代打教師 マサキ!

1


 その日。聖真女学院の教師たちは、緊急職員会議を開いていた。
「どもども」
 と、ドリフターズの加藤茶がハゲのカツラとちょび髭と丸メガネをしたような男が、居並ぶ教師たちの前で頭を下げた。
「え~、本日、先生方にお集まり願ったのは言うまでもありません。あの卒業生の三割が暴力団関係に就職するという噂の、大場鴨川高校、略して大バカ高校の男子生徒から、わが聖真女学院の生徒を、いかにして守るか。そのことについて、教育委員会の方へ相談をいたしたのは、ご承知のとおりと思います。その結果、新たな進展がございましたので、本日はそのご報告をいたしたいと思いまして、お集まりいただきました」
 し~ん。と、会議室は静まり返っていた。みな真剣に学園長の話を聞いているのだ。
 大バカ高校。ここの生徒は本当にタチが悪い。十七歳の青年の犯罪が急増している昨今、教師といえども、うかつに注意もできないのだ。最悪の場合、生死に関る。
「え~、教育委員会の方でも、昨今の、狂暴な男子高校生問題には手を焼いており、なんと文部省の専門委員会を紹介されたのでございます」
 文部省という言葉が出て、会議室がざわつく。年配の教師は、文部省にまで相談しなければならんとは、イヤな時代になったものだ。と、タメ息をついた。
「お気持ちはわかります」
 と、加藤茶…… ではなく学園長は続ける。
「しかし。ことは、われわれの手に余るのです。十七歳の高校生は怖いんです。ヤバイんです。危ないんです。ですから、文部省は、この手の問題を専門に解決する特別教師制度を発足させたらしいんですな。で、わたくしども聖真女学院も、さっそく、専門教師を派遣していただくべく、文部省に折衝いたしまして、本日、その教師が赴任してくださることになっておるのです」
「ほお」
 と、会議室に集まった教師たちが、声をあげた。暴力対策の専門教師。なるほど、これはグッドアイデアかもしれない。
「え~、詳しいことは教頭先生からご報告いただきましょう」
 加藤茶…… じゃなくって(しつこいな)、学園長は教頭に報告の続きを譲る。
「はい。では、わたくしから」
 と、立ち上がったのは、志村けんだった。ずいぶん髪の毛が薄くなったものだ。八時だよ全員集合をやってたころは…… 失礼。お約束はこの辺でやめよう。とにかく、志村健によく似た教頭だと思っていただきたい。しかし、こんな初っぱなから、パロディ路線だと、先行き不安ですな。
「え~、なんか変なナレーションが入ってますが、わたくし教頭の志村が、ご報告申し上げます。学園長もおっしゃった通り、文部省に暴力対策専任教師の派遣を依頼いたしました。わたくしども聖真女学院は、伝統と格式のある一流の女子校ですので、専任教師もまた、一流でなくてはなりません」
 聞いている年配の教師たちから、そうだそうだ。という声が上がる。
「ええと……」
 志村教頭は、ちょっと気弱な声になった。
「ですがその…… 青少年犯罪が急増している昨今にありまして、暴力対策専任教師も、非常に派遣依頼が多く、ぶっちゃけた話、数が足りないんですなこれが」
「なぬ?」
 と、下等学園長。違った。加藤学園長。うーむ。日本語変換ソフトにギャグを頼るようになっては、いよいよ、先行き不安ですな。
「なんか、また変なナレーションが入っとるが、志村教頭。つまりなにかね、うちには一流の専任教師が派遣されないということかね?」
「いやまあ、わたしも、文部省に掛け合ったんですけどねえ。なかなかこれが」
「待ちたまえ。まさか二流が来ると言うのではあるまいね?」
「二流? ははは。学園長もお人が悪い。先ほど数が足りないと申したではありませんか」
「まさか、二流も無理なのかね? 三流かね?」
「ははは…… それがその…… 今日はいい天気ですなあ」
「教頭…… まさか、まさか、まさか、三流より下と言うんじゃあるまいな。言っとくが、四流などという日本語はないぞ。三流までだ。三流の下はない!」
「んじゃ、作りますか。スットコドッコイ流とか。いやいや、お呼びじゃない流とかはどうです? 植木等ですな。若い人にはわからないか?」
「教頭! 冗談いっとる場合かね! しかも面白くなーい!」
「ちっ、受けなかったか。いや、そうじゃなくて、冗談もいいたくなりますよ。だいたい、わたしにばっかり責任を押しつけて……」
 そのとき。
 ガラッ。と、会議室の引き戸が開いた。
「ごめんよ」
 と、男が入ってきた。
 会議室に集まった職員全員が、その男の出で立ちに、あんぐりと口をあける。およそ電灯ある…… 失敬。伝統ある聖真女学院に似つかわしくない格好だったのだ。
 革のジャケットに革のズボン。そしてウエスタンブーツ。ここまでは許そう。だがしかし、サングラスはいただけない。百歩譲ってサングラスも許すにしても、背中にギターを背負っていると来た日には、売れない流しの兄ちゃんとしか思えなかった。少なくとも教師ではない。
「な、なんだね、きみは?」
 学園長は、恐る恐る聞いた。
 登場のタイミングからいって、こいつが専任教師としか思えないのだが、なにかの間違いであってほしいと、願わずにはいられない学園長であった。
 とたん。
 入ってきた男は、学園長を見て笑い声を上げた。
「ぶわっ、はははははっ! なんだよあんた、加藤茶ソックリじゃねえか!」
「し、失敬な!」
「だって、言われるだろ? 似てるって」
「うっ…… 加藤茶に似ていると言われ続けて、はや数十年。数年前からは、富士通のタッチオジサンにも似ていると妻に笑われ、子供にも愛想をつかされ、ああ、わたしの人生っていったい。などと、落ち込むとでも思っておるのか! きみは、何者かね!」
「なかなかノリがいいね、あんた」
「学園長と呼びたまえ!」
「これは失敬。んじゃ、オレも自己紹介なんぞしてみるかね」
 と、男は、居並ぶ教師たちを見渡してから言った。
「少年犯罪に脅える教員諸君。もう安心したまえ。オレの名は、柾木隆史(マサキ・タカフミ)。内閣黙認、文部相推薦、警視庁登録申請中の代打教師だ。以後よろしく!」
 マサキは、「いよっ」ってな感じで、手を振った。
 し~ん。
 絶句する教師たち。
「なんだよ、なんだよ。拍手ぐらいしてくれたっていいじゃないかよ。ったく、ノリの悪い観客だなあ」
 来る場所をというか、そもそも職業選択を間違っているかもしれない男であった。
 すると。
「マサキくん?」
 ひとりの若い女教師が立ち上がった。
「あなた、本当にマサキくんなの?」
「こらこら、かりにも同僚に向かって『くん』とはなんだよ」
 マサキは、その女教師に顔を向けた。
 とたん。
「えっ? ま、まさか、さ、里美先生?」
 驚くマサキ。
 島崎里美。じつは、マサキが高校二年生だったころ、彼の高校に教育実習にきたのが、里美だったのだ。その翌年、里美はみごと教員試験に合格し、さらに運良く教員に採用されて(試験に受かっても、なかなか教員にはなれないのだ)、マサキの高校に教員として派遣された。ときにマサキ18歳。里美は22歳。青春だなあ。それにしても、やっとリクエストに添ってきたぞ、この小説。
「やっぱり、マサキくんなのね」
 里美は、腰に手をあてながら、キッとマサキを睨んだ。
「サングラスなんかしてるから、一瞬、わからなかったわ。むかしから不良みたいなカッコしてると思ってたけど、まったく、困った子ね」
「あ、あう…… す、すいません」
 それまでの威勢はどこへやら、急に大人しい声になるマサキ。
 じつは、まだ純な青年だった高校生のマサキが、ちょいと憧れていたのが、この里美なのだ。あれから八年。こうして再会した里美は、すでに三十歳のはずだ。だが、里美はマサキの記憶にある、凛とした美しさをそのまま保っていた。いや、八年という歳月が、里美の美しさを、より成熟させたように思える。大人の魅力だ。
 里美は里美で、マサキのことをよく覚えていた。教育実習の二週間。そして、翌年の一年間。その、決して長いとはいえない期間で、一番彼女の目を引いた生徒がマサキだったのだ。いろんな意味で。どんな意味でかって? それは、物語の進行とともに明らかになってゆくだろう。なにせリクエストの一つが『学生時代の想い出』なのだ。まだ考えてないんじゃないだろうな。なんてツッコミは間違ってもしないように。
 里美は、席から離れて、つかつかとマサキの方へ歩いてきた。
「まったくもう」
 と、里美。
「ダメじゃない、サングラスなんかしてちゃ。外しなさい」
「す、すいません」
 マサキは、サングラスを外した。
「うん」
 里美は、にっこり笑顔を浮かべる。
「やっぱり、マサキくんだわ。ふふ。あんまり変わってないわね」
「え~っ、そりゃないよ先生。オレだってもう二十六だぜ。あのころみたいなガキじゃないよ」
「バカね。いい意味で言ったのよ。マサキくん、ハンサムなんだから、サングラスで顔を隠すような必要はないでしょ」
「ちぇっ。相変わらずうまいなあ。先生にはかなわないよ」
 マサキは肩をすくめながら、サングラスをポケットにしまう。
 だが、マサキ本人はあまり意識していないが、里美が言う通り、彼はなかなかハンサムだった。
「さあ、マサキくん。もう一度、ちゃんとご挨拶しなさい」
「挨拶?」
「そうよ。さっきのイカレた挨拶は忘れてあげる。もう二十六歳なんだから、ちゃんとできるでしょ?」
「またそうやって、ガキ扱いする」
「だったら、ちゃんとして。ギターも降ろしなさい」
「はいはい。わかりましたよ」
 マサキは、背負っていたギターを降ろし、もう一度、教員たちの前に立った。
「えーと、オレは…… じゃなくて、ぼくは、内閣黙認、文部相推薦、警視庁登録申請中の代打教師マサキです。本日、こちらの聖真女学院に派遣されてまいりました。よろしくお願いします。里美先生、これでいい?」
「ちょっとマサキくん。その、内閣黙認ってなによ。冗談はやめてよね」
「冗談じゃないんだよ。ホントの肩書きだってば」
「警視庁登録申請中も?」
「そうだよ」
「あなた、何者?」
「オレが聞きたい…… じゃなくって。とにかく、事実なの。文句言わないでくれ」
「ふーん。文部省もなにを考えてるのかしら?」
「まあ、いいじゃんか、そんなこと」
「ほら、また悪い言葉づかいが出たわよ。『じゃん』なんて言わないで」
「うっ…… まいったなあ」
「返事は?」
「はい。わかりました!」
 マサキは、半分ヤケで返事をする。
「ふふ。わたしも、きちんとケジメをつけなきゃね」
 里美は、そう言いながら、マサキに右手を差し出した。
「よろしく。マサキ先生。うちの女生徒たちを、しっかり守ってくださいね」
「あっ、はい。こちらこそ」
 マサキは、ペコッと頭を下げて、里美と握手を交わした。
 そんなこんなで、マサキは聖真女学院に、教員として赴任したのだった。


2


 江東区深川にある、とある雑居ビルの一室に、一年ほど前から、不思議な団体が入居した。その団体が掲げる看板には、『内閣黙認、文部相推薦、警視庁登録申請中、悪の秘密結社撲滅推進室、第四出張所、深川分室』と書かれていたのだ。不思議というより、意味不明である。
「あーっ、もう、頭にくる!」
 その内閣黙認、文部相推薦、警視庁登録申請中、悪の秘密結社撲滅推進室、第四出張所、深川分室(長いなあ)の中で、ひとりの女性が、怒り狂っていた。数人いる同僚は、触らぬ神に祟りなしと言う顔で、彼女に近づかない。
「なんで、警視庁のバカ官僚どもは、あたしの画期的なアイデアを理解できないのよ!」
 そこへ、ギターを抱えた男が帰ってきた。
「ただいま~、いやあ、まいったまいった」
 マサキである。じつは彼、ここの職員なのだ。
「おお、マサキ!」
 同僚の一人が、マサキに声をかけた。
「いいとこに帰ってきた。また、沙織が爆発してんだよ。なんとかしてくれ」
「またかよ」
 マサキは、眉をひそめた。
「ホント、懲りねえな、あいつも」
 やれやれ。
 マサキは首を振りながら、自分のデスクに向かった。たったいま爆発していると聞かされた、桜井沙織は、彼のとなりのデスクなのだ。もちろん、悪の秘密結社撲滅推進室の同僚であるわけだが、マサキと沙織の関係は、それだけではなかった。ええと、リクエスト内容によると、彼らは同じ高校に通っていたのだ。ちなみに沙織の方が一年先輩である。って、この設定、うまく生かせるのだろうか。と、先行き不安になる作者であった。
「カンフー野郎のお帰りね」
 沙織が、きつい声で言った。ふだんからきつい性格だが、イラついてるときの沙織は、いよいよ容赦がない。しかも、『カンフー野郎』なんて、作者が無視しようとしていたリクエスト内容をしゃべってくれて、今後の展開に悪雲立ちこめる雰囲気であった。
「おい、沙織。またあの企画出したのかよ」
「またとはなによ、またとは! 警視庁のバカどもが、重い腰上げないから、何度も提出しなきゃいけないんじゃないの!」
「あのな」
 マサキは、背負っていたギターを降ろして、デスクの椅子に座った。
「おまえこそ、いいかげん、諦めろって。絶対おまえの企画は通らないぞ」
「なんでよ!」
「見せてみろ、その企画書」
 マサキが言うと、沙織は、分厚いA4のファイルを、彼のデスクにバンと、叩きつけるように乗せる。
 そこには『世界征服計画』と書かれていた。
「せめて、タイトルぐらい変えろって言ったろうに」
 と、マサキ。
「なんでよ。これが一番的確かつ正確なタイトルなのよ」
「だから、なんでオレらが世界を征服しなきゃいけないんだよ」
「あんたも、頭悪いわね! 何度も言ってるでしょ。悪の秘密結社は、世界征服が目的なのよ。それを防止するためには、あたしたちが先に、世界を征服するのが一番いいに決まってるじゃない! 先手必勝!」
「オレらが、悪の秘密結社になってどうする!」
「毒は毒を持って制すよ!」
「いいかげんにしてくれ。おまえが、こんな企画を出し続けるから、オレらは、いつまでたっても警視庁登録申請中なんじゃないか」
「内閣には黙認されてるんだからいいじゃない」
「よかねえよ。学校で名乗るこっちの身にもなれよな。カッコ悪いったらねえぞ。今日も里美先生にも『何者?』とか言われるし。まったく、いい迷惑だ」
「里美先生?」
「あっ、そうだった。じつは、今日から赴任した学校にさ、里美先生がいたんだ。沙織も覚えてるだろ?」
「知らないわよ、そんな女」
「そうか。沙織は二週間しか会ってないんだな」
 沙織は、マサキの一年上なので、里美が教師として赴任した年は、もう卒業していたのだ。八年も前の実習生の名前を覚えていなくても不思議ではない。
「で、その女がなによ?」
「いやあ、いつもの調子で、最初にガツンと教員たちをビビらせたかったんだけどさあ、まさか里美先生がいるとは思わなかったんだよね。すっかり腰砕け。まいっちゃったよ」
 どうやら、あのイカレた態度と、背中に背負ったギターは演技と演出だったらしい。
「なんで、まいっちゃうのよ」
 沙織が、ジトッとマサキを見つめた。
「それこそ、いつもの調子で押し切ればよかったじゃない」
「えっ。いやまあ、それがその、なんというか、いやはや」
「いま鼻の下が伸びてた」
「伸びてないってば」
「あんたね。浮気したらわかってるんでしょうね?」
「こら。なんだそれ。まるで、オレと沙織が付き合ってるような言い草じゃないか」
「ひ、ひどいわ…… 八年も付き合っていて、いまさら、そんなことを言うなんて」
 よよよ。と泣き崩れる沙織。
「こらーっ! 事実と反する発言をするな! みんなが誤解するじゃないか!」
 マサキは叫んだあと、周りで、ことの成り行きを見守っていた同僚たちに訴える。
「おい、いまの嘘だからな。オレは沙織と付き合ってなんかいないぞ」
「そうなのか?」
 と、同僚。
「オレはてっきり、おまえらいい仲だと思ってたんだが」
「いつ、どこで、そういう誤解が生じるんだよ!」
「だって、なんだかんだ言って、仲いいジャンか、おまえら」
「ほら、ごらんなさい」
 ケロッとした顔で、顔を上げる沙織。やはり嘘泣きだ。
「あんたは、あたしと付き合う運命なのよ。里美だか里子だかしらないけど、そんな年増女に手を出したら、許さないからね」」
「里美先生は、年増じゃない! だいたい、なんでおまえに、そんなことを言われなきゃいけないんだ!」
「ま、あんた顔はハンサムだからね。背も高いし、スタイルもいいし、カンフーの達人って言うのがちょっとなんだけど、運動神経も抜群だし。あら、やだ。マサキってマジでいい男じゃない」
「沙織に言われると、背筋に冷たい物を感じるが、それとこれとは関係ないぞ。オレはおまえのこと、好きでもなんでもないんだから」
「だーかーらー、あんたの意思なんか関係ないの。この世のいい男は、ぜ~んぶ、あたしの物なのよ。アンダスタン?」
「さ、さすが、世界征服を企む女だな。ファンキーだぜ」
「やあねえ、そんなに誉めないでよ」
「誉めてねえよ……」
 はあ~。と、深いタメ息をつくマサキ。いったい、この先どうなるんだろう?
 それは、わたしが聞きたい。←神(作者)の声。


