましょう。ずいぶん時間を無駄にした。


BC2600ごろ
話が前後しますが、このころから、シュメール人が、集落をまとめて、巨大な都市国家を作って行くのです。これには、セム系民族の遊牧民である、アッカド人の関与が大きかったと思われます。彼らには人種的特徴があります。混血はかなり進んでいたでしょうが、基本的に単一民族と思っていいでしょう。

彼らアッカド人は、シュメール人の町をときおり襲っては、家畜や穀物を奪っていく。これに困ったシュメール人は、町に城壁を作り出します。このエッセイで紹介しているギルガメシュは、ウルクに立派な城壁を作ったことで有名な王様です。このことが、シュメールの町を都市に発展させていった一番の原因だと思いますね。略奪者も、歴史に重要な役割を持っていたのです。また、彼らは略奪者としてだけでなく、徐々に、シュメールの都市に入り込み、そこで暮らすようにもなります。ここで、混血が進んだようですが、人種的特徴を失うことはなかったみたいですね。

こうして、都市国家を発達させたシュメール人は、古くからある象形文字を改良して、くさび形文字を作ります。それまでの単純な「象形」でしかなかった文字から、「物の形」にとらわれない文字を作った意味は大きかったのではないでしょうか。乱暴な言い方をすると、象形文字は「絵」なんですね、あくまで。くさび形文字は、文字のための文字。人間の心理とか、もっと言うと哲学的なこととか、そういう複雑な内容を記することができるようになったのではないでしょうか。

ここで、いよいよ、粘土板の登場ですね。文明も文化も一気に花開く。

しかし、シュメール文化は高度に発達しましたが、各都市が、それぞれに小競り合いを続け、シュメール人による統一国家はけっきょくできませんでした。都市国家の集合体だったわけです。最後まで。ギルガメシュの治めたウルクも、非常に有力ではあったけれど、シュメールの統一国家などではなく、あくまでも一都市国家のひとつに過ぎないのです。


BC2800ごろ
このころ、また大洪水があったみたいです。


BC2400ごろ
アッカドのサルゴン王が、シュメールの各都市を制服。ついに統一国家樹立(アッカド王国)。

ついに、シュメールの統一が成されたのは、なんと、略奪者だったアッカド人によってでした。しかし、外から攻め取ったというより、シュメール人の中で、大きくなっていったと言うべきでしょう。すでにアッカド人は、シュメール文化に溶け込んでいたのです。アッカドの文化が、シュメールの文化と、ほぼ同一なのは、このためですね。発見されているギルガメシュ叙事詩も、アッカド語(くさび形文字)で書かれたものがオリジナルに近いと信じられる理由でもあります。

ところで、アッカド王国の首都「アッカド」は湾岸都市だったという記録が残ってますが、じつはこの場所、まだ発見されてないんですよ。若き考古学者諸君。あなたがたの仕事は、まだ山のようにあります。アッカド見つけたら、一躍有名ですよ。出土品をねつ造しちゃいけませんが、がんばって発見してください。歴史マニアの一人として、吉報を待っています。

しかし、アッカド王国も長くは続きませんでした。高慢なシュメール人(彼ら、相当プライド高かったみたい)は、アッカド人に従わず、ずっと抵抗を続けたし、グティ人という、野蛮な遊牧民族がアッカド王国を襲って、なかなか安定しなかったみたい。こうして衰退の道をたどる。


BC2170
シュメール人が「ウル第三王朝」を起こし、アッカドから独立します。これも、そう長くは続かない。

さあ、この辺からは駆け足で行きましょう。


BC2000
やはりセム系のアラム人がアッカド王国を侵略。バビロニア王国を作る。最初は、バビロン第一王朝。六代目の王様が、かの有名なハムラビ法典を作ったオッサン。失礼。ハムラビ(ハンムラビ)王です。

同じころ、北メソポタミアでは、アッシリア人が王国を樹立。

バビロニアとアッシリアでは、同じセム系(セム語を話す人たち)ってだけあって、言語も共通でした。アラム語です。このアラム語は長く続きますよ。ペルシャ時代も公用語として使われましたし、旧約聖書もアラム語で書かれてます。もっと驚くべきことに、なんとこの言語はまだ絶滅してません。いまもトルコ、イラク、イラン、シリアのキリスト教徒、そしてユダヤ教徒などの一部で使われてます。ぜんぶで30万人ぐらい、いるらしいです。


BC1800
アーリア系民族が、メソポタミア北部に移住して先住民を征服します。ここにミタンニ王国を作る。


BC1700
いまのトルコ辺りに(小アジア)、ヒッタイト人がヒッタイト王国を作る。


BC1500
バビロニア王国、ヒッタイトに破れ滅亡。

しかし、この後、カッシート人がヒッタイト人を追い出して、カッシート=バビロニア王国を作る。けっこう強国になります。でも破れたヒッタイト人は、滅亡したわけじゃなく、トルコ地方で巨大な王国を維持し続けます。

ところで、当時はヒッタイトよりバビロニアの方が文化的に進んでいたと考えられます。バビロニアを攻めたヒッタイト人は、ずいぶん、彼らの文化に影響受けてますね。たとえば、ギルガメシュ叙事詩も、ヒッタイト語版が残ってますよ。こいつのおかげで、アッカド語版で欠落した部分を補えたりするので、研究者はヒッタイト人に感謝してるでしょう。たぶん。

ま、それはともかく。

このころは、「カッシート=バビロニア王国」「ヒッタイト王国」「ミタンニ王国」「エジプト王国」「アッシリア王国」などが乱立。まだまだ世界帝国の誕生には遠いのです。


BC1200
このころになると、ヒッタイトとエジプトが衰退していって、またまたセム系民族が台頭してきます。アラム人はダマスカスを中心に内陸貿易を始め、フェニキア人は地中海貿易を独占した。ここでいよいよヘブライ人も、ご登場。百年ほど前(BC1300)エジプトから逃れたヘブライ人は、放浪に放浪を重ねて300年。ついに、いまのイスラエルに到達して、ここにBC1000年。イスラエル王国を作ったのでした。

とか言ってる間に、じつはアッシリアが、どんどん勢力を伸ばしてます。あっちを攻め、こっちを攻め、一時衰退し、また盛り返す。そんなことの繰り返し。


BC700
で、ついに、アッシリアが全オリエントを征服します。最古の世界帝国が誕生!

ご苦労さま。




 すいません。後半、アクセル踏みすぎましたが、だいたい、ご理解いただけました?

 年代、合ってると思うけど、もし間違いを見つけたら教えてください。直しますんで(すまんのう、学生諸君。情けないエッセイで)。

 よーし。歴史的背景も理解できたところで、ギルガメシュに戻るぞ!

 って、ところで力尽きた…… もうヘロヘロ〜 すいません。酒場の女主人のこと書くって、前回言っといて。次回こそ書きます!


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