愛するがゆえ



 突然ですが、シュワちゃんの「エンド・オブ・ディズ」という映画を見ました。おもしろかったかと問われたら、うーむ、と唸ってしまいますが、この映画を見て、ぼくは自分のエッセイで書かねばならない主題を発見しました。そう「悪魔」についてです。

 本当は日本神話の「コノハナノサクヤ」と「ニニギ」について、そろそろ書かなきゃいけないんですが、まあ、このエッセイは、自由気ままに書いてるんで、お許しくださいませ。というわけで、今回は悪魔です。

 さて。なぜに「悪魔」なのか。それは、いままで神話について書いてきたからにほかなりません。だって、神話って、神と悪魔と人間の物語だからです。ぼくが言うところの神話作家の先生方は、もちろん「神様」を主人公として、物語を構築します。ですが物語としては、わき役も必要だし、当然「悪役」も必要です。そこで産み出されたのが悪魔という存在なのです。もっと哲学的に、あるいは情緒的に解釈すれば、人間の心にひそむ「ダークサイド」を悪魔という形で表現(置き換え)したとも言えます。

 さて。悪魔の概念は、形は違えど、ほぼ、あらゆる宗教に存在します。仏教にだって悪魔はいるんですよ。当然、ヒンズー教にもあります。けっしてキリスト教の専売特許じゃないんですよね。しかし、キリスト教が「悪魔」を発達させたのは事実ですね。とくに「オカルト」と呼ばれる分野を確立した功績は大きいですよ。物語の一大ジャンルとして親しまれてますからねえ(親しまれてるのか?)。というわけで、ここでは、いわゆるキリスト教的悪魔を主題にしますね。「エンド・オブ・デイズ」を見たあとでもあることだし。

 ひとこと日本語で「悪魔」と言っても、その種類はいっぱいあります。まずは「サタン」。ご存じのかたも多いでしょうが、サタンとは、ルシファーという天使が、地獄に落ちた姿だというのが定説です。堕天使ってヤツ。蛇足ですが、なんか響きの良い言葉ですね。聖人君子より、堕ちた人って方が、親しみ沸くし。

 つぎに「デビル」。アメリカ人の発音ぽく書くと「デヴォル」。語源はギリシャ語の「ディアボロス」ですね。そういえば、アル・パチーノとキアヌ・リーブスが主演した映画の題名が「ディアボロス」でしたね。アル・パチーノの悪魔はよかった。ディアボロスって、「中傷する者」って意味だったそうで、その意味で、アル・パチーノが、キアヌを悪のサイドに引き込むため、神を批判するシーンは、まさに「ディアボロス」でした。この役者は、ホント、演説がうまい。

 話がそれましたが、デビルはサタンと同義に扱われることが多いようです。

 最後が「デーモン」。語源は、やはりギリシャ語で「ダイモーン」です。意味は「魂」です。なんで「魂」が悪魔? と疑問に思いますが、これは中世のキリスト教会の非寛容性の現れです。つまり、自分たちと違う「魂」は悪だという思想ですね。自分たちと違う魂とは、ズバリ、異教徒のことです。この非寛容の姿勢を、2000年というミレニアムにあたって、カソリックのご本家、ローマ法王であるヨハネ・パウロが神に謝ったのは、まだ記憶に新しいですよね。あれは、画期的でしたよねえ。「謝る必要なんかない」という人と、「謝り方が不十分だ」という人がいますが、ぼくは、キリスト教という、すでに確立された精神哲学も、まだ進化しているんだなって、感慨深かった。過去の過ちを認めるって、なかなかできるこっちゃないですよ。

 また、話がそれちゃった。デーモンは、サタンの手下たちと解釈されることが多いみたいですね。つまり、下っ端。

 さて。分類が終わったところで、ルシファーが天界から追放された理由を書きましょう。といっても、これはもう、オカルト作家の先生たちが、ありとあらゆる説を述べていらっしゃるので、「これだ!」という決定打はありません。そこで、ぼくが一番好きな説をご紹介しましょう。(ちなみに、ダンテやミルトンをオカルト作家って呼んだら、怒られるかなァ?)

 ルシファーは、じつは、ほかのどの天使たちより「神」を愛していたのです。愛していたって変な表現かな。尊敬していたの方がいいか? うーむ。でも「愛」の方が、しっくりくるなあ。とにかく、彼(天使に性別はないけど)は、その強烈な神に対する愛ゆえに、天使の中でもっとも位の高い地位にいました。いわゆる大天使長と呼ばれる最高位です。当然、そういう位を与えられていたわけですから、神様からも、もっとも愛されていたわけでして、唯一、神様の玉座の右側に侍ることが許されていたといいます。

 ところが……

 神は、いつもの(ホント、いつもだよね)気まぐれを起こして、人間(アダム)を作ってしまいます。しかも、人間ごときに愛を注いだわけです。さらに、神様は天使たちに、自分と同じように人間を愛しなさいと命令します。もちろん、天使たちは神様に従いました。

 が。

 ルシファーだけは、神様以外を愛せませんでした。どうしてもダメなんです。彼にとって、神という存在が大きすぎ、人間を愛するなんてできない。

 で、神様は、自分の命令に従わないルシファーを罰します。しかも、天界からの永遠の追放という極刑ですよ。ルシファーの愛の大きさを理解できんのか、あんたは。と、思いますが、けっこう神様ってボンクラで無神経なんですよ。しかも単純で自己中心的(あたりまえか、神様なんだから)。うーむ。ぼくも「ディアボロス」の才能あるかな?

 ともかく、失意のルシファーは、天界を離れ(そのとき、部下たちを引き連れて行った)、地獄を創造したと言われています。そして、神の愛を受ける、すべての人間を憎んだそうです。

 これが、サタンの誕生と地獄が作られた物語です。どうです。悲しいでしょ? 愛ゆえの悲劇。なんだかルシファー(サタン)も、いとおしく感じるじゃないですか。

 しかし、物語はさらに悲劇の度合を増します。ルシファーが追放された天界では、彼の双子の兄弟であったミカエルが大天使長になり、以後、この双子は、正義と悪として、壮絶な戦いを繰り広げることになるのです。七度目の戦いで、ついにミカエルはサタンを倒し、その魂(?)を千年間封印することに成功したと言われています。

 ちなみに、ミカエルとルシファーが双子だったと言うのも、定説というわけではありません。あしからず。

 いかがでしょう? 悪魔に対する認識も、ちょっと変わりましたか? ルシファーは人間に嫉妬しただけだって言う人もいますが、でも、それだからこそ、もっとも人間らしいじゃないですか。ルシファーは、人間の心にひそむダークサイドを映す鏡なのです。

 おあとが、よろしいようで。(そうか?)


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