3


 そのころ。マサキたちの悪の秘密結社撲滅推進室が入っている、となりのビルの地下室には、やはり意味不明な集団が入居していた。その部屋の看板には、『社団法人(申告中)、悪の秘密結社、ジョッカー総本部(仮店舗)兼、深川秘密基地』と、書かれていた。意味不明というより、意味がわかりすぎるところが、むしろ問題かもしれなかった。
「ハイル、ジョッカー!」
 黒い三角頭巾を被った男が現れると、数人の男たちが、右手を挙げながら、直立不動の姿勢で敬礼した。
 どうやらここが、問題の『悪の秘密結社』の本部のようだ。
「うむ」
 三角頭巾で顔を隠した男が、部下たちの前に立つ。
「わが悪の秘密結社、ジョッカー軍団の諸君!」
 軍団って言うわりには、五人ぐらいしかいないんですけど……
「今日もがんばって、悪事を働いたか!」
「ハイル、ジョッカー!」
「今日もがんばって、人の嫌がることをしたか!」
「ハイル、ジョッカー!」
「悪こそわが命! 世界の全てを手にする日まで、ともにがんばろう!」
「ハイル、ジョッカー!」
「よしよし」
 ジョッカー総統は、満足げにうなずいた。もっとも、黒頭巾でその表情はわからないのだが。
「ときに、ドクター・ビューティ」
 ジョッカー総統は、となりに立つ女に言った。彼女はジョッカー総統の片腕。つまり組織のナンバー2だ。
「かねてより計画している極秘作戦の第二弾は進んどるかね?」
 第二弾? ということは第一弾はすでに終わってるのか?
「はい、ジョッカー様」
 ドクター・ビューティと呼ばれたナンバー2は、艶めかしい声で応える。
 実際、ドクター・ビューティは名前のとおりビューティフルだった。マリリンモンローもビックリするような金髪に、いかにも外人らしい堀のある鼻筋。そして、真っ赤なリップを引いた唇がイヤでも目を引く。しかも、健全な男だったら、目が釘付けになること間違いなしのナイスバディ。彼女がプレイボーイのモデルになったら、文句なく、プレイメイト・オブ・ザ・イヤーに輝くだろう。
 それだけではない。悪の秘密結社のナンバー2らしく、その格好がイカレている。一言でいうなら、SMの女王様。身体を締めつけるほどピッタリと密着したエナメルの衣装は、まさにムチとローソクが似合いそう。胸の部分は、ガバッと大きく開いていて、いまにも、Fカップはあろうかという大きなバストがこぼれそうだ。そして、よくそれで歩けるねって思うぐらい高いヒールを履いている。アダルトだなあ。フェロモン大放出。ヤバイよ。映倫に引っ掛かるぞ、この作品。
「うふふ。ジョッカー様より詳しい描写をありがとう。光栄ですわ」
 ドクター・ビューティは、作者に向かってウィンクした。
 あ、いえ。どういたしまして。なんともお美しい。
「おほほほ。作者さえ、このドクター・ビューティーの魅力にくらくらりですわね!」
 いやまったく。とても四捨五入で三十歳とは思えません。
「な、なんで、四捨五入しなきゃいけないのよ! それに、あたしまだ二十よ!」
「こらこら、ドクター・ビューティー」
 と、ジョッカー。
「二十はないだろ二十は。おまえ、オレと同い年だから、今年二十六だろ。六歳もサバを読むのは、いくら悪の秘密結社でもどうかと思うぞ」
 えっ、ドクター・ビューティーが二十六なのはともかく、ジョッカー総統も二十六歳なんですか? バカにお若い総統ですな。
「だって、しょうがないだろ」
 と、ジョッカーは作者に答えた。
「最近、親父の跡を継いだんだよ。うちは代々続く、悪の秘密結社だからな」
「おほほほ。悪のサラブレッドですわね」
「そういうドクター・ビューティーも、マッド・サイエンティストの家系じゃないか。きみこそ、美しいサラブレッドだよ」
「おほほほ。嬉しいお言葉ですわ。あたしの父はスーパーマンと戦った勇者ですからね。叔父様はバッドマンと戦ってるし、叔母様もスパイダーマンと戦ってますのよ」
「さすがアメリカ人。スケールがでかいなあ」
「でも、世界を征服するのは、ジョッカー様とあたしのコンビですわよ」
「うむ。そのとおりだ」
 あのう、こう言っては失礼ですが、本当に世界征服なんて、できると思ってるんですか? ぼくの小説で?
「おほほほ」
 ドクター・ビューティーは、こめかみに青筋を立てながら言った。
「どうやら、あとでゆーっくり、作者にお仕置きをする必要があるみたいですわね」
「うむ。世界征服を果たした暁には、こやつから奴隷にしてやろう」
「おほほほ。賛成ですわ」
「それより、ドクター・ビューティー。極秘計画の進行状況は、どうかね?」
 急に物語に戻るジョッカー。
「おほほほ。ご安心ください、ジョッカー様。もうバッチリ、グッチョリですわ。いやんバカ。って感じ。うふ」
「な、なんか、よくわからんが、いつごろできる?」
「いやだァ。できませんわよォ。ちゃんと避妊してるじゃないですか。ご利用は計画的にですわ。違ったかしら?」
「家族計画とローンの申し込みを混同してどうする。というか、そもそも、そうではなくてだな…… 本当に大丈夫なのか?」
「ぜんぜん大丈夫じゃありませんわ。ジョッカー様ったら、きのうも、あんなに激しいんですもの。あたし壊れちゃう。いやん、なに、言わせるのよジョッカー様のエッチ」
 くねくねと、腰を振って恥ずかしがるドクター・ビューティ。
「自分で言っとるんじゃないか。だいたい、こっちこそ、腰が痛くてサロンパス貼りまくりだぞ…… だから、そーじゃなくって! あのですね。ぼく、極秘計画の進行状況を聞いてるんですけど」
「進行状況といえばジョッカー様。あたしたちの計画も、そろそろ進めていいんじゃありませんこと?」
「は?」
「んまっ。またトボけて。悪い子ちゃんね」
 ドクター・ビューティは、ジョッカー総統のお尻をキュッとつねる。
「いてっ!」
「いいかげん、諦めなさいよ。独身貴族だかなんだか知らないけど、ちゃんと結婚してくれなきゃ、あたし浮気しちゃうわよ」
「こ、こらこら。プライベートを仕事場に持ち込んじゃいかんよ」
「ひどいわ、ひどいわ。ジョッカー様がハッキリしないからいけないんじゃない」
 ジョッカー軍団の(といっても五人だが)構成員は、口々に、また始まったよとか、ジョッカー様も、いいかげん、年貢を納めりゃいいのになあ。などと、ぼそぼそささやき合っている。
「い、いや、まあ、その話は今夜ゆっくり。な、ここじゃ、みんな聞いてるし」
「ホントに?」
 ドクター・ビューティは、ジョッカーの腕を抱いて、大きな胸を押し付ける。
「本当にちゃんと考えてくれてる? あたし婚期が遅れるのイヤよ」
「考えてるってば」
「じゃあ、世界を征服したら、あたしに、ハワイとグアムとタヒチをプレゼントしてくれるぅ?」
 あま~い声を出すドクター・ビューティー。
「するする。スイスとカナダもつけちゃう」
「いらないわよ。寒いとこ嫌い。ビーチリゾート派なのよね、あたしってば」
「ふーん。それでビキニ買ってたのか」
「どうだったアレ? ちょっと露出度が高すぎるかしらって心配なんだけど」
「男どもの目をくぎ付けだよドクター・ビューティ。きみの浮気が心配だ」
「うふ。あたしが、ジョッカー様にメロメロなの知ってるくせに」
 見かけによらず一途なドクター・ビューティーだった。
「うははは…… あれ? なんの話をしてたんだっけ?」
「なんだったかしら?」
 あんたらね、マジメにやってくんない?
「バカ作者が、なんか言ってますわよ」
「ほっとけ。それより思い出したぞ。われわれの極秘計画についてだ。ドクター・ビューティ。首尾はどうだ?」
「うふふ。お忘れになってもらっては困りますわ。あたくし天才科学者ですのよ」
 えっ、そうだったの?
「ホントに、うるさいナレーションね。このドクター・ビューティが計画した極秘計画第一弾、17歳男子高校生狂暴化計画が、見事に成功したのがその証拠!」
 な、なんと、最近の高校生がヤバイのは、ジョッカーの陰謀だったのか!
「おほほほほ! そのとおり! そして、極秘計画第二弾は、女子高生洗脳計画よ!」
「おおーっ」
 ぱちぱちぱち。と、ジョッカー総統と、五人の構成員が拍手する。
「うふふ。このドクター・ビューティにかかれば、女子高生洗脳計画なんて朝飯前ですわ。でもジョッカー様。朝ご飯はちゃんと食べなきゃいけませんわよ」
「毎朝、わたしが作っとるじゃないか、きみの分まで!」
「おほほほ。そうでしたわね。早く世界を征服して、メイドを雇いたいモノですわ」
「なんか、どっちが総統かわからなくなってきたが、計画が順調なようでなによりだ。最初のターゲットは確か…… 聖真女学院だったな」
「そうですわ。お嬢さま学校ですわよ」
「うひひ。お嬢さまか。いいねえ」
 ジュルっとよだれを垂らすジョッカー。
「ジョッカー様」
 ドクター・ビューティが、じとっと睨んだ。
「小娘と浮気なんかしたら、どーなるか、わかってますでしょうね?」
「あ、いや、その……」
「もし浮気なんかしたら、ムチで百叩きですわよ」
 ぶるぶると、首を振るジョッカー。
「くそう。世界征服したら、ハーレム作ろうと思ったのに」
 ぶつぶつ。
「なにか、おっしゃった?」
「いいえ、なんにも!」
 早くもハーレムの野望が打ち砕かれたジョッカーがヤケになって叫ぶ。
「とにかく! 女子高生を洗脳し、夢のハーレム…… じゃなくって、女子高生軍団を作り上げ、世界を征服するのだ!」
「おほほほ! このドクター・ビューティにお任せあれですわ!」
 あのう、作者がこういうこと聞いちゃなんですが、なんで、女子高生軍団で世界が征服できるんですか?
「おほほほ! それは聞かない約束ですわよ!」
 まあ、そうかも。


4


 翌日。
 この日から、いよいよマサキは聖真女学院の教師として、教壇に立つことになった。言うまでもないが、代打教師というのはマサキの世を忍ぶ仮の姿であって、その真の姿は、悪の秘密結社、ジョッカー軍団を倒すために結成された、内閣黙認、文部相推薦、警視庁登録申請中、悪の秘密結社撲滅推進室の、第四出張所、深川分室の職員なのだ。ちなみに、国家公務員である。
 彼らは独自のルートで(深く追求するな)、女子高生洗脳計画という、恐るべき計画を知り、ジョッカーの野望を打ち砕くため、この聖真女学院に、優秀なエージェントを送り込んだ。それが、マサキだったのだ! いや、優秀かどうかはともかく。
 そんなわけで、教師という立場であるから、授業をしなくてはならない。しかし、マサキに数学が教えられるわけがなかった。英語? ご冗談を。歴史? ははは…… なにをおっしゃいますやら。
 体育に決まっておろうが!
「こ、これは……」
 マサキは、居並ぶ生徒を前にして、クラッと目眩いを覚えた。
「先生!」
 生徒の一人が声をあげた。
「さっきから、なんで前かがみなんですか?」
「い、いや、これは、きわめて生理的現象であって…… 気にするな」
 いかん。高校生相手に欲情してどうする。でもでも、さすが聖真女学院。伝統と格式を重んじるだけある。いまどき体育の服装がブルマーだぜ! 最近の高校は、たいていスパッツなのにだ!
 二十代中盤から、三十代にかけての、肉体的に健全な成人男性にとって、ブルマーを履いた女子高校生たちが居並ぶ光景は、危険な破壊力を持っているのであった。マサキも例外ではない。
「い、いかん……」
 マサキは、首を振った。冷静にならなくては。
「あー、きみたち。オレが今日から体育の授業を担当することになった、マサキだ。よろしくな」
「きゃーっ。『オレ』だって!」
 生徒たちが黄色い声をあげる。
「先生! マサキ先生は独身ですか?」
「そ、そうだが?」
「きゃーっ!」
 きゃっきゃと喜ぶ生徒たち。
「恋人は? いますよね、ふつう?」
「い、いや、いまはフリーだけど……」
「きゃーっ! やった!」
 ちょっと外人ぽいハンサム顔。一八六センチの身長。もちろんスタイルも抜群。沙織じゃないが、女子高生に気に入られて当たり前のマサキなのであった。しかも、本物の体育教師ではないので、角刈りにジャージなどというダサい姿ではない。マサキは、ミュージシャンのような長髪に、ジーンズとTシャツ姿だった。ガキがこんな格好をするとだらしないだけだが、マサキぐらいの年齢になると、若々しさの演出になる。『計算されただらしなさ』とでも言おうか。でもだからこそ、色香を放つ生徒たちの秋波を、痛いほど感じるのだった。たしかにマサキはカッコ良かった。
 こ、これって、ハーレム? 思わず、鼻血が出そうになるマサキだったが、ここで鼻の下を伸ばしては、あとで里美になんと言われるかわからない。
「きみたち、待ちたまえ。ちゃんと授業をしようではないか」
 無理やりマジメになるマサキ。
「先生、先生!」
 生徒の一人が、マサキの手を握る。おおーっ、積極的!
「わたし、学級委員の近藤春江です! なんでも言いつけてください!」
「ちょっと春江、抜け駆けってズルイんじゃない?」
 べつの生徒が春江を押しのける。
「あたし、岡村亮子でーす! 保健委員やってます!」
「わたし、わたし、図書委員の鈴木佳奈です!」
 保健委員はともかく、図書委員は関係ないような気が……
「ちょっと、みんな、やめなさいよ! 先生が迷惑してるでしょ!」
 なんて、マトモなことを言う生徒も必ずいる。だが、こういう子に限って、人一番、センシティブだったりするところが、いやはや、青春だねえ。って、なんのこっちゃ。
「わかった、わかったから!」
 マサキは叫んだ。
「学級委員でも保健委員でもなんでもいいから、とにかくみんな並びなさい!」
「はーい」
 生徒たちが、やっと整列する。
 ふう。先が思いやられる。
 マサキは、心の中でタメ息をつきながら、生徒たちを見渡した。
「え~、みんなも、最近ガラの悪い他校の男子生徒がこの辺りに出没しているのは知っていると思う。そこで、ややイキナリではあるが、今日は護身術を伝授したい」
「護身術?」
 と、生徒たち。
「そうだ。最近の高校生は怖いからな。近くにだれかいても助けてくれるとは限らない。自分の身は自分で守るんだ」
「え~っ、そんなのヤダ~っ。できませ~ん」
 生徒の一人が言う。
「護身術なんて習ったって、男子にかなうわけないじゃん」
 べつの生徒が、ぶつぶつ。
「こらこら。なにもする前からイヤがったり諦めたりするな。べつに男子をぶっ倒す必要はない。まあ、ぶっ倒してもいいんだが、要は、相手に隙を与えて、逃げ出すことができればいいわけだ」
「でもォ、難しそう~」
「そんな声出すな。オレが手取り足取り教えてやるから」
「手取り足取りだって、先生、エッチ~」
「あのな……」
 こいつら、本当にお嬢さまかよ? いまは、みんなこんなモンかね。
 マサキは、やれやれと首を振ると、生徒の中から、ひときわ大人しそうな子を探した。
「じゃあ、きみ」
 マサキは、一番隅に立っている生徒を指差した。長いストレートヘアで、いかにも深窓のお嬢さま風だ。ひときわ可憐な美少女。この子なら、文句も言わないだろう。
「悪いけど、手伝ってもらえるかな」
「はい」
 その生徒は、見た目のわりに機敏な声で応えると、マサキの前に出る。
「名前は?」
 と、マサキ。
「安田玲奈(レイナ)です。よろしくお願いします」
 安田? ふとマサキはイヤな予感がした。まさか、安田財閥のご令嬢じゃあるまいな。ケガでもされたら…… まあいいか。生徒は生徒だ。
「みんな、まずはよく見てるんだぞ。あとでやってもらうからな」
 マサキは、生徒たちにそう言うと、玲奈に向き直った。
「では、安田くん。オレが暴漢だと思ってくれ」
「はい先生」
「もし、このように手をつかまれたら」
 マサキは、そう言いながら、玲奈の腕をとった。
「そのまま、自分の腕をひねって、相手の手首をつかむ。やってみなさい」
「はい先生」
 玲奈は、マサキに言われた通りにした。
 おっ。意外と筋がいいなこの子。マサキは、ちょっと驚いていた。彼女の動きは非常になめらかで隙がなかった。
「そうだ。いいぞ。そうしたら、自分の体重を利用して、相手の腕を逆に締め上げる」
「やってもいいですか?」
「どうぞ」
 と、マサキが答えた瞬間。玲奈は、まるでオリンピックで金メダルを取った、柔ちゃんみたいな動きで、マサキを軽く締め上げた。
「いててててっ!」
 完全に油断していたマサキは、見事に腕を背中に回されてしまったのだった。
「あっ、ごめんなさい!」
 玲奈は、あわててマサキの手を離した。
「すごーい」
 と、それを見ていた他の女生徒。
「やっぱり、安田さんね。運動神経バツグンだわ」
 なぬ?
「安田くん」
 マサキは、捻られた腕をさすりながら言った。
「きみ、なにか武術をやっているのか?」
「はい。三歳のころから弓道をやっています」
「弓道? 聖真女学院には弓道部はなかったはずだが……」
「はい。うちに専門の先生に来ていただいています。吉田流の師範です」
「ヒューッ」
 マサキは、思わず口笛を拭いた。
「すごいね。吉田流といえば、超名門じゃないか。どうりで筋がいいわけだ」
「そんな……」
 玲奈は、古風なお嬢さまのように、遠慮がちに言った。
「ほんのマネごとなんです。わたし子供のころあまり身体が強くなくて、心配した親が習わせてくれたのです」
「なるほどねえ。人は見かけによらないな。こう言っては失礼かもしれないが、きみは茶道か華道をやるタイプかと思ったよ」
「はい。学校では茶道部の部長をしています」
「えっ? それはそれは…… おみそれした。文武両道だったか」
「とんでもない」
 玲奈はあわてて首を振った。
「わたし、あの、本当に弓道はマネごとなんです。お茶をたてるのが一番好きで……」
「謙遜することないよ。いい腕だった」
 マサキは、笑いながら、玲奈にひねられた腕をさすった。
「すいません!」
 玲奈は、あわてて頭を下げた。長い髪がふわっとゆれる。
「ちゃんと、加減をするべきでした。ごめんなさい!」
「油断したオレが悪い。どんなときでも、気を緩めてはいけないということだな」
「本当にごめんなさい。腕は大丈夫ですか?」
「平気だよ。でも、心配してくれてありがとう」
 マサキは、玲奈が生徒だというのを忘れて、ウィンクしてしまった。
「あっ……」
 とたん。玲奈は、顔を真っ赤にした。
「あーっ、先生、安田さんにばっかりズルイ!」
 見ていた生徒が声をあげる。
「い、いや、これは」
 しまった。
「わたしにも、わたしにもウィンクしてぇ!」
「バカ、なに言ってるんだ。ほら、みんな列を崩すな」
「ヤダぁ~ ウィンクしてくれなきゃ、授業受けませ~ん」
「ここは、ホストクラブじゃないぞ!」
「きゃーっ。ホストだって! わたし先生にだったら貢いじゃう!」
「シャレにならんぞ、それ……」
 やれやれ。こりゃマジで授業にならんな。マサキは、また心の中でタメ息。
 だが、このとき。玲奈の心の中に、恋の炎を灯してしまったことを、マサキは知らなかった。


5


 ふう。疲れた。まいった。いろんな意味で。
 想像以上にいまどきの女子高生を従わせるのは大変だ。プラス、ことあるごとに振り撒かれる若い色香との戦い。仕事じゃなけりゃあなァ。違う。シャレにならん。生徒が教師を誘惑してどうするって言うんだ。困ったお姫様たちだ。
 ぶつぶつ。
 なんとか一時間の授業をおえたマサキは、職員室に戻った。そして、あてがわれたデスクに腰を降ろすと、ノートパソコンを開いて、授業の予定表を表示する。ちなみにマックのパワーブックを使っているのは秘密だ。いやべつに秘密でもないか……
「ええと…… つぎは三年B組か」
 コトッ。という音がして、マサキはマックの画面から顔を上げる。
「お疲れさま。マサキくん…… あっ、ごめん。マサキ先生」
 里美だった。お茶の入った湯のみを、マサキのデスクに置いたのだ。
「里美先生」
 マサキは驚いた。
「そんな、お茶なんか入れてくれなくてもいいのに」
「あら。迷惑だった?」
 里美は、マサキのとなりのデスクに座った。お約束と言われようがなんだろうが、彼らは隣同士の机なのだ。ほっといてくれ。
「そうじゃないけど……」
 マサキは、ポリポリと頭を掻く。
「なんか、変な感じだよな。里美先生にお茶を入れてもらうなんて」
「どうしてよ? いまは同僚でしょ」
「そうだけどさ。先生はお茶汲みなんかしなくていいよ。男女同権。手酌で行こうぜ」
「へえ」
 里美は、ちょっと感心したように言う。
「いいこと言うじゃない。手酌っていうのは変だけどね。それに、相変わらず言葉づかいも悪いけど」
「生徒の前じゃ、ちゃんとしゃべってるよ」
「ふふ。そうみたいね。さっき、体育館をちらっとのぞいたけど」
「えーっ、見てたのあれ?」
「ずいぶん、おモテになりますのね、マサキ先生は」
 里美はクスクス笑いながら言った。
「まいったなあ…… 勘弁してよ。若い男が来たんで、浮かれてるだけだってば、あいつら。いい迷惑だよ」
 よかったァ、マジメに授業やってて。心の中でホッとするマサキ。
「それもあるだろうけど、わたしも、あの子たちの気持ちが少しはわかるかな」
「というと?」
「だって、マサキくん、ハンサムだもの」
「ははは…… お世辞なんか言っても、なんにも出ないよ」
「お世辞なんかじゃないわよ」
「八年前には、そんなこと言ってくれなかったぞ」
「あのときのわたしたちは、生徒と教師でしょ」
「ふうん。じゃあ、心の中では思っていたと?」
「さあ、どうかしらね」
 ふふ。と、里美は笑った。
「でも、ホント、マサキくんって…… いっけない」
「なに?」
「どうもわたし、マサキ先生のこと『くん』で呼んじゃうわ。気づいたら注意してね」
「いいよ、マサキくんで。オレもそっちの方が自然だし」
「ダメよ。こういうことは、キッチリしなきゃ。生徒に示しがつかないわ」
「やれやれ。先生っていうのは面倒くさい商売だな。あ、そうだ。ちょっと聞きたいんだけど、安田玲奈って何者?」
「何者って、二年A組の生徒よ」
「知ってるよ、いまそのクラスの授業だったんだから」
「あはは。冗談だってば」
 里美は、楽しげに笑った。
 マサキは、つられて苦笑い。でも、里美先生、こんなに明るかったっけ? と、思うマサキだった。
「ごめん、ごめん。で、彼女のなにが知りたいの?」
「家庭環境」
「安田財閥のお嬢さまよ」
「あ、やっぱりね……」
「彼女がどうかしたの?」
「いや、ひときわお嬢さま風だったんでね。ちょっと気になって」
「ダメよ、生徒に手を出したら」
「違うってば。武術の心得もあって、なかなかしっかりした子だけど、あの手のタイプが一番狙われやすいと思ったんだよ」
「あっ……」
 里美は、口に手を当てた。
「そうか。マサキくん、暴力対策の代打教師だったわね。忘れてた」
「あのね。忘れてもらっちゃ困るんだけど」
「ごめんなさい。そうだったんだよね……」
「なにかいいたそうじゃん」
「べつに」
 里美は肩をすくめた。
「なんだよ。気になるなあ。言いたいことがあるなら言ってよ」
「本当になんでもないの。ただ、マサキくん、うちの問題が解決したら、ほかの学校に移っちゃうんだなって思ったのよ」
「まあね」
 マサキは肩をすくめた。代打教師なんて、本当は嘘っぱち。彼の仕事はジョッカーを撲滅することだ。だが、里美にそれを明かすわけにはいかない。
「ちょっと残念」
 里美は、軽く笑いながら言った。
「ずっと同じ職場で働けたら楽しかったんだけどな」
 ドキッ。
 マサキの心臓が一つ鳴った。
「それって、あの……」
「ストップ」
 里美が、マサキの言葉を遮る。
「この話は終わり。ここは神聖な職場ですからね」
「違う場所だったら? たとえば、今夜飲みに行くとか?」
「あら。さっそくナンパ? ふふふ。むかしもそうやって誘われたわね」
「断られたけどね」
「あのときは、生徒と教師。以下同文よ」
「いまは違う。以下同文だ。マジに、飲みにいかない?」
「同僚として?」
「もちろん」
「そうね……」
 そのとき。休み時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
「もう行かなきゃ」
 里美は、つぎの授業の資料を持って立ち上がった。
「答えを聞いてないよ」
 と、マサキ。
「マサキくん…… マサキ先生も急がないと遅れるわよ、つぎの授業」
「ちぇっ。相変わらず、はぐらかすのがうまいなあ」
「六時半に、新宿のルミネの前」
「えっ?」
「別々に学校を出ましょ。六時半に、新宿のルミネの前で待ってるわ」
 里美はそう言って、職員室を出ていった。
「い……」
 一拍置く。
「いやった!」
 マサキは飛び上がった。
 ふふふふ。デートができると思うかね、マサキくん。←神(作者)の声。


6


 時は進んで下校時間。
 うひひひ。里美先生とデートだぜ。八年越しの夢が叶うなんて、初日からいいことあるなあ。
 なんて、のんきに考えながら、マサキは、校門の前に立って、下校してゆく生徒たちを送っていた。暴力対策の代打教師としては、生徒がもっとも襲われやすい下校時間が勝負所なのであった。ハッキリ言って、授業より大事だ。
 しかしなあ。と、マサキは腕を組みながら考えた。ジョッカーの連中もセコイ計画ばっかり考えるよなあ。なんで高校生を狙うんだ? 世界征服が目的なら、もっとこう、やるべきことがあるんじゃないのか? 国連総会をやってるとき、世界中の元首を人質にとるとか、アメリカに核攻撃をしかけるとか。いや、そこまでやられると困るからいいんだけどさ。
「先生、さよーなら!」
 生徒に声をかけられて、マサキはわれに返る。こいつは確か、二年A組の図書委員の、ええと、名前は忘れた。
「おう。寄り道しないで帰るんだぞ」
「え~っ、こんな時間に帰っても、家で暇じゃん」
「あのな。暇なら勉強しろ。とっとと帰れ」
 シッシッ。と、犬を追い払うように手を振るマサキ。
「ひどーい。じゃあさ、先生が家まで送ってよ。そしたら、素直に帰るのになァ」
「バーカ。マジで早く帰りなさい」
「ちぇーっ、先生って見た目のわりにマジメだよね。バイバイ」
 バイバイじゃねえよ、教師に向かって。さすがのマサキも心の中で苦笑いを浮かべるのだった。オレが高校生のころは…… いかん。こんなことを言うようになったら、年だよな。
 そんなこんなで、一時間ほど校門の前に立っていると、生徒の流れが途切れた。どうやら、帰宅部の連中は、ほぼ学校を出たようだ。
「うう、寒い」
 マサキは、自分を抱くように腕を組む。革のコートは、見た目はカッコいいが、防寒には、あまり向いていない。ユニクロで1、980円のフリース・ジャケットを買ってきた方がよほど暖かかったりする。見栄っぱりも大変だ。
「あとは、部活の連中か」
 マサキは、コートのポケットから、秘密の通信機を取り出す。最近人気の折り畳みタイプだ。なにせ秘密の通信機だから、NTTドコモと書いてあるのも秘密だ。ただの携帯電話じゃないか! しかも、iモードですらないぞ! などと、突っ込んではいけない。マサキたちの組織に、自前の通信機を開発する予算などない。
 ピポパ…… ダイアルする。
『もしもし?』
 沙織が出た。
「ああ、沙織。いま帰宅部の連中はだいたい校舎を出たぜ」
『オッケイ』
 沙織が答える。彼らは、数班に別れて、生徒たちの帰宅を監視しているのだ。どうやらマジメに仕事はしているらしい。
『どのくらい出た?』
「ええと」
 マサキは、ポケットに突っ込んでいた手を出す。そこにはカウンタが握られていた。ちゃんと下校した生徒の数をカウントしていたのだ。
「百二十七人だ」
『了解。あ~あ、それにしても、あたしの計画が通れば、こんな地味な仕事から解放されるっていうのに』
「まだ言ってるよ」
 マサキはタメ息。
「とにかく、そっちは頼んだぜ。オレは部活の様子を見てくる」
『はいはい。女子高生と浮気しちゃダメよ』
「あのな。仮に生徒と危ない関係になっても、それは浮気ではない」
『そっちこそ諦めが悪いわね。世界を征服したら、こーんな美人の下僕になれるのよ。素直に喜びなさい』
「美人? だれが? どこに? 性格破綻者なら一人知ってるけど」
『あんたね…… あとで覚えてなさいよ』
「ああ、そうだ。オレ今日は事務所に戻らないから。直帰するよ」
『なにバカ言ってんのよ。今日の報告書を作んなくちゃダメでしょ』
「そんなもん、明日でいい。オレ、これからデートなんだ」
「なんだ、それを早く言いなさいよ。それなら許してあげる。そうね、あたしフランス料理が食べたいわ』
「は?」
『だから、ディナーよ。時間はどうする?』
「待て。大きな誤解というか、無理な解釈というか、いつ、だれが、沙織とデートすると言った」
『あたし以外の、だれとデートするって言うのよ』
「里美先生」
『あんた、まだ年増にちょっかい出すつもりなの? トチ狂ってんじゃないわよ』
「ぜんぜん狂ってない。むちゃくちゃ正常だ。だれかさんとは大違い!」
『へえ、ほう、ふーん。先輩に向かってそういうこと言うんだ』
「今度は先輩面かよ」
『本当に先輩だもん。あんたも日本人なら先輩を大事にしなさいよね』
「儒教思想なんかねえよ。と言いたいところだが、沙織、おまえ語るに落ちてるぞ」
『な、なんでよ?』
「里美先生は、先生だぞ。先輩より、ずーっと大事にしなきゃいけない相手だもんね」
『うっ……』
「はっはっはっ! 勝ったぜ!」
『くう…… なんか、むちゃくちゃくやしいわ! 覚えてなさいよ。あとでギャフンと言わせてやる!』
「それって、悪党が負けたときの捨てぜりふだぜ」
『うっ……』
「じゃあな、もう切るぞ」
『待ってよ~、ホントに年増とデートなんかしちゃダメだってばあ~』
「いまさら、猫なで声だしても無駄だぞ。だいたい、年増って言うな。じゃあな」
 マサキは電話を…… もとい、秘密の通信を切った。どこが秘密なんだか。


7


 そのころ。
 ジョッカーの構成員が言った。
「洗脳電波発生装置の設置が完了しました。ドクター・ビューティー様」
 ちなみに、『ドクター』と『様』を同時に使うのはおかしいんじゃないかという、ご意見はご遠慮いただきたい。わかって書いてます。
「ご苦労様」
 今日も相変わらずセクシーなコスチュームのドクター・ビューティーが、ほほ笑んだ。
 彼女たちがいる場所は、聖真女学院にほど近いところにある、大場鴨川高校、略して大バカ高校の前である。もともとガラの悪い男子校として有名だが、ジョッカーたちは、ここの生徒を洗脳して、聖真女学院の女生徒を誘拐しようと企んでいるのだった。
「ふふふふふ。いよいよ、ジョッカー様と結婚…… じゃなくって、われらがジョッカーが、世界征服への第一歩を印すときがきたわ」
「はい、ドクター・ビューティー様。長い道のりでしたね」
「ホントよ。ジョッカー様ったら、いつまでたっても煮えきらないんですもの。あたし、待ちくたびれちゃったわよ。なんど子供作って、責任取れって言ってやろうかと思ったことか」
「あの…… 結婚の話じゃなくってですね……」
「おほほほ。わかってるわよ。ちょっとプリティなジョークを言っただけじゃない」
「本気だったら恐いですね。男としては」
「おほほほ。気をつけなさい。女は恐い生き物なのよ」
「やっぱり、本気だったんだ」
「うるさいわね。さっさと洗脳電波を流しなさい」
「ははっ!」
 構成員は、洗脳電波発生装置の(どんな装置なんだか知らんが)ボタンを、ポチッと押した。
 ブーンと、装置がうなる。
「あ、あいたたたた!」
 とたん、ドクター・ビューティーたちは、頭を押さえてうずくまった。
「ちょっと! とめなさいよそれ!」
「は、はい!」
 構成員は、あわてて装置を止める。
「はあ、驚いた。頭が割れるかと思ったわ。ダメねこれ。装置の近くにいると、電波が強すぎて、こっちの頭がおかしくなるわ」
「これ、作ったのドクター・ビューティー様ですよね」
「なんか言った?」
「いいえ、なんにも」
「おほほほ。あんた、あたしの本当のすごさをわかってないわね」
「と、おっしゃいますと?」
「こんなこともあろうかと、ちゃーんとリモコンも作ってあるのよ。どうよ、それなら近くにいなくてもスイッチが入れられるから大丈夫でしょ?」
「なるほど。さすがドクター・ビューティー様。ていうか、最初から、リモコンを使ってくださいよ」
「うるさいわね。じゃあ、リモコンで…… あら?」
「どうしました?」
「ごめーん。リモコン忘れてきちゃった」
 ガクッ。ズッコケる構成員。
「あ、案外、おっちょこちょいですね」
「おほほほ。あたしてばプリティよね」
「ははは…… まあ、そういうことにしときましょう。では、ちょっと戻ってリモコン取りに行ってきますよ」
「ダメよ。早くしないと、大バカ高校のおバカどもが、みんな下校しちゃうわ」
「じゃあ、どうすれば?」
「ジョッカー様に持ってきてもらいましょ」
「総統にですか? リモコンを?」
「そうよ」
「それって、パシリと言うんじゃ……」
「おほほほ。使えるものは親でも使えってことわざを知らないの?」
 そんなことわざはない。
 ドクター・ビューティーは、胸の谷間に隠していた秘密の通信機を取り出した。ちなみに、セクシーなコスチュームなのでポケットがないのだ。決して男性読者に対するサービスではない。
 ドクター・ビューティーは、秘密の通信機の電話番号検索ボタンを押す。ちなみに、秘密の通信機だから、Jフォンと書いてあるのも秘密だ(って、またそれかい)。
「ええと、秘密基地の電話番号は、どのグループに登録したんだったかしらね」
 電話番号が多くなると、検索するのが面倒になるのも秘密だ。
「あったわ」
 ポチッ。と、コールボタンを押す。
 トゥルルルルルル。
 ガチャッ。
『はい。こちらジョッカー本部兼秘密基地』
 ジョッカー総統が出た。って、電話番をやってるんか、この総統は。
「ジョッカー様。ドクター・ビューティーです」
『おお。首尾はどうだ?』
「それが、ちょっと困ったことになってますの」
『なに? まさか、また政府の犬どもの邪魔が入ったのか?』
「いいえ。いまのところ、マサキたちの動きはありませんわ。まあ、聖真女学院の生徒たちを監視はしているようですけどね」
『そうか。あいつらには、何度も世界征服の野望を邪魔されているからな。今度こそ失敗は許されん』
「ええ。わかってますわ」
『で、問題とはなんだ?』
「リモコンを忘れちゃったんですわ」
『は?』
「リモコン」
『なんの?』
「だから、洗脳電波発生装置のですわよ」
『ああ、なんだ。どうりでさっきから、テレビのチャンネルが変えられんと思った。これ、洗脳装置のリモコンだったんか』
「おほほほ。ジョッカー様ったら、細かいギャグをおやりになってますわね」
『わははは。われながら売れない芸人みたい…… って、なにを言わせる』
「おほほほ。楽しい御方。そんなジョッカー様を愛してますわ」
『喜んでいいのかよくわからんが、このリモコンをどうしたらいいのかね?』
「届けてくださらないかしら?」
『だれが?』
「ジョッカー様が」
『どこへ?』
「ここへ」
『わははは。ドクター・ビューティー。わたしは総統だぞ。忘れ物を届けろとは、なかなか愉快なジョークだな』
「おほほほ。お誉めいただいて痛み入ります。でも、ジョークじゃありませんことよ。あたくし、いつだって本気。知ってますでしょ?」
『いやまあ、きみの性格はイヤってほど知ってるけど……』
「おほほほ。なんか引っかかる言い方ですわね。まさか、持ってきてくださらないの?」
『いや、その、でも、パシリなんて……』
「あたくしの、お願いでも?」
『うっ、それは……』
「こーんなに、ジョッカー様を愛してる、あたくしのお願いを、聞いてくださらないっていうの? きのうの晩も、あーんなに愛し合った、あたくしのお願いを」
『わかった、わかたよ! 持ってけばいいんだろ!』
「なんだか、イヤそうですわね」
『持っていきます! いかせてください!』
「おほほほ。そこからなら地下鉄で一本ですわ。大江戸線が開通して良かったですわね」
『地下鉄に乗る悪の秘密結社の総統っていったい……』
「おほほほ。シュールですわ。それもこれも、あたしと結婚するまでの…… じゃなくって、世界を征服するまでの辛抱ですわよ」
 ジョッカーは、ビューティーと結婚したら、いまよりもっと我慢することが増えるような気がしたが、賢明にもそれは口にしなかった。まあ、惚れちゃったんだからしょうがない。
『しょーがねえなあ。んじゃ、いまから行くから』
「お待ちしてますわ、ダーリン」
 ドクター・ビューティーは、電話口にチュッとキスをしてから電話を切った。


8


 マサキは、部活の様子を見るために、校舎のほうへ戻った。
「おお、やってるやってる」
 まずは、校舎の裏手にあるテニスコートに顔を出す。テニス部だ。聖真女学院には、バレー部もバスケ部もあるが、やはりテニスはいい。華がある。
 マサキは、鼻の下を伸ばしながら、ミニスカートが揺れる生徒を見ていた。けっきょく、それが目的かい。
「なにか、用かな?」
 背中から声をかけられ、マサキはあわてて振り返った。
 そこには、背の高いマサキより、さらに長身の男が立っていた。
「あっ、どうも、宗像(ムナカタ)先生」
 マサキは、軽くおじぎをした。だがマサキは、このムナカタという男に、かなりの警戒感を抱いた。出来るな、この男。オレは、まがりなりにも、悪の秘密結社と戦うための秘密訓練を受けてきた。なのに、宗像はなんの気配もなく、オレの背中に立った。職員会議の席でちらっと見たときから、眼光鋭い男だとは思っていたが……
「失礼だが」
 宗像は、静かな声で言った。
「いまのわたしは、先生ではない」
「は?」
「宗像コーチだ」
「は、はあ……」
 そのとき。
「ぐほっ」
 宗像が、とつぜん、口を押さえた。
「げほっ、げほっ、げほっ、うげっ、ぐはっ!」
 宗像は、苦しそうにうずくまると、血を吐いた。
「だ、大丈夫ですか、先生…… じゃなくって、コーチ!」
 いきなり病変した宗像にあわてるマサキ。
 すると。
「コーチ!」
 テニスコートから、一人の生徒が駆け寄ってきた。ショートカットの快活そうな少女だ。
「ああ、コーチ! 大変、どうしましょう!」
 その生徒は、宗像の背中をさする。
 だが。
「岡!」
 血を吐きながら宗像が叫ぶ。
「なにをしている、全国大会は近いんだぞ。オレにかまうな!」
「でも、コーチ!」
「うるさい。いまはテニスのことだけ考えろ。エースを狙え!」
「コーチ!」
 岡と呼ばれた少女は(たぶん、名前はヒロミだろうと思うマサキだった)、眼に涙を溜めて叫んだ。
「でも、あたし、コーチがいなかったら、テニスを続けられません!」
「甘ったれたことを言うな! げほ、げほ、げほ、げほ」
 もう、勝手にやってくれと思うマサキだったが、こうなったら、当然、登場してしかるべきキャラが登場した。
「あら、岡さん。またコーチに媚を売ってらっしゃるの?」
 言うまでもないが、ベルサイユのバラか、おまえは。それでテニスが出来るのか? それ以前に何人だよ。と、突っ込みたくなるような、金色の長髪をくるくる巻き毛にした女が現れたのだ。毎朝、髪のセットだけで二時間はかかりそうだ。
「竜崎さん! コーチが大変なんです!」
 岡が叫ぶ。お蝶夫人の名字は竜崎だ。ちなみに、彼女の名前はインターネットを調べなければ思い出せなかったのは秘密だ。それでも、ファーストネームが『麗香』なのか『麗華』なのか不明だ。あと『夫人』なのか『婦人』なのかもわからない。ご存じの方がいたら、ぜひメールか掲示板でお知らせいただきたいものである。

(と、書いたところ、さっそく掲示板でお答えをいただきました。「麗香」「夫人」が正しいのです。原典(コミックス)から調べていただいたお答えなので、間違いございません)


「コーチ。わたしがさすって差し上げます」
 お蝶夫人は、岡に負けじと、宗像の背中をさする。
「竜崎! おまえも、オレにかまうんじゃない! みんな、エースを狙うんだ! げほ、げほ、げほ、げほ」
「コーチ!」
 なんだか、わけがわからなくなってきた。
「え、えーと、ぼく、これで失礼します。どうぞ、ごゆっくり」
 マサキは、小声でそう言うと、テニスコートから逃げるように出ていった。つき合ってらんねえよ。
 そのあとマサキは、体育館に行ってバレー部をのぞいてみようかと思ったが、やめておくことにした。どういう状況か、予想がつくからだ。苦しくたって、悲しくたって、コートの中では平気な人たちが、汗と涙を流しているに違いない。たぶん。いや絶対に。そんなもん、見たくもないし、たとえ見ても、お若い人にはわからんギャグだ。
 スポコンはダメだな。ついていけん。だいたい、スポコンの生徒なら、襲われる心配はないだろう。自力でなんとかするよ。ラケットで暴漢をぶん殴るとか、バレーボールでアタックを決めるとかさ。
 マサキは首を振りながら、文芸部のある校舎に戻った。そうだよ。文学少女が一番危ない。そういう子を優先して守らなきゃ。うんうん。と、一人うなずくマサキだった。
 そのとき。べつにお約束というわけでもないが、お約束以外のなにものでもない理由で(なんじゃそりゃ)、マサキは安田玲奈のことを思い出した。
 玲奈自身は、なかなかしっかりした生徒だが、部活というからには、彼女以外の部員もいることだろう。茶道をたしなむ生徒なんて、たしかに一番危なそうだ。
 マサキは、無駄にした時間を取り戻すかのように、足早に茶道部へ向かった。
 じつは、茶道部は専用の教室を持っていた。早い話、茶室だ。学校に茶室があるなんて、さすがお嬢さま学校。千利休も喜ぶね。
 マサキは茶室の中を、窓からそっとのぞきこんだ。
 普通の教室のぐらいの広さの部屋の中央が一段高くなっていて、そこに八畳分ぐらい畳が敷いてある。利休のワビサビには、ちと広すぎる気がするが、まあ、部活としては、このぐらいの広さは必要だろう。
 マサキが見ていると、玲奈が茶筅で(竹ぼうきのミニチュアみたいなやつ)、茶わんに入れたお茶をかき回し始めた。三人ほどの部員が彼女の淹れるお茶を待っている。みんな、いかにもお嬢さまタイプの生徒ばかりだ。
 それにしても、なんだか、スローモションな世界。マサキは腕時計を見た。もう四時だ。あと一時間ほどで日が暮れる。こういう大人しそうな生徒は、ぜひとも明るいうちに帰宅していただきたい。
 一声かけとくか。
 マサキはそう思って、茶室の引き戸をガラッと開けた。
 とたん。
 玲奈のたてるお茶を、静寂の中で待っていた生徒たちが、何事かと、いっせいにマサキに注目した。
 当の玲奈も、マサキの姿を見て、その優雅な動きが止まっていた。
 弓道というのは心を落ち着かせるのが、もっとも大事な武道だ。そんな弓道を子供のころから続けてきた彼女は、何事にも動じない精神を養ってきた。なのにマサキが入ってきた瞬間、ドッキーンと心臓が大きく脈打っていた。もちろん、驚いたせいではない。
「あっ、すまん」
 と、マサキ。
「ノックを忘れてたよ。驚かせるつもりはなかったんだ。悪かった」
 いいえそんな。と、玲奈は答えたかった。なのに、瞬間声が出ない。
 すると、部員の一人が言った。
「先生。なにかご用ですか?」
「いや、用というわけじゃないんだ。ただ最近、物騒なことはみんな知ってるだろ。部活に精を出すのは関心なんだが、あまり遅くならないうちに帰りなさい」
 やっと先生っぽいセリフが言えたなあ。なんて、ちょっと自分に感動するマサキ。
「でも……」
 その生徒は、玲奈をちらっと見てから、困惑したように言った。
「まだ始めたばかりなんです。茶釜にお湯を張るところからやってますから」
「ふーん。なんだか知らんが、本格的なんだな」
「もちろんですよ。玲奈先輩は、裏千家からお免状をいただいてるんです。とっても、すごいんですよ。ね、みんな」
 部員たちが、うんうんと、うなずく。
「ちょっと、真奈美さん」
 玲奈が困ったように言った。
「わたしなんてまだまだよ。そんな大袈裟に言われると恥ずかしいわ」
「ふーん」
 テニス部に比べたら、百万倍はマシな気がするが、これはこれで、すごい世界だな。なんて、マサキは苦笑いを浮かべた。
「オレには、インスタントコーヒーを作ってるようにしか見えないけどねえ」
「はあ?」
 部員たちがハテナマークを頭に浮かべる。
「だって、カップに粉を入れて、お湯を注いでかき回すだけだろ?」
「まあ、先生ったら! なんてこと言うんですか!」
 部員たちが目をつり上がらせた。
 ところが。玲奈だけは、ぷっと吹き出した。
「うふふ。おっしゃる通り似てますね。マサキ先生ったら、おもしろい」
 部員たちは驚いた。玲奈が笑うところなんか、滅多に見たことがない。それも、茶道をバカにされたというのにだ。
「あっ、ごめんなさい。わたしったら……」
 玲奈は、部員たちの顔を見てあわてて謝った。
「マサキ先生。みんな真剣に茶道を勉強してるんです。インスタントコーヒーと一緒にされては困ります」
「ははは。悪かったな、みんな。どうもオレは育ちが悪いらしい」
 マサキは、笑いながら言った。そして、玲奈というお嬢さまに興味を持った。体育の授業のとき、玲奈はお茶をたてるのが一番すきだと言っていた。つまり、いまここにいる玲奈が、彼女の本当の姿なのだろう。だが、世間知らずのお嬢さまというわけではなさそうだ。ジョークのわかるところなど、マサキの好みだし、後輩に気を使うところも好ましい。
「ねえ先生」
 真奈美が言う。
「先生も、一度お茶をいただいてみれば、茶道の奥の深さがわかりますよ。あっ、そうだわ。せっかくだから、先生もいまから玲奈先輩のお茶をいただいたらどうですか?」
 驚いたのは玲奈だ。
「え、真奈美さん、なにを言いだすの。マサキ先生のご都合も考えないで、無理を言ってはいけません」
「あら、だって暇そうですよ、マサキ先生ってば」
「おいおい」
 マサキは、苦笑いを浮かべる。
「暇そうってのはないだろう」
「あはは。ごめんなさい」
 真奈美は、屈託なく笑った。
 マサキは、なんとなく安心した。いまどき茶道などやる女の子は、どんな子たちかと思ったが、やはり、こういうところは女子高生だな。
「ふむ」
 と、マサキ。下校時間までには、まだ一時間以上ある。無理に帰らすわけにもいかないし、玲奈にも興味がある。つき合ってみるか。
「まあ、たまには浮き世を忘れてお茶に親しむのもいいかもな。安田。オレも仲間に入っていいか?」
 マサキが聞くと、玲奈は明らかにうろたえた様子で答えた。
「え、ええ、それはもう、もちろん…… あの、でも、本当にお時間はよろしいんですか?」
「よろしいよ」
 マサキは、サンダルを脱いで畳に上がった。そして、ドカッとあぐらを組む。
「先生。正座」
 真奈美が言う。
「ああ、そうか。ごめん」
 マサキは足を組み直す。すると、それまでのだらしなさが嘘のように消えて、サムライが主君に対峙するかのような、キリリと引き締まった印象に変わった。
 とたん。
 玲奈の心拍がぐんと上がった。ドキドキ。マサキがものすごく、りりしく見える。
 やっぱりマサキ先生、武術の心得がおありになるんだわ……
 子供のころから厳しくしつけられてきた玲奈は、体育の授業のときもマサキの身のこなしから、武道家の雰囲気を薄々感ずいていた。だが、いまは、それを確信した。
「どうしたんですか、玲奈先輩?」
 真奈美が言った。
「えっ? あっ……」
 玲奈は、マサキに見とれていた自分に気づいた。
「な、なんでもないの。ごめんなさい」
 玲奈は、笑顔を浮かべて、自分の気持ちを覆い隠すと、点茶(抹茶をたてること)に集中することにした。
 ダメよ。落ち着かなくっちゃ。心が乱れていては、いいお茶はたてられない。マサキ先生に茶の湯を楽しんでいただかなくては。マサキ先生に…… ああ、どうしよう。マサキ先生、わたしのお茶を美味しいって言ってくださるかしら?
 なんて考えて、冷静になるどころか、いよいよ心が乱れる玲奈だった。
 玲奈は、新しい茶器を用意すると、心の中で深呼吸して、茶釜の前の座り直す。そして、茶杓に抹茶の粉をすくい、茶わんに入れる。
 柄杓を手にとる。節(柄の部分の真ん中あたりにある、竹の節)と、切止め(柄の一番後ろ)の真ん中あたりを、人差し指と親指の間に挟む。
 玲奈は点茶の中で、この瞬間が一番好きだった。心が引き締まるような気がするからだ。だがいまは違った。
 ドキドキ……
 いつになく慎重に湯をすくう。部員にはわからない程度だが、微かに手が震えている。
 ああ、ダメ。止まって。手が震えてるなんて、マサキ先生に笑われちゃう。玲奈は心の中で恥じていた。
 マサキは、そんな玲奈をじっと見つめていた。
 茶の湯のことはよく知らないが、この若さでたいしたもんだ。まだ十七だぜ、この子。すこーし、身体が固いっていうか、動きがぎこちないような気もするが、高校二年生で、ここまでできれば一級だろう。思えば、オレが高校生のころは、ただやんちゃなガキだった。里美先生に相手にされなかったわけだぜ。
 玲奈は、マサキの考えていることなど知る由もなく、なんとか、湯を茶わんに注ぐと、やはり微妙に震えながら(それでも優雅としか見えない)、茶筅で抹茶をかき混ぜた。このシェイクの仕方で、抹茶の味が変わる。適度に空気を入れると、甘みが出るのだが、その加減が難しい。
 できた。少し力を入れすぎたかしら? でも、たぶん大丈夫だと思う。
 玲奈は、茶わんをマサキのほうへスライドさせた。
「どうぞ」
「おう」
 と、マサキ。ぞんざいに答えてから、あわてて言い直す。
「じゃなくって、いただきます」
 マサキは、テレビかなんかで見たとおりの動きで、茶わんを手にとった。ここで、『いい茶わんですな』なんて言えば、ウケるかと思ったが、玲奈が妙に真剣な眼差しで自分を見ているので、おちゃらける気にならなかった。
 マサキは、両手で持った茶わんを口に運ぶ。
 一口、抹茶を口に含む。
「おっ」
 マサキは、いささか驚いた。苦いもんだとばかり思っていたが、ほんのり甘みがあって美味しい。思わず、残りを一気に飲み干してしまった。
 ずずーっ!
「うん! こりゃ、なかなか旨い!」
 やった! 玲奈はその場で飛びあがりたくなった。もちろん、実際にはそんなはしたない真似はしない。だが、彼女の身体から緊張が抜け、その美しい顔に、にっこりと嬉しそうな笑顔が浮かんだ。
「先生!」
 と、真奈美。
「全部飲んじゃダメじゃない。わたしたちにも回してくんなきゃ」
「えっ、そうなの? 知らなかった。ごめん」
「それに、旨いなんて言葉じゃダメです。ちゃんと玲奈先輩にお礼を言ってください」
「ああ。そうか。それは知ってるぞ」
 マサキは、茶わんを畳に置くと、玲奈に向かって軽く頭を下げた。
「けっこうなお手前でした」
「恐れ入ります」
 玲奈も、深々と返礼する。だが、最初の『旨い!』って言葉のほうが、ずっとずっと嬉しかった。


9


「あっ、来たわ」
 ドクター・ビューティーは、地下鉄の駅のほうから歩いてくる、黒い三角頭巾を被った男に駆け寄った。
「ジョッカー様、来てくださったのね。うれしいわァ」
 だれが来させたんだ! と、文句を言いたいところだったが、ジョッカーは、ぐっと我慢した。
「うむ。これでいのか?」
 ジョッカーはリモコンを渡す。
「そうそう、これよ。ありがとダーリン」
「こら。仕事中はダーリンと呼ぶな」
「うふ。照れちゃって。カワイイわ、ジョッカー様って」
「ったく…… ドクター・ビューティーにはかなわん」
「あのう~」
 構成員がポツリと言った。
「ジョッカー様、まさか、その三角頭巾を被ったまま、地下鉄に乗ったんですか?」
「そうだ」
「恥ずかしくないですか?」
「恥ずかしいに決まっておろーが! でも、しょーがねえだろ、これが総統の正装なんだから!」
「あたしもセクシーコスチュームですわ。男の視線が痛くって。おほほ」
「それ以前に、寒そうですよね」
 と、構成員。
「うるさいわね。女はファッションのためなら少しぐらい寒くたって我慢できるのよ」
「えーい! こんな無駄話をしている場合ではない!」
 ジョッカーが叫ぶ。
「ドクター・ビューティー! 作戦開始だ!」
「はい。ジョッカー様」
 ドクター・ビューティーは、リモコンのスイッチをポチッと押した。


10


 やはり、そのころ。
 里美は、けっこう重そうな資料の束を抱えながら、図書室に向かっていた。うんしょ、うんしょと、マジで重そうだ。
 そのとき。目の前の教室のドアがガラッと開く。
 中から出てきたのは、マサキだった。
「じゃあな。みんな明るいうちに帰るんだぞ」
 と、中の生徒に声をかけているマサキ。
 あっ、マサキくん。
 と、里美は声をかけそうになって、あわてて押し留まった。危ない危ない。生徒の前で『マサキくん』なんて、本当にマズイわよね。二人っきりのときならともかく……
 え? 二人っきり? や、やあねえ、わたしったら、なに考えてるのかしら。
 里美は、自分で自分の考えに赤面した。
「あれ」
 と、マサキのほうが里美に気づく。
「里美先生。まだいたんだ」
「ええ」
 里美はうなずく。
「ちょっと、明日の授業の資料を調べてたのよ。図書室に返してこなくっちゃ」
「持つよ」
 マサキは、里美の前に手を差し出した。
「いいわよ、気を使わなくたって。部活の見回りをしてるところでしょ?」
「里美先生こそ、遠慮しなくっていいって。むかしから、先生の荷物もちはオレだったじゃないか」
「マサキくんは、わたしの生徒じゃないわ。平気よこのくらい」
「へえ。そういうこというんだ」
 マサキは、ニヤリと笑った。
「な、なによ、気持ち悪いわね」
「いや、むかし里美先生が実習生だったころ、いまみたいに重い資料持って、階段で転んだのを思い出しちゃってさ」
「あっ! また、それを言う~、イジワルね。いいかげん忘れてよ」
 あのあと、二日ぐらい足が痛かったのよね。われながら大失態。翌年、マサキくんの高校に正式に赴任してからも、階段で転んだ先生って、マサキくんにからかわれたっけ。でも、いつも荷物をもってくれたのよね、マサキくんって……
「あはは」
 マサキは笑った。
「ごめんごめん。つい、懐かしくってさ。もう忘れるよ」
「嘘ばっかり」
 里美も釣られて笑う。マサキの笑顔は、高校のころと変わらない気がした。そして、いまの自分も。
「はい、かして」
 マサキは、ふたたび里美の前に両手を差し出す。
「デートの前に怪我されちゃ困るからね」
「デ、デートなんて言ってないわよ。わたしは同僚として……」
「いまさら遅いよ。オレはそのつもりだもんね」
「もう~、そういうとこ強引なんだから」
 里美は、苦笑いを浮かべながら、マサキに荷物を渡した。
「でも、これはお願いしちゃう。ああ、重かった」
「ホントだ。よく持ってたね。相変わらず勉強家だなあ」
 そのとき、茶道部の引き戸がガラッと開く。
「あら、先生まだいたの?」
 真奈美たちが出てきた。
「おう。そっちこそ、そろそろ終わりか?」
「ええ。茶具を洗ってから帰ります」
「気をつけてね」
 と、里美。
「マサキくんに、あまり心配かけちゃダメよ」
「マサキくん?」
 真奈美は、里美の失言にしっかり気づいた。
「あっ…… マサキ先生よ」
 里美はあわてて言い直す。もう遅いが。
「ふーん、へえ、里美先生とマサキ先生って、どういう関係なの?」
 そのとき。
「どうしたの?」
 玲奈も教室から出てきた。
「ねえ、聞いて聞いて、玲奈先輩! いまね、里美先生が、マサキ先生のこと『くん』って呼んだんですよ。怪しいですよね」
「あ、怪しくないわよ」
 里美は、ちょっとうろたえながら言った。
「マサキ先生は、むかし、わたしの生徒だったの。そのときの癖が出ただけよ」
「あはは」
 マサキは笑った。
「そういうこと。でも、これ以上ボロが出ないうちに退散したほうがよさそうだぜ、里美先生」
「ボロだって。いよいよ、怪しい~」
 真奈美が、ニヤリと笑う。
「もう、マサキ先生。変なこと言わないでください」
 里美は、マサキを睨んだ。
「ははは。ごめん。じゃあな、早く帰るんだぞ」
 マサキは図書室に向かって歩き始めた。
「ホントに、なんでもないんですからね、変な噂を広めちゃダメよ」
 里美は、真奈美たちに念を押すと、マサキのあとを追った。
 その二人の後ろ姿をじっと見つめる玲奈。
「やっぱり、怪しいわ。ね、玲奈先輩もそう思いますよね?」
 真奈美が言う。
「そうかしら? なんでもないと、おっしゃるんだから、きっと、なんでもないのでしょう」
「え~っ、そうかなあ? わたしは、なんかあると思うけどなァ」
「そんなことないわ」
 玲奈は、ぷいと真奈美に顔を背けて、洗い場のほうへ歩いていった。
「あっ、待ってくださいよ、玲奈先輩!」


11


 やっぱり、そのころ。
 沙織は、聖真女学院の生徒が利用する駅で、彼女たちの帰宅を監視していた。
「変ね」
 沙織が言う。
「大バカ高校の男子生徒の数がやけに目立たない?」
「ああ」
 と、沙織と一緒にいる、四十代ぐらいの職員が答える。
「彼らは隣の駅を利用するはずだ。おかしい」
「いつも、ナンパにくるのかしら?」
「まさか。十人ぐらいなら、そういう連中もいるだろうが…… ざっと数えても、三十人以上いるぞ」
「ええ。それも、まだ増えてるわ。まさか、ジョッカーのしわざ?」
「可能性はある。ジョッカーの連中、人を洗脳する装置を開発したって情報もあるしな」
「そんなこと、本当にできるの? 洗脳なんて、小説の中だけの話でしょ」
「水道橋博士の話じゃ、可能らしいぜ」
 水道橋博士とは、沙織たち悪の秘密結社撲滅推進室の、専属研究員のことだ。ちなみに、かの有名な、御茶ノ水博士の又従兄弟だ。おっ、また得意のジイさんキャラか? と、思ったみなさんには申し訳ないが、今回は、とくに登場する場面はない。
「嫌な予感がするわね。いまのうち、マサキを呼んどきましょ」
「あいつ、いま学校のほうを監視してるんだろ? もう少し、様子を見てからのほうがよくないか?」
「ふん。その学校でなにをやってるんだかね。だれがデートなんかに行かせるもんですか。めいっぱい働かせてやるわ」
「なあ沙織」
「なによ」
「おまえ、いいかげん、マサキに告白すりゃいいじゃないか」
「こ、こ、告白ってなによ?」
「好きなんだろ、マジで?」
「だ、だれが! バカ言わないでよ。あいつは、あたしが世界を征服したとき下僕にする予定なだけよ」
「ホント素直じゃねえなァ。そもそも、世界征服なんてバカな企画も、マサキとつき合う口実が欲しかっただけだろうに」
「う、う、う、うるさいわね! 半分は本気よ!」
「半分は図星か。困った嬢ちゃんだ。そんなこっちゃ、マジで里美とかいう先生に取られちまうぞ。いいのか?」
「だって…… だって…… マサキったら、あたしがいくらモーションかけても、ちっとも気づいてくれないんだもん」
「だから、世界征服じゃダメだって。ダイレクトに好きだって言えばいいじゃないか」
「いまさら言えないわよ、そんなこと」
「やれやれ。そこが素直じゃないって…… おっと、恋愛相談は終わりだ。マジでヤバイ雰囲気だぜ」
「え?」
 沙織は駅のほうに視線を移した。
 大バカ高校の男子生徒が、聖真の生徒にちょっかいを出し始めたのだ。
「いや、やめてよ、離してよ!」
 腕をつかまれる女生徒。
 沙織は、あわてて携帯電話を取り出す。
「やっぱり、マサキを呼ぶわ!」
「頼む」
 沙織の同僚は、一言答えると女生徒を助けに道に飛び出した。


12


「マサキ先生。そこに置いてくれればいいから」
 図書室に入ると、里美が言った。
「ああ」
 マサキは、テーブルの上に資料をドサッと乗せる。
「ありがと。助かったわ」
「はは。そう言ってもらえると、無理やり手伝った甲斐があるってもんだよ」
「無理やりだなんて…… ごめんね。さっきはなんか恥ずかしかっただけなの」
「恥ずかしい? なんで?」
「なんでって…… 自分でもよくわからないわ。とにかく恥ずかしかったのよ」
「生徒じゃなく、一人の男として見てもらえたってことかな?」
 案外、図星だったりする。
「も、もう。すぐそういうこと言うんだから。そんなこと言うと、今夜のデートすっぽかしちゃうわよ」
「やったぜ。ついにデートって認めたね」
「あっ……」
 里美は、ちょっと頬を赤らめた。
「い、いまのは、言葉のあやよ、言葉のあや!」
「ははは。言葉のあやでもいいよ。オレ、里美先生とデートするのずっと夢だったから。マジでうれしい」
「言っとくけど、わたしマサキくんが憧れるような女性じゃないですからね。どこにでもいる三十路の行き後れよ」
「二十五ぐらいに見えるよ」
「おだてたってダメよ」
「本心だ。それに、オレだって、もうガキじゃない。いまさら憧れだけで女性を好きになたりしないぜ」
「そ、そんなこと言わないでよ……」
 本気になっちゃうじゃない。と、あとに続く言葉を里美は飲み込んだ。もし、いまここでそれを言ったら、本当に自分の気持ちを押さえられそうもない。でも、ふと、押さえる必要があるのかしらとも思った。もう彼は生徒じゃない。一人の男性だ。
 そのとき。マサキの携帯電話こと、秘密の通信機が鳴った。
「なんだよ、いいとこなのに」
 マサキは、眉間にしわをよせながら、秘密の通信機こと、携帯電話を取り出した(さっきと呼び方が逆なのがミスだ)。
「はい。こちらマサキ」
『マサキ!』
 沙織だった。
『いますぐ、駅前に来て!』
「はあ? おまえな。人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて死んじゃうんだぞ」
『バカ! そんなんじゃないわよ! 非常事態よ! 大バカ高校の生徒が、聖真の生徒を襲ってるのよ!』
 沙織の声は、マジで緊迫していた。
「な、なんだって?」
『お願い、早くきて! 斎藤隊員がやられちゃう!』
「わかった! ほかの班にも応援を呼べ! オレが行くまで、なんとか持ちこたえてくれよ!」
 マサキは、通信を切った。
「なに? どうしたの?」
 里美が、怪訝な顔で聞く。
「里美先生。うちの生徒が大バカ高校の連中に襲われている」
「えっ!」
「いまから助けに行く。里美先生は、校舎に残っている生徒が下校しないようにしてくれ。外に出るのは危険だ」
「わ、わかったわ」
 マサキは、里美がうなずくのを見てから、ダッシュで図書室を出ていった。


13


「おーほほほほほっ!」
 ドクター・ビューティーの高笑い。
「わーっはははははは!」
 ジョッカーも高笑い。
「いやあ、さすがドクター・ビューティー。おもしろいように洗脳できるな。まるで操り人形だ。この調子で、大バカどもに、どんどん女子高生を捕まえてもらおう」
「おほほほ。あたくしは天才ですのよ。このくらい、朝飯前ですわ。でも朝ご飯はちゃんと食べましょうね。って、同じギャグは二度使っちゃいけませんわね」
「まったくだ。しかしドクター・ビューティー。きみは本当に天才だな。女子高生軍団を作るなんてアイデア、普通の人間にはできんよ」
「おほほほ。あの憎っくきマサキが、聖真女学院に代打教師で行くことを見越した作戦ですわ。まさか、一度でも生徒になった女の子たちとは戦えないでしょうからね」
「それでなくても、女の子には手を上げられんもんなんだよ、男ってのは。そのあたりの心理をついた見事な作戦だ」
「おほほほ。お誉めいただいて光栄ですわ」
 すると。
「あのう~」
 構成員が口をはさむ。
「こんなすごい洗脳装置があるなら、なにも大バカ高校の男子生徒を洗脳する必要もなかったのでは?」
「なんでよ? 女子高生を捕まえる連中が必要でしょうに」
「いえ、その女子高生を、直接洗脳しちゃえばよかったんじゃないかな。なんて思ったもんですから」
「あっ……」
 ドクター・ビューティーとジョッカーは顔を見合わせた。どうやら、いまのいままで、そのことに気づいていなかったようだ。
「ドクター・ビューティー。なんか、わたしも、こいつの言うとおりのような気が……」
「お待ちになって! それ以上言ってはいけませんことよ!」
「だが……」
「シャラーップ! こっちの作戦のほうがおもしろいからそれでいいの!」
「あっ、開き直った」
「うるさーいっ! 悪の秘密結社は、なんでか遠回りな計画を立てなきゃいけない運命なのよ!」
「うむ。それはそれで真理だな。ドクター・ビューティーが正しい」
「でしょ、でしょ。やっぱりダーリンは、あたしのことわかってくださるのね」
「もちろんだよ。わたしも、伊達に悪の秘密結社の総統なんかやってないよ」
「あーん、うれしい。ダーリン、愛してますわァ」
 ドクター・ビューティーは、ジョッカーに抱きついて、チュッチュッと、顔中にキスをした。
「わははは。やめないか。みんな見てるぞ」
「んー、もう、邪魔な三角頭巾ね!」
 ドクター・ビューティーは、ジョッカーの頭巾をめくる。
「わーっ、こら、正体がばれる!」
 だが、ムチュゥ~。とキスをするドクター・ビューティーの頭に隠れて、ジョッカーの顔は見えなかった。言っとくが、べつに複線ではない。
 それはともかく。
 いやあ、もう熱くってまっちゃうね。やってらんねえよ。と思う、構成員たちだった。


14


 間に合ってくれよ!
 マサキは走っていた。同僚の斎藤隊員や沙織はどうでもいい。いや、どうでもいいってこともないが、とにかく生徒を守らなくてはいけないのだ。
 ところが。
 マサキは、そう簡単には駅にたどり着けなかった。下校途中の生徒が、駅に向かう道でも襲われていたからだ。
「きゃーっ!」
 二年A組の学級委員の近藤春江が、数人の大バカどもに囲まれている。
「きさまら、その子に手を出すな!」
 マサキは、大バカどもの前に立ちふさがった。
「あっ、先生!」
「委員長。もう大丈夫だ」
「きゃーっ、先生カッコいい!」
「声援は、このバカどもを片付けてからにしてくれ」
 マサキは、中国拳法の構えをとった。
 さあ、いよいよアクションシーンだ。作者はヘッドフォンを装着すると、気分を盛り上げるために、ロックのCDをCDプレーヤーにセットして、再生ボタンを押した。

 ♪ 探し物はなんですか? 見つけにくいものですか? ♪

 あっ、いかん。井上陽水だった…… などと意味不明なギャグで行数を無駄に使っている場合ではない。
「なんだオッサン、邪魔すんじゃねえよ!」
「オッサン?」
 マサキの眉がぴくりと上がる。まあ、高校生から見たら、マサキもオッサンなのかもしれないが。
「ふふふ。どうやらオレを本気にさせちまったようだな。バカめ」
 マサキは不敵に笑う。
「ふふん。いまどきの高校生を怒らせたてめえのほうが、よっぽどバカだぜ」
 大バカの高校生たちもニヤニヤ笑う。
「無駄話は終わりだ。時間もないし、サクサクいくぜ! はーっ!」
 パンパンパンパン!
 マサキは、目にも留まらぬ速さでカンフー技を繰り出した。
「ぐえっ!」
「ぎはっ!」
「どしぇ!」
「ぶはっ!」
「ひでぶ!」
 つぎつぎに大バカどもが倒されていく。映像をお届けできないのが残念だ。間違っても作者の筆力不足と思ってはいけない。
 五、六人いた大バカどもは、わずか数秒で、強制的にアスファルトの上でお昼寝させられていた。
「す、すっごーい……」
 助けられた委員長は、マサキが、まさかここまで強いとは思わず、あんぐり口をあけていた。
「委員長!」
 と、マサキ。
「この先は危険だ! 学校に戻っていろ!」
「あっ、はい!」
 委員長は、われに返って大きな声で返事をする。
 マサキは、委員長の返事を聞くと、ふたたび駅に向かって走る。
 だが、途中もこんな調子で、大バカ高校のおバカどもと戦わなければならなかった。おかげで、駅にたどり着いたのは、二十分後だった。
「マサキ!」
 マサキの姿を発見して叫んだのは沙織ではない。
「斎藤さん! 大丈夫かよ!」
 斎藤は頭から血を流していた。
「オレは大丈夫だ。それより、一歩遅かった。たったいま、生徒と沙織がさらわれたところだ」
「沙織だと?」
「そうだ。生徒を助けようとした沙織もさらわれた」
「くそっ、あいつも一応女だからな。それにしても、大バカ高校のおバカども、トチ狂いやがって。あんなのさらってどうするつもりだ」
「こらこら。同僚をあんなのとはなんだ。おまえも沙織の気持ちに気づいてやれよ」
「なんの話だ? それより、いったい、何人さらわれたんだよ?」
 マサキが斎藤隊員に聞く。
「五十人ぐらいだ」
「げっ。大失態だな。応援の連中はいったい、なにを……」
 そのとき、やっとほかの班も到着した。
「おーい。大丈夫かおまえら?」
「大丈夫じゃねえ!」
 マサキが怒鳴る。
「いまごろなんだよ、遅すぎるぞ!」
「そういうな。ここへ来る途中にも、襲われてる生徒を助けてたんだ」
「くそっ、どこも一緒か」
「おまえもか、マサキ?」
「ああ。百人ぐらい大バカどもを倒した。尋常じゃねえぞ、この数は」
「百人…… さすがマサキだ。それにしても、ジョッカーの仕業で間違いなさそうだな。噂の洗脳装置だろうか?」
「たぶんな。ドクター・ビューティーめ。とんでもねえ機械を作りやがって」
「性格が破綻してなきゃ、いい女なんだがな。ナイスバディの美人」
「まったくだ。じゃなくって、みんな、付近を捜索してくれ」
「マサキは?」
「学校に戻る。あっちも心配になってきた」
「わかった」
 マサキたちは、とりあえず解散した。


15


 そのころ、ジョッカーたち。
「はーい、大バカのみなさん。女子高生たちを傷つけなように運んでください。ほらそこ、高校生のくせに煙草なんか吸っちゃいかんよ。マジメに働きなさい」
 などと、構成員が、洗脳された大バカたちを先導していた。いつの間にか、バスを五台もレンタルしている。
 ジョッカーが、その様子を見ながら言う。
「大漁だなドクター・ビューティー。バス五台で足りるかね?」
「なんとか押し込みましょう」
「うひゃひゃ。女子高生のすし詰めか。わたしも乗りたい」
「ダーリン……」
 ドクター・ビューティーが、ジトッとジョッカーを睨んだ。
「あっ、うそうそ、冗談だよドクター・ビューティー!」
「へえ、そう言うわりには、さっきから鼻の下が伸びてますわよ」
「えっ?」
 あわてて、鼻の下を隠すジョッカー。
「って、三角頭巾を被ってるんだから、見えるわけないだろうに!」
「おほほほ。図星だったみたいね」
 ドクター・ビューティーは、顔は笑いつつ、こめかみに青筋を立てながら、ジョッカーのお尻をキュッとつねる。
「いたっ!」
「ホント、悪い子ちゃんね。若い子にオイタしたら、ムチで百叩きですわよ」
「はい…… すいません……」
「おほほほ。でもジョッカー様。やはり大バカたちを先に洗脳したのは正解でしたわね」
「うむ!」
 復活するジョッカー。
「怪我の功名とはこのことだな。マサキたちが駅前に応援に行ってる間に、肝心の聖真女学院がガラあきだったからな」
「おほほほ。ごっそり大量入荷ですわ。ちょーっと年増も混ざってますけど、ま、いいでしょ。許容範囲ですわ」
 そうなのだ。聖真女学院そのものが、ジョッカーたちに襲われていたのだった。
「ドクター・ビューティー」
 と、ジョッカー。
「その年増だが、あの女教師は使えるぞ」
「なにか思いついたんですの?」
「うむ。あの教師、マサキが好きだった女だ」
「あら」
 ドクター・ビューティーのブルーの瞳がキラリンと光る。
「それはいいことをお聞きしましたわ。使いでがありますわね」
「沙織も手に入れたしな。ふふふ。こいつは楽しみだ」
「いわゆる、人質ですわね。彼女たちを使って、罠を仕掛けましょう」
「罠。いま罠といったか、ドクター・ビューティー!」
「はい、ジョッカー様」
「ああ、なんと甘美な響きだ。罠。いいなあ」
 ジョッカーはうっとり。
「おほほほ。あたしの罠は特に甘美ですわよ」
「ベッドの中にいる、きみみたいにかい?」
「うふん」
 ドクター・ビューティーは、艶めかしく腰をくねらせた。
「もう、ジョッカー様ったら。ベッドの中で、あたしにシャネルの五番しかつけちゃいけないって言ったのは、あなたですわよ」
「ドクター・ビューティーの魅力的な姿を布で包むなんて、そんな無粋なまねは、わたしにはできんよ」
「もうジョッカー様のエッチ。今夜はたっぷり可愛がって差し上げますわ」
「うははは。男冥利につきるねえ! このまま世界征服に向けて驀進だ!」
「おほほほ。世界征服をした暁には…… わかってますでしょうね?」
「なにが?」
「あら。またトボケちゃって。悪い子ちゃん」
「わははは! わかってるって、結婚式は盛大にやろう!」
「うふ。それを聞いて、いよいよ、やる気が出てきましたわ」
「わたしもだ。血がたぎる。メラメラと悪の炎が燃えているぞ」
「おほほほ。今夜の体力は残しておいてくださいましね」
 相変わらずのジョッカーたちであった。しかし、ジョッカーはなぜ、マサキが里美を好きだったと知っているのだろうか? 謎だ。


16


「げーっ!」
 マサキが戻った校舎は、もぬけの殻だった。
「ジョ、ジョッカーめ! 許せん! 沙織どころか、里美先生までさらうとは! デートが台無しじゃねえか!」
 もちろん、デートどころの騒ぎじゃないのは、マサキもわかっているのだが、デートを基準にして文句を言わないと、気が納まらないのもまた事実だった。
「待っててくれ。必ず助けてやるからな。里美先生!」
 マサキの心は、メラメラと燃え上がった。


17


 その里美は、無理やり乗せられたバスの中で叫んでいた。
「みんな! 大丈夫。心配しないで! 必ずマサキ先生が助けに来てくれるわ!」
 助けには来るだろうが、マサキの思惑など知らない里美であった。
「そうよ」
 里美に応えたのは二年A組の委員長だった。
「里美先生の言うとおりだわ。マサキ先生って、すっごく強いのよ。わたしビックリしちゃったんだから」
 この子も、学校に戻ったせいで捕まったのだった。
 すると、ほかの生徒が言った。
「なんで、マサキ先生なんですか? ふつう警察じゃないんですか?」
 ごもっともである。
 だが、里美は落ち着いた声で答える。
「その質問はもっともだわ。でもね、いまだから話すけど、マサキ先生は、本当の教師ではないの。あなたたちを守るために、文部省から派遣されてきた、暴力対策専門の代打教師なのよ」
「えーっ!」
 生徒たちが驚く。だが、つぎの瞬間。彼女たちの驚きは黄色い声に変わる。
「わたしたちを守るためだって!」
「マサキ先生って、やっぱりカッコいい!」
「きゃーっ!」
 一瞬、やぶへびだったかと思う里美だが、生徒たちが落ち着いてくれたので、まあいいかと思い直した。
「とにかくみんな。マサキ先生が助けにきてくれるまで、気をしっかり持ちましょうね」
「はーい!」
 と、生徒たちは答えたあと、みんなバッグから化粧道具を取り出して、いそいそと口紅をつけたりファンデーションを塗ったりし始めた。
「ちょ、ちょっと、みんな」
 今度は里美が驚く。
「なんですか、化粧品を学校に持ってくるのは禁止でしょ。いえ、そこまでは百歩譲って許すにしても、なんでいま、化粧を始めるのよ?」
「だって」
 と、生徒の一人。
「マサキ先生が助けに来てくれるんですよ。変な顔じゃ会えないわ」
「そうよそうよ」
 と、べつの生徒。
「こういう状況って、映画なんかじゃ恋が始まる定番じゃないですか。マサキ先生のハートをゲットよ」
「ゲットって、あなたたたち……」
 頭が痛くなる里美。だが、心の片隅で、化粧道具を学校に置いてきてしまったことを後悔したりする島崎里美、三十歳であった。なによなによ、あなたたち、化粧なんてしなくても平気じゃない。わたしこそ、化粧が必要なお年ごろなのよ!
 そして、同じバスに、本当に化粧の必要などまったくない美少女も乗っていた。言うまでもなく、安田玲奈だ。
 マサキ先生……
 玲奈は、神に祈るように、胸の前で手を握り締めていた。
 どうか、わたしたちを助けるために、ご無理をなさらないでください。マサキ先生にもしものことがあったらわたし…… お願い神様。マサキ先生をお守りください。
 どうやら彼女には、心の化粧も必要ないようだった。


18


 べつのバス。
「その、汚い手を離しなさい!」
 沙織が、叫んでいた。いや、叫んでいるだけではない。
 バキーッ!
 大バカ高校の生徒をぶん殴る沙織。
「お、おい、どうするよ、このネーチャン」
 ぼそぼそと相談を始めるおバカたち。さらってきた女性に、傷をつけないようにと、彼らはジョッカーから命令されている。洗脳されているので、命令には逆らえない。
 ちなみに、このバスは、ほぼ沙織専用だった。彼女が暴れるので、ほかの女生徒を乗せられなかったのだ。その代わり、洗脳された大バカ高校の男子生徒が、たくさん乗っている。
「なにを、ぼそぼそ言ってんのよ! あんたたち、いい年こいて、洗脳なんかされてんじゃないわよ!」
 洗脳に年は関係ないような気もするが、沙織にそんな理屈は関係なかった。
「しょうがねえな」
 と、おバカたち。
「とりあえず、人海戦術で取り押さえるか」
「な、なによ、ちょっと、やめなさい。近寄るんじゃないわよ!」
 だが、つぎの瞬間、おバカたちは一斉に、沙織に飛び掛かった。
「きゃーっ!」
 と、悲鳴を上げる沙織。
 だが。
 ボカッ!
 バキッ!
 グシャ!
 悲鳴を上げてるわりには、つぎつぎにおバカたちを倒す沙織であった。しかし、グシャって言うのはマズくないか?
「おい、なんだよ、強いぞ、このネーチャン!」
 と、おバカたち。
「よく捕まえたよなあ」
「相撲部の太田が捕まえたらしいぜ」
「んじゃ、もう一回、太田を連れてこいよ」
「いやそれが、捕まえたまではいいんだけど、そのあと入院したってさ。全治二ヶ月」
「重体じゃねえか!」
「命があっただけ、めっけもんだって、本人が言ってたぜ」
「うわあ、とんでもねえバスに乗っちまったなあ」
「どうするよ、ばっくれちまうか?」
「おいおい。オレら洗脳されてんだから、逃げるわけにはいかねえだろ」
「そりゃそうだ。ははは」
 というわけで、おバカたちは、やられてもやられても、沙織に向かっていくのだった。洗脳装置恐るべし(そうかァ?)。
「だから」
 ボカッ!
「やめなさいって」
 ボキッ!
「言ってるでしょ!」
 バキッ!
 擬音を考えるのも大変なのね。北斗の拳の作者は偉大だなあ。
 そんなこんなで、沙織はおバカたちをたいてい倒してしまったが、さすがに息が上がってくる。
「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ…… あんたたち、いいかげんに、ぜえ、はあ、ぜえ、はあ…… しなさいよ」
 もう限界。
「いまだ!」
 残ったおバカが、沙織に飛びつく。
「いやーっ! マサキ助けてーっ!」
 彼女の声は、マサキに届くのだろうか?


19


「ヘックション! うーっ、だれだ、オレのうわさをしてるヤツは」
 一応届いたみたいね。と、お約束のギャグをかましている場合ではない。
「マサキ先生!」
 加藤茶にそっくりの学園長が、あわてて走ってきた。すごい。二回も登場するとは本人も思っていなかったに違いない。
「どうしました、学園長!」
「いま、大バカ高校の生徒が、こんなものを持ってきましたぞ!」
 学園長は、紙切れをマサキに渡した。

『はたしじょう。マサキどの。こんやじゅうじに、よこはま、あかレンガそうこに、こられたし。ただし、さとみとさおりのいのちがおしければ、ひとりでくること』

「なんだこりゃ。漢字がねえぞ!」
「いやあ、なにせ大バカ高校の生徒ですからな」
「それにしたって小学生なみだぜ。しかも低学年」
 とてもじゃないが読みにくいので、翻訳しよう。

『果たし状。マサキ殿。今夜十時に、横浜、赤レンガ倉庫に来られたし。ただし、里美と沙織の命が惜しければ、一人で来ること』

「ふん。ジョッカーめ。人質をとっていい気になってるな」
 マサキは、果たし状を、クシャッと握りつぶした。
「行ってやるぜ。やつらの野望は、オレが必ず打ち砕く!」
 おー、おー、カッコつけちゃってまあ。でもさあ、作者が言うのもなんだけど、この小説で、カッコつけるのは無理だと思うよォ。


20


 で、夜の十時。
「マサキ」
 斎藤隊員が言う。
「本当に一人で行くつもりか? こりゃ罠だぞ。飛んで火に入る夏の虫だ」
「わかってる。これが罠じゃなけりゃなんだって言うんだよ」
 マサキは、ニヤリと笑った。
「罠。大いにけっこう。罠だろうがなんだろうが、ひっくり返してやるよ」
「おいおい。たしかにおまえ一人なら、なんとでもなるだろうが、生徒がいるのを忘れるなよ。やはり、警視庁と連携して作戦を練ったほうがいいって」
「バカいうな。被害者の調書をねつ造して、ろくな捜査もしない連中に任せておけるかよ」
「危ねえ発言だな。そういう連中は警察の中でも一握りだぞ」
「さあね。氷山の一角かもよ。それに、あいつらは未成年に手を出せない。その点、オレらは内閣黙認の秘密機関だぜ。なんでもアリだ」
「まあ、それはそうだが……」
「心配するなって。人質は必ず助ける」
「ったく…… どうやら、いまのおまえに何を言っても無駄のようだな」
「かもな。だが冷静なつもりだ」
「その言葉を信じるよ。沙織のことも頼んだぞ」
「あいつは大丈夫なような気もするが……」
「バカ。沙織はあれでも優しい子なんだぞ。もっと気を使ってやれよ」
「斎藤さん。あんた妻子持ちだろ?」
「それがどうした」
「不倫はいかんぜ」
「はあ?」
「沙織に気があるんだろ?」
「バカ」
 斎藤隊員は頭を押さえた。
「ホント、おまえバカ野郎だな。いや、大バカ野郎だ。頭に脳味噌入ってるか?」
「なんだよ。やけに絡むじゃないか。言いたいことがあるなら、ハッキリ言えよ」
「沙織はな、おまえに惚れてんだよ。本気で」
「冗談きついぜ。世界征服を企む女だぞ」
「世界征服計画なんて本気で考えてるわけないだろうに。おまえの気を引きたかったから、あんなバカやってるだけだ」
「マジ?」
「こんな冗談言うと思うか?」
「おい、そりゃないよ、こんなときに。オレは里美先生を助けたくって…… おっと」
「それが一人で乗り込む理由かよ。たく、どいつもこいつも、最近の若い連中は」
「なんでもいいじゃねえか。とにかく、オレは里美先生を助ける。生徒も助ける。ついでに沙織も助ける。それだけだ」
「沙織はついでかよ。まあいい。もうなにも言うまい。あとは、おまえらの問題だ。だが、無茶だけはしてくれるなよ」
「どうかな。今夜は無茶をしたい気分だぜ」
 マサキは、キリッと顔を引き締めて、目の前の赤レンガ倉庫を見つめた。


21


 玲奈は、赤レンガ倉庫へ連れてこられてから、不安で胸が押しつぶされそうだった。ほかの生徒たちは、マサキが助けにきてくれると信じて疑わない。いや、玲奈もマサキを信じているのは、ほかの生徒と同じだ。
 だが……
 バスを降ろされるとき、里美だけべつの部屋に連れていかれたのだ。そして、ほかのバスに乗っていた、見慣れない女性も、里美と一緒につれていかれた。
 絶対になにかある。
 玲奈は、直感的にそう思った。その『なにか』が、どういうものかわからない。ただそれが、悪いことであるのは間違いないはずだ。
 マサキ先生……
 玲奈は、マサキの顔を思い浮かべる。抹茶を飲み干して、旨いと言ってくれた顔。もしかしたら、助けにきてくれるマサキ先生を陥れる罠かもしれない。
 玲奈は、そう思うと、いても立ってもいられない気分になった。閉じ込められている倉庫の中を見渡す。体育館ぐらいの広さがある倉庫。そこに、さらわれた生徒がみんな集められている。その数が多いし倉庫も広いので、監視している大バカ高校の男子生徒が手薄に思えた。
 いまなら、抜け出せる。
 玲奈は、密かにそう思った。
 わたしでは、里美先生と、あの女の人を助けることはできないだろうけど…… でも、マサキ先生に、そのことを伝えることはできる。それに、もしかしたら、手助けぐらいならできるかもしれない。
 でも……
 玲奈は迷った。
 どうしよう…… わたしが勝手なことをしても、かえってマサキ先生の足を引っ張るかもしれない。
 それでも、玲奈は決意した。もう、気持ちを押さえきれない。里美先生を助けたい。マサキ先生のためになりたい。
「真奈美さん」
 玲奈は、茶道部の後輩に小声で言った。
「一度しか言わないから、よく聞いて。わたし、ここから抜け出してみるわ」
 真奈美は、えっ、と驚きの声をあげようとして、あわてて、自分で口を押さえた。
「ま、待て下さい先輩」
 小声で答える。
「そんな危険なことしちゃダメですよ。里美先生が言ってたじゃないですか、マサキ先生が助けにきてくれるって。待ちましょう。マサキ先生を」
「わかってる。でも、その里美先生が心配なの。わたし、マサキ先生を信じてるけど、里美先生がべつの部屋に連れていかれたことを伝えたほうがいいわ」
「そ、そうかもしれないけど……」
「大丈夫。わたし、これでもけっこう強いのよ」
 玲奈は、おどけた顔で力こぶを作ってみせた。本当は自分だって恐い。それでも真奈美を安心させたかったのだ。
「ダメ。やめてください。お願いですから」
 真奈美は泣きそうな顔を浮かべる。
「いくら、玲奈先輩が運動神経ばつぐんでも、危険すぎます」
「ごめんね、真奈美さん」
 玲奈はやさしい声で言った。
「わたしもう決めたの。手遅れにならないうちに、なんとかしなきゃ。ここでジッとしていたくないわ」
「先輩……」
 真奈美は、タメ息をつく。
「そこまで言うなら、もう反対しません。でも、絶対に危険なことはしないって約束してくれますか?」
「ええ。もちろんよ」
「ホントに?」
「わたし、真奈美さんに嘘をついたことある?」
「いいえ」
 真奈美は首を振った。
「わかりました。わたし、玲奈先輩を信じます」
「ありがとう」
 玲奈は、ほほ笑みながら言った。
「でね。真奈美さんに、ちょっと頼まれてほしいことがあるの。監視の眼を少しだけ引きつけてくれないかしら」
「はい。でもどうしたら…… あっ、そうだ。トイレに行きたいって騒ぎましょうか?」
「ええ、いいと思うわ。右側にあるドアの方でやってもらえる?」
「はい。先輩、くれぐれも気をつけてくださいね」
 真奈美は、そう答えると、玲奈に指示されたドアの方へ歩き始めた。
 真奈美の姿が生徒たちの間に消えるのを待って、玲奈は反対方向のドアに向かう。ドキドキと心臓が脈打つ。うまくいくだろうか。とても不安だ。そして恐い。だが、それ以上に、自分が決心したことをやり遂げようとする強さが、彼女にはあった。
「ねえ!」
 遠くから真奈美の声が聞こえた。
「トイレに行きたいの! ここから出して!」
 すると、一拍置いて、倉庫の中がざわつく。
「わたしも!」
「あたしも行きたいわ!」
 つぎつぎに、べつの生徒が真奈美に同調した。べつに彼女の作戦を知っているわけではない。たぶん、本当にトイレに行きたいのだろう。おかげで、作戦は想像以上の効果があった。突然、出口に詰め寄る女生徒をさばくのに、ほとんどの男子生徒が真奈美のいる方へ移動したのだ。
 玲奈は、そのチャンスを逃さなかった。監視している男子生徒はもちろん、ほかの女生徒にも知られることなく、そっと倉庫を抜けだした。


22


 そのころマサキは、あたりを警戒しながら、倉庫に近づいていた。
 警備が手薄。いや、なに等しい。これほどわかりやすい罠もないってもんだぜ。マサキは心の中で苦笑いを浮かべながら、倉庫の前に立つと、荷物搬入用の巨大なドアの横にある、人が出入りするための小さなドアのノブをゆっくり回す。
 もちろん、なんの抵抗もなくドアは開いた。
「気が抜けるねえ……」
 なんとなく、バカにされているような気分になるマサキ。まあ、ここで無駄な時間を浪費させられるよりかはいいか。
 マサキは、薄暗い倉庫の中に入った。こうなったら、堂々と侵入してやろうかと一瞬思った。だが、この赤レンガ倉庫は、もう何十年も前に使われなくなっているのに、当時、建物と一緒に捨てられた廃材が山のように詰まれていて、身を隠す場所はいくらでもあるのだ。さすがに、敵がどこから出てくるかもしれない場所で、無謀なことはできない。マサキはセオリー通り、壁際に沿って、十分警戒しながら倉庫の奥へ入っていく。
 すると。数メートル先の廃材の陰に、人の気配を感じた。
 やっと、お出ましか。
 マサキは、妙な安心感を覚えた。お化け屋敷で、なにが出てくるかとビクビクしているとき、あからさまに、人形のお化けに遭遇したような気分だ。
 しかし、相手もマサキの気配に気づいたらしく、さっと廃材の奥に隠れる。
 ほほう。気配を消しているオレに気づくとは、なかなかデキる野郎だな。敵を侮ってる気はないが、ジョッカーの手下にしては上出来だぜ。
 とはいえ、マサキは中国拳法の達人。しかも、特殊訓練を受けたプロだ。すぐさま、廃材を迂回するように回り込み、相手の裏手に回る。
 いた、いた。うずくまって、隠れてやがる……
 あれ?
 マサキは、動きが止まった。
 なんだよ、あいつ安田じゃないか。
 そう。隠れているのは安田玲奈だった。どうやら、おびえているらしく、肩が小刻みに震えている。
 まさかな…… これが罠ってことか? だが、彼女だけうまく逃げてきたってことも考えられる。どーするよ?
 マサキは迷った。
 ええい、迷ってても仕方ない! 罠とわかっていて飛び込むと決めたのはオレだ。毒を食らわば皿までだ。
 マサキは、玲奈にそっと近づいて、彼女の背中を抱きしめるように捕まえた。もちろん、口を押さえるのも忘れていない。
 玲奈は、マサキに捕まった瞬間、もがこうとした。
「静かに」
 マサキは玲奈の耳元でささやく。
「オレだ。マサキだ」
 玲奈は、マサキの声を聞くと、とたんに身体の力を抜いた。罠かもしれない。そう思いつつも、マサキは玲奈を離す。
「マサキ先生……」
 玲奈が振り返った。
「安田。なぜおまえがここにいるんだ?」
「あの……」
 玲奈は、言葉に詰まった。じつは、捕まっている倉庫から抜けだしたのはいいものの、里美は見つからず、そのあと、どうしたらいいかわからなくて、途方に暮れていたところなのだ。そして、誰もいない倉庫の中で、ひどく心細かった。
「わたし…… わたし……」
 玲奈の瞳が潤んでくる。
「マサキ先生…… わたし……」
「お、おいおい。どうした?」
「ごめんなさい。わたし、勝手なまねを…… いても立ってもいられなくて…… でも、どうしていいかわからなくて、わたし……」
 やや、錯乱している玲奈。いくら意思が強くても、彼女はまだ十七歳の女の子なのだ。
 そんな玲奈を見て、マサキは、自分が彼女にとっては教師であることを思い出した。だから、わざと先生っぽく言う。もちろん、言葉の角をとって、柔らかい声にするのも忘れなかった。
「落ち着きなさい。なにがあったんだ? ゆっくり話してごらん」
「あっ…… はい」
 その声を聞いて、玲奈は落ち着きを取り戻した。
 深呼吸を一つ。そして、それまでの事情をマサキに説明する。里美のこと、見知らぬ女性のこと、そして、倉庫から抜けだしてきたこと。
「なるほど」
 マサキはうなずく。
「オレが、本当の教師ではなことはバレてるわけだな」
「はい。でも里美先生は、わたしたちを安心させるために、マサキ先生のことを話したんだと思います」
「わかってる。里美先生らしいよ。早く助けないと」
「ええ。わたし、いろいろ探したんですけど、里美先生の居場所はわからないんです」
「待て」
 と、マサキ。
「それ以前に、オレは言いたいことがあるぞ」
「わかってます。ごめんなさい、勝手なまねをして」
「こら。先に謝るなよ。怒れなくなるじゃないか」
 マサキは笑った。
 玲奈も釣られて笑顔を浮かべる。だが、すぐマジメな顔に戻って、もう一度ごめんなさいと、頭を下げた。
 マサキは、拳を作ると、玲奈の頭をポカッと軽く叩いた。本当に軽く。
「悪い子だ。でも、オレが安田の立場だったら、同じことをしたと思う。一人でよくがんばったな。心細かったろう」
 玲奈は、マサキの言葉に、胸が熱くなった。すごく優しい……
「マサキ先生……」
 玲奈の瞳が、また潤んでくる。
「もう大丈夫だ。あとはオレに任せろ」
「はい」
 玲奈は、涙をぬぐうと、やっと本当の笑顔を浮かべてうなずいた。
「安田」
 マサキは、顔を引き締める。
「この倉庫を見て、なにか気づくことはないか?」
「えっ?」
 玲奈は、一瞬言葉に詰まったが、すぐマサキの言いたいことを理解した。
「監視がいませんね」
「そのとおりだ。こいつは罠だよ。オレを誘いこむためのな」
「はい。わたしもそう思いました。だから、里美先生の監禁場所を探したくて」
「度胸だけじゃなく、頭もいいな。いままで、ジョッカーの罠に乗ってやろうと思っていたが、安田に会って考えが変わったよ。里美先生は後回しだ。生徒の救出を優先しよう」
 マサキは、たとえ仮の姿でも、教師という立場を優先した。その意味で、ここで玲奈に会ったことはよかったと思った。もし、彼女がいなければ、自分は里美だけを助けようとしたかもしれない。
「賛成です。里美先生は心配だけど……」
「ああ。安田はここでじっとしていなさい」
「えっ…… そんな! わたしお手伝いします!」
「生徒に危険なまねはさせられない。と、言いたいところだが……」
 マサキは、玲奈にウィンクする。この子なら、きっといい助手になるだろう。
「どうやら、そうも言ってられないようだ。手伝ってくれ」
「はい!」
 玲奈は、うれしそうに答えた。マサキ先生のお手伝いができる! うれしい!
「ははは。損な役なんだぞ、本当は」
「わかってます。でも、わたしもなにかしたいんです」
「そう言ってくれると助かるよ。まず、生徒が捕まっている場所に案内してくれ」
「隣の倉庫です。地下に細い廊下があって、そこから行けます」
「監視は?」
「廊下にはいません。ですが、みんなが捕まっている倉庫には、十人ほどいたいました。真奈美さんが、うまく注意を逸らしてくれたんですけど、もう時間が経っていますから、もとに戻っていると思います」
「そうか……」
 十人。なんてことない数だ。しかし、そいつらを倒す間に、生徒に危害が及ばないとはいえない。どうするか…… マサキの顔が曇る。
 すると。
「先生。ほかの生徒のことなら大丈夫だと思います」
 玲奈が言った。
「ん?」
 マサキは、内心驚いた。玲奈はマサキの考えをすぐに察したのだ。本当に頭のいい子だ。
「どうしてだ?」
「あの男子生徒たち、わたしたちに危害は加えられないようなんです。そう命令されているんだと思います」
「洗脳だよ」
「洗脳?」
「そうだ。詳しい話をしている暇はないが、やつらが、女生徒に危害を加えられないってのはグッドニュースだよ。思いっきり暴れられるってもんだぜ。行こう安田」
「はい、先生!」


23


「こっちです」
 玲奈は、先に立って、マサキを隣の倉庫へ続く廊下へ案内した。
「待て、安田。ここからはオレが先に行く」
「はい、先生」
 玲奈は、後ろに下がる。
 マサキは、玲奈と入れ代わると、地下へ続く階段を降りていった。
 玲奈の言うとおり、監視はいない。
「急ごう」
 マサキは、後ろにいる玲奈に言うと、スカートの玲奈がついてこれる程度の速さで、廊下を走った。
 二人は、廊下の先のドアにたどり着いた。
 マサキは、玲奈に少し下がっているようにと手で合図してから、ゆっくりドアを開ける。ちょっとだけ隙間を作って、中をのぞき込んだ。
 ところが……
「安田」
 マサキは、玲奈を振り返る。
「本当にこの場所なのか?」
「はい。間違いありません。どうしたんですか?」
「誰もいない」
「えっ!」
 マサキは、驚く玲奈にも見えるように、ドアを大きく開いた。
 そこは、コンクリートの床が寒々しい、がらんどうだった。さっきまで、生徒たちがたくさんいたのに、いまは誰もいない。
「そ、そんな…… みんなどこへ?」
「ジョッカーめ、味なまねをしやがるじゃねえか」
「どういうことですか?」
「つまり、オレたちは、罠をくぐり抜けるつもりで、見事にやつらの罠にハマってるってことさ」
「これは、罠?」
「そうだ」
「あの…… わたし、そんなつもりは……」
「安田の責任じゃない。ジョッカーが一枚上手だったってことだ。いまのところはな」
「どうしましょう?」
「計画がもとに戻っただけだ。どうせ罠に飛び込んでやるつもりだった」
「あの……」
「なにも言うな。安田はここで待て」
「でも!」
「ダメだ。これ以上はついてくるな。だが…… オレにもしものことがあったら、安田はなんとか自力で逃げろ。おまえならできる」
「そんな! わたし逃げたりしません!」
「すまん。言葉が悪かったな。脱出しろ。そしてオレの仲間に救援を求めるんだ」
「先生の仲間?」
「そうだ。倉庫の外に待機している。いいな。頼んだぞ」
「そんな…… わたし……」
「はい、と返事をしてくれ」
「……はい」
 玲奈は、小さくうなずいた。
「よし」
 マサキも、うなずき返すと、息を大きく吸って、誰もいない倉庫の中に入った。
 薄暗い倉庫の中央へ、ゆっくり歩いていく。
「ジョッカー!」
 マサキは叫んだ。倉庫の壁に、マサキの声が反響する。
「人を招待しといて、ホストがいないってのは、どーいう了見だ! いいかげん姿を現せ!」
 そのとき。
 カツーン! と、音が響いた。スポットライトのスイッチが入ったのだ。
 ライトが照らした下には、里美がいた。しかも、椅子に縛りつけられている。
「里美先生!」
 マサキは叫んだ。
「マサキくん!」
 里美も、マサキの名を呼びながら叫ぶ。
「逃げて! これは罠よ!」
 そんなことはわかっている。だが、里美を助けずにはいられない。マサキは里美のもとへ駆け寄った。
「ダメ、来ちゃダメよ。逃げてマサキくん」
「もう遅い。来ちゃったよ」
 マサキは、里美を縛っている縄を解く。
「大丈夫か、里美先生?」
「ええ、なんとか……」
 里美は、縄の跡がついた腕をさすった。
「それはそうと」
 と、マサキ。
「これは罠だと言ったな。どういうことだ? 里美先生、生徒たちがどこへ連れていかれたのか知ってるのか?」
「知らないわ」
「じゃあ、どうして罠と……」
 マサキが、そう聞こうとしたとき。とつぜん、里美がマサキに抱きついた。
 うわっ。役得。
 と、一瞬思ったマサキだが、すぐに、それが誤解だとわかった。里美はマサキに抱きついたのではなく、捕まえようとしているのだ。グググッと、マサキの胸に回した腕に力を込める。
「な、なにをするんだ、里美先生!」
「ふふふ。だから罠だと言ったでしょ」
 里美は、不敵に笑った。
「ジョッカー様の野望を邪魔する者には死を。だから、あなたも死になさい」
「くそっ、里美先生も洗脳されたのか。なんてことを……」
 マサキは、ギリギリと奥歯を噛み締めた。しかし、彼にとって里美は脅威ではなかった。いくら洗脳されているとはいえ、彼女の力は、マサキに遠く及ばない。
 しかし。
「そうよ、マサキ」
 もう一人べつの女が現れた。
「あっ……」
 と、マサキ。そうだよ、こいつを忘れてた。
 沙織だ。
 マズイ……
 さすがのマサキも、頬に冷たい汗が流れた。沙織は自分と同じ特殊訓練を受けている。本気でかかってこられたら、かなりてこずるだろう。それにいま、マサキは里美に身体の自由を奪われた状態なのだ。非常にマズイ。
「死になさい、マサキ」
 沙織は、手にナイフを持ていた。
「こ、こら、沙織。いや、沙織さん。ダメですよ、刃物なんか振り回しちゃ。そんな危ないものはしまいましょうね。ね、ね、ね」
 急に、卑屈になるマサキ。
「ふふふ。いまさら遅いわ」
 沙織は、ゆっくりマサキに近づいていく。
「くそっ! 里美先生! 正気に戻ってくれ!」
「ジョッカー様…… ジョッカー様……」
 マサキの叫びも空しく、ぶつぶつとジョッカーの名をつぶやく里美。イカレている。
「里美先生! オレの目を見ろ!」
 マサキは、なんとか腕を動かすと、里美の顔を包み込むように持って、自分のほうへ向かせた。
「ジョッカーの洗脳なんかに負けるな! オレと今日、デートする約束だったろ?」
「ジョ…… ジョッカー様……」
「そんな名前、忘れるんだ。オレはマサキだ。里美先生の生徒だったマサキだよ。ずっと里美先生のことが好きだった、マサキだ!」
「ジョ……」
 里美の瞳が揺れた。
「負けるな! ジョッカーなんか、頭から追い出せ!」
 マサキは、そう叫ぶと、里美の唇を奪った。
「うっ……」
 口をふさがれて、思わず目を白黒させる里美。
 だが……
 マサキのキスは強烈だった。いや、べつにキスそのものが濃厚というわけではない。唇に、マサキの暖かい感覚を感じているうちに、ぼんやりしていた頭が晴れてゆく。
「ちょ、ちょっと!」
 叫んだのは沙織だった。
「マサキ、なにやってるのよ! あたしの目の前で、そんな年増と…… あれ?」
 沙織も、目の前の光景に正気に戻ってしまった。
「なによこれ? なんであたし、ナイフなんか持ってるの?」
「よかった!」
 マサキは、里美から唇を離した。
「正気に戻ったんだな、沙織!」
「正気? なにいってのよ。あたしは最初から…… うーん、でもなんか、記憶がすっ飛んでるような気もする」
「マサキくん」
 とろん、とした眼の里美。
「里美先生。まだ正気に戻ってないのか?」
「ううん」
 里美は首を振った。
「ありがとう。もう平気」
 というわりには、マサキから離れない里美。
「マサキくん。大好き」
「えっ?」
「いま、あなたにキスされて、やっとわかったわ。わたし、あなたのことが大好き。もと教師でも、同僚でもなく、あなたの恋人になりたい……」
「マジ? やった! ジョッカーありがとう! おまえは、なんていいヤツだ!」
 おい……
「冗談じゃないわよ!」
 沙織が叫ぶ。
「離れなさいよ、この年増! あたしのマサキを奪おうなんて、百年早いのよ!」
「なによ!」
 と、里美も負けてない。
「沙織さんだって、四捨五入すれば三十じゃない!」
「なんで、四捨五入する必要があるのよ!」
「二十七も三十も、変わんないわよ!」
「か、変わるわよ!」
「ちょーっと待て!」
 と、マサキ。
「いまは、こんなことで言い争ってる場合じゃないだろ! 生徒を助けなきゃ!」
「そ、そうだったわ」
 里美は、やっと本当にマジで正気に戻った。
「こんなことやってる場合じゃないわ」
 そのとき。
「そりゃ、こっちのセリフだ!」
 と、ジョッカーが現れた。
「てめえら、こんなところで、三角関係のもつれを演じてるんじゃねえよ!」
「ジョッカー」
 マサキは、鋭い目つきで、ジョッカーを睨んだ。そして、やはり鋭い声で言う。
「ついにご登場か。まずおまえには言いたいことがある」
「なんだ」
「里美先生とナイスなシチュエーションを用意してくれたことに礼を言うぜ」
「言うな! 礼なんか言うな!」
「いいや、言わせてもらうぞ。ありがとう」
「うわぁ! 悪のプライドがぁ、崩壊するぅ!」
「ありがとう、ありがとう、ありがとう!」
「くっ…… せっかく用意した罠が、これほど簡単に打ち破られるとは」
「だから、ありがとう」
「それを言うなっていっておろーが!」
「ジョッカー。おまえって、けっこうマヌケだよな」
「ふん。まあいい。これを見ても、礼を言いたくなるかね?」
 ジョッカーがそう言うと、ドクター・ビューティーが、腕を後ろ手に縛られた玲奈を連れて現れた。
「おほほほ。罠は失敗しましたけど、あたくしたちは、まだ負けたわけじゃございませんことよ!」
「安田!」
「玲奈さん!」
 マサキと里美は叫んだ。
「だれ、あれ?」
 と、沙織。彼女だけ玲奈を知らない。
「先生」
 玲奈は、泣きそうな顔で言った。
「ごめんなさい、わたし、逃げられなくて……」
「ジョッカー! きさま、卑怯だぞ!」
 と、マサキ。
「卑怯? そーだよ。わたしは卑怯だよ。うん。悪の秘密結社の総統だもん。卑怯で当然。卑怯でけっこう。卑怯で当たり前」
「開き直るな!」
「おほほほ。ジョッカー様。罠が成功しなかったのは、とーっても、残念ですけど、そろそろ、このパーティもクライマックスですわ。秘密兵器をご披露もうしあげましょう」
「うむ。そうだな。やってくれドクター・ビューティー」
「はい、ジョッカー様」
 ドクター・ビューティーは、胸の谷間からリモコンを取り出した。セクシーコスチュームだからポケットがないのだ。男性読者へのサービスではない。と、二度も断る必要はないか。
「おほほほ。このリモコンは、洗脳装置のスイッチというだけではないんですのよ。ちゃんと、洗脳された人間を操る機能も備わってますの」
「おお。さすがドクター・ビューティー」
「おほほ。当然ですわ。では、行きますわよ」
 ドクター・ビューティーは、リモコンのスイッチをポチッと押した。
 すると。
 ガコーンと、倉庫のドアが開いて、捕まっていた女子高生たちが、一列に並んで歩いてきた。
「な、なんだありゃ!」
 マサキは仰天した。彼女たちの顔は、真っ黒く塗られていたのだ! それだけではない。口紅は蛍光ピンクで、眼にはつけまつげと、青いアイシャドーまで!
「ヤマンバ、ヤマンバ、ヤマンバ」
 彼女たちは、口々に『ヤマンバ』と言いながら、軍隊のように行進し始める。
「ヤマンバ、ヤマンバ、ヤマンバ」
 なんだか、タイムボカンに似てるのは秘密だ。そう言えばドクター・ビューティーの元ネタはドロンジョ様だろうか?
「うはははは! どうだマサキ! これが女子高生軍団だ!」
 ジョッカーが高笑い。
「バカ野郎! こんなの女子高生じゃない! ヤマンバギャル軍団を作ってどーする!」
「うむ。それは、わたしもちょっと思った。せっかくの女子高生が台無しだよな」
 ジョッカーは、ちらっとドクター・ビューティーを見る。
「おほほほ! これならジョッカー様も、女子高生に手を出す気にならないと思って、特殊メイクバージョンにしてみましたのよ!」
 たしかに、特殊メイクかもしれない。と思う、マサキたちだった。
 だが。
「ドクター・ビューティー。あんたバカじゃない?」
 沙織が、バカバカしそうに言った。
「あたしたちが、ヤマンバギャルに負けると思ってるわけ? こんな連中何百人来たって恐くないわよ」
「おほほほ。そうかしら? マサキがこの子たちと戦えると思う?」
「なんですって?」
 沙織は、マサキを見た。
「いや、その、困ったな」
 マサキは、頭をポリポリ掻く。
「ううむ。ドクター・ビューティーが言うとおり、生徒と戦うわけにはいかないよな。いくらヤマンバでも」
「ちょっと、マサキ。じゃあ、どうするっていうのよ?」
「どーしよう?」
「あのね……」
 沙織は、頭を抱えた。
 里美が叫ぶ。
「みんな正気に戻って! あなたたちは、そんな下品な化粧をするような子たちじゃないはずよ! いまは美白が流行でしょう? それに、そんな顔じゃ、マサキ先生のハートはゲットできませんよ」
「ヤマ……」
 生徒たちの足が止まる。
「マズイわ」
 ドクター・ビューティーは、あわてて、リモコンのスイッチで、洗脳の強度を上げた。
「ヤマンバ、ヤマンバ、ヤマンバ」
 生徒たちは、ふたたび歩きだす。
「里美先生! 沙織! 下がっていろ! オレがなんとか食い止める!」
 マサキが、ヤマンバ軍団の前に立ちはだかる。
 だが。
 ヤマンバたちは、ロンドンブーツみたいな靴で、マサキに蹴りを入れた。
「あつぞこキーック!」
「ぐわっ!」
 さらにヤマンバたちは、ポケットから携帯電話かPHSを取り出す。
「十六和音ビーム!」
「ぐわーっ、頭が痛い!」
 各社とも、十六和音とか大袈裟に宣伝しているが、その実、電子音以外のなにものでもない陳腐な発信音が、マサキを苦しめた。
「おーほほほほ!」
「わーはははは!」
 ドクター・ビューティーとジョッカーが、勝利を確信したその瞬間。
 がぶっ!
「きゃーっ! な、なにするのよ、この子!」
 悲鳴を上げたのは、なんとドクター・ビューティーだった。手を縛られている玲奈が、リモコンを持つドクター・ビューティーの手を噛んだのだ。
「痛い! 離しなさいよ! ジョッカー様、助けて!」
「こ、こら、お嬢様がそんなはしたないまねをしちゃいかん!」
 ジョッカーは、あわてて玲奈を引き離そうとした。だが、玲奈も必死だ。マサキ先生を助けたい!
「いたたたたっ!」
 ついにドクター・ビューティーは、リモコンをポロッと落とした。玲奈は、すぐさま彼女が落としたリモコンを踏むつけた。
 バキッ!
 ばらばらに壊れたリモコン。
「あっ……」
 目が点になるドクター・ビューティーとジョッカー。
 とたん。
 ヤマンバギャルと化していた女子高生たちの動きが止まり、へなへなと倒れた。
「安田! よくやった!」
 恐怖の(そうか?)十六和音ビームから解放されたマサキは、つかつかとジョッカーたちに歩み寄った。
「ジョッカー。ドクター・ビューティー。ついに年貢の納め時が来たようだな」
「うっ……」
 後ずさるジョッカーたち。
「ドクター・ビューティー。奥の手はないのかね?」
「おほほほ…… ありませんわ」
「困ったね」
「困りましたわね」
「うだうだ、言ってるんじゃない! いいかげん、正体を見せろ!」
 マサキは、ジョッカーの三角頭巾を奪い取った。
 ついに、ジョッカーの正体が明かされるときがきたのだ!
「あっ……」
 と、マサキ。
「お、おまえ…… 田中じゃないか!」
「ホント、田中くんだわ」
 と、里美も驚く。
「え~、田中って、まさか生徒会長になった、あの田中?」
 と、沙織。
 その田中だったりする。じつはこの男、マサキの高校時代の同級生なのだ。
「くそう。ついに正体がバレたか」
 田中と呼ばれたジョッカーは、ぷいと顔を背けた。
「なんでおまえが…… たしか実家の家業を継いだんじゃなかったのか?」
「そーだよ。だからジョッカーをやってるんじゃないか」
「なにぃ? おまえんちって、悪の秘密結社だったのかよ?」
「はははは! バレてしまったものは仕方ない。親父とお袋が引退したんで、オレが家業を継いだんだ! 恐れ入ったか!」
「恐れ入ったというか、呆れたというか…… なんだ、田中だったのかよ。おまえ、去年の同窓会出なかったろ? 幹事の山田が、おまえんとこへ葉書を送っても、住所不定で帰ってきちゃうってボヤいてたぞ」
「あ、そう? そりゃ悪いことしたな。なにせ秘密基地だからなあ、うちの住所」
「悪の秘密結社てのも、めんどうな商売だな」
「そうなんだよ。いろいろ苦労があってさ」
「ふーん。そういえば、オレらが高二のころ…… 待て。ここで思い出話を始めてる場合じゃないな」
「うむ」
 マサキとジョッカーは、マジメな顔に戻った。
「んじゃ、田中…… じゃなくってジョッカー。同級生を捕まえるのは忍びないが、大人しくお縄につけ」
「わははは! バカめ! 悪の総統が、こんなところで捕まると思うか!」
「往生際が悪いぞ」
 だが、ジョッカーはニヤリと笑った。
「それはどうかな。ドクター・ビューティー!」
「はい、ジョッカー様!」
 ドクター・ビューティーは、天上から垂れ下がっていた紐を引っ張った。いつ、こんな紐が垂れ下がっていたんだなどと、疑問に思ってはいけない。
 とたん。
 バコーンと天上が開き、上からハシゴが降りてくる。
「待て!」
 マサキは、ジョッカーたちを捕まえようとした。だが、ピュッピュッと、上から矢が飛んできて、マサキを阻む。
「ジョッカー様! 早く!」
 ハシゴの先は飛行船であった。上からジョッカーの部下が矢を放っているのだ。
 ジョッカーたちが、ハシゴに足をかける。
「この野郎! 古典的な逃げ方しやがって! いまどき、恥ずかしくねえのかよ!」
「うるさい! これぞ悪の美学だ! さらばだマサキ! また会おう!」
「おほほほ。あたくしたちの結婚式にはお呼びしませんけど、また会いましょうね。つぎは負けませんことよ!」
 ハシゴがずーっと上がってゆく。
「バカ野郎ーっ! 降りてこいーっ!」
 降りてくるわけがなかった。
 飛行船はどんどん高度を上げ、ついにマサキの視界から消えた。


24


「また逃したか……」
 無念の顔で、上空を見つめるマサキ。
 すると。
「あれ? ここどこ?」
 ヤマンバになっていた女子高生たちが目を覚ました。
「きゃーっ、なによあんた、その顔!」
「あんたこそなによ!」
 どうやら、完全に洗脳が解けたようだ。
「沙織」
 と、マサキ。
「本部に連絡を入れてくれ」
「オッケイ」
「里美先生。生徒を頼みます」
「ええ、わかったわ」
 マサキは、指示を出すと、自分は玲奈のところに歩いていく。
「先生……」
 玲奈は、マサキが目の前に来ると、申し分けなさそうに言った。
「ごめんなさい。わたし捕まっちゃって……」
「バカ。おまえがいてくれなかったら、オレはジョッカーに負けていた」
 マサキは、玲奈の腕を解いた。
「オレこそ悪かったな。危険なことをさせて」
「いいえ!」
 玲奈は、大きく首を振る。
「わたし、マサキ先生のお役に立ててうれしいです」
「ははは。オレも玲奈と会えて楽しかったよ」
「あっ……」
 いま、先生、わたしのこと玲奈って呼んだ…… だが、それ以前に『楽しかった』という過去形が気になった。
「あの…… マサキ先生。もしかして、学校を辞めてしまうんですか?」
「ああ。ジョッカーは逃がしたが、とりあえず、やつらの野望は防止した。また、新たな戦いが始まる」
「そんな。たった一日でなんて」
「ん? そうか。たしかに、たった一日だったな」
「あの、先生。わたし……」
 玲奈が、なにか言いかけたとき。
「マサキ!」
 沙織がマサキを呼んだ。
「本部から、部長が出張ってくるわよ。マサキの単独行動の理由を、じっくり聞きたいってさ。どう説明するつもり?」
「あちゃ~、一難去って、また一難か」
 マサキは、顔をしかめる。
「じゃあな、玲奈。もう会うこともないだろうが、いい女になるんだぜ」
 マサキは、玲奈にウィンクすると、沙織のほうへ行ってしまった。
「先生……」
 玲奈は、それでもずっと、マサキを見つめていた。


25


 それから、一週間後。
 悪の秘密結社撲滅推進室の深川分室では、朝のミーティングが行われていた。
「まず、今回の作戦における、諸君の処分内容が決定したので発表する」
 分室長が言う。いまごろ分室長が登場するあたり、この小説のいいかげんさを物語っているが、それは気にしないでいただきたい。
「と言っても、処分対象はマサキだけだ。チームワークを無視した単独行動により、マサキは減給二ヶ月」
「げーっ!」
 当然、マサキは抗議した。
「分室長! ジョッカーを逃がしたのは痛かったが、ヤツの正体を暴いたし、生徒も全員助けたんですよ。なんでオレだけ、減給二ヶ月なんですか!」
「だから、単独行動は謹めと言ったじゃないか」
 と、斎藤隊員。
「そうよ、そうよ」
 沙織も斎藤に加勢する。
「年増にいいところ見せようなんて、下心があるからいけないのよ」
「そういうことだ。まだなにか文句があるか?」
 と、分室長。
「ちえっ。わかりましたよ」
 マサキは肩をすくめた。
「では、つぎの議題だが、今日は諸君に、新しい隊員を紹介したい」
「えっ、新卒採用の時期でもないのに?」
 と、沙織。
 だが、マサキは知っていた。
「島崎くん。入ってくれたまえ」
 分室長が言うと、隣の部屋から、里美が入ってきた。
「えーっ! なんで年増がここにいるのよ!」
「沙織くん。静かにしたまえ」
 と、分室長。
「みんなも知ってると思うが、彼女は、聖心女子学院の日本史の教論だった島崎里美くんだ。今回、本人の強い希望と、マサキ隊員からの推薦で、われわれの仲間になってもらうことになった。みな、よろしく頼む」
「島崎里美です」
 と、里美は頭を下げる。
「ジョッカーの野望を終わらせるため、みなさんと一緒に働きたいと思います。どうぞ、よろしく」
「イヤよ」
 ぷいと顔を背ける沙織。
「こら、仲良くせんか」
 分室長は沙織に苦笑いを浮かべると、ふたたび、みなを見回した。
「じつは、もう一人、アルバイトを雇うことにした」
 これは、マサキも知らなかった。
「安田くん」
「はい」
 入ってきたのは玲奈だった。
「なに?」
 驚くマサキ。彼女は安田財閥のお嬢様だ。こんな、意味不明な組織でアルバイトをするような女の子ではない。
「みなさん、安田玲奈です。お茶汲みでもコピー取りでも、なんでも言ってくださいね」
 ニコッと、笑顔を浮かべる玲奈。
「では、解散!」
 分室長が言うと、里美と玲奈が、待ってましたとばかり、マサキのところへ飛んできた。
「マサキくん。これで本当に同僚ね!」
「あ、ああ…… しかし……」
「マサキ先生!」
 玲奈は、瞳を輝かせた。
「わたし、一生懸命がんばって、いつか正式な隊員になります! これからも、ご指導のほど、よろしくお願いします!」
「いや、ご指導ってきみ…… マジかよ?」
「はい。マジメです!」
「あんたたち……」
 沙織が、こめかみに青筋を立てていた。
「いい度胸してんじゃないのさ。あたしからマサキを奪おうたって、そうはいきませんからね。マサキは、ずーっと前から、あたしの下僕って決まってるのよ!」
「だれが下僕だ、だれが!」
「そうよ沙織さん。マサキくんは、わたしのボーイフレンドなのよ」
「わたしの恩師です!」
「ま、待て、みんな、落ち着こう。落ち着こうね。ね、ね」
「うるさいわね! 下僕は黙ってなさい!」
「沙織さん、わたしのボーイフレンドを、下僕なんて呼ばないでちょうだい!」
「わたしマサキ先生を尊敬してます! これからも、ずっと一緒です!」
 マサキの言葉も空しく、三人の美しい女性たちの声が、響き渡る深川分室であった。


 つづく。(嘘です。続きません)





 あとがき。

 この物語は、カウンタの15000番を踏んだ(Script1では過去に、訪問者数を見るカウンターを設置していました)、千亭さんのリクエストで書きました。今回もまた、リクエスト内容をうまく反映できなかったかもしれません。とくに、主人公が、中国拳法に憧れ、独自の拳法を編み出した。というところは、ほとんどまったく触れてません。千亭さん、ごめんなさい。悪の組織ジョッカーを思いついたら、なんか、こうなっちゃいました。あと、ドロンジョ様タイプのキャラも(ドクター・ビューティー)書いてみたくて、つい、ジョッカーたちの描写が多くなってしまいました。反省。
 というわけで、変な物語になってしまいましたが、どうぞ、お納めください。


 2000年12月18日。クリスマスに間に合って、ほっとしながら、新しく買ったばかりのノートパソコンで記す。


 追伸。
 最近、校正の時間があまりとれません。誤字脱字が、けっこうあるかもしれませんが、どうぞご容赦を。そしてまた、もし気が向いたら、誤字脱字の箇所なんか教えていただけると助かっちゃったりします。